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■6026
/ ResNo.40)
愛琳の家・35
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□投稿者/ 葉
ファミリー(181回)-(2009/06/30(Tue) 22:56:00)
「何だ、これは……あんたは知ってたのか? こんな所に……」
事業所の窓口で粘っていた男は身体をずらし、黒い土を掻き分けた地面を指差した。
「……蠅と、烏がたかってたんだ。もしやと思って来てみたら、指先が―――」
私は近付きもせずに上を見上げた。追い払われてなお、数羽の烏が未練ありげに空を舞っていた。
……臭いだけで分かる。泥まみれの青白く膨れた手指も見えているが、この腐臭には何の感慨もない。よく知っている臭いというだけだ。
「おい、何とか言え」
だが、激上した男が土中から掴みあげた物には少し驚いた―――男はそれを私に投げつけた。完全に原型を留めた頭蓋骨は鈍い音をたて、石畳に転がった。
「まだあるぞ―――ひとつやふたつじゃない。女房だけでなく、一体何人埋まってるんだ?」
男はヒステリックに怒鳴り散らした。
私はぼんやりと頭を巡らし、立ちすくむ両脇を駆け抜ける白いものを見送った。
悲鳴と怒号、獣の唸り。それらはしばらく続いて、そして止んだ。
束の間の野性から従順なボルゾイに戻った瑞雪と雪亮が鼻先から胸まで赤く染めたまま、私に寄り添い尻尾を振った。
(携帯)
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■6028
/ ResNo.41)
愛琳の家・36
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□投稿者/ 葉
ファミリー(182回)-(2009/07/01(Wed) 00:03:48)
「―――お客様、ようこそ」
すらりとした妖艶なドレスをまとった麗人が、扉を開けた私の腕を取る。
「愛琳」
甲高い、無機質な声が飛ぶ。人ではない、止まり木に細い鎖に繋がれた鸚鵡の声だ。
「愛琳。お前の髪は夜の森、お前の瞳は黒い水晶。お前の唇は―――」
私は部屋の奥に目を凝らした。
幾重もの薄絹の帳を巻き上げた古風な寝台に、裸の女と着衣の少女が見える。
裸の女はまだ若い。私と同じくらい……二十代半ばほどの清楚な女性で、剥き出しの乳房も下肢も隠さず、ぐったりと仰向けになっている。
「あの淑女は今、桃源郷に遊んでいらっしゃいますわ」
私の耳元に息がかかる。
「……何も心配ありません。中毒になるほどの阿片も必要ない―――純粋な快楽の提供に、外国人に国を傾けられた阿片を使うなど、私どもには恥の一文字……ここではそんなものより雅で深い、宮中でしか許されなかった歓びを堪能して頂けますわ」
古風で豪奢な衣をまとった少女は横たわる女の腰に跨り裳裾をつまみ、そこから覗かせた足を裸の身体に滑らせる―――頬から首筋、首筋から唇、唇からまた首筋……
寝台の隅に小さな紅い靴、解かれた長い布が置かれている。少女は素足なのだ。
「………ああ」
鼻先に足を近付けられた女が呻く。
恍惚とした、溜め息混じりの声だった。
「―――纏足は、殿方だけのものではありませんわ」
私の両肩に手を載せて、背後から頬を寄せながら麗人が囁いた。
「野蛮で残酷……ならば何故、その妙味を試した方々が虜になるとお思い? そこに魅力があるからよ」
しなやかな指が頬を撫で、襟元から滑り込む。
「金蓮の足裏は柔らかく滑らかで、その花弁を合わせれば、殿方をとろかす秘部に変わるわ。女はそこに差し込む剣を持たないけれど、肌に這う感触は絹か天鵞絨……不義を働くわけではないから、貞淑な奥様方にも受けが良いのよ」
寝台の上の女は小さな足先に乳首を撫でられ、喘いでいる。
恥じらいからか、見知った相手から受ける快楽を良しとしない為か、両手は少女を押しのけようと虚しく宙を掻いている。しかし跨る少女の衣の下から伸びる両脚は高く掲げられ、少女の腰に絡みつく……
(携帯)
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■6030
/ ResNo.42)
愛琳の家・37
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□投稿者/ 葉
ファミリー(183回)-(2009/07/01(Wed) 22:11:12)
「あなたは……」
その声は私の声であり、同時に寝台の上で喘ぐ女の声だった。
「あなたは、自分の娘にあんな真似を……?」
「娘なら、たくさん居りますわ」
朗らかな声がそれに答える。
「山東生まれ、福建生まれ、甘粛、四川、河南、雲南―――お好みならば新彊や蒙古の混血種でも」
「あの子は……清朝の末裔だと」
私は―――寝台の女性は、声を尖らせる。
綺羅錦繍の衣に珊瑚や翡翠の房を垂らし、少女は無心に足先で奉仕を続けている。
その顔には表情がない。柔らかい微笑みを浮かべているが、それは衣装や装身具と変わりない、仮面のようなものだった。
背後から、私の首にしなやかな腕が巻きついた。
「貴種の姫君も、娘の数だけ居りますわ」
悪びれない口調で洋装の麗人は言い、私の頬に頬を寄せた。
「―――蒼天、既に死す」
舶来の甘い香りのする口紅が、頬になすりつけられる。
「これは漢王朝の終焉を意味する言葉だけれど、私達の清王朝もとうの昔に滅んでしまった―――満州国の建国より、ずっと前にね。
私達にはもう皇帝なぞいなかった。天意により即位し、自らの意志で蕩尽し、殺戮の果てに自滅するような君主はもはや」
ならば、自ら貴種を生むしかないではないかと言って彼女は笑った。
(携帯)
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■6031
/ ResNo.43)
愛琳の家・38
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□投稿者/ 葉
ファミリー(184回)-(2009/07/01(Wed) 23:05:46)
「ああ――――」
ひときわ高い、切なげな声が上がる。
寝台の上の女性は自ら脚を大きく開き、もはや場末の娼婦と変わらない媚態を滲ませ腰を浮かせる。
その腰から滑り降りた少女は優雅な物腰を崩さず脚の間に居場所を定め、親指以外を折り畳まれた小さな足を差し伸べた。
「………ちがう」
身体は悦楽の予感にのたうちながら、必死に正気を絞り出した声があがった。
「これは間違った事―――大陸の人間である貴女が、何故こんな使い方をするの。纏足は、決してこんな……」
「まだ、そんな事を言うの?」
洋装の女性の声が、鞭のような響きを帯びた。
だが、それはすぐに消えた。
「本当に、貴女は素直で純粋ね―――恩義を感じるのもいいけれど、貴女に願掛け靴を贈った人が、芯から貴女を可愛がったと言えるのかしら? 同じ年頃の娘を亡くし、貴女が健やかに生きているのに? 自分達より収入や待遇が遥かに良い日本人の―――東洋鬼子の子供なのに?」
反発の声はなく、静かなすすり泣きが部屋に流れた。
「……受け入れなさい」
洋装の女性は部屋の隅のテーブルに歩み寄り、そこに並べられていた細々とした品物から、まずは玉でできた小壺の蓋を開けた。
「素直で純粋なだけでは生きてゆかれない―――快楽と権力を貪る特権は、貴女にもある。それを自覚しなさい」
小壺にはとろりとした琥珀色の液体が入っている。女性は次に取り上げた長い針をそこに浸し、傍らの、火の灯ったランプにかざす。
「口で言っても、貴女は理解しないでしょう?」
温められた液体は針の先で固まり、再び小壺に浸され、温められる。何度か繰り返すうちに、針の先に琥珀色の玉ができる―――煙泡(イェンパオ)と呼ばれる、吸煙用の阿片の火種だ。
「身体で知る事より確実なものはないわ……百の文言でなく、一時の快楽で理解しなさい。現実を」
女性は煙泡を小皿に転がし火を点けると、煙の立ち始めたそれを長いキセル―――煙槍(イェンチァン)に移し、私を振り返った。
「……お近づきのしるしに、一服いかが?」
凄艶な微笑だった。
私はたじろぎ、別の方向から響く嬌声にびくりと身体を震わせた。
纏足を秘部深くに飲み込んで、若い槙原夫人が我を忘れて叫んでいた。
(携帯)
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■6032
/ ResNo.44)
愛琳の家・39
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□投稿者/ 葉
ファミリー(185回)-(2009/07/02(Thu) 00:36:49)
2009/07/02(Thu) 20:54:58 編集(投稿者)
極彩色の翼をはためかせ、鸚鵡が歌う。
「愛琳。お前の髪は夜の森、お前の瞳は黒い水晶。お前の唇は深海の紅珊瑚、お前の肌は蜜を溶かしたつめたい白磁―――お前の足は金の蓮、一足ごとに蓮華が開く………」
ここまでだ、と私は思った。
扉を開ける前に握り込んでいた千枚通しを、私は一息に自分の大腿に突き刺した。
鋭い痛みが走ると同時に、豪奢な遊郭の客間がかき消えた。
目の前にあるのは見慣れた居間と、ソファに端座する夫人の姿だけだった。
「―――道具立ては要りません」
僅かな狼狽の表情を見せる夫人に、私はゆっくりと呼びかけた。
「薬物は嫌いです……お話ならば、言葉で伺います」
「気付いてたのね」
夫人は小さく息を吐き、静かに呟いた。
「効くのが遅いとは思っていたわ……前の人には一度で昏睡するくらいに焚いたから、年のせいで適量が分からなくなったかと思ってた」
私は力なく首を振った。
「……気付いたのは、昨夜です」
もっと早くから疑うべきだった。
ここに来る度に頭痛がしていたのに、それが消えたのは香りの成分が麻酔のものに変わったからだ。そして全身のけだるさ、幻覚じみた夢……
「前の人と言うのは、庭にいた女性ですか」
"埋められていた"とは、あえて言わなかった。
事もなげに夫人は頷き、ソファに深く座り直した。
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■6033
/ ResNo.45)
愛琳の家・40
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□投稿者/ 葉
ファミリー(186回)-(2009/07/02(Thu) 01:22:20)
2009/07/02(Thu) 21:31:20 編集(投稿者)
「………なぜ?」
暗く沈んだ声で、私は尋ねた。
「あの人は、私の前に来ていたヘルパーですね?―――あの人を入れて三人いたと聞いていますが」
「あとの二人は、お金で」
小娘のような仕草で首を傾げ、夫人はあっさりと呟いた。
「あなたも会っていたのよね?……三人目はしたたかで、まだ絞れると踏んだのよ。あとの二人は清々しく、低賃金と重労働の世界からおさらばしたようだけど」
語尾に棘があった。
私は思わず目を背けた。
「何故なんです」
私は同じ質問を繰り返した。
「何故、あの人を……あの人だけじゃない。私もいずれ、同じ所に埋められたんですか?」
夫人は大仰に目を見張る。
「まさか」
心外そうな口調だった。
「あなたに阿片を焚いたのは、あなたがお金に目の色を変える人ではないからよ……今まで、そんな人はいなかった。私の後を託せる人は」
私は再び、目を背けた。
「―――私は、それをお断りするためにここに来ました」
一言一言を噛み締めながら私は言った。
「先程仰られたように、私がいるのは低賃金と重労働の世界です。お金に魅力がない訳がない―――けれども前にも申しましたが、私には頂く理由がありません」
「私にはあるわ」
夫人は即座に言い返した。
「あなたには無くても私にはある……それを分かって頂くために阿片の夢を見せたけど、あなたがお望みなのは言葉なのね」
私は答えず、室内に視線をさまよわせた。
紫檀の箪笥に掲げられ、芳香を放つクチナシを捧げられた写真の少女がこちらを見ていた。
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■6034
/ ResNo.46)
愛琳の家・41
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□投稿者/ 葉
ファミリー(187回)-(2009/07/02(Thu) 01:45:53)
2009/07/02(Thu) 22:15:48 編集(投稿者)
自傷したために五感の働きは殆どまともになっていたが、それでも頭の芯には妖美な幻覚の余韻がこびりついていた。
「中毒になるほどの量ではないわ」
安心させようと思ってか、夫人が穏やかに呼びかけた。
「燕華が経営していた遊郭でのもてなし方よ―――そうとは悟らせずに阿片を焚いて、並では味わえない快楽に酔わせるの。夢見心地の最中に要人から機密を聞き出したり、暗示を与える事もあったわ」
私は反射的に眉をひそめた。
他人から見れば些細なものでも、勝手に覗かれたくないものならば私にもある。
それを敏感に察し、夫人は尋問めいた事はしていないと言い添えた。
「……私も燕華に同じ思いで喰ってかかった。因果な話ね」
―――あの遊郭の一室の、若い頃の全裸の夫人が脳裏に蘇る。私はいたたまれずに目を伏せた。
「……初めの質問に戻らせて下さい」
気を取り直し、口を開いた。
「どうしてヘルパーにお金を渡したり、庭に埋めたりしたんですか……?」
夫人は僅かに微笑んだ。
「あなたも、不審に思い始めていたでしょう?」
苦笑いに近い笑顔。
「あの子は悪戯っ気が強くて、大人しくしててくれないの……昔から、お手伝いさんが居着かなくて困ったわ。幽霊屋敷と思われるのは構わないけれど……」
私は一瞬、聞き違えたかと思った。
『幽霊屋敷』では―――ない?
「あら、まあ」
夫人も一瞬ぽかんと私の顔を見つめ、それから小さく吹き出した。
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■6035
/ ResNo.47)
愛琳の家・42
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□投稿者/ 葉
ファミリー(188回)-(2009/07/02(Thu) 02:22:40)
2009/07/02(Thu) 23:02:56 編集(投稿者)
「鋭い人だと思ったけれど、純な所もおありなのね―――私は阿片の夢を見せたけど、雪亮に品物を持たせたりはしてないわ」
私は背後を振り返る……瑞雪と雪亮は生乾きの血がこびりついた前肢や胸を舐めながら、のどかに絨毯に寝転がっていた。
(あれは………)
窓辺に翻る人影、押し当てられた小さな手の平。あれは幻覚ではなかったのか。
「愛琳は、この家にいるわ」
穏やかな微笑みを浮かべて夫人が言った。
「敗戦時、燕華に連れて行けと言われたの……燕華の妓楼にはたくさんの娘がいたけれど、私が愛琳に惹かれてるのを知っていたから。
幼い頃に燕華に買われ、纏足させられ、既に阿片にも冒された、ただ血が通っているだけのお人形……でもとても美しく、どこか胡蝶に似ていたわ」
夫人の少女期に、纏足の施術に失敗して阿片中毒になって死んだ幼馴染み―――妓楼の娼妓と、何が重なったと言うのだろうか。
「上海を離れる時、私は匿名で当局に密告したの。燕華は中国人でありながら、日本に軍事機密を流していたって」
私は顔を上げ、夫人を見つめた。
阿片の夢の中で聞いたやりとり、夫人が受けた仕打ち―――
それは屈辱だったのか、悦楽だったのか……
「日本の敗戦後、中国では売国奴狩りが始まったの。李香蘭は戸籍で日本人だと証明されて助かったけど、日本人の養女になった筈の川島芳子は、養家に入籍されていなかったために銃殺刑に処せられた……一度敵と見なしたら、大陸の人達は愛新覚羅の姫君でさえ容赦はしない。
燕華が捕縛され有罪になったのは、帰国してずいぶん経ってから……彼女がそれから、どうなったのかは分からないわ」
(―――貴種が死に絶えてしまったら、自分で生むしかないでしょう?)
凄艶な、傾国の麗人と呼ぶにふさわしい美貌が脳裏に浮かぶ。
引用返信
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■6036
/ ResNo.48)
愛琳の家・43
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□投稿者/ 葉
ファミリー(189回)-(2009/07/02(Thu) 09:54:36)
2009/07/02(Thu) 23:42:32 編集(投稿者)
「燕華という人は、あなたを……?」
それはそのまま、夫人は燕華を愛していたのかという問いだった。
「分からない」
夫人は少し疲れた表情で首を振った。
「今でも分からない。憎まれていたのか、好かれていたのか―――私はね、密告風情で意趣返しができるとは思っていなかった。燕華はとても用心深かったし、役人も賄賂や妓楼で買収していたのを知っていたから……だから、密告しても捕縛などされないと思っていたのよ」
「それでも、逃げずに捕縛されたのは……」
私の言葉に、夫人は再び首を振った。
「私はある時点から、物事に自分に都合の良い解釈はしないと決めているの……燕華には燕華の美学があるわ。そして私の後半生には、過去に酔うゆとりなど無いの」
(貴種が死に絶えたなら、自分で生むしか………)
慄然として、私は現実に引き戻された。
「―――どうして私がお金に困らないのか、不思議に思った事はない?」
畳みかけるように、夫人は言った。
「燕華のパトロンだった人がね、自分の死後も、私が暮らし向きに困らないようにしてくれてるの―――その人はA級戦犯として裁かれたけど、死刑判決を受けるべき証拠がなくて服役だけで済んだ……敗戦直後、その証拠を持って帰国したのが私なのよ。正確にはそれを持ち帰る人と結婚するように、燕華が取り計らってくれたんだけど」
夫人の顔が微かに歪んだ。
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■6041
/ ResNo.49)
愛琳の家・44
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□投稿者/ 葉
ファミリー(190回)-(2009/07/03(Fri) 00:45:40)
「私は、自分だけ逃げた」
抑揚のない声で夫人は言った。
「両親さえどうなったか分からない……それだけ慌ただしい出発だった。友達や同僚、お世話になった人、後に消息が分かった人など皆無に近いわ。大陸で多くの日本人が逃げ惑う中、私は軍艦に護衛された客船に乗っていたのよ」
―――日本鬼子輸了
―――満州也完蚤了
(日本軍はもう敗けた。満州国もなくなった)
在留邦人、特に満州に入植していた日本人は敗戦後、言語を絶する苦難を強いられた。
駐留していた関東軍は民間人を残して四散し、突然のソ連軍侵攻や日本人に恨みを持つ暴徒の襲撃、強制収容所への連行を防ぐものもなく、その混乱は数多の虐殺や暴行の犠牲者や自決を選ぶ者、残留孤児を生み出した……
「大陸での同胞の悲劇を知るたびに、愛されていたのかもと思うのよ」
とても罪深い事だけれど、と夫人は言った。
「燕華は決して私とは寝なかった。情人は男女問わない人だったけど―――それを思うと、やはり憎まれていたようにも感じるの。愛琳を託した事だって―――」
そこまで言って、夫人はソファに身体を投げ出した。
「……いて下さるわね、ここに」
覆い被さるような口調で、夫人は言った。
「お分かりでしょうけど、私にはもうあまり先がないの。私がいなくなってから、あの子と暮らしてくれる人が必要なのよ」
私はその場に立ちつくした。
熱に浮かされたような声、隠しようのない落ち窪んだ眼、青白い顔―――夫人はほぼ間違いなく薬物に冒されている。凛然とした姿を保てたのは、私が訪れる限られた時間だけだったのかもしれない……
「あの子も、それを望んでいるわ」
私はぴくりと身体を震わせ、反射的に箪笥の上の写真を振り返った。
(ちがう………)
大きな瞳を見開いて、今にも叫び出しそうな表情でこちらを見つめる、小動物めいた非力な少女。
夫人と一緒に日本に来たのなら、既に少女である筈がない。
いや、そればかりか―――
(携帯)
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■No6041に返信(葉さんの記事) > 「私は、自分だけ逃げた」 > 抑揚のない声で夫人は言った。 > 「両親さえどうなったか分からない……それだけ慌ただしい出発だった。友達や同僚、お世話になった人、後に消息が分かった人など皆無に近いわ。大陸で多くの日本人が逃げ惑う中、私は軍艦に護衛された客船に乗っていたのよ」 > > > > ―――日本鬼子輸了 > ―――満州也完蚤了 > (日本軍はもう敗けた。満州国もなくなった) > > 在留邦人、特に満州に入植していた日本人は敗戦後、言語を絶する苦難を強いられた。 > 駐留していた関東軍は民間人を残して四散し、突然のソ連軍侵攻や日本人に恨みを持つ暴徒の襲撃、強制収容所への連行を防ぐものもなく、その混乱は数多の虐殺や暴行の犠牲者や自決を選ぶ者、残留孤児を生み出した…… > > > 「大陸での同胞の悲劇を知るたびに、愛されていたのかもと思うのよ」 > とても罪深い事だけれど、と夫人は言った。 > 「燕華は決して私とは寝なかった。情人は男女問わない人だったけど―――それを思うと、やはり憎まれていたようにも感じるの。愛琳を託した事だって―――」 > そこまで言って、夫人はソファに身体を投げ出した。 > > > 「……いて下さるわね、ここに」 > 覆い被さるような口調で、夫人は言った。 > 「お分かりでしょうけど、私にはもうあまり先がないの。私がいなくなってから、あの子と暮らしてくれる人が必要なのよ」 > 私はその場に立ちつくした。 > 熱に浮かされたような声、隠しようのない落ち窪んだ眼、青白い顔―――夫人はほぼ間違いなく薬物に冒されている。凛然とした姿を保てたのは、私が訪れる限られた時間だけだったのかもしれない…… > > > 「あの子も、それを望んでいるわ」 > 私はぴくりと身体を震わせ、反射的に箪笥の上の写真を振り返った。 > (ちがう………) > 大きな瞳を見開いて、今にも叫び出しそうな表情でこちらを見つめる、小動物めいた非力な少女。 > 夫人と一緒に日本に来たのなら、既に少女である筈がない。 > いや、そればかりか――― > > > > (携帯)
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