| 大寒間近の街に、降り注ぐ白い欠片。 次の日の朝景色を銀色に染めた。 そんな中、さくさくと地面を踏み締め歩く花屋。 鼻の先を赤く染め、視線を落とす様は、何かを探しているようだ。 雪の下でじっと寒さに耐え忍び、柔らかな陽射しが待ち切れなくて早春の雪の残る時期に蕾を咲かせる、そんな花を。
【雪割草】
大事な話がある。 古くからの友人に呼び出されて彼女の住むマンションへと来てみたら、当の本人は十数年という付き合いの中で見た事のないほどの真剣な 顔をしていた。
「榊でもそんな顔できるんだ…」
思わず感嘆の声を漏らす、志摩。 こんなきりっとした表情、高校の体育祭のリレーの時も、社会に出て仕事に追われるようになってからだって見た事ない。 いつも適当にへらへら笑って生きている。
「茶化さないでよ」
榊はうー…と唸った。
ごめんごめんと謝って、成程、これは確かに重大な話なのだとこちらも真面目な顔を向けて、聞く姿勢を示した。
そんな志摩に、榊は躊躇いがちに視線をうろつかせ、やがて覚悟を決めたように長く息を吐き出した。
「これから言う事で、志摩があたしと友達やめたいって言うなら構わない。だけどその時は変に避けないで、はっきり言って」
何だか最初から重いなぁ…、思いながら横槍を入れるのをとどめて話の先を促す志摩。
榊はもう一度深呼吸して息を吐き切ると、もはやその目に迷いはなかった。
「あたしさ、恋人いるんだよね」
何が飛び出すのかと身構えていたものだから「──…へ?」と、志摩は自分でも恥ずかしく思うような間抜けな声を出してしまった。 確かに、高校時代から浮いた話がなかった榊の恋人発言はスクープものだけれど。 それでもここまで重苦しい空気を作る理由にならない。
「大学からだから…もう6年になるかな」
「ふぅん、結構長いね」
社会人になって少し疎遠になったものの、予定が合えば未だ飲みに出掛けている二人。 口にこそ出さないけれど、お互いにとって相手はツレだという共通認識。 大学時代などそれこそ多くの時間を共に過ごしていたのだ。 それなのに彼氏の気配なんて微塵も感じなかった。
─まったく気付かなかったな。
何故隠していたかは知らないが、その周到さに呆れる前に感心した。
「言うタイミング逃して今まで来ちゃったって事?まぁこんだけ月日も経てば言いづらいだろうけど」
からからと笑ってカップに口を付ける志摩とは対象的に、未だ浮かない顔の榊。
「──…重大な告白は、まだあったりするのかな」
もしかして、と。 怪訝にというか若干恐る恐る志摩は訊ねた。
こくん、榊の頭が縦に振られる。
もうこの重い空気には耐えられないと頭を抱える志摩だったが、先程の話は深刻そうな榊には悪いけれどそれほど大したものではなかった 。 だから続きだってそんなもんだろう、そう考えると気が緩んだ。 もう一口、カップに口を付ける。
「…──女の子なんだ、付き合ってる相手」
ムセた。 とんだ告白である。
「何やってんの」と顔をしかめて榊が差し出すティッシュを奪って、口元を拭う。 ごほごほと咳込んでから、ようやく落ち着きを取り戻した志摩は、友人へとゆっくり目をやった。
「──榊は実は男でしたって事は、」
「ないから」
「その相手が実は、」
「それもない」
榊は頭を掻いて、言う。
「正真正銘、あたしも彼女も女の子だよ」
─彼女。
という言葉に、そうかそうなるのかと志摩は頷く。 咳込んだから喉が渇いてしまった、改めてカップに口を寄せる志摩を、じっと榊は見つめていた。
「なに」
じろりと睨み返す志摩。 「冷めちゃった。淹れ直してよ」 言いながら榊にカップを差し出す。 「あ、うん。って、そうじゃなくて」 受け取りながらもそれをテーブルの隅に置き、榊はキッチンへは向かわなかった。
「なに、まだ何かあんの?」
いい加減面倒臭くなってきた志摩はテレビをつけた。 日曜の午後はろくな番組がやっていないと、退屈で欠伸を噛み殺す。
「だから、えーと…何かないの?」
「何かって?」
それは私が聞いてるんだと志摩は榊を睨んだ。
「ほら…気持ち悪いとか、友達やめたいとか」
「………はぁ?」
心の底から呆れた眼をする志摩。
「榊が女と付き合ってるのと、私らが友達やめるのと、何か関係あんの?」
形の良い眉毛を歪め、榊に答えを求める。 呆気に取られる榊は、言葉が出なかった。
「榊がそれでいいならいいんじゃない?男でも女でもじーさんでも子供でも犬でも猿でも」
いやさすがに動物は勘弁してくれと心中で呟く榊に、
「そんなんどうでもいいよ。だって榊、彼女の事好きなんでしょ?」
怒ったように志摩は言った。
「そんな簡単な事なのにぐだぐだ考えてたわけだ?深刻な顔しちゃって。私にも言えないで」
ふん、と鼻を鳴らす。 友人が同性と付き合っているなんて事実より、信じられていないのかと思うと、そちらの方が気分が悪い。 そんな志摩に、
「やっぱ志摩に言って良かった」
安堵の息のように漏らす榊。
「あのねぇ、だったらさっさと──…」
苛立ちをぶつけようと榊を見ると、ようやく肩の荷が下りたように、今日初めて榊がへらりと普段通りに笑ったから、志摩は言葉の続きを 飲み下した。
「──相手、どんな人?」
しょうがないから息を吐いて違う言葉を投げ掛ける。 榊は少しだけ考える仕草をして、へらりと笑った。
「全部許せる人」
それは、素敵な事じゃないか。
誰かを思って、思われる。 そんな相手がいる事こそ素晴らしいと思うのに、それを男だ女だとこだわるのはもったいない。
「心を丸裸にされる感じ」
続く言葉もあまりにも恥ずかしげもなくさらりと言うものだから、志摩は苦笑した。
「ほんとにありがとう。あたしには志摩が居て良かった」
感謝の言葉にも惜し気もない。
照れ臭くなった志摩は、「お茶お代わりだってば」とカップを榊に押し付ける。 「あ、そうだった。ごめんごめん」 受け取った榊は、ぱたぱたとキッチンへと消えた。
─私は敵にはなんねーよ。
直接言う事はやはり気恥ずかしかったので、榊の消えた残香に、志摩はそっと告げたのだ。
周囲を見渡してみてごらん。 そのあまりの人の多さに目が眩む事だろう。 人との距離を測って、調節し、疲れてしまうから独りを選ぶ。 だから私たちは捜すのだ。 距離のいらない自分だけの誰かを。
花言葉は、
信頼。
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