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■2289
/ ResNo.30)
─1/2
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■
□投稿者/ 秋
ちょと常連(85回)-(2004/08/11(Wed) 15:37:30)
唐突に。
川本真琴を聴きたくなった。
だから日曜の昼下がり、昼ご飯を食べ終わってのんびりしているところをがばっと起き上がって、
「どこか行くの?」
と尋ねるルームメイトに、
「ツタヤ」
そう簡単に答えて。
部屋を出て、寮の裏手の駐輪場から自分の愛車を探し出すとふわりとそれに飛び乗った。
全速力で漕ぐ。
風を感じる余裕もない程に。
目的地には案外すんなり到着して、探しものも案外あっさり見つかった。
少し昔のアルバムを一枚手に取り。
それをそのままカウンターへと持って行くと、行きと同様、全速力で帰路を辿った。
駐輪場に自転車を乱暴に置いて、急ぎ足で部屋へと戻る。
あたしの帰宅に、読んでいた雑誌から目を上げた彼女に声も掛けず。
ケースからCDを取り出してデッキにセットすると、ルームメイトにただの一言も許可を得ずに無遠慮に音を打ち鳴らした。
歌詞カードをばっと広げて。
あぁ、この曲。
この言葉。
流れる声に耳を傾ける。
唇と唇。
瞳と瞳と、手と手。
神様は何も禁止なんかしてない。
目を閉じて、じっと聴き入る。
背後から、彼女が立ち上がる音。
ゆっくりこちらに近付いて、あたしの後ろで立ち止まった。
彼女の足に背を預け、顔を上げると瞼を開けた。
あたしを見下ろすルームメイトが一人。
膝を床につく恰好で屈む。
「神様は何も禁止なんかしてない、ね」
ふっと息を吐いて。
「そうかな」
あたしの頬に手を掛けると、優しく唇を塞いだ。
わずかの時間、触れ合うあたし達。
そっと、それを惜しむかのように唇を離す。
「どうせ個と個なら。その半分この欠片を二つ重ねて、離れずに済むように繋ぎ合わせてしまいたいよね」
笑って。
もう一度、甘い、甘い、キスを落とした。
あたしは。
どうせならこのまま溶け合って一緒になってしまいたいと。
そう思った。
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■2290
/ ResNo.31)
─朧月夜
▲
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□投稿者/ 秋
ちょと常連(86回)-(2004/08/11(Wed) 15:38:26)
十五夜はとうに過ぎたというのに、今夜はとても月が綺麗だからと、不意にお月見をしようと思った。
突然の事だからお団子も何もなく。
だったらせめてススキでもと思って。
夕飯を食べ終えてごろごろしているルームメイトを揺り起こす。
彼女は快く頷いてくれたから、夜の散歩にレッツゴー。
寮の玄関まで行く途中に寮長さんと会ったけれど、点呼時間までには帰ってきてね?、そう言っただけで面倒な外出申請の措置を見逃してくれた。
外に出る。
丸い丸いお月さま。
月明かりの下で、私と彼女、ふたつの影が道路に伸びる。
住宅街を通って路地裏を抜ければ、そこには広々とした空き地が広がりを見せ。
背の高いススキがそこをぐるっと囲むように群生していた。
しばらくぼんやりと空を眺める。
「月とススキ、か」
彼女が呟き、
「団子があれば、もっとお月見らしかったのにね?」
楽しそうにあたしに微笑み掛けた。
そっと、彼女に手を伸ばして。
指を絡める。
それに気付き、彼女はまた楽しそうに笑う。
「手、繋いだまま帰ろうか」
「いいの?」
思わずじっと凝視してしまったあたしに、うん、と頷いて。
「人通り少ないし、月の光もぼんやりしているから。誰にもわからないよ」
目を細めた。
光が朧ろげで輪郭がぼんやり映るこんな夜って朧月夜って言うんだっけ?、あぁ違う、朧ろ夜は春の夜だ、隣でぶつぶつ呟いている彼女の肩に頭をもたれる。
視線の先はお月さま。
くすりと彼女が笑った気がして。
「私はあんたを照らす月になりたい」
こんな事を言った。
「ここに居るよ、って居場所を示す月になりたい」
そうあなたが言うのなら。
だったらあたしは。
あなたを見上げて想いを馳せる、そんなススキなのでしょう。
まだぼんやりと上を見上げる彼女の手を、あたしは頑なに握りしめた。
指先からでも徐々に浸透して、繋がるのではなくひとつになれたらいいのに。
上空にはふらふらと、青白い光を放つ心許ないお月さまが一人。
物悲しいのも満たされないのも、全てを月のせいにして。
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■2291
/ ResNo.32)
─tears
▲
▼
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□投稿者/ 秋
ちょと常連(87回)-(2004/08/11(Wed) 15:39:24)
彼女は時々言葉が足りない。
だからあたしは無性に寂しい時がある。
寮は意地悪だ。
こんな時に一人泣く事も出来ないなんて。
布団を頭から被って、声を押し殺して、それでも溢れ出す何かを堪えて。
あたしはどれだけの夜をそうやって乗り越えるのだろう。
今日も同室の彼女は、床に座ってベッドの縁を背もたれに、黙々と雑誌を読んでいる。
ページをめくる細く長い指を、あたしは勉強机の椅子に馬乗りになってぼんやりと眺めていた。
ゆっくりと立ち上がる。
彼女の隣にちょこんと座り。
その横顔をじっと見つめる。
視線に気付いたルームメイトはあたしの方に向き直り、何?と穏やかに笑んだ。
それだけで。
あたしは堪らなく切なくなると言うのに。
察してよ。気付いてよ。お願いだから。
覗き込んだ彼女の瞳に映るのは、今にも泣き出しそうな子供の顔した女の子が一人。
あたしは求めるように彼女の首に腕を伸ばし、そのままぎゅっと巻きつけた。
彼の人は、躊躇う事なくあたしの背中に優しく腕を回す。
彼女の体温が伝わり、彼女の鼓動が聴こえる。
包まれた腕は揺るぐ事なく、解かれる事なく。
それをあたしは知っていた。
あたしの首筋に彼女が口づけると、そこから広がる熱に、あたしはようやく安堵の息を漏らした。
想うよりも言葉に代えて。
言葉よりももっとずっと簡単に。
そう、抱き締めて。
それだけでわかるから。
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■2292
/ ResNo.33)
─ひとつだけ。
▲
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■
□投稿者/ 秋
ちょと常連(88回)-(2004/08/11(Wed) 15:40:53)
「欲しい物をあげる」
あたしの誕生日が近付いてきたある日。
同室の彼女がこんな事を言いました。
「当日までプレゼントが何か秘密にして驚かすのもいいけど、本当に欲しい物をあげて喜ぶ顔が見たい」
目を細めて楽しげに笑うこのルームメイトは、子供のように邪気がない。
あたしは彼女の胸を背もたれに、ぽすっと体を預けた。
やっぱり彼女は楽しそう。
くすくすと笑う度に漏れる吐息があたしの首を撫でてくすぐったい。
あたしはますます後ろに体重を掛けて彼女にもたれかかる。
「何でもいいの?」
「何でもいいよ」
「どんなものでも?」
「望むものを」
背中越しにでもくすりと笑ったのが伝わる。
「あんたは何を望む?」
くるりとあたしは向きを変えて、背中の彼女と向き合う格好になった。
そのまま胸元に顔を埋めて、両脇から腕を差し入れ力を込める。
「本当に何でもいいの?」
彼女はあたしの背中に手を回して優しく抱き留めた。
「何でも。私が出来る事なら叶えてあげる」
何がいい?と、楽しそうな声を落とす。
「まだわからない…」
「そう?考えたら教えてね」
あたしは応える代わりに顔をゆっくりと上げて、背伸びをしながら彼女の唇に口づけた。
望む事?
…あるとすれば、ひとつだけ。
あなたと一緒になってしまいたい。
心も身体も、全部、全部。
孤独を感じる隙間もない程。
それ以外、あたしは望みはしないのに。
多くを望みはしないのに。
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■2293
/ ResNo.34)
─agonizing wish
▲
▼
■
□投稿者/ 秋
ちょと常連(89回)-(2004/08/11(Wed) 15:42:18)
夢を見た。
幸せで、満ち足りて、とても寂しい夢。
内容は覚えていない。
ただ。
目を醒ましたら知らない内に泣いていた。
寂しくて寂しくて仕方がなかった。
急いで布団から飛び出して、ルームメイトのベッドを覗き込む。
同室の彼女は穏やかな寝息を立てていた。
ほっと、息をつく。
早い時間に起き出してしまったあたしに眠気が再度襲ってきて。
そのまま彼女の布団の中へ潜り込む。
「…どうしたぁ?」
寝呆け眼の彼女はまどろみながらあたしを迎え入れる。
「こっちおいで」
導かれるまま彼女の腕の中にすっぽりあたしは収まった。
彼女は満足そうに微笑むとまた寝息を立て始める。
包まれた腕の心地良さの中で、あたしは夢の続きを思い出していた。
あたしという個と。
彼女という個と。
ふたつの別々の個体が溶け合って、ひとつの同じ個体に生まれ変わる。
それは、とてもとても幸福で。
それは、とてもとても穏やかで。
一緒になれた事が嬉しくて堪らない。
いつも共に居られるから淋しさなんて感じ得ない、そんな事は有りはしないと。
けれども。
一つになりたいと、ずっと切望していたのに。
それだけを願い続けていたのに。
あたしと彼女が同じ個体なら。
抱き合えない。
この身を抱いてもらえない。
お互いの鼓動を確かめ合う事も、お互いの温もりを伝え合う事も。
髪の毛の一本さえも掴めずに。
それすら叶わない。
孤独からは解放されても、寂しさからは逃れられないのだと。
切ない。
切ない…。
手を伸ばせばすぐに指先が触れ合う距離に。
名前を呼べばすぐにその声が届く範囲に。
そう、そこに居て。
そしたらあたしは寂しくないから。
あたしを包み込むように眠る彼女の心音を聴きながら、あたしも再び眠りに落ちた。
次に目覚めた時は、きっとあたしは恐くない。
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■2322
/ ResNo.35)
ハマりました!
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■
□投稿者/ 野良
一般♪(1回)-(2004/08/15(Sun) 01:47:22)
すぐにファンになりましたよ!こんなにいろいろな話をよくたくさん思いつきますね!?秋さん天才!
五月の花嫁ではやられた!って思いました(>w<)てっきりまーちゃんとは付き合ってるものだと・・・見事に引っかかってしまいましたよ(^_^;
皐月も茜も切ないですね〜(>_<。この二人の微妙な距離も気になります。でも登場人物みんないい!好感がもてます(^-^)
今後も期待してますね☆
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■2360
/ ResNo.36)
野良さんへ。
▲
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□投稿者/ 秋
ちょと常連(90回)-(2004/08/18(Wed) 00:15:56)
はじめまして。
書きたい物を書き、それに対して感想を頂けるととても嬉しく思います。
日常生活の中でのある一幕、取り留めのない話ばかりですが、楽しんで読んでくださるのなら幸いです。
感想をありがとうございました。
(携帯)
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■2528
/ ResNo.37)
─目を閉じて、君は何を想う。
▲
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□投稿者/ 秋
ちょと常連(91回)-(2004/09/01(Wed) 14:06:59)
玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けると弥生が立っていた。
「あら、弥生ちゃん。いらっしゃい」
居間から顔を覗かせた真知が声を掛ける。
「こんにちは、早川先生」
にっこり笑って弥生。
「先生なんて、家ではよしてよー」
真知もわずかに照れながら微笑みを返す。
弥生との付き合いは長い。
昔はこの家にも頻繁に遊びに来ていた。
だから当然、真知とも彼女が教師になる前から馴染みがあるわけで。
学校から出たら、真知は教師からただのあたしの姉に変わり、弥生に対しても教師の顔を見せない。
もっとも、やはり校内ではいくら身内とは言え公私混同はしないけれど。
「うちに来るの久しぶりじゃない?」
あんまり遊びに来なくなったわよね、と真知は微笑みながら弥生を招き入れる。
弥生も、そうですねー、なんて相槌を打って家の中へと入ってきた。
弥生を居間に迎え入れ、テーブルを挟んで真知の向かい側へ適当に座らせる。
その様子を見てからお茶を入れてこようと廊下に出たら、背中から弥生と真知の優しい笑い声が聞こえてきた。
その声であたしはしばらくそこから動けずに、胸を押さえて二人の声に耳を傾けていた。
どうか──…と。
祈るような想いで。
「ねぇ皐月。まーちゃん、もう家出て相手の人と暮らしてるよね?たまに実家に帰って来たりとかは…しない?」
ある日の休み時間。
あたしの席へとやって来た弥生は唐突にこんな事を言った。
あたしは今まさに早弁しようとメロンパンを手に、大口を開きかけたところで。
ふぇ?と、間抜けな声を上げて傍らに立つ弥生を見上げた。
じっと見つめるあたしの瞳に、躊躇いがちな弥生の表情。
しかし、意を決したように真っ直ぐあたしを見つめ返して来た。
あたしの手を取ると、ずんずんと歩き出す。
あたしはわけがわからずに、メロンパンをくわえながらただ弥生に引っ張られていくだけ。
屋上へと続く踊り場まで来ると、弥生はようやくその手を離した。
口をもぐもぐと動かしているあたしに構わず、真剣な顔付きであたしに向き直る。
大きく深呼吸をひとつして。
「覚悟を決めたの」
そう言った。
ごくり、と。あたしは唾と共にメロンパンを飲み込んだ。
「潔く失恋してくる」
弥生が何を言っているのか、簡単に理解出来た。
真知に想いを告げる、そういう事だ。
「だからまーちゃんとしっかり話をしなくちゃならない。学校だとそうはいかないから、まーちゃんがもし家に戻る時があればと思って」
弥生の真剣な眼差しを逸らす事も適わず、あたしはやっとの事でぼそぼそと口を動かした。
「真知、さ。結婚しちゃって、それだけでも失恋決定なのに…それでも弥生は告白するの?」
その言葉に弥生は一瞬だけキョトンとしてみせ、すぐにくすくすと笑った。
そんな弥生にあたしは少しむっとして。
「わざわざ言う事ないんじゃないの?」
ぶっきらぼうにそう言っても、やっぱり弥生の顔は穏やかだった。
「確かにそうかもしれないけど。私はこの気持ちを消化させてあげたいの。燻ったままじゃ前に進めない。その為の、けじめみたいなものかな」
その穏やかな顔のまま弥生は言う。
あたしはふぅーと長い息を吐き、ばかみたいに真っ直ぐな親友の顔を改めて眺めた。
「今週の日曜日。部屋の整理しに帰ってくるよ、真知」
素っ気なくそう呟く。
「ありがとう」
弥生は短く答えた。
あたしはそれが聞こえなかった振りをして続ける。
「その日さ、親は夜まで居ないんだ。真知は部屋の片付け終わっても親帰ってくるまで居るって言うから昼頃おいでよ。弥生が来たら、あたしは適当にどっか行くから。あとは真知と二人だよ。弥生の好きなようにすればいい」
髪を掻き上げながら淡々と告げると、弥生は嬉しそうに微笑んでいた。
もう何も言う事がないあたしの両手を取って、ぎゅっと握る。
じっとあたしを見て。
「ううん、居て。皐月もそこに居て」
ゆっくりと言った。
相変わらずあたしは何も発する言葉が見つからない。
あたしが黙っているのを確認して、弥生は続ける。
「逃げ出してしまいそうになるから。それに…」
一旦言葉を切り、大きく息を吸った。
そして。
「私の気持ちに気付いてくれた皐月だから、その想いを最後まで見ていてほしいの」
きゅっと、心臓が締め付けられる思いだった。
これ以上弥生に何かしてあげられる事はないと悟ったあたしは、ただ「…うん」と、そう小さく頷くしかなかった。
どうか…もうこれ以上傷つかないで。
それで楽になれるのなら、早く終わらせてしまえばいい。
そんな風に祈りながら。
ごくりと飲み込んだ唾は、もうメロンパンの味はしなかった。
ティーポットと人数分のカップをお盆に乗せて居間に戻ると、弥生と真知は他愛のない話で盛り上がっていた。
弥生の隣に腰を下ろす。
相変わらず二人ともにこにこと笑っている。
あたしはカップに紅茶を注ぐと二人の手元に置いた。
そのまま自分の分に口を付け、ちらりと横目で弥生を見る。
弥生は平然とした顔で真知との会話を続けていて、その表情からは何を思っているのかなんて窺い知れない。
あたしの方が緊張しているくらいだ。
口の渇きが治まらず、あたしはカップの中身をずずっと飲み干した。
「私が居たらお邪魔だろうからそろそろ自分の部屋に戻ろうかな」
会話が一段落し、紅茶も飲み終えた頃、そう言って真知は立ち上がろうとした。
真知はあたし達の目的を知らない。
弥生はあたしに用があって遊びに来たと思っているだろうから、妹とその友達が居る場にそう長居をしまいと思うのは自然だった。
「…真知!」
ここで行かれては困る。
引き止めようと咄嗟に言葉が口を突いて出た。
何?と言うように、真知は中腰のまま静止してあたしを見ている。
「あ……えーと…」
呼び止めたものの後に続く言葉が見つからず、あたしは言葉を濁しながらへらへらと笑ってみせた。
「皐月ちゃん?どうしたの?」
言葉を探している間にも真知は次第に怪訝な表情になっていく。
うー…と、頭を抱えそうになった時、
「私ね、今日はまーちゃんに用があって来たの」
弥生が口を開いた。
そうなの?と真知があたしを見る。
あたしが無言でこくりと頷くと、中腰の姿勢を保っていた真知は再びその場に腰を下ろした。
そして真知がゆっくりと弥生の方に向き直ると、空気が震えるような錯覚を覚えた。
弥生の緊張があたしにも伝わってきているのか。
…いや、緊張しているのはあたしだけなのかもしれない。
弥生はとても穏やかな顔をしていたから。
大きく息を吸う弥生。
穏やかな表情を更にふっと緩ませて。
「まーちゃん。今、幸せ?」
優しく問い掛けるように言った。
真知は少しばかり驚いて、「うん…」と小さく答えただけで、照れたように顔を紅く染めてうつむく。
「ずっと好きだった人と結ばれたから。恐いくらい幸せ」
はにかみながら本当に嬉しそうに口にする。
弥生の微笑みは消えない。
真知を見る目を細めて。
「私ね」
柔らかい口調のままに。
「まーちゃんが好き」
はっきりとそう言った。
真知はがばっと顔を上げて弥生を見た。
驚いているのだろう、目をぱちくりさせながら。
弥生は構わず続ける。
「ずっと好きだったよ。まーちゃんが先生になる前から、ずっと」
そして、にこりと笑い掛ける。
真知は困ったような顔をしていたけれど、相変わらず弥生は穏やかだった。
「安心して。私はそんな顔をさせたくてこんな事言ったわけじゃないから」
その言葉に、真知はキョトンとした表情を弥生に向ける。
その顔を見て、弥生はぷっと吹き出した。
「やだー。もしかして変な意味に取った?そんなんじゃないってー」
「……え?」
「まーちゃんが好き。でも皐月の事も好き。勿論、家族も。そーゆー好きなの」
勘違いしないでよー、と弥生はますます可笑しそうに笑う。
「そう…そうよね」
真知は肩の力が抜けたと同時に、微笑んだ。
それを見て、満足そうに弥生も頷く。
「だからね…」
一呼吸置いて。
「まーちゃんの事、好きだから幸せになってほしい。泣いてるところなんて見たくないの。他の誰よりもまーちゃんの幸せを願ってる」
あたしには胸に詰まされる言葉だった。
弥生の次に、あたしは弥生の想いをよく知ってしまっているから。
これは弥生の本心から出たものだろうけれど、あたしには到底言えやしない。
「まーちゃんを泣かせたら旦那さん殴っちゃうから」
冗談めかして笑う弥生に、真知は「弥生ちゃんたら…」と、苦笑を浮かべる。
この場で笑っていないのはあたしだけだった。
そして。
「弥生ちゃん、ありがとう」
何にも知らない真知は、心から嬉しそうに応えた。
「結婚おめでとう、まーちゃん」
弥生もまた。
彼女の強さに、切ない想いに、代わりにあたしが泣ければいいのに。
二人のやり取りをあたしは黙って見ていた。
「私の用事はこれでおしまい。じゃあ帰るね!」
そう言うと、すっと弥生は立ち上がった。
もう少しゆっくりしていけば?と声を掛ける真知に笑って手を振って居間を出ていく。
あたしも弥生の後を追い掛けて、一緒に玄関の外へと出た。
くるりと弥生があたしを振り向く。
その顔は、今にも泣き出しそうだった。
「私…うまく笑えてた?」
先程とは打って変わって情けなく呻く。
「おめでとうって、ちゃんと言えてたかなぁ?」
母親とはぐれた迷子のように不安げにあたしのシャツの裾をそっとつまんで。
「ねぇ、皐月ぃ…ちゃんと最後まで見てくれてた?私はちゃんと伝えられてた?」
あたしは裾を掴んで離さない弥生の手に右手を軽く添えて、余った左手で弥生の頭をぽんぽんと撫でた。
そのまま優しく手を頭に乗せる。
「うん、見てた。全部見てたよ」
もう我慢しなくていい、頭に乗せた左手に少しだけ力を込めて自身の胸に引き寄せる。
二、三度頭を撫でてやると、弥生は緊張が解けたのか、堰を切ったように泣き出した。
必死で堪えていた何かを全て吐き出すかのように。
お気に入りのシャツだけど、この際涙と鼻水にまみれても目を瞑ろう。
泣きじゃくる弥生にそっと声を落とす。
「弥生はすごいよ。よく頑張ったよ。あたしは弥生の気持ち、ちゃんとわかってるから」
一度だけ両腕を弥生の背中に回して、鳴咽が漏れる隙間もない程ぎゅうっと抱き締める。
すぐさまぱっと離れて、
「お疲れ!」
にかっと笑顔を向けたら、やっと弥生は微笑んだ。
「ありがと、皐月」
ずずっと鼻を啜って。
「すっきりした!」
本当に晴々した顔をあたしに向けた。
「宙ぶらりんなままより、言っちゃった方が完全燃焼できるものだねー」
あははと笑った弥生は、
「…でも、もう少しだけこうして居させて」
そしたらすぐに立ち直るからと、あたしの胸にこつんと頭をもたれた。
「しょうがないなー」
あたしはわざとらしく大袈裟な溜め息をついて、それでも胸は苦しくて仕方がない。
あとどれだけの時を、あたしはこんな想いを抱えたまま過ごすのだろう。
『あたしはあんたの幸せを願っているよ』
弥生には見えないからいいか、と。
空を仰いで、一雫だけ涙を落とした。
心の中で呟いた声はきっと弥生に聴こえない。
目を閉じて、君は何を思う。
あたしは何を想う。
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■2529
/ ResNo.38)
─hurts
▲
▼
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□投稿者/ 秋
ちょと常連(92回)-(2004/09/01(Wed) 14:07:59)
四時間目の体育の授業で職員室の窓ガラスを豪快に突き刺す程の見事なホームランを決めて、授業の終わりと共にやって来た昼休みにお小言を散々聞かされていた私はようやくそこから解放された。
皐月と陽子がバカな事を言って盛り上げ、弥生と郁がそれにツッコむ。その様子を笹木と比奈が笑って見ている傍ら、相変わらず川瀬はむすっと黙っているんだろう。
そんないつものランチタイムの光景がありありと浮かんで、私も早くそこに合流しなければと早足で廊下を進む。
しかし教室のドアを開いた瞬間、私は面食らった。
昼食を取るメンバーは笹木と皐月の二人だけ。
川瀬が居ないのは清々するというのが本音だけど、席を囲む面々に陽子や郁達が居ないのは何故だか心許ない。
決してしんみりしているわけではないけれど少しばかりお喋りのトーンを落としながらお弁当を頬張る皐月の隣の席へと座った。
「あ。おかえり、茜」
「うん、ねぇ他の皆は?」
「郁は部活の昼練、弥生と比奈は委員会の集まりだって。陽子に至ってはさっきまで居たけど職員室に呼び出された。帰ってくる時に会わなかった?」
あいつはまた何やらかしたんだか、もぐもぐと口を動かしながら皐月は言った。
「ふうん。…川瀬は?」
別にあんな奴がこのランチの場に居なくてもどうって事はないし、むしろ居ない方が私の食は進むのだけど、居るはずの人物が訳もなく居ないというのも何となくむずむずした気分になるので、仕方なしといった感じで私は忌まわしいその名を口にした。
瞬間、空気がピリッと痺れた気がした。
見れば、先程から何も言葉を発していなかった笹木が顔をしかめている。ご丁寧に眉間にシワまで作って、珍しく不機嫌を露わにして。
皐月を見ると、あーぁといった風に溜め息をついた。
私の耳元に顔を寄せ、皐月は耳打ちした。
「茜、地雷踏んだよ」
「はぁ?」
笹木じゃないが、わけがわからなくて私まで顔をしかめる。
「今、その名前は笹木にはタブー」
皐月は肩をすくめてみせた。
「何が原因かわかんないけど。喧嘩してるんだってさ、川瀬と」
「笹木が?」
隠さず素直に驚きを表していると、
「全部聞こえてるんだけど…」
向かいに座る笹木が私達二人を見て呆れていた。
…そりゃそうだ。
最初こそは小声のものの、私達のそれはこそこそ話に適した音量ではない。
聞かれていたのなら遠慮はいらないか、と勝手に解釈して私は笹木に向き直った。
「珍しいね、喧嘩なんてさ」
皐月も、うんうんと頷いた。
笹木と川瀬は頻繁にその仲をこじらせてはいるものの、それは川瀬が単に機嫌が悪いだけだったり、川瀬を怒らせたと笹木が勝手に勘違いしたり、つまりはまぁそんなもの。
何のやり取りもなくてもこの二人の関係は自然と修復されていた。
そこには、笹木と川瀬、両者の性格によるところが大きいだろうけれど。
笹木がすんなり折れたりだとか、川瀬がその出来事自体を忘れていたりだとか、ね。
どれも喧嘩と呼べる代物ではなかった。
だからこんな風に笹木が不機嫌さをあからさまに表したり、「喧嘩をしている」という言葉が珍しい。
もしそうだとしてもこの二人の怒りは持続しないし、そもそもいつもなら笹木の方から謝ってしまうだろう。
それで終わるはずだ。
なのに。
「ほんと。笹木が怒ってるって珍しい」
何の気無しに皐月が漏らす。
「怒ってるってわけじゃ…ただ、ちょっと…」
どう言えばいいのか、といった感じで笹木は唇を尖らせた。
「なら、笹木から話し掛ければ済んじゃう事じゃないの?」
弁当の残りをかき込みながらそう言う皐月に、「何で私が」というように笹木は少しむっとした。
成程、やはりこれは「喧嘩」なのだ。
引かない笹木を見て改めて実感する。
そう言えば、今朝は一緒に登校していなかった。
夕べの点呼で部屋に廻って来た笹木の表情も、どこか暗いものだったっけ。
という事は、この喧嘩は昨日から。
それも夕飯を過ぎてから、かな。
どうせ川瀬がいつものように笹木の親切心を踏みにじったんだろう。
それに対して、笹木が珍しく反発した。
ま、そんなとこでしょ。
やれやれと心の中で呟いて、私は職員室からの帰りに購買で買ってきたレモンティーにストローを挿し込んだ。
たまには川瀬から折れればいい。
笹木が長時間自分に構わなければ、きっと向こうから音を上げる。
いつだって笹木の方から行動を起こしてくれるなんて思うなよ。
これは奴が笹木の有り難みを再認識する良い機会だ。
大体、笹木は川瀬に甘過ぎる。
これを機会に笹木も川瀬を放っとく事を覚えればいい。
ずずずとレモンティーを啜って今回ばかりは我関せずを貫こうとした矢先、やめとけばいいのに、ちらりと笹木を見てしまった。
ず…と、もう一口啜る。
あーぁ、本当に察しの良い自分が恨めしい。
笹木と川瀬の事は放っとこう。放っとこうと思った矢先にこれだ。
手持ち無沙汰に自身の緩やかな髪の毛先を眉根を寄せながらいじっていた笹木の顔が、目を伏せた一瞬だけふっと寂しげなものとなったから。
素直に相手と接する事が出来なくて辛いのは何も川瀬ばかりじゃないという事か。
この喧嘩の終結を誰よりも切望しているは、他でもなく笹木だ。
わかってたけどさ。
わかってたけどね。
笹木が一人の相手とずっと口を聞かずに通すなんて無理な話なんだ。
今にも駆け寄りたくて、話し掛けたくて、むずむずしているはず。
笹木も変なところで頑固だから、引かないと決めた手前、折れ際を測り兼ねているのだろう。
私もとことんお人好しだ。本当に損な性分を請け負っていると思う。
じゅるじゅると残りのレモンティーを吸い取って、紙パックをぐしゃりと潰した。
人知れず、軽く息を吐いてから。
「あほらし」
私の声に髪をいじる笹木の指先が止まった。
「何でこじれてんのか知らないけどさ。どうせ続かない喧嘩なんだし、さっさと仲直りしちゃいなって。大体さ、同室なんだから寮に帰れば嫌でも顔合わすんだよ?ずっとこうだと気まずいじゃん」
伏せていた顔をゆっくりと上げた笹木はなかなか情けない顔だった。
もう一声、もう一押し、というところか。
決め手となる最後の一手が欲しいらしい。
これはまだ迷っている顔。
「笹木に謝れって言ってるわけじゃないよ。たださー、あいつにも謝るチャンスをあげれば?って事。川瀬ひねくれてるから、せめて機会くらいは与えてやんないと」
笹木は口をきゅっと結んだ。
「笹木からそのきっかけを作ってあげるくらいはいいんじゃないかなー、ってね」
あくまでも淡々と私は言った。
無論、これは川瀬の為なんかではなく。
さぁ、もう一言だ。
「川瀬、中庭に居たよ」
笹木は驚いたように目を見開いて私を見る。
「職員室から戻ってくる途中で見た。渡り廊下通って来たから」
あんなの見ちゃって気分害したー、冗談めかしてそう言うと、笹木は勢いよく席を立った。
そのまま一直線にドアへと向かう。
教室から出ていく直前、くるりと私に向き直って「ありがと!」一言そう叫んだ。
ほうらね?
背中さえ押されれば、笹木はすぐにでも川瀬の元へ駆けてゆく。
笹木が見せた顔は吹っ切れたように笑っていた。
あれならもう大丈夫だろう。
廊下を走る笹木の足音が聞こえなくなるのを確認して視線を戻すと、呆れ顔で私を見ている皐月の姿が目に入った。
ばーか、と声には出さずに口だけを動かして言う。
余計なお世話だ、私はイーッと舌を出した。
はぁっと吐き出した息に皐月の溜め息が重なって、二人同時に互いの顔を見た。
普段なら爆笑してしまうようなこんな場面も、何故だか今は力無く笑っただけ。
「損な役回りだねぇ…」
私にだけ聞こえるような声で皐月が言った。
「…まぁあたしもなんだけどさ」
はははと困ったように頬を掻く。
「………皐月さー」
そんな皐月から私は顔を背け、やはり皐月にしか聞こえないくらいの小声で話す。
「やっぱりまだ、好きなんだ?」
弥生、と続けなかったのはただ単純に続けられなかったから。
「……うん」
息をするように皐月は答えた。
「そっか…」
私は意味もなく椅子の上で体育座りをしてみる。
それを見た皐月は「何だよ、それ」と、少し笑った。
「片思い同士ですねー」
「ですねー」
「良いお友達ってか」
「うん、それだ」
「陰ながら支える、みたいな」
「ははは!」
「つーか、報われないコンビ?」
「…やだなぁ、それ」
へへへと皐月が笑って。
ふぅ、と長く息を吐く。
くるりと首を動かして私に顔を向けると。
「いっその事付き合っちゃう?」
「……冗談でしょ?」
「冗談だよ」
あっけらかんと皐月は言ってのけた。
そう簡単にいったらどんなに楽か、そんな言葉を落として皐月はうーんと伸びをする。
そりゃそうだ、と私も少し顔を上げた。
ちらりと横に視線をずらすと、窓から覗く爽やかな秋晴れに今気が付いた。
その眩しさに、すっと目を閉じる。
自分の位置はわかっているつもり。
あの人に掛ける言葉も。
振る舞う態度も。
彼女に対する私を見て、皐月が何を言いたいのかなんて、それだってやっぱり私はわかっている。
無理は少ししかしない。
誤魔化しこそしても、嘘だってつかないつもりだ。
だから。
「ばかだけど、見逃してよ」
目を閉じたまま皐月に向かって声を掛けたら、何も言わずに髪だけ撫でた。
何でもない振りや何でもない言葉を、いつまで掛け続ければいいんだろうね、私達は。
あぁ。
胸の奥がしくしくと傷む。
この痛みは、もうしばらく消えてくれやしないのだろう。
顔を上げるのが苦しくなる程の暖かな陽射しが、何だか笹木を思わせた。
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■2530
/ ResNo.39)
─風運び
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□投稿者/ 秋
ちょと常連(93回)-(2004/09/01(Wed) 14:08:53)
そよそよと秋の風に誘われて、わたしは中庭のベンチに腰掛けた。
うーん、と大きく伸びをする。
今日はとても穏やかな風がそよぐ日で、木陰の下のベンチには日溜まりが出来ていた。
柔らかな初秋の陽射しを目一杯浴びて、午後の授業なんか放ってここで昼寝としゃれこもうか、なんて思いも頭を過ぎりながら。
あくびを一つ噛み殺したところで少し離れた木の影に人の気配を感じた。
目だけをそちらに向けると、名前を何と言ったっけ、けれど何度も見掛けた事のある上級生の姿が目に映った。
すらりと背の高い少年のような出で立ちで、成程、クラスメートが騒ぐのも無理はない。
名前こそ思い出せないものの、廊下ですれ違う度に友人達が黄色い声を上げていたからよく覚えている、その人は確かに見知った人物だった。
その姿を初めて見た頃よりも少しばかり髪が伸びたように感じるけれど、それでも中性的なその風貌に変わりはない。
では今わたしが抱いている違和感はなんだろう。
暖かなまどろみの中で、わたしは彼の人をのんびりと眺めながらもう一度あくびをした。
彼女はベンチに座るわたしの存在に気付く事なく、ここから少しだけ距離を取った木陰に佇んでいた。
足元に子猫が近付く。
この中庭でよく見掛ける茶色と黒の縞模様の野良猫だ。
足元に擦り寄る子猫に視線を落として、彼女はそのまま屈み込んだ。
子猫を抱き上げ、膝の上に乗せる彼女。
指先で子猫の喉元をくすぐるようにしてあやす姿が微笑ましく、同時に子猫に向ける柔らかな笑顔に驚いた。
この人はこんな顔をするのか、と。
廊下で目にする度に思っていた。
無表情で淡々としている。
きっと周囲に興味がないんだろうな。
整った顔をしているのは認めるけれど、それ程皆が騒ぐような人物だろうか。
何を映しているのかわからない瞳からは冷たさしか感じた事はなかった。
けれど。
今、わたしの目の前に居るこの人は、穏やかな表情で子猫と戯れている。少し伸びた前髪から優しい眼差しを覗かせて。
その雰囲気が、笑い方が、これまたわたしが見掛けた事のある上級生の仕草によく似ていた。
しばらく子猫の相手をしていた彼女は、ふとその手を止めた。
「………ん…」
どこか寂しげに、ポツリと漏らした呟きは、わたしには届かなかった。
「ご…め………」
苦しそうに、何度も同じ言葉を繰り返し口にしているように見える。
「………ん…っ」
最後の呟きは、囁きとなって風の中へ消えていった。
子猫もまた、その腕からするりと抜けてゆく。
わたしの前を通り過ぎると、にゃーお、と甘えた声を出して、すぐ近くで立ち止まった。
ふわふわの巻き毛を緩やかになびかせた上級生。
面倒見が良いだとか、優しい上に美人だとか、クラスメートの話の種にされているので耳にした事もしばしばあったこの人がすぐそこに立っていた。
足元で自身の体を擦り寄せて甘えた声を出す子猫を優しく抱き上げ、目を細めて笑う。
彼女もまた、指先で子猫の喉元を優しく撫でた。
ごろごろと、子猫は気持ちよさそうな声を出す。
「あなたは素直だね…」
ふふふと微笑んで呟いた。
それはどこか寂しそうで。
またぽつり、誰にともなく呟きを落とす。
「人間は面倒臭いから」
やっぱり子猫はごろごろと喉を鳴らしていて。
「素直なのが一番だよね?私も…あいつも」
もう一度漏らしたその時、風に消えた囁きがどこからともなく届けられた。
その囁きは風に乗り、空気を淡く染めてゆく。
─ごめん。
風はわたしの横を通り抜け、彼女の長いウェーブの髪を撫でていった。
「……ばかだなぁ。素直じゃないんだから…」
どこか可笑しそうに呟くその声には日溜まりのような暖かさが含まれていた。
「でも、あいつらしいよね?」
足元に優しく子猫を下ろすと、柔らかな微笑みを子猫に向けた。
あぁ、さっきのあの人の仕草はこの人によく似ているんだ、今更ながらにそう気付く。
穏やかな瞳も。
柔らかな笑顔も。
雰囲気が変わったと思わせたあの違和感は、あながち気のせいなんかじゃないのだろう。
彼女はもう一度子猫の頭を撫でると、わたしの前を歩いていった。
「かーわせっ、昼休み終わっちゃうよ?」
温かなトーンで木の下に座り込んだ彼の人に声を掛ける。
名前を呼ばれた本人はバツが悪そうに顔を上げた。
二、三、言葉を交わして、緩やかな髪の彼女は終始ふわふわと微笑んでいる。
むすっとしていた彼の人も、つられるようにふっと笑みを浮かべた。
半年間でこうも印象が変わるものかなぁ、と何度目かのあくびを噛み殺していると、二人連れ立って中庭を後にした。
もうそろそろチャイムの音が鳴り響く事だろう。
甘える相手がわたしだけとなり、ようやく構ってもらいにやって来た子猫の頭を一度だけ撫でて、わたしはベンチから立ち上がった。
その場で大きく背伸びをして。
目を閉じて、風を感じる。
目付きが悪いとしか思っていなかったその瞳は、けれど、とてもとても綺麗だった。
たまにはこんな日もいい。
こんな日があってもいい。
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■No2108に返信(秋さんの記事) > 日々は刻々と過ぎていき。 > 垂れ流したままの時間の流れの中に身を置いてはいても、毎日は違う色ばかりだ。 > カレンダーの日付は、綴られる思い出たちは、過去の産物となりゆくのか。 > > ―想いはそこにある。 > > 幼くとも、拙くとも。 > 大人が見たら不器用だと笑うかもしれない。 > もっと楽に生きろと呆れるかもしれないけれど。 > 子供と呼ぶには世間知らずでもなく、大人になりきれる程狡くもなれない。 > 本気で笑って、本気で泣いて。 > そんな時代。高校時代。 > > さぁ、 > 日常の欠片を拾い集めて、その一コマを蘇らせてみようか。 > > > > > > >
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