| 今宵はクリスマスイブ、街が浮かれ騒いでいる時、 榛原節子 80歳は、死の床についていた。 長いようで短い人生だった。子供の時に戦争も経験した。 空襲に逃げ惑う日々。兄達はみな戦死してしまった。 18歳で見合結婚をした。叔母の勧められるままだった。 相手は38歳、大学の助教授だった。彼も彼の両親も子供を強く望んだ。 しかし夫とのセックスは苦痛でしかなかった。一度もいいとは思わなかった。 そのせいではないかもしれないが、子宝には恵まれなかった。 子供が出来ないとわかると、夫は急に冷淡になり、他所に愛人を囲った。 でも節子は内心ほっとしていた。夫とのセックスから解放されたのだ。 40歳の時、彼女は恋をした。隣に引越してきた笠原真理子に。 彼女には商社マンの夫と高校生の男の子、中学生の女の子がいた。 まさか自分が女性に恋をするとは、思いもしなかった。 真理子とは歳も近いこともあり、お互いの家をよく往き来して、おしゃべりを楽しんだ。 彼女はとても魅力的な女性だった。明るく元気で、何でも良く知っていた。 南米原産のグラスウィングバタフライは、透明の羽根を持つ蝶だとか 節子には初めて聞く話が多かった。 会うたびに、どんどん惹かれていく自分が怖かった。 彼女の勧めでテニスも始めた。ちっとも上達しなかったけれども。 彼女に自分の想いを告げられないまま、 あっと言う間に2年が過ぎ、彼女は夫の転勤で海外に行ってしまった。 しばらくは手紙のやり取りをしていたが、 ある日から宛先不明で届かなくなり、それきりになった。 しかし節子は、いつまでも彼女のことを忘れることはできなかった。 そして節子は年老い、夫も失いひとり暮らしになった。 最近の節子の楽しみは、藤井めぐみと会うことだった。 めぐみは20歳の訪問介護士で、一週間に一度、家事全般をしてくれる。 真理子と似たタイプで、明るく元気でよく話し、よく聞いてくれた。 めぐみは節子のことを、自分の祖母のように接し、 仕事以外でも ちょくちょく遊びに来ていた。 あまりに歳の差はあるものの、節子は恋心に近い物を抱くようになっていた。 明日のクリスマスにも、プレゼントを持って来るという。 実は節子もプレゼントを用意していた。 遺書だ。そこには、全財産をめぐみに譲ると書かれていた。 全財産と言っても、少しばかりの預金とこの土地と家屋だけだが。
ああ、息をするのも疲れてきた。 明日、私の遺体を見つけためぐみは泣いてくれるだろうか。
節子は静かに息を引き取った‥‥
プルルルル‥‥プルルルル‥
どこかで電子音が鳴っている。 節子は静かに目を開けた。
続く
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