| 家庭の事情というやつで、あたしは高校一年の一学期を終えると、そんな中途半端な時期に転校する羽目になった。 転校先の女子高には寮があって、特に強制ではなかったけれど、これまた家庭の事情というやつであたしはここに入る事になった。 本来ならば二学期から通うはずのこの学校。 少しでも早く慣れた方がいいだろうという有難迷惑な心遣いのお陰で、あたしは夏休みに入ったらすぐに寮入りするよう宣告された。 この寮は、何でも三年以外は相部屋が原則らしくて。 人数の関係でたまたま二人部屋を一人で使用していた同学年の結城さんという人があたしの同居人として紹介された。 顔だけはやたら整ったこの結城さん。 彼女は何とも無気力で、新入りの面倒を見るばかりか放任主義もいいとこだ。 「食堂の利用時間って何時から何時まで?」 と尋ねれば、 「寮長に訊けば教えてくれるよー」 と答えるし、 「お風呂場ってどこにあるの?」 また尋ねると、 「廊下出ればわかるんじゃない?」 と、こんな調子。 あたしもね?ちょっとは寮生活に夢とか希望とか憧れがあったわけ。 一人部屋がいいなぁとか、相部屋はやだなぁとか、共同生活なんて柄じゃないよとか思っていても、同室の子はどんな子だろうとか、さ。やっぱり少しそんな生活にわくわくしていた。 だけどねぇ…。 何せルームメイトは超マイペース。 お互いに干渉しないというか、むしろ無関心? 完全に我関せずのスタイルを地で行って、多分あたしの存在なんて気に留めていない。 きっと彼女は誰かの気配がするだけで、未だに一人部屋と同じ感覚でいるんだろう。 よほどの事がない限りこの部屋割りで三年生まで過ごすらしいから、あたしだって歩み寄ろうとはしたんだよ?
「結城さーん、ご飯食べに行こ」 「まだいいや。パス」
「ねぇ、結城さん。そろそろお風呂入りに行かない?」 「行けば?」
……ね? 入寮したてのあたしに全く構う素振りを見せない事といい、マイペースもいいとこでしょう? あたしはこれからここで生活していけるのかと、一抹の不安を覚えざるを得なかった。
「おはよー、佐伯さん」 「あ、おはよ」 「今日はパン食だって」 「そうなの?良かったぁ…こんな暑いと朝からご飯なんて食べられないもん」 「言えてるー」 それでも一週間を過ぎた頃にはこうして普通に話し掛けてくれる友人は出来た。 既に夏休みに入っていたから、寮生とはすんなり顔合わせを済ませられたし。 寮長はとても親切にここでの決まりを教えてくれて、元々人見知りをする方じゃないあたしはすんなりと順応。何となく勝手はわかった。 「それにしても、ほとんどの人は同室の子とご飯食べに来るのに佐伯さんは違うね」 トレーに朝食を乗せ、席につくとさっちゃんが口を開いた。 「さっちゃんこそ」 あたしはトーストにバターを塗りながら答える。 「朝だけよ。私の同室の子、朝弱くて起きないの」 思い出したようにくすりと笑うさっちゃん。 「佐伯さんの同室の子も朝が駄目とか?でも夕飯も一緒じゃないよね」 「あー…」 どう言っていいものかと、あたしはあははと曖昧に笑ってみせた。 「誰と同室だっけ?」 「ゆーきさん」 トーストを一口サイズにちぎって、含む。 あたしの言葉にさっちゃんは、成程、と言う顔であたしを見た。 「結城さんかぁ。それなら納得」 ふふっと笑う。 「苦労するでしょ」 「やっぱりそう思う?」 「うん、あの人やる気ないでしょー。一緒に寮生活して三ヵ月経つけど、いまいち掴み所がないんだよねぇ」 クラスが違うから学校ではどうか知らないけど、とサラダのプチトマトをフォークで刺して目の前でくるくる回すさっちゃん。それをぱくりと口に放った。 「何か相部屋なのに一人の気分」 「うーん…マイペースな人だからね。何考えてるのかわからないし」 顔だけは綺麗なのにね、そう言ってさっちゃんはまたあははと笑った。 「寮の事で困った事があったら私に言って?一年だけど少しは教えられると思うし」 ね?と、人懐っこい笑顔を向けるさっちゃんと、今も部屋でぐうたらしてるんだろう結城さんが重なって、今からでも部屋を換えられないかなぁなんて思いが本気で頭を掠めた。
それにしても結城さん。 本当に彼女がわからない。 未だにあたしは、この不可解な同居人とまともに言葉を交わした事がなかった。 入寮してしばらく経つ。 寮生活にも少しだけど慣れてきた。 けれど結城さんには全然慣れない。 コミュニケーションを取ろうって気が、あの人には根本的に見られないから。 半ば諦めつつも日々を過ごすあたし。 でも…何だかおかしいんだよ。 部屋でぼーっと雑誌を眺めてるとふと感じる視線。そちらを見やると視線の主は結城さん。特に何か言うわけでもなくただあたしをじっと見ているだけだから、あたしの頭は疑問符だらけ。 またある時も、机に向かって一生懸命夏休みの課題に取り掛かっていると背中に感じる誰かの視線。振り返るとやっぱりそれも結城さん。 食堂でも談話室でも寮の裏庭でだって、大抵視線を感じるとそれは結城さんのものだった。 なんなんだろう? 最近よくあたしの事を見ているけれど。 自惚れじゃない程にそれは頻繁なものだから。 確信している。 結城さんはあたしを見ている、と。 けれど、わからない。 その理由が。 ……本当に彼女の事がわからない。 『いまいち掴み所がないんだよねぇ』 ちょっと前にそう言ったさっちゃんの言葉にうんうんと頷く。 考えてる事わかんないもんねぇ。 だったら考えるだけ無駄なのかなぁ…? やはり今日も入浴はばらばらで。共同浴場から戻ってきたあたしは、ベッドに仰向けになって読書に没頭している結城さんをちらっと見ながらそんな事を考えた。 あたしが部屋に帰って来ても「おかえり」の一言も掛けやしない。 まったくの知らん顔。 そんな彼女の態度に慣れたとは言え、ちょっとだけむっとして。 肩に掛けたままのタオルでわしゃわしゃと髪を拭く。 そして彼女に背を向ける形でどかっと床に座ると、あたしは雑誌を見開きその上で爪を切り出した。 ぱちん、ぱちん、と。 沈黙の空間にあたしの爪が切り出される音だけが広がる。 何にも気にしない結城さん。 何にもお構いなしの結城さん。 何故だか今日はひどく苛立つ。 ぱちん、ぱちん。 大体ねぇ、普段は無関心で素っ気ないくせに、いらない時ばっか人の事見て─────…? はっとする。 え?と思った。 もしかして?と思った。 その、少しばかり恐い可能性に気付いてしまったあたしは無意識に言葉にしていた。 彼女に背を向けたまま。 ぱちり、と、足の指の爪を切りながら。 「ゆーきさん」 「んー?」 「あのさ」 「うん」 「時々さ」 「うん」 「あたしを見てるよね」 「うん」 「もしかしてさ」 「うん」 「あたしの事好きなの?」 「うん」 「それってさ」 「うん」 「友達として?」 「ううん」 「それじゃ違う意味で?」 「うん」 「へぇー……」 ぱちり。 そっか、そっか、好きなのか。……………………………………………………………………って、違ーう! 確かに好きだと聞きましたが?確かにうんって答えましたが? でも違うでしょ!? 淡々としすぎでしょ!? あたしの問いに動揺も驚きも何にも感じさせない声色で。 しれっと答えた。 背中越しに感じる気配はぱらりと紙がめくられるあの音だけで。 きっと結城さんはあたしの言葉に驚いてがばっと跳ね起きるどころか、微動だにせず、読んでいる本のページをぱらぱらとめくる片手間で、あたしに答えていたんだろう。 生返事?生返事ですか? かーっと頭に血が上ったあたしは爪を切る手を止めて立ち上がると、ずんずんと結城さんが横たわるベッドの脇まで進んでいった。 それでも彼女は何の反応も示さないから、勢いに任せて結城さんの本を取り上げる。すると、ようやく目だけをあたしに向けた。 「好き、って言った?」 「うん」 だからそれが軽いんだ! どこまでも。どこまでもゆるゆるな結城さん。 あたしは彼女の胸倉を掴むと、ぐいっと自分の方に引っ張って強引に起き上がらせた。 「どういう意味で?」 顔を覗き込んで、言う。 結城さんはその端正な顔立ちをやる気なく歪めて、あからさまに、めんどくせーなー、って顔をしていた。 「耳をほじるなー!」 小指を耳の穴に突っ込んで掻くような仕草をする結城さんからは本当にやる気の欠片も見られない。 「ど・う・い・う・意・味・の・好・き・か・っ・て・聞・い・て・ん・のっ!」 胸倉を掴んだまま、言葉に合わせてがくがくと力任せに結城さんを揺さ振る。 彼女はそれに逆らわずやはり流れに任せてがくがく揺れていたけれど、やがて面倒臭そうに頭を掻いた。 「え?」と思った時にはもう遅くて。 片手だけをあたしの頭に添えたかと思うと、そのままぐいっと引き寄せられた。 わっ、と声を上げるとすぐ目の前には結城さんの綺麗な綺麗な顔が接近していて、それに見惚れている暇もなく、何か柔かな感触があたしの唇を覆った。 それは一瞬の出来事で。 結城さんはすっとあたしの唇から自身のそれを離すと、「こーゆー好き」やっぱりしれっと言って、あたしが奪った本に手を伸ばすとまた何事もなかったかのように読み始めた。 あたしは呆然と立ち尽くす。 何だか色んな事がいっぺんに押し寄せてきたみたいで。 何がなんだかわからない。 やっぱり彼女がわからない。 …てゆーかね? むしろわかりづら過ぎですよ、あなた。 あたしはぽかんと開いた口から、ようやく一言だけを搾り出した。 「どうして…あたしを?」 「さあ」 本から視線を外さずに結城さんは返事をする。 「あたしは、男の子が好きだよ?」 「ふうん」 「だから結城さんの気持ちには応えられないっていうか」 「別にいいよ。私が好きなだけだから」 ドキリとして。 抑揚のない、いつもの結城さんの声だったけれど。 そこには確かに気持ちがある気がしたから。 ドキリとして。 「だって…報われないじゃない……」 やっとの思いでそう言葉を吐き出したら、
「それは佐伯さん次第だけどね」
彼女は顔に被せた本をちょっとだけ横にずらすと、あたしを見て不敵に笑った。
初めて見る笑顔の結城さん。 それはとてもじゃないけど悪どい笑みで。にやり、なんて効果音が聞こえてきそう。 それでも、あたしの心臓をトクンとひとつ跳ねさせるには十分過ぎて。 悔し紛れに「あたしは結城さんなんか好きにならない!」そう叫んだら、既に彼女は本に目を戻してあたしの言葉など聞いちゃいなかった。 こんなにも胸が大きく高鳴るのも。顔がやけに熱いのも。夏の暑さのせいばかりじゃないだろうし。 時間の問題かなぁ…なんて、無意識に考えちゃってる辺り、どうやらあたしは結城さんの罠にまんまとはまってしまったみたい。
これからのここでの生活、違う意味でやっていけるか不安を覚えるあたしです。
|