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■2108 / 親記事)  BLUE AGE
  
□投稿者/ 秋 ちょと常連(60回)-(2004/07/26(Mon) 16:29:12)
    日々は刻々と過ぎていき。
    垂れ流したままの時間の流れの中に身を置いてはいても、毎日は違う色ばかりだ。
    カレンダーの日付は、綴られる思い出たちは、過去の産物となりゆくのか。

    ―想いはそこにある。

    幼くとも、拙くとも。
    大人が見たら不器用だと笑うかもしれない。
    もっと楽に生きろと呆れるかもしれないけれど。
    子供と呼ぶには世間知らずでもなく、大人になりきれる程狡くもなれない。
    本気で笑って、本気で泣いて。
    そんな時代。高校時代。

    さぁ、
    日常の欠片を拾い集めて、その一コマを蘇らせてみようか。







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■2109 / ResNo.1)  ─はなびら、ふわり
□投稿者/ 秋 ちょと常連(61回)-(2004/07/26(Mon) 16:32:51)
    私はうんざりしていた。
    入学したばかりのこの高校で、早くも私はうんざりしていた。

    「高校生になったんだし、早く彼氏欲しいよね〜」

    級友達の話題の中心はほとんどそれで占めている。
    それはいい。それはいいんだよ、ほんとに。
    私だって女の子。
    中学生の時は好きな男の子くらいいた。友達と一緒に憧れの先輩の話で盛り上がったり。高校に入学したら彼氏が欲しいなぁ、なんて普通の女子高生ライフを描いていたわけ。
    でも…でもさ?
    何の手違いか、私が入学したのは右も左も女の子ばっかりの女子高だった。
    おまけにここは寮を備え付けてあって、私はまだ家が近かったから寮入りは免れたものの、そんな所に入ったら出逢いなんてまるでないじゃん!と。声を大にして叫びたい。
    しかも周囲の子達は思いの外この異様な環境にすんなり順応していて。
    隣のクラスの何とかさんが美人だとか、あの部活の何とかって先輩がかっこよくて憧れるだとか?
    皆、目を覚まして!
    いくらかっこよくても、いくら綺麗でも、女なんだよ?
    恐るべし、女子高マジック。
    私はここで、何とか感化されないようにと、必死に日々を過ごしていた。


    「生徒会長まじ綺麗〜」
    「ねー」
    「笹木先輩も美人じゃない?先輩、寮長やってるんだって」
    「へぇ、そうなんだ〜」
    今日も女の子達が顔を突き合わせて憧れの先輩談議に花を咲かせている。
    私はそれを呆れ顔で眺めていた。
    「ふみってさぁ、ほんと話に乗ってこないよねぇ」
    ふと白けた顔した私に気付き、一人が声を掛けた。
    それに呼応して、皆も口々に言い出す。
    「そういや、そうだね」
    「うんうん、ふみの口からあんまり聞いた事ない」
    「何でー?」
    「興味ない?」
    私は閉口しつつもはぁっと溜め息を吐くと、
    「興味ないってゆーか…だって女じゃん」
    面倒臭そうに答えた。
    その発言にしん、と静まる。
    やがてわぁっと巻き起こる非難の嵐。
    「あんたにはときめきがないのかぁ!」
    「女だってかっこいいもんはかっこいいんだから、それでいいじゃん!」
    うるさいなぁとぼやきつつ、私はやれやれと頭を掻いた。
    「きゃーきゃー騒いだ所で何にも報われないでしょ」
    突き放すように返す私に、
    「あたしらはドキドキしたいの。でも廻りに男子が居ないじゃん?だから校内でかっこいい人見られれば嬉しいわけ」
    嬉々としてそう言ったので、再び私は呆れてしまった。
    結局は擬似的なものに縋っているだけじゃないか。
    うんざりしながら軽く息を吐き出す私に、彼女達の中でも幾分冷静な一人が、
    「でもそれだけじゃなくてね?同性だって単純に素敵だなって思う所はあるでしょう?憧れには男女関係ないと思うの」
    諭すように言った。
    それでも。不毛だとは思わないのか。
    それはただの勘違いにも似たような想いであって、やっぱり擬似的なものなのではないかと、どうしても思わずにいられない。
    「そーだそーだ」と声を上げる彼女達に、あっそ、それだけ言うと彼女達は不満げに私を見た。
    「何でそう淡泊かなぁ」
    また溜め息をつく。
    「B組の結城さんとか、綺麗じゃない?そう思わない?」
    投げ掛けられた問いに、
    「美人だとは思うけど、それ以上のものはないよ」
    そう応えて、私は教室から出て行った。

    校舎の裏はちょっとした穴場だ。
    人気は少なく、けれど数本立ち並んだ桜が安息を誘う。
    私はその内の一本にそっと寄り添った。幹はひんやりと、けれど何故か体温を感じる。
    四月も半ばを過ぎて、校庭の桜並木は殆ど散り散りになってしまったけれど、日蔭にあるせいかここの桜はいくらか花びらを舞わせていた。
    彼女達が本気で騒いでいるのではない事も、本当は彼氏を求めているという事も、凛とした同性にその持て余した想いを重ねることでここでの生活を楽しもうとしている事も、全部全部わかっていた。
    だけど私はそこまで柔軟になれない。出来れば今すぐ飛び出して、共学の高校にでも転校してやりたいくらいだ。
    大体、想いの吐け口にされる彼女達だっていい迷惑だろうし。
    「本気で恋なんかするのかなぁ」
    誰にともなく放たれた呟きは、桜の花びらのようにふわっと地面に落ちて砕けていった。
    彼氏を欲しいと思った事もあった。
    友達と、恋がしたいね、なんて話した事も。
    恋、ねぇ…。
    なんだかなぁ。
    今はそんな気になれない。
    そもそも出逢いがない女子高なんかに通っているのも問題だけど、例え周囲に異性が居たとしても誰かを好きになるつもりはなかった。
    特別理由があるわけじゃない。
    高校生になる前は期待に胸を膨らませたりもしたけれど、女子高という特異な環境の中でその気持ちも萎えたというか。
    ただ、なんとなく。
    恋をするのが億劫だった。
    チャイムが鳴る。終業のチャイムが。
    「あーぁ、またサボっちゃった…」
    高校に入学してから二週間余り。
    私は既にサボり常習者になっていた。


    「生徒会長の幼馴染み、この学校に居るらしいよ」
    「えー?そうなの?」
    「それも一年」
    「まじ?じゃあ、あたしらとタメじゃん。何組の子?」
    …あーあー、そんな事どうでもいいじゃん。関係ないじゃん。
    くだらないくだらない、心の中でずっと連呼する。
    昼休みの雑談は決まってこうだ。
    皆で楽しくランチタイム。和気あいあいとした雰囲気の中、こんな話へと移行すると私は決まって不機嫌になった。
    「…ふみ、顔恐いよ」
    彼女達の傍らでその会話を聞いていた私の顔は相当強張っていたようで。
    その一言で私を振り返った友人達は皆一様にして眉をひそめた。
    「普段はそうでもないのに、何であんたってこーゆー話題の時はそうかなぁ」
    そう言って眉間のしわを人指し指でつんと突く。
    私はその手を払いながら立ち上がった。
    「だからさ、興味ないって前にも言ったじゃん。大体皆しておかしいよ。女子高だからってそんな同性相手に。廻りに異性が居ないから見立ててるみたいで、何だか見てられない」
    やばい、とかそんな事も頭を過ぎったけれど。私は言葉を止められず、それでも口を突いたものは全て本音だった。
    座ったまま私を見上げる友人達。立ち尽くしそれを見下ろす私。
    気まずい空気が流れながらもそれを打ち破る手立てはなく、皆ぐっと押し黙っていた。
    何やら考え込む仕草をしていた一人が、口を開く。
    私を真っ直ぐ見て。
    「ねぇ、ふみちゃん。真剣に憧れてたり、その…好意を持ってる子だって居ると思う。だから…そんな言い方は良くないよ」
    その言葉に。
    頭にかっと血が昇った。
    しばらくじっと彼女を見ていた私は、けれど顔には出さず。
    「あっそ」
    くるりと彼女達に背を向ける。
    「あ…どこ行くの?そろそろ昼休み終わっちゃうよ」
    「別に」
    そう吐き捨てて、私は教室を後にした。

    校舎裏の桜は今日も穏やかにその身を散らしていた。
    いつものように座り込むと木の幹を背に息をつく。
    『真剣に憧れてたり、その…好意を持ってる子だって居ると思う。だから…そんな言い方は良くないよ』
    …あぁそう。あぁそうかい。
    あんたらはそれが純粋な想いだって言うんだ?
    同性同士なのに?
    吐け口と勘違いしてんじゃないの?
    何だって言うんだ、全く。
    理解できない。理解、したくもない。
    午後のまばゆい陽射しを一身に浴びても、私の胸の内は収まらなかった。
    「あー、くそっ!」
    叫んで、背にした木に頭だけを前後に振って後頭部を打ちつけた。
    当然の事ながら鈍い痛みが脳内を刺激する。
    「────……っ」
    言葉にならないまま両手で頭の後ろを押さえて顔を伏せ、「何やってんだろ、私…」一人ごちた。
    地面に目を落とし、じんじんと響く後頭部を摩る。
    また苛立ちのままに「あー、もう!」と叫ぶと、突然、木漏れ日が陰った。
    何かと思い、ふと顔を上げる。
    枝々の隙間から漏れていた光が遮られ、黒い影が広がっていた。
    黒い影が、広がる。
    ……は?影?
    気付いた時には手遅れだった。
    「あーっ!そこの人危ないぃーっ!!」
    それは躊躇う事なく一直線に私の頭上から降って来た。
    下敷きにされる私。
    いたた、と顔を上げると、はらはらと花びらが舞い乱れ、視界がぼんやりと桜色に染まる。そこには「影」、否、紛れもなく「人」が、私と同じくブレザーに身を包む女生徒が、申し訳なさそうに私を見ていた。無数の桜の花びらを纏いながら。
    「あ…ごめん、ね?」
    私は事の次第がわからず、ただ目をぱちくりさせているだけ。
    「大丈夫?頭打った?あー、ほんとごめんねぇ。あなたの上に落ちちゃったもんね……やっぱり、痛い?」
    腰を少し打っただけで彼女との接触に思った程体を痛めてはいなかったようで。
    首を横に数回振る。
    すると彼女は、心底ほっとしたように大きく息を吐いた。
    「良かったぁ…受け止めてもらっといて、その人に怪我させたら謝りきれないよ」
    そして、ははっと笑う。
    呆気に取られて言葉を失っている私の視線に気付いたのか、彼女は私と目が合うと先程とはまた違う、照れたような笑みを浮かべた。
    「あー…そりゃ目の前で人が落ちてきたら驚くよね。うーん…わたしね、ここ好きなの。静かで、昼寝するにも気持ち良くて。それにそろそろ桜も散りそうでしょ?最近は木に登って花びらに囲まれて昼寝ー、ってゆーのがお気に入りでね」
    そこまで言うと一端言葉を切って、ちらりと私を見ると申し訳なさそうにへへっと笑った。
    「今日は選んだ場所が悪かったみたいでね?枝がちょっと…うん、耐えられなかったみたいで。ばきっと、折れたのね?」
    眉尻を下げて、情けない顔。
    「落ちちゃった」
    ごめんね、もう一度言うと私の背中についた砂やら花びらやらを払う。自分の制服についている花びらには気を留める事なく。
    「でもね、下にあなたがいてくれて良かった。クッション代わりになったあなたには悪いけど。本当に助かった。そうじゃなかったら地面に叩きつけられてたから」
    にこっと笑って、
    「ありがとう」
    そう言った彼女は、明日は丈夫な枝で寝るから大丈夫だよとVサインをした。
    「あなたもここが好きみたいだから、また会うかもしれないね」
    私にただの一言も喋らせず颯爽と去っていく彼女の通った道には、制服に帯びたままの桜の花びらがふわりふわりと漂い、歩みと共に舞っていた。
    その背中に声を掛ける事も出来ず、追い掛ける事もせず、ただじっと見つめながら、そーゆー問題じゃなくてそもそももう木に登らない方がいいんじゃ…そんな馬鹿みたいな事をぼんやり考えていた。



    落ちたのは彼女ばかりではなく。

    落ちました。

    恋に。

    あーぁ…大きな大誤算。



引用返信/返信 削除キー/
■2110 / ResNo.2)  ─正しい心の繋ぎ方。
□投稿者/ 秋 ちょと常連(62回)-(2004/07/26(Mon) 16:33:55)
    睨む彼女。
    怯む私。
    ―対峙するふたり。
    私は非常に困惑していた。
    …目の前の彼女に迫られて。


    事の起こりは三十分前。
    単なるいつもの昼休みだった。
    私は朝の会議でやり残した仕事があった為、生徒会室に向かっているところだったのだけど。
    その途中の廊下で詩絵とばったり遭遇し、何だかわからぬ内に廊下に面した手近な化学室へと引きづり込まれたのだ。
    「…詩絵。あのさ、何か…怒ってる?」
    状況の飲み込めない私はおずおずと彼女に尋ねてみた。
    それもそのはず、彼女ときたらこの教室に入ってからというもの、小柄な体ながらも威圧感を漂わせ、ぎろっと私を睨むように見上げているのだから。
    すると詩絵は更にその眼光を鋭いものとした。
    「怒ってるか…ですって?」
    わなわなと震える詩絵。更にキッと、私を睨む。
    「そう見えるんならそうなのよ。確かに機嫌は良くないわ」
    「……どうしたの、一体」
    私はすっと手を伸ばして彼女の髪をさらさらと撫でた。
    けれど、その手は払い除けられる。
    うーん、と私は首を捻り、それでも彼女を不機嫌にさせる理由がわからなかったのでただ曖昧に笑ってみせた。
    「…やっぱり唯ちゃんにはわからないんだ」
    「詩絵?」
    ぐっと言葉に詰まったように詩絵は下を向いた。
    背の低い彼女に合わせて屈み込む。そして下から彼女の顔を覗き込むと目尻にうっすらと涙を浮かばせていた。
    「……せっかく」
    ぽつりと漏らした声を聞き逃し、私は、え?と聞き返す。
    「せっかく一緒の高校に入学したのに。やっと同じ学校に来れたのに…唯ちゃんは校内で会ってくれないし、登下校もばらばらじゃない…!」
    はっとして、私はうつむいてしまった。
    上から、詩絵の言葉が更に降ってくる。
    「唯ちゃんはもう三年生だし、同じ場所に居られるのも一年しかないんだよ?私がやっと追いついて高校生になったっていっても、たった一年しかないんだよ?」
    じっと、タイル張りの冷たい床を見ながら詩絵の言葉を聞いていた。
    「学校くらい一緒に行こうよ。何で一緒に帰ってくれないの?」
    責める事を必死に堪えているような彼女の声に、重い口をようやく開く。
    「…それは。前にも言ったでしょう?今は忙しい時期だから。生徒会の仕事が多いし、朝から会議があるの。帰りも…やらなきゃならない事は沢山あるから」
    嘘ではなかった。
    けれどそれを口実にしているという事もまた…嘘ではなかった。
    詩絵は震える声を私に落とす。
    「じゃあせめて校内で話をしてよっ!」
    「私達は三年と一年だから…二つも学年が違うのに、お互いの教室を行き来してたらおかしいじゃない?」
    そう答えると、詩絵はばっとしゃがみ込んで下を向く私の顔を両手で包み、無理矢理自身の方を向かせた。同じ目線の高さに詩絵の顔がある。
    「私達、幼馴染みよね?」
    「そうだけど…」
    「だったら親しそうにしてても何の不思議もないんじゃない?」
    真っ直ぐな彼女の言葉が突き刺さる。
    真っ直ぐな彼女の瞳を逸らす事も適わず。
    私はただ困ったように彼女を見ていた。
    詩絵はふぅっと息を吐く。
    強い意志が込められた瞳に悲しみの色が浮かんで。
    彼女の手の平が私の頬からするりと落ちた。
    「私達、ただの幼馴染みじゃないよね?」
    「……え?」
    「私達、付き合ってるんだよね…?」
    「…うん、まぁ……」
    私は曖昧にしか応える事が出来なかった。
    詩絵はますます悲しみを募らせる。
    「まぁ、って…まぁって何?」
    怒りも色濃く。
    「それとも私の勘違いなの?私が唯ちゃんを好きなだけ?唯ちゃんは人が良いからそれに付き合ってくれてるってわけ?」
    「違っ…!」
    「違くないじゃない!」
    詩絵は私を睨みつけた。
    悔しそうに奥歯をぎりっと噛み締めながら。
    やがてふっと力が抜けたように呟いた。
    「違くないじゃない…」
    「詩絵…」
    「廊下で会っても知らん顔。教室には来るなって言うし。それなら私は何を信じればいいのよ…」
    「詩絵…」
    今度は私が彼女の頬に触れた。彼女は甘えるようにその手に顔を預けてくる。
    そして、先程の言葉をもう一度口にした。
    「……私と唯ちゃんは、付き合ってるんだよね?」
    「…うん」
    私はそのまま彼女を引き寄せた。胸元で優しく抱き留めて。
    「不安なの。唯ちゃんが中学校を卒業した時もそうだった。私はまだ中学生。唯ちゃんは高校生で。やっと同じ学校に来たら唯ちゃんは生徒会長になってるし。どんどん置いてかれそうな気がして。離れてると…不安なの」
    詩絵も私の背に手を回して華奢なその腕に力を込める。
    彼女をこんなにも不安にさせていたなんて。
    「ごめん」
    自然と口からこぼれた言葉は、どんどん想いを溢れさせた。
    「ごめんね、詩絵」
    ぎゅっと抱き締める。強く、強く。
    「確かに…詩絵を避けてた。ばれるのが恐くて…そんな簡単に私達が付き合ってるって結び付ける事はないだろうけど、それでもどこかで恐れてた」
    「私とこういう関係になった事、後悔してる…?」
    「──そうじゃない!…そうじゃないの、ほんとに。ただ…」
    「ただ?」
    どんな些細な事から私達の関係が知られるとも限らない。ましてや同性同士。どれ程好奇な目で晒される事になろうか。
    私だけならいい。
    むしろこの愛しい恋人の名をどれだけ大声で叫びたかった事か。
    けれど。
    詩絵を傷つけたくはない。それだけは決してしたくはなくて。私との関係が露見する事で詩絵が受ける周囲の心無い声、無遠慮な視線。考える程に恐くなり、また、私はそれらから守る自信もなかった。
    「詩絵が、好きだから…詩絵を傷つけたくなくて…」
    それだけをやっと搾り出すと、
    「…ばかね」
    腕の中で小さく笑った。

    さすがは幼馴染み。
    うまく言葉にする事の出来ない私の思いも、たったあれだけで理解をしてくれるなんて。
    長年近くで歩んできただけの事はある。
    少しだけ腕を緩めて互いの顔を見つめ合う。
    「たまには教室に行ってもいいでしょ?幼馴染みなんだし」
    詩絵が言った。
    「うーん…まぁたまになら不自然じゃないかな」
    「だから唯ちゃんも廊下で会っても無視しないでね?」
    「……はい」
    鼻先に人指し指を突き付けられて、私はははっと苦く笑う。
    「私もそれ以外はちゃんと我慢するから」
    突き付けた手を降ろしながら、詩絵も照れたように笑った。
    「生徒会長だもんね。仕事が忙しいのはしょうがないもの。朝も帰りもばらばらでも文句言わない。その分家で会うから…我慢する」
    私はそんな詩絵を見てつい微笑んでしまった。
    くすくす笑う私に少しばかり詩絵はむっとして、ぷいっとそっぽを向く。
    その様子に、堪えきれず目尻は下がってゆくばかり。
    照れ隠しからか素っ気なく詩絵は言った。
    「…そう言えば、いいの?私が連れて来ちゃったんだけど、生徒会室行く途中じゃなかったの?」
    時計を見て、あっと思った。
    けれど。
    「もういいや」
    「いいの?」
    「うん、いい」
    そう、と小さく息を吐く詩絵の頭を軽く撫でて、すっと立ち上がった。彼女にも手を差し伸べながら。
    「昼休み終わりそうだし、教室戻ろうか?」
    私の手を掴んで詩絵が立ち上がるのを待ってから、くるりと出口の扉の方に向き直る。
    歩き出そうとした私の背中に、
    「唯ちゃん」
    声を掛けられたから、私はまたそちらを振り返った。
    「唯ちゃん、私達付き合ってるのよね」
    本日何度目かの詩絵の言葉。確認するかのような詩絵の言葉。
    私も彼女をはっきりと見つめながら、返す。
    「そうだよ」
    「唯ちゃんは私の恋人だよね」
    「うん」
    「唯ちゃんは私の事好きだよね」
    「好きだよ」
    「キスして」
    「……………え?」
    間抜けに発せられた自身の声。きっと表情の方も、負けず劣らず間抜けな事になっているに違いない。
    ぽかんと口を開けている私に、
    「キスして」
    詩絵は寸分の狂いもなく先程と全く変わらぬ言葉を口にしたから、どうやら聞き間違いではなさそうだった。
    「えーと…」
    あやふやに笑ってみせる。
    困惑の色を隠せない私は、視線があちこちに泳いでいた。
    詩絵は私のすぐ目の前まで来て、立ち止まった。
    私は彼女と目を合わす事が出来ずに、ただ戸惑ったように笑んで見せるだけ。
    「嫌?」
    「そうじゃないけど…」
    口ごもりながら下を向く。
    すると詩絵の腕が動き。私のブレザーの裾を、ぎゅっと握った。
    彼女の手がわずかに震えている事に…私はようやく気が付いた。
    「やっぱりね、不安は残るの。いくら家が隣同士でも学年が違うとすれ違いも多くなるから。それでなくても唯ちゃんは生徒会長で人気もあるし…」
    きゅっと唇を噛み締める詩絵。口にするのは相当勇気がいったはずだ。戸惑っているのは何も私だけじゃない。
    「唯ちゃんの事は信じてる。だけど…証が欲しいの。ちゃんと唯ちゃんも私を想ってるって」
    正直どうしていいかわからなかった。
    詩絵に触れたい気持ちは、勿論ある。
    けれどそこから一歩を踏み出す勇気がまだ私にはなくて、越えてはならない壁があるんじゃないかって…躊躇いがあった。
    多分、詩絵も同じだったと思う。
    だけどこのままの二人から前進したい、不安を取り除くにはそれが一番のような気がした。
    何より。
    彼女にここまで言わせて、それでも言い訳がましく逃げるなんて。
    「…目、瞑って」
    私はそっと詩絵の髪に手を掛けると彼女の瞳を覗き込みながら穏やかに微笑んだ。
    「唯ちゃん…」
    それだけ言うと詩絵はゆっくりと瞼を閉じた。
    髪を二・三度撫でて、その手を頬へと滑らせる。
    一瞬詩絵の体に力が入ったような気もしたけれど、もう片方の手を肩へと置いて優しく摩ったら少しづつ力が抜けた。

    ―トクン

    詩絵に聞こえるんじゃないかってくらい私の鼓動は大きく跳ねて。

    ―トクン

    少しづつ少しづつ、詩絵の顔が近付いてくる。

    ―トクン

    互いの息遣いさえもはっきりと感じる取れる程の距離で。

    ―トクン

    詩絵の形の良い唇が間近に迫った。
    あぁ、やっぱり私は詩絵の事が好きなんだ…改めてそんな事を考えて。

    ―トクン

    自身の唇を彼女の唇へと、

    ―トクン

    重ねようとした寸前で。
    私はひとつ息をついて、そのまま彼女のおでこにキスをした。
    詩絵は目を開けるときょとんとしたように私を見て。
    私はほぅっと息を漏らしながら下を向いた。
    詩絵もそれに倣って下を向くとはぁっと息を吐き出して、
    「いくじなし…」
    そう呟いた。

    …そう、その通り。
    その通りだけれど。
    でもね?
    まだまだ幼い私達だから。
    まだまだ拙い私達だから。
    ゆっくり、ゆっくり、進んでいこうよ。
    ふたりの速度で、歩いていこうよ。
    のんびり、さ。
    ねぇ?詩絵。

    私は彼女の小さな手を取って優しく、けれど力強く握った。
    未だ下を向いている彼女に柔らかく声を落とす。
    「今日一緒に帰ろうか」
    途端に詩絵は顔をぱっと上げて、
    「いいの?」
    驚いたように私を見たから、私はにっこりと笑い掛けた。
    昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
    私達は互いに顔を見合わせると、行こうか?と目で合図をして、化学室を後にした。

    互いの手をしっかり握りしめたまま。




引用返信/返信 削除キー/
■2111 / ResNo.3)  ─not saying friendship《understand》
□投稿者/ 秋 ちょと常連(63回)-(2004/07/26(Mon) 16:39:04)
    引き出しの整理をしていたら奥の方からアルバムを見つけたので、ついぱらりとめくってみた。
    それは昨年の、まだ制服が馴染まずに初々しさを感じさせる頃の写真。
    あどけなくて幼くて何だか微笑ましい。
    どの写真を見てもつまらなそうな顔をして写ってる一年前のあの子に、今は楽しい?なんて、無性に聞いてみたくなった。


    「あれ、川瀬じゃん?」
    教室棟と特別棟を繋ぐ渡り廊下を歩いている途中で、中庭の方を指差しながら茜が声を上げた。
    私もそちらに目をやる。
    そこに居たのは紛れもなく私のルームメイトである川瀬早希。
    「一緒に居る子さ、一年っぽくない?」
    茜は楽しそうに川瀬と、その傍らの少女に見入っていた。
    「告られてんのかなー」
    「もう…茜行こう」
    呆れたように言うと、茜は「えー」と不満げな声を上げ、ちらちらと彼女達を気にしながらも私に急かされて廊下を歩き出した。
    私も茜の後に続く。
    ちらりと川瀬の方を見ると、すらりとした長身で少年のような彼女と側に立つ華奢な少女があまりにも嵌まり過ぎていて、何だか男女の秘め事のようだった。


    「また後輩泣かせて」
    学校が終わり寮に帰ってくると、既に同室の川瀬は帰宅していた。
    ブレザーを脱ぎながら、床に突っ伏し雑誌をめくっている彼女に声を掛ける。
    「何が」
    顔を上げようともせず、つまらなそうに川瀬。
    「告白されてたでしょ、今日」
    用事が済んで、茜と再びあの渡り廊下を通った時には中庭にもう川瀬の姿はなく、あの一年生と思われる少女がひとり、片隅ですすり泣いていた。
    「見てたの?」
    目だけをこちらにやる川瀬に、
    「見えたの」
    部屋着に着替えながら答える。
    「どうせぶすーっとした顔でもしてたんでしょ。だから無愛想なんて言われるんだよ?断るにしても言い方が──」「笹木」
    その声に彼女の方を振り向くと、川瀬はしっかりと私を見ていた。
    「笹木には関係ない」
    二の句が継げないでいる私に、
    「お節介」
    それだけ言うとまた雑誌に目を戻す。
    「あ…ごめん」
    黙々と雑誌を読む彼女にもう掛ける言葉は見つからなくて。
    そのまま夕食の時間まで沈黙が支配していた。


    「私、点呼取りに行ってくるね」
    夜の見廻りの時間になった頃、ベッドでごろごろしている川瀬に声を掛けた。
    川瀬は顔を上げる仕草すら見せず、「ん」と軽く返事をしただけ。
    そんな彼女の背中をちらっと見てから部屋を出る。
    この時間になると、点呼が始まると予期しているのか、寮生達は各自部屋へと戻り出し廊下は静けさに包まれる。
    歩き慣れた宿舎の中でも夜という雰囲気はどことなく不安に駆られ。
    それでも部屋の中から漏れてくる明るい声は穏やかな気持ちにさせてくれた。
    一部屋一部屋廻って、外出届けや外泊届けを事前に提出している寮生以外はきちんと部屋に居るかどうかの確認をする。それが私に与えられた仕事。
    ノックを数回。
    「笹木だけど入っていい?」
    「どうぞー」
    内側からの声を聞いてからドアノブを回す。
    「ええと…ここは三人部屋よね」
    「三人いまーす」
    「うん、確認」
    「笹木先輩、お疲れ様〜。寮長大変そうですよね」
    よかったらどうぞと、一人が夜の談笑で摘んでいたのだろうクッキーを差し出してくれた。
    それを笑顔で受け取る。
    「ありがと。じゃあ、おやすみ」
    「おやすみなさ〜い!」
    彼女達の声に後押しされて廊下を歩く。
    二年に進級したばかりの頃、受験生となる為に雑務をしていられない三年生から寮長を引き継いで一ヵ月。
    この仕事にも慣れ始めたけれど。
    正直、私が寮長でいいのかと思う事はある。
    他にも適任だろう人材は居たように感じるし。
    最近はそればかりを考える。
    点呼を終えても部屋に戻る気にはなれず、私は談話室へと足を向けた。
    誰も居ないひっそりとした空間。
    電気を点けて大きめのソファに体を預けた。
    ふぅと息を吐く。
    真面目な私。
    優等生の私。
    それだけを演じて、与えられた仕事をこなすだけで。
    ────…っ。
    不意に涙が出そうになった。
    けれど堪える。
    こんな顔で部屋に帰りたくないな、そう考えていた所に、
    「千草ちゃん?」
    声がした。
    入口に目をやる。
    「何してるの?」
    私に寮長という肩書きを押し付けた前任のこの人は、情けない顔をした私を見てぷっと吹き出した。
    「先輩ー…」
    先輩はくすくすと笑いながら近付いてくる。
    ごしごしと目元を拭って、表情を引き締める。
    「先輩、どうしてここに?」
    「喉が渇いたからね。自販機に行こうと思ったらここの明かりが漏れてたから」
    答えながら、私の隣へと腰掛けた。
    「それで?寮長がこんな所で何してるのかな」
    今度は先輩が私に尋ねた。
    「あ、ええと…」
    口ごもる。
    「何か行き詰まってる?」
    微笑んだまま、先輩は鋭く言った。
    「……お見通しみたいですね」
    力無く笑う私に、先輩も「まあね」と、にっこり笑った。
    「最近思うんです。私が寮長でいいのかなって」
    「何で?」
    「誰の役にも立ってる気がしないから」
    私はまた、ははっと笑う。
    「どうしてそう思うの?」
    先輩はやけに神妙な顔付きで言った。
    「どうして、って…」
    「まぁ本人だから気付いてないって部分は多いけどね」
    やれやれといった感じで溜め息をつく。
    「千草ちゃんは真面目に考え過ぎるからなー」
    また大袈裟に息を吐く。
    私はただわからないという顔をして先輩を見ていた。
    「千草ちゃんさ、人の世話を焼くのは好き?」
    「え?…はい。でもお節介って言われます」
    はははっと声を上げながら先輩。
    「それぐらいがいいの。世話焼きなあなたくらいが丁度いい」
    「…そうでしょうか」
    「何でそんなに自信がないの?」
    「私は寮生だけじゃなくて、川瀬すら救えてないと思うから」
    今度は先輩がわからないという顔をした。
    「去年の…入寮前に一年の部屋割りを決めたでしょう?一人部屋に移れるのは三年生で、一年は基本的に二人以上の相部屋が原則で二年間過ごすっていうのに、川瀬は一人部屋がいいってごねて」
    「あの時は揉めたねぇ。あの子大人びてるから、この間まで中学生だった子と同室なんて考えられなかったんだろうね」
    協調性もないし?そう言って笑う先輩に、私も少しだけ微笑んで返した。
    「だから私と同じ部屋になろうって、共同生活も楽しいよって、強引に同室になったけど…川瀬にとってはやっぱりそれってお節介だったと思うんです」
    先輩はふっと笑みを漏らすと私の頭をぽんぽんと撫でた。
    「川瀬は、本当に嫌なら一年も一緒に居ないと思うよ?」
    「でも」
    「無口だからわかりづらいけどね。千草ちゃんは本気で川瀬が無愛想だと思う?」
    「表情は乏しいけど、あの子反応が鈍いだけなんですよね。だから顔に出るのが遅くて無愛想に見えちゃう」
    「ほら、ちゃんと理解してあげてるじゃない。それだけでも充分だと思うけど」
    先輩を見るとにこっと応えてくれた。
    「まだ人見知りの所があるけど一年前に比べて随分人と接するようになったと思わない?それって誰かの影響力で変わってきたのが大きいように見えるよ」
    言いながら立ち上がる。談話室のドアの前でくるりと私を振り返ると、
    「自分の基準なんて曖昧だからね。どこで人に感謝されてるか人の役に立ってるか、本人にはわからないものだよ」
    そう言って、部屋から出て行った。

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■2112 / ResNo.4)  ─not saying friendship《Thanks,friend》
□投稿者/ 秋 ちょと常連(64回)-(2004/07/26(Mon) 16:42:19)
    先輩の背中は薄暗い廊下へと消えていって。
    残された私はソファにどさっと体を埋めて、天井を見上げた。
    先輩の言葉を繰り返しながらぼうっと宙を眺め。
    うつらうつらし始めたときに、
    「笹木?」
    突然、目の前に見慣れた顔が現れた。
    「川瀬!」
    慌てて飛び起きる。
    「憧れの寮長がこんな所で居眠りなんて、寮生が見たらどう思うだろね」
    淡々と言う川瀬に、
    「どうしたの?」
    ソファに座り直しながら尋ねると、彼女もその横に座った。
    「こっちの台詞。なかなか戻って来ないから」
    「探しに来てくれたの?」
    ついそんな事を訊くと、川瀬はそっぽを向いて押し黙った。
    むっとしたような彼女の様子が可愛らしくて。自然と笑ってしまった。
    川瀬は照れ隠しからか、わざと私を睨んでみせ。
    「…さっきの、気にしてんのかなって思ったから」
    素っ気なく言い捨てる。
    「心配して損した」
    憮然として、ふん、と鼻を鳴らす。
    「お節介なんてしょっちゅう言ってくるじゃない」
    「どこで傷つくかなんてわかんないだろ」
    ソファの上であぐらを掻きながら川瀬は言う。
    そんな彼女をきょとんと見ていたら、「何?」と、怪訝な顔をした。
    「気にしてくれてたんだな、って。でもあれは私も悪いし」
    「単に照れ臭かっただけだから」
    え?と首を傾げる私に、川瀬はいつもの顔で答えた。
    「同性に告白されんの見られて恥ずかしかっただけ。八つ当たりに近かった」
    ごめん、なんて決して口にはしないけれど。それだけでも十分伝わる。
    私は川瀬に笑顔を向けた。
    川瀬は居心地が悪そうにむっとした。
    「私の心配はしてくれるのに、好意を持ってくれてる子には冷たいの?」
    明らかに嫌そうな顔を見せた彼女は、やっぱり嫌そうに口を開く。
    「…別にあいつらはあたしじゃなくてもいいんだし」
    「どういう事?」
    「女子高だからさ。あたしが他より背高くて髪短いから男の代わりにしてるだけって事」
    それでもあたしは女なのに、と怒ったように言う。
    そんな川瀬にくすっと笑みをこぼしてから、
    「そうだね。川瀬だってちゃんと女の子なのにね。どんなにがさつで大雑把で口が悪くても」
    「笹木!そりゃどーゆー意味──」「こんなに綺麗な顔立ちしてるのに」
    川瀬が言い終わる前に、彼女の顔を覗き込んで言った。
    そしてにっこり笑顔を見せる。
    川瀬は言葉が出ずにぱくぱくと口を動かし、耳まで紅く染まっている。
    誰からも無愛想だと思われる川瀬、けれど本当はこんなにもわかりやすい。
    私はもう一度微笑んだ。
    彼女はむっとして、顔を背ける。
    そんな様子に笑みが込み上げ、そっと彼女の髪に触れた。意外にも川瀬は、その手を振り払ったりはしなかった。
    少しだけ穏やかな気分になれた私はずっと恐くて聞けなかった言葉を口にする。
    「結局一年経っちゃったけど、無理矢理同室に決めちゃって…本当は嫌じゃなかった?」
    川瀬は黙ったまま、私に頭を触らせていた。
    「私のお節介で、本当は放っといて欲しかったんじゃ…」
    「笹木のお節介は嫌いじゃない」
    掠れる声の私を遮って、川瀬はこちらを振り向きながらそう言った。
    「笹木以外と同室って考えらんないし、笹木のお陰でちょっとは集団行動出来るようになれたと思う」
    面倒臭そうに頭を掻きながら川瀬は続ける。
    「やっぱ対人関係が嫌な時もあるけど。クラスにも馴染めたし、友達だって…少しだけど作れた」
    だから変な事で悩んでんじゃねーよと、川瀬は私の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。
    「点呼後に寮長がずっとこんな所いちゃ駄目だろ」
    そう言って、すっと立ち上がった川瀬はやっぱりすらりと手足が長くて。
    談話室の入口まで歩くと、
    「部屋戻ろ」
    少年の顔をして私を振り向いた。
    早く立てよ、と私を急かす川瀬はわずかに口角を上げる。
    そんな彼女がやけに可愛らしくて。普段からこんな風に笑えばいいのに、なんて思った。
    「川瀬」
    無意識に口から漏れる。
    「ん?」
    「今、楽しい?」
    言った後にはっとして。川瀬を見たら訝しげに私を見ていた。
    訂正しようと慌てて言葉を投げる。
    「今のなし──」「楽しいよ」それに被せて川瀬が言った。
    きょとんとする私に、
    「楽しいよ。笹木が楽しくさせてくれた」
    低いけれど穏やかな声で微笑む。
    ぼやっとそれを眺めている私の視線に照れ臭くなったのか、「帰るぞ」背を向けて歩き出した。
    何だか嬉しくなって。
    部屋に戻ったらあの写真を一緒に見よう。そして、このつまんなそうな顔をした子があなたですなんて、からかってやろうっと。
    そんな事を思いながら彼女の後を追う私に、
    「友達だから」
    ぼそりと呟いた。
    「さっきの答え。笹木の心配はするの、友達だから」
    言い終わらない内にすたすた部屋ヘと戻ってしまった。
    ……川瀬は狡い。
    私をこんな気持ちにさせときながら放ったらかしだなんて。
    前を歩く川瀬の背中が、今夜はやけに近かった。



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■2113 / ResNo.5)  ─五月の花嫁
□投稿者/ 秋 ちょと常連(65回)-(2004/07/26(Mon) 16:44:29)
    『まーちゃん、結婚するんだって』

    老化の一途を辿る教師陣の中で唯一若さを誇る彼の人の噂は、五月の快晴と共に瞬く間に広まった。
    元々友達感覚で付き合いやすいと生徒の間で人気のあった女教師・早川真知。
    まーちゃん、なんて愛称付けられちゃってたりするのがその証拠。
    そんな彼女だからこそ、こんな話題で賑わうのは当然と言えば当然だった。


    「ねぇ、早川先生結婚するってほんと?」
    教室へと足を踏み入れたあたしに、真っ先に寄って来た友人は朝の挨拶もそっちのけで開口一番こう言った。
    「あー…皆して朝からその話ばっか」
    あたしは半ば投げ槍にそう言い捨て、すたすたと自分の席に向かう。
    そのままあたしの後について来た彼女は更に言葉を投げ掛け。
    「皐月、質問に答えてないってば」
    そちらを見ずに鞄の中をまさぐりながら、
    「するんじゃん?」
    素っ気なく応えると、不満げな声を漏らした。
    「…言い方が適当」
    「そう?」
    「そう!」
    「じゃ、そうなんじゃないの」
    「皐月ぃ…」
    もう何なの。何なのよ、あんたは。あたしに何を言わせたいんだ。
    じとっとした視線を受ける事に憤りを感じて、思わずむっとしてしまう。大袈裟に溜め息をつきつつ。
    「…弥生さー、さっきから何?」
    「何って…だから、先生が結婚しちゃうって話を…」
    「だからぁ!それが何だっつーの!結婚?するから何?何なわけ?そりゃ結婚くらいするでしょ。普通でしょ。二十四歳だし、適齢なんじゃん?教師の結婚程度でいちいち騒ぐなんてばかばかしいよ」
    一気にまくし立て肩で息をするあたしに、弥生はぽかんとしていたけれど、やがておずおずと口を開いた。
    「だって…」
    「だって、何」
    軽く睨み付けると、たじろいだように弥生はぐっと言葉に詰まる。
    「……もしかして、知らなかった…とか?」
    「……」
    「そうなの…?だって、皐月と先生は──」
    先程よりも強く意志を込めた瞳で弥生をぎろっと睨み、彼女の言葉を遮った。弥生はごくりと言葉を飲み込む。
    「…何、いらいらしてんのよ」
    「別に…」
    もうその話はいいとばかりに席に腰を降ろして登校途中に買ってきた雑誌をぱらぱらめくり始めたあたしを見て、弥生は寂しげに息を吐くと自分の席へと戻っていった。
    結婚?結婚だって?
    あたしが気にしてどうする。
    あたしが気にしてどうなる。
    独身で、まぁまぁ美人で、少しばかりとぼけた所があるけれど。今まで浮いた話がなかったのが不思議なくらい。
    するってば、結婚くらいさぁ。
    それなのに皆して騒ぎ立てて。
    気にするなよ。
    気にするなっつーの。
    気にし過ぎなんだ、まったく。
    あんたもあんたで、たかがそんな事で振り回されて。
    あたしにどうしろって?
    …弥生の言葉通り、確かにあたしはいらついていた。


    「ねー、まーちゃん。結婚式どこでやんのー?」
    「教会?ウェディングドレス似合いそー」
    「うん、絶対似合うって!まーちゃんのドレス姿、見たいなぁ」
    まーちゃんこと早川先生の授業が終わった後、授業の質問なんかそこそこに、年頃の女生徒達の興味は目下の所その一点だった。
    彼女は若いパワーに囲まれて困ったように笑っている。
    弥生もその輪に加わらないまでも、あたしと彼女を交互に見やり、気にしている事は明白だった。
    やがてそそくさと教室を出て行くまーちゃん。級友達も不満こそあるものの追い掛けるまではしなかった。
    それを確認すると、あたしは立ち上がって廊下へ飛び出す。
    弥生の視線を感じたけれど、今は構っちゃいられない。
    廊下の突き当たり、下り階段の踊り場で彼女の姿を捉える事が出来た。幸い、人気はない。
    「真知」
    更に階段を降りようとする彼女の頭上からあたしは声を落とした。
    ゆっくりと振り返る見慣れた顔は、あたしを確認すると柔らかく微笑んだ。
    そしてすぐさまその笑顔が曇る。
    「皐月ちゃん…」
    あたしは階段を一段一段丁寧に降り、真知のすぐ目の前へと立った。
    伏し目がちな彼女を真っ直ぐ見据えて。
    「結婚するんだって?」
    「……」
    真知は何も答えない。否定の言葉さえも。
    「…ほんとなんだ?」
    彼女の口がぎゅっと結ばれるのがわかった。抑揚のない声であたしは続ける。
    「まさか他人から聞かされるとは思わなかった」
    その瞬間、はっとしたように真知は顔を上げた。
    「誤解しないで?ちゃんと言うつもりだったのよ?こんな形であなたに伝わる事になったのは残念だけど、皐月ちゃんにはきちんと話すつもりで―─」
    「言い訳はいいってば!結婚決まったならさっさと話してくれればいい事じゃん!よりによって何で他の子から聞かされんの?あたしが一番情報遅いってどーゆー事?」
    怒りとも悲しみとも言える感情と共に言葉が溢れ出る。真知は戸惑うようにあたしを見ながら、いつものおっとりとした口調で言った。
    「皐月ちゃん…。そうね…確かにあなたの言う通りだわ。だけど……そこまで怒る事じゃないでしょう?」
    この言葉に。
    あたしはかっとなった。
    「…真知はひどい」
    ぼそりと呟く。
    え?と、困惑の表情を浮かべる彼女に、
    「普段にこにこしてるくせに、知らない所でそうやって人を傷つけるんだ!」
    吐き捨てるとその場から立ち去った。
    後ろから真知の声がした気がしたけれど、あたしはそれを振り払ってとにかく走った。


    「やっぱりここに居た…」
    屋上の鉄扉を開けるとすぐ、フェンスに寄り掛かる友人が目に入ったから。あたしは呆れたような声を出した。
    「皐月…」
    弥生はあたしを見るとひどく情けない顔をした。
    構わずあたしは彼女の側まで歩み寄って、足元に座り込む。
    「教室戻ったらいないんだもん。授業始まっても帰ってこないしさー。結局昼休みになっちゃったし」
    弥生は無言のまま、あたしに倣ってアスファルトにぺたりと座った。
    お互いに何も言わず、ただ空を見上げたまま。
    大きく息を吸い込んで、あたしは沈黙を打ち破った。
    「ごめんね」
    「………え?」
    驚いたようにあたしを見る弥生。ちょっとだけ困ったように眉尻を寄せて、あたしも彼女を見つめ返した。
    「ほんとは朝いらついてたんだ。だから、ごめん」
    「あぁ…そんな事…」
    「……それからっ!それから…真知の結婚知らなかった事。ごめん」
    はっと弥生はあたしを見る。
    「あたし、身内なのに何も知らなかった。聞かされてなかった。もっと早く知ってれば弥生に教えてあげられたのに。ごめん」
    何も言う事が出来ないという顔であたしを見つめている弥生。
    やがて、ぼそぼそと呟くような声であたしに言った。
    「…知って、たの?」
    「ん…何となく、ね」
    本当に本当に。それを知ってしまったのは偶然で。
    けれど弥生の気持ちを知って知ってはいても、真知に彼氏が居る事も知っていて。報われない想いだという事もまた、あたしは知っていた。
    不毛だよ。不毛過ぎる。
    弥生を見ていて何度も掠めるその言葉。
    だから、せめて。せめてさ。
    真知の結婚。
    あたしが早い内にその話を聞いていて、だからと言ってそれを阻止する事なんてとてもじゃないけど出来ないけれど、だからせめて、だったらせめて、噂として広がる前にあたしの口から伝えられれば、その他大勢なんかじゃなくて他でもなくあたしの口から伝えられれば、事前に知る事でショックだって和らぐんじゃないかって、急に突きつけられるよりは気持ちの整理もつきやすいんじゃないかって。
    そう思ってさ。
    そう思ったんだよ。
    まったくもって不甲斐ない親友で申し訳ない。
    「そっかぁ…気付いてたのかぁ…」
    あたしから視線を外し、ぼんやりと遠くを眺めながら誰にともなく呟いた弥生の横顔をちらっと見て。ほっぺたをぎゅっとつまむ。
    「痛っ…!何すんのよ!」
    むっとしてあたしを睨む弥生に、
    「大体さー、あんなのが良いって言う事自体が見る目ないんだよねー」
    言い捨てる。
    「それにさ、真知に彼氏居る事は知ってたでしょ?仮にもあの人はあたしの血縁者なんだから、結婚だって秒読みだっつーの」
    ぺらぺらと、弥生に口を挟む隙を与えないように話す。
    「弥生もさぁ、朝なんておろおろしちゃって。気にし過ぎ。いずれこうなるって想像はしてたでしょ?わかってた事じゃん。だから今回はそーゆー相手を選んだあんたに落ち度がある」
    ぽかんと口を開けてあたしを眺めていた弥生は、半ば呆れたように、けれど堪えられないとばかりに笑いを噛み殺した。
    「…なんて慰め方」
    口を尖らせて言う彼女の目尻には涙が浮かび始めた。
    きっと笑ったからだろう。そうでしょ、弥生?
    本当の理由には気付かないでいてあげる。
    鳴咽を漏らす弥生の頭を優しく触れる程度にぽんぽんと叩いて、
    「あたしが居るじゃん」
    にかっと笑って見せた。
    「……さっきの慰めよりは合格点」
    うつむき加減に鼻をずずっと啜った弥生はちらりとあたしを見て。その視線に気付いたからあたしもそちらを横目で見やる。
    そして、お互いに顔を見合わせるとふふっと笑った。
    そんな中で二人同時にお腹の音がぐぅぅと鳴ったものだから、
    「そういえば…お昼まだ食べてなかったね…」
    「…うん」
    お腹も減るはずだぁ、なんてぷっと吹き出して大笑いしてしまった。
    五月の陽射しを目一杯浴びて、あぁ五月晴れってこういうのを言うんだろう、そんな事を思いながら。


    あたしの大事な大事な親友を泣かせるなんて。

    あたしにそれを慰める損な役回りをさせるなんて。

    恨むよ?

    お姉ちゃん。




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■2114 / ResNo.6)  ─秘密の呪文
□投稿者/ 秋 ちょと常連(66回)-(2004/07/26(Mon) 16:45:41)
    今日は日が悪い。
    朝から寝呆けて足の小指をタンスの角にぶつけるし、洗顔クリームの代わりに歯磨き粉で顔を洗うは、トーストに海苔を塗るはの大失態。しかもタッチの差で電車にまで乗り遅れて学校に遅刻。
    ついてない。
    本当についてない。
    極めつけは、
    「ひっく。ひっ…く」
    …起きた途端からずっと止まらぬこのしゃっくり。
    情けない事この上ない。何と言う今日は散々な日。


    心身共に疲れきった私は疲労困憊の顔でようやく学校に到着した。
    「おはよ、郁。珍しいね、遅刻なんて」
    「陽子、おはっ…よ。ひっく」
    「どうしたの?しゃっくり?」
    「うん、朝からっ…ひっく!止まんなくっ…てさ」
    「へー。そんな時って驚かすといいんだよね」
    と言うといきなり私の背中をはたく陽子。パーン!と、小気味良い音が教室中に響き渡った。
    「どう?」
    「…どうって?」
    「びっくりした?」
    「痛い…っく、だけだっつーの!」
    「だめかぁ」
    残念そうな声を出しつつも口角が微妙に上がっている。こいつ、絶対面白がってる…。
    「次は…そうだなぁ」
    「いい。もういい。ひっ…っく。結構、ひっく、です」
    「えー?せっかく協力してあげてんのに」
    陽子は膨れてみせたが、私は冷たくあしらった。
    冗談じゃない。陽子のやつにこのまま頼ったら、おもちゃにされかねない。何とか自力で止めてやる!
    「郁ちゃん、顔恐いよ…」しゃっくり相手に悪戦苦闘している私に声を掛けてきたのは陽子ではなく比奈だった。
    どうやら息を止めてしゃっくりを押し殺そうとしていた為、顔が強張っていたらしい。
    比奈が近付いてきた事にも気付かなかった。
    「郁は今しゃっくりと戦ってるの」
    私の代わりに陽子が答える。
    てゆーか…まだいたのか、陽子。
    「そうなの?しゃっくりは驚かして治すってよく言うよね」
    「だめだめ。それはさっき私がやった。効果なーし」
    大袈裟に肩をすくめて打つ手なしといった風な陽子。
    おい、陽子。お前がやったのは力一杯叩いただけだ。
    けれどしゃっくりを飲み込む事に必死な私はあえて口を挟まなかった。
    「あとは…水をたくさん飲むとか、息を止めるとか?」
    「朝から試して、ひ…っく、みたけど止まんなかった。ひっく」
    「あー!郁!あんた、私の話は無視したくせに!比奈なら話すわけ?」
    「陽子は、ひっく、楽しんでるだけ…っく、じゃん!」
    「ひどーい!何よ、その言い草」
    「ひどくない。全然ひどくない」
    私と陽子が言い合ってる中、比奈は真剣な顔付きで何やら考え込んでいた。
    陽子との決着が着かぬまま授業の開始を告げるチャイムが鳴ってタイムアップ。
    「ごめんね、郁ちゃん。考えたんだけど何も思いつかなかった」
    そう申し訳なさそうに微笑んで、比奈は自分の席へと戻って行った。
    …そうか。さっきの神妙な表情。私のこのくだらない悩みをちゃんと考えていてくれたんだ。ありがとう、比奈。
    それに比べて陽子…。しゃっくりしながら喋る辛さ、あんたは全然わかってない!
    陽子との怒鳴り合いでかなり体力を消耗した私は、午前中の授業全てに精魂尽き果てていた事は言うまでもない。


    しゃっくりは何回もし続けると死ぬって、どこかで聞いた事がある。確か横隔膜がどうのって。
    そんな事をぼうっとしながら思い浮かべる私はいよいよやばいのかもしれない。
    授業毎の担当教師に何度しゃっくりがうるさいと言われた事か。
    その度にクラス中から注目の的。
    こっちだって好きでしてんじゃねーよ!
    疲労とイライラでつい口まで悪くなる。
    そう。午前の授業が終わり昼休みに入ってもなお、私のこのしゃっくりは止まってくれはしなかった。
    もういい。疲れた…。今日は日が悪いのだ。帰って寝よう。
    おもむろに鞄の中にノートをしまい始める。
    「まだ止まらない?」
    虚ろな目で声の主を見上げると、目の前には比奈が立っていた。
    「あれ…?郁ちゃん、帰るの?」
    「うん。疲れ…っく、たから早退、ひっく、する」
    たたがしゃっくり。
    されどしゃっくり。
    これがなかなかしんどいのだ。
    比奈と会話している余裕もない私はごそごそと荷物をまとめ上げる。
    「ひっ…く、じゃあ帰る」
    彼女をちらりとだけ見て教室から出て行こうとすると、「ちょっと待って」と声がしたから、私はその足を止めた。
    「帰る前に少しだけ…いいかな?」
    比奈はたたっと私の側まで寄るとそんな事を耳打ちしたから、早く帰りたいなと思いつつも、
    「…うん」
    と答えていた。


    廊下を抜けて、屋上へと出る階段の踊り場までやって来た。
    「ひっく」
    相変わらず私のしゃっくりは治まる事を知らない。
    うんざりしながら壁にもたれかかる。
    「やっぱりまだ止まらないんだね…」
    本当に本当に、心の底から心配してくれている比奈の声。
    それに比べて陽子と来たらどうだ。
    さっきも帰り支度をし始める私相手に、ずるいだの帰るなだの。おまけにまた人の背中を蹴るは叩くは。
    やる気満々なのが見え見えの驚かしは驚かしではなくて、それはもう単なる暴力にしかなり得ない事をやつは知らない。
    あー…違うな。陽子の事だから確信犯だな…。
    ぼんやり考えつつ、
    「……ひっく」
    しゃっくりも止まっちゃくれない。
    「あ、郁ちゃん。あのね?」
    イライラと疲労で何だか比奈の声まで遠く聞こえる。
    「あのね…えーと、聞いてね?」
    あぁ…ごめんね、比奈。
    私の心配をしてくれてる事はよぉーくわかる。その気持ちはすごく嬉しい。
    でもあんたの言葉を聞いてる余裕は既に私にはないみたい。
    帰りたい帰りたい帰りたい。
    胸の中の呟きに、しゃっくりが合わさって出てくるものだから尚更欝陶しい。
    しゃっくりの回数に比例して、私の苛立ちはピークに達した。

    「比奈、ひっ…く、悪い、んだけどさ。私、ひっく、帰…──」

    「郁ちゃんが好きなの」

    「る……?」

    へ?
    と思って。
    言葉ごと、しゃっくりごと、ごくりと全て飲み込んで。
    すっかりうつむいていた顔をがばっと上げる。
    じっと比奈を凝視して。
    目をぱちくり。
    彼女は私としばらく見つめ合った後、ふにゃっと笑った。
    「どう?驚いた?」
    「……へ?」
    また、目をぱちくり。
    比奈は相変わらずのふわふわした笑顔を浮かべて。
    「しゃっくり、止まった?」
    「…え?あ…」
    呆気に取られていた私は、彼女に言われて、問題のそれに集中してみる。
    「止まった…」
    喉に溜まる違和感はすっかり取り除かれていて、私ははぁぁと大きく安堵の息を吐いた。
    「そう、良かった」
    比奈もほっと胸を撫で降ろし、嬉しそうに微笑む。
    「ありがと、比奈」
    ようやく私にも笑顔が戻った。
    「どういたしまして」
    「やっと解放されたーって感じ」
    両手を上にぐいっと伸ばしてまた息を吐いた。
    「あ、しゃっくりは止まったけどどうするの?」
    「んー…何かどっと疲れ出てきたから、とりあえず帰るよ」
    そう、と言う比奈の言葉を聞いてから二人並んで歩き出す。
    階段を降りて、比奈は教室へ、私は昇降口へ。その分岐路まで来ると足を止めた。
    「ほんと助かったよ、ありがと」
    「いいよ、そんな事」
    にっこり笑う比奈。
    「それにしてもびっくりしたなぁ。冗談かぁ」
    あははと笑った私に、比奈は何も言わずにふふっと笑った。
    「じゃあ、また明日ね?」
    手を上げて軽く左右に振る比奈に、
    「ん、ばいばい」
    私も返す。
    比奈は終始笑顔を絶やす事なく。もう一度私ににこっと微笑み掛けると、私に背を向け教室へと続く廊下を歩いていった。
    私は比奈が小さくなるのを見送って、くるりと足を反対方向へと変えると昇降口に向かって駆け出した。
    彼女の背中に囁いてから。


    今度あんたがしゃっくりで困った時には、私があんたに唱えてあげる。
    しゃっくりに効果的なあの呪文を。
    秘密の言葉を。
    …勿論、冗談なんかじゃなくてね?


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■2115 / ResNo.7)  ─言わずの I LIKE YOU
□投稿者/ 秋 ちょと常連(67回)-(2004/07/26(Mon) 16:47:13)
    「笹木先輩!」
    放課後。
    昇降口から出ようとするあたし達に、正確には笹木に、下級生が数人寄ってきた。
    「これ、調理実習で作ったんです!よかったら…」
    差し出された包みを、笹木はにっこり笑って受け取った。
    「ありがとう」
    その言葉に奴らは嬉しそうに顔を輝かせる。
    あたしはそのやり取りをうんざりしながら見ていた。
    笹木は美人だ。
    おっとりした性格の彼女は、色素の薄い緩やかにウェーブする長い髪をなびかせて穏やかに笑う。
    寮長だとかクラス委員だとか、そんな面倒事も嫌な顔一つせずに引き受ける。
    世話好きでお人好し。
    だから憧れるのもわかるって言えばわかんだけどさ。
    それにしても、待ち伏せたり手作りの品を渡したりって、憧れの延長ってゆーか、恋愛じみてて。何だかげんなりしてしまう。
    あんたらは笹木とどうなりたいんだ?
    告白すんの?したとして、それから?
    ──…想像してみて、うげぇと思った。
    笹木を見ると、やっぱりにこやかな笑みを浮かべてる。
    人好きのする顔だ。
    そんな笹木の笑顔は嫌いじゃないけど。
    何を勘違いしてんだか、その笑顔に照れている下級生達にまた腹が立った。
    あー、さっさと帰りてぇなー。そう思っていると、
    「じゃ、先輩さようなら」
    「受け取ってくれてありがとうございました!」
    たたっと奴らは走っていった。
    去り際にちらりとあたしを見たのが気になったけど。
    ちょっとだけむっとして、
    「川瀬、帰ろう?」
    その声に、「ん」と軽く返事をして、すぐに忘れた。


    目覚ましの音が頭に響く。
    この音はあたしじゃない。
    んー?と不機嫌な声を出すと、ひょいと笹木があたしの顔を覗き込んだ。
    「ごめんね、川瀬。起こした?」
    まだ意識がぼんやりしているあたしは目を擦りながら笹木を見る。
    「私、今日日直だから先行くね」
    そう言って、笹木はさっさと準備を済ますと部屋から出て行った。
    遅刻しないようにね?なんて事を、間際に言い残し。
    そのお陰か知らないけれど、何とかあたしは自分の目覚ましで起きる事が出来、朝食を食いっぱぐれる事もなかった。
    これなら十分間に合うな、時計を確認して部屋を後にする。
    寮から出ると門の前に見知らぬ女が立っていた。
    同じ制服を着ている所を見るとうちの生徒だろうけど、多分寮生じゃない。
    何だこいつと思いながら通り過ぎようとしたら、
    「あの…!」
    声を掛けられた。
    無言で立ち止まり、振り返る。
    眼鏡を掛けて黒髪を肩まで伸ばしたそいつにはやっぱり見覚えはなかった。
    「何」
    せっかく遅刻しない時間に出てこれたのに足止めすんなよ、と不機嫌を隠せない。
    「あ…笹木先輩は……?」
    んだよ、笹木のファンかよ、とチッと舌打ちをして。
    「笹木は日直で先行った。つーか、笹木の迷惑考えて寮まで来るなよ」
    じゃあ、立ち去ろうとすると、「待ってください!」また声を掛けてきたから、今度は何だよと半ば投げ槍に足を止めた。
    「あの、これ…」
    手紙を差し出してくる。
    「笹木に?自分で渡せば」
    うんざりしながら頭を掻く。
    「いえ、川瀬先輩に」
    「あたし?」
    はい、と、うつむきながら呟く。
    「笹木先輩も川瀬先輩も一年生の間で人気あるんですよ。笹木先輩と川瀬先輩、絵になるから…」
    はぁ?と顔をしかめている最中に、そいつは走り去っていった。
    手の内の紙を捨てようとして、そういう誠意のない行為をしちゃいけないよ、どこかで世話焼きな誰かの声がしたから、あたしはそれをそのままバッグに突っ込んで学校への道を歩き出した。


    授業が始まる。
    ホームルーム中も爆睡してたあたしは、そのチャイムでのろのろとバッグからノートやらペンケースやらを取り出す。
    まさぐっていると、見慣れない封筒が目に入った。
    今朝の事を思い出し、嫌々ながらも封を開けた。
    女の子特有の丸っこい文字にうんざりしつつ、それを読み進める。
    『笹木先輩と川瀬先輩の事でお話があります』──?
    そんなのあの場でとっとと用件を言え、そう思って手紙を握り潰そうとする。
    が、思い留まって。
    ちらりと最後の行に目を落とした。
    ──昼休みに屋上、か…。
    少しだけ。
    少しだけ、気になった。


    「で?手短に話して欲しいんだけど」
    あたしはのこのことその呼び出しに応じて屋上へと来ていた。
    目の前には今朝の眼鏡が立っている。
    「あの…えっと…」
    さっきからこの調子の眼鏡にイライラしながら。
    「何?」
    言葉の続きを急かした。
    ようやくふんぎりがついたように、眼鏡のその奥をキラリと光らせ、眼鏡はあたしをじっと見た。
    「───あの!川瀬先輩と笹木先輩は付き合ってるんですか!?」
    「……………はぁ?」
    予想もしてないその質問に、あたしは馬鹿みたいな声を上げた。
    「一部で噂になってるんですよ?寮でも同室らしいですし、いつも一緒に居るので。お二人が並んでいるととても絵になるので、付き合っていても有りだと思います!素敵な関係だなぁって、皆憧れてるんですよ!」
    絶句しているあたしに構わず、べらべらとまくし立てる眼鏡。
    あたしはうんざりしながら、
    「あのなぁ──…!」
    怒鳴ろうとした瞬間、
    「川瀬ー?」
    屋上の扉が開き、ひょいと笹木が顔を覗かせた。
    「笹木先輩…」
    眼鏡はそう呟いて、あたふたと屋上から飛び出して行った。
    それを見送りながら、代わりに笹木がこちらにやって来る。
    「笹木…何で」
    「だって川瀬、すごい勢いで教室出て行くんだもの。何かと思うじゃない」
    穏やかに微笑む。
    「今の子、知り合い?」
    「違う」
    ふうん、なんて言いながら、笹木はフェンスにもたれかかった。
    私もフェンスに背を預ける。
    屋上に吹く風はむっとする程湿っていて、六月の何とも生暖かい空気があたしの苛立ちを更に増幅させた。
    ちらっと笹木に目をやって。
    様子を窺うように声を掛ける。
    「…聞いてた?」
    「私と川瀬が付き合ってるって?」
    あーぁ、とあたしは溜め息をついた。
    何だか脱力してしまって、そのままずるずると座り込む。
    「あの眼鏡ー…」
    またむしゃくしゃしてきて、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
    「なあにー?そんなに苛立って」
    おかしそうな笹木の声が頭上から降ってくる。
    「根も葉もないただの噂じゃない」
    笹木の声は日溜まりみたいだ、なんて事を考えながら、それでも苛立ちは収まらず。
    「噂だろうが、そんな目であたしらを見てると思うとぞっとする」
    笹木を見上げて吐き捨てるように言うと、
    「嫌悪感丸出しだね」
    笹木はおっとりした口調であははとあたしに微笑み掛けた。
    それに毒気を抜かれながらも。
    「…怒んないの?笹木は嫌じゃない?こんな噂立てられて。女同士じゃん。気持ち悪くない?」
    そう言うと、フェンスに寄りかかっている笹木はゆっくりと空を見上げた。
    少し考える仕草をしながら。
    「んー…どこからこんな発想するんだろうって思った」
    のんびりと言った。
    その答えに、「あっそ…」どこまでもマイペースな奴だと閉口する。
    すると、笹木はあたしの目の前にすっと立つと、そのまましゃがみ込んだ。
    「女同士でこんな事言われるのにはやっぱりちょっと抵抗あるけど、相手が川瀬だから良いかなー」
    顔を覗き込みながらにっこり笑った。
    あたしは呆気に取られ。
    「あれ?川瀬、顔赤いよ?もしかして照れてるー?」
    「照れてねーよ!」
    ばっと立ち上がると、乱暴に屋上の扉を開けて階段を降りる。
    「川瀬、待ってよ」
    その後を追いながらくすくす笑う笹木の声が背中越しにくすぐったい。
    何だか、笹木にもあの眼鏡にも、全てを見透かされてる感じがして癪だった。


    去年は短かった笹木の髪は、この一年で随分伸びて。
    六月の湿気を帯びた嫌な風にもさらさらとそよぐ程になっていた。
    あの時、あたしの前にしゃがみ込んだあの瞬間に、柔かなくせっ毛が鼻先を掠めたから。
    この髪があとどれだけ伸びるまでその近くに居られるだろうか、何故だかそう思ってしまったなんて死んでも教えてやるもんか。



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■2116 / ResNo.8)  ─星を見たかい《星詠み》
□投稿者/ 秋 ちょと常連(68回)-(2004/07/26(Mon) 16:48:11)
    「さぁさのはぁ〜さぁらさらぁ〜」
    先程から一人フンフンと鼻唄を奏でる彼女の手元を私は手伝う気配の一つも見せずに傍観していた。
    チョキチョキ、チョキチョキ。ハサミを器用に動かす手がリズミカルに動く。
    「もう…さっきから人の事じろじろ見てぇ。暇ならアズも手伝ってよぉ」
    その手を止めてくるりと私を振り返ったサチに「えー?」と明らかに不満げな顔をしてみせたら、呆れたように溜め息をついた。
    「星祭りもうすぐなのに…」
    ぶつぶつ言いながら作業に戻る。
    「生憎、イベントごとには興味なくてねー」
    はいはいそうですか、と呆れた声を出しながら、それでも彼女は楽しそうに七夕飾り作りに精を出していた。


    「あのさー、最近寮生何やってんの?」
    授業の合間の小休止。
    手持ち無沙汰から次の授業の教科書をぱらぱらとめくっていた私の元にふみがやって来た。
    せっせと手先を動かす数名を指差しながら、主人不在の前の席へと腰掛ける。
    「あー…うちの寮、毎年七夕の日に星祭りってのやるらしくてさ。寮の裏手にでっかい庭があるんだけど、そこに笹飾って皆で短冊付けて夜にバーベキューやるんだって」
    「へぇ。楽しそうじゃん」
    面倒なだけだよ、と私は溜め息をついた。
    「一年が飾り付け担当、二年が笹を調達、三年は受験生だから準備が整った当日にお呼ばれ、だってさ」
    寮生は基本的に強制参加だし、と机に片肘をついてもう一度息を吐く。
    「で?梓は作んないの?あれ」
    ふみは目だけをそちらにやって、私同様肘をつくとその上に顎を乗せた。
    「パス。私はこーゆーイベント好きじゃない」
    誰かにも言ったような台詞を繰り返すと、ふみはからかうようににやにや笑った。
    「一年は飾り作らなきゃいけないんでしょ?生意気にも放棄?」
    意地悪く言う。
    「…いいの、私は」
    彼女が面白がっている様子が何となく気に食わなくて、私は素っ気なく返した。
    「私の分まで同室の子が頑張ってくれてるからね」
    「あぁ、サチ?」
    ちらりと彼女を見やると、やはり教室内の寮生と同じくして、机に向かって懸命に何やら作っていた。
    「サチはあんたと違って行事とか好きそうだもんね」
    ふみはまたにやにや笑うと時計を見て、少しはサチを手伝ってやんなよ?、そう言って席を立った。
    「私も参加したいなー」
    なんて事を言いながら。
    「寮生以外でも短冊飾っていいらしいよ。バーベキューも参加費出せば来てもいいって」
    サチから叩き込まれた基本情報を告げると、
    「あ、じゃあ行こうかな」
    本気で考えるような仕草をしたので、
    「ふみ、変わったね」
    思った事をぽつりと漏らすと、
    「そう?」
    よくわかんないや、呟きながら自分の席へと戻っていった。
    そうだよ、入学したばかりの頃はあんなにつまらなそうにしていたじゃない。
    何があったか知らないけれど、ふみは日々を楽しむようになっていた。
    私はまだ、燻っているのに。
    休み時間が終了しても未だ手を止める様子のないサチを見ながら、そんな事を思った。


    星祭りまであと三日。
    寮の裏庭には二年生が運び込んだ巨大な笹がでーんとその存在感をアピールし、飾りを作り終えた一年生達は次々と装飾をし始めていた。
    この頃になると願い事が書かれた短冊もちらほらと見られるようになってくる。
    サチの手伝いに借り出された私は、梯子を使って高い位置にある笹の葉に折り紙で作られた輪っかを括りつけながら、それらを眺めていた。
    『成績を上げたいです』
    『今年中に彼氏が欲しい!』
    『一度でいいから会長と話をさせてください』
    『あの人と結ばれますように』
    …あほらし。
    無意識に胸中で毒づく。
    揃いも揃って。何だ、これは。
    こんなものを願うな!
    引きちぎってやりたい衝動を何とか堪えて、黙々とサチが作った飾りを笹につけていく。
    自分の努力次第でどうとでもなるものを願うなんて。馬鹿馬鹿しい、そこまで他力本願か?
    ち、と思わず舌打ちしてしまったら下で梯子を支えているサチに怪訝な顔をされた。
    黙ったまま梯子を降りる。
    「お疲れ様」
    するとサチは私に缶ジュースを差し出してくれたから、ありがと、とそれを受け取ってごくごくと飲み干した。
    「当日晴れるといいねぇ」
    「…別に」
    缶に口を付けたまま言う。
    「参加するでしょ?」
    「どうだろ」
    つまんなそうに吐き捨てると、サチはぶうっと頬を膨らませた。
    「アズの悪い癖だよ。それ」
    「だって興味ないんだもん」
    「そうじゃなくて単に関わらないだけじゃない」
    私はむっとして、缶から口を離した。
    「…どういう意味?」
    「最初っから踏み込もうとしないんだもの。それじゃ興味があるかどうかだって判断出来ないよ。もしかしたら好きなものかもしれないのに、初めから嫌いだって決めつけるのは…もったいないよ」
    何となく心に引っ掛かったものの釈然としなくて。
    「楽しもうと思って参加すればきっと楽しいから」
    イライラし出した私はつっかかるようにサチに言った。
    「楽しめ?楽しみでもないのに?」
    「だからそれはアズがそうしようとしないだけで──」
    「私は自分で動こうとせずにただ願うだけで何とかしようとしてる人達が嫌いなんだよ。七夕なんてそーゆー日じゃん。それを敬遠するのは悪いの?」
    ぐっと黙って傷ついたようにサチは目を伏せる。しかし、すぐに顔を上げるとキッと睨むように私を見た。
    「それがおかしい?アズにはその人達の願いは大した事じゃないんだ?」
    私も負けじと彼女の目を見る。強く強く、睨み付けながら。
    「短冊に書いたって単なる気休めだよ」
    それでもサチは怯む事なく、更に鋭い言葉で私を刺した。
    「そうだね。確かにそうだよ。でも…こうなれたら、っていう願いだったり、こうしたい、って決意だったり、紙に書く事で意志をはっきりさせてそれが背中を押してくれるのかもしれないでしょう?他人にしてみれば馬鹿馬鹿しい事でも、その人にとっては本気なんだよ。真剣なんだよ。それをアズが馬鹿に出来るの?」
    体の奥がかっと熱くなった。
    憎悪とはまた別の…そう恥ずかしさ。
    図星だった。
    私は真剣に願える程の何かを持ち合わせていなかったから。
    自身のコンプレックスを棚に上げて、それを指摘されて、惨めな私はどんな顔をしていただろう。
    唯一答えをくれるはずのサチは普段の彼女らしくない怒りを秘めた瞳でしばらく私を見ていた後、何も言えずにいる私の元から立ち去った。
    自分から楽しむ、か…。
    サチの言った事はどれも真実だった。




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■2117 / ResNo.9)  ─星を見たかい《星に哭く》
□投稿者/ 秋 ちょと常連(69回)-(2004/07/26(Mon) 16:49:37)
    七月七日。星祭り当日。
    授業を終えて寮へ帰って来た寮生達は、皆一様にして裏庭へと集まっていた。
    バーベキューの用意やら笹の残りの飾り付けやら、ここ最近の準備期間以上に活気を見せる。
    私が帰りがけに覗いた時にも、寮生以外の生徒がちらほらと集まりを見せていたから、確かにこれは学校の行事とはまた別の、生徒だけの一大イベントらしかった。
    そんな彼女達を遠目に見やってから部屋に戻ったものの、私はそこから出る気にはなれなかった。
    サチの鞄が床に置かれている所を見ると、彼女は私よりも一早く帰宅して既に準備へと向かったのだろう。
    誰よりも楽しみにしていた彼女だから。
    あれからサチとは口を聞いていない。いや、サチが頑なに口を閉ざしていた。

    『その人達の想いを馬鹿に出来るの?』

    考える。
    多分…私が悪い。
    好きじゃないと言ってるものを無理に押し付けようとするサチに腹を立てながらも、それでも彼女の言葉は正論だと思った。
    最初から食わず嫌いのように決めつけてかかる私を、中に踏み込んでから好き嫌いを区別しても遅くないと、彼女なりに思ってくれているのがわからない程私は愚かではなく。
    恐らく、私がそれに気付いていない昔から、サチは私を気遣っていてくれたのだろう。
    私が馬鹿にしているもの達は、案外私を容易く受け止めてくれるのかもしれない。
    窓の外はすっかり陽が沈んでいて、大勢の喧騒が闇に響く。
    ―こうしたい、という決意だったり。
    ―意志をはっきりさせる願いだったり。
    ―背中を押してもらう為だったり。ね。
    深呼吸をひとつして。
    机の引き出しを勢いよく開けると、以前サチが私に押し付けたまましまわれっぱなしになっていた何も書かれていない短冊が目に入って。それを慌てて取り出して急いでペンを掴むと、そこに乱暴に文字を落とす。
    それを握り締めながら私は部屋を飛び出した。
    生憎、空は曇っていて天の川は見えないけれど。
    私の願いは織姫と彦星に叶えてもらうんじゃない。
    私は自身で叶える為に願うんだ。
    後押ししてもらう為の…短冊だ。


    庭は沢山の生徒達で溢れていた。
    笹に短冊を吊したり、側で談笑していたり、肉の焼ける匂いも漂っていて。
    電飾だけを頼りに星も出ていない暗がりの中、サチを探す。
    息が切れ始めた頃、前方に見慣れた顔が浮かんだ。
    「ふみ!」
    その人物に声を掛ける。
    知り合いだろうか、彼女は上級生らしき可愛らしい感じの人と何やら話をしているけれど。それに構わずふみに近付く。
    「サチ見なかった?」
    「…梓。どうしたの、あんた」
    息も絶え絶えの私に一瞬顔をしかめ、しかし教室での私達の様子から状況を察したのだろう、「あっちで見掛けた」そう簡潔に言っただけで後は何も聞かなかった。
    「早く行きなー」
    ふみの声を背中に受け、飲み込みの早い友人に感謝しながら、私は彼女が指差した方へと走り出す。
    その先には。
    「……サチ」
    梯子に登って笹の高い位置に短冊を吊すサチの姿があった。
    私の声に振り向くも、すぐに笹に顔を戻す。吊し終えると、サチは無表情に降りてきた。
    「……これ」
    彼女を前にして、何も言葉が出ない私は、握り締めたままの短冊を差し出した。
    「…短冊くらい、人にやらせないで自分で吊して」
    短冊に目をやろうともせず、言い放つサチ。
    「勝手に笹に飾ればいいでしょ」
    普段の彼女からは考えられないその声の冷たさに、私はひやりとしたものを覚えて。けれど食い下がる気はなかった。
    「……これは、笹じゃ叶わないから」
    「え?」
    思わずという感じで、サチは私を見た。
    「サチじゃないと意味がないから」
    口元がわずかに、アズ、と動いた気がしたけれどそれは言葉にはならず。サチは黙って突き出したままになっている私の手から短冊を受け取った。

    『サチと仲直り出来ますように 梓』

    それを見て。
    目を丸くさせたかと思うと、くすくすと笑い出した。
    「アズの願い事ってこれ?」
    「…悪い?」
    何となく照れ臭くなってぷいっとそっぽを向く。
    「他人にとっては馬鹿らしくても本人には切実かもしれないでしょ」
    そう言い捨てると、そうだね、とサチは微笑みながら応えてくれた。
    にこにこと笑うサチを前にして、自分の短冊だけばらしてしまった私は何とも気恥ずかしい気持ちを隠せない。
    ポーカーフェイスを崩さないように素っ気なく訊いた。
    「…サチは?何をお願いしたの?」
    「んー…秘密」
    へへっと笑う。
    「ずるいよ、私だけ」
    「アズが勝手に見せたんじゃなーい」
    言いながら、ぶすっとする私の頬をつつく。ふん、と鼻を鳴らして、
    「どうせ彼氏が欲しいとか、好きな人と結ばれたいとか、恋愛関係?まぁそんなとこでしょ」
    悔し紛れにそう言うと、サチは「惜しい、かな」と、いつもとは違う悲しげな笑顔を浮かべた。
    それが何だか幼い顔立ちの彼女を大人びて見せて、なんて表情をするんだろうとドキリとしてしまったから、少しだけ、本当に少しだけだけれど綺麗だなんて思ってしまったから、何となく悔しい思いがした。
    苦しい恋でもしているのかな…ほんのちょっと、そんな事も考えながら。


    バーベキューの輪に加わって心行くまで食べた後、しばらく七夕飾りを二人ぼんやりと眺めていたら、
    「誰かー!手伝ってー!」
    聞き慣れた声が響き渡った。
    「人手欲しいのー!」
    そちらを見ると寮の先輩達が数人、笹の廻りに集まっていた。
    「あ、もうやるんだぁ」
    サチはいつもの顔に戻っていて。私もさっきのサチの表情を頭から引き剥がす。
    彼女に気付かれないよう息を吐いてから、尋ねた。
    「何を?」
    「ほんとに何も知らないんだから…」
    溜め息をつきながらサチ。「星祭りの締め括りはキャンプファイヤー!あっちに木材が組んであるでしょ?今から笹運ぶんだね。それで火に笹を短冊ごと焼べて、願いが空まで届くようにするんだって」
    「それはまたロマンティックな…」
    やれやれと溜め息をつきながら、ふと思う。
    「私、行ってくる」
    たった一言だけサチに投げると、私は笹の廻りに集まる彼女達の元に合流しようと一歩踏み出した。
    そんな私に、え?、とサチは疑問の声を上げる。
    「行くって?」
    「笹運ぶんでしょ?手伝ってくる」
    「だって……アズが?」
    「…他に誰がいんの」
    私はうんざりしたように彼女を見た。
    「自分から踏み出さなきゃ何も変わらないんでしょ?」
    そう言ってにやりと笑うと、サチは一瞬ぽかんと私を見て、すぐに心から嬉しそうに笑った。


    今、目の前で勢いよく炎が焚かれている。
    空を見上げても、暗雲に覆われていて、月ばかりか星屑のひとつさえも見えない。
    暗闇に赤い火柱がよく映えて、それが闇夜を煌々と照らし出していた。
    笹運びは思いの外重労働で。十数人がかりでやっと組み木に焼べたわけだけど。
    先輩からの感謝の言葉、火の上がるキャンプファイヤー、それらから湧き起こる歓喜の声。
    運んだだけ、ただそれだけの事なのに。意外な事に私は何となく嬉しかった。
    燃え盛る炎が無数の願い達を飲み込んでいって、それらの灰が空へ空へと舞い上がり星のように瞬いていた。きっと…近い場所まで行くのだろう。
    私はもう一度空を見上げた。
    私の隣でキャンプファイヤーに見入るサチヘと声を掛ける。
    「天気、残念だったね」
    ちらりと私を見ると、私の視線の先へと彼女もまた目をやった。
    炎に照らされてもなお、黒いままの空を見て。
    「……でも、私の願い事は叶いそうになかったから…ちょっと安心した」
    ぼそりと呟く。
    「……?そうなの?」
    「そうなのっ」
    私は視線をサチヘと移した。わからないという顔をしている私に、サチも空から視線を落として。
    「…下手に晴れちゃって叶えられたら困るよ」
    「それじゃ願い事じゃないじゃん。大体晴れない方がいいなんて、織姫と彦星が可哀想じゃない」
    そう言うと、「アズらしくない言葉だ」私を見て吹き出した。
    むっとして、サチから視線を外そうとしたら、彼女はぽつりと漏らした。
    「これは私の心の問題だから」
    独り言のように。
    「叶うも叶わないも私次第だったの」
    だから晴れてても多分無理だったよ、彼女はそう言って笑った。
    私はただ、「ふぅん」とだけ応えて。
    短冊は、轟々と哭く炎の中でその身を星に変え、空へと還っていった。


    …本当は。
    笹を運ぶ時に見てしまったんだ。彼女の短冊を、彼女の願いを。
    かく言う私も、この日を心待ちにしていたであろう織姫と彦星には悪いけれど、天の川が隠れてしまった事にほっとしていた。
    …あんな願い、叶えられては困るんだ。……私が。
    名前が書かれていないそれは、他人が見たらわからないかもしれないだろうその文字は、確かに見慣れた彼女のものであり。同室である私が気付かないはずがなかった。


    ―アズをこれ以上好きになり過ぎませんように。


    私を「アズ」なんて呼ぶのも、実のところ彼女ぐらいしかいないのだし……ね。





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