■おしまいの日に。  
□秋 (2006/10/30(Mon) 15:26:07) 

 ある週明けの月曜日。 

その日の朝、各国へと一斉に報じられたニュースはすべての人を震撼させた。 


『この週末が世界の終末となるでしょう。』 


顔を強張らせながらも淡々とした口調でキャスターが告げると、
瞬間、世界中はしんと静まり、やがて爆発的などよめきへと変わった。 


突然の発表に驚き、狼狽する者─ 

何の冗談だと、鼻を鳴らして憤慨する者─ 

テレビ画面を見つめたまま、呆然とする者─ 

恐怖に泣き叫び、助けを請う者─ 



現在地球は軌道を大幅に逸れ、この週末には太陽に突っ込んで消滅してしまう、あるいは大気圏を突き破ってしまうだとか。 
地球と同規模以上の惑星がこちらへ向かって来ている為にこのままだと衝突してしまうだとか。 
何らかの超自然的な力が作用しているだとか。 

様々な情報が飛び交う中、各国政府が全世界に共通して発表した事実は、冷酷で、残酷で、どうしようもないほど真実だった。 

どうしてそうなってしまうのか理解できない人々も、極めて単純なこの一言だけは半信半疑ながら受け入れざるを得なくて。 

誰もが皆、為す術もなく「その時」を待つしかないのだと言う。 





この週末、世界は終焉を迎える。 





残された七日間を、あなたならどう過ごしますか──?



 
 
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■17123 / inTopicNo.2)  おしまいの日に。─月曜日の憂鬱  

▲▼■
□投稿者/ 秋 一般♪(2回)-(2006/10/30(Mon) 15:27:41) 

 【laugh laugh】 





─もうすっかり秋だ。 

降り注ぐ陽射しは柔らかいものの、肌を撫でる風はすでに冷たい。 
門をくぐり、校舎へと向かう銀杏並木の中を歩きながら思った。 

大学の敷地内は人影もまばらで、閑散としている。 
無理もない、と思う。 
今朝のニュースが流れた直後、大学側は通常通りに講義を行うけれども、学生の出席は各自自由であると通達した。 
講師陣も例外ではなく、教壇に立つ事を生き甲斐とする老教授はこんな日でも熱弁を振るう傍ら、
残りわずかな時を少しでも足掻こうとする講師も多く、休講が相次いでいる。 
要するに、だ。 
来たいやつだけ来い、好きにしろ、そういう事だろう。 
他の学校や企業、サービス関連の施設でさえ、どこも似たような処置を取っているらしい。 
それもそうか。 
こんな時にまともに仕事をしていられるわけがない。 
各々が最後にやりたい放題やろうというわけである。 
その反面、未だ事態が飲み込めず、学校や、あるいは会社に出掛けて行っていつもの日常を過ごしている者も少なくはない。 
かく言う私もその口だ。 

慌ただしいいつもの月曜の朝。 
親子三人、揃って口をぽかんと開けてテレビ画面のキャスターの一言一句に目をしぱしぱと瞬いていた。 
こいつは何を言っているんだと。 
しばらくそうしていたが、やがて父が黙って腰を上げていつものように会社へ出勤し、
母はおもむろに掃除機をかけ始め、講義開始の時間が近い事に気付いた私は大学へと足を向けた。 
恐ろしい程に平凡な私達の脳には、こんなどこかSF小説じみた突飛な話を受け入れるだけの容量が不足していたのだろう。 


─人はそれを現実逃避と言う。 

胸中で一人呟いて、鼻先でふんと嘲笑してみる。 
こうして大学にやって来たものの、私は並木道を抜けて教務棟に差し掛かってもなお歩を緩めずに、出入口を通り過ぎた。 
そのまま中庭にある喫煙所へと向かう。 
真面目に授業に出ているのか、はたまた学校自体に来ていないのか、
いつもは肩身の狭い喫煙学生の寄合所の如く賑わっているそのスペースはがらんとしていて、何とも寂しい風景が広がっている。 
大体今日どれだけの教室で講義が行われているというのか。 
思いながら灰皿に程近いベンチに腰を下ろした。 
煙草に火をつける。 
ふっと吐き出した白さとわずかに肺に残った苦味が、私に現実感を取り戻させた。 


本来ならば来週、母校へ教育実習に向かうはずだった。 
けれど世界は、週明けを待たずに終わりを告げると言う。 
何の為にここまでやってきたのかと、思わず溜め息をついてしまった。 
そもそも今朝のあのニュースは本当なのだろうか。 
新手のドッキリ? 
そうだったらどんなにいいか。 
今「ごめんなさい」と謝ってくれたなら、私は「あぁすっかり騙されちゃった」と喜んで道化になれるのに。 
そんな私の希望的観測は万に一つも有り得ない。 
誰が好き好んで世界規模のドッキリを仕掛けるというのか。 


地球滅亡。 


漫画や小説に出てくるような、このいまいちリアリティに欠ける事実が紛れもなく現実なのだ。 


はぁ、とため息が漏れる前に、思索に嵌まっている間にすっかりと灰になってしまった手元の煙草に気が付いた。 
じりじりとした熱が、挟んだ指を焙るように焦がしている。 
あちちと手を払い除け、軽く赤みを帯びた指の中程を舌先で舐めていたら、 

「ライター貸して」 

私の隣に座った誰かの振動で古びたベンチがギシリと軋んだ。 

「…広瀬」 

物珍しそうに見る私に、 

「ね、早く」 

急かすようにくわえた煙草をくいっと突き付ける。 
促されるまま私は広瀬の煙草に火をつけてやると、ふーっとやけにゆっくり煙を吐き出して「ありがと」にぱっと笑った。 
私もケースから新たな一本を取り出して、火をつける。 
彼女がしたように、ふーっと長く吐き出してから、 
「何で学校来てんの?」 
広瀬を見た。 
「学生が学校来るのは当たり前でしょー」 
彼女は可笑しそうにケラケラと笑った。 
「あんたに関しては当たり前じゃないでしょうが」 
とんとんと灰皿に灰を落として、言う。 
「普段まともに出てこないくせに」 
バイトや夜遊びに興じているのだと、風の噂で聞いた事がある。 
私も何度彼女にノートを貸しただろう。 
「だから何でこーゆー時に限って、と思ってさ」 
最後なんだからぱーっと遊んでればいいのに、と素直な疑問を口にする。 
また、広瀬は笑った。 

「最後だから、だよ」 

ぎゅっと煙草を灰皿にねじ込む。 
「普段やってない事をしようと思ってね」 
今まで散々遊び尽くしちゃったし、言いながら煙草を取り出して私をちらりと見る。 
私は黙ってそこに火をつけた。 
ありがとと短く言って、ぷかりと煙を吐き出す。 
「午前中から授業受けてたけどさ、いやー案外面白いね」 
「話、わかるの?」 
前回の講義を受けていないのに、と。私はわずかに目を見開いた。 
すると広瀬は。 
「ん?さっぱり。わかるわけないじゃーん」 
にひっと笑う。 
私は「そう…」と軽くうなだれた。 
「普段来てない分さ、大学って場所が何か新鮮に感じんだよねー」 
しみじみ言う広瀬。 
「授業もよくわかんないけど、面白かったのはほんとだし。こんな事ならもっと出とけば良かったな」 
言って、目を細める。 

何だかすごいなと思った。 
広瀬はこんな現状でも心の底から楽しんでいる。 
自身を見失わず、思ったように行動し、存分に楽しみながら生きている。 
すごい、と思う。 

「佐木は相変わらず真面目に学校来るんだね」 
ゆっくり広瀬を見ると、彼女も私を見ていた。 
「やっぱ学校好きなん?」 
にこにこと笑う、その嫌味のない言い方に、 
「私は…そんなんじゃないよ」 
顔を背けた。 
「今更やりたい事とか、好きに生きろって言われても全然思いつかなくて。結局いつも通り来ちゃっただけ」 
自嘲気味に笑ってみせる。 
「えー、ほんとに?何にもないの?」 
心底意外そうな広瀬の声。 
私はこくりと頷く。 

「やり残した事は?」 

ないよと答えようとして、一瞬はっとする。 
心残りがあるとすれば─ 

顔を上げると、 
「なんだ、あるんじゃん」 
広瀬がにやにやと笑っていた。 

話しなよ、広瀬は黙って目で促す。 
私は一度煙を深く吸い込んでから、 
「来週教育実習の予定でさ」 
言葉と一緒に吐き出した。 
広瀬は何も言わず、じっと聞いている。 
「単位落とさないようにしっかり授業出て、今までこつこつやってきたのに。
自分で言うのも何だけど、頑張ってたんだよ?それがこうなって、これまでやってきた事って何だったんだろ」 
話している内にじわじわと悔しさが沸き上がってくる。 
「佐木はさ、それを無駄だったと思う?」 
ようやく広瀬が口を開いた。 
「思いたくないけど、思う」 
私は顔を伏せた。 
「…私さ、結構本気で先生になりたかったんだよね」 
小さな呟きは、広瀬に聞こえたかどうかはわからない。 
ぽんぽんと軽く肩を叩かれて顔を上げてみれば、
広瀬は相も変わらずマイペースに煙草を一本くわえて「つけろ」とばかりに私に向かって突き付けた。 

…話、聞いてたのかなぁ。 

私はあははと苦笑して、本日何度目かの彼女の煙草に火をつけた。 

ライターくらいコンビニで買っといでよ、言おうとして。 
「これ吸い終わったら、行こうか」 
先に広瀬に遮られた。 
「──…どこに?」 
怪訝な顔で彼女を見る。 
「授業しに」 
広瀬はにひっと笑う。 
「空いてる教室はいっぱいあるし。適当なとこ借りよ」 
そしてぷかりと煙をくゆらせた。 
わけがわからないと眉根を寄せている私の方に向き直ると、 
「私、生徒。あんた、先生」 
交互に指差してみせる。 

「私に授業してよ、佐木先生」 

ね?と、悪戯めいた目で私を見る広瀬。 
その申し出を、断る理由は私にはない。 
「…ありがと」 
遠慮がちに小さく言ってみる。 
「やだなーもー。教えてもらうのは私じゃーん」 
そう言って広瀬はけたけたと笑う。 
「言ったでしょ。普段しない事したいんだ、私は」 
案外勉強も楽しい事だって気付いたしと、やっぱり楽しそうに笑う。 


それならば─ 


「それで夜はぱーっと遊びに行こうよ」 

私が言うより早く、広瀬が言った。 

「私、よくわからないよ。今まであんまり遊んでこなかったから」 
困った風に私は答える。 

「そっちは私が教えてあげる」 
勉強教えてもらう代わりに、と。広瀬は私をじっと見た。 

小さく、頷いてみせる。 
煙草を灰皿に放り込んで彼女は満足そうに微笑んだ。 


「じゃあそろそろ授業を始めますか」 
広瀬はおもむろにベンチから立ち、私に片手を差し出した。 
「ね、先生」 
目を細めて笑う。 
私はその手を取って立ち上がった。 
二人連れ立って中庭を離れ、空き教室を探す中、 
「そういえば教科は?」 
今更な事を広瀬が聞くから、私は呆気に取られ、やがてくつくつと笑みが込み上げてしまった。 
そんな私を見て、広瀬もまた、にししと嬉しそうに笑った。 

思えば、今日初めて笑えたかもしれない。 





この先には絶望しかなくても、こんな風に笑っていられれば。 

最後の瞬間まで楽しく笑っていられれば。 

それはなかなかに悪くないって、今ならそう思えるよ。



 
 
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■17124 / inTopicNo.3)  おしまいの日に。─火曜日の蒼天  

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□投稿者/ 秋 一般♪(3回)-(2006/10/30(Mon) 15:28:38) 

 【月光の底】 





どうしてこんな事になったのだろう。 
すぐ目の前に差し迫る現実に瞬きをしてみる。 
努めて冷静に、今朝までの事を振り返ってみた。 


昨日はあんなニュースが流れたにも関わらず、皆どこか半信半疑だったのだろう、社員のほとんどが出社していた。 
しかし今朝オフィスに来てみるとがらんとしていて、人っ子一人いない。 
不安に思い、他の階も見て回ったけれど、どこも似たようなものだった。 
自分のデスクにひとまず着いて、どうしたものかと考える。 
あのニュースは本当なのだ。 
昨日の出社後、社員全員に会社からも正式に連絡がなされた。 
それならば確かに今日ここにいる意味はないだろう。 
仕事にならないしなぁ…と独りごちて、帰る支度を始める。 
何しに来たのかと思わず笑ってしまった。 
笑いついでに小腹が減ったので、どうせならお茶菓子を失敬しようと給湯室へ向かう。 
誰もいないオフィスでお茶をするというのが何となく背徳感を刺激して、ついうきうきとした足取りになった。 
確かバームクーヘンが残っていたはず、くすくすと笑みがこぼれそうになるのを堪えながら給湯室に足を踏み入れると── 

そこにはすでに先客がいた。 

「あぁ…私のバームクーヘン……」 

恨みがましく声を上げる。 
バームクーヘンの最後の一欠片をひょいと口に放り込んで指先を舐めていたのは同期の三島だった。 
「あー竹田。あんたも来てたの?」 
ごくりと飲み込んで、ようやく私の方を向く。 
「三島こそ。何しに?」 
私は仕方なく、お茶だけ飲んで帰ろうと急須を用意して棚から煎茶の缶を取り出した。 
「あ、どうせならこっち飲もうよ」 
三島は横から来客用の玉露の缶を差し出した。 
「こーゆー事ができるから」 
先程の質問の答えとして、悪戯っぽく笑った。 
なるほどね、私も笑う。 
そうしてオフィスに戻ると、滅多に口にしない高級茶を窓際のデスクで二人並んで飲んでいた。 
まだまだ陽が高いのに仕事もせずにのんびり過ごす。 
考えてみると、これはすごく贅沢な時間なのかもしれない。 
普段は口数の少ない三島も今日は何だか饒舌だ。 
それが余計に嬉しく思えた。 
こんなまどろみの中で一日を終えるのもいい。 
ぼんやりと思っていた。 



それからどうしてこうなっているのか。 
思い返してもわからない。 
私の背中にはどういうわけか冷たい床の感触が広がる。 
目と鼻の先には三島の顔。 
なぜ私が三島に押し倒されているのか。 
なぜ三島は私を組み敷いているのか。 
さっきまで和やかにお茶を飲んでいたはずじゃなかったのか。 
色んな事がぐるぐると浮かんでは巡る。 
いまいち状況が理解できていない私の顔は強張っていたのか、いつも自信満々の三島は珍しく遠慮がちに尋ねた。 
「──嫌?」 
嫌か、と聞くという事は、この態勢はつまりはそういう意味なのだろう。 
私は少し困った顔をして見せた。 
三島は小さく息を吐いて、 
「私があんたの事いつも見てたの、知ってんでしょ」 
薄く笑った。 
その言葉に、私は彼女から目を逸らした。 
薄々気付いてはいたけれど、やはり私の勘違いではなかったらしい。 
そんな私を見て、三島は「やっぱりね」とその瞳を細めた。 
「どうせ終末だ、最後ぐらい─」 
そう言って唇を寄せる。 
けれど、私は三島の前に手の平を差し入れて制止した。 
わずかに三島が顔をしかめる。 
「──…彼氏に、悪い?」 
ぴくりと私の肩が震える。 
「その彼氏も今日はもう来てないみたいだけど」 
三島はわざとらしくオフィスを見渡してみせた。 
「…知ってたの?」 
「言ったでしょ、見てたって」 
ふんと三島は鼻で笑う。 
「不倫なんて愛人が馬鹿見るんだよ。結局家族に帰ってくんだから」 
部長から連絡あった?、私の耳元で低く囁く。 
私は小さく首を横に振った。 
「ほら、それが証拠だ。どうせ今頃楽しく家族と最後を過ごしてるよ」 
嘲るように、三島は笑う。 

「…三島は、私を好きなのか意地悪がしたいのかわかんないよ」 

私は顔を両手で覆って泣きそうな声で言った。 
三島はその手を掴んで、けれど強引にではなく、優しくどかした。 

「竹田が好きだから、意地悪言いたくなるんだよ」 

手と手の隙間から、三島の瞳が覗き込む。 
…反則だ。こんな優しい眼差しをしているなんて私は知らない。 
「次は?何が引っ掛かってる?」 
三島は唄うようなアルトで問う。 
私は三島の瞳から目が離せない。 
ようやく言葉を絞り出す。 
「だって…女同士だよ……」 
「竹田は何か理由がないといけないみたいだね」 
三島は苦笑した。 
「私があんたを好きってだけじゃ、だめ?」 
三島の顔が近付いてくる。 
拒む理由を何とか考えて、考え抜いて、本当はそんな事もうどうだってよかったのかもしれない。 
目前に迫る三島の顔。 
前髪がきらきらと透けて、思わず見惚れた。 
その原因はなんだろうと窓の方をちらりと見たら、陽射しが差し込んでいて。 
…いや、違う。 
月だ。 
月の光だ。 
昼間だというのに、窓の外には青々とした空に大きな月が煌々と光を放って浮かんでいた。 
その現実離れした、どこか幻想的な月の光景に目を奪われる。 
私の視線に気付いて、三島も後ろを振り返った。 
「やけに月が近いな…」 
綺麗、三島も独り言のように呟いた。 
そして再び私に向き直ると、 

「月の光に惑わされたんだ、あんたも私も」 

にっと笑った。 

「月のせいにしちゃえばいい」 

そう言って、私を見る。 


私は── 

終末の訪れを感じさせる月と三島の瞳を交互に見て。 
ゆっくりゆっくり瞼を下ろした。 
ふっと笑った三島の温かな舌が私の唇に這う。 


完全に閉じられた視界からはすでに月の姿は消えていて。 

もう、月のせいにはできない。



 
 
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■17125 / inTopicNo.4)  おしまいの日に。─水曜日の雅歌  

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□投稿者/ 秋 一般♪(4回)-(2006/10/30(Mon) 15:29:57) 

 【花園キネマ】 





─人類滅亡。 

昔観た古い映画も、確かそんなような内容だったと思う。 

何だか懐かしくなってしまって、彼女と二人、会社を休んで映画を観に行く事にした。 
学生時代に足繁く通った、古めかしいモノクロの名画を延々と流しているその映画館は、
映画と共にどれほどの時を歩んできたのだろう、最近流行りのシネコンのような洒落っけを全く感じさせずに静かに佇んでいた。 
当時のままの館内。 
窓口にはやはり、当時の面影を残したままの白髪の老人が座っている。 
彼の事を、私はマスターと呼んでいた。 
彼が私を覚えていたかどうかはわからない。 
けれどマスターはぶっきらぼうに「一人1000円だよ」と告げ、皺だらけのがっしりした手で顎を撫でながらほんの少し口の端を上げた。 
見慣れたその仕草に、歓迎はされていると嬉しくなる。 
二人分の料金を支払って、 
「この辺りで店を開けてるのはここくらいですよ」 
こんな時ぐらい休めばいいのに、言ってみる。 
「こんな時でさえおんぼろ映画館に来る酔狂な客もいるんでね」 
だから閉められないのさ、にやりと口角を上げて言い返される。 
彼女は「一本取られたね」と笑っていた。 
「やり残した事はないんですか?」 
尋ねる私に、 
「俺は自分の日常を守るだけだ」 
また顎をしゃくった。 
「ここしかないからね。最後までこの館と共に在るさ」 
ぶっきらぼうな物言いだけれど、柔らかい眼差し。 
潔い、と思った。 
これも一つの生き方だと。 
君らだってそうだろう?、そう言いたいようにマスターは私達を見た。 
「世界がこんな風になっちまったってのにのんびり映画だなんて、随分粋じゃないか」 
しゃがれた声で喉の奥をくっくっと鳴らす。 
「開演時間だ。ゆっくり観てってくれ」 
私と彼女は深く彼に礼をして、その場を後にした。 



スクリーンをど真ん中から見据える、特等席。 
「貸し切りだ」 
彼女は嬉しそうに言った。 
ぎしぎしと軋む年季の入った座席に擦り切れたフィルム、狭いスクリーンでさえ、
何だか味があってそれはとても特別な事のように思える。 
画面に映し出された映画は、往年の大女優が主演のラブストーリーだった。 
入口の自販機で買ってきた缶コーヒーを彼女が無言で差し出す。 
ありがとうと言ってみると満足そうに頷いた。 
どちらからともなく隣に座る恋人へ手を伸ばして、手探りでその指に触れる。 
そのまま五指を絡めてしっかりと握った。 
「なんだかさ」 
おもむろに彼女が口を開く。 
「こうしてると二人だけしかいないみたいだね」 
世界に、と小さく言う。 
狭い劇場内、観客は二人、映画の音声のみの空間。外部の声は聞こえない。 
「私もそう思ってた」 
答えると、「そっか」また満足そうに頷いた。 
それから映画は心地の良いBGMになってしまって、二人、ぽつぽつと話し出す。 
出会ったきっかけ、友達でいた頃、初めて二人で遊んだ時、恋人になった日、
お気に入りのカフェ、待ち合わせ場所に使った広場、喧嘩の理由──… 
一つ一つの記憶を丁寧に紐解いて、愛おしむように確かめるようにその軌跡をなぞった。 
思い出を語り尽くしたところで、しん、と沈黙してしまって。 
相手役の俳優が愛を囁いている声だけが静寂の中に間抜けに響いて、やけに耳障りに感じる。 
本当に終わりみたいだ、しんみりと思ってしまった。 
繋がれた手の間に宿る熱だけが何とか孤独から守ってくれる。 
私は彼女の方を見た。 
彼女も同じように思っていたのか、タイミングよくこちらを振り向いた。 
目が合って思わず頬が緩んでしまう。 
彼女も柔らかく微笑んで、 
「残りの時間、どう過ごそうか」 
やっぱり柔らかく言った。 
この映画を観た後の話をしているのではない事くらいわかっている。 
けれど唐突に訊かれたところで、私には答えが用意できなかった。 
「難しく考えなくていいのに」 
彼女は可笑しそうに笑った。 
私はうーと頭を捻ってみる。 
くすくすと隣で笑う彼女の声が聞こえる。 

「あのさー」 

あれこれと考えている最中に声を掛けてきたので「なに」と、ぞんざいに返事をしてしまった。 

「結婚しようか」 

ぴたりと、思考が止まる。 
彼女をゆっくりと見やって、 
「今、何て…?」 
目を丸くする。 
「結婚しましょうかと言いました」 
そう言って私を見つめた。 
私は瞬きばかりして彼女をじっと見た。 
「いや、正式には勿論無理だけどさ」 
照れたように頬を掻く彼女。 
「二人してドレス着て、ささやかでいいから式挙げようよ」 
私を見つめる瞳は、いつでも変わらずに優しい。 
先程の缶コーヒーからプルタブを引き上げると、私の左手を取ってその薬指にそっと差し入れた。 

「…しょぼ」 

「贅沢言うな」 

彼女は苦笑しながら、私の指をなぞる。 

「それから、うちの親とあんたの親に挨拶に行こう」 

指をなぞって、私の頬に手の平を添える。 

「怒られるかもしれないし泣かれるかもしれないけどさ」 

彼女の瞳はやっぱり優しい。 
目を細めて私を見る。 
私は彼女の首に腕を回した。 
彼女も優しく私を抱き止める。 

「もし許してもらえたら、この週末は家族で温泉にでも行こうよ」 

にっこりと笑ったような気がした。 
私はどんな顔をしていたかわからない。 
ただただこの人が愛おしくて堪らない、そう思っていたのだけは確かだ。 




映画はすでにクライマックスを迎えていて。 
ヒロインが意中の人にプロポーズされるというハッピーエンドだった。



 
 
引用返信/返信  削除キー/  編集削除  
■17126 / inTopicNo.5)  おしまいの日に。─木曜日の寓話  

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□投稿者/ 秋 一般♪(5回)-(2006/10/30(Mon) 15:30:58) 

 【骨の尖】 





「私がいなくなっても世界は続いていくなんて、不思議」 

思いついたようにソウコは言った。 

「私の世界は終わるのに」 

そう付け加えて。 


ソウコがいなくなっても、私の世界は続いてく。 

ごくごく当たり前のようでいて、それはとてつもなく奇妙な話に思えた。 


ソウコの明日はいつまで続くかわからないけれど。 
今は、いる。 
この世界にも。 
私の世界にも。 
ソウコはいるから。 
先の事をうだうだと考えるより、今はこんなもんでいいんじゃないかと思うのだ。 


あなたがいなくなっても、世界はそれにすら気付かずに回り続けるだろう。 
あなたがいない事を知っている私も、やっぱり普段と何一つ変わらずどこかでへらへら笑っていそうだ。 
それでも、寂しい、そう胸がチクリと痛むと思う。 
ついて行く事を、ソウコは決して許してはくれないから。 
私は自分の世界を続けなければいけない。 



そんな事を考えていた矢先だ。 
世界は終わると言う。 
ソウコの世界も、私の世界も、皆いっしょくたに巻き込んで。 







医師達は逃げ出した。 
その医院は、患者を見捨てられずに残ったわずかな看護士と善意のボランティアの助けで、何とか運営を続けていた。 
本格的な治療はできないものの、
身動きが取れずにベッドで寝たきりの人々にとっては食事や身の回りの世話をしてくれる事ほど有り難いものはない。 
私はいつも通りその白い建物へと入って行った。 
途中、顔馴染みの看護士さんと会うと二・三言葉を交わしてから目的の部屋に向かう。 
相変わらず病的な白さだ、と思ってみる。 
何度来ても病院という場所には慣れない。 
それでも私は毎日ここへ足を運ぶ。 
ある一室の前で軽くノックをし、返事を確認してから戸を開けた。 

「トキ、また来たの」 

ソウコはうんざりしたように言った。 

「毎日毎日私のお見舞いに来て、ばかじゃないの」 

布団に潜り込みながら悪態を吐く。 
ソウコの担当医も、ここから逃げ出した一人だ。 
「今更そんな事言われても。昔からの日課だし」 
私はベッドの脇にパイプ椅子を引き寄せて腰を下ろした。 
「今は状況が違うでしょ」 
ソウコは布団からわずかに顔を出して私を睨みつけた。 
「彼氏とか友達とか、最後くらいそーゆー人達と過ごせばって言ってるの」 
怒ったような声。 
「いないよ、そんな人」 
へらっと笑うと、「あぁそう」と呆れた目をされた。 
私は苦笑する。 
「大体最後っていうならソウコも同じだよ」 
するとソウコは一際キツく私を睨んだ。 
「私は元々覚悟ができてたからいいの!でもトキは違うでしょ。元気じゃない。生きてていいはずの人じゃないっ」 
ソウコは声を荒げ、わずかに咳込んだ。 

ソウコは近い内に死ぬ人間だった。 
私はこのまま生き続けるはずの人間だった。 
それが今は同じ条件。 
私もソウコも、同じ日に強制的に世界が終わる。 


月曜日のニュースを聞いた私は、ソウコを一人で逝かせやしないと世界が共鳴したのかと、そんな馬鹿の事を思った。 
ソウコは憤慨していた。 
今みたいに「何でトキまで死んじゃうの」と。 
けれど私は少なからず、いや、心から喜んでいた。 
世界が終わらなければ、いずれ確実にソウコは自分の世界だけを終わらせて、私を連れて行ってはくれないから。 
残された時が一週間しかないというのも早過ぎる話だとは思ったが、どうせ生死を分かつはずだったのだ。 
だから私は共に終末を待てるというのが嬉しくてならない。 
そんな事を言えば彼女の怒りを真っ向から買ってしまうので、絶対に口にはしないけれど。 


「トキ」 

名前を呼ばれて我に返る。 
「私に構わないで、トキはトキの好きに生きていいのよ」 
ソウコはゆっくりと身を起こした。 
好きにしてるのに、思いながら起き上がるソウコに手を貸す。 
「いつまでもこんなとこにいる必要ないでしょ」 
私はその言葉を無視して、 
「髪とかしてあげる」 
枕元のサイドテーブルから櫛を手に取ってベッドに座った。 
ソウコの髪を一房、掬い上げる。 
ソウコはまだ何かを言いたそうにして、けれど結局口をつぐんで私にされるがままになっていた。 
伸びたな、思いながら髪をすく。 
さらさらとしたソウコの黒髪。 
その艶から、なぜ彼女が死ぬのだろう、いつもイメージが湧かなかった。 
「慣れた手つきね」 
いつになく優しい声でソウコが言う。 
この何年もの間ソウコの髪をとかしてきたのだ、慣れもするよと私は笑った。 
「本当に、やりたい事していいんだからね」 
念を押すように、ソウコは言った。 
私の手が止まる。 
何でソウコはそんな事ばかり言うのだろう。 
本当にないんだよと、いつものようにへらっと笑ってやり過ごせれば良かったのに。 

そうできなかった代わりに、 
「お姉ちゃん」 
言いながら、ぽすっとソウコの肩に頭をもたげた。 
「何よ、気持ち悪い」 
悪態を吐いたものの、ソウコは私の髪をいじるようにして撫でてくれた。 

「明日はちょっと外に出て散歩しようか」 

色々なものが溢れてしまいそうで、ソウコの肩に顔を預けたまま、私は静かに瞼を閉じた。 
世界の終わりには何があるのか。 
骨と灰だけになるはずだったソウコも、私も、何一つ残らないかもしれない。 

「…そうね」 

ソウコの声だけが優しく耳に残る。 
このまま世界も閉じてしまえばいいと思った。 




今も昔も、大事なものは変わらずにこのたった一人の家族だけだ。 

今日まで生き永らえてくれて良かった、口ばかり悪い姉に小さく感謝の言葉を思ってみる。 

こんな事を言うと笑われてしまいそうだから、もしかしたら泣かせてしまうかもしれないから、
さすがにそれは勘弁してほしいので、思うだけだ。言いはしない。 

代わりに少し祈ってみた。 

何に、なのか。何を、なのか。そんなものは知らない。 

ただ、祈ってみた。 
それだけだ。



 
 
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■17127 / inTopicNo.6)  おしまいの日に。─金曜日の夕景  

▲▼■
□投稿者/ 秋 一般♪(6回)-(2006/10/30(Mon) 15:31:59) 

 【黄昏ロマンチカ】 





先生とのキスはいつも、 
珈琲と煙草が混じった苦みばかりが後に残った。 










階段を一歩、また一歩とやけに丁寧に上がる。 
屋上に繋がる扉は施錠されてはおらず、あっさりと開け放つ事ができた。 
グラウンドを臨むフェンスに背を向けて寄り掛かる。 
そのままその場に座り込んだ。 
ブレザーの内ポケットから煙草の箱を取り出す。 
振ってみるとからからと乾いた音が響いたのでそこから一本を口にくわえた。 
火をつけると途端に紫煙がたなびく。 
その煙を追うように空を見上げた。 
夕焼けが、迫ってくる。 





本日は卒業式だった。 

秋の深まるこの季節、本来ならばそんな時期ではないけれど、私の通う高校では急遽式が執り行われる事となった。 
もう行く必要のない学校にどれだけの人が集まるのか、そう思いつつ連絡を受けて来てみると、
卒業に該当する生徒は勿論、在校生側、教職員、来賓、保護者…等々。
欠席者は十人そこそこという予想外の出席率で、一同が集まった体育館の華やかな賑わいに思わず懐かしさが込み上げてきた。 
まるで世界が均衡を崩す前のようで。 


この卒業式に何の意味があるのかはわからない。 
けれど終末が近付く不安を打ち消す為に、あるいは正しい時期での卒業を迎える事はどうしたってできやしないから一種のけじめであったり。 
それが気休めであっても、依り処になっていたのは確かだから、成程、やはりこの式には意味がある。 




だから来て良かったのだと、再び煙を口に含んで思う。 
グラウンドからの喧騒が背中越しに伝わる。 
なかなかに離れ難くて、帰る気が起きなくて、式の後に球技大会を始めた連中だ。 
それだけじゃない、校舎にはまだまだ生徒が残っている。 
私のクラスメート達も、どこかほっとしたような、泣きそうな、情けない顔をしていた。 
皆、日常に縋っているのだ。 

私もだけれど。 

いつの間にか煙草の火が消えていた。 
ライターを出そうとポケットをまさぐる。 
ようやく探り当ててかちかちとつけると、 

「こら、不良生徒」 

どこか楽しげな、呆れた声が聞こえた。 
声の主はこちらへやって来ると私の右隣に座り、ひょいと煙草の箱を取り上げる。 
「生意気に学校で吸って」 
言いながらそこから一本抜き取った。 
「まぁ今日くらいは大目に見よう」 
ぷかりと何とも旨そうに煙を吐き出す。 
「私に煙草を教えたのは先生だよ」 
口を尖らせて言ってみせたら先生はふっと笑った。 
「この不良教師」 
くっくっと可笑しそうに笑うだけでそれには何も答えない先生は、 
「皆とのお別れは済んだの?」 
コンクリートの地面にぎゅっと煙草を押し付けて言った。 
私はちらりとグラウンドを見た。 
どうやら今はどっちボールの真っ最中らしい。 
わーわーと右へ左へ駆け回っている。 
「ひとつひとつ、目に焼き付けるのもいいかなって」 
教室のざわめき、校庭の喧騒、屋上からの風景は、かつて当たり前にあったものだった。 
このオレンジ色の空だって、見上げただけで涙なんか込み上げてはこなかったのに。 
理解したというように、先生は私の頭をぽんぽんと撫でた。 
先生は必ず、いつも私の右側に居る。 
左手を見せつけるように。 
それが決して立ち入らせない境界だったのだけど、今日に限って妙な違和感があったから、私は私の頭を撫でる先生の左手を掴んだ。 
「指輪、どうしたの」 
いつも薬指できらりと光って私をやきもきさせていたものが見当たらない。 
「…目敏いな」 
先生は左手を引っ込めながら苦笑した。 
「最後だからお互い自由になりましょうって事」 
冗談めかして言う。 

「愛してないの?」 

「愛していたよ」 

「そしたら最後まで一緒にいるものじゃないの?」 

「大人には色々あるの」 

先生はやれやれと肩をすくめた。 

「よくわかんないよ」と呟く私に、「わかんなくていいの」と笑ってみせる。 

私は先生の左手をじっと見つめた。 
細くて華奢な先生の指。 
その薬指に嵌まっていたものはもうない。 
「ねぇ、先生」 
指先を見つめながら声を掛ける。 
先生がこちらを向く気配がした。 
「運命の赤い糸ってあるでしょ?」 
私は続ける。 
「あれって、どうして小指なんだろうね?」 
そして自身の小指をピンと立ててしげしげと眺めてみた。 
「さぁ」 
先生はどうでもいいなぁと思っているような、とりあえずの相槌を打つ。 
そんな投げ遣りな先生の声に構わず、私はうーんと頭を捻った。 
「婚約指輪も結婚指輪も薬指でしょ。だったら赤い糸も薬指でいいはずじゃないの?何で小指なのかな」 
それを聞き、確かにそうだねと先生は首を傾げた。 

ふむ、と。一考して。 
先生は私の手を取った。 
私がそちらを向く一瞬に、自分の小指と私の小指とを絡めて。 

「こうやって約束するからじゃない?」 

そうして指切りしてみせた。 

「あー…」 

何だかひどく納得してしまって、思わず感嘆の声が漏れる。 
これが大人ってやつか、と妙に感心してしまった。 
そのまま小指が離れてしまうのも心許なく思ったので、残りの指も先生のものと絡めてみた。 
重なり合った手を、先生は払い除けない。 
いつもは手を繋いだ時に当たる薬指の不快な感触も今日はない。 

先生の小指に唇を寄せて、それから先生へと顔を寄せた。 

「ねぇ、いけない事しよう」 

先生は「生意気」といつものように鼻で笑った。 

重なった唇からは同じ煙草の味がして。 
苦みと、その甘さにくらくらする。 
そして私は、彼女の小指にキスを落とすように優しく牙を立てたのだ。 

最後の約束を交わすのが私でありますようにと願いながら。



 
 
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■17128 / inTopicNo.7)  おしまいの日に。─土曜日の切言  

▲▼■
□投稿者/ 秋 一般♪(7回)-(2006/10/30(Mon) 15:33:09) 

 【蒼いヒビ】 





正直、追い詰められた人間というのは常軌を逸した狂気じみた行動に出るものだと思っていた。 

世界はもっと混沌とするものだと。 


けれども日常は緩やかに下降して、人々は平静を装いながら日々を過ごしている。 


どんなに足掻いてもやってくる未来は変わらないのだ。 
明日、人類に平等な死が訪れる。 
だから諦めたように惰性で暮らしているのかも知れない。 





何となく昼間から外をふらふらと散歩していた。 
日が暮れた頃にアパートに戻ると、同居人のしーちゃんが何やら鍋でぐつぐつ煮ていた。 
「いい匂い」 
くんくんと漂う香りの元を探る。 
「今夜はシチューだよ」 
おたまで中身を一混ぜして、しーちゃんは言った。 
「外、寒かったでしょ。お風呂沸いてるから先に入っといで」 
あたしは短く返事をして、バスルームへと向かった。 
脱衣所にまっさらなバスタオルと洗い立てのあたしの部屋着が置かれている。 
きっとしーちゃんが昼間の内に洗濯をしてくれていたのだろう。 
湯気の立ち上る湯舟にざっぷりと身を沈めて、感謝の言葉をルームメイトに投げ掛けてみた。 
キッチンで鼻歌を口ずさみながらシチューを煮込んでいるであろう彼女には聞こえていないだろうけど。 

こうしてあたし達も、日常を過ごしているのだ。 



髪をわしゃわしゃとタオルで乱暴に拭いながらリビングに戻ると、しーちゃんが食事の用意を始めていた。 
「真琴、ちゃんと髪乾かしておいでよ」 
苦笑するしーちゃん。 
あたしは「だいじょーぶ」とだけ答えて、ソファに腰を下ろした。 
テレビをつけてみる。 
案の定、各局とも砂嵐。 
一日、また一日と放送を放棄するテレビ局が増えていたが今日になって全滅だ。 
昨日まではまだ、世界の様子を綴ってくれていたのに。 
情報手段は絶たれた。 
「…つまんないの」 
あたしの呟きを聞いたしーちゃんは、「仕方ないよ」と笑った。 
「報道マンだって人間だからね」 
言ってみせる。 
「電気とかガスが止まらないだけましだよ」 
言われてみて、それもそうだと思う。 
だから余計に平静を保てるのだろうとも思う。 
崩れない日常の中にいるからこそ、冷静でいられる。 

─冷静だからこそこんな状況下でさえ理性が働いてしまうのだろうか。 

昨日までテレビで流れていたニュースを思い返す。 
週明けの発表から、どうせ死んでしまうなら、と自ら死を選ぶ人が後を絶たなかったらしい。 
こうしている今も、自身の手で命を絶つ人がいるのだろう。 
自殺なんぞしなくてもどうせ日曜日には皆死んでしまうのに、とあたしは思う。 
けれどそれは狂った行動に見えて、その実、とても理性的だ。 
だから愚かしいとは思わない。 
彼らは、世界に殺される前に最期の瞬間は自分で決めたいという、限られた中での自由を選択したのだから。 


「どうしたの、黙り込んで」 
背中に掛けられた声に顔を上げようとすると、しーちゃんはあたしの首にかかったタオルをひょいと掴み取った。 
「真琴。全然拭けてない」 
わずかに怒った声、けれどそのまま優しくあたしの髪を拭き始める。 

「しーちゃん」 

「なに?」 

「死ぬのがわかってて何もしないのは自殺かな」 

しーちゃんの手が、ぴたりと止まった。 

「しーちゃん?」 

振り返って見上げると、しーちゃんは愛想の良い顔をほんの少し曇らせていた。 
やがて困ったように笑って。 
「よくわからないけど。自分で死ぬのとは、また別なんじゃない?」 
またくしゃくしゃとあたしの髪を拭く。 
「どうしたって死んじゃうのかもしれないけど、それでも今は生きてるから」 
わずかな間があって。 

「私は最後まで生きるよ」 

柔らかいしーちゃんの声は力強い響きを持っていた。 

しーちゃんの大事な人はもういない。 
彼女を残して、さっさと一人で逝ってしまった。 
あたしは、しーちゃんが彼の後を追ってしまわなくてよかったと思う。 
今いてくれる事が、こんなにも嬉しい。 
だからもしかしたらあたしの質問は彼女を傷つけてしまったかもしれないと思って、
「ごめん」と謝ろうとしたところでぐぅぅとお腹が鳴ってしまった。 
「もうこんな時間だもんね。そろそろ夕飯にしようか」 
しーちゃんはくすくすと笑って、タオルをあたしに預けるとキッチンへと向かった。 
深皿によそられたシチューがあたしの前に置かれる。 
クリームの香りが鼻孔をくすぐって、またお腹がぐうぐう鳴った。 
小さなソファに二人並んで、両手を合わせて「いただきます」を言う。 
しーちゃんの作るご飯は相変わらず美味しかった。 
何か特別な事をするわけでもなく、こんな当たり前の日常を続けられる事が、案外幸せなのかもしれない。 
こうなってみて改めて感じる。 
しーちゃんのシチューは美味しい。 
しーちゃんが隣に居て嬉しい。 
だからあたしは幸せなのだと思う。 

「世界の滅亡には何もできないかもしれないけどさ」 

はふはふとシチューを口に運んでいると唐突にしーちゃんが口を開いた。 
スプーンをくわえながら隣に座るしーちゃんを見る。 

「それはどうにもならないけど。最後までどう生きてくかに意味があるんだよ、きっと」 

あたしは「うん」と頷いた。「うんうん」と何度も頷いた。 

「明日で終わりだよ」 

しーちゃんは食べ終わったシチュー皿を静かに置いた。 
そしてあたしを見る。 

「私はこんな風に日常を過ごすのも悪くないと思ってる。真琴は?どう生きる?」 

あたしはうーんと唸りながらシチューの最後の一口を飲み込んだ。 

週明けの発表を聞いてから思いつく限りの事はやってみた。 
思いつかないだけでまだあるのかもしれないけれど、心残りと呼べるようなものは多分ない。 
代わりに今のこの時が大事だ。 
世界が終わるなんて未だに信じられないくらい穏やかなこの時間こそが。 

そう告げてみる。 


「やりたい事なんて、案外思いつかないものだよね」 

しーちゃんは小さく笑った。 
あたしもそれに頷こうとして「あ」と声を上げた。 

「ねぇ、しーちゃん」 

「うん?」 

「膝枕、して欲しい」 

しーちゃんは笑った。そんなのでいいの?って。 

手をどかして膝を揃えて「どうぞ」と声を掛けられてからあたしはゆっくりと横になって彼女の膝に頭を乗せた。 

「頭撫でて」 

「はいはい」 

「後で耳かきも」 

「わかった」 

「それから─」 

「それから?」 

「しーちゃんの心が欲しい」 

「───…」 

あたしは身を起こして、しーちゃんを真っ直ぐ見つめた。 

「心が、欲しい」 

しーちゃんは困ったように目尻を下げた。 

「それはだめ」 

「なんで」 

「どうしても」 

あたしはぎりっと奥歯を噛み締めた。 

「まだ彼氏の事…?」 

しーちゃんは黙って俯いた。 

「だってあいつ、もう死んだじゃん」 

「……真琴」 

「しーちゃん置いてさっさと一人で死んだじゃん」 

「真琴」 

「二人でどう生きようかなんて、考えてなかったんじゃん──…!」 

「──マコ」 

あたしは言葉に詰まった。 
しーちゃんはあたしの瞳を射るように見ていた。 
決して怒ってはいなかったけれど、あたしはその先の言葉を飲み込むしかなかった。 
だからなのか、縋るような、情けない声が出てしまった。 

「…あたしに、ちょうだいよ」 

「だーめ」 

「なんで…っ」 

「それはだめだよ、真琴」 

しーちゃんは困った顔で笑った。 
あぁ畜生、こんな時に。 
あたしを諭すしーちゃんはあたしが知っている中でも一番に綺麗なのだ。 
だから悔しくなってしまって、思わず睨むように彼女を見た。 
しーちゃんはまた苦笑した。 
苦笑ついでにこちらへ手を伸ばす。 

「心はあげられない代わりに」 

そしてくしゃりとあたしの髪を掻き上げた。 

「私の残りの時間をあげるよ」 

そう言って微笑む。 

本当に、狡い人だと思う。 
あたしは悔し紛れに「おかわり」と言って、空の皿を突き出した。 
しーちゃんははいはいとその皿を受け取る。 
そうしてキッチンへと消えた。 
あたしの顔の火照りは収まらない。 
ぱたぱたと手団扇で仰いで、一先ずはこれでいいかと思ってみる。 
今日と明日、短期間ではあるけれど、そこで何とかしーちゃんの呪縛が解ければ。 
思ってみて、なかなかに悪くないじゃないかと一人頷く。 
あたしの技量によるところだけれど、そこは何とかしてやろう。 
しーちゃん。 
これこそがあたしの最後の心残り。 
それさえ成就すれば。 
成就、すれば──? 

そこまで考えて、はっとする。 



「はい、どうぞ」 
しーちゃんがシチューのお皿を差し出して、「真琴?」ぎょっとしたようにあたしを見た。 
「…怖いよ」 
あたしの呟きに怪訝な顔をする。 
「死ぬのは、怖いよ…」 
吐き気にも似た痛みが、じんわりと広がっていく。 
あたしは何もわかってなかった。 
今更になってようやく気付いたんだ。 


明日で世界は終わる。 
しーちゃんがどうなろうと。 
あたしがどうしようと。 
その先には何もない。 

終わりとは、そういう事だ。 


なんて救いがないのだろう。 



「死にたくないよ…!」 
鳴咽が漏れそうになるのを堪えながらやっと言葉を吐き出すと、しーちゃんはあたしを優しく抱き寄せてくれた。 

「私だって、怖いよ」 

笑うような優しいしーちゃんの声も震えていた。 

「だけど一人じゃないから」 

あたしの背に回された腕から、確かな温もりが伝わる。 
まだ、生きている。 

「二人で一緒に、最後まで生きようよ」 

ね?と、あたしの顔を覗き込んだしーちゃんも何だか泣いているように見えて、
それでもやっぱり普段の笑みを保っていたからあたしも笑ってみせた。 
二人して無邪気に笑ってみた。 

いくら言葉を尽くしても足りない。 
終末は近い。 

シチューはとっくに冷めてしまっていた気がする。 








私達は、絶望の先に未来を探す。




 
 
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■17129 / inTopicNo.8)  おしまいの日に。─日曜日は終末  

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□投稿者/ 秋 一般♪(8回)-(2006/10/30(Mon) 15:34:10) 

 【空の境界】 





やけに静かな朝。 
目を覚ますと、枕元の時計は9時をわずかに回ったところだった。 
仰向けのまま天井に向けてぐっと腕を伸ばし、勢いをつけて起き上がる。 
珍しく頭はしっかりと覚醒していて、欠伸は出てこなかった。 
カーテンを開けると欝陶しいほどの青空。 
そう、とても穏やかな、耳鳴りが聞こえるくらい静けさが広がる、そんな朝だった。 

今日世界が終わるなんて、信じられないほどの。 



週明けに突如流れたニュースは世界を驚愕させた。 
割と柔軟性のある方だと自負する私はその事実をすんなり受け止め、会社は休もうと即決した。 
すぐさま旅行鞄に着替えやら化粧ポーチやら、必需品を詰め込む。 
そして原付きのキーを引っ掴むとワンルームのアパートを後にした。 
ニュースを見た瞬間、最後だけはせめてもの親孝行をしてやろうという思いが胸を掠めたのだ。 

そうして、就職をしてからろくに寄りつかなかった実家へと帰り、土曜日までを過ごした。 
あぁこのまま我が家で人生を終えるのだ、そう思っていた時。 
最後は夫婦水入らずで過ごしたいと、両親に追い出されてしまった。 
日曜日へと日付が変わる頃、私は見慣れたワンルームに戻って来て、一人寂しくこの地球最後の日を迎えたのである。 



しゅんしゅんと火にかけたやかんが沸騰している。 
それを急須に注いで、とりあえず緑茶を淹れてみた。 
ほっと、一息つく。 
アパートの住人、近隣の家々の住民は皆、どこかへ出掛けて行ってしまったようだ。 
まったく人の気配を感じさせないひっそりとした静けさから、そんな事を思ってみる。 
世界が終わる時を、どこで過ごすのだろうか。 
そんな事も思ってみる。 
夫婦水入らずじゃなくて親子水入らずでもいいじゃないかと、家から追いやった両親の顔を思い浮かべて。 
今思えば、年頃の娘には最後の時を共に過ごしたい相手がいるだろうという、彼らなりの配慮だったのかもしれない。 

『気が向いたらあんたの大事な人と会わせてちょうだい』 

いつかの母の言葉を思い出す。 

『どんな男だろうと、お前が傷つかないならいい』 

父の言葉も。 


ごめんね、 
父さん、母さん。 

私の恋人は彼氏ではなく彼女だ。 

けれど最後くらいなら紹介しても良かったかもしれない。 
もう手遅れだけれど。 


半年ほど前に別れた恋人の顔が脳裏を過ぎる。 

何で別れたのかと思い出せない辺りが、きっときっかけはくだらない事だったのだろう。 
些細な言い争いから余波が広がって。 
結果、残されたのはあの人が来る事のなくなったワンルームとあの人の痕跡だけだ。 


すっかり冷めてしまった緑茶を啜る。 
あぁそういえばこの湯飲みを買ってきたのもあの人だっけ。 
至る所に記憶が刻まれている。 


大学時代から付き合ってきた、彼女。 
6年という月日の長さを思ってみる。 

喜びも、哀しみも、怒りも、願いさえ。 
すべてを共有してきた人だった。 

彼女との日々を振り返れば。 
喧嘩も絶えなかったけれど、それでも楽しかったと思う。 
愛しさが溢れて止まない。 



してもらうばかりで、何一つ返せていない。 
私は何も返していない。 



ぬるくなった湯飲みのお茶を一気に煽り、立ち上がる。 
キッチンでそれを丁寧に洗ってシンクに優しく伏せた。 

今更謝罪だとか、恋情だとかを言い繕う気は更々ない。 
ましてやヨリを戻そうなんて。 
けれど、伝えなければならない言葉は確かにあった。 

混線しているのか、はたまた電話会社もすでに機能していないのか、電話もメールも繋がらない。 
会いに行く、と言っても。 
家にはいないかもしれない。 
半年も経ったのだ、大切な誰かがいるかもしれない。 
彼女の馴染みの店を梯子したところで、開いてはいないかもしれない。 
人一人を探す事が決して容易ではない事はよくわかっている。 
それでも私は行かなくてはならない。 
残された時が今日しかないならば。 

メイクをする時間さえ惜しくて、洗顔をするとファンデーションを塗って眉毛を描くだけで済ませた。 
彼女の前に立つ私はいつでも恰好つけていて、いつもフルメイクでばっちり決めていたのに。 
服だって適当だ。 
クローゼットをひっくり返して最高に自分が引き立つ服を、なんて探している暇はない。 
起きぬけの部屋着、伸びきったスウェットにパーカーという出で立ちだけれど構うものか。 
躊躇いはすでにない。 
こんな自分を格好悪いと思う気持ちはとっくに捨てた。 

原付きのキーだけを手に、私は玄関へと向かう。 
ミュールやブーツ、パンプスが並ぶシューズケースから底がぺたんこのスニーカーを取り出した。 
駆けずり回る覚悟はできている。 

ぎゅっと、靴紐を結んで。 

一つ大きく深呼吸をする。 

玄関の扉を開け放つと─ 





「──…嘘みたい」 





目を丸くした私はそれきり絶句してしまった。 








逢いたいと望んだ、彼の人が立っていたから。 








私は彼女をまじまじと見つめる。 
ジャージにTシャツというラフな姿で、どれほど急いできたのだろうか、うっすらと額に汗をかいて眉毛は半分消えかけていた。 
こんな姿を、私は初めて目にした。 
彼女もまた、私の前では極度の格好つけだったから。 

「ひどい格好」 

私を見て彼女は、泣きそうな顔をしてふっと笑った。 

「そっちこそ」 

言い返した私は、すでに泣いてしまっていたかもしれない。 


もう言葉はいらなかった。 
どちらともなく抱き合って、きつくきつく腕に力を込めた。 
鳴咽も鼓動も微熱も、どちらのものかわからなかったけれど、そんな事はどうでも良かった。 



今日のいつ、終わりが来るのか。 
誰も知らない。 
けれどこんな不安定な世界の中、皆それぞれに憂い、涙し、喜び、大切な誰かを想っているのだろう。 
繋がった空の下で。 








おしまいの日には、ありがとうを。 

ありがとうを、あなたに。



 
 
引用返信/返信  削除キー/  編集削除  
■17130 / inTopicNo.9)  おしまいの日に。─curtain call  

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□投稿者/ 秋 一般♪(9回)-(2006/10/30(Mon) 15:35:32) 

 「──却下」 
演出の美波はそう一言言い捨てて、私がこの一週間殆ど寝ずに書き上げた台本を投げ捨てた。 
「何すんのっ」 
私はむっとしながら床に落ちた台本を拾い上げ、ぽんぽんと埃を払いながら彼女を睨んだ。 


夏休みの昼下がり、駅前のマックはそこそこ混んでいて、奥の座席の一角を私達は陣取っていた。 
秋の学園祭で創作劇を上演する我がクラス。 
今日はその舞台の打ち合わせとして、演出の美波、助演の歩、そして脚本担当の私の三人が集まっていた。 


「どこがいけないわけ?」 
美波の目の前に先程の台本をバンッと叩きつけ、更に睨みつける。 
「うるさいなぁ。そんなに睨まないでよ、暑苦しい」 
美波は涼しい顔をしてシェイクのストローに口を付けた。 
「一応聞くけど、登場人物は皆女なのね?」 
「うん。だって役者全員女じゃん。だから」 
ずずっと啜る音が聞こえる。 
「ふーん…それはまぁいいわ。不自然さはそんなにないし。同性同士だからこその葛藤とか、心の機微もあるもんね」 
ふむ、と一応納得したような顔の美波を見て、 
「でしょ?そう、そんな雰囲気出したくて」 
得意げに胸を張る。 
「問題はここから」 
そんな私に、美波はじろりとした視線を投げつけた。 
思わず身構える。 
「救いがなさ過ぎるのよ」 
美波は冷たく言い放った。 
「水曜日の彼女達には未来はないし、土曜日の子だって時間があれば何とかなったかもしれない。
 日曜日の二人もせっかく再会したのに結局死んじゃうって事でしょ?全員に待ってるのは最終的に絶望じゃないの」 
気に食わないというように、美波はばんばんと台本の表紙を叩いた。 
「でも皆、不幸ではないと思うよ?」 
私はうーんと首を捻って答える。 
「どうもがいても報われないでしょ、結末として世界が終わっちゃうなら。
 これならいっそ、特別な力を持った主人公が人類滅亡の危機を救うとかどうにかして生き延びるとか、そんな前向きな話の方がいい」 
私は憤慨して「この話だって前向きだ」と言い返した。 
「私が書きたかったのはあくまでも普通に生きてる人達の日常で、そーゆーありがちなご都合主義は出したくなかったんだよ」 
鼻を鳴らす。 
「ここで大事なのは限られた時間の中でどういう選択をするかって事なの!これだってある意味ハッピーエンドだ!」 
私と美波、両者一歩も引かずに睨み合いの膠着状態が続く。 
そんな中、黙々と台本に目を通していた助演の歩が言葉を発した。 

「あたしはいいと思うよ、この話」 

ぱたん、と。 
読み終わった台本の表紙を閉じる。 

「歩っ!!」 

「歩っ?!」 

意味合いの異なる二人の声が絶妙に重なった。 
片や喜びで、片や驚きで。 

「絶対的な終末ってテーマが面白い」 

私を見て、「お疲れ様、景」とこっちまで嬉しくなるようなのんびりとした笑みを浮かべる。 
「でも歩。これじゃ学園祭の公演にしては暗くない?」 
そうはいかないらしい美波は、焦るように歩に向き直った。 
「メッセージ性が強い方が観客に伝わりやすいよ。タイムリミットまでどう過ごすか、これは観た人が考えさせられるテーマだと思う」 
頬杖をつきながら、再び台本をパラパラとめくる歩。 
「人間、追い詰められなきゃ本心には気付けないものだし。なかなか行動も起こせないよね。
 だからこそ女同士ってところにも意味を持たせられるんじゃない?」 
ほんわかと笑う歩に、美波は毒気を抜かれて小さく溜め息を吐いた。 
歩はそれに満足したようににっこりと笑うと、今度は私の方を見た。 
「伝えたい時に伝えたい相手が側にいるとは限らないぞ。ってとこ?」 
そう言ってにっと笑ってみせる。 
見事なまでにずばり言い当てられた私は嬉しくなって、 
「そう!そう!その通り!」 
ずいっと歩に向かって身を乗り出した。 
さぁお食べ、と自分のポテトを勧めて。 
「さすが歩はわかってるね。そうなんだよ、私はそれを言いたいわけ」 
うんうんと頷く。 
「いつ何があるかわかんないから悔いを残すなよお前ら。ってね」 
にししと笑うと、 
「──景がそれを言う?」 
美波が冷ややかに私を見ていた。 
「伝えたい時にその相手がいるかわかんないから思った時にちゃんと伝えろ、って?」 
呆れたように溜め息をつく。 
「あんたね、そーゆー事は自分がちゃんとしてから言いなさいよ」 
やれやれと美波は息を吐いた。 
私はぐっと押し黙った。 
「あー理菜ちゃんかぁ」 
間延びした歩の声も、今は胸に突き刺さる。 
「喧嘩、してるんでしょ」 
相変わらずのそっけない口調で美波が言う。 
「えー。景、まだ仲直りしてなかったの?」 
歩が珍しく呆れた声を上げた。 
「理菜って夏休みが明けたら転校するんじゃなかった?」 
「確かそうだよねぇ」 
「…うっさいな」 
私は顔を伏せた。 
何だか矛先がズレてきている。 
二人の視線に射られて痛い。 
「あんた、そんなんでこれ書いたの」 
目の前にばさりと私の書いた台本が置かれた。 

「仲直りもそうだけど。言ってない事だって残ってるくせに」 

私は眉をしかめて、顔を上げた。 

「声が届くところにまだ相手がいるのは幸せな事なんじゃない?」 

「…あんた、どこまでお見通しなわけ?」 

「腐れ縁をナメんじゃないわよ」 

美波はニヤリと笑った。 

こんな時、幼馴染みというのはなんて厄介な存在だろう。 
付き合いの長さが物を言う。 

「あぁもう!」 

私は苛立たしげに頭を掻いて、席から立ち上がった。 

「行ってくりゃいいんでしょ!行ってくりゃあ!」 

店内に私の怒声が響いて一斉に他の客の注目を集めたが、そんな事は気にも留めず、私は美波に台本を叩きつけた。 

「その代わり、舞台はこれを上演してもらうからな!」 

美波は周囲の視線もどこ吹く風、涼しい顔で残りのシェイクを啜った。 
時折私をちらりと見て「まだいたの?」そんな目をする。 

「────…っ」 

もはや投げつける言葉が見つからない私は肩をわなわなと震えさせ。 

「美波の方こそさっさと歩に言っちゃえよ!」 

精一杯の捨て台詞を吐いてみる。 
これにはさすがの美波もごほごほと蒸せ返った。 

「景、あんた…」 

「腐れ縁をナメんなよ」 

ふふんと笑って、先程の美波の台詞をそっくりそのまま返してやった。 
美波は見る間に紅潮していく。 
「あたしがどーした?」 
当の歩だけがよくわからないという様子できょとんとしている。 


さて、と。 
時計をちらりと見る。 
現在、時刻は夕方の少し手前。 
今なら引っ越しの準備で家にいる可能性が高い。 
夕飯時ではお邪魔になるし、今が頃合いかもしれない。 


今一度、自身の書いた脚本のタイトルをなぞって。 

「じゃあ行ってくるわ」 

二人に声を掛けた。 

未だに顔の火照りが引かない美波は恨みがましく私を睨む。 
「これ演りたかったら、中途半端は承知しないから」 
私はそれを激励と受け取って、くるりと背を向けるとひらひらと右手を振った。 
「景、ファイト」 
楽しそうな歩の声援に親指を突き立ててみせ、歩き出す。 


「これもひとつの『おしまいの日に。』かな」 


ざわざわと騒がしい店内に、美波と歩、どちらが言ったか知れない声がやけにはっきりと響いて。 

彼の人の微笑む顔が、私の瞼の裏側に灼けるように浮かんだ。 



あぁ、やはり。 
言葉にならない気持ちほど、相手に伝えたいものなのだ。 















おしまいの日に。-fin-
 
 

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