| 「一目惚れ」という言葉は、今まで生きてきた28年の中で、あたしの辞書になかった言葉だ。 その「一目惚れ」という言葉が、自分の辞書に載る日が来るなんて予想もしていなかった。
そう、2日前に彼女が入院して来るまでは…
「立花さん、体温を測りましょうね。」
あたしは必死にポーカーフェイスを保とうとしていた。
少しでも頬の筋肉を緩めてはいけない…そう、自分に言い聞かせながら。
「騎橋さん、よろしくお願いします」
そういいながら体温を測りやすいように病衣の胸元を緩めてくれたのは、立花あゆさん。 あたしは立花さんの仕種にドキドキしながらも、彼女の胸元から手を入れて体温計を差し込む。
立花さんは一つ一つの仕種が全て艶やかである。 彼女の担当があたしに決まり、初めて顔を合わせた瞬間、あたしは彼女の美しさに一瞬にして心を奪われた。
今まで付き合った男性達にも感じた事のない気持ちを、彼女を見て初めて感じた。
彼女の入院時患者記録の情報の中の一つに、仕事が水商売と書かれていたのを発見した時も、その仕種と彼女の美貌からかさほど驚かなかった事を覚えている。
「…騎橋さん?」
立花さんは、彼女に見とれて何も話せないあたしを怪訝そうに見つめる。
「あ…ごめんなさい、…胃の痛みなどありますか?」
「やっぱり食事の後はかなり痛みます。胸やけもちょっと…」
「そうですか…あまり酷いようなら、先生に相談して痛み止めを出してもらう事もできますからね?」
看護師として失格な事に、彼女とこうして話してる間もあたしは彼女の目を見て話す事ができないでいる。
彼女との話が一段落つき、ようやく病室を出られた時にはとどっと疲れが襲って来た。 入院してきてまだ数日の彼女とは、入院日数の長い患者さんとよりも多くコミュニケーションをとらなくてはならない。 そのため、病室にいる時間も他より長くなりがちで、緊張する時間も長いのだ。
「はぁ…っ、あたしの理性がもっているうちに早く退院してくれ」
ボソッと呟きながらも、あたしは次の受け持ち患者さんのところへ足を運ぶ。
「久未ちゃん!!やぁっと来てくれたぁ☆もーっ、看護師さんが忙しいのも分かるけど、うちの相手もしてよ♪」
訪室したあたしを明るく迎えてくれたのは、瀬川ほのかさん。 瀬川さんはもう三ヶ月程受け持ちしている患者さんで、私に友達のように接してくる。
「そうねー(笑)あたしも瀬川さんみたいな患者さんばっかだったらいいのになーって思うよ。ここ来ると1番ホッとするし」
「アハハっ♪うちも久未ちゃん来ると嬉しいよ☆」
瀬川さんみたいに立花さんとも話せたらいいのに…
瀬川さんと話してる間でもそんな事を考えてしまう自分自身に、呆れを通り越して笑いが出てくる。
「…じゃあ、またお昼に来るからね。早く退院できるようにしっかり休まないとね!」
そんな失礼な事をしているのが申し訳なくて、あたしは早々と用件を済ませると瀬川さんの病室を後にした。
「…本当、最近のあたしは看護師失格だな」
廊下を歩きながら、あたしは自分自身を説教するのだった。
(携帯)
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