■和美のBlue 31 □つちふまず
ビルの谷間から。 一本入ると。 そこはびっくりする位。 古い民家が立ち並ぶ。 下町。 歩いていた私達の前を。 三毛猫が横切った。 こんな所にレストラン…。 どんな店だろ。 それにしても。 ナツさん…。 コンパスが長い! ひえ〜。 少し小走りに、 ナツさんの後に続くと。 突然ナツさんが止まった。 トン、と背中に。 ぶつかってしまった。 「…あ、すみません。」 「ここだよ。」 「え……。」 これ!? ナツさんを見ると。 赤いレンガの建物。 古ぼけた電飾の、 看板があった。 電球が切れかけているのか。点滅してる…。 “ブランカ” と。片仮名で書いてあった。 「来て。」 カランカランと。 古いドアを開けた。 店内には、 誰もいない。 赤茶気た革の椅子。 明るみを抑えた照明。 あ、南野陽子のポスター(笑) うん、すごく…。 なんていうんだろ。 古き良き、洋食屋さん。 「いないな。」 ナツさんはキョロキョロと、見渡すと。 キッチンかな。 奥から小さな人影。 「いた。…ママ!」 ママ!? ナツさんは笑顔で。 その人影に。 駆け寄った。 そこには、小さな小さな。 ─おばぁちゃんがいた。 ナツさんを見て。 たくさんの皺を、 抱えた顔を。 もっとくしゃくしゃにした。 ナツさんはしゃがんで。 「元気だった?」 「…………。」 おばぁちゃんは。 うんうんと頷くだけで。 言葉はなかった。 「食べに来たよ。」 ナツさんの目は。 すごーくすごーく優しくて。 まるで娘を見る母親みたいで。 何故かすごく。 胸がグッとなった。 おばぁちゃんはナツさんの肩を、二、三回擦った後。 静かに、 ゆっくりと。 また奥へと。 下がって行った。 ナツさんは振り返ると。 「かけて。」 そこに、と。 促してくれた。 「ママ、って…。」 まさか母親じゃ、ないですよよね。 「ああ…。」 ナツさんはまた、懐かしい目をした後に。 「昔、お金が無かった。いつもここで…。」 「食べてたんですか。」 なるほど。 「ん。中学生の時。」 …………。 そうなんだ。 でも。 聞く事はしなかった。
15分程して─ おばぁちゃんは二つ。 お皿を持って。 私達のテーブルに。 「わぁ……。」 トン、と置かれたお皿には。 デミグラスソース。 綺麗な目玉焼き。 人参のグラッセと。 手作りかな?…ポテト。 とっても美味しそうな。 ハンバーグだった。 「ハンバーグだぁ。」 大好き♪ おばぁちゃんはウンウン、と頷いた後に。 また下がって行った。 ハンバーグから。 ゆらゆらと上がる湯気。 「よだれが出てきました。」 「ん。」 ナツさんも目を細めた。 おばぁちゃんは。 今度はライスのお皿を二つ持って。再び、テーブルへ。 「たくさんお食べ。」 おばぁちゃんの。 しゃがれた声。 「はい…頂きます。」 「頂きます。」 二人で手を合わせて。 ナイフとフォークを手に。 いざ…。 ………あれ。 見るとナツさんは。 手にフォークとナイフを持ったまま。 ハンバーグを見つめていた。 「…ナツさん?」 どうしたんだろ。 「あ……。いや。」 食べよう、と。 思い直したように。 ハンバーグにナイフを入れた。 「おいしーい!!」 こんな美味しいハンバーグ。食べた事なーい! 見るとナツさんも。 一口一口。 味わうように。 笑顔で食べてた。 「このソース、どうやって作るんでしょう…。」 デミグラスソースが。 とにかく特徴的で。 「これで昔はご飯食べてた。」 ナツさんは。 苦笑いで。 「何杯でも行けそうですね…。」 見るとおばぁちゃんは。 ニコニコしながら、 私達が食べる姿を。 満足そうに見てた。 「ママ、ご馳走様。」 ぴったり\1400。 ナツさんは払って。 またしゃがんでおばぁちゃんの、肩を抱いた。 口元をモグモグしながら。 おばぁちゃんも笑顔で。 「ありがとね。」 おばぁちゃんは。 しっかりそう言った。 「…………ん。」 ナツさんはまた立ち上がって。 「ご馳走様でした。」 私が頭を下げると。 ウンウンと笑った。 カランカランと。 また夜のネオンが目に飛び込む。 ナツさんは外に出た後に。 ブランカの外観を。 ジッと見つめてた。
見上げる顔が。 彫りの深い横顔が…。 何て言うのかな。 “思わず抱き締めたくなる” 顔。 図々しいかなぁ。 だって…。 切ない顔なんだもん。 「閉店なんだ。」 え? 「…………。」 「今日で店じまい。」 ナツさんは。 フッと消えた電飾を。 長い指でそっと撫でた。 「そうなんですか…。」 確かに、 おばぁちゃん…。 待ってたみたいだった。 「………。」 「食べれて良かったです。」 とってもとっても。 美味しいハンバーグ。 「行こうか。」 「…はい。」 ビルの谷間を。 また二人で歩く。 長いコンパス。 すぐに差がつく。 あ…。 ナツさんの背中の、人魚。 泣いてるみたいに、 見えたのは。 眩しすぎる街の、 せいだったのかな。 帰りの車中─ 今までのドキドキは。 ちょっと変化していた。 私を包むのは。 心から一緒にいたいと。 思える人が。 側にいる、安心感。 暖かい何かが。 産まれてて。 隣のナツさんは。 何も言わずに。 タバコをくわえて。 ほんの少し開いた窓から入る、風に前髪が揺れていた。 「カズ。それ。」 ナツさんは後部座席を。 親指で差した。 「はい?」 取ってって事かな。 振り返って。 CDがたくさん入った、ケースを取った。 「好きなのかけて。」 「はい。」 ペラペラと捲ると。 ボサノバ、 レゲエ、 ラテン…。 「ダイアナロス、ない?」 「え。」 「違った?」 いつもかけるから、と。 ナツさん。 うん。 好き。 ……すごく。 私。 「……好きです。」 「…………。」 「すごく。」 手を止めて。 ナツさんを見た。 ナツさんは変わらずに。 左手でタバコを持ったまま。 前を見ていた。 ナツさん。 「…一番後ろ。」 「え?」 「ダイアナロス。」 「……あ。はい。」 ペラペラとめくると。 手書きのCDR。 ダイアナロス、と。 筆記体の綺麗な文字。 オーディオにセットすると。 切ないダイアナの声が。 聞こえて来た。
帰って来た頃には。 もう日付を回っていて。 「すみません。」 「ん?」 遠いのに…。 「送って貰っちゃって。」 「大丈夫。」 アパートの前に。 車は停まった。 サイドブレーキを引いた瞬間。 「泊まるから。」 珍しく。 少し大きな声。 え? 何、今なん…、 「泊めて。」 こちらを見て。 ナツさんは真っ直ぐに。 私を見た。 「……………。」 見つめる、目。 おばぁちゃんを見てた時と。 ちょっと違う。 なんだろう。 艶が、ある。みたいな。 「…え、……あ。」 そんな目で。 見ないでナツさん。 見れない。 「駄目?」 甘い声に。 顔を上げると。 微笑むナツさんがいた。 「…………。」 プルプルと。 頭を左右に。 私は振った。 「どうぞ。」 「ん。」 部屋に入ると。 ドキドキ復活。 でも不思議。 “一日一緒” にいると。 親近感? ちょっと違うかな。 “一体感”みたいな…。 錯覚しちゃう。 あ。 でも一つ。 問題発見。 テレビの前のクッションに、ナツさんはちょこんと座った。 「あの……ですね。」 「ん?」 何?とナツさんは見上げた。 「あの、えっと…。」 小さい頭を。 ナツさんは傾げた。 「来客用の…お布団、ない、んですよね…。」 うちにはシングルベッドのみ。 するとナツさんは。 いつもの如く。 クックッと笑った。 「いえ!あの!床で私、寝ます!はい。」 「一緒じゃ駄目なの。」 ここで、と。 ナツさんはベッドを見た。 「いえっ、駄目、ダメじゃ、ないです、けど…。」 「じゃ、そうしよう。」 ナツさんは立ち上がると。 シルバーのチェーンのベルトと。フランクミューラーを外して。 テーブルの上に置いた。 その足で、 ベッドにドサ、と。 寝転んでしまった。 一連の動作…。 私はただ。 見てるだけ(涙) 「シャワー…は。」 「さっき浴びたからいい。」 クア、と一つ。 ナツさんは欠伸。 「で、すよね…。歯、磨いてきます…。」 トボトボと。 バスルームへ。 この展開…。 急展開!?
電気を消して。 ベッドに入ると。 さすがはシングル。 ナツさんと私。 超近い(赤面) 恥ずかしくて。 背中を向けていた。 ナツさんの寝息は。 聞こえない位、静かで…。 「カズ。」 起きてた。 …びっくりした。 「…はい。」 体に力が入る。 「何でもない。」 「………。」 寝返りを打つような。 気配を感じた。 「な、なんですか。」 思わず私も。 体を反転させた。 あ。 タトゥー。 背中を向けていたナツさんの。 人魚が目に入って。 見とれた。 綺麗。 マジマジと。 見るのは初めてで。 「今日はありがとう。」 え。 あ……。 ナツさん…。 優しい声。 「……いいえ。」 思わず私の。 顔が緩んだ。 それから直ぐに。 静かな寝息が聞こえて。 ナツさんは眠った。 ナツさん…。 知らなかった面。 一杯見せてくれた。 ありがとう。 凄く嬉しいです。 ……でもね? っていうかね。 私眠れないし! 眠れる訳ないじゃん! んも〜。 そりゃ、ね。 期待してなかったって言ったら、嘘になるよ? だってナツさん。 100人斬り?200人斬り? わかんないけど…。 手出して来ないって事は。 やっぱダメって事? は〜。 そういう対象じゃないのかな…。 あ、だったら何で。 キスしたの!? っていうか。 この前のデザイナーさんは? あ〜もうわかんない。 多分この夜は。 ずーっとこんな感じで。 羊なんて数える暇さえなかった。 頑張れ私……(涙)
翌朝─ 眩し…。 今日は、学校。 起きなきゃ…。 「いて。」 え!? パッと目を開けると。 ナツさん。 の顔の上に。 私の右手。 わわわわ! 「す、すみません!」 慌てて手を引っ込めた。 そうだナツさん。 泊まったんじゃん! 「おはよ。」 フッと口の端を持ち上げて。 て、照れる。 「おはよう、ござい、ます。」 「ん。」 スルッとナツさんは。 ベッドから抜けて。 んーっと一つ。 私の前に立って伸びをした。 「カズ、学校?」 「あ、はい。二限からですけど…。」 時計を見た。 まだ六時を過ぎた頃で。 「そう。まだ寝てたら。」 布団から出ない私の。 ベッドの端にナツさんは座った。 「いえ、起き、ます…。」 ナツさんすぐに帰ってしまいそうだし。 「ん。タオル借りるよ。」 ナツさんはまた立ち上がると。バスルームへ向かった。 仕事、だよね。 そりゃそうだ。 シャワーを浴びて。 再びナツさん。 その間に私は。 アイスコーヒーを入れた。 (インスタントだけど。) 「どうぞ。」 「ん、サンキュ。」 見るとナツさんは。 昨日の昼間の格好に。 戻ってた。 白いノースリーブに。 全く変幻自在…。 「あ、と。灰皿、が確か。」 ゴソゴソと。 竹で出来た物入れを探る。 「煙草、どうぞ。」 ナツさんの前にある、 テーブルに。 小さな灰皿を置いた。 「さすがホール。気が効く。」 ナツさんは満足したように、煙草を一本取り出した。 「あ、いえ…。」 朝から褒められちゃった♪ 私もアイスコーヒーに。 口を付けた。 ナツさんの朝の一服時間。 凄くゆったりしてて。 何だか幸せ♪ 一本吸い終わって。 「行くよ。ありがとう。」 長い足を伸ばして。 ナツさんは立ち上がった。 「いえ…。」 玄関に向かうナツさんの背中を追って。 「じゃ。」 サンダルを履いたナツさん。 「はい。気を付けて。」 寂しい気持ちは。 とりあえず我慢…。 「忘れてた。」 パチンと指を鳴らせて。 ナツさんはまたこちらを見た。 「え。」 「久しぶりだから。」 はい?
忘れてた? 久しぶり? 何が? すると─ 私の右手を取って。 いつかみたいに。 スッと胸の中に。 収まった。 訂正。 抱き寄せられた。 わわわわわ。 と思ったら。 頬に手を沿えられて。 ナツさんの顔が超近い…。 訂正。 キス、 「目、いつも開けてるの。」 じゃなかった。 寸止めで言われた。 「だって…突然、なんだもん。」 ひゃ〜。 顔が熱い(涙) 「……ふっ。」 口角が上がるのが。 いつもより近くで見えて。 目を閉じた。 と同時に。 ちゃんと唇が合わさった。 今回は、 目を瞑るだけの間が。 私には与えられたから。 「…………。」 私からも。 ぎこちないけど。 唇を動かして。 ゆっくり。 ナツさんを求めた。 うちのシャンプーの匂いと。 ナツさんの服に付いた。 香水の残り香。 あいまって。 ナツさんは私の唇の動きに合わせてくれてるみたい。 上唇から。 下唇。 の間から、 感じる舌。 「………ふ。」 膝が…。 震えちゃうよ。 知ってか知らずか。 ナツさんは。 私の背中に手を回して。 しっかり支えてくれた。 胸から下が。 熱いものに覆われるような。 感覚。 先に唇を離したのは。 ナツさんで。 「じゃ。」 それだけ言うと。 ナツさんはとびっきり。 優しい顔で微笑んでくれた。 「あ、は、はい…。」 アッと言う間に現実。 同時に来る恥じらい。 慌ててナツさんの体から離れた。 でも。 今日は。 「ナツさん…。」 ナツさんの背中に。 “私の事…どう思ってるんですか?” 「私の…事。」 言おう。 「どう……。」 「カズ。」 え。 顔を上げた。 振り返っていた、 ナツさんは。 まだ優しい目を。 してくれていた。 「私も好きだよ。」 ……え。 あ。 今、なん、て 「ダイアナロス。」 もう一度私の頬に触れて。 チュッと軽く。 私の頬にキスをした後。 「じゃ。土曜に。」 ナツさんはパタンと。 ドアを閉めて。 帰って行った。 へなへな、ペタン。 擬音語です。 玄関に一人。 呆然。
水曜日─ 暑かった月曜日から一転。 梅雨に逆戻り…。 学校から帰り、ポツポツと小降りになった雨を見て。 梅雨明けはまだ先かなぁと、一つ溜め息を着いた。 時間はまだ18時前なのに。 外はすっかり暗くて。 部屋の中に干していた洗濯物をたたんで、クローゼットにしまった。 あれからナツさんとは、特に連絡を取っていない。 朝の電車。 学校での実習中。 帰りの電車。 夜のテレビ。 思い出してはニヤニヤと。 …ちょっと気持ち悪いかな。 恋をすると不思議な物で。 例えば電車から眺める、 広い車道に。 赤いアルファロメオが視界に入ると、ナツさんが乗っているんじゃないかと。 目で追ってしまったり。 目の前にどんなに綺麗な人が座っても。 ナツさんの方が綺麗だな、と。比べてしまったり。 テレビでラーメン特集が流れた時は。 ネギミソチャーシューの味を思い出したりして。 多分私の五感の持つ全てが、ナツさんに関連づけようとしてる。 思い出さない時はない。 改めて私は。 人を好きになったと実感出来る。 「……さて、と。」 夕飯、の前に。 今日は行きたい所があった。 外を見ると。 雨は止んでいて。 束の間かもしれないから、 「今がチャンスかなぁ。」 自転車の鍵を取り。 アパートを出た。 私の住む鎌倉は。 歴史と文化は深い土地である事はもちろんの事。 割とお金を持っている都会人が移り住む、ちょっとした別荘地としても、人気のある場所で。 良く考えたら凄い場所で、一人暮らしさせてもらってる。 自転車を飛ばして、 海沿いを走った。 雨上がりの生温さと、潮風が混じって。 湿気の高さを感じる。 由比ヶ浜から、稲村ヶ崎。 七里ヶ浜から、腰越へ。 自転車でおよそ。 15分もかからない位。 江ノ島が大きくなった頃。 私はそのお店の前で止めた。 「こんにちは〜。」 客は見当たらない。雨上がりを狙って良かった。 混んでたら迷惑だしね。 ウォン!と。 奥から慣れた声。 「やっほージュニア。」 ラブラドールのジュニアの頭を撫でると。 ふんふんと私のTシャツのお腹の辺りの匂いをかいだ。 「あ、いらっしゃい。」 トン、と奥から。 店長さんが出てきてくれた。
私の趣味は。とは言っても結構忙しいから…。 あまり行けないんだけど。 「ジュニアにおみやげ。」 はい、と。“籠せい”のちくわを渡すと。 「ふがふがふが。」 夢中で食べてる。 ふふっ。 「ありがとう。今日は学校は?」 もう終わり? と店長は小さく幾重にも三編みにされた長い髪に手を触れた。 「やっと試験が終わったんで〜。真っ先に来ました。」 「そっかそっか〜。板の具合いはどう?」 「いいです♪今日はそのお礼で。」 鳩サブレを店長さんに渡すと。 「わお♪大好きこれ。」 嬉しい〜と。 真っ黒に焼けた顔から、 白い歯が見えた。 サーフィンを始めたのは。 実はヤスさんの影響で。 ヤスさんと店長さんは、かなり前からの波乗り仲間だったらしい。 去年、オープンした際に。ヤスさんはお店の売り上げに貢献する意味もあって。 私に板を買ってくれた。 『お前は現金ボーナスないからな!これはその代わり!ウハハハ!!』 と問答無用だったんだけど。 後から値段を聞いて、本当にびっくりしちゃった。 どうやら私の板は。 ちゃんと私の身長や体重に合わせてカスタムメイドしてくれたロングボードだったらしく。 それ以来、ヤスさんの休みと、私の休みが重なる時は。 海に行く事が多い。 「ヤスさんこの前来たよ?」 パリパリと店長さんは鳩サブレに口を付ける。 「うるさくなかったですか?」 「ふふ。ジュニアは拉致されちゃったんだよね。」 ね?とジュニアを見ると。 ジュニアはまだもの足りないのか。 私の顔をジッと見た。 「可哀想にジュニア…。」 またウハハハ!とか言って連れ回したんだろうなぁ。 「今日はケイさんは…いないんですか?」 このお店には。 実は二人店長がいて。 その人は、ジュニアの御主人様。足が不自由なんだけど…、 「ケイ?んーまたどっか行っちゃったんだよね…。」 どこ行ったのやら。と。 ケイさんはフットワークが軽い。 ケイさんとこの店長さん…。冴子さんって言うんだけど。 この二人は凄く仲が良くて。 彼女達の経営するこのサーフショップは。 すごく雰囲気がいい。 ジュニアの効果もあるんだけど。 女の子一人でも入れちゃう。 すごくいいお店だと思う。
「そうそう。花火大会の日さー。和美ちゃんのとこ、まだ予約取れる?」 ジュニアを囲んで。 しばしの団らん。 花火大会…。 「まだ取れると思いますよ?」 「本当!?良かった〜!じゃお願いします。」 うちのお店は。 花火大会の日だけは、 完全予約制になる。 目の前の海で、 花火が上がるので。 毎年ベスポジで見たい人達で満席になる。 「じゃ、予約入れますね♪」 「うん。三人ね!」 「あれ?冴子さんとケイさんと…。あと一人は…。」 「この子♪」 ジュニアを見下ろした。 あ、そうか。 「ふふ、ですよね。」 うちはテラス席だから。 ペットもオッケー。 「それより和美ちゃんさ。」 「はい?」 「髪切ったよね?」 最初誰かわからなかった、と。冴子さんは目を細めて。 「ふふ、そうなんです。」 「何か大人っぽくなった〜。」 「本当ですか!?」 う、嬉しい…。 「うんうん。すごく似合うよ。」 「良かった〜。」 「失恋、とかじゃないよね…。そうだったら悪いなと思って。」 言えなかったんだけど、 と冴子さん。 「違いますって。ふふ。」 「だよね。何そのふふって。」 「いえ…ふふ。」 「ふふっ何?何?」 「なんでもないですー。」 顔が緩むのがわかる。 「教えて教えて〜。」 ジュニアが交互に。 私と冴子さんの顔を見て。 頭を傾げていたのは。 私は気付かなかったんだけど。 ちょっと話すのはもったいないというか。 とても恥ずかしかったので。 笑ってごまかしちゃった(笑) 帰り際─ 「じゃあ予約入れときますね。」 「うん。お願い。」 ありがとう、と。冴子さんは鳩サブレの箱を持ち上げた。 一回頭を下げて。 「じゃね、ジュニア。」 バイバイと手を振ると。 ジュニアは太いシッポを、パタパタと左右に振った。 外に出て、 海風を一回大きく吸って。 また私は自転車をこいで。 帰路に着いた。
─木曜日 23時。お店にはもうお客さんがいなかったのを狙って。 シャカ、シャカ。 シャカ、シャカ。 「おーカズ。大分慣れたな。」 カウンターにもたれる、 ポパイの腕。 ファイアーパターンの、 タトゥー。 「ええ。ちょっとだけ。」 シェイカーのキャップを取って。カクテルグラスに注ぐ。 「どれどれ。」 ヤスさんはグラスに口を付けると、一口で。 「どうですか?」 うまく出来たかな〜。 ヤスさんは口の中で転がした後。ゴクンと飲み干した。 「ん〜。バカラ?」 「そうです。」 「ホワイトキュラソー。もうちょい。」 「はーい。」 カクテルは。 ナツさんに教わったあの夜から。少しずつ勉強して。 今は、チャイナブルー、シーサイド、ブルーハワイ、ブルーダイキリと…、 「なんだよ、ブルーばっかだな。」 カクテルグラスに注がれた、いくつもの青い液体。 「ふふ。」 「ブルー系が好きなのか。」 ふうんとヤスさんは。 髭を撫でる。 「だって綺麗なんですもん。」 ブルーのボトルを持って。 照明に透かして見る。 青。 空みたいな、海みたいな。 カクテルならではの。 「作ってやろう。」 ヤスさんはカウンターの内側に入ると。 手早くいくつかのボトルを片手で持って。冷蔵庫から勢いよく。 レモンジュースを出した。 「やれ〜ばでき〜るよ〜♪♪」 クレイジーケンバンドを。 エコーを聞かせて歌いながら。 シャカシャカシャカシャカ。 さすがプロ。 あっという間に。 トポトポトポ。 マラスキーノチェリーを添えて。 「出来上がり!」 御賞味あれ、と。 私にグラスを。 少しだけブルー。 口を付けると。 ジンの香りと…。 グリーンペパーミント? 「おいし。何てカクテルですか?」 「カンガルージャンプ!」 手を胸の辺りに当てて。ヤスさんは大きな体に似合わない位、 可愛くピョンと。 ジャンプして見せた。 「カンガルー♪」 「おうよ。カズはカンガルーみたいだもんな。」 「え?」 「ポッケに入ってる小さいやつ。」 「ひどい…。」 ワハハハと。ヤスさんの笑い声。 カンガルージャンプ。 あの人にも。 飲んでもらおっと。
─土曜日。 ナツさんの来る日。 予定通り…。 ドキドキ。 でもこういう日に限って…。 混む(涙) ホールを汗だくになりながら、右へ左へ…。 「お待たせしました。」 大皿に盛られた料理を運ぶ。 ふう…。 今何時だろ。 時計を見ると、22時。 クェッと店内のオウムが、 一回鳴いた。 ナツさん…。来ないな。 どうしたんだろう…。 事故、とかじゃないよね。 縁起でもない…。 プルプルと頭を振る。 「カズ!持ってって!」 「あ、はい!」 ヤスさんの声に。 またフロアを駆けた。 日付が変わる間近に。 ナツさんのアルファロメオ。 到着。 きたぁ〜♪ ドキドキする胸。 私の頭には。 月曜日のキスがよぎって。 体が熱くなった。 好きな人が。 現れる瞬間。 高揚感。 トントントン…。 テラスを上がる、 ナツ、さ、 え。 「………。」 思わず、目を凝らした。 ブラックのスーツ。 手にはアタッシュケース。 それはいつも通り。 でも。 違った。 目の下に、クマ。 ツヤのあるブラウンの髪も、水分を失っていて。 しっかり歩いてるのにも関わらず、私には。 今にも倒れそうに見えた。 ナツさん…。 「お疲れ様です。」 すれ違い様。 「ん。」 間近で見ると。 リアルに分かる。 疲れた、顔。 フッと一瞬見えた。 こめかみの辺りに、 白髪…。 「どうし…、」 たんですか? と言い切る前に。 ナツさんは店内に入って行った。 ふと視線の先に。 ヤスさん。 目が合った。 ヤスさんもナツさんを。 目で追った後。 私に顔を向けて、 “来い来い”と。 手招き。 急いでバーカウンターに向かうと。 ヤスさんは手を動かしていた。 「これ、オーナーに。」 トン、と白色の液体。 「あ、はい。」 「あんまーいチャイだ。」 持ってけ、とヤスさん。 うん。 やっぱりヤスさんも、 ちゃんと気付いてた。 「わかりました。」 バンブートレイに乗せて、 オーナー室へ向かった。 何があったんだろう。 ナツさん。
「失礼しま、す…。」 オーナールーム。 チャイを乗せたバンブートレイを片手に、恐る恐るドアを開いた。 あ。 あららら。 また寝てる…。 今日はフォーマルなスーツだけど、同じ体勢で。 ナツさんは眠っていた。 ソロソロと入り、 テーブルにトレイを置いて。 以前のように、 ナツさんの側に座る。 ナツさんの。 疲労を抱えた顔。 包みたいとか、 触れたいとか、 聞きたいとか。 様々な動詞が頭に浮かんだけれど…。 右手を伸ばして、 ナツさんの柔らかい髪に。 そっと触れてみた。 以前のようにナツさんが、 起きる事もなくて。 “泥のように眠る” そんな感じ。 「………。」 こめかみの辺りに、 触れてみる。 やっぱりあった。 何本かの白髪。 元々色素の薄い人だけど…。 マスカラはおよそ必要ないと思われる長い睫毛。 どれくらい。 大変なんですか。 ナツさん。 私は。 私は知ることは、 出来ないですか。 「ん……。」 あ。 起きちゃったかな。 眉間に皺を寄せて。 イヤイヤをする子どもみたいに。頭を左右に揺らせた。 「……風邪ひきますよ。」 顔を寄せて、 ナツさんの耳元で囁いた。 ………! これ。 ……やだ。 目を反らした。 ナツさんの首筋に、 三つ四つの。 紫の花びらみたいな。 ………ハァ。 思わず溜め息を着いた。 そりゃ、ね。 そういう人なのは、 知ってるけど、さ。 スパンコールがあしらわれた、カットソーでは。 キスマークは隠せてない。 私の家に、 ナツさんが泊まったのは。 月曜日。 今日は土曜日。 火・水・木・金…。 四日間。 誰と。 何処で。 何人。 …抱いたんだろ。 穏やかに眠るナツさんとは、裏腹に。 私の心には。 言いようのない、 花を握り潰したような。 水分の無い気持ちが。 産まれてた。 がっかり? 違う。 認識したから。 この人は、 「大人」 ただそれだけの事。 薄いブランケットを、 ナツさんにかけて。 私はオーナールームを出た。
「どうだ?」 オーナールームから。 出たらすぐに。 太い腕を組んだ、 ヤスさんがいた。 「…眠ってます。」 なんとなく。 ヤスさんの顔は見れなくて。 「そうか。」 ヤスさんが溜め息を着く、気配だけが感じ取れた。 「疲れてる…みたいです。」 見た目にもわかる位。 「中目黒の店が…ヤバイみたいなんだよな。」 中目黒。 「ヤバイ?」 顔を上げてヤスさんを見た。 「うん。元々競争が激しい土地だけど…。」 「売り上げが厳しいって事ですか?」 そんな感じはしなかったけど…。 「いや、大手のカフェが狙ってたみたいなんだよな、店の土地。」 「………。」 そうなんだ。 「オーナー的には、プラマイ、いや逆にプラスになる話だろうけどな。店で働く従業員には…。」 「クビになっちゃうんですか?」 「リストラせざるを得ないだろうなぁ。続けても…潰されちまうよ。」 うーんとヤスさんは、 髭を撫でた。 「何か…大変なんですね。」 土地とかお金とか。 全然分かんない。 「ゲームになりきれないんだろう。」 ヤスさんはニッと笑うと。 頬に深い皺が出来た。 「オープンさせる時よりも、引き際が肝心なんだよ。経営ってのは。」 「ふーん。」 …………あ。 一つの関連性に。 気付いた。 おばぁちゃん。 ブランカの閉店日。 ナツさんが。 行った理由。 あの時のナツさんは。 もしかしたらすでに。 自分のお店をたたむ事。 決めてたのかもしれない。 「…………。」 ナツさん。 「カズ?」 「あ…すみません。」 もしかしたら。 ナツさんは私が思う以上に。 「とりあえずクローズの準備するか。」 ヤスさんは、 静かにホールへ入って行った。 「はい。」 一回オーナールームを見て。 それからホールに入った。 私が思う以上に。 本当は…。 大人で。 ううんそれはわかってる。 一県に一人。 そうかもしれない。 お金儲けとか、事業とか、そこに絡む裏切りとか。 全然わかんないけど。 でも。 本当は。 「…………。」 思い浮かばなかった。 それだけナツさんの、 首元のキスマークは。 威力がありすぎた。
それから二週間。 ナツさんはお店には現れなかった。 ヤスさんの話では。 中目黒のお店に勤める社員さんの、再就職先を探す為に。 毎日走り回っていたらしく。 閉店させるまでにはかなり揉めたらしい。 土曜日─ 暑い暑い熱帯夜。 お客さんの入りはそこまで多くなかった。 ヤスさんから中目黒の話を聞いていた時。 「きついよなぁ。でもさすがだよ。」 ヤスさんは。 ナツさんを。 オーナーとして凄く凄く認めてる。 ヤスさんは見た目、 ちょっと(かなり)怖い感じの人なんだけど。 金髪だし。 モヒカンだし。 背中から腕まで、タトゥーだし。乗ってる車は、 インパラだし。 あ、そうだ。 「そういえばヤスさんって何歳なんですか?」 空いている店内を見渡しながら。聞いてみた。 「俺?よんじゅーご。」 45!? 気持ちは20歳だけどな、と。 ワッハッハと笑った。 み、見えない…。 「そうだヤスさん。」 「なんだ和美。」 私は。 ある事を考えていて。 でもヤスさんの協力が、 ちょっと必要。 だから思い切って、 「ナツさんちって何処ですか?」 見上げながら聞いた。 「…………。」 鼻の下を伸ばした後。 ヤスさんはニッと。 笑った。 「な、なんですか。」 「いやいや。」 オーナーは、確か…、と。 言いながら。 ヤスさんはホールから、一旦消えて行った。 やっぱり。 笑われた(赤面) わかってたけどさ、 でも…。 心配なんだもん。 ちっともバイト、 集中出来ないし。 「あったあった。」 メモ用紙を片手に。 ヤスさんがまた現れた。 「港区…、六本木、ったく金持ってるよなー。」 ほら、と。 その紙を渡された。 六本木…。 まさかヒルズ族? んなわけないか。 紙に書かれた住所を見つめた。 ナツさん。 行っちゃうからね。 「ミソギが…効くかな…。」 「え?」 ヤスさんはふんふんふーんと。鼻唄を歌いながら去って行った。 そのメロディは。 やっぱり、 ヤスさんの好きな。 クレイジーケンバンドだった。
夜の六本木─ ここ…かなぁ。 うわっ! た、たかい(汗) てっぺんが見えない、 そのマンションを見上げた。 すぐ近くに、 六本木ヒルズ。 ヒルズ族じゃないのは、 安心したけど…。 でもこれ、ちょっと。 入りにくいよ〜(涙) 鎌倉とは違って。 周りを見渡すと。 たくさんの人、車。 浦島太郎気分で。 恐る恐る、 タワーマンションに入った。 ピンポン、は…。 あれかな。 壁に埋め込まれた、 四角いそれに。 近付いて。 「2207」と、ゆっくり押して、呼び出しのボタンを押した。 ピーンポーン うちのチャイムとは違う、 上品な音。 …………。 いない、かな。 時計を見た。 20時…。 まだ外かな。 もう一度。 ピーンポーン ………。 うーん(涙) いないかぁ。 残念。 背後にブーンと。 自動ドアが開いた気配。 慌ててその場を、 離れようとして。 「あ、すみません。」 入って来る人の、 行く手を阻んでしまった。 右にずれると。 その人も右にずれたので。 と思ったら。 左にずれると、 何故かその人も左。 あらら。 顔を上げると。 彫りの深い顔。 「…………あ。」 「ん。」 ナツ、さん。 ひぇ〜!! 見るとナツさんは。 やつれた顔は。 少し良くなっていて。 それでもやっぱり。 こめかみの白髪が見えた。 「こん、ばんわ…。」 恥ずかしすぎて。 顔が見れない。 「学校帰り?」 見上げるとナツさんは。 私の胸に抱えていた、 クリアケースを見つめた。 「あ、はい。」 「そう。おいで。」 え。 ナツさんは持っていた、ヴィトンのキャンパス地のバッグから。 キーケースを取り出して、 正面ドアの鍵穴に差し込んだ。 わわわわ。 スタスタと、 歩いて行ってしまうナツさん。 慌てて追い掛ける。 エレベーターのボタンを、 ポンと押すと、 すぐに扉が開いた。 二人で乗り込む。 「………。」 「………。」 う、 うわわわ。 うつ向くだけの、私。 何せ会うのは、 二週間と、三日ぶり…。 ドキドキする。 心拍数と共に。 エレベーターも上昇。
2207、の意味が。 わかりました。 22階って事ですね(汗) 「上がって。」 静かなフロアの中で、 上等そうなドアを。 ナツさんは開けた。 「お、じゃまします…。」 一万円弱の、 私のミュールが。 全然似合わない玄関で。 ナツさんは電気を付けながら、中へと入って行った。 私もゆっくり、 中へと入る。 う、わ。 「……………。」 マンションって。 違うよ…。 ここはマンションじゃなくて。 展望台。 壁1面に大きな窓。 パノラマの夜景が見えた。 「かけて。」 ナツさんはいつの間にか、 荷物をリビングに置いて。 キッチンへと向かっていた。 すご…い。 こんな所に、一人で? 広すぎるリビング。 もちろん家具の一つ一つが。 モダンで。 シャープで。 大きな液晶のテレビ。 計算された配置。 絶対フカフカだろうなと、 想像出来るソファに。 キョロキョロしながら座った。 夜景がきれい…。 目の前に、 六本木ヒルズ。 ちょっと先に。 恵比寿? ガーデンプレイスかな? って事はこっちが渋谷で、 あ、東京タワー? 夢中になって。 見ていると。 「はい。」 「あ、すみません…。」 冷えたタンブラー。 アイスティーを持って、 ナツさんは隣に座った。 「ふー。」 背もたれに深く腰かけて。 頭をだらんと。 ナツさんは上を見た。 「だ、大丈夫、ですか。」 うまく言えない(涙) ん、とナツさんは。 頭を起こして。 「疲れた。」 固い顔で言った後に。 すぐに口の端を持ち上げた。 今日のナツさんは。 ストライプのパンツに、 シャツをインしたスタイル。 素敵だけど、 首筋は、見えない。 見たくない。 目を反らした。 だってもし見えたら。 私は多分。 多分……。 今更だけど。 ここに来てしまった事が、すごく意味のない事に思えて。 ヤスさんにクレイジーケンバンド、歌ってもらいたかった。 やればできる。 出来るよやればって。 「変な顔。」 「え?」 我に返って隣を見ると。 深く腰掛けたナツさんが、 こちらを見て、クックッと。またいつもの笑い方。 でもちょっと。 寂しい笑い方に見えた。
「無理、しないでください。」 タンブラーを見ながら、私が言うと。 「ん。」 ナツさんはそれだけ。 「…………。」 それ以上は言えない。 何て言っていいのか、 わかんない。 ナツさんは無口だから。 絶対に、 “なんで来たの?” とは、言わない。 「ここから見ると…。」 「…え?」 隣を見た。 ナツさんは目を細めて。 でも口は笑ってなくて。 「人は見えないね。小さすぎて。」 ふう、と一つ。 息が漏れたような。 「そう、ですね…。」 どんな意味なんだろう。 大した意味は、 含まれてないのかな。 「多すぎる、人が。」 フン、と。 鼻で笑うような。 「鎌倉とは…。」 ん?とナツさんが。 私の方を見たので。 「あ、鎌倉とは…違うなって。ここまで来るのに、本当迷いました。日比谷線と大江戸線、どっち乗ればいいか分からなくて。」 「………ふ。」 何言ってんだろ。 んも〜(涙) 田舎っぷりアピールして、 どうすんの…。 「あ、でも私。あそこ、行った事あります。」 窓の向こうを。 指差すと。 「ん?」 「恵比寿の。ガーンプレイス。クリスマス…だったかな。」 「そう…誰と?」 「その時は…彼、…。」 彼氏とだったっけ(汗) わわわわ。 過去自慢してどーすんの〜。 「彼氏と行ったの。」 「あ…はい。今は何をしてるか、全く知らない、ですけど。」 本当に知らない。 「そう…。あそこで、いい事してるかもよ?」 ナツさんは遠くに見える、高いタワーを指差した。 「え?なんですか?」 「新しく出来たホテル。」 「…………。」 「ふっ。」 ナツさんを見た。 何と無く。 わかったのは。 “投遣り”な。 感じがして。 すごく寂しくなった。 今のナツさんは。 私が知ってるナツさんとは。ちょっと違う気がする。 目の前に見える、 東京の景色のせいなのか。 私にはわからなかった。 「カズ。」 「は、はい。」 びっくりした。 ナツさんは私に、 体を向きなおすと。 手に持っていたタンブラーを抜いて、 テーブルにトン、と置いた。 ゆっくりした動作はそこまでで。 突然ナツさんは強引に。 私を抱き寄せた。
あ……。 抱き寄せられて。 ナツさんの胸。 背中に回された、手。 撫でられるように。 確かめるように。 首筋に、 ナツさんの息。 チュ、チュッと。 唇を当てられる、音。 う、わ。 あ………。 ナツさんの髪が。 私の鼻をくすぐる。 ゆっくりソファに。 押し倒された。 また首筋から、鎖骨にかけて。 また音を立てて。 ナツさんの唇が弾む。 埋められる、小さな頭。 「んっ。」 刺激。 ナツさんの唇。 音がしなくなったら。 今度は。 暖かい感触。 舌、が。 這う。 ああ。 「ん、ん……。」 目を瞑って。 身を任せていると、 ナツさんの唇が。 今度は私の唇に。 「ん、……っ、……。」 絡む舌。 ん…。 唇が離れる。 私のノースリーブのシャツのボタンが、外れる感覚。 一つ、 一つ…。 目を開けた。 ナツさんは。 怖い位。 真剣な目。 何かにとりつかれてるみたい。 ボタンに手をかけて。 かけて……。 角度がよく、なかった。 ナツさんの首筋。 見える。 この前と同じ。 同じ濃さで。 首筋に、残ってた。 日は経ってるのに、 同じ濃さ。 新しく付けられた物だと。 すぐに認識した。 …………。 左を見た。 大きなガラスに映る、 横たわった私の上に。 胸を愛撫する……。 「……っ、あっ!」 生肌に。 ナツさんの長い指。 強い刺激に。 また夢の中へと。 戻される。 せわしなく動く手。 私の荒い息。 ナツさん。 私は。 左を見た。 シャツがはだけて、 ブラが外されて、 胸を口に含む。 愛しい人。 見なくていい。 見なければ、 首筋の跡なんて。 い、や。 ダメ。 「いや………。」 ナツさん。 「いや……。」 好きなのに。 好きだから、 会いに来たのに。 「いやぁ!!」 いやだよ、ナツさん。 私は、出来ないよ。 「…………。」 顔を上げた、ナツさん。 驚いた瞳。 「………。」 「やめて……。」 私の顔には。 涙が伝ってた。
「いやです…。」 私は。 あなたが好きなの。 「…………。」 でも、 大勢の一人は…。 ダメなの。 身を任せれば、 「……ごめんなさい。」 それなりに、 満足出来る事は。 なんとなくわかる。 「抱かれに来たんじゃないの?」 …………。 そんな。 体を起こしてナツさんを見た。 ………。 見なければ、良かった。 知らない、顔だった。 人間は多分。 こういう時、 こんな顔をするんだと思う。 “つまらない” ………時。 「帰ります、ね。」 立ち上がって。 ソファの後ろに回る。 ナツさんの声は、しない。 足を止めて。 目を瞑った。 噛んだ唇のすぐ近くを、 涙が流れて。 広いリビングを、 また歩く。 玄関で─ ミュールに足をかけた時。 もう一度振り返ると。 ナツさんが。 その顔のまま。 壁にもたれて立っていた。 「………。」 何も言えない。 「手を出すつもりは、なかったんだけどね。」 見るとナツさんは。 まくったシャツの腕を、 組んでいて。 「…やめて下さい。」 そんな事、 言われたくない。 「結構可愛くなったから。」 油断した、と。 ナツさんは笑った。 「…………嘘。」 見たくなかった。 わかってたけど。 知りたくはなかった。 「でも寂しそうな顔してたから。」 ついね、と。 ………いや。 ナツさん。 嫌だよ。 ボロボロと。 涙が流れてくのが、 わかる。 「あなたじゃない…。」 何言ってんだろ、私。 「………?」 「寂しいのはあなたでしょ…?」 「………。」 「…一人じゃ乗り越えられないくせに。」 多分私は。 あまりよくない目つきで。 ナツさんを見たと思う。 「………ふ。」 クックッと。 いつものように。 ナツさんは口を押さえて、 笑った。 「何がおかしいんですか?」 全然笑う所じゃない。 「いや…大人になったな、と思って。」 ……? 「……涙も綺麗になったよ。」 もう、限界。 振り返って。 私はドアを開けて。 外に出た。 上等なドアは、あまり。 音がしなかった。
ガタン、ガタンと。 必要以上に、 揺れる電車。 飲みすぎたサラリーマン。 疲れたOLさん。 いわゆる普通の、 “世間”に生きる人達。 …馬鹿みたい。 なんにも伝えないまま。 終っちゃった。 終電間際の、 横須賀線。 窓の向こうに流れる、 ビルのない景色を。 ただ眺めてた。 “……カズ……” 反芻する、 低くて。甘い声。 思わず目を閉じる。 あのまま抱かれれば…。 頭を振る。 違う。 私が求めてたのは。 そんな事じゃないの。 ただ私は。 ナツさんが心配で…。 ううん。 違う、それも違う。 抱かれたかった。 …それは正しいよ。 けど私は。 あ。 そっか。 妙に納得出来た。 あれだ。 “独占欲” が産まれたんだ。 そっか…。 いつの間にか私。 欲張りになってたんだ。 所詮は手が届かない、 存在だと思ってた。 けれど。 『ありがとう』 少しの優しさに触れて。 『ネギミソチャーシュー…』 少しの意外な面を見て。 『いつも目、開けてるの』 気まぐれにも触れられて。 その気になって、たんだね。 はは。 そうだ…。 “〜横浜。〜横浜。” 華やかな街並み。 ネオンやビル達は。 やっぱり私には、合わない。 それと同じ。 ナツさんは。 私とは違い過ぎる。 ナツさんに何が有ったかは。私にはわからない。 “疲れちゃったんだよ。” 明らかにあの時葉山の防波堤で、見たナツさんとは違っていた。 精神的な何かに、ナツさんは追い込まれていたのかもしれない。 再び女性に、手を伸ばしたのは。何か理由があったのかもしれないけれど…。 もう、やめようかな。 結構…頑張ったし。 唇をまた、噛んだ。 気を張ってないと。 涙が溢れそうになる。 なるべく違う事を考えたくても。 うまく行かない。 こういう時長い前髪は都合がいいから。 うつ向いていよう。 流せない涙は。 鎌倉に着いたら、 思いっきり解放しよう。 泣くだけ泣いたら。 土曜日までには。 笑顔を取り戻そう。
それからは─ ナツさんと顔を合わせても。 「お疲れ様です。」 「ん。」 いわゆるオーナーと、 バイトとして。 必要最低源のコミュニケーションのみを取り、 ユニフォームもリニューアルされ、夏本番を迎えた。 夏の繁忙期には。 毎年三人ほど、 ホールはバイトを雇う。 今年も新しいメンツを迎えて、せわしなく仕事をこなした。 ナツさんもこの時期は、 土曜日だけでなく。 木曜日や日曜日にも現れる。 中目黒をクローズさせた事は、鎌倉へ足を運ぶ時間が前よりも出来たのか。 言葉を交しにくい私にしてみれば微妙だった。 それでも。 中目黒が閉店してから。 少しナツさんは変わった。 あの時見た白髪は、もう綺麗なブラウンに変わったけれど。 より一層、 はっきり言ってしまうと。 厳しい人になった。 もっと笑わなくなった。 言葉を発しなくなった。 テラスから海を眺める姿が、 多くなった。 ヤスさんが言うには。 「何だか戻っちまったな。」 らしい。 ナツさんの過去は、 想像もつかなければ、 ほとんど知らない。 けれど。 一時期ナツさんと、 近い距離にあった事。 何だか嘘みたいに見えた。 「カズちゃん、カズちゃん。」 金曜日のクローズ前。 食器を片付けていた、 私の背中に。 「ん、何?」 臨時バイトで雇われている、希ちゃんに声をかけられた。 希(ノゾミ)ちゃんは女子大生。以前から良く、うちのお店に食べに来てくれていたらしい。 長い髪と。 方エクボが特徴的。ナツさんとまでは行かなくても、背が高い。 「今日オーナーってラストまでかなぁ。」 希ちゃんは。 テラスのオウムに餌をやっている、ナツさんを見た。 「ん…どうだろうね。」 さほど気にせずに、 手を動かした。 「素敵。もー遊ばれたい!」 「………。」 頼んでみたら、と。 心に思ったけど。 口にはしなかった。 「ね、カズちゃんはオーナーと話した事、あるんだよね?」 「…少し、だけどね。」 本当に少し、なんだろうけど。 「ね、どういう人?」 ね、ね、と。 「んー。」 「ん?」 「どういう人、なんだろうね…。」 わかんないや、と。 私は苦笑いした。
希ちゃんを見ていると。 何だか少し前の、 私を見るようで。 「やめといた方がいいよ。」 と、喉元まで。 その言葉が出かけていたけれど、敢えて口にしなかった。 そんな言葉を言う資格、 私には無いと思っていたから。 でも。 ナツさんの気まぐれは、 相変わらずだなと。 ある日感じた。 それは土曜日のクローズ前。 店内には、 あと二組ほど。 ホールには私と、希ちゃんだけが残る形になり。 ナツさんは。 奥の席でノートパソコンに向かっていた。 一組が帰ったので。 食器を片付けようと、 同じサイズのお皿を。 手早く重ねていた時。 「オーナー。」 「ん?」 希ちゃんが、 ナツさんを呼ぶ声がした。 私はさほど。 気にせずに手を動かした。 「カクテル…教えて頂けませんか?」 希ちゃんの、緊張した声。 私の耳にハッキリ聞こえた。 思わず手を止める。 振り返るとナツさんは。 あの時みたいに、 チェアに深く腰掛けて、腕を組んでいた。 希ちゃん、 …多分。 チャイナブルーから。 教えて貰えるよ。 良かったね。 私はまた手を動かして。 食器をまとめた。 でも。 「ごめん。…ホールに専念して。」 ナツさんの。 低くて甘い声。 思わず手を止めて、 また振り返った。 「そうですか…。はい。」 残念そうな、 希ちゃん。 ナツさんはまたパソコンに、真剣な目を向けた。 気まぐれ、だね。 ナツさん。 相変わらず。 でも。 私は一瞬、 喜んでしまった。 だけど。 そんな気持ちは、 今の私には必要ない。 手を動かして。 また仕事に集中した。 それから二日後─ 「お疲れ様〜。」 自転車に乗る、希ちゃんに声をかけて。 店を後にしようとした時。 ファン、ファン、と。 派手なクラクション。 「カズ!乗れや!」 大きくて、 いかつい。 ヤスさんのインパラが。 私の真横に停車した。
ヤスさんのインパラの。 車中で。 「んもーヤスさんボリューム下げていいですか?」 ガンガン流れる、 ボブマーリー。 近所迷惑上等の、 大音量。 「ワハハ!うるさいか?」 スマンスマンと。 ヤスさんは音量を下げた。 “軽く飯でも食おうや” 無理矢理車に乗せられて。 ヒュー、パチパチと。 海で花火を楽しむ。 若者を横目に見ながら、 海沿いを走る。 「リプテーションソ〜ング!イエ!」 ヤスさんは夜でも…。 元気(涙) リズムに体を揺らせて。 深夜でも営業している、 デニーズに入った。 「おうおうこんな時間でも混んでるなぁ。」 ガキは早く寝ろ!と。 混んでいた駐車場を見渡して。 「私まだ22ですけど…。」 呆れた目で見つめると。 「俺もまだまだガキだ。」 ダハハ!と。 ベンチシートの肩の辺りに、 太い腕を乗せて、 急旋回でバックで駐車。 んも〜危ないなぁ(涙) ─店内に入って。 「腹減ったなぁ!」 何にしようかな、と。ヤスさんはメニューをめくる。 深夜一時なのに。 「ヒレカツ定ライス大盛り。」 私はドリンクだけを、 注文した。 「なぁカズ。」 もりもり、という擬音後が。ピッタリな食べっぷり。 「なんですか?」 レモンスカッシュのストローをくわえたままヤスさんを見る。 「オーナーとは駄目か?」 口いっぱいに。 ヤスさんはご飯を入れて。 「ど、どーいう意味ですか。」 直球の言葉に。 動揺。 「ブランカに行ったろ?」 ゴクン、と飲み込んで。 ヤスさんは。 優しい目を私に向けた。 「行きましたけど…あれ、ヤスさん知ってるの?ブランカ。」 「おう。長い付き合いだしな、オーナーは。」 またもりもりと。 ヒレカツを二口位で、 食べてしまった。 「ふーん。でも…。」 行ったけど…。 だから何かがある訳じゃ…。 「お前は特別みてーだったからよ。俺、嬉しかったんだよ。」 特別。 「え?」 そうは見えない。
「あいつはさ…。あ、オーナーな?」 「うん。」 ズズ、とヤスさんはお味噌汁をすすった。 「男前だろ?男の俺が言うのもなんだけどよ。」 「ふふ、そうですね。あ、ヤスさんお漬物下さい。」 「おう食え。…ま、昔はもっと手辺り次第だったんだよな。」 全く羨ましい、と。 ヤスさんは箸を置いた。 「まぁ…モテるのは分かりますけどね。」 「モテるどころじゃねーよ。何人店に乗り込んで来たか。」 「え。」 「そのたんびにあれだ、まーまーってな。俺が抑えてた。」 は〜。 そうなんだ。 でもま、何と無く。 納得。 「でもな、いつか聞いたんだよ。どーすりゃそんなモテるのかってな?」 ナツさんに聞いたんだ(笑) 何かヤスさん。 可愛いかも。 「そしたら?」 「それがびっくりだ。」 「え?」 「何にもしてないんですけどね、って言われちまった。」 ………。 「変わってるよなぁ。」 「ナツさんらしい…。」 何にもしなくったって。 人を惹き付ける。 それは私も、 良く良く承知。 「でもよ、カズは違ったみてーだからよ。」 「え?」 「ブランカには誘われたんだろ?」 「ええ、まぁ…。」 「多分ブランカは俺とオーナーしか知らないよ。」 珍しいよ、と。 ヤスさんは笑った。 「…………。」 やだ、な。 もう期待はしたくない。 「あいつは、基本的に人に執着しないしな。でも…。」 「え?」 「中目黒の件もあって、少しは失う辛さも認識したみたいだな。」 「失う事。」 「ああ。人も店もゲームみたいなもんだって、いつか言ってたし。」 ゲーム。 そんな感じはする。 「辛かったって事は、ゲームになりきれない心も、あるんだろ。」 ちょっとホッとするよ、と。 ヤスさんは水を飲んだ。 「ヤスさん。」 「あ?」 「私とオーナーは、違い過ぎます。」 全部。 持ってる物も。 見えない物も。 ヤスさんは、ワハハハと笑った。 「?」 「何が違うんだよ。」 「え?」 「変わらねーよ。俺から見たら。まだまだ子どもだ。」 ガハハ、と。 またヤスさんは笑った。
「そりゃヤスさんから見たら…。」 子どもかもしんないけどさ。 ふん(涙) 「いい事教えてやろう。」 ニシ、とヤスさんは笑って。 Tシャツから伸びた、タトゥーの腕を組んだ。 「なんですか?」 「来週の土曜日。オーナーの誕生日なんだよ。」 「え?そうなんですか?」 「おう。そうだ。」 そうだったんだ…。 「で?」 「で?じゃねーよ。祝うの!」 ヤスさんはポッケから。 ガラムを取り出して、 火を着けた。 「パーティーでもするんですか?」 「それはしないな。多分喜ばない。」 ですよね…。 苦手そうだし。 「カズの出番だ。」 プハーと。 ガラム特有の甘い煙。 「なななんで?」 そりゃ誕生日…。 祝ってあげたいけど、さ。 「任せろ。」 またニシシと。 ヤスさんは笑った。 「……………。」 「ミソギの力を信じろ、うまく行くから。」 ははは…。 「どうするんですか?」 「それはな…。」 ……………。 全てを聞いて。 「………やる。」 やりたい。 「だろ?そう言うと思った。」 ダハハ、と。 またヤスさんは笑った。 私の作戦。 最終章…。 ううん違う。 ここからにしよう。 もう一度、勝負に出よう。 夏はまだ。 始まったばかりだから。
翌週の土曜日までに…。 ヤスさんと連絡を取り合い、綿密に計画は進んで。 向かえたナツさんの、 28歳の誕生日。 従業員にしてみれば、 オーナーの誕生日は。 知らせていなければあまり関係ないみたいで。 いつも通りに、 お店はオープンした。 この日は混む事は予想していたのか、 ナツさんも18時過ぎに、 お店に現れて。 「おはようございます。」 「ん。」 いつも通り。 …でも今日は、 ちょっと違うんだ。 「オーナー。」 ナツさんの背中に、 声をかけた。 だってあなたの。 やっぱり好きなあなたの。 「ん?」 誕生日なんだもん。 この日のナツさんは。 夏らしいベージュのスーツ。 「今日、予定はありますか?」 ドキドキしながら。 「いや、ラストまでいるよ。」 テラスは、 夕陽が差し込んでいたから。 眩しそうな瞳で。 私を見た。 「そうですか。わかりました。」 良かった。 「どうして?」 「終わったらお時間頂けますか?」 「ん、わかった。」 すぐに振り返って、 ナツさんは店内へと。 入って行った。 ふー。 ドキドキした…。 何度もセリフを、 練習したかいがあった。 バーカウンターを見ると。 ヤスさんがニッと。 白い歯を見せた。 よし。 準備は出来てるから…。 後は仕事をこなすだけ! 15分後─ ぼちぼち混んで来た。 あ。 ……え? 店内を歩く、その人に。 びっくり。 ナツさん。 私達と同じ、 ユニフォーム。 でもオーナー特注かな。 サロンが、 私達と違う、黒。 しかもすごく…。 長い。 素敵。 「珍しいな。」 ヤスさんもびっくり。 ナツさんは、 手を挙げていたお客に。 すぐに注文を取る動作。 ナツさん、 立つんだ…。 ホールに。 珍しい…。 でも私と変わらない動作を、してるはずなのに。 「かしこまりました。」 「お待ち下さいませ。」 プロだ。やっぱり。 素敵。 「どういう心境の、変化かな。」 ヤスさんはカウンターに肘をついて、 私を見て微笑んだ。
pm.20:00─ ザワザワと。 満席状態の店内。 「カズ、三番。」 「は、はい。」 ナツさんの指示。 同じユニフォームで。 同じ仕事。 なんていうか、 こんなに嬉しい事はない。 キッチンも、バーテンも。 これにはかなり。 驚いたようで。 フル回転。 ナツさんは。 オーダーも取るし、 会計もするし、 レセプションもするし、 シェイカーも振るし、 盛り付けもしていて、 どれも完璧な仕事のこなし方に。 その日入っていたどのスタッフも。 びっくりしてた。 やっぱりこの人がオーナーなんだと、 改めて実感した。 pm23:15─ 「ありがとうございました。」 良かった…。 最後のお客さん、 今日中に帰ってくれた。 これなら間に合う。 「お疲れ様。」 ナツさんはサロンを取ると、 私の肩をポンと叩いて。 キッチンに向かい、 「お疲れ様です。」 一人一人に。 声を掛けてた。 ─全部の片付けが済んで。 「カズ。」 ナツさんの声。 オウムに餌をやっていた手を止める。 キッチンもホールも、 みんな帰ったかな。 「あ、すみません。オーナールームにいて頂けますか?」 「わかった。」 ナツさんが下がるのを確認して。 「じゃ、頑張れよ。」 テラスの下から、 ヤスさんの声。 下を覗き込むと。 ヤスさんが手を振っていた。 「ヤスさん。ありがとう。」 「礼はいらねえぜ。」 ダハハと笑って、 地下の駐車場へと。 消えて行った。 よし。 やるかな。 サロンを取りながら、 店内を抜けて、 キッチンへと入った。
好きな人の。 誕生日。 それは多分自分の誕生日より。 大切な日。 ─コンコン 「失礼します。」 ここに入るのも…。 結構久しぶり。 中に入ると、 既に着替えたナツさんは。 ソファに座って、 煙草を吸ってた。 「…………。」 ナツさんの、 驚いた顔。 やば。 すっごいドキドキして来た。 「失礼します。」 抱えていた、 二つのお皿。 静かにナツさんの前に、 並べた。 ナツさんは。 ジッとお皿を。 眺めていた。 私も隣に座り。 「お誕生日、おめでとうございます。」 小さく頭を下げると。 「よく知ってるね。」 こっちを見て、 目を細めた。 あ、 すっごい優しい、目。 ホッとした。 「ヤスさんから聞きました。」 ナツさんは。 口の端を持ち上げて。 「そうか。」 言いながら煙草を消した。 「食べて下さい。」 「ん。」 ナツさんは。 フォークとナイフを、 手に取ると。 それにナイフを入れた。 うまく…出来てるかな。 「…………。」 もぐもぐ、と。 小さく口を動かして。 「ど、どうですか?」 やっぱりダメ、かな。 ひーん(涙) 「どうやって…。」 「え。」 「どうやって作ったの?」 これ、と。 ナツさんは。 本当に驚いた顔。 「覚えてる人がいたんです。」 「…………。」 「長い付き合いなんですね、ヤスさんとは。」 “俺、ブランカで働いてたから” “あっそうなんですか!?” “おうよ。あそこのハンバーグはオーナーの好物だよ。” “そうだったんだ…” 「おばぁちゃんに直接聞いた方がベストだったんでしょうけどね。」 「…………。」 「でもヤスさんはブランカの味をちゃんと覚えてました。」 おいしいおいしい、 ハンバーグ。 デミグラスソースは、 苦労したけど。 「辛い時、よく、食べに行ってたんじゃないですか?」 だからこの前も。 「…………。」 「私もナツさんの為に、作らせてください。」 「………カズ。」 「これからは。」 凝った愛の告白かな。 でもナツさん。 私はあなたが辛い時。 こんな事しか出来ないけど。 でも私の精一杯なの。
「…………。」 ナイフとフォークを、 お皿に置いて。 ナツさんは目を伏せた。 「いえ、そんな…、た、食べて下さい。ねっ?」 こういう時位、 テンパらずにいたいけど。 できない私(涙) 「おいしい。」 ナツさんは満足したように、またハンバーグにナイフを入れた。 「良かったー。」 胸を撫で下ろした。 「カズの分は?」 ないの?とナツさん。 「いえ、実は…。」 あります。 ちゃんと(笑) 「ホールで食べようか。」 「あ、はい、」 二人同時に、 立ち上がった瞬間。 ブーブーと。 携帯のバイブが鳴る音。 ナツさんのだ。 「ちょっと待って。」 デスクの上にある、 携帯を手に取る。 私に背を向けて。 「…もしもし。」 “あ!ナツ!やっと繋がった〜!!” 相手の声は、 かなり大きいのか。 丸聞こえ(汗) 「何?」 ナツさんはあくまでも、 冷静。 “何?じゃなくて…誕生日でしょ?今から家に…” 「悪いけど。」 一つ息を吸い込むような。 そんな感じがした後、 「今日はダメ。」 “えー?何で?…” 「ん…。」 ナツさんは、 少しの間を空けた後。 また息を吸い込んで、 「…今日だけじゃない。もう会わない。」 え、 あ。あら…。 “ちょ、待って、なんで…” せっぱつまった、 声が聞こえる。 その瞬間。 ナツさんは振り返った。 「好きな子がいるから。」 “…え?” 「今わかったんだ。じゃ。」 ピッとナツさんは。 携帯を切って。 デスクに置いた。 今、わかった。 …………今。 「行こうか。」 テーブルの上にある、 ハンバーグのお皿に。 手を伸ばした瞬間。 「待ってナツさん。」 「ん。」 声が震えた。 でもその腕を、遮って。 私はナツさんの胸に、 飛込んだ。 「……ナツさん。」 「ん。」 背中に回される、手。 少し力が籠るのがわかる。 「……本当に?」 首筋には。 何も見えなかった。 「………ん。」 本当、と小さく。 聞こえた瞬間。 私の体は、 どうしようもなく震えた。
続く 面白かったらクリックしてね♪ Back PC版|携帯版