| 『キスマークはつけないであげる』
あの時、確かに貝原先生はそう言っていた。 なのに、どうして…?
ふと、目の前に佇む円の口元が緩むのを確認すると、 彼女はふっとこぼしたように笑みを浮かべた。 「やっぱりね…」 先ほどまで怒っていたように見えたのに、いまは笑っている彼女を 訝しげに見つめる來羽の思考回路は、すでに破裂しそうである。 「貝原先生のしないは、するかもしれないと同じ意味なのよ」 「え?」 突然、何を言い出すかと思いきや、円はそのようにきっぱりと告げる。 そういえば、彼女たちは血縁関係にあるのだ。 「昔からそうだったわ…」 遠い目で記憶を回想しているのか、円の瞳はどこか虚ろだ。 でも、來羽には円の云わんとしていることが何となく理解できた。 保健室で貝原先生に押し倒された時も、今回のキスマークも、彼女は 最初からそのつもりだったわけではなかったのだろう。 現に彼女自身が「気が変わった」と話していたのだから。
それにしても、校医はかなり面倒なことをしてくれたものである。 そう思わずにいられないほど、來羽の疲労はピークに達しつつあった。 これまで見たこともないような美人揃いで、 現実離れした世界観が拡がるこの学園での生活は楽しみであったけど、 同時にこれまでだと起こりえないような騒動に巻きこまれている環境に 嫌悪感すら抱くことになりそうだった。 憧れの大人の(もしくは大人びた)美しい女性たちと親しくなれるのは、 この上なく光栄なことだ。 しかし、だからといって女性が普通に女性を求め愛おしむ日常があることを 十数年生きてきた人生の中で、予想だにしていなかった。 その現実をいきなり衝きつけられ、洗礼を浴びるかのごとく 彼女たちの情事に付き合わされている。
「彼女が何を言ったとしても関係ないわ。私は、あなただけは譲れないから」 途端に、來羽は胸の奥が締めつけられるような想いに包まれた。
これって、告白されたの?
心拍数だけならもはやドキドキする、などというレベルは超えていただろう。 來羽は戸惑いと息詰まるような感覚に目眩を起こしそうだった。 憧れてやまないサラサラの黒髪に、人形のように整った顔立ち。 長身でありながら女性らしいメリハリのあるくびれが美しく まさに麗人と表現するにふさわしい同い年の女の子。 いつかは彼女のような大人の女性になって、そして… 彼女のような美貌があれば、と何度も羨ましがった。 髪の毛の一本から指の爪先まで、何もかもが自分とは違っていて 非現実といわれようとも彼女のような外見が手に入れば、と 來羽は本気で願った時期もあったのだ。 願ったけれども…こんなカタチで叶うなんて誰が予想できただろうか。
声を押し殺して黙っている來羽を静止して見つめていた円は、 ふうっと息を吐きながらながらこう漏らした。 「最初にも言ったけど…あなたの唇、本当に美味しそうよね」 だから欲しくなってしまうのだ、という説明を最後までしないまま、 彼女はそのまま再び口づけてきた。
|