| それは、夕焼けの魔力のせいだ。
【トワイライト】
暦は十二月も半ば。 この時期の学生を悩ませるものといえば、そう、期末試験の他ない。 私も例外ではなく間近に迫った試験の範囲と教科書を照らし合わせて、頼りになる友人・佐保ちゃんにヤマを聞いたりと、悪戦苦闘の真っ 只中。 これさえ乗り切れば冬休み、何とか踏ん張ってやろうじゃないかと、帰りのホームルームを終えると私が目指すのは図書室だ。 テスト前だから賑わっているかと思えば、いつも以上にひっそりとしているなかなかの穴場。 皆、真っ直ぐ家に帰って自室の机に向き合うか、駅前の図書館に行くのだろう。 うちは結構な進学校だから、生徒の学習意識は高い。 そんな所に何で私はいるのだろうと頭を捻りながら図書室に入った。 家に帰れば勉強する気が失せる、だから私の場合は学校にいた方がはかどるのだ。 思った通り図書室は数えるほどしか人がいない。 その静けさに「よしっ」心中で掛け声をかけて、奥のテーブルに向かった。 窓から西日が差し込んでいる一角を陣取る。 ちらりと外を見やると、がらんとした校庭が広がっていた。 試験期間中は部活停止期間でもあるから当たり前といったら当たり前なのだけれど、いつも響き渡っている運動部の活発な声が聞こえない 。 誰もいない校庭だけが人の影を落とす事なく夕日でオレンジに染まっている。 あぁこんなに静かなものなんだな、と何となく寂しく思った。 そう言えば図書室も普段よりやけに広く感じられて、窓から差し込む光が室内を茜色に照らしている。 夕焼けってのはどこか人をセンチメンタルにさせるぜ、となかなかにクサい台詞を呟いて苦笑した。 ばかな事を考えていないでそろそろ勉強に取り掛かろうと視線を窓から机に移行させると、
「うわっ!」
いつの間にやら目の前には西日を浴びて金髪に光るゴールデンレトリバー─もとい、馨がいた。
「先輩だめですよ、大きな声出しちゃ。ここ図書室なんだから」 人差し指を口元に当てて「しー」という仕草。 私は慌てて口を手で押さえて、元はといえばあんたのせいだと言わんばかりに、私の向かいに座る馨をギロリと睨みつけた。 それでも馨は素知らぬ顔でにこにこと笑っている。 「…何でここに?」 自然とひそひそ声になる。 「先輩が図書室入ってくのが見えたから」 馨も幾分トーンを落として答えた。 はぁぁと大きく溜め息を吐いて、 「あんたねぇ、放課後そんなに暇なわけ?部活は───…」 そこで気付いた。 「はい、休みだから暇なんです」 にっこり笑う。 「それにしたって暇って事はないでしょ、テスト前なんだから」 言ってみて、何気にこいつは成績がいいんだって事を思い出す。 廊下に貼り出されていた中間試験の順位に驚いた記憶が真新しい。 神様ってのはなんて不公平なんだろう。 馨は、ついむすっとしてしまった私の顔を覗き込み、
「タキ先輩と居る方が大事なんです」
そうやって綺麗に笑ってみせたから何だか脱力してしまって、 「…私は勉強するんだから邪魔しないでよ」 呆れ気味に呟いて手元の教科書を開いた。 馨は「はい」とやけに素直な返事をするものだから、それにも拍子抜けしてしまった。
とは言うものの、
「あのさ…そんなじっと見られてたらやりづらいんだけど」
確かに馨は邪魔していない。 声を掛けてこなければ、ちょっかいも出してはこない。 ただ黙って頬杖をつき、向かいの席に座っている。 真っ直ぐにこちらを見つめながら。
「えー、邪魔してないじゃないですかー」
馨は不満そうに唇を尖らせた。
「視線が気になるのっ。迷惑!」
人差し指をびしっと指して強い語調で言い切る。
「え、」
きょとんとする馨。 しまった、少し強く言い過ぎたかなと訂正しようとして。
「それはあたしの視線にドキドキしちゃうって事ですかね?」
そう思った事を瞬時に後悔する。 こいつと話しているといつも頭が痛くなるのは何でだろうと額を押さえていると、
「まぁ冗談はこれぐらいにして、そろそろ帰りますね」
先程までのおちゃらけたものとは違う、落ち着いた馨の声。 顔を上げたら、 「邪魔しちゃ悪いし」 にっこり笑った。
今日は妙に引き際が早いなと、また拍子抜けする。
「それじゃ勉強頑張ってくださいね」と立ち上がろうとする馨を、
「──馨」
つい呼び止めた。
「はい?」
案の定馨はきょとんとしている。 中途半端に立ち上がりかけて中腰の姿勢。 「何ですか」と、また席に座って私を見た。
何ですかも何も、私が聞きたい。 だってほんとに「つい」だったのだ。 言いあぐねてちらっと馨を見たら、嬉しそうにへらへらと笑っていた。
「…何」
「いやー、先輩が呼び止めてくれるなんて」
それがそこまで喜ぶべき事なのだろうかと、少し呆れる。 それでも目の前の大型犬は尻尾を振るのだ。他の誰でもなく、私に。 しばし思案して、
「馨は…何で私なの?」
躊躇いがちに口にした。
「え?」
聞き返す声に気恥ずかしくなってつい俯く。 「何で私が好きなの?」 女同士なのに…と、口をもごもごさせていると、
「──かっこよかったから」
馨の通る声。
…私が、かっこいい? この背の低さのせいで小動物扱いされる事が常の私が?
驚いて顔を上げ、彼女をまじまじと見る。 「私にかっこいいとこなんて──」 ないよ、と言い切る前に馨はそれを遮るように首を振った。
「先輩はすごくかっこいい」
そしてゆっくりと、丁寧に言葉を紡いだ馨はいつものへらへらした表情ではなく、優しい瞳で私を見ていた。 不覚にもドキリとして。
そんな私をどう思ったのかはわからないけれど、馨はふっと笑うとゆったりとした動作で視線を外へと向けた。
「もう冬ですね」
窓の外の沈む夕日を眺めながらぽつりと漏らした馨の横顔から、私は何故だか目が逸らせなかった。
夕暮れが図書室を朱に染めて、世界から切り取ったのだ。
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