卒業
 2003/06/02 Mark


季節は冬から春へ。 だんだん暖かくなっていく卒業少し前の冬の終わりの頃だった。 一応第一志望の大学に受かって、あとはただ憂鬱な卒業式を待つだけの。 『……い……――怜先輩っ!』 いつのまにか教室の机に突っ伏して寝ていたみたいだった。 肩を揺さぶられて目を覚ました私の顔を覗き込んでいたのはヒロミ。 部活―ダンス部の一つ年下の後輩だった。 色白で、優しげな大きな目印象的な可愛い後輩。 顔だけじゃなくって、性格だって。 ――誰にも言えないけれど、いつの間にか私はいつもヒロミを目で追うようになってた。 でも、もうすぐ卒業だから、それももう終わり。 『おはようございます。もー…先輩ってば、何回起こしても起きてくれないんだもん……――はい。これどーぞ。』 眠い目をこすりながら漸く体を起こした私に、ヒロミはいつもの、少し目を細めるような笑顔で白いシンプルな封筒を差し出した。 …手紙? 『んー…何よ〜………なに、これ?…』 もう一つあくびをかみ殺して、封筒を裏返したり、また表にしたりして眺めて。 ちらりとヒロミに向けた視線は、無意識に制服のYシャツから覗く綺麗な鎖骨、首筋に一瞬行ってしまって慌てて封筒に戻す。 いつものちょっとやる気ない、ふざけた先輩のフリ。 それが私にできる精一杯だったから。 『写真ですよ、文化祭のときの。現像したのに先輩忙しそうだったから、渡すのこんなに遅れちゃって…』 『え―――あ、ありがと。つーか偉いねー、ちゃんとみんなの分現像してあげてるんだ?』 思いもかけないプレゼントに、口元が緩んだ。 椅子に座ったままだから私より少し背の低いヒロミを珍しいことに見上げながら話す。 少し悪戯っぽい笑顔が、こちらを見下ろしていた。 唇に人差し指を当てて… 『……他の先輩には内緒ですよ、怜先輩だけ…特別。――じゃ、私練習行かなくちゃいけないんで…失礼しますっ。』 『……え、…あ、ヒロミっ…!?』 思わず立ち上がって、ビックリしたように見送る私に笑ってひらりと手を振って、ヒロミは走って行った。 ――先輩だけ。特別。 その言葉だけで、こんなに嬉しいなんてバカみたい。 【卒業おめでとうございます…先輩大好きですっv】 写真のほかには、そんなメッセージカードが入っていた。 大好き、の意味なんて女の子どうしでよくある、私のヒロミに対する『好き』とは違うものだって判っていたけどすっごい嬉しくて。 その日はそれを眺めてにやにやしながら眠った。 ――あと、少しだけだから。 数日後、卒業式の後に3年生のお別れ会をやるのがウチの部活の恒例。 そのお別れ会も、盛り上がって、解散。 最後やっぱりみんな涙ぐんだりもして、最高の思い出になった。 こうやって高校生活にケジメつけていくんだな、なんてちょっと似合わないことを考えたりもして。 皆で校門の前に集まって写真を撮った。 『じゃーみんなでカラオケでも行こっか?』 『あー、行く行く!!怜も行くでしょー?』 『――なに言ってんの、当たり前じゃーん。行くよ―――』 その時になってふと気がついた。 集まって喋ってる後輩達の輪の中に―――ヒロミが居ない。 何となく気になって、後で合流するから、と友達に場所だけ聞いて取り敢えず皆とは別れた。 『部室―――かな?』 他に思いつくところも無くて、部室へ。 ぎぃ…と古びた金属製の扉がきしんだ音を立てる。 そこには案の定、見慣れた華奢な背中が窓際に在った。扉の立てた音に驚いて振 り向いたヒロミと眼が合う。 『―――先輩…?なんで…』 『それはこっちのセリフ。こんなとこで何してんのよー?置いてっちゃうよ?』 部屋に立ち入った私の背中で、扉がまた軋んだ音を立てて閉まるのが聞こえた。 いつもどおりの、ふざけた口調で笑いながらヒロミのほうへ歩いていった。 鞄は机の上に放り投げて。 と、ヒロミが笑いながら制服の紺のジャケットを差し出した。 …ヒロミはジャケットを着てる。ということは… 『先輩、忘れ物。今届けようとしたとこなんですよ?』 『―――あ。……うっわ、私超マヌケ…ありがと。』 『最後の最後に何忘れてるんですかー、もう取りに来れないんですよ?』 ごもっとも――と笑いながらジャケットを受け取ると、ヒロミは同じく笑いながら、そっと目の辺りを拭った。 少し涙の名残がある、潤んだ目と、濡れた睫毛が色っぽくて、思わず私はその綺麗な澄んだ目をじっと見つめていた。 その視線に気づいて、ヒロミは何?と問うように首を傾げる。 『……また泣いてんのかなーって、思ったの。泣き虫。』 『もう泣いてませんよー、先輩じゃあるまいし。』 『あー、そういう可愛くない事いうんだ?――うりゃっ』 ちょっと生意気なこと言うのはいつものヒロミとまったく同じで。 だから私もいつもと同じように、ぎゅっとヒロミを抱きしめた。 いっつもふざけて…いるように見えたかもしれないけど、私はその度にこの柔らかくて、細い身体を離したくなくて困った。 これも今日で最後――だから今まで以上にぎゅっと抱きしめて。 少し、甘いヒロミの香りがした。 『―――ヒロミ?』 いつもだったら、ここで離してくださいよ、とか、私のこと好きなんじゃないですか?とか元気良く反撃してくるはずなのに。 何も言わないで、ただ抱きしめられているだけのヒロミを不思議に思って、私の顎の辺りにある顔を覗く。 『―――。』 それを察して、俯いてしまったから見えなかったけれど。 ヒロミはまた泣いていた。 その涙が、一粒、二粒と私の首筋に落ちるのが判った。 ぎゅっと胸を締め付けられるような気がして、私はもう一度強くヒロミを抱きしめた。 そうしないと自分まで泣いてしまいそうだったから。 声を殺して泣いているヒロミが、私の背中に恐る恐る手を回して、セーターの生地を掴んでいた。 『―――…い、…先輩。』 『……何?』 涙交じりの声で呼ばれて私はまたヒロミの顔を覗き込む。 後からこぼれる涙を拭いながら、こっちを見上げてくるヒロミが、あまりにも無防備で。 至近距離で見ても、泣き顔でも本当に可愛くて…この子に会えなくなるなんて… あまりに、辛すぎた。 『……また、遊びに来て…ください。ずっと…――』 後に続けて何か言おうとしたその唇を私の唇が塞いだ。 今まで堪えていた何かが、溢れ出したように、あまりに突然だったけれど。 柔らかい、熱い唇をもう一度軽く吸って、離す。 ……ヒロミはただ驚いたように こっちを見上げていた。 ―――当たり前だよね、こんなことされて。 私はゆっくりと、抱きしめていた腕を離した。 平手ぐらい飛んできても、罵られてもよかった。もう、最後だから。 『……先輩。』 『―――何…?』 自嘲気味の苦笑を浮かべて、俯いた私の唇を、さっきと同じ感触が塞ぐ。 ――なに、これ。 程なく離れていったヒロミは、涙で濡れた目のまま、少し赤くなってこう言った。 『ずっと…好きだったんです。って言おうと思ってたのに。』 まだ、少しキスの濡れた感触が残っているような気がして、そして信じられない事態にただただ驚いて。 私は自分の唇を手の甲で抑えたままヒロミを呆然と見ていた。 『―――ずっと、先輩のこと好きでした。…たぶん、これからも。』 やっと、泣き笑いのような表情になって、私はもう一度ヒロミを抱きしめた。 今まで以上に、強く、強く。 うれしくて、今度は私がボロボロに泣いていた。 ぎゅっと抱き返してくれる感触に、もう離さなくていいんだ、と。 ――しばらくして、ゆっくりと体を離す。 『…ヒロミのことしか見てなかったよ。ずっと。――ありがとう。』 そういって、微笑んで見詰め合いどちらからともなく手を繋いだ。 しっかりと握り返してくる細い指。 きっと、この手は ……ずっと離さない。
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