| タッタッタッと、一定の足音を響かせて夕暮れのグラウンドを駆ける。 肌を刺すような冷たい空気が、鼻を、喉を、刺激する。 真っ直ぐに伸びた道を一気に駆け抜ける短距離走は勿論好きだけれど、より長く走っていられるという理由で、長距離走も好きだ。 単純に、走るという行為が好きなのだと思う。 だから時々、私はゴールを定めずにひたすら走り続ける。 ただ黙々と。 息が上がっても。 次第に頭はぼんやりしてきて、けれど冴え渡ってくる。 白く霞みがかっているようで、感覚は鋭くなるのだ。 この矛盾に、私はひどく惹かれる。
「茜っそろそろ上がるよ!」
部長の声に、引き戻される。 走っている最中の私の頭の中は空白だ。 はーいと呼び掛けに答え、あと2周走り終えたらアップしよう、思い直して、緩めた足を再び動かす。
─せっかくイイ感じで入り込んでたのにな…。
一度引き戻された意識を、再び集中へと導くのは容易ではない。 そう思うと、さっきまでの高揚はどこへやら、頭の中が急速に冷えてきた。 アップも兼ねて、先程よりもペースを落とす。 グラウンドを見渡せば、陽はすっかり陰り、他の運動部は既に活動を終えたのか、人影もまばらだ。 校門には続々と下校する生徒達。 その姿が普段よりも多いので、疑問に思ったけれど。 そう言えば笹木が、今日は各委員会の会議があると言っていた。 道理でこの時間帯に部活者以外の人間の姿が多いわけだ。 うんうんと一人納得しながら、最後の一周へと突入した。 続々と下校する生徒を横目に、校門脇を通り過ぎる。 ふと、目の端に捕らえてしまった何かがあって。 それはいつもの私なら絶対に気にしていない、いや、気付かないもので。 いくらスピードを上げても振り払う事は出来なくて。 私の集中を奪った部長を少しだけ恨んだ。
動悸に合わせて息を吸う。 吐く。 繰り返しては、繰り返す。 それでも、集中の途切れた私の意識には様々なものが流れ込む。 それを振り切ろうとすればする程、余計に強く考えてしまうから。 浮かぶ顔は、なかなか消えてくれやしない。 人間の思考というのは厄介なものだ、と。 呼吸とは違う息をひとつ大きく吐いて、浮かんでくる思いに意識を委ねた。
─何とかの半分はやさしさでできている、とか何とか。 よく耳にするような。笹木も、それと同じだ。 ただ、笹木はすべてがやさしさでできている。 半分なんてものじゃない。 そんなんで疲れないの?ってくらいに。 やさしい、やさしい、そんな人だ。 けれど。 100%やさしさ成分の笹木の99%は他者へのやさしさ。 残りの1%は──ある一人の誰かの為に注がれる。 笹木自身、気付いていないだろうけれど。 当人でさえも。 あらゆる人に平等なやさしさを振りまく笹木の、その1%の重みを、私は誰より知っていた。 そしてもう、わかっている。 わかっているんだ。 思えばいつも。 彼の人の視線の先はあいつで。 優しさの行方も。 悲しみの原因も。 想いの向かう場所も。 全部が──…あいつで。
川瀬には笹木が必要なんだ。 そして笹木もそれに応えようとしている。 …いや、そんな川瀬の側に居たいと、力になりたいと、笹木は心の底から望んでいる。 むしろ今の笹木の方が、川瀬を必要としているのかもしれない。
私は自分がどうするべきかも、本当はとっくに気付いていた。
先程のランニング途中、笹木と川瀬、校門を並んで出て行く二人を見て、チクリと痛んだ胸の傷みを、一生私は口にしない。 一月の乾いた風が熱の冷めない私の心を突き抜けても。
周回を2周走り終えても、私はひたすら走り続けた。 余計な事を考えずに済むように、と。 想いに霧がかかるまで。
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