| 第一話 水野さんは、私より10歳以上年上で、20cmぐらい背が低く、30kgは体重が軽い。 体型がかけ離れているだけでなく、彼女は私とは全く別の世界で暮らしていた。 初めて出会ったのはスポーツジムの更衣室だった。工事現場のバイトの帰りに、ジムに寄った私は作業服のままだった。 水野さんは、水着に着替えている途中で、私を見てギョッとしたらしい。作業服姿で身長が180cmの私を見て、男が女子更衣室に侵入してきたと思ったのだ。 体を隠そうと、半裸の状態でしゃがみこんだ。 誤解を解こうと、あわてて彼女に近づいた時、一目できれいな人だと分かった。 透き通るような白い肌と、サラサラのロングヘア、大きな瞳。何よりも線が細い。 見慣れた柔道部の女子達とは全然違う。 両手で隠した胸を上から覗きこむ恰好になった。体は細いのに、胸は私より大きい。 「大丈夫、私、これでも女です」と言いかけた時、腹部に痛みと衝撃を感じた。そのまま倒れ、意識が薄れていく。 気が付いた時は、倒れたままの場所で上からバスタオルを掛けられて寝ていた。 水野さんが、下着姿のままひざまずいて、私の片手を両手で握っていた。私の目が開いたのに気付くと、泣きだしそうな顔で謝り始めた。 「ごめんなさい。本当にごめんなさい。私、男の人に襲われると思って、あなたにスタンガンを使ってしまったの。痛かったでしょう、本当にごめんなさい」 気の毒になるほど、狼狽し、謝り続ける美女を見て、腹は立たずに、逆に申し訳ない気持ちになった。 「こちらこそ、怖い思いをさせてしまいました。すいませんでした」 ゆっくり立ち上がってみたが大丈夫、気分も悪くないし痛みも軽くなっていた。 「女の子を男と間違うなんて。ごめんね。大丈夫?痛くない?」 「本当になんともないです。男みたいな恰好をしていた私も悪いので、気にしないでください」 「そう言ってもらえると」 少し落ち着いて、自分がブラとショーツだけの姿のままでいる事に気が付いたらしい。顔を少し赤らめて、私からバスタオルを受け取る。 「学生さんよね。せめてお詫びにお茶だけでもご馳走させて」 バスタオルで体を隠しながら、両手を合わせてくる。 断るのも失礼な気がして、トレーニングが終わる時間に、ジムのロビーで待ち合わせすることにした。 いつも通りの筋トレを終えて、ロビーに行くと水野さんがすでに待っていた。私を見て、手を小さく振ってくれる。 ジムを出て、二人で近くのスタバに入った。 「遠慮しないで」と言われ、私はベーコンやサラダを挟んだサンドイッチを二つと、ココアを、彼女はカフェラテを選び席に着いた。 向かい合って座ると、あらためてきれいな女性だと分かる。高価な装いではないのに、着こなしがうまく、洗練されている。 作業服姿で化粧もしていない、自分とは、違い過ぎている。でも、そんな私を、彼女は眩しそうに見上げて、いろいろと話しかけてくれた。 「F大の柔道部員ってすごいよね。でも、いつもその恰好では、女の子としては、問題あるかも」自己紹介をしあってすぐに、微笑みながら、言われてしまった。 「いいえ。普段はジャージを着ています」弁解するつもりで言うと「それも、問題あり」と楽しそうに笑う。会話が弾んできて、嬉しくなった。 もともと、口下手で人見知りする方なので、こんな綺麗なお姉さんと、初対面で楽しく会話できるなんて、高校生の時、県大会で優勝して以来の快挙だと思った。 オリンピックの強化選手を目指して練習している事、父が柔道の道場を続けているが、少子化の影響もあって経営が苦しい事、柔道部の合宿所に住み込んで下宿代を節約している事、奨学金とバイトで何とか生活している事など、いつのまにか、初対面の彼女にしゃべり続けていた。 水野さんは聞き上手だった。自分の事は話さずに、私がしゃべり、サンドイッチを数口でたいらげるのを、優しい表情で見ていた。 「うちの子も、あなたみたいに、パクパク食べてくれるといいのだけど」 「えっ。お子さんがいるのですか?」 私とそれ程年齢が違わないと思っていたので少し驚いた声になった。 「うん。小学五年だけど、食が細くてね」 それから彼女が自分の事を話し始めた。水野さんは、モデルの仕事をしているという。どおりできれいなはずだ。 「30過ぎると、仕事のえり好みができなくてね。あなたの考えているような、モデルのお仕事じゃないかもしれないけど」 水野さんが、あわてて言い添える。小学5年の厚志君との二人暮らしなので、仕事で遅くなる時がつらいと、ため息をついた。 「ご主人は?」と訊いてしまってすぐに後悔した。水野さんが困った顔になる。 「ご、ごめんなさい。私余計な事聞いちゃいました」 「いいの。気にしないで。私、今はシングルなの」 また、失敗しちゃった。顔が赤くなるのが分かりうつむいてしまう。 短い沈黙の後、クスクスと笑う声がして目を上げると水野さんが優しい顔で笑っていた。 「本当に大丈夫。気にしないで。空ちゃんは、気は優しくて力持ちタイプね」 今度は、私が少し傷つく。 いままでに好きになった女の子達が、私を褒めてくれた言葉を思い出してしてしまった。 「私の方こそ何か嫌な事言ってしまったみたい。ごめんね」 私の反応を見て、心配そうに覗き込む。 自分でも呆れるほどに単純。水野さんが心配してくれるだけでまた嬉しくなる。 「お仕事で遅くなる時、お子さんの相手やお世話をさせて下さい。私子供の相手をするのが趣味です」 本当は、子供の相手は苦手だった。 水野さんと、これっきりになるのが怖くて思わず言ってしまった。 「空ちゃん、本当におもしろい。お友達になれて嬉しいわ」 水野さんが飛び切りの笑顔で言ってくれた。
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