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「泡沫(うたかた)」とは、水面に浮かぶ泡つぶのことである。 それは、はかなく消えやすいもののたとえ。自らの人生を恨み、 悲しみ、それでも受け入れて前に向かって歩こうとする女たちのようでもある。
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側面に青い帯を走らせた車両が、警笛を鳴らしてから徐々に加速する。 日差しはすっかり沈んでいるように思えたが、それでもあたりはまだ明るい。 肩まで出して、ホームの異常を警戒している車掌が目の前を加速しながら通り過ぎる。 埃っぽい都会の、さほど大きくもない駅のホームに出た真琴は、 過ぎ行く京浜東北線の車体を誘われるように眺め、最後部車両を見送る。 過ぎ去っていく電車が巻き起こした風が真琴のグレーの巻きスカートを揺らす。 ホームの中程には大きな時計がぶら下がり、分針を刻むのが見えた。 諦めたように踵を返した真琴は、連絡通路の階段に向かう。 ハイヒールの踵が薄汚れたホームを叩き、喧騒の中に乾いた音を響かせる。
春が過ぎ、梅雨を迎えたばかりの東京は、その湿度を限界ギリギリまで高め、 今にも目の高さから水滴をこぼしそうな重たい空気をたたえている。 まとわりつくような空気をブラウス越しに押しのけながら、真琴は疲れた 足を進める。 視線の先には、事務的に開閉を繰り返し、人々を吐き出している自動改札。
勤め先のある都心から乗ってきた車両を、特に意味もなく眺めていた真琴は、 電車が吐き出した人の群れから少し遅れていた。 今日も一日が終わった、と感慨にふける暇もなく、乗ってきた電車とは 逆方向の都心へと向かう電車の接近を知らせるアナウンスが喚く。 気が付くと脚が止まっていたことに気付き、再び諦めたように改札を出る。
駅から歩いて5分ほどの線路沿いに、真琴が住むマンションがある。 アパートと呼ぶべきでは、と思わせるその外観だが、それでもWマンションの名を 冠している。京浜東北線のW駅は、その名の通り、埼玉県のW市に位置する。 東京から荒川を渡ってまもなくの駅である。 恐らく日本一小さな市として知られるW市は、どこか大都会の一角を占めている という自覚に欠けた下町風情を残している。 真琴はこの街が好きだった。 東京駅まで、3〜40分のこの地に真琴がここにマンションの一室を借りて 住み始めて、半年が過ぎていた。
今から半年ほど前、家族連れや恋人同士が、人々の羨ましそうな視線を 全く意に介さず街をそぞろ歩くクリスマスの近づいた頃、真琴は恋人と別れた。 振られたという自覚はある。 しかし、現実が受け止められず、銀座の歩道に立ち尽くしてしまった。 なんで、あんなことを言ってしまったんだろう。 彼女の気持ちは本当は自分にあったんじゃないか。
ああ、頭が混乱してきた。 あれって、どこからあんな話になっちゃったんだろう。
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