■妖・拗・熔  
□琉 2007/11/11(Sun)


この世には、想像を絶するほど艶かしく 刺激的な世界が広がる学校があるの。 マゾっ気がある人なら一度は夢見るハーレムの世界。 たくさんの美人に囲まれては寵愛されるめくるめく官能への誘い。 …あら? 今日も迷える子羊が一人、紛れ込んできたようね。
父親の急な海外転勤に伴い、早乙女來羽(このは)は隣町の女子校に転校することになった。 まだ高校一年生の來羽が日本に残ることを両親が許したのは、 その学校が全寮制だったからだ。 來羽が転校する学校は少し変わっていて、 入学試験はAO入試のみで、編入試験もまた例外ではない。 内申書と面接だけで合格が決まるというのに、 なぜか偏差値が高い進学校で、近隣に住む女生徒の志望校として 常に上位を占めるほどの人気ぶりだった。 それもそのはず…このサ・フォス女学園は 一に美貌、二に教養を極秘の校訓として掲げており、 書類審査で半分以上が落とされる。 ここでは、何をおいてもまずは女性的な美しさが求められる。 身長160cm以上に華奢な肉体。 そして有無を言わせない端正な顔立ち。 それが最低限の合格条件だった。 來羽の場合、身長は161cmとギリギリだったが、 幸いにも童顔と愛嬌ある表情が面接官の目に留まり、 無事編入試験を合格できた。 今日は、試験以来二度目の学校に通う日だ。 理事長室は試験会場だった上に校門からすぐの建物にあるため、 來羽は迷うことなくたどり着くことができた。 コンコン… 「転入生の早乙女です」 少し声が上ずってしまった。 「どうぞ、お入りなさい」 が、すぐに中から返答があったことが救いだった。 「失礼します…」 ガチャッとドアノブを回して中に入る。 手汗をかいているように感じるのは、暑いだけではないはずだ。 ドクン…ドクン… うるさいくらいの心臓の鼓動が、ますます緊張を高めていった。
中に入ると、さらに細長い通路の奥に二人の女性が立っているのが確認できた。 あんなに離れているというのに來羽の声が届いたということは、 それだけこの部屋は音響性に優れている空間なのだろう。 「ようこそ、当学園へ」 真っ赤な絨毯が敷かれた一本道の先で温かな笑顔で微笑んでくれたのは、 中央の大きな椅子に腰かけている女の人だった。 「理事長の春日井です」 彼女には一度、面接試験でお会いしている。 それでなくとも、堂々とした振る舞いや落ち着いた仕草から、 一目でそれらしい人ではないかと勘ぐってしまう。 …それにしても 初めて対面した時にも思ったが、理事長と名乗る彼女は何歳くらいなのだろうか。 長身で髪も肌もツヤツヤ、おまけに細めのパンツスーツが似合っている風貌からは、 とてもじゃないが学園を束ねる運営幹部とは信じられない。 博士課程の学位を持ちながら、今年で理事長就任から十周年を迎えるというからには、 まさか二十代のはずはあるまい。 しかし、だからといって母親の年ほど離れているとも思えない。 いずれにせよ、そのくらいの世代ということになる。 女性に年齢を面と向かって訊ねるのは憚れるが、 それでも伺いたくなるのは、やはり理事会トップという責任の重い管理職にしては とにかく若いという印象を強く受けるからだ。 「聴いてる、早乙女さん?」 注意散漫になっている素行をすぐに見抜くのは、若いだけでなく有能な証拠だ。 「は、はい。すみません」 余計なことばかり気にしてしまうのは、來羽の悪いクセだった。 「良い?もう一度だけしか言わないから、よく聴いて」 何だか女王様気質な口調が板についているように感じるのは、さすがというべきか。 「彼女があなたの編入先になる一年二組の担任よ」 理事長からそう紹介されたもう一人の女性は、手を差し伸べながら挨拶した。 「初めまして、担任の緑川聡美です」 名前にちなんでかは分からないが、薄い緑色のフレアスカートがよく映える 清楚で美しいこの女性が來羽のクラス担任らしい。 「あ、こちらこそ…どうぞよろしくお願いします」 軽い握手を交わしながら、彼女は何やら分厚いパンフレットらしき物を出した。 お、重い… 実は、いま現在すでに來羽は手荷物一式を詰めたスーツケースを持ってきていた。 寮には今夜から寄宿するので、引越し用のダンボールを含めて 諸々の整理を始めるのは授業が終わってからになる。 その上、こんな重量感たっぷりの書物が追加された日には… 一日の行動が拘束されてままならないに決まっている。 すると、いつの間に立ち上がったのか、理事長は來羽のすぐ側まで近寄ると、 パンフレットの真ん中あたりから小さなカードだけを抜き取った。 「これが、生徒手帳よ」 手渡されたのは、専用のケースに入ったキャッシュカードほどの薄い身分証だった。 ん…? よくよく見ると、この手帳、ICチップ内蔵と表示されてある。 「この生徒手帳は、偽造防止のためにICチップの他に 生体認証機能や位置確認ができるGPS機能を搭載するなど、 学園生活を営むにあたって最低限のサービスを提供しているの」 聴けば、この学校では授業の出欠をとる時や学食を利用した時のお会計、 さらには学生専用のインターネットに接続する際に至っても いま貰ったばかりのこの生徒手帳カードで行なうという。 最新設備を徹底しているのは一種の校風とも考えられるが、 全てが一枚で片づく手形のようである反面、 これを紛失してしまった場合を思うと…多大なる不便を被りそうだ。 生徒手帳がなければ、寮にも帰れないのだから。 「この荷物は、放課後までここで預かっておくわ」 救世主のような理事長の申し出をありがたく受けて、学内で生活するのに どうしてGPS機能までつける必要があるのかという疑問を ぼんやりと抱えながら、來羽は肩に聡美の手を添えられたまま この部屋を後にした。
聡美に導かれながら、來羽は一年二組の教室へと向かった。 何段もある階段を上り、長いながい廊下を歩き続けていると、 校内の要所らしき施設をいくつも通り抜ける。 お嬢様学校に匹敵するほどの学費がかかるわけでもないのに、 校舎はどの建物もピカピカで綺麗だった。 何でも、一流企業で活躍する卒業生からの寄贈品なのだそうだ。 外観同様、内装も白と黒を基調にしていて、 それまで通っていた学校に比べてやけに窓が大きい。 学食のホールに至っては全面ガラス張りで、 言われなければどこかの美術館のようである。 最近、立て替えた際に設計を手がけたのもまた卒業生らしい。 すごい学校… モデル体型の見目麗しい女生徒がそこかしこを歩いている。 まるでタレント養成スクールのようだ。 ここには男性の教師はもちろん、 ボーイッシュな女の子までも一人として居ない。 校則で特に定められているわけでもないというのに、 何故だか髪が腰まである生徒が多い。 クスクス… さっきから、すれ違う生徒に笑われているように感じるのは… 気のせいだろうか。 もしかして、あまりに子供っぽいから快く思われてないのかも。 そんな猜疑心ばかりが來羽の心を駆け巡る中、 ふと前を歩いていた聡美の背中にぶつかった。 「ねぇ、ところで…」 どうやらことの発端は彼女が急停車したことによるらしい。 「早乙女さんは、ご親戚に本校の卒業生がいらっしゃるの?」 しかも、聡美が突然話し始めた話題には脈絡というものがまるで感じられなかった。 「…は、はい?」 彼女の話はその内容もさることながら、 何故いま、ここで?というタイミングからも來羽を困惑させた。 「いません…けど?」 一応、質問には答えておく。 來羽の身内には、誰一人としてここの卒業生はいない。 母も祖母もみんな私立の女子校になど通ったことはなかったはず。 「早乙女さん、身長は何センチ?」 またも、聡美の意味不明な質問は続く。 「えっと…160cmちょっとです」 「じゃあ、体重は?」 「最近計ってないから…50kgはいってないと思いますけど」 …何が言いたいんだろう? 段々、質問の意図が分からなくなってきた。 面接でも訊かれないような珍問ばかりに、 何だかんだで真面目に答えている自分。 來羽はそんなことばかりを考えていると、 さすがに聡美も気づいたようで声をかけてきた。 「ああ、ごめんなさい。別に悪気があって  こんなことを訊いたわけではないのよ。  ただ、今までに見ないような女の子だなぁと思って…」 やっぱり… 『今までに見ないような』って、たぶん幼いとか幼稚だって意味。 そりゃあ? こんなに選りどりみどりの美女集団に囲まれてしまうと、 もともと童顔寄りな來羽の顔もますます引き立つというものだろう。 教員は全て学園出身者という聡美だって、理事長ほどではないにせよ、 長身で均整のとれたスタイルの美人さんだ。 「本校の生徒は何て言うのかな…ちょっと変わり者が多いの。  おまけに、今年の一年生はやんちゃな子がたくさん居るから  取り合いになって大変だろうと思うけど、  とりあえず、自己紹介頑張ってね」 そう言ったかと思うと、聡美は教室の引き戸を開いて さっさと中に入っていってしまった。 上を見上げると、そこには『一年二組』の表札が高々と掲げられている。 來羽は、いつの間にか目的地に到着してしまっていた。 変わり者?やんちゃ?取り合い!? 聡美の話は、何一つ脈絡がない。 けど、こんな彼女が來羽のクラス担任だというのだから、 少なくとも変わり者という単語だけは理解できそうだった。 「転入生を紹介します」 教室から、聡美の声が聞こえる。 この向こうにどんな世界が待っているのか分からないけれど、 いまここから來羽の学園生活が始まろうとしていた。
一年二組の教室に足を踏み入れると、途端に空気が変わる。 教壇までの一歩いっぽが來羽には果てしなく遠く感じられるというのに、 一足先に教壇で雄弁をふるう聡美は、早乙女の『早』の字を書き始めている。 もう後には退けない… そんな切迫感からか、來羽は目を閉じたまま勢いよく段差を上った。 ああ、こんな美人ばっかりのクラスで自己紹介なんて… 改めて目の前にしてみると、本当に壮観な景色だ。 女の子だけしかいない環境もさることながら、 横五列、縦六列の約三十人ほどの綺麗な顔立ちをした少女たちが、 一様にこちらを見つめている。 ジリジリ… ただでさえあがり症で、初対面の集団の前では挙動不審な態度を とってしまうことに悩んでいる來羽であるのに、 突き刺さるような視線がさらに緊張を高めていく。 きっと、いま來羽の頬は真っ赤に染まっていることだろう。 「隣町の公立高校から転入してきました、さ、早乙女…來羽です。 不慣れな面も多くてご迷惑をおかけするかもしれませんが …ど、どうかよろしくお願いします」 学級全員が眼差しを向ける中で、來羽はたどたどしくも挨拶した。 シーン… 聞こえてくるのは、時計が時間を刻む音だけ。 沈黙が苦手じゃない人でも、この状況に耐えることができる 精神力の持ち主はそういないはず。 何か変なことを言ったかな… 世の中、自己紹介のやり方にはいろいろあるはずだが、 何か面白いことをしておどけてみせることができない來羽は、 いたって基本的な情報を簡潔に伝えただけに過ぎない。 けれども、このオーソドックスな方法というのは、 静かなクラスにも騒がしいクラスにも万能的な、 ある意味重宝して然るべきはずなのに… やんちゃって言ってなかった…? やんちゃとは、元気があるとか威勢が良いとか、 少なくとも活気に満ちた状態のことをいうはずだ。 なのに、この一年二組ときたら… 活気どころかお通夜のような静けさで溢れていた。 ジリジリ… 突然、來羽は身体中が火照るくらいに熱い視線を感じた。 どこから…というより、この教室全体から。 それは、頭から足元の隅々まで、舐めるような視線だった。 言葉で表現するならば『視姦』である。 よく眼を凝らしてみると、クラスメイトたちは 瞬きすらしない状態でこちらを見ている。 転校生には興味がないのかと思いきや、視線は決して逸らさない。 何とも不思議な空間だった。 「あー、早乙女さんはお父様の転勤に伴い、ご両親が 海外に移住なさるという事情により本校に転入してきました。 慣れない環境で大変なはずなので、仲良くするように」 すかさず救いの手を差し伸べてくれる聡美が、 いまの來羽からは天使のように思えた。 「席は…じゃあ、この席で」 彼女が指定した空席というのは、 何と教壇のすぐ前方にある最前列の真ん中だった。 「えっ!?」 …転入生って、後ろの席じゃないの? 驚きたくなる気持ちも、分かってほしい。 よくあるドラマでは、最後尾の窓側の席だったり、 席にたどり着くまで足を引っかけられるイタズラをされたり、 はたまた隣の席の問題児と仲良くなったり… そんな青春ストーリーが展開されるのかと期待してみたら、最前列って。 「あいにく、ここのクラスは後ろの席から埋まっていくんだ」 そう促されたのが決め手となって、來羽は頭を垂れながら静かに着席した。 ジリジリ… 席につくまでも、着席した今でも、背後から突き刺さるような視線は感じる。 たぶん、今日は一日中これが続くのかもしれない。 …大丈夫か、アタシ? 完全アウェイの敵地に乗りこんだ心境のまま、 來羽は一限目の授業に臨んだ。
「どういうおつもりですか?」 ホームルームを終えて聡美が向かったのは、 職員室ではなく、何故か理事長室だった。 「…何が?」 そう言いながらも、理事長の手にはゴルフクラブが握られている。 明日は久しぶりに旧友と再会するとかで、楽しみにしている様子が 手にとるように伝わってくる。 パッティングの練習なんかしちゃって、気分は早くもウキウキだ。 理事長の仕事は山ほどあるから、こんなに悠長な時間はないはずなのに… 「ですから、転入生の早乙女さんのことです」 聡美の言葉と同時に、理事長が打ち込んだ球は、 吸い込まれていくかのようにホールに沈んだ。 理事長は、いまの見た?なんて、嬉しそうに歓喜の声をあげる。 全くといっていいほど、人の話を聴いちゃいない… ため息をつきながら、聡美は備え付けの給湯室で 二人分のコーヒーを淹れてくることにした。 ゴルフの練習が一段落ついたのか、聡美が戻ってきた時には、 理事長はすでにソファに腰かけていた。 「初々しくて、可愛いでしょ?」 コトン、とカップを置くのと同じくらいのタイミングで、 彼女は突如口を開いた。 なんだ、しっかり聴いていたんじゃない… 誰の話をしているか、聡美がすぐにのみ込めるのは、 それだけ対象としている人物が特徴的だからだ。 「初々しいどころか、アレじゃまるで…」 まるで狼の群れに羊を一匹投入するようなものだ。 少しだけ話をしてみて、聡美にはすぐ解った。 早乙女來羽は、ほとんどこの学校の実情を知らない…と。 そして、その知らないということが、 今後の学園生活を送る上で決定的な苦労をもたらすに違いない。 この学園の生活に慣れきっている聡美ですら、 來羽の苦労を思うと、いまから不憫に感じてしまうのだ。 「まあ、ご両親も渡航まで時間がなくて焦っていたみたいだし?」 だから、転入を許可したというのか… 本来、サ・フォス女学園では高等部での転入はおろか 入学者も稀少にしか受け入れない。 それは、一貫したクオリティの高い教育を提供するという目的の他に、 とある方針が理念として根付いていることに由来するのだが、 最終面接では、結局のところこの理事長に全権が委ねられる。 採点基準は、個人によって若干異なるようだが、 理事長の一存で決まってしまうことだけは確かだ。 だが、そのことが批判されないのは、彼女が抜擢してきた これまでの卒業生たちの功績が物語っているからかもしれない。 「我が校にも必要なのよ。彼女みたいに、柔軟な人材が」 意味深な発言とともに、理事長はコーヒーに口をつけた。 「何かたくらんでらっしゃるんですか…?」 聡美は恐るおそる、尋ねてみた。 しかし、理事長はそのことには答えずに、 代わりに次のような確言を残してデスクへと向かう。 「早乙女さんは、大丈夫よ。  彼女なら、きっと上手くやっていけるわ」 大丈夫な根拠なんて何一つないのに、 理事長の満足そうな微笑だけで 何故か聡美はほんの少し安心できた気がした。
「ねえねえ。早乙女さんって、隣町のドコの高校に通ってたの?」 途方もなく長く感じられた午前中の授業も終わり、いまは昼休み。 怒涛の自己紹介から一転、來羽は予想外にも クラスメイトに取り囲まれ質問責めに遭っていた。 「あ、榮高校です…」 「ああ!聞いたことある〜」 「えっ、どんな学校なの?」 「えっとね、全体的に大人しい子が多いんだけど、  たまにすっごい可愛い女の子がいるんだって!」 「行きたーい!!」 キャアキャアと一際騒がしく、少女たちは興奮する。 その中心を陣取りながらも、何故か蚊帳の外で聞いているような心境の來羽は、 目まぐるしく変わる彼女たちの話題についていくだけで精一杯だった。 「誕生日、いつ?」 「いま、付き合っている人とかいるの?」 「今度の日曜、空いてる?」 「好きなタイプって、どういう娘?」 「携帯のアドレス教えて!」 「來羽ちゃんって珍しい名前だよね?」 うっ… もともと一度に多くのことを答えられる容量を持ち合わせていない來羽は、 せめて一つにまとめてから質問してくれないかとオロオロしていた。 午前中はずっと移動教室の授業だったから、彼女たちは 溜まっていたムズムズが今になって噴出してしまったというわけだ。 「じゃあさ、前の学校で付き合っていた彼女って、どういう人だったの?」 …カノジョ? これだけは知りたい、という問いかけは、その場でさらりと流されたが、 確かにその言葉を含んでいた。 どういう反応をしたら良いのか、來羽が悩んでいたちょうどその時… 背後から、急にかぶさってくる人影があった。 「そんなの決まってるでしょ。  綺麗で優しくて勉強もできる、私みたいな人よ」 「わっ」 突然すぎる衝撃に驚いたというのももちろんあるが、 羽交い絞めにされてなおも胸元にすっぽりと 入ってしまうほど背の高さに、來羽はビックリした。 後ろ向きの体勢からも分かる、お相手の長身。 「え、ちょっと…」 「円!!遅かったじゃん!」 抗議をしようとした來羽の声を遮り、 クラスメイトたちの関心は皆そちらに流れた。 …え、何?どうしたの? 自分自身で綺麗で優しいなんて、どれだけ自信過剰なんだ、と そんなことを悪びれもなく言っちゃえる本人の顔を確認しようと 首だけで振り向いてみると、來羽はその場で固まってしまった。 な、何だこのとんでもない美少女は… 例えようのない美しさが、來羽の理想そのものとしてそこに立っていた。 真っ黒でサラサラの髪に、アイラインで強調する必要のないくらい 印象的な大きな瞳も同じく黒くて澄んでいる。 もともと色素が薄くて、おまけに天然パーマのせいでボブにしかできない 來羽からしたら、羨ましいことこの上ない憧れの純黒だった。 手足が長いのは想像通りとして、彼女の場合、 華奢なだけではなく体型のバランスが良い。 童顔に追い討ちをかけて、幼児体型をコンプレックスに思っている 來羽と並ぶと、まさに大人と子供。 この人、本当に同級生? 朝に自己紹介をした時には、教室に居ただろうか… 分からないけれど、たぶん居なかったと思う。 だって、これだけ目立つ美女が座っていたら、 さすがに鈍感な來羽でも一目で覚えてしまうから。 彼女の手には、案の定…鞄が握られていた。 にしても…いまの時間に登校なんて、重役出勤もいいところだ。 もうすぐ午後の授業が始まるというのに。 まじまじと顔を凝視していた來羽の視線に気づいたのか、 彼女はこちら側に再度顔を向けた。 かなり接近しているはずなのに、全然苦にならないほど 改めて見ても彫りの深い整った顔である。 どのくらい見つめていたのだろうか。 名前も知らない彼女は、長い爪先でそっと來羽の唇をなぞり、 來羽にだけ聞こえるようこう呟く。 「あなたの唇、美味しそう…」 そしてそのまま、彼女は口づけた。
「気がついた?」 真っ白な天井がぼんやりと視界に映る。 天井だけではない。 壁もカーテンも、身体全体に覆いかぶさるような柔らかい掛け布団も、 寝ているベッドのシーツまでもが、全て白亜で包まれていた。 どこの学校でも、こんな空間といえば…保健室に決まっている。 …保健室? 私、もしかして… 倒れてしまったというのか。 眼が覚めるような驚きに、來羽は反動で慌てて起き上がった。 「まだ、寝ていなさい」 ふと、横から制止するのは、白衣を着ている女性。 もはやお約束のように若くて美しいこの人は、 どうやらこの学校の保健室の先生のようだ。 栗色の巻き髪がよく似合っていて、 涼しげで端正な顔がこちらを眺めている。 「えっと…」 「養護教諭の貝原よ」 美人は、たいてい笑顔も素敵だ。 晴れやかな微笑みと、彼女が差し出してくれたホットミルクが入った 温かいマグカップが、いまの來羽には染み入るようだった。 「お昼ごはんは、ちゃんと食べた?」 一応の規則なのだそうで、彼女は診断書らしき用紙にペンを走らせる。 「は、はい…」 答えながら、來羽はふと昼休みのことを回想してみた。 今日のお昼は購買で買ったパンを食べて… 食後にちょうどお手洗いに向かおうと席を立った時に 複数のクラスメイトに呼び止められたんだった。 そして、うち一人の質問に躊躇している間に誰かに捕まえられて、 その後…そのあと…… ああ、そうだ… あの綺麗な女の子にキスされたんだ。 スローモーションでどんどん彼女の顔が近づくにつれ 吸い込まれそうな瞳に見とれていると、 気づけばあっという間に唇を奪われていた。 朦朧とする意識の中で覚えているのは、 周りのざわめきたった歓声と美女の素顔、 そして、つよいとても強力な香りだった。 カップを持っていない方の手でずっと口元を押さえている 來羽の異変に気づいたのか、保健女医の先生は両手で頬に触れてきた。 「大丈夫?熱はないみたいだけど…」 「あ、平気…です」 ひんやりとした細長い手で撫でられると、どうしてこうも気持ちが良いのだろう。 しかし、この顔を覗きこまれる体勢に妙に緊張した來羽は、 先ほどの口づけを思い出して次第にドキドキしてしまう。 けれど、あのキス魔(かどうかは分からないが)のような女子高生と違って、 良識ある大人の教師がそんなことをするはずもなく… 「大丈夫みたいね」 來羽の様子に納得したように、すぐ離れてしまった。 「まったく…あの薬は強いから、すぐにはよせって言ったのに…」 ボソボソっと独り言を呟きながら、彼女は再び書類に目を通している。 「え、何ですか?」 「あ、いや何でもないの…こっちの話。  それより、早乙女さん。  あなた、何か忘れ物をしていないかしら?」 わりと重大なことを言っているような気がしたので、 來羽は聞き返してみたのに、 あっさりとこの話題は彼女にかわされてしまった。 その後、言われたとおりに自分の所持品を確認してみると… 胸ポケットにあるはずの生徒手帳がなくなっていた。 「あれっ?嘘、どうして!?」 かわりに、名刺サイズのメッセージカードらしき代物ばかりが出るわでるわ… それはスカートのポケットも同様である。 差出人は、全てクラスメイトで中身は携帯電話の番号とメールアドレス、 それからよろしくとの言づけを含んだ内容だった。 來羽が気を失っている間に、彼女たちは何をちゃっかり渡しているのか。 「…あらあら、みんな焦っちゃって」 一人、涼しげな表情を崩さない校医だけは、すでに高みの見物だ。 しばらくすると、タイムオーバーを告げるかのように 校医は静かに口開いた。 「探し物は、これでしょ?」 ふと、彼女の手元を見ると、確かに彼女は來羽の生徒手帳を握っていた。 「…え?あれ?なんで…?」 目を白黒させて驚く來羽をよそに、なおも彼女は説明する。 「あなたを運んでくれた人が持ってきてくれたのよ。感謝なさい。  …ダメでしょ?この手帳は、どんな時でも肌身離さず携帯しないと」 それは気づかなかった。 でも、気絶している人間がどうやって持ち物を管理できようか。 まあ、これがないと寮に入れなくなるところだったから、 いまは何でもありがたい。 「はい、すみません。ありがとうございます」 ペコペコと何度もお辞儀をして、來羽はそれを受け取ろうと手を伸ばす。 だが。 「本当に危なっかしいわね…」 次の瞬間、來羽は彼女に押し倒されていた。
再びベッドに仰向けになっても、視界いっぱいに拡がるのは 白い天井…ではなくて何故か先生だった。 状況がよくのみ込めない。 生徒手帳を返してもらうはずが、どうしてこうなっているのか。 ただ、急に寒く感じることから布団が剥ぎ取られたらしいことや、 両わき腹にかすかな重みを感じることから誰かが上に跨っているらしいことは、 來羽にも何となく勘で分かった。 え、なに、どうしたの…? あまりにも展開が速すぎて、正直ついていけない。 そんな來羽の困惑を知ってかしらずか、校医はさらに大胆になっていく。 照明が彼女で隠れているせいで來羽の顔面を影が覆い、 長い髪の毛が頬にあたって、そこからは良い匂いがする。 「あ、あの、先生…」 これは何の冗談でしょうか、とおどけて聞き返したくても、 彼女は一切笑ってなどいない。 「ああ、ごめんなさい。これを返すんだったわね…」 そう言って、彼女は生徒手帳を來羽の胸ポケットに入れたが、 そのまま指先は制服をつたって鎖骨の辺りまで撫でるように触れていった。 「これ、前の学校の制服?」 などと言いながらも、手を休めたりはしない。 シュルっと音を立てながら、制服のリボンを引っ張り取ってしまった。 「セーラー服って良いわよね…」 感慨深げに呟く彼女を見て、來羽は直感した。 昼休みに、あの生徒が後ろから転入生と分かって被さってきたのは、 一目で制服の違いを把握していたからだったのだと。 「脱がしやすくって」 最後は囁くように、わざと耳元で話す。 しかし、それよりも來羽にはプチプチとボタンが外れる 軽快な音の方が耳に入ってきた。 「なぁにす…うぅん!?」 さすがに焦って抗議しようとした來羽だったが、 その声は校医の唇によって塞がれ言葉になることはなかった。 本日、二度目のキスだ。 抵抗しようにも、手が動かない。 そこで初めて來羽は、自分の両手が縛られていることを知った。 あろうことか、來羽の両手は頭よりも高く持ち上げられ、 パイプベッドにさっき取られたネクタイで束ねるようにして きつく固定されている。 「見てるだけで良いと思ったんだけどな…」 「え?」 長い間口づけを交わしていたせいで、來羽は息を荒げて 肩を上下に震わせながら返事する。 「何でもないわ。一年生が何やら面白そうなことを  やるって言うから、混ぜてもらおうと思って」 そのまま、彼女は再度來羽にキスをしてきた。 「まっ…」 待ってほしいという來羽の申し出も聞かず、 校医は性急すぎるほどの勢いで口に吸いついた。 彼女は何度も來羽の上唇を噛んでは執拗に弄り、 こちらの様子を楽しんでいるようでもあった。 「うっん…」 息ができない苦しさに耐えきれなくなった來羽は、 反射的に顔を逸らそうと試みるも、そのわずかな隙間から 彼女は狙い通りとばかりゆっくり舌を侵入させてくる。 どうしよう、私…女の人とキスしてる それも、絶世の美女と。 絡まる舌のヌルヌルした感触が、どうにも表現できないような 気持ち良さを醸しだしていた。 不思議なことに、來羽は禁忌を破る罪悪感よりも 天にも昇るような快感で満たされていた。 先ほどの教室では、こんな感覚を味わう前に失神してしまった。 でも、いまの相手は校医だ。 さっきまで倒れていた自分が、もはや気絶したフリは使えない。 「んぅっ…や、やめてください!」 來羽は最後の力を振り絞って身体をよじりながら抵抗する。 幸いにも、足だけは自由に動かせたので、 ジタバタと無造作に揺らし彼女を払いのけることに成功した。 このままでは、『キケン』だ。 本能的に身の危険を感じた來羽は、すぐに起きあがって出口を探した。 この部屋、窓がない…!
來羽がカーテンだと思っていたそれは、 間仕切りに使用されているだけのただの布だった。 シェルターのようなこの縦長い部屋は、 奥にある扉以外の出入り口がない。 それはつまり…事実上の密室を意味している。 ここ、保健室じゃないの? 窓がない保健室なんてあるのだろうか。 それとも、ここは別の… 「痛っ」 ふいにピンと張りつめるような鋭い痛みを手首に感じる。 そういえば、両手は未だ拘束されたままだ。 手がつかえないと、起きあがるといっても所詮は 上半身が少しだけ横向きに寝そべるような体勢になれるというだけである。 ああ、どうして先ほど縛られた数十秒間に気づかなかったんだろう。 考え事をすると他がおろそかになってしまう來羽は、 自分で自分を呪いたくなる。 一番近くの出口から脱出を試みようとするも、 誰かに助けを呼ぼうにも、それが遥か遠くの彼方に感じて 來羽は絶望に陥った。 「あっ」 首筋に吸いつく唇に、思わず反応してしまう。 もうダメだ。 時間切れで校医に追いつかれてしまった。 吸血鬼に囚われた獲物のように、來羽の身体を震えが襲う。 彼女は、來羽の関心を惹きつけておいて すばやく縛っていたネクタイを外して捨てた。 代わりに手錠のようなものをはめ、上半身を起こすように持ち上げる。 さすがは名校医。 標的となる人物の逆襲に遭っても、すぐに欠点を補ってくる。 彼女はさらに、何かで湿らせたガーゼのようなハンカチを來羽の口元にあてた。 あ、コレ… 來羽の脳裏には、一人の美少女の顔が浮かんだ。 この香り…彼女にキスされた時のと同じだ。 途端にビリビリとした痺れが口や鼻から伝わってきて、 來羽は全身の感覚が麻痺してしまったかのように動けなくなった。 「一つだけ教えておいてあげる」 校医は、獲物の背もたれになったような格好のまま、 後ろから來羽の耳にそっと囁いた。 「この薬…感覚を奪ってしまう特殊な麻酔薬は、  私があの黒髪の一年生にプレゼントしたのよ」 彼女の説明によると、本来これは薄めて使うもので、 あの少女は濃縮されたまま誤って使用してしまったため 來羽は気絶したのだと言う。 「な…えっ?プレゼントって…」 彼女たちは一体どういう関係なのだろうか。 強制猥褻とか職権濫用とか抗議すべきことも忘れて、 來羽は悶々と絡み合う二人の美女の姿を想像した。 吐息が幾重にも交じり合って、唾液も汗も…その他の体液も全てが滾るように熱い。 とろけるような愛撫に、舌触りの滑らかな雪のような肌、 そして時折喘ぐ淫らな声が響く、誰にも邪魔されることのない二人だけの世界… ああ、どうしよう… 眼を閉じても、イメージはなかなか消えてはくれない。 鳥肌がたつような、でも続きがみたいようなゾクゾクする気持ちを 膨らませながら、來羽は顔を左右に振った。 「ただの従妹よ」 クスクス笑いながら、彼女は再び囁いてくる。 「あの子は、見た目どおりお嬢様だから、  滅多にモノを欲しがらない子なんだけど…  よっぽど気になる相手ができたのね」 チラリとこちらを見る彼女に、來羽は焦った。 「わ、私じゃない…ですよ」 あんな美少女が想いを寄せている相手が自分だなんて、 とうてい信じられる話ではない。 同じ町の坂を下ったところにある男子校の生徒の間違いではないか。 第一、どうして女の子同士で恋愛するのだ。 おまけに、彼女とはまだ一言くらいしか話していないというのに。 でも、普通あいさつ代わりに薬を使ってキスしたりする…? 否定しきれない一筋の疑問にうろたえていると、 彼女はまた無言で來羽の首に顔を埋めてきた。 「んっ」 嗚咽のような敏感な声が來羽の口から漏れる。 「キスマークはつけないであげる」 校医は、首の付け根から顎の下までの声帯部分をねっとりと舐めあげる。 麻痺しているせいで下半身はおろか、上半身までもがいうことをきかない。 そうこうしているうちにも、彼女はファスナーを下ろし、 はだけた制服の隙間から手を突っこんできた。 ひんやりとした指先が這うように、來羽の胸に触れる。 スリップとブラの上から気配を伺いながら、ゆっくりと擦っていく。 「んぅ…あっ」 決して声など出すものかと、必死で堪える來羽の様子は 校医の加虐性をさらに助長させただけだった。 「無理しちゃって…」 冷笑しながら、彼女は來羽の耳たぶを甘噛みした。 「くっ」 一際大きく來羽がうねると、彼女は満足そうに微笑んだ。 「耳も首も…そしてココも。  感度だけは良好のようね」 「ハァハァ…か、感度?」 一瞬、來羽は言っている意味が分からなくなったが、 すぐに胸元が痛くなり乳首をつままれたことを悟った。 途端に、体中の危険信号が点滅する。 「も…もう、やめてください」 肩で大きく息をしているのに、動悸はちっとも治まらない。 それどころか、ますます激しくなるのを感じ、 來羽を複雑な思いが渦巻いた。 「やめてって…身体は嫌がってないのに?」 わざと校医は手を休めて、いかにも信じられないというふうに 大げさに驚いてみせる。 「…い、嫌がってます!充分」 來羽は、この日初めて強い抗議の意志を持った眼差しで彼女を睨んだ。 「…なら、いまから一分間だけ時間をあげるわ。  この手錠も解いてあげるし、私は何もしない。  だから、思う存分逃げてごらんなさい」 その直後、彼女は宣言どおりに施錠された來羽の両手を解放した。
カチッ… 手元が軽くなったからといって、まだ痛みが治まったわけではない。 案の定、來羽の手首はうっすらと赤くなっていた。 「60、59、58…」 校医は自分の腕時計を見ながら、さっそく残り時間を計っている。 まるで鬼ごっこでもしているつもりだろうか。 しかし、いまはそんなことはどうでも良い。 逃げなきゃ… まだ意識がはっきりしない來羽だったが、 そのことだけはぼんやりとした頭にも響いていた。 でも。 どうしてだか身体が動かない。 何もしないって言ったのに… どうやら、彼女が言う何もしないという意味は、 現状維持とほとんど同義語らしい。 その証拠に…校医の左手は未だ來羽の制服の中にあって、 もう一方の右手は、來羽の髪の毛を手櫛で梳いている。 ぬいぐるみのように懐に抱きかかえられ、人形のように寵愛される。 いまの來羽は、言葉すると…そんな表現がぴったりだった。 「…あら、逃げないの?もうすぐ30秒よ」 ご丁寧にも忠告してくれる彼女からは、溢れんばかりの自信が感じられた。 おそらく、この体勢から逃れられるものなら逃げてみろ、と挑発しているのだ。 一刻も早くこの場から去らないと、今度こそ何をされるか分かったもんじゃない。 …なのに。 頭では分かっているのに、手足が麻痺していても軽く腹筋しながらなら 立ち上がれるはずなのに、來羽の身体は全くいうことをきかない。 体重を預ける心地良さに、麻酔薬とは違う彼女から香る甘いあまいローズの匂い、 さらに頭を撫でられ髪を触られる気持ち良さが、快感とは別次元のまどろみを誘う。 とろんとした眼で瞼を擦っていると、 あっという間に5秒前になっていた。 「5、4、3、2、1…はい、残念でした」 再び校医は羽交い絞めにし、休めていた左手を再稼動しようと いきり立ったのを合図に、來羽は大慌てした。 だが、こうなってからどんなに後悔しても、もう…遅いのだ。 …ずるい 催眠術と格闘しているような一分だった。 曲がりなりにも、彼女は医師なのだ。 よくよく考えてみなくとも、勝負は始めからついていたのかもしれない。 「私のせいだとでも言いたそうね…」 校医は、気に入らないといった表情で、來羽をますます追いつめる。 「仮に…私が何らかのからくりを仕組んでいたとしても、 手錠をほどいて自由に逃げられる時間を与えた時間がある以上、 そこにあなたの意志が全くなかったとは言わせないわよ?」 イタイところを突かれた。 けれども、本当は…自分でも分かっている。 こんな状況は耐えられないと毛嫌いしておきながら、 いざ鳥かごの扉を開けられても、このままここに居られたら… と願った瞬間が確かに存在したのだ。 気まずくなって來羽が黙りこんでいる間にも、 彼女は次々と行動を仕掛けていた。 セーラー服は脱がされ、スリップの紐は肩から引きずりおろされ、 ブラジャーの留め金までも外されると、剥き出しになったのは肩だけでなく、 徐々に小ぶりな胸もあらわになる。 すかさず彼女は、大胆にも直に乳房に触れ、ゆっくりと揉みこんできた。 「うっ…んっ」 初めての感触に戸惑いながらも、來羽は湧きあがる刺激に流されるまま、 自然と声が出ていた。 「声を我慢しなくても良いのよ」 別に我慢しているわけではないのに、彼女にはくぐもって聞こえるらしい。 しかし、本人が気づかないうちに手は握りこぶしを作り、 涙目を堪えるように固く瞑っていたことから、やはり無理しているだろうか。 校医の手は、次第に早さを増していった。 指の腹だけでなく、爪も間接も筋肉もその五本の全てで まるで蛇が貪るかのように喰らいついて放さない。 「んあっ、あっ」 一際甲高い声がこだまする。 著しい來羽の変声に、校医も嬉しそうに応えた。 「そう…素敵になってきた」 自分の声じゃないみたい… 來羽は、自らの頬が火照るのを感じた。 顔だけではない。 首も肩も鎖骨も胸も… 彼女に触れられたところからじんわりと熱くなる。 「まだご不満かしら?」 皮肉るように、彼女は煽り行為を続ける。 不満なんて…いまの來羽が言えるわけないのに。 「なら、もっと素直になりなさい」 そう告げたかと思ったら、來羽はまたも彼女に押し倒されていた。 首から上が、枕に深く沈む。 シーツもカバーも全て清潔な白で統一されているはずなのに、 この部屋に漂うのはただただ猥雑な空気だけだった。 驚くのは、彼女の常習性だ。 制服を脱がされた時にも思ったが、全てにおいて素早いのは、 女の子を扱うことに手慣れているとしか來羽には考えられなかった。
本当は、最初に押し倒された時に思い切って訊いておくべき 質問だったのかもしれないが、我慢できずに來羽は校医に尋ねた。 「先生ッは…女の子が好き…なんです…か?」 「ええ、好きよ」 唇を重ねながら、ためらいもなく彼女は即答してくる。 やっぱり… 疑いが確信に変わっても、自然と納得できる節がそれまでいくつもあったからか、 來羽は比較的落ち着いていられた。 「じゃあ、逆に訊くけど…あなたは女の子が嫌い?」 今度は校医が質問を投げかけたが、來羽は言葉に詰まってすぐには答えられなかった。 好きか嫌いか。 対極な二文字のはずが、実は表現が難しい。 好きではなくても、即嫌いだと言い切れるわけではないからだ。 「そ、そんなこと…」 自分の天秤にかけたことがない。 というか…これまでそんなこと考えたことがなかった。 だって、そういう風に刷り込まれて育つから。 でも。 「嫌いじゃ…ないです」 途切れとぎれの答えになったが、それが來羽の本心だった。 幼い頃から、近所には優しく勉強を教えてくれる憧れのお姉さんがいたものだし、 中学生の時に部活で指導した可愛い後輩とはいまでも連絡を取っている。 それは、慕情が入り混じった友情で、同級生たちの仲良しグループとは 異なる感覚で接していたことだけは間違いない。 昔もいまもそしてこれからも…きっと來羽は潜在的に女性を慕っていくのだろう。 「結構」 それこそが求めていた答えだったかのように、 彼女は嬉々として來羽の額や頬に軽くキスした。 でも、こちらはそれだけでは納得できない。 嫌いじゃないからといって、ならばイコール恋愛対象に なるくらい好きかといったらそうではないわけで… そんな來羽を煮えきらないモジモジした態度を いとも簡単に覆すかのように、校医は鼻で笑った。 「好きになるわよ、きっとね。だって…」 その後に続く言葉を、彼女はこっそり耳打ちして伝えた。 「ここは、そういう○○を持った生徒しか入れないんだから」 生憎にも、來羽には何とかを持った生徒という肝心のなにかの部分が ゴニョゴニョとしか聞こえず、さっぱり意味が分からなかった。 …これ以上、入学条件を設けているっていうの? ただでさえ、編入試験の要項も肩が脱臼しそうなほど分厚い冊子だったというのに。 中にはずっしりと文字だけが並んでいて、宣伝ムードがまるで感じられなく、 それだけでお気軽に受験しようという気持ちが失せた生徒は数知れない。 ようやく願書を提出しても、翌日に書類審査で落選したって話もザラだ。 運良く通過できても、お次は圧迫面接のオンパレード。 大概の受験生は合格に漕ぎつける前に自信をなくしてしまう、 ときに悪魔のような一面を持つ学校なのであった。 正直、來羽はこの学校は本当に人を採る気があるのか、とすら思ったほどだ。 だから、未だに自分がここに居ること自体信じられず、 この学校の全貌が掴めないでいた。 「自信をもちなさい」 慰めるかのように、絶妙のタイミングで校医が声をかける。 職業柄だろうか。 彼女は、人の心の隙間を見つけるのが巧い。 患部に最適な治療を施すように、來羽のいまにも崩れそうな 自尊心をここぞというところで修復してくれる。 …ただ、その分敵に回すと粗探しをされて随分な痛手を負うのだが。 「あなたは、理事長が推薦したほどの生徒なんだから」 そうだった。 來羽の後ろ盾には、強力な味方がいるではないか。 扇動とは恐ろしいもので、鼓舞されている側は一人だけで盛り上がっていると、 応援しているはずの味方が傍で何をしていてもあまり気にならない。 ツツツと人さし指を押し当て、唇から喉もと、鎖骨、肋骨と続けてなぞったら、 次第にそれは乳房へと伸びていく。 來羽は、両手で胸をガードすることも忘れて、独りでに呆けていた。 いや、もはや忘れているのではない。 抗えなくなるほど、巧妙な校医の罠にかかってしまったのだ。 潔白なはずの空間に、これまでどれくらいの女生徒がここに連れ込まれ、 淫靡な世界の虜になったのだろう。 瞳と閉じると、たくさんの少女たちが感化させられていく様が浮かび上がってくる。 ある者は苦しみ抜いた先に善がり叫び、また別の者は迂闊に喜んだものの 最後には額に脂汗を滲ませるほど激痛と闘ったり… 実際にその場に居合わせたわけでもないのに、來羽の身体は体内の血液が 全て沸騰したかのように熱く、下半身にはじんわりと滴り落ちる何かを感じた。 白衣の下のタイトスカートから長くて綺麗な脚が伸びてくる。 網タイツをしている彼女の脚は、やがて來羽の股に滑りこむように ゆっくりと割り入ろうとする。 脚だけではない。 腰から胸にかけてのなだらかなくびれが大人の女性の曲線で、 自分とは違う成熟したオンナを感じる。 …きっとこれに群がる男性は数知れない。 でも、彼らがどんなに欲しても、彼女は手に入らない。 そんな彼女がいま…自分を所望している。 どうしようもない優越感と彼女の色香にドキドキしながら、 來羽は次第に警戒を解いていった。 ああ、もういいかな… 何だか頭の中がふわふわしてきた。 もう考えることにも疲れてきた。 痺れるような甘い香りに包まれ、 身体は、彼女が口づけた箇所から高揚する。 このまま彼女に身をまかせてしまっても、悪く…ないかもしれない。 そう思って來羽が深く息を吸い込んだ瞬間… ギイィィ… 厚みのある奥の扉が、鈍い音をたてながらゆっくりと開いていった。
「冗談きついですよ、センセ?」 壁にもたれながら優雅にこちらを見据えるのは、 この学園の生徒のようだった。 これまた身長170cmは余裕でありそうなスレンダー美人だが、 ここでは珍しいほど短めのセミロングの髪型だ。 たぶん…來羽より少し長いくらいだろう。 驚くべきは、その肌の白さだ。 もともと色白な女生徒が多いこの学園の中でも屈指のきめ細かい もち肌が遠目からでもよく分かる。 何一つ言い訳など出来ない証拠が揃った現場を見られた後ろめたさから、 來羽は脱がされた制服や下着を鷲掴みにして前を隠した。 これ以上、誰かに裸を見られるなんて恥ずかしい。 しかし、そんな來羽をよそに、目の前の少女は ずかずかと部屋に入っていき、校医に向かって堂々と発言した。 「困りますよ、先生。この子がどういう生徒か知っているでしょ?」 一方で、注意を受けた校医の方はというと… ゲームオーバーを認めるかのように、両手をあげ降参のポーズをとった。 …どういうこと? 彼女は一体、何者なのか。 凛とした佇まいや落ち着き払った行動から、 おそらく上級生であるだろうことは分かる。 でも、どうして一介の生徒が権威ある教職者に意見することができるのか、 來羽は目を白黒させながら、そんなことだけを考えていた。 「…まったく。私だって、まだ味見をしていないんですからね」 「ごめんごめん。でも、ほら…つい、ね」 前の二人は、何かコソコソ言い合っている。 聞こえていないとでも思っているのだろうが、片言くらいなら 案外ここまで響くのだ。 味見…? 心当たりがないわけではないが、それでもこういう予感は的中しないでほしい。 それにしても、この学園は随分と教師と生徒の壁が薄いみたいだ。 もちろん全ての教員がそうではないかもしれないが。 すると、入室してきた上級生らしき生徒は、二人の会話に聞き耳をたてていた 來羽の方へ向き直り、改めて自己紹介した。 「初めまして、サ・フォス女学園高等部生徒会長の湊千影です。 あなたが一年二組に転入してきた早乙女さんね。 今日は寮を案内してあげることになっているので、迎えに来ました」 生徒…会長 それは文字通り、生徒会役員の最高幹部を意味していた。 生徒会長が直々にお迎えにあがるなんて… こんなに歓迎されているとは知らなかった。 來羽は密かな感動を覚えつつ、彼女の振る舞いにぼーっと見とれていると、 会長は無言で思いもよらない行動をとった。 「あの…何でしょう?」 顎を軽く持ち上げられた來羽は、不安になって恐るおそる尋ねてみる。 「いや、噂には聞いていたけど…本当に可愛いなと思って。 寮の学生たちは、來羽ちゃんの歓迎会をやるって張りきっているから、 早く紹介してあげないとね。 あ、でも…とりあえず着替えてくれるかな? そのまま行くと寮生が大騒ぎしちゃうから」 そうだった…! 恥じらいを押し殺しつつも、來羽は言われたとおりブラやスリップを身につけ、 乱れていたセーラー服を元通りに着なおした。 その間、他の二人は背中を向けるといった一応の配慮をしてくれたが、 特に校医にはすでに赤裸々に見られてしまったため、 あまり関係がないような気もする。 最後にネクタイを結び終えるのを待っていたかのように、 会長は再び來羽に一緒に来るよう告げた。 学習用品や鞄は、すでに教室から運びこまれたという。 そういえば、理事長室までスーツケースなどの大型手荷物も 受け取りに行かないといけない。 何だってこの学園は日曜のうちに引越しをさせてくれなかったのか… ここへは身体一つで届けられたので、特に忘れ物を心配する必要もなく、 來羽は早々と退散することにした。 まだ少しここでやる仕事があるとかで校医は同行しなかったが、 入り口までは見送ってくれた。 「また、いつでもいらっしゃい」 そうやってヒラヒラと手を振りながらの校医の微笑みが、 來羽には逆に恐ろしく感じた。 いつでもって… ここでお世話になる二度目があっては困る。 部屋を出て新たに判明した事実は、この密室は地下室だったことだ。 道理で窓がなかったはずだ。 扉の外には『特別治療室』と書かれてあるが、実験室に名前を変更した方が 妖しげなこの部屋にはぴったりだと思う。 螺旋階段を上り、ようやく地上へと続くドアの前までたどり着くと、 その向こうには眩いばかりの光に満ちていた。 ここは…? プラネタリウムのような半球体のクリスタルガラスで出来た天井が美しい。 地下室とは対照的に、窓だけで構築されている開放的な場所である。 「ここが本来の保健室よ」 会長の話に、來羽は驚きを隠せなかった。 それもそのはず…部屋の外には一周を薔薇の花々が囲んでいて、 まるでどこかの王室の庭園にでも迷いこんだよう。 思わず息を呑む絶景に目を奪われながら、 來羽はふらふらと壁際まで近寄ろうとした拍子に… すれ違いざま、誰かと肩がぶつかった。 「あ…」 そこに居たのは、意外な人物だった。
なんで… どうして彼女がこの場所に居るのだ? 來羽の脳裏には、激しいフラッシュと共に、 昼間のキスシーンが鮮明に映し出された。 どこまでも澄んだ漆黒の瞳にサラサラと揺れる緑の黒髪、 そして鳥肌がたつほど整いすぎた顔立ち… 間違いない。 彼女は…昼休みに口づけを交わしたあの美少女だ。 時間はもうすぐ五時を回ろうというこの黄昏時なら、 部活動をしていない一般生徒はとっくに寮に帰っているはずなのに。 怪我をしている病人には到底見えないため、 來羽にとっては余計と不思議でならなかった。 「熱っ!ちょっと、急に飛び出してこないでよ」 見ると、彼女の手元には淹れたばかりと思しき紅茶の入ったティーカップが数個、 お膳に乗せられて運んでいる最中のようだった。 カップからは朦々と湯気が立ちこめている。 「ご、ごめんなさい…」 長くて美しい指先が火傷してしまったかと焦って、 來羽は彼女の手に触れるようとした、そんな時だった。 「あら?ちょうど良かった、紹介するわね。 彼女…桐生円さんは、寮であなたと同室になるルームメイトよ」 ようやく追いついた会長が、タイミングよく間に入ってくる。 るーむめいと…って 「えぇっ!?」 仰天する來羽を放ったらかしに、会長は延々と説明を続ける。 「まあ、もともとうちの寮は二人用だからまだまだ充分な余裕はあるのだけれど、 今年の一年生の大半が一人部屋として使い始めちゃってね。 転入生が来ることが決まった時、部屋割りをどうしようか思案していたら、 何故か一人部屋の彼女たちみんなで争奪戦を始めてしまって… …どうしてかしら? それで結局、決着は持ち越しになったのよね。 とりあえず仮の同室者として桐生さんが選抜されたってワケ。 あ、でも、あなたラッキーよ。 桐生さんといえば…一年生の中ではダントツの成績を誇る才女だから、 困ったことがあれば、いつでも彼女を頼れば良いわ」 争奪戦… それは、まさしく聡美が話していたもう二つめのキーワードの 『取り合い』に他ならない。 一体、どんな決め方をしたのかは甚だ疑問だが、 それでは決まらなかったというのだから、 あまりに過酷で壮絶な戦いだったか、 または余程くだらなかったかのどちらかだろう。 それにしても、同室になる相手がよりによって彼女だなんて… 初対面でキスをしてくるような女の子だ。 何だかとんでもない寮生活が待っているような気がして、 來羽の内心は不安でいっぱいだった。 「ほら、二人とも仲良く、ね?」 そう言いながら、会長は向き合う二人の手を取って、 互いに握手させるような格好で促した。 おそらく、生徒会長は今日の昼休みの一件を知らない。 來羽は首を竦めて怯えながらも、言われたとおり挨拶した。 「あ、どうもこんにちは。転入生の早乙女です。 これからご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いしま…」 「会長」 來羽の話を遮って、円は会長へと声をかけた。 「ご要望どおり、理事長室から彼女の残りの荷物を運びました」 彼女の後ろのテーブルには、あの重い編入要項パンフレットが 連絡事項のプリントと一緒に山積みになって置かれていて、 さらにその下にはチャック柄のスーツケースが横たわっていた。 紛れもなく、けさ理事長室に預けた來羽の手荷物だ。 「あ、ありがとうございま…」 慌ててお辞儀をしようとする來羽を、今度は会長の言葉が遮った。 「まあ、ご苦労さま」 「いいえ。同室の者として、当然ですから。 …それより、ちょうどお茶を淹れたんです。 ちょっと休憩して行きませんか?」 会長はそうね、なんて笑いながら、二人でさっさと 奥の洋卓の方へ歩いていってしまった。 無視…されてる? 歓迎されていると喜んだばかりで実はやっぱり違ったのかと、 ならくの底に突き落とされるような仕打ちに來羽は再び沈みかけていると… 「あなたもね」 けれど、こちらに振り向いて円がさりげなくそう言ってくれた言葉だけは、 確かに耳に入った。
「で?」 カップに注がれた真っ赤な紅茶を一口飲んでから、 生徒会長は突如尋ねるように円に質問を投げかけた。 「ですから、その話は以前お断りしたように…」 「やっぱり生徒会には入ってくれないの?」 …そうそう。 生徒会に入ってほしいとかいう類の話だった。 彼女たちを含め、この学園の生徒の会話は次からつぎへと話題が変わるのが速すぎる。 これが女子校特有の怪奇現象なのだろうか。 せっかくの茶話会も、いまの來羽にとっては、何を言うこともなく ただただ二人の話についていくだけで精一杯のティータイムとなっていた。 「でも、あなたのほどの才能に満ち溢れている新入生がもったいない…」 ため息混じりに心底残念そうに呟く会長の話によると、 この天才的美少女の…桐生円は、高等部入学から半年以上経ったというのに、 未だにどこの部活・委員会にも所属していないのだという。 驚くことに、彼女は一学年主席という輝かしい成績だけでなく、 体育で測定した短距離のタイムが、並みいる強豪を押さえて校内上位に くいこむほど抜群の運動神経に加えて、さらには数多の芸能プロダクションから これまで何度もスカウトの依頼を受け続けている経歴の持ち主であるらしい。 これだけ有能な新入生が、特に部活動に精を出すわけでもなく、 はたまた委員会や課外活動に熱中するわけでもない 甘んじた学園生活を送っているとなれば、 宝の持ち腐れ状態で会長が嘆き悲しむのも無理はない。 …いったい、何を考えているの? 頭の回転が速い人の行動とは、時として考えが読めないことがある。 來羽などは、まさにその典型的パターンにはまりやすい人物なのだった。 「別に私が入るまでもなく、生徒会にはすでに優秀な人材が いくらでも揃っているじゃないですか」 特に、私の親友とか…と円は名指しして思い当たる人物の名前を ことごとく列挙していった。 なるほど、彼女の身近な友人には生徒会役員が居るということか。 「もちろん、若林さんもうちの一員としてよくやってくれているわ」 会長はワカバヤシさんのフォローをするかのように、 慌てて名指しされた生徒を庇いたてた。 「だから、その…あなたはとても若林さんと馬が合うようだし。 将来は、あなたたち二人で…今後の生徒会を引っ張ってくれたら、と 私は考えているのよ」 「遠慮します。私はいまの生活で充分満足しているので… 生徒会だって、第二書記や第三会計まで居れば充分ではないですか?」 一刀両断で返事するかのように、円はキッパリと断った。 彼女の態度ときたら…何もそこまではっきり言わなくてもと、 部外者である來羽がやきもきしてしまうほどである。 「生徒会がここまで頼んでいるのに引き受けないなんて、 よっぽどいまの生活が楽しいのか…それとも」 生徒会長はそこまで一息で告げ、さらに來羽を向きながらこう続けた。 「それほど新しく来た転入生のお世話に忙しいのかしらね?」 えっ?…わ、私!? その矛先がこちらに向けられたことで、関係ないと思っていた來羽は萎縮してしまう。 「彼女は関係ありません」 事実だから仕方ないのだが、それでもこれから同室となる相手に関係ないと 言い切られてしまうと、それはそれで心寂しく感じてしまうものだったりする。 「それに…彼女はもう貝原先生とお楽しみだったようですし?」 「…見ていたんですか!?」 どこか棘のあるような口調で円はニヤニヤしたままそう呟いたが、 その言い方が來羽にとっては許せないものだった。 見ていたなら、助けてくれたって良いのに… 彼女たち二人の会話を聴いていて、何となく分かった。 円は最初の荷物を運んだときに、地下室の來羽を目撃して、 さらにその後、再度理事長室へ向かっているうちに会長がやってきた、 というわけだったのだ。 保健医と生徒会長以外にも肌を見られていたかもしれない不安が募り、 來羽は恥ずかしさと怒りで顔を歪めた。
「そろそろ行きましょうか?」 生徒会長のこの掛け声で、來羽たちはとりあえずここを離れることになった。 「この洗いものは…?」 お茶を飲み干したカップは、未だ三人の手元に残ったままだ。 ここは保健室という公共施設の一つのため、当然生徒である 自分たちが洗って然るべきのはず… だが。 「あ、良いのいいの」 全員分のカップを下げようとする來羽の手を制止しながら、 会長は鞄を手渡してきた。 「え、でも…」 「貝原先生がやってくれるから」 まだ心残りな來羽の言葉を遮ったのは、いつの間にか帰り支度を済ませた円だった。 従姉だもんね… 何でもここの校医はカウンセラーの資格も持っているらしく、 頻繁に相談に来る生徒がカフェのように利用するほど人気の場所らしい。 あの妖しげな薬を取り交わすほどの間柄ならば、 身内でなくともおそらく代わりに洗うくらいはしてくれるだろう。 「はい、來羽ちゃんは自分の鞄を持って。 私は編入要項、桐生さんはスーツケースを運ぶの手伝ってあげるから」 そう言ったきり、会長はさっさと歩いて保健室から出ていってしまった。 「あ、あの…」 二人きりになるのはあまりに気まずくて、來羽はしどろもどろになりながら 円に話しかけてみる。 「ほら、うちらも早く行くよ!」 一方の彼女は、あくまで飄々とした態度を崩さないまま、 先導をきって來羽を出入り口まで歩かせた。 保健室の外は西日が差し込んできて、もうすっかり夕方と化している。 急がないと、この学校には門限はないものの、あまりに遅くなると 理由を訊ねられるくらいはするらしいから。 フワッ… 來羽の鼻いっぱいに甘いローズの香りが広がる。 思えば、ここは薔薇の花園の真っ只中だ。 この香り… 少し違うような気もするが、甘くツンとした独特のあの麻酔薬のような香りだ。 もしかして…保健医はこの場所で原料を抽出でもしているのか。 「痛っ」 一輪の薔薇に触れようとした來羽の指を容赦なく棘が襲う。 『綺麗な薔薇には棘がある』 こんな当たり前のことですら忘れていたなんて… 今日はあまりにいろいろなことがあったから疲れているのかな、 などと考えながら來羽が指から流れる血を拭おうとした瞬間、 横からそれを制止したのはまたしても円だった。 「舐めたら治るわよ、こんなの」 彼女は、怪我をした來羽の指をそのまま自身の口に運んだ。 きれい… 何気ないこんな仕草にも、見とれてしまう。 サラサラ揺れる黒髪と、真っ白な肌と、そして彼女が口に含んだ真紅の鮮血が あまりに幻想的で、來羽はどうして良いのか分からなくなり戸惑った。 「いまは指だけ消毒してあげる」 そう告げたままにんまりと微笑んだ円は、身を翻して一本の抜け道を歩いていく。 その言葉の真意を図りきれないまま、來羽は顔が熱くなるのを感じた。 「ほら、早くいらっしゃい」 もう遥か遠くの方から生徒会長の声が聞こえる。 薔薇の香りが辺りに充満するこの花園を抜け進み、三人は校舎を後にした。
黄昏の夕日が一層眩しく映える小高い丘の上に、その建物は佇んでいた。 『サ・フォス女学園中高等部寮』 煉瓦造りの外壁に高々と掲げられている表札には確かにそう書いてある。 50階はあるような超高層マンションを思わせる外観に、 どこかシックで落ち着いたモダンな高級ホテルを連想させる内装が 融合した近代的な建物だ。 学生寮というからには、この学校の歴史からすると相当の老朽化を覚悟していたのに、 予想外にも明るく清潔感溢れる吹き抜けのロビーに來羽は圧倒されていた。 ピピッ… 先を歩いていた二人は、何やら薄いカードのようなものを鞄から取り出し、 厚い壁で出来たゲートを開こうとした。 「ほら、生徒手帳出して」 円に言われてから気づいたのは、彼女たちが持っていたのは例の生徒手帳だったことだ。 「じゃ、私は先に入っているから。 來羽ちゃんは、そこのディスプレイに手帳をかざしてね」 ウイィィン… 何重にもガードされた重厚な門が、一つひとつ開いていき、 その間を生徒会長は颯爽と歩いていく。 セキュリティ上、入館時は必ず一人ずつしか入れないからか、 入場口が全開しても円は足を踏み入れようとはしない。 しかし、扉が完全に封鎖されたのを確認すると、 彼女は会長がしたようにカードをパネルに近づける。 「待ってるから」 真っ直ぐに伸びた背中から一言、そう発せられた言葉だけを残して、 円はあっという間に扉の向こうに消えていった。 今まで付き添ってくれていた二人が一気に居なくなると、 急にもの寂しく感じるのはどうしてだろう。 次は自分の番だ、とばかりに、來羽も例のように手帳をパネルにかざそうとした …瞬間、突然けたたましいサイレン音が鳴り響いた。 『ERROR MESSAGE』 チラリと映った画面の表示を見た途端パニックに陥った來羽は、 係員をお呼びくださいという続きを読むこともなく、 その場に突っ伏すことしかできなかった。 …なんで?…どうして? 今日もらったばかりの生徒手帳が使えないだなんて。 貝原先生は、これを返却する際に何か小細工でも仕込んでいたのか。 泣きたくなる衝動を抑えて、來羽は何故にこのカードが使えないのかと いうことだけを悶々と考えていた。 しばらくすると、守衛さんらしき背の高い女の人が、 管理室と書かれた部屋から現れ、こちらに向かって走ってくる。 警備服を着ていることから、彼女は…ここの関係者だろうか。 藁にもすがる思いで、來羽は目の前の女性に助けを求めた。 「あの、すみません…エラーが」 もしかしたら、心細くてすでに涙声になってしまっていたかもしれないが、 相手の女性は気にすることもなく、にっこりと笑いながら逆に謝ってきた。 「ああ、ごめんなさいね」 彼女が話すには、編入生である來羽のパーソナルデータが 本部からまだ送信されていないのだそうだ。 「これを直接入力するには、専門的な知識も技術も必要なの。 私では…チョットね」 力不足で申し訳ないとでも言うように、頭を垂れる彼女に仰天したのは來羽の方だった。 「いいえ、とんでもない」 もとはといえば、こんな変な時期に転入してくる自分こそ…と 自らを苛む気持ちでいっぱいになりかけた時に、 警備員さんらしき女性が予期せぬ提案をもちかけた。 「じゃあ、今晩はあの部屋で泊まることになってしまうけど…」 「え?」 それは、いまさっき彼女が飛び出してきた管理室に他ならなかった。
「や、それはちょっと…」 「まあまあ、そう言わずに。晩御飯くらいはご馳走してあげるから、ね?」 そういう問題ではないというのに、警備員さんはもうすっかり乗り気で、 來羽を中に連れ込もうと手を握ったまま離そうとしない。 けれど。 「いえ、今日は歓迎会が予定されているので…」 來羽にだって、そう簡単に引き下がるわけにはいかない理由があるのだ。 放課後、生徒会長から直々にそういったお話があったことは、 そそっかしい來羽もよく覚えていた。 歓迎会にまさか主賓が居ないなんて失態、許されるはずがない。 何とか言いくるめてでも、この場を切り抜けないと この後の学園生活にも大きく関わりそうな不安から、 來羽は必死で言い訳を探した。 「歓迎会ねぇ…明日にすれば?」 しかし、警備員さんもなかなか侮ることができない。 『ああ言えばこう言う』の要領で、ことごとく言い返してくるので、 來羽は危うく今夜は寮に入れないことを覚悟しかけた…そんな時だった。 「分かりまし…」 「その必要はありません」 あまりに急展開すぎる申し出に戸惑った來羽の返事を阻んでまでしゃしゃり出たのは、 もう中に入ってしまったはずのあの人の声だった。 「…桐生さん」 そう呟いたのは、來羽だけではない。 後ろで今まさに來羽の腕を掴んで引っ張ろうとしていた警備員の彼女もまた、 円の登場に驚きを隠せないでいた。 「どうして…?」 いま入ったばかりで、もうとっくに居なくなってしまったと結論づけていたのか、 彼女の顔は少しばかり強張っているようにも取れる。 「同室の彼女が遅いので、再度退館したんです」 そう言ったまま、円は來羽を強引に引き寄せた。 わっ…ち、近い! こんなに密着するのは…おそらく昼休み以来だ。 相変わらず彼女は見目麗しくて、來羽が憧れている自慢の黒髪も よりサラサラに磨きがかかっている…ように見えるが、 険しい表情から本人の機嫌はさほどよろしくないらしい。 「それより、柔道部の練習を終えたばかりのはずの 蛭田先生こそ、何でここに…?」 彼女、先生だったのか… 道理で女性にしてはがっちりしたたくましい身体つきをしていると… なんて來羽が考えこんでいる間にも、円は質問するのを止めようしない。 「しかも、その服…警備服ですよね? 先生って今日、見回りの当番でしたっけ?」 彼女たちの会話から、來羽にも段々と事情が読めてきた。 彼女…蛭田先生は、その立派な体格から体育教師か何かで 柔道部の顧問をしていて、おまけにこの学校では教師が この管理室の監視を当番制で引き受ける任務がある、 というところだろうか。 一方で、焦ったのはもう少しのところで來羽を管理室に入れようとしていた 蛭田の方だった。 彼女は、若干眉をつり上げながら、従来の説明を繰り返そうとする。 「いや、気持ちは分かるんだけどね。本日中に彼女のデータを 打ち込まないことには我々に手段は…」 「あります」 あくまで円は強気のようだ。 しかも、未だに機嫌が悪そうな表情が崩れる気配はない。 來羽をその場に立たせたまま、彼女は自ら管理室に乗り込み、 一言だけこう呟いた。 「私が入力しますから」
…知らなかった まさか、彼女にこういう才能があっただなんて… 瞬きする間もないくらいの速さで何やら難しそうな文字列を 機械に向かってタイピングする円は、両親がIT関連会社を経営していて、 彼女自身もバリバリの理系少女らしいことを來羽は初めて知ることとなった。 「終わりました」 ものの数分で作業を終了させると、円はそのまま來羽の手を引き、 管理室からさっさと出ようとする。 「ま、待って」 咄嗟のことだったので、來羽にもすぐには状況がつかめないでいたのだが、 蛭田が何とか呼び止めようとしていることだけは分かった。 「まだ、何か?」 氷のように冷たい視線で一瞥する円からは、 教師への敬意などというものは微塵も感じられず、 むしろ疎ましげな感情を露骨に表現しているようだった。 「そんなに恐い顔しないでよ…中に入る前に、 ちょっとこの用紙に記入してもらうだけだから」 そう言って蛭田が差し出したのは、この寮に初めて入る生徒には 必ず書いてもらっているというアンケートのような一枚の紙だった。 名前と学年、クラスに部屋番号…誕生日や趣味まで、 これといって特に何てことないよくある質問事項だ。 「あ、じゃあ、いま記入しま…」 鞄から筆箱を、筆箱からボールペンを取り出し、 來羽が早速書き始めようとしたその時… 円はそれを邪魔するように横から紙を奪い取った。 奪い取るだけではない。 彼女はそれをさらに真ん中からビリビリと音を立てて破ってしまったのだ。 見るも無残なただの紙きれとなってしまった用紙をゴミ箱に捨てて、 円は再度來羽の手を取り、一緒に来るよう促した。 「待ちなさい!」 当然のことながら、焦った蛭田は声を荒げて抗議してきた。 「これは、新寮生には必ず書いてもらう決まりなのよ? こんなことして…どうなるか分かっているの?」 今回ばかりは、彼女の言い分が正しい…はずだったのだが、 円自身はそんなことで怯むことはなかった。 「なら、直接理事長にお伝えください。 一年の桐生がくだらないと話していました、と」 言いたいことはそれだけか、と再度確認するように睨み返して、 円は再び身を翻して室内から出て行った。 今度は來羽の身体を掴むことなく。 でも、來羽も何となく気まずい雰囲気から解放されたくて、 自らの意志で管理室を飛び出した。
「今度は、あなたから先にお入りなさい」 円の声が吹き抜けのロビーに反響する。 蛭田はもう、管理室から追いかけてくることはなかった。 …何故だろう 恐いこわい体育系教師から解放されたばかりだというのに、 來羽はそれよりもはるかに勝る別の安堵感に包まれていた。 彼女に見守られている。 その事実が、來羽には何よりも心強く感じたのかもしれない。 じっとりと手に汗を握りながら、來羽はそっと生徒手帳を 再び専用ディスプレイにかざした。 ピピッ… 今日中には不可能だと言われたエラーの解除が、 円が行なった数分の作業だけで見事達成できたのだ。 ウイィィン… 次々と開かれる門の厚さは、まるで銀行かどこかの金庫室にでも 通じているかのようだと來羽は歩き進みながら感じていた。 ま、眩しい… 最後の扉が開かれた瞬間、來羽は思わず眼を細める。 目映いばかりに視界をいっぱいに埋め尽くしたのは、 神々しく光り輝くシャンデリアの明かりのようだ。 それまで居た外の世界をナチュラルでモダンだと表現するなら、 内部はまさにゴージャスに彩られた中にもクラシカルが見え隠れする 一種独特な世界観が拡がっていた。 それまで持っていた鞄の重さを忘れてつい落としそうになる來羽に、 更なる追い討ちが待っていたのは、そんな時だった。 「早乙女來羽さんですよね?」
中に入った來羽がまず思ったことは、出入り口であるはずのこの場所に、 何故こんなに人がいるのだろう、ということだ。 端正な顔立ちをした少女たちが、みな一様にこちらを向いている。 ある者は間近に立っているにも関わらず興味深げに眼を凝らしてみたり、 また別の者は遠くから背伸びしたまま首を長くしてみたりと、 十数人程度の女の子がとにかく我先にと押せおせ状態だ。 近隣にも有名なサ・フォス女学園の灰色のタータンチェック柄がよく映える ワンピースタイプではない制服を着ている子がいるように見えるのは… おそらく中等部の生徒だろうか。 そういえばここは、『中高等部寮』と確かに表示されていたはず。 つまりは、高等部以外の生徒が歩いていたとしても何ら不思議ではないということだ。 「早乙女さん?」 ふと目の前の一人に声をかけられた。 見ると、彼女は先ほども來羽の名前を確認するように話しかけてきた高等部の生徒だった。 彼女のいまの話し声のトーンだと、來羽が何も言わないまま黙っているので、 再度合っているのか確かめるかのような言い方だ。 「はい」 彼女は誰なのか、何で自分の名前を知っているのか、 どうしていきなり声をかけてきたのか…訊きたいことは山ほどあったが、 自分が早乙女來羽である以上はということで、來羽は尋ね返した。 「ああ、良かった。ちょうどあなたをお待ちしていたのよ、私たち」 やわらかく微笑むのは、口調からたぶん上級生だ。 この学校の制服には学年の違いを示す印はない。 だから、中等部か高等部かの見極めるならともかく、 あくまで物怖じしない話し方や落ち着き払った態度から推測するしかない。 彼女は後ろに数人の生徒を引き連れて、來羽を待っていたと言う。 面識のないはずの上級生がわざわざ待っていたということで、 來羽の顔が心なしか強張ったその時…また別に横から口をはさむ生徒が居た。 「ちょっと待って!早乙女さんを待っていたのは、うちの方が先よ」 これまた上級生だろうか。 先ほどの女生徒は眼鏡をかけていて、長くて真っ直ぐな髪にほっそりとした体型が いかにも文系のような印象を受けるのに対して、 こちらの彼女は背が高い上に全体的な肉付きが良い筋肉質な体型をした 蛭田そっくりのいかにも体育系という印象を受ける。 「何ですって?あなたたちなんてほんの今さっき着いたばかりじゃない」 彼女たちが何者にせよ、目の前で繰り広げられている状況は 決して安心できるものではない。 むしろ、何だか雲行きが怪しくなってきたと感じるのは來羽の気のせいでは ないはずだ。 彼女たちのちょっとしたいざこざが次第にヒートアップするうちに、 來羽を囲む人だかりは更なる輪をかけていった。
「はいはい、そこの二人。熱心な部活勧誘も良いけど、 それは歓迎会が終わってからしてね」 ポスターらしきものを筒状に丸めた紙で二人の上級生の頭を軽く突きながら そこに参戦してきたのは、どこに行っていたのか生徒会長だった。 「でも、会長…」 「『でも』じゃない。彼女のお迎え役は立候補しなくても もう決まっているの」 そう言ったきり、背後から來羽の肩を急に力強く引っ張る手が伸びてくる。 「わっ」 この感覚… 前にも…あった 気がつくと、來羽はやっぱり円の腕の中に居た。 サラサラ揺れる彼女の髪と、背中を包む柔らかな身体が、 來羽の鼓動を加速させるには充分な刺激となった。 けれども、円はというと…來羽を人質にとった犯人のように、 じっと先輩たちを睨みつけたまま動かない。 可憐な年頃の少女たちが威嚇しあうように立ち並ぶその場は、 美しくもありさながら戦慄のようでもあった。 少なくとも來羽にとっては、居心地の良いものではなかった。 「こら、ただでさえ時間ないって言ってるのに…」 苦笑いしながら沈黙を破ったのはまたしても生徒会長だった。 彼女は、どうにかこうにかその場を取り持ちながら、 來羽と円の二人に早く部屋に戻るよう告げる。 「あっ、ちょっと、待ってよ!」 來羽の戸惑いの声も空しく響かないまま、 円は片手にスーツケース、もう片手に來羽の手を強く握り、 勢いよく寮の廊下を突き進んでいった。
「ねえ…ちょっと」 來羽の声もいまの円に届くことはない。 彼女は、こちらを見ることなく一心不乱に 長い廊下を直進していく。 引きずられるように歩く來羽の方向からは 窺い知ることはできないが、 おそらく…眉間に深いしわをよせて。 ああ、もう… すれ違う生徒に、ちょっとした注目を浴びる。 彼女たちは、今日の昼休みに一年二組であった出来事を 知っているのだろうか。 ふと、來羽の頭をそんな不安が過ぎった。 女子校の噂は伝わるのが速いと聞く。 知り合って間もない、ルームメイトの女の子二人が 出会い頭にキスをした、だなんて 女子校でなくとも噂の的になりそうな恰好のスキャンダルだ。 「痛っ!ちょっ…」 急に來羽の手を握る円の力が強くなった。 彼女は、來羽の抗議を受け付けようとはせず、 ひたすら廊下を歩いていく。 時折、立ち止まったかと思えば、 エレベーターに乗るだけのためだったりと、 無駄な行動は一切しない。 まるで何かにとり憑かれたかのように無言だったが、 何故か二人が女生徒とすれ違う分だけ円の握力は増していった。 そんな彼女に、來羽はついて行くだけで精一杯の状態が続き、 次第にそれはイライラとした感情へと変化した。 「もう、いい加減に放してよ!」 我慢の限界に達した來羽は、ついに円の手を振り払って立ち止まった。 「…何なの?」 やっとの思いで出てきた声は弱々しくて、 とても怒りを表現しているようには見えない。 それは、來羽自身も分かっていた。 でも、このまま引きずられるように歩いていくのは 何故だかあまりに恐く感じられて、來羽なりのささやかな抵抗だったのだ。 少しの沈黙の間、円の反応を気にしていると、 彼女はおもむろに背を向け一つのドアの前に立った。 「部屋、着いたわよ」
「307…号室」 一階は総合エントランスロビーになっていて、 二階には食堂や談話室、ジムといった娯楽施設がひしめいている。 三階以上は寮生の部屋になるわけだが、 やはり年功序列が息づく伝統校。 学年があがるにつれ、高層階の部屋が優先してあてがわれるシステムらしい。 來羽と円の相部屋となる部屋は、この307号室で間違いないようだった。 ガチャ… 静かに開いたドアの向こうには、幻想的な夜景が出入り口のこちらからでも よく確認できるほどにキラキラと輝いていた。 さすがは丘の上に建てられているだけはあって、 寮室からは絶景ともいえる眺めが見事である。 「わぁ、綺麗!」 大都会ほどではなくとも、そこそこ栄えている商業都市ともなれば その黄昏は格別だ。 まだほんの少し夕焼け空に街の明かりが一つ増え、二つ増えとしている光景に 來羽は見とれ、いつの間にか辺りはすっかり夜の闇に包まれた。 「あ、いけない…」 こんなことをしていると、歓迎会とやらが始まってしまう。 來羽がやっと自分の不手際に気づき、 部屋の電気をつけようと手を伸ばした時…ふいに後ろから 誰かに抱きしめられた。
誰かなんて…この部屋には二人しかいないのだから、 必然的に自分以外のもう一人が誰であるかを思い出した時点で、 來羽の身体は硬直した。 長くて細い腕がゆっくりと絡みついてくる。 カーテンをしていない部屋に差し込んでくる 夜景の明かりに照らされたせいで、幾分艶かしい。 來羽は動くこともできないまま、 ただただ窓ガラス越しに円を見つめていた。 彼女の瞳もまたこちらの眼をじっと映している。 円の視線は、高揚していて眩しくて、そして痛かった。 ほっそりとした指が、次第に制服の胸の辺りを なぞるように触れてきた。 いつの間にか、首筋には息がかかるほど密着している。 幻想的なようで生々しいこの空間には、 間違いなくルームメイト同士である二人しかいない。 密室でこれから起こる出来事を想像して、 來羽の胸中は不安と期待で渦巻いていた。 円の甘い匂いに包まれながら、 來羽の思考回路が再び麻痺し始めようとした時… 突如として正面を向かされ、力いっぱい抱き寄せられた。
鼻の奥をくすぐる、清潔なシャンプーの香り。 ふんわりとした髪の毛だけでなく、 笑顔も心も優しい女の子。 やっと見つけた…私だけの花嫁 彼女はもう、覚えていないかもしれない。 私と初めて会った日のことも。 私の印象ですらも… 初めて彼女に出会ったのは、まだ残暑が残る九月の頃だった。 学園祭が無事終了し、生徒たちの余韻も冷めやらない中、 彼女は一人でこの学園にやって来ていた。 紺色のオーソドックスなセーラー服を身に纏っていたということもあるが、 それ以外にもふわふわした外見に大人しそうな性格、 入学審査ギリギリであろう小柄な体格から、 一目で外部生であることを見抜いた。 全寮制であるこの学校が外部の生徒の入校を許可するのは、 部活動対抗の練習試合の時か、入学・編入試験の時だけ。 もちろん、例え引率であったとしても、 男性が入ることは禁じられている。 通っている学校の担任が男性なのか、 はたまた親御さんの都合がつかなかったのか、 とにかく彼女は一人だった。 私はというと…最初は、校舎の三階から外部生に気づいただけだった。 遠く離れた研究室が集まる棟の脇に、彼女はぽつんと立っていた 寂しげな少女が居たことに。 道にでも迷っているのかな? 不確かだが、おそらく第一印象はそんなものだ。 外部からこの学校にやってくる者がまず圧倒されるのは、 何といっても広大な敷地であることは周知の事実なので、 彼女の示した反応はそう珍しくない。 ただ、彼女があまりにも泣き出しそうな顔をして、 辺りをウロウロとしだしたのを見かねて、 次第に興味をそそられたのだ。 手元の時計はもうすぐ一時半になろうとしていた。 歴史が古く伝統もある学校というのは、たいてい時間にもうるさい。 仮に二時から面接が始まるとすると、時間前行動を厳守するなら もうそろそろ理事長室には到着しているのが好ましい時間帯だ。 このままだと、彼女は遅刻して入室することすらも許されないで あろうことは想像に容易い。 次の瞬間には、私は彼女のもとに向かっていた。
ガサッ… 頬をくすぐる葉っぱの茂みをすり抜け、私はあっという間に 研究室がある校舎の脇に立っていた。 冷静さを装っていながらも、内心は早く会いたい焦る気持ちを抑えるのに必死で、 目的地にたどり着いた時には少しだけ息を荒げていた。 それで、彼女は…? 居た… 建物の影に隠れるようにして、物音がしたこちらの方を 不安そうな顔で伺っている 遠くから観察していた通り、身長はさほど高くなく、小柄でほっそりとした 全体的に華奢な印象を受けた。 そして、何より有無を言わさず可愛らしいと思えるような ふわふわしたボブの巻き髪にどこかあどけない表情を覗かせる童顔。 挙動不審のような仕草を見せながらも、どこか心をくすぐられる つぶらな瞳で見つめられると、誰もがつい心を許してしまうだろう。 「あ、あの…」 どもるようなくぐもった声が目の前の彼女から発せられたことで、 私ははっとした。 いけない。 彼女はいま、急いでいるはずだった。 少なくとも案内してあげたい、と思ったのだから、 こんなところで燻っている暇などないのだ。 「行きましょう」 彼女の腕を掴むと、私は有無を言わさず歩き出した。 「へっ?あの…私」 煮えきらない返事を繰り返しながら、戸惑いを隠せないでいる 彼女はこちらの動向を制御しようと微かな抵抗を試みるように その場から動くのを拒もうとする。 見ず知らずの生徒に何処とも分からぬ場所へ 引っ張られようとしているのだから、当然の反応だ。 「しっ」 人差し指を彼女の口元にかざし、それ以上は黙るように促す。 「理事長室に、用があるのでしょう?」 「えっ!?」 どうしてそのことを知っているのか、とさも不思議そうな顔をしてみせる 彼女の素直な反応がおかしく、つい笑いそうになるのをこらえる。 かわいい… この学校に通う者なら、みなそう感じるだろう初々しい様子に、 私は少しずつ夢中になっていくのを感じた。 もしも、彼女が編入試験に合格したら… 仮定の話はあまり好きではないのだけれど、 それでも学園中を巻き込む喧騒の新たな火種になりそうな人材を 他の生徒よりも早く見ることができたとしていたら、 興味が湧かない者は居ないはずだ。 それから、理事長室に案内しているしばしの間は、 他愛もない世間話や彼女がいま通っている学校の話などをしていた。 そこで、彼女は現在高校一年生であり同い年であることが判明したのだが、 彼女ときたら…敬語はやめるよう促しても、一向にタメ口で話そうとしない。 きっと、年上だと誤解されているわね… あえてこちらからは、同じ学年なのだと伝えるようなことはしなかったが、 長年通い慣れている面々が集うこの女子校ではこういう体験も 新鮮になってきたため、そのまま放っておくことにした。 「着いたわ。ここが理事長室よ」 もう少し彼女と話をしていたかったが、残念ながらここでタイムオーバーだった。 「あの…本当にありがとうございました。 できれば、その…お名前を伺ってもよろしいですか?」 また、あのつぶらな瞳でこちらを見上げる。 急いできたためか、上気してほんのり色づいている頬に、 少しばかり潤んだ真っ直ぐに澄んだ眼差し。 本人は気づいていないのだろうか? …まあ、自覚していないからできるのだろうけど。 「それより、あなたのお名前を教えてもらえないかしら?」 私は、ふいにそう切り替えした。 名乗る行為が照れくさかったこともあるが、彼女にはまた出会えると どこかで信じていたため、漠然といまここで自分の名前は告げたくなかったのだ。 「早乙女…來羽と申します」 サオトメコノハ… 何度も頭の中で反芻するように、私は彼女の名前を記憶に刻みこんだ。 可憐な、彼女らしい良い名前だと思いながら。 窓から室内を覘くと、中の簡易控え室のような仕切りにはもうすでに 何人かの他校の生徒が椅子に座っていた。 時計と受験生のリストを見比べながら険しい顔をしているのは、 面接補助員の教師だろうか。 いずれにせよ、彼女は早く室内に入った方が良い。 「急ぎなさい。中ではあなたを待っているわ」 抱きしめると折れてしまいそうなほど細い肩を後押ししながら、 來羽の耳元で彼女にだけ聞こえるようにそっと囁いた。 「震えているのね…でも、大丈夫よ。 あなたらしい受け答えをすれば、きっと合格するわ」 彼女の不安をできるだけ払拭させたくて発した言葉だったのだが、 それでも來羽の顔にはまだ曇っている。 抱きしめたい… 今日、それも先ほど出会ったばかりであるというのに、 私は気がつくと來羽をきつく抱きしめていた。 彼女に会うことがこれで最後にならないように… ほんの数秒の抱擁の後、私は密着していた身体を離し、 無言で來羽の前から立ち去った。 正直、あまり好きでない理事長室に近づいたという事実だけでも、 個人的にはかなりの快挙なのだ。 彼女は、きっと編入してくる。 だから私がそれまでにできることは、彼女と再会した時に備えて、 できるだけ自然に側に近づけるよう、したたかな計画を練ることだけだった。
この学校へ転校して…十時間近く経とうとしている來羽だが、 最初のうちは学内ですれ違う少女たちの美しさに圧倒されてばかりだった。 しかし、彼女…桐生円ほど綺麗な同い年の美少女との出会いほど 鮮烈で印象的なときめきは初めてだった。 その彼女がいま、來羽を真っ直ぐに見据えている。 向き合った彼女は、初対面の時と変わらず端正な顔立ちと 凛とした立ち振る舞いのままだった。 円の整った面持ちをさらに印象付けるのは、 何といってもこの澄んだ眼差しだろう。 漆黒の瞳は圧倒的な眼力を誇るだけでなく、時に憂いを含んだその表情は 常に学園中の注目を惹きつけてやまない。 だから本当は、窓ガラスに反射する彼女の視線を感じたその瞬間から 來羽も意識せずにはいられなかったのだ。 後ろには絶壁に面する窓、前には絶世の美女、そして來羽の肩の側には… 円の長い両手が左右を覆うように囲っていた。 まさに八方塞がりの状態だというのに、何故か來羽はこの状況を嫌とは感じなかった。 ドクンドクンと胸の鼓動だけが高まっていく中、 円は一人静かにこちらを見下ろしていた。 逃げなきゃ…早く 彼女の眼力には、甘い残り香には、痺れるような吐息には、 どうしても抗えない魔力があって、今朝はそれが原因で 唇を奪われて騒ぎになったばかりだ。 このままでは、またも今朝のようなことが再現されて、 次こそは…今度こそはちょっとしたボヤでは済まされなくなる。 そうして全身が身の危険を告げているというのに、 またも來羽の足は動かなかった。 あ、また… スローモーションのように全てがゆっくりと映り、 ふんわりとした円の唇が重ねられる。 ただ、今回は來羽も予想出来たのに、気絶することもなかったのに 口付けを避けることができなかった。 やわらかい… 不覚にも、來羽には彼女の唇の感触を味わっている余裕はあったことも確かだ。 視覚いっぱいに拡がるのは、接近して瞼を閉じる円の顔。 満足そうに恍惚の表情を浮かべながら唇を離す円の顔があまりに綺麗で、 來羽は女性の唇の厚みが心地良いことを改めて思い知った。 彼女は相変わらず強引だったが、いまのはとても優しいキスだった。
もう、どうでも良い… 何回かの口付けを交わした後には、來羽はすっかり円の唇に夢中になっていた。 女の子のふっくらとした上唇がどう、とか、そんなことは すでに考えられなくなっていたからだ。 とにかく、気持ちが良いのだ。 持て余すくらいの快感が、急激に來羽の瞼を重くさせ、 うつらうつらと次第に眠気のような夢心地に浸っている間もなく、 円はわずかな隙間を伺うように自らの舌をねじ込んできた。 「んっ」 途端に、來羽の身体が硬直する。 予想だにしなかったディープキスの再来に、一気に頭が真っ白になった。 一度でも彼女の侵入を許してしまうと、それを拒むのは容易ではない。 ヌルヌルした生暖かい感触は先ほどの校医とのキスと何ら変わらないのに、 円の舌はどこまでも吸いついて離そうとはせず、逃げようとする來羽のそれを 執念深く捕らえて容赦なく追いつめる。 クチュ…クチュ… まるで息をすることすらも惜しむかのように、 二人の乱れた吐息と絡まった唾液の音だけが部屋には響いていた。 やがて、獲物を十分に堪能したような表情の円が唇を離すと、 口と口の間に透明な糸をひいた一筋の唾液があらわれる。 いつしか來羽はとろんとした目つきを向けながら、 彼女が繰り出す次の行動に期待することを隠せなくなっていた。 「可哀想に…縛られたのね」 同情するように、円は來羽の細い手首をさすった。 触れられるとヒリヒリとする痛みが襲ったが、時折「痛かった?」などと 声をかける彼女の気遣いが嬉しくて我慢していた。 「大丈夫よ…私にまかせて」 しばらくの間、手首をいたわるように撫でていただけだった円だが、 おもむろにこう言って大きなガーゼのようなハンカチを取り出そうとする。 きっと消毒か何かの処置を施してくれるものだと黙って見ていた來羽は、 次の瞬間…そのハンカチで再び両手首を二重に巻かれて仰天した。 「な、何するの!?」 「これ以上、悪い虫が寄ってこないように、もっとキツく縛ってあげる」
だれか…誰か嘘だと言って! 來羽の心をこのような絶叫がこだまする。 後ろには断崖絶壁に面する窓ガラス、 前に立ちはだかるのは身長差が軽く10センチ以上はある美少女、 そして、両肩を挟んで身を取り囲むのは…彼女の細長い白い腕。 まさに絶体絶命の状況でいまの自分の格好ときたら… 両手は頭上に高く持ち上げられて、ハンカチできつく縛られており 抵抗したくとも円の片手で封じられているため、全く自由がきかない。 おまけに、両足を割って入るのはこれもまた彼女の長い美脚。 制服のスカートが摩擦しあって、そこから伸びる彼女の脚は 來羽の肌にまとわりつき、湿度と熱気で更なる開脚を迫ってくる。 「んっ」 ヌルッとした感触が耳を這ったように感じた次の瞬間には、 円の手が服の上からでもよく分かるくらいしっかりと來羽の胸を触っていた。 「や…やだ」 そこには触れてほしくない。 咄嗟の危機感からか、來羽はすぐに拒もうとするが、 円はそれを当然のように許すことはなかった。 「ねぇ」 それどころか、彼女の刺激は更にエスカレートするばかり。 挑発するように耳に息を吹きかけ冷笑する様は、 同級生に見えないという來羽の偏見を一層増幅させる一方だった。 「貝原先生にも、こうやって脱がされたの?」 彼女の意図が読めない質問に來羽の思考回路が停止してしまった間に、 円は勢いよくセーラー服を破ききった。 布が切れる鋭い音と共に、彼女はすかさず來羽の背中に手をさし伸ばして ブラジャーのホックすら外そうと画策する。 「嫌ぁ!やめて…やめてよぉ」 すでに涙を滲ませながら懇願する來羽の顔も、円には庇護欲をそそる 愛しい泣き面にしか映っていなかった。 「あ」 そんな中、二人の声が重なったのはくしくもホックが外れ、 來羽の控えめで小さな胸がこぼれて露出したタイミングでの出来事だった。 わずかに見えるくらいの突起はすでに硬く尖っていた。 「…」 無言で見つめてくる円の視線に耐え切れず、 來羽は両手で自らの胸を抱えるように隠そうとするが、 僅かに勢いがついて自由になれた両手も すぐに彼女に元に戻されてしまう。 ジリジリと灼きつく視線が、一瞬だけ絡まった時に、 ふいに彼女の口元から言葉が発せられた。 「きれいよ」 「え…?」 何を言われたのだろう、と首をかしげる間もなく 來羽は全身が熱くなってくるのを感じた。 「綺麗よ、來羽。とても…きれい」 絶世の美女に裸を褒められることほど、恥ずかしいことはない。 しかも、隆起した乳首にだけを意識してしまい、 來羽はまるで自分が娼婦のように彼女をひどく誘惑しているかのように思え 羞恥心に余計に拍車をかける。 「もう…見ないで」 震える声で再度許しを請おうと、何度も頼み続けたが、 円にとっては逆に胸を締めつけられるほどの 焦燥感しか生み出さなかった。 早く…彼女が欲しい 身体の中を深く貫くような支配欲をどうしようもできなく、 円はただただ一心に來羽の胸を貪り尽くそうとする。 「これ…」 ふいに円の指先の動きが、來羽の胸元の一部で止まる。 まるで何かを見つけたように固まる彼女の様子を怪訝に思った來羽は、 少しだけ視線を下げて彼女の指を追ってみる。 すると。 「あ」 これって… とある動かぬ証拠を見つけた來羽は顔が真っ青になり、 その表情の変化を静かに見届けていた円は途端に不機嫌になった。 「これはキスマーク…よね?」
『キスマークはつけないであげる』 あの時、確かに貝原先生はそう言っていた。 なのに、どうして…? ふと、目の前に佇む円の口元が緩むのを確認すると、 彼女はふっとこぼしたように笑みを浮かべた。 「やっぱりね…」 先ほどまで怒っていたように見えたのに、いまは笑っている彼女を 訝しげに見つめる來羽の思考回路は、すでに破裂しそうである。 「貝原先生のしないは、するかもしれないと同じ意味なのよ」 「え?」 突然、何を言い出すかと思いきや、円はそのようにきっぱりと告げる。 そういえば、彼女たちは血縁関係にあるのだ。 「昔からそうだったわ…」 遠い目で記憶を回想しているのか、円の瞳はどこか虚ろだ。 でも、來羽には円の云わんとしていることが何となく理解できた。 保健室で貝原先生に押し倒された時も、今回のキスマークも、彼女は 最初からそのつもりだったわけではなかったのだろう。 現に彼女自身が「気が変わった」と話していたのだから。 それにしても、校医はかなり面倒なことをしてくれたものである。 そう思わずにいられないほど、來羽の疲労はピークに達しつつあった。 これまで見たこともないような美人揃いで、 現実離れした世界観が拡がるこの学園での生活は楽しみであったけど、 同時にこれまでだと起こりえないような騒動に巻きこまれている環境に 嫌悪感すら抱くことになりそうだった。 憧れの大人の(もしくは大人びた)美しい女性たちと親しくなれるのは、 この上なく光栄なことだ。 しかし、だからといって女性が普通に女性を求め愛おしむ日常があることを 十数年生きてきた人生の中で、予想だにしていなかった。 その現実をいきなり衝きつけられ、洗礼を浴びるかのごとく 彼女たちの情事に付き合わされている。 「彼女が何を言ったとしても関係ないわ。私は、あなただけは譲れないから」 途端に、來羽は胸の奥が締めつけられるような想いに包まれた。 これって、告白されたの? 心拍数だけならもはやドキドキする、などというレベルは超えていただろう。 來羽は戸惑いと息詰まるような感覚に目眩を起こしそうだった。 憧れてやまないサラサラの黒髪に、人形のように整った顔立ち。 長身でありながら女性らしいメリハリのあるくびれが美しく まさに麗人と表現するにふさわしい同い年の女の子。 いつかは彼女のような大人の女性になって、そして… 彼女のような美貌があれば、と何度も羨ましがった。 髪の毛の一本から指の爪先まで、何もかもが自分とは違っていて 非現実といわれようとも彼女のような外見が手に入れば、と 來羽は本気で願った時期もあったのだ。 願ったけれども…こんなカタチで叶うなんて誰が予想できただろうか。 声を押し殺して黙っている來羽を静止して見つめていた円は、 ふうっと息を吐きながらながらこう漏らした。 「最初にも言ったけど…あなたの唇、本当に美味しそうよね」 だから欲しくなってしまうのだ、という説明を最後までしないまま、 彼女はそのまま再び口づけてきた。
「んんっ…ぅう」 言葉にならない喘ぎが、吐息と一緒にこぼれる。 唇が、舌が、唾液が、口内の全てが円でいっぱいになる。 それはとても激しく、またとても切なさに満ちていた。 執拗に舌を追いかけまわしたかと思ったら、 繊細すぎるくらいに優しく絡めとろうとする。 しつこいまでに唾液を吸い尽くされたかと思ったら、 口元から溢れるほどの唾液が次々と注ぎこまれる。 やがて、彼女の手がもう一度胸元に伸びようとしたその時に… 來羽は我に返ったように抵抗を強めた。 「やぁっ」 かすれる声で弱々しく抗議するも、縛られたままの來羽に たいした拒絶はままならない。 彼女は手の平いっぱいで乳房を鷲掴みし、ゆっくりと揉みはじめた。 丹念に捏ねまわす円の手は、決して乳首に触れようとはしない。 「はっ…うぅん」 時折すすり泣くように漏れる喘ぎ声にも、円はお構いなしだ。 唇と乳房とで弄ばれつづけた自由がきかない上半身は、 いつしか窓際に貼りつけられるように拘束されていた。 「移動しましょうか…」 長かったキスからようやく解放してくれた円が発した言葉に、來羽は素直に驚いた。 「…い、移動…って?」 肩で息をすることもままならない來羽が怪訝そうに尋ねると、 彼女は何も言わず部屋の奥のとある一点を見つめた。 寝室だ。 薄暗い部屋の中で、ぼんやりと浮かぶ天蓋つきのダブルベッドが一つ、 何を主張するでもなく佇んでいる。 「…え?…あ」 來羽がその存在を認めたと同時に、円は來羽の手を引いて奥へと突き進んでいこうとする。 「ちょ…ちょっと待って…ねぇ」 慌てて立ち止まろうとするも、固い結び目のハンカチに しっかりと両手を拘束されたままの状態では、 円が足を止めてその場に留まってくれるまでには至らなかった。 「あ、やっ」 程なくベッドに押し倒されると、すぐに彼女は密着してくる。 柔らかなクッションに包まれ、寝心地だけなら來羽がこれまで暮らしていた 実家のものとは比べ物にもならないほどの高級品だ。 おまけに、視界には円しか映らないため、 窓際に立たされていた時よりもさらに彼女を身近に感じる。 もしかして、この部屋…ベッドが一つしかない? 一抹の不安が來羽の頭をよぎったが、すぐにそれを裏づけてくれるかのように 円が耳元で呟いた。 「今夜からは、ずっと私の隣りで寝るのよ」
來羽は知らなかったのだ。 この学園の学生寮には、個室も相部屋もすべて寝台は一つしかないことを。 つまりは、新たに布団等を側に敷かない限り、彼女とベッドを共にしなくてはならない。 ずっと、彼女の隣り… 想像するだけで顔が熱くなってくるというのに、 肝心の円はそうのん気に感慨に浸らせてはくれなかった。 「やぁっ」 途端にぬるりと生暖かい感覚が身体中を駆け巡ると、來羽は大きく仰け反ろうとする。 はだけた制服からこぼれる乳房を円が再び鷲掴みしてきた。 何度も執拗に捏ねられ続けた來羽の乳首はすでに硬く尖っており、 さらなる刺激に身体はますます熱く反応していく。 「はっ…あ」 彼女の唇がゆっくりと來羽の乳首を含む。 最初は啄ばんでみたり舌先をねっとりと転がしたりと 弄ぶように堪能していた円だったが、次第に刃を立てるように噛み付いた。 その瞬間にも來羽の全身に鋭い痛みが駆け巡る。 「痛っ…いよぉ」 敏感になっている身体に追い討ちをかけ、來羽の頬にはまたも涙が伝った。 「ねぇ來羽、こっちを向いて」 痛がっている來羽の顎を掴んで、円は涙を拭うこともできないことにもお構いなしに、 自らの顔に近づけ情熱的なキスと胸への愛撫を繰り返す。 「んっ…んぅっ」 痛みと気持ちよさが交互に押し寄せて、徐々に身体は熱を帯びていくいまの状況に、 來羽はすでにおかしくなりそうだった。 すでに頭がぼうっとして、何も考えられない。 ただただ熱くて、芯から湧き出るような微熱に支配される來羽の身体が 円にはどうしようもなく愛らしく映った。 やがて円の細長い指が胸から腹へ、そして腰へと來羽の身体のラインを なぞるように伸びていき、スカートの中へと潜りこもうとする。 「あっ、ちょっ、そこはダメっ!」 慌てて止めようにも、上半身に自由が効かない來羽には所詮抵抗らしい 抵抗はできなかった。 「そこは?」 最初から計算していたのだろうか。 立っていた時同様に、円は用意していたかのように長い脚を滑りこませ、 股を閉じようとする來羽を阻む。 「そこは、ってどういう意味かしら?」 意地悪な質問を投げかける彼女はクスクスと冷笑を浮かべながら、何とも楽しそうだ。 薄い布地でできた下着の上から円が軽く上下に指を動かすと、 明らかに湿っている独特の感触が触れられている來羽にも理解でき、 恥ずかしくなって顔を赤らめた。 一瞬、冷たい外気に晒されたように感じた陰部が、やがてそれよりも ひんやりとした指先の感覚を意識するまでそう時間はかからなかった。 「ひっ…やぁ」 下着の中を、直に円の手が這っている。 彼女は指を折り曲げたまま陰部に押し当て、 から絡め取るようにすくって來羽に誇示しこう呟いた。 「糸、引いているわ」 その時、來羽は何かが弾けるように一線を越えた気がした。
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