| 藤原四季は、将来化学の高校教師を目指す大学4年生。22歳。 小学生の頃から理科でやる実験が好きで、ずっと何年も憧れていた職業だった。 子供も好きだし、先生や両親の薦めもあって目指し始めた職業でもある。 今年は今までの勉強の仕上げとして、教育実習がある。 それが今日から始まる、私立桜華高校での教育実習だ―――――。
「それじゃあよろしくお願いしますね、藤原さん」
朝の職員会議で紹介された私は、教頭である前澤悦子に呼び出されていた。 悦子は40代後半だが見た目は30代後半、つまり10歳ぐらい若く見える女性だった。 厳しそうな雰囲気を醸し出していて、黒髪を後ろで丸く結んでいる。 パッと見が厳しそうなのは、多分彼女が使用している黒縁眼鏡のせいだろう。 そんな悦子が座っている、職員室の1番奥の黒板の前、ドアから真っ直ぐ行ったところ。 そこの前に立たされている四季は、これから担当の2年3組の教室へ向かう。
「はい・・・出来る限り頑張ってみます・・・・」
実はついさっき、本来2年3組を担当している教師が入院したことを聞かされた。 何でも昨日車で事故に遭って、2ヶ月ぐらい入院が必要な重体らしい。 それを聞いた途端、四季のテンションは下がってしまっていた。 しょうがないということで、四季が2年3組の担任代理に任命されたからだ。 これも経験のうちよ、と笑って見せた悦子は、四季に断らせてはくれなかった。 何でこんなことになってしまったんだろう、と、四季は何度目かの重い溜息をついた。
「じゃあ、2階の教室に向かってちょうだい。早くしないと、遅れてしまうわよ?」
そう言われた四季は、もう決まったことなんだからと自分に言い聞かせて職員室を出た。 しかし、楽しみにしていたはずの教育実習だったのが、一気にどん底の地獄だ。 教室の位置は分かっているものの、正直行き辛いというのが四季の本音だ。 だが教師になった後、四季もいつかは担任になる可能性がある。 その予行練習だと思うと、いくらか重かった気分が軽くなった気がした。
職員室の向こう側にある階段を下り、2階の教室へと行くのは簡単だった。 あっという間に静かな教室の前に立った四季は、何回か深呼吸を繰り返した。 大丈夫、問題児クラスなんじゃないんだから、と自分を落ち着かせる。 女子校だし、共学のように乱暴な生徒もいないだろう、大丈夫。 どきどきとうるさい心臓をなるべく意識しないようにして、ドアをガラッと開けた。
「お・・・おはようございまーす」
教室中の生徒達が、一斉に黒いスーツ姿の四季の方に視線を向けた。 途端にひそひそと近くの人同士で話す声が聞こえ、緊張がピークに達しそうだ。 痛いほどの視線を浴びながら、四季は教卓の上に持っていた出席簿を置いた。 すると、ひそひそ声はおおかた止まって、緊張し切っている四季を見つめ続ける。
「今日から教育実習生として来ました、藤原四季です。担任の先生が今日から入院するということで、私が担任代理を務めることになりました。 本来なら2週間で実習期間は終わりですが、先生の入院期間が2ヶ月のため、特別に2ヶ月間この学校で実習をします。 まだまだ教師として足らないことばかりですが、よろしくお願いします」
そういってお辞儀をした四季に、温かい拍手がクラス中の生徒達から送られる。 ほっとしながら顔を上げると、中央の列の1番後ろの生徒が手を挙げていた。 四季は教卓の右隅に貼られた座席表を見ながら、手を挙げている生徒の名前を呼んだ。
「えーっと・・・・篠塚、玲さん」
「藤原先生は、独身ですか?」
え?と四季が固まる中、クラス中から期待を込めた視線が四季に注がれる。 かっこいい男性教師なら年頃だし分かるが、同姓の教師である自分にされるとは思わなかった。 しかし、自分のことを知ろうとしてくれるのだから、誠意を持って答えなければならない。 それに女子校だから、自分が通っていた共学とは感覚が違うのかもしれなかった。
「私は独身です。ちなみに恋人もいません」
昔友達から聞いた、『女子校や男子校は、レズやホモが多い』という噂が頭の隅を掠めた。 しかし、それはただの噂。そんなわけはないだろう、普通に異性の恋人がいるはずだ。 何でそのことが今この時に脳裏を掠めたのか、四季本人には全然分からなかった。 多分、自分の恋愛について同姓の生徒から質問を受けたせいなんだろう。
「じゃあ、募集中ってことですか?」
「そうですねー、募集中ってところかな」
その答えに、再びクラス中の生徒達がなにやらざわざわと騒ぎ始めた。 何でこの答えで騒ぎ始めたのか分からないまま、なんとか四季は静寂を取り返す。 女子校に通っていたという友達に何か聞いておけばよかったと後悔しながら、朝礼を終えた。
朝礼後、1限目の授業の準備をするために職員室に戻った四季に、悦子が近寄って話しかけた。 四季はこれから、さっき朝礼を済ませた2年3組で授業を始める予定になっているのだ。
「朝礼だけだったけど、どうだったかしら。2年3組の様子は」
「共学に通っていたのでまだ戸惑いはありますけど、いい子達そうで安心しました」
「そう、なら良かったわ。じゃあ、これからも引き続きよろしく頼むわね」
「はい、分かりました」
笑顔を浮かべている四季が職員室を出て行くのを見ていた悦子は、誰にも聞こえないように呟いた。 その一見クールに見える美しい顔に、にやりとした微笑を浮かべながら。
「いい子達ばかりだといいけどね」
そんな悦子を見たこの学校の教師の1人、数学担当の大宮晴香がくすっと笑いを零した。 晴香は教師歴6年目の教師で、もう31歳になろうとしている教師だ。 四季にあてがわれた席の隣を使っている晴香には、悦子の顔がよく見える位置なのだ。
「教頭も意地悪ですよね・・・わが校の『秘密』を教えてあげないなんて」
「あら大宮先生、そちらの方が楽しめるじゃない。私達も、生徒達も・・・・」
「確かにそうですけどね。逃げられるよりは断然マシですよ」
「ふふ・・・・・藤原さんも可愛そうな人ね。運が悪かったわね」
そう言った悦子も晴香も、歪んだ笑みを浮かべた。
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