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みんみんとうるさく、それでも一生懸命に鳴きわめく蝉の声を背に、担任から半ば押し付けられる形で渡されたプリントをホッチキスでまとめていく。 プリントとは来月に行われる林間学校についてのしおりで、この学校は多分一学年の人数が多い方だから、きっとこれだけの量を印刷するだけで一苦労なのだろう。 ひとりきりの教室で、わずかな紙の摩擦の音と、ぱちん、ぱちん、という、プリントを針が貫通しまとめる音だけが、やたらと大きく聞こえる。 本当は部活動が行われる教室以外の教室は、放課後になると特別な事情がない限り、エアコンのスイッチが切られることになっている。 しかしながら担任も罪悪感やら申し訳なさやらがあるのか、エアコンのスイッチを切ることはせず、そのままにして教室を出て行った。 お陰でこうして涼しい教室で、孤独で地味な作業を淡々と黙々とやれているのだが、エアコンごときでこのやるせなさは消えるわけがなかった。 窓際の後ろから3番目の自分の席からは、左側に広がる広い校庭全体がよく見え、放課後の今は陸上部が部活動を行っていた。 汗だくで、しかし楽しそうに一生懸命練習に取り組む彼女たちを羨ましいと思わないわけではなかったが、生憎運動は得意な方ではない。 とりあえず今は陸上部の彼女たちよりも、担任から頼まれたこの林間学校のプリントを全てまとめてしまうのが先決である。
(アヴェ・マリア・・・・・・と、何かのクラシック、)
この学校にはいくつかの部活動が設けられているが、その中でも音楽部と合唱部は毎年コンクールで優れた成績を残している部活動のひとつだ。 流石に合唱と吹奏楽を同じ教室で一斉にするわけにはいかないため、2つある音楽室をそれぞれ使って部活動を行なっている。 自分たちの林間学校同様、来月に大きなホールかどこかで行われるコンクールでいい成績を残すべく、今頃は熱心に練習に打ち込んでいることだろう。 綺麗な歌声と演奏が微かに聞こえてくる中、やはりひとりで黙々と林間学校のプリントを手にとっては手の中でそろえ、ホッチキスでとめていく。
「ありがとう間宮さん、本当に助かったわ」
大量の林間学校のプリントをまとめ終わったのは辺りが薄暗くなり始める頃で、職員室にいる担任のもとに届けると、担任はパソコンに向かっていた。 エアコンのスイッチは自分が帰ってから責任を持って担任が切っておくという話だったため、職員室には自分のかばんも一緒に持ってきていた。 にこにこしている担任に一礼をし、職員室のドアをくぐると、ドアのすぐ横に置いておいた自分のかばんをじっと見つめるひとりの生徒がいた。 相手も自分を見つめるこちらの存在に気がついたようで、かがんでいた腰を真っ直ぐに伸ばし、しっかりとした真っ直ぐな目でこちらを見つめ返す。
「このかばん、間宮さんのだった?」
彼女は、同じ学年、そして同じクラスに所属する生徒のひとり、天城八代(あまぎやしろ)だった。 自分が大勢よりは少人数を好み、少人数よりは単独を好み、無口で表情を顔に出さないタイプの生真面目な人間であるのに対し、彼女は正反対の人間だ。 いつもクラスメイトたちの中心にいる、明るくて表情がころころ変わる人間で、何かあるたびに彼女が中心になって物事を進めていることが多い。 そんな彼女と自分が普段から積極的に関わるわけがなく、おそらくまともに会話を交わしたのは今日が初めてではなかろうか、というぐらいである。
「・・・・・・ええ、私のかばんだけど。それがどうかした?」
「別にどうもしないよ、ただ、かばんだけぽつんとあったから気になっただけ」
彼女はにこりと人当たりのいい笑顔を浮かべ、後頭部の高い位置でゴムによってひとつにまとめられた髪の束と、両耳の横の髪の束とを揺らした。 自分の鎖骨辺りまで伸ばした真っ黒で結んだりしていない髪と比べ、彼女の髪は色素が薄いのか茶色っぽく、それが光に当たると余計茶色っぽく見える。 ちょうど近くの窓から外の光がいい具合に差し込んできており、彼女のポニーテールは、同じ色のはずなのにいつもよりも少し明るい茶色のように見えた。
「そう。じゃあ私はもう帰るから。さようなら」
「待って、間宮さん、よかったら一緒に帰らない?私、間宮さんとこうしてお話してみたかったの」
彼女の目はどうも苦手だ、いつもこちらを真っ直ぐに見据え、濁りも何もない、澄んだ綺麗な目をしているから。 断ろうかとも思ったが、特に用事も理由も思いつかず、それに自分たちが暮らしているこの学校専属の寮はすぐ近くであるため、一応頷く。 この学校は中等部と高等部、そして付属の大学があるが、いずれも女子校で寮があり、ほとんどの生徒はその寮で暮らしている。 確か彼女も寮で暮らしている一般的な生徒のひとりだったと思うが、寮の中でまで彼女に付き合ってやる気はさらさらない。 しかしそんな自分の気持ちとは反対に、紺色の襟と深い緑のスカーフで首元を飾った白いセーラー服姿の彼女は、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ねえ、間宮さんは何か部活に入ってないの?」
昇降口で靴を履き替え、寮への道をひとりの時よりもやや速度を落として歩いている途中、隣に並んでいる彼女がそう尋ねてきた。
「ええ、特に何も。自慢できるような特技も何もないもの」
「そうなんだ、何かもったいないな。入る気は一切ないの?」
「その気になれば入るとは思うけど、今はその気になっていないだけよ」
終礼が終わった後、クラスメイトと話すことも何もなくすぐに教室を出て行く自分の姿を見ていれば、部活動に所属していないことは明白だ。 故に先輩、後輩との繋がりも皆無で、一応委員会は図書委員会に所属しているが、仕事上の付き合いであり、事務的な会話しか交わしたことがない。 彼女は何か委員会や部活動に所属している人間だったかどうか、記憶を辿って考えているうちに、彼女が自分から申し出てきた。
「私は音楽部員なんだけど・・・・・・間宮さん、音楽部なんてどうかしら」
「・・・・・・音楽部?合唱の?」
「そう、合唱。といっても部員のほとんど全員が未経験者だし、部の雰囲気も悪くないと思うわ」
先ほど教室で聞こえていた綺麗な合唱に自分も加わって歌っているのを想像するが、あまりいいイメージは思い浮かばなかった。
「なぜ私なんかを音楽部に誘うの?」
「この間の音楽の授業のテスト、ひとりひとり歌を歌ったじゃない?間宮さんの歌、綺麗で上手だったから、もったいないなって思ったの」
1、2週間ほど前の音楽の授業の時に歌のテストがあり、ひとりずつ教科書に載っている曲の中から1曲選び、みんなの前で披露したのだ。 その時の他のクラスメイトの歌はあまり覚えていなかったが、彼女は合唱をやっているだけあって上手かったのはうっすらと記憶の片隅にあった。
「ねぇ、今度、音楽室においでよ」
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