| 「あんたさー。いつも家にいるけど、暇なの?」 リビングのソファに寝転びながら、テーブルの上で書類を広げている彼女の背中へと不躾に言葉を投げてみた。 彼女はウェーブの髪を揺らせながらゆっくりこちらを振り返る。 「失礼ね。これが見えないの?」 言いながら手元の書類の一部を手にし、ひらひらと私の前で煽ってみせた。 「何それ」 彼女は私に背中を向けて、再び作業に取り掛かる。 「卒論。これ提出しなくちゃ卒業できないの」 あぁもう彼女も大学四年か。 出会ってから二年が経っていた。
ふと考えていた私の頭を、無遠慮にがしがしと撫でる誰かの手。 「なに」 仏頂面で顔を上げると、すぐ目の前には彼女の顔があった。 ソファに横たわる私は体を起こしてそこにスペースを作る。 「煮詰まった!ちょっと休憩っ」 言って、彼女はその空いたスペースに飛び込んで体を埋めた。 狭いソファに並ぶ二人。 少し動けば肩が触れる、そんな距離。 いつもはお喋りな彼女の沈黙に耐えきれなくて、私から口を開いた。 「…あんたさ、大学卒業したらどうすんの?」
彼女とは一切こんな話をした事がない。 就職活動をしているのか、していたのか、それさえも疑問だ。 けれどそんな事は些事でしかなく、彼女が何をして何を考えているかなんて、私にはどうでも良かった。 必要なのは、彼女が此処に居るという事。 これだけが全て。
私の質問に彼女は眉一つ動かさない。 むっとして。 「ねぇ」 再度問い掛ける。 それでも彼女は無言のまま。 「ねぇってば」 わずかに声を荒げると、ようやくこちらへ顔を向けた。 「わたしは、あんた、でもないし、名前がないわけでもないよ」 言葉の意味を捉えきれず、私はわずかに眉をひそめる。
「早紀。わたしは早紀よ」
ようやく理解して。 そして─
「…今更呼べない」
掠れる声で呟いたら、彼女の笑い声が聞こえてきて、妙に恥ずかしさが込み上げてきた。
結局彼女は。 大事な事は何一つ残さない。
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