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■5897 / inTopicNo.1)  Danse Macabre
  
□投稿者/ 葉 軍団(108回)-(2009/05/22(Fri) 22:43:01)
    「―――県の発症者は二百人を超え、政府は隣接する県境に医療検問所を設置し、さらなる感染拡大を防ぐため……」

    もう珍しくもなくなったが、番組の最中に画面が臨時ニュースに切り替わり、私と来客の視線をそちらに向けた。
    「……異常を感じた方は、まず地域の保健所の相談センターにお電話して下さい。みだりに治療機関や人が集まる場所へ行かず、冷静な行動を……」
    私はリモコンに手を伸ばし、テレビを切った。
    「怖くないんですか」
    私の動作を目で追っていた来客が呟く。名刺は貰ったが名前は覚えていない。週刊誌の記者とだけは覚えているが。
    「……実感がないだけです」
    思ったままの事を私は呟く。怖いと言うなら、東京からはるばる爆心地にやってきた記者の方が怖いのではないだろうか。
    「早く帰られた方がいいですよ」
    まだ噂に過ぎないが、県境が封鎖されると聞いている。この県は東京からは離れているが、ここで発生したウィルスは異常に伝播が早い。国土のほぼ真ん中にありながら隔離されるのは当然であり、脅威だった。
    「飛んで帰りますよ、この取材が終わったら」
    記者は笑顔で答えるが、少し無理のある笑顔だった。
    「もう終わっているでしょう? 私、知ってる事は全部お話しましたよ」
    私は少々うんざりして言い募る―――食糧や日用品の買い出しも済ませている。会社にも行く必要はない。望まぬ来客を前にして、外出する口実がないのは不便な事だった。
    「……本当に、ですか」
    私と同じくらいの年齢だろう。垢抜けた身なりの女性記者は、声に少し力を込めた。
    「本当に、全部話して下さったんですか……?」
    私は無言で彼女を見つめる。


    互いを隔てるテーブルには、一枚の絵葉書が載っていた。

    (携帯)
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■5898 / inTopicNo.2)  Danse Macabre 2
□投稿者/ 葉 軍団(109回)-(2009/05/22(Fri) 23:43:58)
    「……<死の舞踏>。ハンス・ホルバインの木版画ですね」
    記者は絵葉書に目を落とし、呟いた。
    「15世紀のヨーロッパで蔓延した黒死病から生まれた概念―――死には老若男女・貴賤の区別はないという観念であると同時に、死を恐れ生への執着に我を忘れた人々の集団ヒステリーを描いたもの……でしたよね」
    「詳しいんですね」
    「美術史専攻でしたから」
    私たちは再び絵葉書に目を向ける。
    そこには、墓場で楽しげに踊る骸骨の群れが描かれている―――町人や貴族、若い娘……その衣装や装飾品、持ち物でしか素性が分からない。見ようによってはコミカルで、微笑ましい光景だ。
    「……似ていますね、今のこの国に」
    私が考えていたことと同じ事を、記者が口にした。
    「この感染症にも似ています。発症して3日から5日で敗血症を起こし、全身を黒い痣に染められて死ぬ―――ウィルス自体は未解明ですが、黒死病と呼ばれたペストにとても似ている」
    「よく似ているけど、どこかが違うらしいですね」
    気のない返事を私は返す。識者の推測なら、聞き飽きるほどテレビで聞いていた。
    「ウィルスは生き物だから、置かれた環境に適応するために変異を繰り返す。だから、従来の治療法で死滅しないウィルスも現れる……きっと、きりがないんでしょうね」
    「現れた時の対処を誤らなければね」
    記者は、私の呟きを遮った。
    私はぼんやりと彼女を見つめた。
    「感染症が発生した時、その発生場所を知るのが重要だとはご存知でしょう?」
    「感染の広がり具合から、それはもう不可能だとニュースで言っていましたが」
    「不可能でなかったら、感染の拡大を防いだり、感染者の致死率を下げる役に立つのかも」
    私はうなだれ、首を横に振る。


    「……私では、お役に立てません」
    記者は勢いを削がれてきれいに描いた眉をひそめ、恨めしそうな目で私を睨んだ。

    (携帯)
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■5899 / inTopicNo.3)  Danse Macabre 3
□投稿者/ 葉 軍団(110回)-(2009/05/23(Sat) 22:16:42)
    私の周囲のみならずこの国、そして世界が死神の引く黒い裳裾に覆われる予感の中にあっても、私の脳裏に浮かぶのはまったく別の光景だ。


    灼けつく陽射し。入道雲が浮かぶ青い空。陽射しを跳ね返して輝く濃緑の葉の群れ。白いTシャツにブルージーンズとスニーカーをつっかけた留津。


    「―――労働の後は、これしかないでしょ?」
    ダイエットの為に通い始めたスポーツジムの玄関だった。プールで泳ぎ疲れ、自販機で何を飲もうか迷っていると、横から出た手が硬貨を投げ入れ缶ビールを取り出すと、気持ちよい音をたてて蓋を開け、きゅーっと缶を傾けた。
    それがつい先刻まで、プールサイドの梯子イスに座っていた監視員だと気付くまでには時間がかかった。あまり泳ぎが得意でない為、恥ずかしくてそちらを見ないようにしていたからだ。


    その時はいい印象を持たなかった。一日千メートルだとか躍起になっていた頃だから無理もないが、もともと人見知りする方だった。
    しかしある時、泳いでいる最中に流れたBGMがやけに気になり、帰り際には受付にいた留津に声をかけた。
    優しく短い女性の歌声がイントロの、ヴァイオリンを基調にした流麗で美しい曲だった。
    私の問いに、留津は瞳を輝かせた。
    「ア・リトル・スコティッシュ・ファンタジー。ヴァネッサ=メイの」


    その時から、私は留津と親しくなった。

    (携帯)
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■5900 / inTopicNo.4)  Danse Macabre 4
□投稿者/ 葉 軍団(111回)-(2009/05/23(Sat) 23:50:25)
    郊外のスポーツクラブの近くの一軒家が留津の家だった。


    「もとは廃屋だったの。だから安かった」
    郊外と言っても元々が片田舎。さらにその外れだから、街よりも山や川が近かった。
    「夜は静かだし、ちょっと前までは蛍も出たよ。じきに鮎釣りの解禁だから、車が増える」
    私は最初は呆気にとられ、それから妙に納得した。小さいながらに縁側もある川べりの木造の平屋には不思議な温かみがあり、それは留津によく似合っていた。
    「家族は?」
    「いない。気楽なもんよ」
    留津は清々しくそう答え、働いては金を貯め、貯まったらバックパッカーをしていると語った。
    「昔は南米とかヨーロッパも行ったけど、ここ最近はもっぱらアジア専門。手近だからね」
    「……危なくない?」
    「危ない時もあるけど、好きだから。本当に危ない所はさすがに避けるよ」
    「すごいね、あたしには無理」
    「全然すごくないよ。普通に過ごしてる方がすごい」
    何の皮肉も、気負いも感じさせずに留津は言った。
    ―――普通に過ごしていく方が大変なこと。事あるごとに留津はそう言った。
    平凡に会社勤めして何とか自活している私には、目的のために働いて、リスクを負って好きな事をしている留津が羨ましく思えた。それを誇示せず、むしろ卑下するような態度にさらに惹きつけられた。


    「……またどこかに行く時は、今のジムは辞めるの?」
    CDやDVDを借りるついでに、ただぼんやりと過ごすために留津の家に行った時、そんな問いかけをした事がある。
    「どうしようかな……けっこう融通はきくんだけど、長くいるといろいろあるしね」
    「前に言ってたわね、ジムにいる綺麗な人がオーナーだって」
    その時に留津が目を反らした意味を知るのは、もっと後の事だった。
    「奈緒ちゃんはプールにしか来ないから、分からないと思うけど……」
    後から思えば妙に歯切れの悪い口調で留津は言った。
    「ジムには来ない方がいいよ。常連のサロンみたいになってるから」
    「行けないわよ。そこまで払えるお金ないもの」
    乾いた声をたてて留津が笑った。


    ……そんなやりとりも、あるにはあった。

    (携帯)
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■5905 / inTopicNo.5)  Danse Macabre 5
□投稿者/ 葉 軍団(112回)-(2009/05/25(Mon) 00:17:03)
    沈黙に耐えかねてテレビをつけると、見覚えのある顔が大映しになっていた。


    「どうして―――」
    プールの小学生向けの水泳教室に来ていた若い母親だ。これもまた見覚えのある病院の待合室でマイクを向けられ、悲鳴に近い声をあげている。
    「どうして大学病院にも行けず、お医者さんも来てくれないの?―――うちの子にはもう黒斑が出てるんです。こうしてる間にも……」
    その背後には、これまで映画でしか見た事がないような防護服の人々が右往左往し、それ以上の普段着の外来患者――老若男女問わず――がひしめいている。
    怒号や、何かを急かすも聞こえる。見覚えはあるけれど、それが近所の病院という気がしない。
    カメラが視点を切り替える際に、防護服姿の看護師たちが押すストレッチャーがちらりと映った。
    ……あの人も重症に陥ったのか。ジムの奥のサウナでは、女王のようだったのに。


    「あ……」
    ニュース速報を伝える短い音声に、記者が低く息を飲む。
    ―――隣接する三県に、それぞれ十数人ずつの感染者が確認された。
    そのうちのひとつには、国際空港がある……

    (携帯)
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■5906 / inTopicNo.6)  Danse Macabre 6
□投稿者/ 葉 軍団(113回)-(2009/05/25(Mon) 01:04:38)
    「若い子はいいわね、肌が綺麗で」


    いつもはシャワーを浴びるだけだが、たまにはと思って入ったミストサウナで、初めて『常連のサロン』の一人に声をかけられた。
    「ここでもエステはやってるけど、あなたは見ないわね。よそでお手入れしてるの?」
    他人を褒める必要がないほど艶やかな肌の女性にそう言われ、私はたじろいだ。
    ……幾つくらいなんだろう。雰囲気は三十代後半から四十代の初めくらいだが、恐ろしいくらいスタイルが良く、それを自覚している。
    「……何もしてないです」
    「あら、羨ましい」
    小さな声で答える私に向かって手を伸ばし、彼女は私の肩をつるりと撫でた。
    ―――悪寒が走った。単に撫でると言うものでなく、手の平で舐め上げるような触り方だった。
    「やめなさいよ」
    彼女の隣から、もう一人の女性が口を挟んだ。そちらも妙に艶があり、一見して普通の主婦や勤め人には見えなかった。
    「怖がってるじゃないの、可哀想に」
    「嫌ねえ。苛めたりしてないわよ……ねぇ?」
    私は身体を小さくすくめ、曖昧に頷くのが精一杯だった。
    「赤くなってる。可愛いのね」
    しかし後から口を挟んだ女性は、最初の女性の膝越しに身体を乗り出し、巻きつけたバスタオルがはだけるのも構わずにこちらに手を伸ばした。
    「肌が水気を弾いてる……やっぱり、若いと違うわね」
    身体を退く暇もなく、私はバスタオルを引き下げられて乳房を撫でられた。


    慌ててサウナ室を飛び出る背中に、淫靡な含み笑いが投げかけられた。
    無性に恥ずかしく、悔しかった。

    (携帯)
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■5907 / inTopicNo.7)  Danse Macabre 7
□投稿者/ 葉 軍団(114回)-(2009/05/25(Mon) 01:37:04)
    サウナ室での顛末を話すと、留津は呆れた顔をした。


    「だから、行くなって言ったじゃん」
    「あんなんだと知ってたら行かなかったわよ」
    留津は、しょうがないなあと呟いた。
    「それだから、知ってる人はあの時間帯にはジャグジーやサウナには行かないんだよ。苦情もあったけど……でも、あの常連はオーナーの友達だし」
    「どういう人達なの?」
    触られた不快感がまだ消えない私が眉をひそめて尋ねると、
    「有閑マダム」
    と留津は一言で言い切った。
    「いろんな人がいるよ。美容院のオーナーとか、スナックのママとか……うちのオーナー、エステもやるじゃん。そういう付き合いの人達だろうけど」
    「……何か、嫌な感じだった」
    溜め息をつく私の膝に、留津は色鮮やかな布―――インド在住の知人を介して買って貰った生地―――を投げかけた。
    「お金も暇もある人達の中には、そんな人もいるって事だよ」
    納得したわけではないけれど、私はしぶしぶ頷いた。



    (携帯)
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■5908 / inTopicNo.8)  感想
□投稿者/ 真理 一般人(6回)-(2009/05/25(Mon) 20:26:04)
    また続き、楽しみにしています^^

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■5909 / inTopicNo.9)  NO TITLE
□投稿者/ 葉 軍団(115回)-(2009/05/25(Mon) 22:27:26)
    いつもありがとうございます。

    なかなかまとめて書けませんが、お暇な時に見てやって下さい…

    (携帯)
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■5911 / inTopicNo.10)  Danse Macabre 8
□投稿者/ 葉 軍団(116回)-(2009/05/25(Mon) 23:16:01)
    梅雨が来て、細かい雨が静かに降る日が続くと、留津の家は水の中にあるようだった。
    「川の音が凄いね」
    普段から水音はしているが、雨が続くとせせらぎが濁流になる。滝の近くにいるような感じだった。
    「洗い流されるような気がして、気持ちがいいよ」
    縁側でのどかに切り花を活けながら留津は言った。
    「出口のない水は濁る。流れる水はいつか海に着く……」
    「何かの詩?」
    「適当に言っただけ」
    留津は紫陽花を活けた小さな水盤を持ち上げ、奥に運ぶ。中古の家についてきた小さな古い仏壇に、留津は律儀に供花を欠かさなかった。


    「立派なお墓や仏壇を作っても、いつかは世話する人がいなくなる。そう思うと切ないよね」
    供花を置いて戻って来た留津が呟いた。
    「自分の時は、灰を川に撒いてもらえりゃいいや」
    「海まで行けるかしら」
    まぜっ返す私に、大真面目に留津が答える。
    「蒸発して大気に混じって、また雨になって降ってきて、その繰り返しかな。それも悪くない」
    「酸性雨になって降って来るかもよ」
    家を訪れてもこうした他愛もない話しかしなかったが、そういうひとときが何故かひどく心地よかった。


    「天気のいい時なんかはさ」
    縁側から見える山の木立を指差し留津は言う。
    「ああいう葉っぱがざわざわ揺れてると、今度生まれる時はああなりたいと思ったりする」
    「自分で動けなくて嫌じゃない?」
    「意識も自我も、もう要らない。それならいいよ、ああいう人生も」
    そして互いにぼんやりと、雨に煙る景色を眺めた。


    厭世的な口調ではなかった。そういう物言いをする人ではなかった。ただあるがままを肯定し、同化を願うような人だったと、今でも思う。


    今でも……



    (携帯)
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■5913 / inTopicNo.11)  Danse Macabre 9
□投稿者/ 葉 軍団(117回)-(2009/05/26(Tue) 22:42:47)
    ……最も古い黒死病の記録は、西暦540年代前半のエジプトから始まる。


    鼠を宿主とするペスト菌が蚤などを媒介して人間に取り憑くこの感染症は、その後19世紀にワクチンが開発されるまで周期的に猛威をふるい、特に中世ヨーロッパでは村や町が壊滅するのも珍しくなく、当時の人口の三分の一を葬り去るほどの厄災となった。


    西欧人が免疫を持たなかったこの病は、西欧に侵攻したモンゴル軍や、中東遠征から帰還した十字軍兵士がもたらしたとも言われる。14世紀の大流行では、臨終の際に赦しを与える司祭や僧侶、棺桶さえもが極度に不足し、埋葬もできないほどに溢れる死者の上には粗末な鉛の十字架が直に置かれて弔いとされた。


    西欧での大流行に歯止めをかけたのは17世紀の「ロンドンの大疫」。疫病を運ぶのが鼠だとは誰も知らぬまま、ロンドン市街を焦土と化した大火事が、汚染された街を浄化した……

    ―――いいのか悪いのか分からないような話だな。
    そこまでPCで検索して知った時、私はひっそりと溜め息をついた。

    (携帯)
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■5914 / inTopicNo.12)  Danse Macabre 10
□投稿者/ 葉 軍団(118回)-(2009/05/26(Tue) 23:16:16)
    「……この感染症が公になる前に、この町で死者が出ていますね」


    訪問されてすぐに言われた事を、記者は繰り返す。
    「本来ならすぐに保健所に通報するべきだったのに、病院の医師はそれをしなかった。亡くなったのはその女医の友人。二人とも、同じスポーツクラブに通っていた」
    「……それは知りませんでした」
    私も同じ言葉を繰り返す。
    (―――あの時、女医さんはいなかった)
    「私たちはクラブの会員と、その利用歴を調べられるだけ調べました―――この町の初期の感染者のほとんどが会員で、同時期にクラブを利用していた事も分かっています」
    私は何も答えない。
    (―――それでも、感染は人を選ばなかった)


    「あなただけなんです」
    繰り返された言葉だが、込められた苛立ちが私を現実に引き戻す。
    「感染が発生した時期にクラブを利用して、感染していない会員はあなただけです。あと―――」


    あと、恐らくはもう一人。
    あの日以降に出勤したクラブの職員は、全て感染した……

    (携帯)
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■5915 / inTopicNo.13)  Danse Macabre 11
□投稿者/ 葉 軍団(119回)-(2009/05/27(Wed) 00:21:20)
    平日に休みがある仕事の私は、比較的空いている平日の午後にプールに来る事が多かった。


    その日は留津は受付にいたが、館内には私の好きな曲を流してくれた。一時間あまり泳いだ後、心地よいけだるさの中でシャワーを浴び、ロッカールームに足を踏み入れた。
    くすくす、というくぐもった笑い声がすぐに聞こえた。
    ロッカールームは広い。最初は他に着替えている人達がいるんだろうと軽く思ったが、バスタオルで髪を拭う手が自然に止まった。
    「やだぁ……」
    聞き覚えのある声だった。
    私は無意識に水着の上にバスタオルを固く巻きつけ、自分のロッカーからそっと離れた。
    立ち並ぶロッカーのいくつか先まで息をひそめて歩み寄り、恐る恐る顔を覗かせ、凍りつく。


    「駄目だってば……」
    二人の女性がロッカーにもたれ、戯れている。
    片方はこの間、サウナにいた女性。もう一人は初めて見る。どちらも半裸で乳房は露わ。どちらの手も相手の乳房に伸びている。
    「たまには違った場所もいいじゃない……ほら…」
    「いいけど……早くね」
    一人が相手の胸元に屈み込み、片手で乳首を弄りながらもう一方を唇に含む。そのまま頭を上下させ、指先がやわやわと動き出す。
    「ん……ああ…」
    愛撫を受ける女性がうっとりと目を閉じ、背中をロッカーに押しつける。
    「やだ、冷たい…」
    「すぐに平気になるわよ」
    顔を上げた女性がにやりと笑い、自分の乳房を両手で持ち上げ、乳房と乳房を擦り合わせる。
    「―――あ、あっ……」
    離れた場所からでも唾液に濡れた乳首が尖り、粘りつきながら擦れ合うのが見える。
    「あ……ああ、いい…」
    互いの乳房を捧げ持ち、敏感な部分を擦り合わせるうちにロッカーにもたれた女性の両脚が自然に開き、時折爪先立ちになる。もう一人がゆっくりと相手の腰を抱き、舌でちろちろと乳首を舐め上げ、舐め下ろす。
    「ああ…いい……」
    「早く終わりたい?」
    「いや……もっと…」
    「ほら、やっぱり…」
    舌技をふるう女性はくすくす笑い、すうっと跪く。
    覗き見する私の身体の奥が、ぞわりと疼いた。
    「―――あっ……」
    跪いた女性がロッカーにもたれる女性の脚の間に顔を埋め、乱れかける腰を抱きしめた。その頭がゆっくり動き始めると、漏れる喘ぎが激しくなった。
    「あっ―――あ、あ……はあ…あ」
    耳を塞ぎたいと思ったが、無理だった。頭にぼんやりとモヤがかかったようになり、喉がからからに乾いていた。

    (携帯)
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■5916 / inTopicNo.14)  Danse Macabre 12
□投稿者/ 葉 軍団(120回)-(2009/05/27(Wed) 00:46:41)
    「だめ―――ねえ、もう……」
    下着を足首に纏わりつかせ、淫らに掲げた爪先でもう一人の背中を撫でながら、甘くねっとりした哀願が辺りに響く。
    「ねえ、お願い……もう――ああ…」
    恍惚と上半身を仰け反らせ、その手は自らの乳房を揉みしだき、指先で乳首を擦り上げる。
    バスタオルを掻き合わせていた私の指はいつしか水着の中に滑り込み、彼女と同じ場所をさまよい始める。彼女が自ら与える刺激と、もう一人から与えられる快楽の源に……


    「ああっ―――」
    ロッカーに身体を押しつけた女性が短く叫ぶのと、私が背後から腰を抱えられるのが同時だった。
    振り返りざまに思いがけない女性の顔を見て、私は反射的に身をよじって駆け出した。


    しばらく経って受付のあるホールに出ると、事情を知らない留津が笑顔で手を振っていた。

    (携帯)
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■5917 / inTopicNo.15)  面白い
□投稿者/ 瑞穂 一般人(1回)-(2009/05/27(Wed) 13:43:31)
    葉さんの小説、大好きです。
    ぜひ、続きお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■5918 / inTopicNo.16)  NO TITLE
□投稿者/ 葉 軍団(121回)-(2009/05/27(Wed) 22:07:00)
    そう言って頂けると嬉しいのと恥ずかしいのとでえらいことになります。

    何とかの一つ覚えですが、ありがとうございます…

    (携帯)
引用返信/返信 削除キー/
■5919 / inTopicNo.17)  Danse Macabre 13
□投稿者/ 葉 軍団(122回)-(2009/05/27(Wed) 22:51:02)
    「―――元気ないね」
    車のハンドルを手繰りながら留津が呟く。


    「誘ったら悪かったかな?」
    「そんな事ないよ」
    よく晴れた日の、日本海沿いの国道をゆくドライブの最中だった。
    陽射しは強いが、まだ海開きはしていない。渋滞もなく人の姿も少ない海辺の景観は、心が晴れない筈がないものだった。
    「……この頃プールにも来ないけど、何かあったの?」
    「何もないよ」
    私は頑なに首を振る。
    「……少し忙しくて、疲れてただけ。もう夏バテしたのかな」
    「それならいいけど……」
    私に向けていた目を前方に戻し、留津は緩やかなカーブをいくつかやりすごした。
    「―――私もさあ」
    不意に口調を変えて留津が言う。
    「あのクラブ、そろそろ辞めようかと思うんだ」
    私は顔を上げ、留津の横顔を見つめた。
    「旅に出るの?」
    「うーん……」
    留津は煮え切らない声をあげた。
    「それもいいんだけど……そろそろ潮時かな、なんて思ったり……」
    一つの職場で過ごすのは、鋳型に自分を嵌め込むようなものでしょう?と留津は言った。
    「勤め始めて、しばらくは鋳型に嵌るように努力して……で、あらかた嵌った辺りで息切れが出てくるんだよね」
    「何となく分かるわ」
    私の呟きに、留津はちらりと笑みを返した。
    「いかにも怠け者の言い訳なんだけどね。大抵の人は息切れしても踏ん張ってるし」
    私は踏ん張っている方だが、仕事や生活の愚痴は留津よりはるかに多い。
    留津はほとんど愚痴を言わない。客や同僚の悪口も口にしない。初めは単に口が固いのかと思っていたが、徐々にそういう性質なのだと感じるようになっていた。だから、潮時だと聞いたのは少し驚きだった。


    「……疲れたの?」
    恐る恐る、私は尋ねた。
    仕事を楽しんでいるように見えていたのに。
    留津はちらりと私を見て、苦笑いした。
    「ちょっとね」
    仕事を―――生活を楽しんでいるように見える人は、その裏では際限もなく神経を擦り減らしているのかもしれない。


    そんな事を、初めて思った。

    (携帯)
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■5922 / inTopicNo.18)  Danse Macabre 14
□投稿者/ 葉 軍団(123回)-(2009/05/27(Wed) 23:57:43)
    それまでエニグマの伸びやかな「リターン・トゥ・イノセンス」、ひそやかなDeep Forestの「スイート・ララバイ」といった楽曲を流していた留津が、不意に大仰なクラシックを車中に流した。


    「聴いた事あるわ、これ」
    「フィギュアスケートで結構流れるね」
    派手でどこか滑稽味のある交響曲を、サン=サーンスの「死の舞踏」だと留津は言った。
    「中世ヨーロッパでペストが流行った時の様子を曲にしたんだってさ。La Danse Macabre。英語ではDance of Death、ドイツ語ではTotentanz……リストも、同じ題で曲を作ってる」
    「たくさんの人が死んだ病気で、こんな明るい曲を?」
    訝しむ私に、留津は言った。
    「曲自体はずいぶん後に出来たものだけど、あまりにも酷い事があると、もう笑うしかないって時もあるよね」
    曲に描かれているのは踊り狂う骸骨の群れ。夜明けと共に墓場に帰る―――と留津は続けた。


    「よその国で、似たようなものを見たよ」
    何気ない口調だった。
    「何の病気か分からないけど、流行り病で死んだ人を投げ込む穴があって―――すごい数のね。で、その穴の縁では、賑やかなお祭りをやってるの。強烈だったよ」


    ―――生者は死を恐れて狂騒し、死者は逃れる場所などないと嘲笑し、生者をさらに狂乱に陥れ……


    車に乗っているだけでも汗ばむ陽気なのに、私はなぜだか寒気を覚えた。

    (携帯)
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■5923 / inTopicNo.19)  Dance Macabre 15
□投稿者/ 葉 軍団(124回)-(2009/05/28(Thu) 23:05:18)
    「……海外に行くほどのお金がない時に、よく来たんだよね」
    敦賀の街を抜けて常神半島に入り、その先端に近い海水浴場でしばらく過ごした。
    「大抵、夜通し走ってここまで来るの。疲れたら路肩で寝たりして」
    砂浜で靴を脱ぎ、足を冷やしながら留津が言う。
    「よく拉致されなかったわね」
    「不審船なんて見た事ないよ、夜釣りの人か、カップルくらい」
    海無し県民の私には、水平線や潮の香りはやはり格別だ。足首から下を波が行き帰する感触と、足の下の砂が心地良い。
    「やっと笑った」
    留津の言葉に顔を上げる。彼女は、こちらを向いていなかった。
    「―――何があったか、大体分かるよ」
    私は息を飲む。
    返す言葉も見つからない。
    「ちゃんと言っておけば良かった。私が悪い」
    私は何も言えずに立ちつくす。
    言いたい事はあるのに、言葉にならない。
    「あの人たちは好きでああしてるから何も言う気はないけれど、奈緒ちゃんは違うでしょ。だから……もう来ちゃ駄目だよ。あそこには」
    「―――あのね、留津」
    私は声を絞りかけた。だが、留津は私に背を向けたままで腰に手を当て、調子外れの大声で歌い始めた。
    「―――波のぉ、まにまにぃ、命の花があ―――」
    私は呆れ、釣られて笑った。


    「頑張って新潟まで北上すると、翡翠の原石が採れる海岸があるよ」
    「行きたい。今度はそこにしようよ」
    海は穏やかに凪いでいた。
    それが、私の知っている留津との最後の光景だった。

    (携帯)
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■5924 / inTopicNo.20)  Dance Macabre 16
□投稿者/ 葉 軍団(125回)-(2009/05/28(Thu) 23:48:58)
    「―――総理官邸から、緊急会見の模様をお伝えしました」


    私も記者も、喋る気力もなくテレビの画面を眺めている。
    感染者数は増える一方だ。そして明らかに私がいるこの県から、物凄い速度で拡大している。


    聞き覚えのある曲が流れる。

    ―――Carly don't be sad
    Life is crazy
    Life is mad
    Don't be afraid……

    荘厳なグレゴリオ聖歌と硬質なクラブミュージックが溶け合う旋律は、エニグマの「カーリーの歌」だ。

    カーリー、悲しまないで
    人生は狂っているの
    人生は狂気の沙汰なのよ
    怖がらないで……


    「冷静な行動を心がけて下さい」
    ある時点から、どのチャンネルでも同じ言葉が流れるようになった。
    「このウィルスは遺伝的なものではありません。また、特定の地域からしか発生しないウィルスでもありません。感染者には偏見を持たぬよう……」

    迫害が始まる。中世ヨーロッパでは異民族ゆえの偏見が黒死病を広めたとの風評に直結し、多くのユダヤ人が虐殺された。この国でも関東大震災の直後には、マイノリティだった朝鮮人が同じような目に遭った。先進国民と気負う私たちには、死や病を気枯れ(穢れ)とみなす遺伝子が染みついている……


    ―――Carly don't be sad
    That's your destiny
    The only chance
    Take it, take it in your hands……

    カーリー、悲しまないで
    それがあなたの運命
    チャンスは今だけ
    捕まえて、しっかり手で掴むのよ……


    私は、胸のうちでひっそり呟く。
    最後のチャンス―――そうかもしれない。
    でも、何の?……

    (携帯)
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