| 今日はショパンだわ。
ぼんやりと陶酔しきった頭の中でポツリとダレかが呟いた。 ゆっくりと瞬きをする。 酷く体が重い。 唇を動かす事さえできない。
唯一動く事ができる私の二つの瞳を…ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり…動かしてみる。
古びた畳。
テレビ。
天井のシミ。
新聞をメタメタに切り裂いたものが詰まっているゴミ箱。
潰れた空き缶。
…包帯
…ハサミ
小さな部屋、薄暗く肌寒い。
大音量のショパン。 『革命』
ピク、と指先を動かす。何か…何か柔らかいものに触れた。私の指先は私の傍らにあるナニカに触れている。仰向けで寝ている私の傍らのナニカ…
指先へと視線を這わせる。瞳をこらし、ゆっくりと…ゆっくりと…神経を集中させて。
ああ
嗚呼
茜。
茜。
血走った瞳をカッと開かせながら、彼女は私を、ただ、ただ、見つめていた。 微動だにしない。 白目の赤黄色い部分だけがギトギトと輝き、それがあまりにも克明な輝きで、私のぼんやりとした視界が現実の色味を帯びると共に、記憶が蘇ってきた。
ここは茜のアパート…
私は昨晩ここに来たのね…
そう、無言電話が一時間に二十はかかってきた。分かっていたの… そうだわ。
茜、泣いてた。 掠れた声音で… たったの電話の回線一つで繋がっているだけでは、不安で仕様がないと言うような…切羽詰まった声音だった。
「お願い……来てぇぇ……」
急いで化粧を直し、傘を持って、電車に飛び乗った。乗り継ぎを含め賞味一時間はかかる茜の待つアパートへと、必死になって、本当に…本当に…必死になって、向かった。
茜のアパートの最寄りの駅に着いた時…雨足は私が家を出た時とは比べ物にならない程強くなっていた。
愕然とした。
茜は、びしょ濡れになりながら、改札の向こう側に立っていたのだ。
その時既に、茜の瞳には薄い三日月が宿っていた。 食べられる、と思った。
改札を抜けた私の傘を、片手で開いたビニールの部分を、わし掴んで地面に叩き付けて、力いっぱいに抱き寄せられた。
「食べたいよぉ…ぉ」
ああ。
食べられる。
(携帯)
|