| 私は困惑していた。
いや、動揺していた、と言うべきだろうか。 …どちらでもいい。 とにかく頭を抱えていたのは確かだから。
まさか自分が。 女である私が、"女の子"に告白されるなんて───
【ラプソディ・イン・ブルー】
「ターキせーんぱぁーいっ!」 背後からの声に、私は素早く身を翻らせた。 予想通り今まさに飛びついてこようとしていたにやけ面の後輩をひらりと交わす。 「何で避けるんですかー」 彼女は唇を尖らせ、不満そうに私を見つめた。 「あのねぇ…前から言ってるでしょ。廊下でいきなり抱きついてこないで」 「廊下じゃなきゃいーの?」 「そういう問題じゃ───」 言い終える前に彼女は私を抱き寄せた。 150cmあるかないかの私の体は為す術なく抱き竦められてしまう。 「こらっ!離せ!離しなさい!聞いてんの?!離れろってば、馨っ!ばかおるっ!」 じたばたと暴れてみせても体に回された彼女─馨の腕はしっかりと絡まって解けない。 ばかとはひどいなー、なんて間延びした声が頭上で聞こえる。 「あー、先輩あったかい。こーゆーのって子供体温って言うんですかね?」 その言葉に。 私の中のナニかがぷつんと切れた。 私の顔を覗き込んでへらっと笑う馨。 そんな彼女に、渾身の力を込めて頭突きを一発。 「あだっ!」短く呻いて、怯んだ馨の腕が緩んだ隙に素早くそこから抜け出した。 「誰が子供だっ!」 額を押さえて情けない顔をしている馨を一瞥し、私はくるりと背中を向ける。 「タキ先輩ぃ〜」 「うっさい!ついてくんな!」 強い語調で吐き捨てて、のっしのっしと大股で歩を進めた。 背後に今にも泣きそうな顔で立ち尽くしているであろう後輩を一人残して。
ばーかっばーかっ馨のばーか! 身長は私のコンプレックス。 人よりも小さい事をどれだけ私が気にしているか、馨は全然わかっていない。 そりゃあ馨はいい。 170cmを優に越える長身。 それでいてすらっとした手足を持っていて。 ……考えただけで腹立つ腹立つ腹立つ! 馨なんか大っっっっ嫌いだ!! っていう今朝の出来事が思い出されて、 「──…多喜、何そのすごい顔」 隣の席の佐保ちゃんに呆れた声を出されてしまった。 「……私、そんなすごい顔してた?」 「ん。何て言うか、鬼気迫るって感じ」 鬼婆みたいな形相ってゆーの?、小首を傾げてこんな事を言う。 この人は、可愛い顔してなかなかに辛辣だ。 「ひどいなー」 困り気味にあははと笑ってみせたら、佐保ちゃんもふっと微笑んだ。 始業を告げるチャイムに、お喋りを中断して前を向く。 途端にどっと疲れがのしかかってきた。 それもこれも馨のせいだ。
『タキセンパーイ』
私の名前を呼ぶ、ふにゃふにゃとした笑顔を振り撒く大型犬のような後輩の顔が頭に浮かぶ。
こうもしょっちゅう付き纏われるようになったのはいつの事だったか。
─芹澤馨
一つ下の学年の一年生。 今までまったくと言っていいほど接点のなかった彼女の名前を知ったのは、夏休みも明けて間もない頃だった。 一体何故?と思う暇もなく、彼女は私に尻尾を振ってきたものだから名前の一つも覚えてしまうというものだ。 それから程なくして、ぽつりぽつりと彼女の名をあちらこちらで聞くようになった。 私が噂に無頓着だっただけで、どうやらあのアホ犬は校内ではなかなかの有名人だったらしい。
陸上部の期待のルーキー。 あのふざけた性格からはその肩書きに直結しないというのが素直な感想だった。 しかし、話を聞けば聞くほど真実だと信じざるを得なくなる。 あぁ事実は小説より奇なり。 その上長身の彼女の姿は、女子高の校内でそれはそれは目立つだろう。 そして持ち前の愛想の良さで人懐っこい笑顔を無差別に撒き散らすものだから、上級生からのウケは良く、大いに可愛がられているという わけだ。 加えて、普段彼女と共に居るのが「王子」の異名を持つ剣道部のクールビューティー。 その王子様も馨ほどの高身長、そんな二人が廊下を歩いていれば嫌でも目を引くに決まっている。 決まっているのに二月前まで知らなかった私は本当に世間に疎いのだろう。 「え、まじで知らないの?」 情報源である友人からも言われてしまった一言である。
それでも知らないものは知らないし、厄介なものに懐かれてしまったものだと思っている。
あーだこーだと考えている内に授業は終わってしまったらしく、日直が黒板を消し始めていた。 しまった!と思ってももう遅い。 仕方なく佐保ちゃんのノートを借りようと隣の席へ声を掛けようとすると、 「せんぱーいっ」 後ろからタックルを受けてそのまま抱き締められた。 振り返らずともわかっている。 「…放せ、馨」 冷たく言い放っても、 「あーやっぱり先輩あったかい」 まったく聞いてやしない。 今朝私に怒られたばかりだというのによくのこのこと顔が出せるものである。 もっとも馨の事だ、すっかり忘れてしまっているのだろうけど。 「二年の教室まで何しにきたわけ?」 「何って、暖を取りに」 十一月入ってめっきり寒くなりましたよねー、抱き締める腕を強めながら言う。 「だ・か・らっ何でわざわざうちのクラスに来んのかって聞いてんの!」 負けじと馨の腕を引き離そうともがきながら返した。 「そりゃー先輩が好きだから」 へへっと笑う声が首筋を撫でてくすぐったい。 こんな光景にすっかり慣れてしまった級友達は「相変わらず仲が良いねぇ」と温かい目で見守ったり、「馨ちゃんにあんなに懐かれていい なぁ」と羨望の眼差しを向けたり、「大型犬にじゃれつかれてる小動物の図だ」と微笑ましげに眺めたり、当人の事などまったくお構いな しで何とまぁ好き勝手なものだ。
「馨ちゃーん、私達とも遊んでよ」 笑いながら声を掛けるクラスメイトに、
「うーん、有り難いお誘いですけどあたしはタキ先輩一筋ですから」 ごめんなさーい、と相変わらず調子の良い声。
「ここまで好かれると案外情が移ってるんじゃないの?」 他人事のようににやにやと笑いながら小さく耳打ちしてきた佐保ちゃんに、私は曖昧な苦笑いを浮かべた。
先輩に懐いている後輩、だって? 友人達よ、声を大にして言いたい。 それは誤解だ、と。 そんなカワイイものじゃない。 どうせ言えないけれど。
『神谷多喜先輩、ですよね』
『好きです』
『好きなんですよ、先輩の事』
先輩に対する憧れや尊敬の念では、ない。
小動物を愛でる嗜好を備えているというわけでも、勿論ない。
ヤツは私に惚れている、らしい。
絶句する私に、にこにこと彼女は笑っていた。
陽に透けて金髪のようにも見える薄茶色の髪と愛想の良い笑顔がゴールデンレトリバーを思わせる。
…厄介なものに好かれたものだ。
なかなか回した腕を緩めない馨に、私ははぁと溜め息を吐いてから、背後に向かって思いっ切り頭突きをかました。
二学期に入ってからの二ヶ月間、得たものは愛の言葉と精神疲労とこの後輩のあしらい方だ。
…本当に厄介なものに好かれたものだと、「あだっ」肩越しに聞こえた悲鳴を受けながら再び溜め息を吐いた。
近所にアホ犬の躾をしてくれる訓練所はなかったものかと、顎を手で押さえながらそれでもへらっと笑う後輩を見ながら思った。
このままでは特技が頭突きになってしまうと本気で考えてしまう辺り、私も相当なアホになっている。
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