■9668 / inTopicNo.66) 40 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(55回)-(2005/05/24(Tue) 19:27:34)
「まぁ忘れろっては言えないけどさ。‥そろそろいいんじゃない?新しい恋するのも。」 いつも私につきまとうのは綾香の影。 「あんたのせいじゃない。」 痛い、痛い思い出。 清水さんの声が優しく心に響くけれど、どうにも出来ない過去。 ‥綾香は私のせいで。 私が綾香を愛してしまったせいで。 ‥胸が苦しくなる。 うまく声を出せなくて、喉からかすれた音だけが外へと出る。 「柚羅‥?」 清水さんは私の背中にそっと手を置くと。 「あんたのせいじゃない。」 もう一度、強く言った。 「‥恐いんです。」 やっと出た声。 「何が?」 周りの雑音もBGMも。 全てが止まってしまったように。 「また‥愛した人を失うのが‥愛することが――」 ねェ、いつから私はこんなに臆病になってしまったのだろう。 いつから私は‥。 淡い水色の清水さんのカクテル。 赤く光る私のグラス。 じっと見つめていたら眩暈を覚えた。 どこかで聞いたような‥透き通る歌声を聞きながら。 私は椅子から落ちて。 床に倒れこんだ。 『‥?柚羅――っ!?』 周囲の騒めきと。 慌てたような清水さんの声が遠くに聞こえたけど。 もう辛いの。 胸が苦しいの。 だから私は、 そのまま自分の意識を手放した。
■9781 / inTopicNo.69) 41 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(57回)-(2005/05/28(Sat) 21:39:26) とあるファミレス。 私は名前も知らない女性と向かい合い座っていた。 「何食べる?」 「‥。」 「いらないの?」 言いながら彼女はメニューを私に手渡そうとする。 「‥ハンバーグ。」 ソレを受け取る前に答えた。 おなかがすいていたから、自分の食べたいものを言っただけなのに。 彼女はキョトンとした表情を見せてから、 "子どもね"と言う顔で笑う。 ‥何か悔しい。 「ソレ、睨んでるつもり?」 からかうようにクスッと笑うと、テーブルの上のボタンを押し、ウェイトレスを呼び出した。 聞きたい事も言えないし、悔しいし。 いろんな思いを含めてジッと彼女を見つめていただけなのに。 「‥あなたは柚羅さんのお友達ですか?」 "ハンバーグセットとコーヒーを一つ" 可愛らしいウェイトレスに笑顔で注文を済ませた彼女に、遠回しに質問をぶつけた。 "昔の恋人じゃありませんように"と願いながら。 「まぁ、そんな所かしら。」 なんて笑いながら。 微妙な答え。 「‥私に何か?」 誰にしろ、私の知り合いではないのだから。 ココまで連れてきた理由を知りたかった。 張り詰めたような雰囲気の中、まわりの雑音をかき消すように彼女の声が響く。 「柚羅の事、好き?」 彼女は澄んだ瞳で運ばれてきたグラスを見つめると。 中の氷をカランと鳴らす。 質問したのは私なのに。 わけのわからない質問。 「柚羅のこと、好き?」 質問に答えない私に、彼女は視線を合わせてもう一度聞いた。 その表情があまりにも真剣だったから。 「‥はい。」 何でこんな事を知らない人に言わなきゃいけないのか。 そう思ったけれど、私は答えた。 「そう。」 聞いた答えに彼女はニコリと笑う。 「なら、二度と柚羅に近づかないで。」 そしてその笑顔のまま。 理解出来ない事を口にした。 「えっ?」 何を言っているの? 「言いたかった事はソレだけよ。」 瞳が笑っていない。 その綺麗な顔で、冷たい声で。 背筋が冷たくなる。 "お待たせしました。" 頼まれたコーヒーを運んできたウェイトレス。 その異様な雰囲気に、作った笑顔を不思議そうに歪めていた。
■9894 / inTopicNo.70) 42 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(58回)-(2005/06/01(Wed) 20:46:58) 「‥どうして?」 少しの沈黙の後、私は彼女に問う。 「どうしてあなたにそんな事言われなきゃいけないの!?」 頭に血が上っていくのを感じた。 目の前のテーブルにドンッと手をつき、思いきり彼女を睨み上げる。 自分は名前すら名乗らないくせに勝手な事を言うな。 彼女は驚いたような顔を見せると。 「怒らないでほしいな。ただ柚羅のことが心配なだけなの。」 観念したかのようにそっと口を開いた。 「心配?」 何を言っているの?あたしがお姉さんに何かしたって言うの? 彼女はチラリと私に目をやると、コーヒーカップを片手に持ち。 「柚羅は妹の恋人だった。」 話し出した過去。 彼女の瞳が悲しみのような色で曇っていく。 「柚羅は私達の元を逃げるように去った。それから4年、やっと見つけたわ。 ‥その後、何ヵ月か柚羅を見てきたの。」 ‥何? 私は無言のまま、彼女をジッと見つめる。 予想外の答えに、頭の中が混乱している。 「本当は、あなたのことを知ってる。もちろん、柚羅との関係も。」 私を知っているの‥? お姉さんとの事も? 言っていることがイマイチ理解できなかった。 懐かしむような瞳。 彼女に、悪意はないかのように感じた。 頭にのぼった血がそっと、元に戻っていく。 「‥どうして?お姉さん去ったのはどうして?」 別れただけなら、お姉さんがこの人達の元を去る必要はない思ったから。 口にした私の質問。 彼女はまた困ったように笑い。 「妹はね。死んだの。」 周りの音を全て包んでしまうような声で呟いた。
■9895 / inTopicNo.71) 43 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(59回)-(2005/06/01(Wed) 20:48:09) 「えっ?」 「事故だった。けれど柚羅は自分を責めた。」 戸惑う私に少しだけの笑顔を見せながら。 「柚羅のせいじゃないのに‥あの娘は去った。 柚羅を見ていて思った。まだ、綾香のことを忘れていないんだって。」 そこまで話すと彼女はそっと息をついた。 そのままコーヒーを一口だけ口にする。 「‥で、でも‥」 「柚羅の気持ちは分からない。けど、あなたが柚羅に必要だとは思えないの。」 私の言葉を遮り、彼女の冷たい声音。 "お待たせしました。" 丁度、先程のウェイトレスがいい匂いのハンバーグセットを運んできて、私の目の前にそれを並べる。 「あなたは子どもすぎる。本当に自分が柚羅にふさわしいと思うの?」 痛いところを突いてくるな‥。なんて他人事のように思おうとしたけど。 うつむいていたら、涙が込み上げてきた。 彼女に見られないように必死で我慢して。 けれどハンバーグの湯気が目の前を覆うから。 「もう柚羅に近づかないで。」 ―トドメ― 気が付いたら、私は店を飛び出していた。 涙が、止まらない。
■9974 / inTopicNo.74) 44 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(61回)-(2005/06/04(Sat) 15:36:17) 清水さんから電話がきた。 頭の中が柚羅さんでいっぱいで。 胸が痛くて。 仕事を休んだ夜。 清水さんから電話がきた。 "亜紀すぐに病院にきて。柚羅が‥倒れた。" 布団にくるまっていたら、携帯が鳴って。 そのまま繰り広げられる会話に耳を疑って。 けれど清水さんの声が恐いくらいに寂しくて。 "‥すぐに行きます。" 病院の名前を聞くだけで精一杯だった。 恐いくらい寂しい声の清水さんに、 それ以上は聞けなかった。 近場にあったどうでもいいような服に腕を通し、車のキーを手に取る。けど。 やだ、震えてる‥ カタカタと、テーブルとキーがぶつかり合う音。 不安で、たまらない。 「柚羅さん‥。」 この時間の、車の通りは少ない。 目の前には数台の車が見えるだけの殺風景な大通りが広がっていて。 薄暗いコンクリートの道。遠く続く一本道。 「柚羅さん‥」 ギュッと握ったハンドルが冷や汗でしめる。 「柚羅さん‥。」 踏み込むアクセル。 グンッとスピードが上がって。 「柚羅さん。」 何度もあなたの名前を呟いて。 「柚羅さん‥!」 何度もあなたを思い浮べる。 病院に行けば、きっと柚羅さんは笑っている。 何度もあなたの名前を呟いて。 私はそう信じているの。 ふと、幼少時代を思い出した。 二度と戻らない母親を待ち続けた。 信じる事しかできない私。 あの頃から成長できていない。 信じる事しかできない私。 不安で、たまらない。
■10158 / inTopicNo.75) 45 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(63回)-(2005/06/14(Tue) 00:16:02) あぁ。足、痛い。 勢いで飛び出したのはいいけど。 頬に残る涙を伝った跡が、風で乾いて。 何か虚しい気持ちになった。 点々と並ぶ街灯。 数人が行き交うコンビニの前に座り込んだ。 「何処行こう‥。」 お姉さんの部屋の鍵は返しちゃったし。 家、しかないか。 あまり気持ちは乗らなかったが、ココに居てもどうしようもない。 少し考えてから立ち上がり、普段は通らない道程を 家へと向かい歩き出す。 「んー‥」 "ふさわしくない"、か。 彼女の言った、恐ろしく核をついた一言。 そんなのわかってるもん。お姉さんに不釣り合いなんて、ずっと前から自覚している。 私が子どもなことくらい、わかっている。 でも‥ お姉さんは私と一緒に居てくれた。 傍に居てくれた。 あんなに綺麗な人が、どうして一緒に居てくれるのは今でも分からないけれど。 傍に、いてくれた。 「なんかなぁ‥」 お姉さんの前カノの事‥聞いちゃった。 聞かないほうが良かったかも。って 今さら後悔しても、ね。 自然と足取りが重くなる。 飾りのように明かりを灯した街灯を見つめながらフラフラと歩いて。 「うわぁっ!!」 通りの少ない車道。 突然、私の横を猛スピードで通っていった四駆。 「びっくりした‥」 驚いて思わず声をあげた。 「何なんだよっ。」 もう投げやりな気持ちになってきて。独り言も波に乗る。 朝の嬉しい気持ちは、何処か遠くに飛んでいってしまった。 逢いたい、な。 今すぐお姉さんに。 逢いたい。
■10281 / inTopicNo.78) 46 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(68回)-(2005/06/18(Sat) 17:38:21) 「‥清水さん!」 大きな総合病院の緊急用の入り口。 その玄関の外の脇にある喫煙スペース。 「あー亜紀。」 煙草をくわえながら、妙に寂しそうな顔の清水さんがソコに居た。 「あっの‥柚羅さんは‥?」 そばに駆け寄り、彼女に問う。 息が切れてしまっているのは走ったせい? ‥それとも、この不安のせい? 「んー、ストレスだろうって。体とかじゃなくて、心、みたい。」 フーッと煙を吐きながらそう言って、困ったように笑った。 「あっ‥良かった‥」 のかな? けど体は大丈夫なんだ。 うん‥良かった‥。 「ただ、倒れた時に頭打ったから。一応その検査もするってさ。」 そう言いながらも、彼女の声音から異常は出ないだろう、と感じとれた。 さっきまでの重たく不安な心が一気軽くなったけど。 "心"に不安が残る。 このまま体に異変が出なくても。 心の異変は、見ることが出来ないから。 「大丈夫、安心してていいよ。」 清水さんはそう言って私の頭を2・3回ポンポンと撫でると、 いつもの笑顔をむけた。 「悪いね、体調悪いのに呼び出しちゃって。」 「いえ‥大丈夫です。」 その笑顔にまた安心する。 「2〜3日は入院しなきゃいけないらしいからさ。 明日から仕事、大丈夫?」 「はい。大丈夫です。」 夜の外の冷たい風が、二人髪をなびかせた。
■10308 / inTopicNo.79) 47 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(69回)-(2005/06/19(Sun) 16:06:38) 「良かった。今日は面会とか出来ないみたいだから。明日にでも来てやって、な?」 彼女は"呼び出したのにごめんね"といったような表情。 自分のほうがよっぽど疲れているハズなのに、こんな私を気遣ってくれる。 「あっ‥はい!」 だから私も精一杯それに答える。けれど、 「‥そんな不安そうな顔するなよ。」 やっぱり不安は隠せなかったみたいで。 私をジッと見つめていた清水さん。 「あたしはね、柚羅はあんたを待っている、って思うんだ。」 突然、真剣な顔つきでそう言うと 私の横へと移動し、右腕で肩を優しく抱き締めた。 ―‥? 思わずドキッとしてしまうけど ‥煙草、くさい。 でも決して嫌ではない。 だって、優しい香りも交ざっているから。 「まぁ‥あくまでも私的な意見だがね。‥憶測さ☆」 そのまま私の顔を覗き込むと、イタズラっぽく笑ってみせた。 「じゃあ、お先に失礼♪」 戸惑う私を尻目に、彼女は優しく微笑み、その場を去った。 駐車場、その暗やみに消えていく彼女の背中を見つめながら。 その言葉の意図がジワジワと心に伝ってきて。 改めて、彼女の存在の大きさを感じた。 ‥ありがとう、清水さん。 「よしっ!」 両頬をパチンっと叩いて、気合いを入れる。 さっきまでウジウジしていた自分が馬鹿らしい。 明るく明るい。私の唯一の長所を。 無くしてしまうところだった。 明日仕事が終わったら。 柚羅さんに、逢いに来よう。
■10323 / inTopicNo.80) 48 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(70回)-(2005/06/20(Mon) 22:40:45) "Everytime I try to fly. I fall without my wings .I feel so small. I guess. I need you baby." 〜♪ あーコレ。亜紀の車の中で流れてた歌だ。 あ、そういえば‥あのバーでも流れてたな。 だから聴いた事ある感じ、したのか。 やっぱり綺麗な曲。 透き通るような歌声。 だけど、あの時の亜紀の寂しそうな笑顔。 泣きだしそうな横顔が、同時に頭を過る。 そう思ったら、胸が痛くて苦しくなった。 だから清水さんの声すら耳に入らなくて。 あれ‥その後は? 思い出せない‥。 変な空間。 体が重いのに、浮いているような不思議な感覚で。 閉じたままの瞼は持ち上がらない。 なんだコレ。夢か? "Everytime I try to fly. I fall without my wings .I feel so small. I guess. I need you baby." 〜♪ 耳に聞こえるのは。 壊れたオルゴールのように、同じフレーズばかり。 ‥夢だ。 "飛ぼうとすれば、落ちてしまう。 翼のない私は、ちっぽけに見える。 あなたが必要なの、絶対。" だって亜紀の声が聞こえるから。 "あなたが必要なの" 今にも泣き出してしまいそうな亜紀の声が。
■10324 / inTopicNo.81) 49 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(71回)-(2005/06/20(Mon) 22:42:14) 私は、大切な人を傷つけてばかりで。 亜紀‥あなたを傷つけたくはないのに。 あなたの悲しい笑顔は見たくないのに。 郁を裏切ることも、できないの。 私に笑顔を教えてくれたあの娘を。 私の大切な人を。 よく頬を膨らます亜紀の癖。 "もー柚羅さんっ!" って。 それが可愛くて、何度も亜紀をからかった。 でも‥知らず知らずに、綾香の姿を重ねてしまっていて。 それがきっと、あなたにひかれた原因だったと思う。 亜紀と一緒に会話をして、笑い合って。 その全てが新鮮に感じた。 そうしていくうちに、 あなたは綾香と違うんだって、はっきりわかった。 けど‥どうしてだろう。 それでもやっぱり。 亜紀の姿を瞳で追い掛けてしまう、自分がいたの。
■10375 / inTopicNo.84) 50 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(73回)-(2005/06/24(Fri) 20:34:44) んー☆ 今日は天気がいい。 小さな病室に、春の訪れを感じさせる、優しい光。 私は柚羅さんが寝ているベッドの横。 何だか穏やかな気持ちで、林檎の皮むき。 うさぎの形にしてみたり‥って食べられれば何でもいっか。 でも柚羅さんの喜ぶ顔が見たくて、 真っ赤な林檎を私なりに変身させる。 今日は清水さんの心遣いのおかげで、仕事を早く終わらせる事ができた。 本当は一人じゃ大変なハズなのに。 「あたしはね、オールマイティーなんだよ」 なんて少々気取りながら、残りの仕事を全て受け持ってくれた。 その優しさが‥何だか気恥ずかしくて、嬉しくて。 精一杯にお礼を言って、私は園を後にした。 清水さんはアレで子ども達にとても人気があるから。今頃、四苦八苦しているんだろうな(笑) 慌てふためく清水さんを想像していたら、思わず笑みがこぼれた。 そのまま、切りおわった林檎をタッパに詰めて。 「お〜い、柚羅さーん。」 一向に目覚める気配のない、彼女のほっぺをプニプニと突いた。 あっ‥やわらかい(笑) その感触が楽しくて、もっともっとプニプニ。 プニプニ。 ‥ブニっっ。 「んっ‥」 思ったより指が強く頬にささり、寝たままの柚羅さんから声があがった。 ちょっと痛かったかな? ま、いっか♪ 早く起きないかなァ☆
■10486 / inTopicNo.85) 51 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(74回)-(2005/06/27(Mon) 19:18:30) 「柚羅さーん?亜紀ですよ〜」 椅子をおりて、ベッドの横にしゃがみ込む。 ちょうど、柚羅さんの顔と私の顔が一直線上にくるように。 「お〜い」 プニプニ。 目の前の柚羅さんの、とても綺麗な横顔。 起こすの悪いかな、って思ったけど。 "話したい"って気持ちのほうが大きくて。 「んー‥っ」 しばらくしてから、長い睫毛がゆっくりと持ち上がった。 やった、起きたっ!! 「おはようございます♪」 目を開けた柚羅さんの、寝呆けたままの視点は、まだ定まらず。 黙って天井を見上げる彼女に言った。 その声に反応して、瞳が私の方へと向く。 「ふふっ♪おはようございます。」 彼女はポケーっとしたまま。私の顔をマジマジと見つめている。 あまり柚羅さんらしくない"キョトン"とした顔で。 「んっ?どうしました?」 あまりにも見つめられて、少し恥ずかしくなった。 私の頬が、赤く染まってゆく。 でも柚羅さんは黙ったままで。 そのままゆっくりと時間が過ぎる。 何分か何十分か‥。 黙ったままの時間が経ち。 私をジッと見つめたまま、ゆっくり開いた彼女の唇。 「‥誰‥ですか?」 そこから発せられたのは。 耳を疑う言葉だった。 柚羅さんは。 記憶を、失っていた。
■10566 / inTopicNo.86) 52 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(77回)-(2005/06/29(Wed) 22:59:57) 「頭を打った時の衝撃が原因ですね。」 医師の淡々とした口調。 子ども達を置いてくるわけにはいかないから。 清水さんが駆け付けてきてくれるまで、2時間程かかっていた。 その2時間、私は何も考えられなかった。 まるで別人のように怯える彼女に、話し掛ける事すら出来なかった。 「まぁ‥体に異状はないですし、記憶が戻ることを待つしかないでしょう。」 白い壁に白衣。 何もかもが冷たく感じる。 それまで、私と清水さんは二人並んで黙ってその話に耳を傾けていた。 「待つことしかできないんですか‥? 記憶は戻るんですか‥?」 先に口を開いたのは。 清水さんだった。 口調から、ひどく取り乱していることが感じ取れる。 「さぁ‥精神的な問題ですからね。どうこう出来るわけじゃないんですよ。」 その中年の医師は清水さんに目をむけ、さも面倒臭そうにそう言った。 その言葉に。 血が出てしまいそうな程強く、清水さんは唇を噛み締める。 「‥行きましょう、清水さん。」 私は彼女の腕をとり、強引にその部屋を後にした。 このままじゃ、清水さんがあの医師に手をあげてしまいそうだと思ったから。 いや、私がそうしてしまいそうだったから‥かもしれない。 悔しい。 何もできないなんて。 悔しい‥。 こんな遣り切れない気持ちを。 何処かにぶつけたくて。 ■10640 / inTopicNo.87) 53 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(78回)-(2005/07/01(Fri) 20:58:42) 「柚羅さん、具合は大丈夫ですか?」 病院を出て20分。 春の陽気が心地よい、3月の日曜日。 清水さんの意向で今日は午前保育のみだった。 それは柚羅さんの退院にあわせたものであり、 そのおかげで柚羅さんと二人、彼女の部屋の前に立っている。 「少し‥変な気分です。何だか覚えているような気はするんだけど‥。」 慣れない手つきで鍵を差し込みながら、柚羅さんはそう言う。 一度だけ、手前まで訪れたことのあるアパート。 まさか、こんな形で部屋にあがることになるなんて‥その時は思ってもいなかったな、と。 そう思うと、柚羅さんを見つめる笑顔が不自然になってしまう。 「気にしなくていいですよ。無理に思い出すのは良くないみたいだから‥ ゆっくり今の生活に慣れれば大丈夫ですよ♪」 けど私は、もうクヨクヨしたりしないと決めたから。 今は柚羅さんの記憶が戻るように。そう願いながら、笑っている。 「すみません。‥ありがとう、亜紀さん。」 "ガチャリ"と鍵が開き、 ドアノブを握り締めたまま柚羅さんが言った。 記憶がなくなった彼女は。 私を"亜紀さん"と呼ぶ。 その愛しい声で、 "亜紀さん"と。 「‥もう!"亜紀"って呼んでください。 あと、敬語もいらないですよ?私の方が年下なんですからァ!」 だから、冗談混じりでそう言った。 その言葉はあからさまに、私と貴女が"他人"であることを示しているようで。 私と貴女が築いた時間を全て否定するから。 胸が、痛い。 「あっ‥うん。」 柚羅さんは困ったように笑う。 まだ慣れていないから、どうしようもないのだろう。 「どうぞ。」 扉を開け、彼女は言うが、語尾に"?"がついている。 やっぱり、自分の家だという実感がないみたい。 初めて入る、柚羅さんの部屋。 綺麗に整頓された部屋は、柚羅さんの優しい匂いに包まれている。 「すごい、綺麗にしてあるんですね♪」 そう言うと、柚羅さんは照れたように笑った。 それが嬉しくて嬉しくて。 そのまま私たちはサイドテーブルを挟み向かい、腰をおろす。 また一から、二人の時間を築いていくかのように。 他愛もない話をしながら、陽気な午後を二人で過ごしていたんだ。
■10663 / inTopicNo.88) 54 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(79回)-(2005/07/02(Sat) 21:31:25) 柚羅さんの記憶がなくなってしまってから。いつのまにか3ヵ月を過ぎていた。 そのいつのまにかは、本当にあっという間で。 それでもまだ、彼女の記憶は戻らないまま。 梅雨入り前の天気の良い、6月へと入っていた。 「どう?柚羅の調子は。」 今日は小さい校庭で外遊び。 走り回る子ども達を眺めながら、清水さんが私に尋ねた。 「相変わらず元気ですよ。近所の人にも慣れてきたみたいです♪」 私はあれから、毎日のように柚羅さんと連絡をとっている。 週に3・4度は彼女の家に訪れ、料理を作ったりで。なんだか‥ 通い妻気分(笑) 「‥お楽しそうで何より。」 そんな私を見て清水さんは呆れたように笑う。 と、何を思ったか、そっと私の肩に腕を回した。 「‥んっ??どうしました?」 回された腕が優しく肩を撫で、思わずドキッとしてしまう。 「何で柚羅かなぁー。ココにこんなにイイ女がいるのに。」 そう言いながら私の顔を覗き込むと。 その端正な顔で私を見つめる。 「あっ‥?えっ!?」 何?何? どういう事? 訳がわからないのに‥そんな風に見つめられると 熱を覚える私の頬。 清水さんは、私の顔が赤く染まったのを確認すると。 「ふふっ‥」 堪えきれなくなったように、笑い出した。 「‥もォ!」 少し時間をおいてから、やっと状況を把握できて。 またからかわれた‥。 最近、清水さんに遊ばれてる感が大きい。 きっと‥清水さんも柚羅さんがいなくて寂しいからだって思う。 柚羅さんがいない、と言う事は。 私や清水さん、子どもたちに"違和感"を感じさせる。 "居るのが当たり前"だった柚羅さんの存在は、とても大きなものなんだと。 改めて実感した。 「なぁ亜紀。」 清水さんは腕を私の肩に回したまま、 光に照らされた緑をそっと見つめた。 「はい?」 その横顔はとても綺麗でいて。 でもどこか、影を潜めていて。 「話が、あるんだ。柚羅のことで。」 少し言いにくそうに、彼女は笑うと。 "本当は柚羅の口から伝えるべきなんだけど‥"と付け加えてから、 ゆっくりと話を始めた。
■10682 / inTopicNo.89) 55 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(80回)-(2005/07/04(Mon) 21:07:06) 亜紀の瞳が一瞬だけ。 不安、を見せた。 でもその一瞬の不安は、笑顔でかき消される。 亜紀は強い娘だ。 たぶん、今から話す事も、この娘ならしっかりと受け止められる。 そう感じた。 「亜紀は‥柚羅の事、好き?」 遠回しなことは嫌いだし。 ここはストレートに聞くのが一番。 「‥はい、好きです。」 一瞬ひるんだかのように見えた亜紀だったが、 私の想いはきちんと伝わっていたようで。 子どもたちの騒がしさの中、決して大きいわけではない亜紀の声は。 しっかりと響いていた。 「そっか‥。」 その声に安堵感を覚える。 葉の緑が綺麗に光る、この校庭。 私が知っている限りの 柚羅の過去と今。 亜紀、あなたはソレを。 どう受け止める? 柚羅は高校時代に、"綾香"と言う恋人がいた事。 今の柚羅に、"郁"と言う大切な存在があるという事。 そして、壊れてしまいそうな柚羅の"心"を。 亜紀、あなたはソレを。 どう受け止める? 「柚羅はね‥」 風で揺れる緑の葉の音とともに。 柚羅の寂しそうな横顔が 脳裏を過った。
■11236 / inTopicNo.94) 56【(回想)柚羅17歳】 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(83回)-(2005/07/23(Sat) 23:25:08) 「あっ‥」 風、冷たいな。 でもなんか嫌いじゃない。 冷たい空気の匂いが、なんだかすごく落ち着く。 だから嫌いじゃない。 「柚羅っ♪」 空を見上げて歩いていたら、いきなり背中をボンッてたたかれた。 驚いて転びそうになってしまう。 後ろを振り向くと、満面の笑みで綾香が立っていた。 サラサラの髪が太陽の光でキラキラと光る。 「綾香‥何?」 少しムカッとしたから、わざと不機嫌そうに言った。 途端に綾香はフニャっと悲しそうに顔を歪ませる。 「何で怒るのよぉ‥ 綾香のこと嫌いなんだぁ‥。」 そう言うと綾香は瞳を潤ませ、わざとらしく頬を膨らませた。 ふざけたブリッコが大好きな綾香。 そして、いつもソレに負けてしまう私。 「‥嫌いじゃないって。」 そう言って私はまた歩きだす。 嫌いなわけ、ないじゃない。 「ん?何で怒るのぉー!!」 私の照れ隠しは、綾香には"怒っている"ととれたらしく。 「嫌いじゃない。」 その答えに、振り向いて。 後ろをテクテク追い掛けてくる綾香に笑顔を向けた。 「好き、だよ。」 登校中の生徒がチラホラ見える中、綾香の耳元でそっと囁く。 そうしてやると、綾香は嬉しそうに顔を崩すから。 この間の記念日に買ってあげたルビーのピアス。 綾香には大人っぽすぎたかな。 不釣り合いな耳元にそっと触れると、素直な笑顔が見えてくる。 「一緒に行こ♪」 綾香は甘えるようにそう言うと、私の腕に自分の腕を絡めた。 木村柚羅―17歳の2月
■11273 / inTopicNo.97) 57【(回想)柚羅17歳】 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(85回)-(2005/07/24(Sun) 21:37:17) "女"を覚えたのは。 いつ頃だっけ。 とりあえず、一度その深みにハマってしまった私は。 もうどうしようもないくらいのダメ人間に。 黙っていても誘われるし。 いらないと思っても寄ってくる。 だから女に不自由なんて、したことがなかった。 「あー。」 やっぱ屋上でサボるには、まだ時期が早い。 吐く息が白くて。 手も、冷たい。 私が綾香に出会ったのは。 去年の9月、だったかな。 季節外れの転校生は。 親しくしていた先輩の妹で。 カナダ帰りの帰国子女。 愛らしい瞳とポッテリとした唇、その白い肌。 何よりも"帰国子女"と言う言葉と、その可愛らしさとのギャップに、女子も男子も騒ぎ立てた。 そう、綾香はとても魅力的な女性で。 どうして、か。 机と机の間、好奇の視線に包まれた中。 綾香は私を一途に見つめていた。 絡み合った視線が、私の席の前でぶつかって。 「初めまして。綾香デス。」 それまで一言も口を聞かず、真っすぐ私の目を見つめていた綾香が。 その可愛らしい透き通る声と仕草で声をかけたのが。 始まり、だった。
■11313 / inTopicNo.98) 58【(回想)柚羅17歳】 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(86回)-(2005/07/25(Mon) 21:00:32) 「柚羅。ココにいたの。」 そんな事を考えながら、吐く息を見つめていたら。 いつのまにか私の前に立っていた深雪が声をかける。 「あ?何でココにいんの?」 ココは私だけの場所。 ダレにも邪魔されたくない時間を作りたいのに。 「何よ、冷たいのね。」 深雪は少しため息混じりでそう言うと、私の横に腰をおろした。 いいって言ってないんだけど‥。 深雪は綾香の姉さんで。 私の‥セックスフレンド?まぁ普通の人より親しいワケで。 「何か用?」 隣に腰をおろした深雪に言った。 気分が悪くなったから、冷たいコンクリートに手をついたまま深雪を睨む。 「綾香と付き合ってから、 冷たくなったね。」 ポツリとそう言う優等生の深雪。 少し長めのスカートと、綺麗にまとめられた髪の毛。 影を持ったその瞳。 やはり血の繋がりは大きくて、 その横顔は綾香にそっくりだった。 「いけない?」 「本気なの?」 いつもの深雪の優等生っぷりは、私の前では綺麗に消えていく。 キリリとした瞳も堂々たる態度も、私の前では子犬のように。 彼女の言葉一つ一つに"独りにしないで"、と含まれている気がした。 「‥本気じゃダメ?何が言いたいの?」 冷たい風になびく深雪の髪を、いつもの癖でそっと撫でる。 すると、綾香によく似たはかなげ瞳がゆっくりと私を見つめた。
■11347 / inTopicNo.99) 59【(回想)柚羅17歳】 □投稿者/ 菜々子 ちょと常連(87回)-(2005/07/26(Tue) 20:25:09) きっと‥一目惚れだった。 綾香を見た瞬間、天使が舞い降りてきたと。 本気で思った。 それから二人が結ばれるまでに、一ヵ月もかからなかった。 互いに、結ばれることが当たり前のように。 二人の出会いは偶然ではなく、必然だと感じた。 「柚羅‥」 深雪がそっと目を閉じる。 頬に触れた私の手に自分の手を重ねながら。 「‥。」 ハッとして、無言のまま目の前の女の手を除けた。 綾香の笑顔を思い出すと、他の女なんてどうでもよくなる。あの笑顔を傷つけたくない、と。 それ程に力を持った天使なんだ。 「深雪は好きだよ。でも綾香とは違う。 あたしには綾香だけなの。だからもう、深雪を抱く気はない。」 だから、はっきりとそう告げた。 目の前の顔が、今にも泣きだしてしまいそうに歪んでいく。 それを見ているのは、辛いものがあった。だから視線を外した。 「いいわ‥わかった。」 消え入りそうな彼女の震える声が、風と一緒に耳に流れた。 (携帯)
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