| 前回と同じスイートの、
二重扉の前まで来ると、
私を振り返って、「入っていく?」 とダイナが言った。
なるほど、
シャンプーが仕事を終えるまでの暇潰しというわけか。
いいだろう。
嘘を付いた数だけとは言わないが、
ワインの1、2杯なら、償いとして付き合わせて頂くとしよう。
勿論、詫びのつもりである事は秘密だが。
そうして私は彼女の招きに応じた。
部屋でスペイン産の白を飲みながら、 コの字型のソファに角を挟んで座ったダイナと私は、
たわいもない話をした。
ここでいうたわいもない話というのは、 本当に文字通りたわいの無い話で、 主に海外での仕事中に起きた色々なハプニングや出会った人物について、 ダイナが身振り手振りを交えながら話していた。
数十分前まで一触即発の現場の中心にあった、
アリスと所長については話題の隅にも上らない。
ダイナが望まないのであれば、 私も蒸し返す気はなく、
そちらが仕事の話をするなら私もある程度自分の話題を提供するべきかとも思ったが、
仕事 イコール 加賀美絢とアリスに繋がる訳で、
二人の存在をわざと避けながら私のビジネスライフを語るのも、
きっと聞いている側でさえ不自然な気まずさを感じかねない為、
結局私は聞き役に徹していた。
と言っても決して退屈していたのではなく、 なかなか話し上手なダイナの体験談を、
私は素直に楽しんで聞いていた。
それでも今仕事で抱えている案件の事を考えると、 今夜は早めに帰ってゆっくり自分の部屋で精神を休めたかったので、
長くても60分で席を立とうと、
私はワインのコルクが彼女の美しい手によって抜かれた時に、 腕時計を確認して決めていた。
残り時間が7分になった時に、
脈絡も無くダイナが言った。
「それで、アリスはどう?」
一瞬、アリスとのキスはどうだったのかと訊かれた気がして、 動揺した私はグラスを持つ手をビクッと振るわせたが、
意を決してアリスの名前を出したのか、 ダイナはダイナで自分に注意をとられているようで、
私のそぶりには気付いていそうになかった。
「元気にしてるって事?忙しく働いてるわよ」
ダイナは 「そう」 と答えると、 ワインのボトルを持ち上げて私にグラスを傾けるよう促した。
本当はもう結構という時間になっていたのだが、 ここに来て上ったアリスの話題を聞き逃す訳にはいかず、
私はグラスを持った。
「アリスの事、どう思う?」
私の意見を本気で聞き出したいというのではなく、 自分の考えを述べる前フリを求めているような訊き方だと、 私は思った。
下手に興味をそそる答え方をして、 墓穴を掘る訳にはいかない。
山吹色の水が揺れるグラスをテーブルの上に置き、
私は迷った時に日本人がよくする曖昧な笑い方をして、 「んーーー・・」 と言ったきり間を空けた。
「アリスって、本当変でしょう。謎が多い。って言うよりも謎しかない」
「ふふ。そうね。ミステリアスよね」
「でしょう。まぁ、もう関係ないけどね」
そう言うとダイナは脚を組み替えてソファの背もたれに体重を掛け、
もう一日の終わりだというような長くリラックスした溜息をついたので、
これ以上アリスの話題は続きそうにないなと、 そう思った私は、
中身を空する為にグラスを持ち上げた。
「ねぇ」
掛けられた声に顔を上げると、
悪戯っぽく目を細めたダイナが腕を組んで言った。
「アリスの秘密、知りたくない?」
まだワインを口に含んでもいないのに、
私の喉がゴクリと鳴った。
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