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真っ白い壁に明るい色の木の扉、そして扉の右側につけられた銀のプレート。 パッと見はカフェか何かのような温かな外見だが、見かけ騙しの店だ。 銀のプレートに黒く細い線で優雅に刻まれた、「Zero」という筆記体の文字。 20時から7時間の間だけ開かれる、その扉の奥の世界とは――――――
『Zero』
軽い木の扉を開けると、カランカラン、と軽やかなベルの音が響く。 中はカフェというよりはバーのような明るさで、仄かに薄暗い。 入って右側に木製のカウンターがあり、いくつかの椅子が並んでいる。 銀と黒の脚が細く背もたれのある円形の椅子で、座り心地は抜群だ。 反対側には、ガラスのローテーブルと黒と白のソファーが置かれた席や、 黒い木製のテーブルと白の椅子が置かれた席が設置してある。
「いらっしゃいませ。宜しければ、お荷物をお預かりします」
深くお辞儀をしながらそう申し出てきたのは、この店で働く店員の女性。 白いフリルのヘッドドレスが、胸元まである艶やかな黒髪を引き立てている。 内側に緩くカールされた髪が散らばる胸元には、きっちりと結ばれた赤いリボン。 白と黒のメイド服の丈は短く、かがんだらスカートの中が確実に見えるだろう。 ぴったりと揃えられた足の膝から下は、ヒールのある茶色いブーツが覆っている。
「では、このカバンを」
「畏まりました。確かにお預かり致しました」
メイドは目の前でロッカーにカバンを入れ、続いてしっかりと鍵を閉めた。 渡された銀の鍵には細かい装飾が施され、「12」という番号が刻まれている。
「そちらの鍵はなくさないようにお願い致します」
再び深いお辞儀をするメイドを横目に、空いていた近くのカウンター席に座る。 カウンターの中には、淡いピンク色のラメ入りのドレスを纏った女性がいた。 深い栗色の真っ直ぐな髪は後頭部でまとめられ、背中まで垂らされている。 胸元には鮮やかな青いバラのコサージュが飾られ、白い肌とドレスを際立たせる。
「初めまして。それとも、どこかでお会いしたかしら?」
にこり、と微笑むその顔は、絵画や彫刻にある女神か何かのように美しい。 ナチュラルメイクが施されたその顔は、1つ1つのパーツが整っている。 照明を反射して潤う薄いピンク色の唇が色っぽく、何となく視線を外した。
「・・・いいえ。初対面です」
「ならよかった。私はこの店のオーナー兼バーテンダー、丹崎麗と申します」
整えられた明るいベージュ色の爪と綺麗な手が、1枚の名刺を差し出した。 こちらも黒いスーツの胸ポケットから名刺入れを取り出し、名刺を差し出す。 受け取った白い名刺には、店の名前と番号と、そして名前が書かれていた。
「岸本祐里香さん、と仰るのね。今日はどうしてこちらに?」
「口コミでこの場所を知りまして、気になったものですから・・・」
「そうなの、この店も有名になってきているのね。嬉しい限りです。 ここは女性専用の店だから、どうぞゆっくりなさってね」
にこにこと人懐っこい笑みを浮かべるオーナーが、メニューを渡してくれた。 ソフトドリンクやお酒だけでなく、様々な種類の食事が用意されているようだ。 その中からオレンジジュースとオムライスセットを注文し、周囲を見渡す。 先程より数人の客が増えたようで、半分近くの席が埋まってきている。 腕時計を確かめると20時半を少し過ぎた頃だから、まだまだ増えるだろう。
しばらくすると、デミグラスソースがかかった半熟のオムライスが運ばれてきた。 そしてサラダとコンソメスープ、オレンジジュースが続々と運ばれてくる。 絶品料理を口に運んでいると、21時頃、遂に店内は満席に近い状態になった。 そして料理を食べ終わってしばらくした21時半頃、突然店内の照明が消えた。
「えっ・・・」
「あら、あなた初めて?」
突然のことに小さく声を漏らしてしまったのを聞かれたのか、声をかけられた。 右隣に座っている見知らぬ女性は、恐らく自分と同じぐらいの年齢の女性だ。 その人も1人で来たようで、それまで誰とも喋らずに時間を過ごしていた。
「ええ・・・口コミでここを知って来たんですけど、驚いてしまって」
「大丈夫よ、これから数回にわたってショーが行われるの。これが1回目よ」
「ショー、ですか・・・?」
「そうよ」
ゆっくりではあるが照明の明るさが戻り、その女性の顔が見えてきた。 黒縁の眼鏡をかけた女性のボブヘアーに整えられた髪は、金髪に染められている。 銀の十字架の大きめのピアスが髪の毛の合間からちらつき、揺れている。 全身を黒で包んだヴィジュアル系か何かのような出で立ちは格好いい。
「私は四ノ宮ハルカ。ハルって呼んで頂戴」
「ハル・・・さんですか。私は岸本祐里香といいます」
「祐里ちゃんね・・・了解。今日は1人?」
「ええ」
「奇遇ね、私も1人なの。一緒に楽しみましょう」
「ありがとうございます」
そうこうしているうちに、周りの客から拍手が巻き起こった。 何事かと彼女たちの視線と同じ方向に視線を向けると、ステージが出来ていた。 恐らく、床がせり上がったのだろう、今まであそこには何もなかったから。 そしてステージの中央部には、1人の儚げな美しい女性が立っていた。 日焼けとは無縁そうな白い肌に、真っ赤な口紅、真っ黒で真っ直ぐな長い髪。 赤い着物を花魁のように着崩している彼女は、ゆっくりとその場で回ってみせた。 頭の真上で髪は団子にされ、梅をモチーフにしたかんざしが刺さっている。 そこから垂れている1束の髪は、真っ直ぐ彼女の腰辺りまで伸びている。 少し引きずっている赤い着物には黒いアゲハ蝶が描かれており、何とも妖艶だ。 目尻の細いアイラインとぼやけた赤、真っ赤な唇も卑猥で、目が離せない。
「あの方は私たちの間ではファンも多くて有名な『AKI』様。お美しいでしょう?」
「ええ・・・とっても」
「彼女を中心にショーが展開するのよ」
そんな美しく妖艶な彼女は、ステージ右側の黒い革張りのソファーに腰掛ける。 そしてゆっくりとその細長い足を組み、観客に微笑んでみせた。 するとステージ左側から1人の女性が四つん這いで姿を見せ、再び拍手が起こる。 赤い革の目隠しとボールギャクを施された女性は、何と何も着ていない。 赤い首輪からは銀の細い鎖が伸び、彼女が進む度にじゃらじゃらと音が鳴る。 手首と足首には黒いベルトが締められ、その間には銀の棒が挟まれている。
「ふふふ、驚いているようね」
「これは・・・?」
「知らなかったの?ここは俗に言う『SMバー』よ、これは調教ショーなの」
ただのバーとしての口コミしか知らなかったため、頭が追いついてこない。 とりあえず隣に座るこの女性の大丈夫、という言葉を頼りに、無理矢理落ち着く。
「四つん這いになっているのは『ミチル』。彼女も人気者の1人」
明るめの背中まで伸びた髪の毛を揺らしながら、ソファーに近づく『ミチル』。 そして指が当たったことで『AKI』の居場所を悟った彼女は、顔を上げた。
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