| 2009/06/01(Mon) 21:22:13 編集(投稿者)
「動かないで」
低く抑えた声で留津は言い、私を引き寄せて手の平で口を塞いだ。 「あの人達がそこを通るから、声を出さないで」 そんな言葉をかけられなくても、声など出なかった。 どうして、今ここで留津に会わなければならないのか。これならまだ、ぼろぼろになった昨夜の方が百倍ましだった。私は今、自分の意志でここに来たのだから…… 「放っといて」 頭を振って留津の手を払い、私は吐き捨てた。 「分かってるんでしょ? 私がなんでここに来たか―――だから放っといて。見ないで」 「……黙って」 留津は再び私の肩に腕を回して抱え寄せ、口を塞いだ。 閉じられたドアの向こうで、複数の女性の気配がした。 話し声や足音が間近に聞こえては遠ざかり、それが幾度か繰り返される。 私は思いがけぬ強い力に押さえられながら、ドアの隙間から漏れる非常灯に照らされた留津の横顔を見つめた。
私はおののいた―――初めてこんなに間近に見るその顔には表情がない。冷ややかで、冷酷と言ってもいいほど醒めていた。 私は混乱した……これは本当に留津なのか? あの女性達が何かを目論んで、留津に化けているのでは? そんな突拍子のない疑念が湧くほどに、目の前にいる留津はいつもと違っていた。
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