■あなたと・・・ 3 
□投稿者/ Wナイト 一般人(5回)-(2010/01/26 23:44:56) 

立ち止まることは悪いことじゃないのかもしれない。 どうしようもないとき。 距離を置くことも大切で、そうすれば自分にとっての存在が浮き彫りとなる。 模範解答なんて元々ないと、気付けたことが進歩だった。  「ハルっ!」 ドアを勢い良く開け、飛び込んできた人物が一人。 息を切らしてるのは、あたしの親友だった。 「あ、雅」 「……」 その親友はあたしを見るなり黙り込んだ。 いや、何もいえないって言うほうが正しいのかな。 雅らしかぬ表情のまま固まっている。 そこまで呆けている表情は非常にレアだ。 「雅?」 「……バイクで事故ったって聞いたんだけど」 「ああ、うん」 雨の中バイクで走って、いつの間にか泣いていたみたいで前が見えなくて遭えなく転倒。 親切な人が救急車を呼んでくれたけど、あたしは至って平気だった。 バイクは結構なダメージを受けていた見たいだけれど。 「……怪我は?」 「ん」 望むところだ、と言うように左腕を突き出した。 手首から肘に掛けて包帯でぐるぐる巻きにしてある。 「折ったの!?」 「いやー。打撲だって」 「……」 へらへらと笑うと、雅の顔はうんざりと言った表情になった。 それからゆっくりその場に座り込むと、小さな声で呟く。 「心配して損した」 不謹慎だと思っても、その一言が嬉しかった。 こうやって、急いで駆けつけてくれる人が居るんだって思うと。 「心配してくれたんだ」 「そりゃ、事故なんて聞いたら誰だって重体だと思うでしょ」 「まーね、あたしだって終わったなって思ったもん」 華麗、だったかどうかはわからないけど宙を舞った時は本当に死ぬかと思った。 体が投げ出される時もスローモーションのようで、まるで映画をみてるよう。 「それなのに、どうして打撲のひとつで済んでるわけ」 「あーそれ、褒められたんだよ。先生に」 「……はあ?」 「すっごい運動神経だねって。普通なら骨の一本や二本軽くいってたよー。だって」 それを言うと、また雅はガックリ肩を落とした。 いやいや、良かったでしょうが。 事故にあっても壊れない自分の体が誇らしいよ。咄嗟に受身を取った自分の運動神経も。 「まあ、……良かったよ、良かった」 声が段々と小さくなる。 何がどうしたのかあたしの足をバンバン叩いてきた。 今にも泣きそうに声が震えていたことには、気付かないフリをした。 帰りは駆けつけてくれた母親の車を断って、雅と歩いて帰った。 もちろん色々聞かれるだろうなぁとは思っていたが、案の定。 「で、何をそこまで考えて転倒したわけ?」 凄いな、と感嘆するしかなかった。 あれだけ雨降っていたんだから、雨の所為とは思わないんだろうか。 「……何って別に」 「海に行った帰りから、おかしいと思ってたのよ」 「…うっ」 「雪乃さんのことでしょ」 「……」 何もかもお見通しですか、そうですか。 わかってるなら聞かなきゃいいのに。もう一歩踏み込んだところは聞かないくせに。 もしあたしがもっと重体だったら、雪乃さんはお見舞いにでも来てくれたんだろうか。 そうしたらどんな顔して、どんな言葉を交わすんだろう。 あり得もしないことに想像を膨らませると、泣きたくなってきた。 今頃、あの人と一緒にいるのかな。 二人で笑ってるのかな。 「……もういいの」 「良いって何が」 「全部だよ」 どうせ、謝ったところで何も変わらないんだ。 前進も後退もしない。 だったら、もうやめてしまおう。 叶わないことを、延々と願うことなんて。 あたしの存在なんて、雪乃さんにとっては取るに足らないものなのだ。 「それでいいの?」 雅の言葉に、小さく頷いた。 「……後悔すると思うけど」 そう一言だけ、雅はあたしに意見を投げた。 それだけだ。いつも、それだけ。 最後まで言葉をくれることは少なくて、その答えは自分で考えろと。 雅はいつだってあたしの背中を押してくれた。 次の日、お店へ行くと絢さんに苦笑された。 「昨日事故遭ったんでしょ?」 「ええ、まあ」 事故と言っても大したものじゃないし、現にピンピンしている。 昨日打撲と診断された腕だって、大して痛まない。 これなら普通に仕事だって出来そうだと思って、出勤してきたのだ。 「休んだほうがいいんじゃない?」 「でも、休んだりしたら……」 「今日から新しい子入ったから、大丈夫よ」 そう言って奥を見る絢さんの視線を辿ると、確かに見慣れない人がそこにいた。 早速手際よくカップを洗ってる。 その人を見た瞬間、言いようの無い敗北感に襲われた。 あたしが居たところにその人が居て、まるでもう必要ないといわれた気分。 「ユウさんもさ、多分休むからって言ってたの」 「でも、」 「こっちは大丈夫だから、安静にしてなさい」 安静だなんて、ここまで自転車漕いできたのに今更だ。 家に帰ってもやることなんてなかった。 3年の夏休みは特別に宿題も出ていない。 だからと言って自主学習する気も起きなくて。 ごろん、とベッドに横になるけど眠れもしなかった。 一人になると、色々考えてしまう。 雪乃さんのことに、バイトの事。 あたしはもう、必要ないんだろうか。 元々夏休みの間だけだったし、新しい人が入るまでの繋ぎだったわけだしね。 そうなると、SKY LINEには行きにくくなるな。 ……いや、行かなくていいんだ。 そうすれば、もう雪乃さんに合うこともなくなる。 姿をみて苦しくなることもないんだ。綺麗さっぱり忘れるにはそれがいい。 目を瞑って必死に眠ろうとした。 眠ってしまえば全て忘れられるから。 それなのに、睡眠を妨げる携帯の着信音が部屋に響きだす。 誰かと話す気にもなれなくて、電話の着信が止まるのを待っていると。 長々と鳴り響いて、コールはやっと止まった。 だるい体を起こして、携帯に手を伸ばす。 誰か友達かと思って開いたディスプレイには不在着信は一件。 その名前に、手が震えた。 ―― 雪乃さん そう着信欄には履歴が残っていた。 どうして、そう考えたところで思い当たった。 そういえば昨日、あたしが着信を残したんだ。 きっとそれで掛け直してくれたんだろう。 きっと、それだけ、それ以外の意味なんて何も無いはずだ。 自分でそう結論付けたのに、寂しくてしょうがない。 それから数日間、何も考えなくて良いように友達と遊び回った。 誘ってくれるから断ることもせずに。 買い物したり、ご飯食べたり、カラオケ行ったり。 普通に遊んで、普通に楽しいのに。 まるでポッカリと穴が開いてしまったように、満たされない何かがあった。 いつも頭の片隅には雪乃さんがいて、何をするにも出てきてしまう。 誰と会話をするときにでも、こんな時雪乃さんだったらどう言うだろうって。 そんなことばっかり。 忘れるって、つい最近決めたばっかりなのに。 あたしの決意はそう簡単に続いてはくれないみたいだ。 「じゃーね、またメールするから」 「うん」 手を振って去っていく友達の後姿を見て、溜息を一つ吐いた。 一人でいるのは辛い。 だけど満たされない何かを抱えたまま、誰かと笑いあうのも苦痛であることには変わりなかった。 「仕事サボって遊んでるとはね」 ずっと友達の帰っていった道を見ていると、後ろから声がした。 その声はもう頭にインプットされている。 だから、振り向くことが怖かった。 その人の全て見透かされてるようなその目で見られると、あたしの中で作り上げられた決意は、簡単に打ち崩されそうだった。 それでも聞き捨てならないその科白に反論する為、意を決して振り返える。 そこにいたのは、予想通りの人だった。 「……ユウさん」 「まさか、ハルがそんなやつだったなんて」 大袈裟に肩を落とす真似をするユウさん。 どでかいサングラスに隠れたその顔の表情は読み取れなかった。 「新しい人が入ったんなら、あたしは要らないでしょ」 「それで?誰がやめていいって言った?」 「……」 そんなこと言われたら、何も言えなくなる。 絢さんに休んで言いといわれた日から、一度も店には行っていない。 だからユウさんに会うのも随分と久しぶりだった。 「説教決定。店においで」 説教だと断言してるのに、喜んで行く人なんて絶対居ない。 それに、お店には誰がいるかわからない。 もし雪乃さんが居たらと思うと、体は動かなかった。 「言っとくけど、強制だから」 にやっと笑うユウさんに、どんな言葉も通用しそうにない。 いや、しなかった。 「期限は夏休みいっぱいだったでしょ」 「……はい」 ユウさんの宣言通り、店について最初にお説教。 それも現在進行形だ。 「ま、いいわ。どうせ最近ヘマばっかりしてたらしいしね」 「……」 「そんな状態なら、居ないほうがマシだろうし」 思わぬきつい言葉に、泣きそうになった。 ダメだ、あたしは。 ほんとにダメなやつ。 自分で決めたことも貫けなくて。 任された仕事も満足にこなせない。 それでいて、勝手に逃げて。 いつも優しく話を聞いてくれたユウさんに、ここまで言わせて。 本当、なにやってるんだろ。 「でも、私はハルをかっている」 「……え?」 急にトーンのあがった声に顔を上げる。 意味がわからなくて聞き返せば、ユウさんは何食わぬ顔であたしの前にジュースを置いてくれた。 「最近の若者にしては、ハルも菜々世も出来たやつだってことよ」 ユウさんにそう言われても、自分では納得出来なかった。 勿論雅はそうだと思うけれど、あたしは駄目なところばかりだ。 「だから、雪乃と仲直りしたいんなら協力するけど?」 「ええっ!?」 ガタッと、椅子ごと反り返った。 どうしてユウさんがそんなこと。 あたしは確か雪乃さんのことは何一つ言ってないはずなのに。 「昨日雪乃ここ来たのよ」 「……」 「ハルに電話しても出ないって心配してた」 雪乃さんがあたしを心配? そんなこと……って思うのに、嬉しい気持ちは抑え込めない。 「事故に遭ったって言ったら青ざめてたけど」 そう言ってカラカラと笑うユウさん。 「あの、掠り傷程度だって言いました?」 「あ、忘れてた」 違うな、絶対わざとだよ。 この人なら遣りかねない……。 「昼も来たけどいなかったって。何かあったんでしょ」 何かあったのは事実だけど、話すのも気が引けた。 だって、悪いのは自分だから。 雪乃さんを拒絶して勝手に傷ついて。 「……もう、良いんです」 「良いって何が?雪乃のことはもう諦めるって?」 何も言わないあたしを見て、ユウさんはふっと息を吐いた。 諦めると言うのもおこがましい気もするけれど、そういうことに違いはない。 「絶対後悔するよ」 カウンターの向こうから、あたしの目を真っ直ぐ見てユウさんはそう言い切った。 揺らぎのない強い瞳に目が逸らせない。 本当にそんな気がして、顔が強張るのがわかる。 『後悔すると思う』それは雅にも言われた言葉だった。 どうしてそう言い切ることが出来るのだろう。 「……言い切っちゃうんですね」 「伊達に長く生きてるわけじゃないから」 黙るあたしに、ユウさんは顔を近づけた。 それから、 「当たって砕けろってね」 それは雅の嫌いな言葉だった。 無責任な言葉。 でもユウさんの口から発せられると、それは励ましのように聞こえて仕方ない。 「砕けちゃったら元もこもないですよ……」 「結構じゃない」 当たり前のようにユウさんはそう口にする。 どこからその自信が来るのかはわからないけど、ユウさんは自分の言葉を信じて疑わないようだった。 「元々それで終わりなんだから。砕けて何も残らない方がスッキリするわよ」 ああ、そっか。そういう考え方もあるんだ。 眼から鱗だ。そんなの考えもしなかった。 「石橋叩いて渡ったって、叩きすぎて割れれば本末転倒」 「……確かに」 「なんでもね、裏と表はあるものなの」 「……ものも言いようですね」 「そうそう」 雅の言葉は納得できた。 ユウさんの言葉には、丸め込まれている気がする。 ユウさんの言い方自体は軽いんだけど。その中に含まれてる言葉は酷く重い。 「でも、伝えろと強制はしないわ」 怪しい笑顔を浮かべたまま。 ユウさんは何でもないようにそう言った。 「そういうことはね、人から言われてやるんじゃダメなの。それじゃ言われた雪乃にだって気持ちは伝わらないわよ」 「ハルがしっかり伝えたいと思ったのなら伝えればいい。反対に伝えることもしたくないのなら、キッパリ忘れ去った方がいい」 そんなこと、どうして言うかな。 あたしの決心が揺らぐってわかってるくせに。 「迷わせることいった?」 「……それは、もう」 「良いじゃない、若いんだから幾らでも悩みなさい」 「……年寄り臭いですよ、その言い方」 灰皿に煙草を押し付けて火を消しながら、ユウさんは小さく笑った。 「大いに悩んで答えを出せばいいのよ。後から後悔したって、遅いんだから」 ユウさんは、そんな経験したことあるのかもしれない。 そう思わせるほど、ユウさんの言葉には説得力があった。 「バイトはもう辞めてもいいけど、たまには店に来なさいよ」 帰るときユウさんはそう声を掛けてくれた。 それが凄く嬉しくて、意味もなくへらへらしてしまう。 あたしの周りにはそうやって支えてくれる人がたくさんいるんだ。 そう思ったら胸のうちが暖かくなった。 それから、少しだけ勇気が持てた。 普通だったら、誰にも話すことも出来ないのに。 女の人が好きだなんて。 それでも、応援してくれる人がいる。 励ましてくれる人がいる。 あたしはなんて、恵まれてるんだろう。 -------------------------------------------------------------------- たとえ前に進めなくても、後ろを向いて逃げ出すことが出来なくても。 今ここで、力の限り踏ん張ることは出来る。 そうすれば、きっと。 一歩を踏み出すときがくるはずだから。  「それでね、それでね」 「うん」 息継ぎもままらない程矢継ぎ早に喋る若菜。 相槌を打ちながら、目の前のチョコレートパフェを口に運ぶ。 しかし、よく喋るな。 「美香とも話してたんだけど!」 「うん」 真昼間のファミレスは人で込み合っていて、空いている席が殆どないほど。 回転を上げたい店員の思いとは裏腹に、あたし達はもう2時間近く居座っているわけだけど。 「今週の土曜日ね」 「うん」 相変わらずその場凌ぎの返事をしながら、最後の一口となった生クリームの付いたコーンフレークを口に含んだ。 生クリームの甘さが、最後に嫌な程残る。 チョコパフェなのに、案外チョコが少ないのが難点だ。 「花火大会があるんだけど」 テンションの高いまま興奮した様に若菜が発した言葉に興味を惹かれた。 「花火大会?」 「ほら、毎年あるんじゃん!」 小さい頃から毎年足を運んでいた花火大会。 夏の風物詩であり、夏休みの恒例行事となっているそれ。 一昨年は雅と、去年は愛美先輩と行った。 それで、その帰りに初めてキスしたんだっけ。 「今年はね、一万発の花火だあがるんだって」 花火大会か、どうせなら好きな人と行けたら良いのに。 一緒に行きたいと、そう思う人は今一人しかいない。 雪乃さんと、行けたらきっと楽しいだろうな。 ――絶対後悔するよ つい数日前、ユウさんに言われた言葉を思い出した。 何も行動せずに後悔するぐらいなら、何か行動してから後悔する方が良い。 ユウさんの言いたいことは、ちゃんと伝わっている。 「ハル、聞いてる?」 「……あ、うん」 若菜の声で引き戻される。 今考えていたことは、一旦保留だ。若菜の機嫌を損ねると、それはそれで面倒なのだ。 「でさ、美香がね彼氏と行くって言うの」 「へぇ、あいつ彼氏居たんだ」 「そうそう!隣の男子校の2年らしいよ」 「年下?」 「まー彼氏の方がしっかりしてるらしいし」 「ふーん」 隣の男子校と言ったらそこそこ有名な高校で、うちの学校の生徒との噂話は後を絶たない。 その上、美香は驚くほど合コンが大好きだから、彼氏の一人や二人居たって可笑しくない話だ。 「ハルは行くの?」 「花火?」 「うん。やっぱり雅さんと?」 「いや、雅は彼氏と行くんじゃない」 「え!雅さん彼氏居たの!?」 テーブルから身を乗り出すようにして驚く若菜に、こっちが余計驚いた。 そう言えば、若菜は雅のことが好きなのかもしれないのだ。 もしかして、ものすごく余計なことを言ってしまっただろうか。 いや、どちらにせよ何れは分かることなんだけど。 「い、一応ね……」 「そうなんだ」 反応を伺ってみるけれど、若菜の表情は良く読み取れない。 「それで、ハルは?」 「あたし?あたしは、」 予定はないよ。 そう言い掛けてやめた。 さっきまで考えていたユウさんの言葉が、ぐるぐると頭の中を行ったり来たり。 わかってる、わかってるんだ、ちゃんと。 ユウさんや雅の言ってくれた言葉の意味も、出すべき答えも。 でも、一歩が踏み出せなかったんだ。 酷く怖くて、その一歩があたしのこれからを左右するのだから。 「ハル!聞いてる?」 「うん、聞いてる」 「だから、予定あるの?」 もし雪乃さんを誘ったら、一緒に行ってくれのかな。 自分のありのままを伝えられたら、きっと何か変われる気がする。 だから、踏ん張って一歩踏み出してみよう。 それが、良くても悪くても。 きっと前には進める筈だから。 「予定は、あるよ」 意気込んだのは良いけど、断られる可能性だって十分にあるんだよね。 寧ろその確率の方が高そうなぐらいだ。 「どうしよ」 誘うにはやっぱり電話しかない。 だが携帯に電話することにもだいぶ勇気が必要とした。 メールでもいいかな、なんて思ったけど返事が無かったらと思うとそれも出来なくて。 さっき決めたはずの決意がなし崩しになってる自分が情けなくなってくる。 若菜と別れて、すぐに家に帰るのも気が進まずに自転車を漕いでいると何故かそこへ来ていた。 頭のどこかでは意識していたことだろうけど、どこまでも馬鹿正直過ぎる自分に嫌気がさす。 着いたのはSKY LINEの前だった。 昼間には久しぶりに来た。 店の前でじっとしているわけにもいかずにそっと中に入る。 相変わらず明るい雰囲気の中で、絢さんが朗らかに仕事していた。 「あ、ハル!久しぶりー」 「ども」 絢さんはあたしを見つけてすぐ手を振ってくれた。 カウンターの方へ近づくと、力任せにバシバシと背中を叩かれる。 こういうところ、相変わらずだ。 「あ、あの……」 「ユウさんならもちろんいないよ」 「いや、そうじゃなくて」 「雪乃ちゃんなら来てないよ」 聞こうと思ったけれど、何だか聞き難くて言い淀んでいたのに。 絢さんまでどうして分かってしまうのだろう。 あたしってそんなにわかりやすいのかな。 ここまで来ると、ちょっと凹む。 「……そ、そうですか」 「何か食べてく?」 「いえ」 長居してもしょうがない。 ほぼ無意識のようにここへ来たけど、実際雪乃さんに会いたかっただけで。 時間が経つにつれこの決意はどんどんなくなるんだから。 後から雪乃さんに会っても言いにくいだけだし、今日は帰ろう。 「また、来ます」 絢さんにそう告げてから店を出た。 ドアの音が背後で聞こえると、店の外にあるベンチに腰掛けた。 少し身構えていただけに、一気に脱力してしまう。 どうしようかな。どうせ明日になっても何も出来ないんだろうな。 下を向いて溜息をつくと、本当に幸せが逃げてしまいそうな気がした。 「……ハル?」 下を向いたままでいると、視界の中に誰かの足が映った。 今あたしに声を掛けたのはその人だろうけど、足だけでは誰だかわからない。 反射的に顔を上げると、心臓が止まるかと思った。 心の準備とか、色んなことひっくるめても何一つ用意できていなかったのに。 「ゆ、雪乃さん……」 呟いた声は、雪乃さんまで届いたんだろうか。 そう思ってしまうほど、小さく掠れた声だった。 -------------------------------------------------------------------------------- 待ち合わせはSKY LINE。 時計と睨めっこしながらそわそわ。 今日が終われば、あたし達の関係は何か変わるんだろうか。 繋いだ手が、愛おしい。 6時30分 約束通り店へ到着すると、ユウさんが笑顔で待ち構えていた。 いつも7時を過ぎないとやってこないくせに。 「雪乃ならまだよ」 開口一番にそういわれても、それはわかっていたことだった。 今日は夕方から用事があると、誘ったその日に聞いていた。 今この時間が早すぎることぐらい、自分でちゃんとわかっている。 「そうみたいですね」 相槌をうつあたしを見て、ユウさんが意味深に笑う。 何を言われるのか大体想像出来て、思わず視線を逸らした。 「まさか、本当に腹括るとはね」 「な、なんですか」 「もっと駄目なのかと思ってたから」 「あたしだって、やるときゃやるんです!」 ここぞとばかりにえらぶってみた。えっへんと効果音がつきそうなほど胸を張って。 その子供地味た行動で説得力がなくなることは目に見えていたけれど。 大体、ユウさんはどれだけあたしを過小評価しているんだろう。 「まあ肝心なのはこれまでの経緯じゃなくて、今日だけどね」 「……わかってますよ」 何とも言えないプレッシャーが圧しかかる。 今日しっかり話せなければ、勇気を振り絞って誘ったことだって水の泡なんだ。 しきりに時間を確認しながら時間を潰していると、店のドアが開いた。 もしかして、と期待を膨らませて振り返る。 しかし、その期待は盛大な溜息となって、口から洩れていく。 「ハルちゃん」 そう言って爽やかに笑ったのはいっちーだった。 そして、その隣には雅。 「なんだ、いっちーか」 「随分ご挨拶だねー」 今日も変わらず無駄に爽やかな笑顔を振りまいて、いっちーは手を振っている。 隣の雅が余計に仏頂面に見えて、笑いを堪えるので一苦労だ。 「二人も今から花火見に行くの?」 ユウさんがそう尋ねると、二人は同時に頷いた。 まだ時間があるから、暇つぶしに寄ったのだと言う。 それからユウさんと三人で色々言葉を交わしていたけど、気分的にその中に加わる気にはならなかった。 雪乃さんがまだ来ないこともあったけれど、二人が羨ましく見えたことも理由の一つだ。 そんなこと、今まで一度も思ったことなかったのに。 好きな人と一緒に居られる、それって凄いことなんだなって改めて思った。 何十億という人の一人と出会って、恋をして。 その気持ちを共用してしまうのだから。 「じゃ、ハルちゃん。またね」 「え?あ、うん」 ぼーっとして考え込んでいたからか、二人が帰るのさえ気づかなかった。 時間を確認するといつのまにか7時を回っている。 外に出ようとするいっちーと雅に手を振ると、振り返った雅と目が合った。 それだけなら特になんでもないことだけど、すぐに視線を外さない。 怪訝に思っていると、雅は小さく微笑んだ。 その表情が、瞳が『頑張れ』と背中を押してくれているみたいで。 嬉しくて、泣いてしまわないようにぐっと眉間に力を入れた。 「アイコンタクトなんてしちゃって」 揶揄する気満々のユウさんが小さく笑う。 でもそんなことで遊ばれたり何てしない。 「愛しあってますから」 「ふうん、あれよね。あんたが言うとシャレにならないわよね」 「うっ……」 結局言葉にも行動にも隙があり過ぎるあたしは、ユウさんに遊ばれてしまう。 それも悪くないと思っているんだから、もうどうしようもないんだろうなぁ。 雅といっちーが店を出て数分後、少し慌てた様子で雪乃さんは店に入ってきた。 息が乱れているところを見ると急いで来てくれたみたいで、それだけで嬉しくなる。 「用事は大丈夫だったんですか?」 「あ、うん。大丈夫」 ぎこちなく返事をした雪乃さん。 それが妙に不審だった。 思い過ごしなのかな。 「じゃ、いこうか」 「はい」 雪乃さんから笑顔で言われて、気になっても追及することは出来なかった。 それに、あたしが口を出すことじゃないだろう。 「あっ、ユウさん!」 雪乃さんに続いて外に出ようとして、さっきまで考えていたことを思い出した。 ユウさんはお店があるから花火を見に行けない。 だから、お土産でも買って帰ろうかな、なんて思っていた。 「お土産何がいいですか?」 「そうね、じゃあ金魚を2匹ほど掬ってきて」 てっきり何か食べ物だと思っていた。 沢山屋台が出ているだろうし、焼そばやたこ焼きなどの定番のもの。 それなのにユウさんの口から出て来たのは、そんな可愛らしい言葉。 激しく違和感を感じて、そっと雪乃さんを見る。 雪乃さんも同じ気持ちだったらしく、ぽかんと口を開けたまま二人して顔を見合わせた。 「金魚……?」 「2匹だって」 「なに、可笑しい?」 可笑しいって絶対自分で分かってるくせに、ユウさんが白々しく言うもんだから。 雪乃さんと顔を見合わせたまま笑った。 随分と近い距離で雪乃さんが笑っている。 またこうやって笑い合いたいと、ずっと毎日願っていた。 「ほら、早く行かないと花火始まるよ」 犬や猫を追い払うように「しっしっ」とユウさんに店から追い出された。 そんなユウさんの表情が凄く柔らかくて、優しくて。 きっと、あたしの緊張を解してくれようとしたんだろう。 そんな気遣いが嬉しかった。 ユウさんのお陰で、若干テンションあがった。 そのままの状態で花火大会に行こうと思ったのに、雪乃さんはそうさせてくれない。 「ハル、待って」 歩き出そうとしたあたしを、雪乃さんの声が止めた。 その声にはさっきの楽しそうな声色はもう含まれていない。 だからだろうか、すぐには振り向けなくて。 「私に何か言いたいことあるんだよね?」 背中越しに聞こえる雪乃さんの声。 何もかも見透かされそうな声に、動悸が激しくなってくる。 「言いたいこと、ですか」 「うん、だから今日誘ってくれたんでしょ」 全てお見通しなんだろう。 あたしが誘った理由を。 いつどのタイミングで口にするかを雪乃さんがお店に来るまでずっと考えていた。 結局答えは出なかったけれど、こんなにすぐその時が来るとは思っていなくて、正直どうしたらいいのかわからない。 「……此間のこと、なんですけど」 雪乃さんに向き直ってぐっと掌に力を入れて拳を握った。 雪乃さんとギクシャクしてしまった原因。 それを清算しないと、先には進めない気がする。 「うん、私も海に行ったときのこと、ちゃんと話さなきゃと思ってたの」 雪乃さんも同じ気持ちだったんだ。 あたしばっかり、悩んで焦っていると思っていた。 今、雪乃さんと向き合って真剣に話しているのに場違いな感想を頂いた。 嬉しい、と。雪乃さんが同じ気持ちで、あたしのことを考えてくれていて、嬉しい。 「ごめんね」 雪乃さんが、優しい声でそう口にする。 でも、誰がどう見たって悪いのはあたしだ。 勝手に拒絶して、勝手に距離を取っていた。 子供だったあたしが悪いんだ。 「あたしが悪いんです」 小さな声だったけど、掠れていたけど。 雪乃さんにちゃんと聞こえていればそれでいい。 「じゃあ、お相子だね」 笑ってくれた、柔らかい笑顔で。 あたしの大好きな雪乃さんの笑顔。 差し出された白くて綺麗な手。 それを、そっと自分の手で包み込む。 この手を通って、あたしの気持ちが流れてしまえばいいのに。 雪乃さんを好きだと言う気持ちが。 言葉にしなくても、伝わればいいのに。 「よしよし」 ぽんぽんと頭をなでてくれる。 子供扱いされてるのに、触れてくれることが嬉しかった。 --------------------------------------------------------------------------- 聞こえるのは虫の声。 次々に打ち上がる花火の音。 それは、思わぬカタチでやってきた。   「ハル、あったよ」 雪乃さんがあたしの腕を引いて、真っ直ぐ指差しているところがある。 その指の先には、おじさんが一人でやっている金魚すくいがあった。 「じゃ、あそこにしましょ」 金魚すくいなんて何年ぶりだろう。 きっと小学生の時ぐらいだ。それ以来は殆どやったことなんてなかった。 「ハル、自信は?」 雪乃さんは金魚すくいが苦手だと言う。 「ありますよ」 ここぞとばかりに大口叩いて見せた。 こんなところしかないけれど、少しぐらいいいところみせとかなきゃ。 それが子供だというのなら笑われたって構わない。 「そっか、じゃお手本見せてもらお」 ご機嫌な様子で駆け寄っていく雪乃さん。 いつもの姿からは想像出来ないぐらい、子供みたいだ。 「二人分お願いします」 あ、っと思ったときには遅かった。 財布を取り出そうとした時には、もう雪乃さんの掌から小銭はおじさんに渡っていて。 また雪乃さんに奢らせてしまった。 そりゃ、200円の金魚すくいだけどさ。 水色のポイを渡される。 一度水につけて水面ギリギリを泳ぐ金魚にあたりをつけた。 ゆっくりその下でポイを動かす。 隣でじっと雪乃さんが凝視してるのがわかった。 あまりに熱い視線に半端なく緊張してしまう。 雪乃さんを気にしないように、手元に集中しないと。 じっと金魚を目とポイで追いながら、その時を待つ。 今だっ! そう思ったときに華麗に金魚を掬いあげ、お椀へと移す。 その作業はとてもキレイだったはずなのに。 「……だめじゃん」 「……」 隣からは落胆の声。 手中にあるポイには大きく穴が開いていた。 今の何が悪かったのか、金魚は持ち上げられる寸前に体全体で抵抗して、難を逃れてしまった。 いいところ見せるはずだったのに。 子供染みていたとしても、少ない見せ場だったのに。 「あ、」 一人落ち込んでいると隣からそんな声がする。 チラッと覗き込むと雪乃さんの手にあるポイにも、大きな穴。 お椀にも水しか入っていない。 「雪乃さんだってだめじゃないですか」 「だから苦手だって言ったでしょ」 少し拗ねたような雪乃さんが可愛くないこというけど。 口尖らせながらそういう姿は、悶絶しそうなほど可愛い…! 「残念賞で一匹ずつあげるよ」 あたしと雪乃さんをみながら、前で座っているおじさんはそう言ってお椀で金魚をとろうとしている。 一人一匹と言うことは、二人で二匹。 もしかして、ユウさんはこれを見越して二匹と言ったのだろうか。 だとしたら、意のままに動いてしまって何だか癪だ。 「お譲ちゃんたち、どれがいい?」 「じゃ、この小さいのください」 「これね」 おじさんの言葉に何の違和感も持たずに雪乃さんは話を進める。 だけど、あたしはそれが妙に引っ掛かった。 「雪乃さん、お嬢ちゃんですってよ」 「……文句ある?」 小声でそう伝えるとジロリと睨まれた。 いや、確かに雪乃さんは実年齢よりぐんと若くみえる。 見えるんだろうけど、 「この人26ですよ」 おじさんに向かってそう言った途端、隣から肩を叩かれた。 「お好み焼きとたこ焼きも食べたいよね」 隣を歩く雪乃さんは周りを取り囲む屋台を見て、そんな欲張りな発言を繰り返していた。 案外、食い意地張ってたりするんだろうか。 そうだとしたら、それさえも可愛いと思ってしまう。 雪乃さんの手には金魚が一匹入っている袋。 そして、それはあたしの手にも。 「あ、たこ焼きあった」 雪乃さんが今にでも行ってしまいそうだったから、その手を取る。 掴むというよりは制止するように。 「あたしが買ってきますから」 「私も行くよ」 「いや、ここで待っててください」 はい、と持っていた金魚を渡して返事が聞こえる前にたこ焼きの方へ駆け足で向かった。 雪乃さんを連れて行ったらまたお金出すにきまっている。 そこ何百円だとしたって、奢ってもらうばかりなんて納得いかない。 雪乃さんは社会人であたしは学生で。 だけど年齢とかそんなの関係ない。 これはあたしの気持ちの問題なのだ。 回りを見ても、もう随分と人が減りだした。  8時前だから、皆花火が見えやすい場所へ移動したんだろう。 たこ焼き屋の周りも人が空いて行く。 「たこ焼き二つ下さい」 屋台のおじさんにそう言うと財布を取り出す。 繁盛していたようで、少し時間が掛かるようだった。 もう一度周りを見渡してみる。 既視感を感じたのは、毎年この花火大会には足を運んでいたからだろうか。 例年のことを思い返してみる。 ああ、そうか。 去年、丁度このあたりで同じようにたこ焼きを買ったんだった。 その前に焼きそばを食べていた先輩を見て、二人で一つ。 お腹いっぱいだと言っていた筈なのに、あたしが食べだすと欲しいと強請ってくる姿が可愛かった。 口をあけた先輩に、たこ焼きをとって口の中に入れた。 まだ鮮明に思い出されるそれは、もう一年も前のことだ。 付き合ったばかりの初々しい二人。 あんな終わりを迎えるなんて、思ってもみない二人の姿。 「はい、800円ね」 おじさんがたこ焼きの入った袋を差し出す。 遠いところへ言っていた意識を引っ張り戻して、千円札を渡す。 声を掛けられたのは、お釣りの200円を財布に仕舞った時だった。 「ハル、だよね」 隣から聞こえてきた声を、あたしはまだ鮮明に記憶していた。 そんなに簡単に忘れられないのは、どうしてだろう。 終わり方が悪かった所為かな。 それとも、それほど好きだったと言うことだろうか。 「……愛美先輩、」 振り返ると思った通りの姿。声が震えた。 紺色の浴衣を着た先輩は普段の可愛らしい雰囲気を大人っぽく変えていた。 「久しぶりだね」 ほんとに、会うのはあの日以来。 言葉にすればそこ3ヶ月足らずなのに。 もう随分昔のことのようにさえ思えた。 「ハル、私ね。もう一度ちゃんと会って話がしたかったの」 あたしの好きだった先輩はそこにいるはずなのに。 真剣な表情のままそう告げる先輩を、あたしは知らなかった。 最後の言葉だって、電話だったんだ。 「何を話すんですか」 まるで笑ってしまいそうなぐらい意味のわからない言葉なのに、笑えない。 あたし達はもう終わったんだ。あの時に。 それなのに、何を話すと言うんだ。 「わかったの、私。ほんとにハルのこと好きだって」 その言葉に、全てが揺らいだ。 こころも、視界も、何もかも。 先輩の言葉に動揺が隠せなかった。 「なに、言って、」 「一度他の人と付き合ってわかったの」 今更何なんだ。 あたしを振ったのは先輩で、浮気をしたのも先輩。 あたしの中にあった自信も何もかも、打ち壊したのも先輩だ。 夏の夜は、涼風が吹く。 それなのに汗が止まらなかった。 握ったこぶしからは中々力が抜けない。 痛いほど握り締めていた。 「ハル、花火始まっちゃうよ」 緊張の続くあたしと先輩の間に入ってきた声。 それは酷く不満そうな声色だった。 「……雪乃さん」 「たこ焼き買えたの?」 何も知らない雪乃さんが、隣に来て腕を引っ張る。 何も言わないあたしを雪乃さんは怪訝そうに覗き込んできた。 何か言わないと、そう思うのに何も言えなくて。 綺麗な顔を心配そうに歪めているのに。 「どうしたの、顔色悪いよ?」 優しい瞳に魅入られる。 あたしが好きなのはこの人だ。もう、先輩じゃない。 あたしが好きなのは―― 「ハルっ」 まるで泣きそうな声で先輩があたしを呼ぶ。 わからない。一体どうすればいいのか。 どうして、今頃そんなことを言うのか。 どうして、あたしは動揺しているのか……。 何事かと、雪乃さんがあたしと先輩を交互に見やる。 その瞬間、 そう遠くはないところで、威勢のいい音がする。 時間が時間なだけに、もう花火が始まってしまったんだろう。 それでも、あたし達は固まったままだった。 折角、雪乃さんと楽しく見ようと思っていたのに。 わだかまりも無くなったから、二人で笑って。 この夏の一番の思い出にしようと思ってたのに。 「……雪乃さん、行こう」 「でも、」 雪乃さんの腕を取ろうとするけど、動かない。 その視線の先には、こっちをみる先輩がいる。 お願いだから、これ以上混乱させないでほしい。 あたしは、二人から背を向けた。 ---------------------------------------------------------------------------- 楽しい夏の終わり。 久しぶりに会った友達。 懐かしさを感じる校舎。 忘れていた、重大なこと。    「おはよ」 「……おはよ」肩ポンと後ろから叩かれて、やっと雅の存在に気づいた。 聞けば自転車置き場辺りから後ろに居たと言う。 だったらもっと早く声を掛けてくれればよかったのに。 ぼーっとしていたから全く気付かなかった。 ……昨日は、良く眠れなかったからなぁ。 休みが続くと生活リズムが狂ってしまう。 夏休み明けなんて、特にだ。 あっと言う間だった夏休み。 夏の終わりは当たり前のように早く、気付いたら9月を迎えていた。 新学期の初日である今日。 校舎に入ったすぐに雅と一緒に歩き出した。 「それで、どうしたの?」 「別にどうもしてないよ。あれから会っても居ないし」 「でも返事してないんでしょ」 「そりゃ、そうだけどさー」 話題は祭りの時に会った先輩の話だ。 あれから雅にはそのときのことを話していた。 先輩に会ったこと、それから雪乃さんにカミングアウトしたこと。 腑に落ちない、と雅は先輩のことを気に掛けていたけれど。 「また連絡あるんじゃない」 「連絡あったってちゃんと断るよ」 「ちゃんと、ねぇ」 信用してない雅は不安げな視線を送ってくる。 そんな顔されたって、困る。有り余る自信があるっていうのに、そんな目で見られたら減っていきそうだ。 それに、今更何を言われたってあたしが好きなのは雪乃さんだ。 その気持ちに揺るぎはない。 「あんた流されやすいからね」 「なっ!」 心外な言葉に言い返そうとした時、勢い良く後ろから肩に何かが乗ってきた。 正確には『誰か』だったけれど。 「ハル、おはよっ」 元気いっぱいの『それ』はいつも通りの明るい声だった。 「雅さんも、おはよう」 その声を聞いて雅も振り返って挨拶を返す。 いつも変わりなく明るい若菜は新学期の初日だと言うのに、テンションはマックスだ。 「朝っぱらから元気だなー」 「だって、やっと夏休み終わったんだよ!」 まだ完全に起きていない頭はその言葉を肯定してしまいそうになる。 いやいやいや、終わったんだから普通は悲しむところなんだよ。 「もう、補習うんざり」 「……ああ」 若菜と美香は地獄の補習だったんだ。 それを考えると、夏休みなんて早く終わって欲しかっただろうな。 まあ、自業自得と言われてもしょうがないことだけど。 ちらっと隣に目をやれば、雅の視線は明らかにそう物語っていた。 結局海に行くことも出来なかった。 そうぼやきだしたことには触れないようにして、教室に向かった。 B組の前で雅と別れて、若菜と教室の中へ。 「新学期か、憂鬱」 席に着いてすぐ、溜息が洩れた。 高校最後の夏休みが終わり、いつもの毎日が戻ってくる。 雪乃さんの存在があったからか、例年の休みよりもずっと濃くて。 どうしても気が抜けた状態になってしまう。 「今更じゃん!」 あたしの小さなボヤキを聞いていたのか、大きな音を立てて席に座った美香が言葉を投げて来た。 新学期を迎えても、見た目も言動の派手さも変わらないようだ。 「……ほんと、そうなんだけどね」 「もーどうにかして欲しいよね、初日から試験なんて。もうウンザリ」 「うん」 いつもの会話のように相槌を打ったけれど、美香の言葉に頭は一瞬フリーズ。 あれ、今確かに聞き捨てならないことが……。 今、美香は何て言った? 一度、頭の中で今の言葉を反復する。 『もーどうにかして欲しいよね、初日から試験なんて』 「なにそれ!」 それを理解した途端、大きな音を立てて立ち上がると、驚いた美香が体を反らせた。 試験、試験ってテストだよね。 寧ろそれ以外には思いつかない! 「……は?」 「だから、試験って?」 「あるでしょ、実力テスト」 「……」 「もしかして忘れてた?」 「……」 忘れてたよ、完璧に。 そりゃあもう素晴らしく綺麗にさっぱりと。 期末試験の時に痛い目みたばかりだったのに。 夏休みの濃い日々の所為で、頭の中からすっかり抜け落ちていた。 なんてあたしは馬鹿なんだ! 夏休み明けは試験が当たり前じゃないか。 「ハルってさ、結構抜けてるよね」 そんなこと言われるだけならまだしも、相手は美香だ。 終わってるな、自分……。 椅子に座りなおすとガックリとうな垂れた。 色々ありすぎて本当に忘れていた。 夏休み中一度も教科書開いたこともなかったし。 さて、どうしたもんか。 頭の中でヤバイヤバイと連呼してても、どこかに冷静な自分も居る。 一応、もう大学に持ち上がれるってことはわかっているし。 ここでどんなに点数が悪くても大丈夫だろうとは思う。 そうなんだけど、何だかもっと重要なことを忘れてる気もするんだけどな……。 「で、今日って何のテスト?」 「数学だけ」 「……」 数学だけって、ラッキーなのかアンラッキーなのか。 もの凄く微妙で、判断に苦しむところだった。 放課後、雅に事の次第を話すと予想通りの冷たい視線を頂いた。 「自業自得でしょ」 これ以上にないほど今のあたしにぴったりの言葉。 もうグサリと刺さるほどの余裕もない。 精根尽き果てた今の状態じゃ、雅の説教も右から左だ。 「色恋に逆上せてるからそうなるのよ」 本当にその通りです。 言い返す言葉もない。 寧ろ言い返そうとも思ってない。 「確か、学業が学生の本分と言ったのはハルだったと思うけど」 「み、みやび」 甘ったるい声だしても雅に効き目なし。 確かにこの口が言ったもんな、忘れて居れば良かったけれど。 しっかりと記憶に残っている。 「じゃ、今日はユウさんのところ行かないよね」 「えっ」 雅の言葉に動作が止まる。 確かに勉強しなくてはいけない。 でも、お店に行かないとは言ってない。 「勉強、するんでしょ」 「するけどさ、ちょっと顔出すぐらいよくない?」 「……あんた勉強する気ないでしょ」 「あ、あるって!」 ただ、雪乃さんに会いたいんだもん。 そう呟いた声は雅に聞こえただろうか。 花火大会に行った日から雪乃さんには会ってない。 もう2週間近く経っていると言うのに。 あれから、雪乃さんは仕事に追われているらしい。 出張とか、残業が半端ないとユウさんから聞いた。 最近中々お店にも顔出さないとか。 でも今週からはだいぶ落ち着くって言っていたから。 その、ちょっと覗くだけでも。 「……別に良いけどね、後で困るのはハルだし」 呆れた顔した雅にへらっと笑いかけたけど、その表情に変化はなかった。 暑さも段々と収まりだした9月、雅のクールさは2割増しだ。 その言葉に危機感を持つべきだったんだろう。 雅とは対照的に、あたしの頭の中はまだ夏真っ只中。 脳みそも蕩けまくってたようだった。 --------------------------------------------------------------------------- 部屋に、二人っきり。 然程大きくないテーブルに向かって、二人並んで座る。 肩と肩が触れてしまう距離。 隣には真剣な表情をした愛しい人が居る。 二人して顔を上げる。 向き合えば、キスでも出来そうなほどの距離だった。   えーと、あたしは何か勘違いしてたのかな。 馳せる気持ちを抑えながら、雪乃さんの家に行って。 今現在苦手な数学を教えて貰っている途中だけれど。 ほら、ねぇ。 イメージ的に前に教えて貰った時のような想像してたんだけど。 「違うって、これはこっちの方程式を当てはめるの」 「だから、代入するのはyだって」 「ここ計算間違えてる」 「……何度言ったらわかるかな」 トントンとシャーペンで数式を示す雪乃さん。 顔はさっきから一度も笑ってくれなくて、どうしよう。すっごく、怖い。 「答えは?」 「えっと、」 もうそれどころじゃなくて、全然わかりません…! そう泣きつきたいくらいどうして良いのかわからない。 数式なんて頭に入ってくるはずもなく、簡単な計算にも戸惑ってしまう。 雪乃さんがいつもと違うからいけないんだ。 そんな思いを込めて雪乃さんを見ると、さっと目を逸らされた。 「休憩ね」 怒ってますよね?とは言えなくて、素直に従う。 立ち上がった雪乃さんはコーヒーを淹れるからと小さく言い残してキッチンの方へ行ってしまった。 置いてかれたあたしは一人悶々と考える。 雪乃さんの怒りの所為を。 怒った雪乃さんを見たこと無いから、今が怒っているのか明確にはわからない。 でも、普通の人の感じからすると怒ってるんだと思う。 でも、なんで? あたし別に何もしてないよね? それとも、あまりに頭が悪いから、とか。 あり得ないこともないのが痛いな。 「はい」 戻ってきた雪乃さんの手から、カップが二つテーブルに置かれた。 そっとその様子を伺うけど、さっきから表情は一切変わらない。 一体どうしたらいいんだろうか。 まさか、ずっとこの空気の中で居るなんて絶対に無理だと言い切れる。 「ゆ、雪乃さん」 「……何?」 既にその一言が怖い。 すーっと泳いでしまった目を何とか雪乃さんに引き戻して、ふーっと息を吐いて気合を入れる。 「あの、何か怒ってます?」 「別に」 ああそうですか、怒ってるんですね。 自己完結してしまいそうな程の返答にもうどうしていいのかわからない。 「……あの、」 でも、やっぱりこのままっていうのはどうしても無理だから。 もう一度、今度はさっきよりも少しだけ強めに出てみる。 「や、やっぱり怒ってますよね?」 強めに、なんて思っていたのに声がどもったのはご愛嬌。 雪乃さんはあたしを一瞥し、すぐ視線逸らした。 一体あたしは何したんだろう。 折角雪乃さんに勉強教えてもらえるのに。 そうやって頭を抱え出した時、雪乃さんの声が聞こえて慌てて背筋を伸ばした。 「ハル」 「は、はいっ」 「好きな人の話だけど」 「え?」 一体何故、急に好きな人の話? 困惑したあたしの頭の上には、きっとクエスチョンマークが沢山飛んでいることだろう。 「どんな人だっけ?」 さっきまでの無表情から一転、満面の笑顔で聞いてくる雪乃さん。 その笑顔に殺気を覚えるのは自分だけだろうか。 いや、この場に他に人が居たのなら、きっと同じことを思ったはずだ。 「どんな人って、」 あの話の結末は雅のお母さんって言うことで。 そう言えば、結局雪乃さんには言わずじまいだったな。 嘘を吐いているみたいで心地が悪いから、本当のこと言いたかったんだけど。 自分から言い出すのも変に思えて、言えないでいた。 「ハルってそんな年上が好きだったんだ」 「え?」 どう返事をしようか考えて居たあたしに、雪乃さんのそんな言葉。 確かに年上の方が好きだけど、だけど、何を言いたいのかが理解出来ない。 「菜々世ちゃんのお母さんのことなんでしょ」 「……」 「菜々世ちゃんから聞いた」 しまった……! やっとことの成り行きを把握して、そう思ってももう遅い。 雪乃さんが怒っている原因はきっとそれだ、あたしが嘘吐いていたから。 好きな人がいる、と。いや、厳密に言うのなら本当なのだけど。 でも、どうしてあたしが言う前に雅が本当のこと言っちゃうかな。 「……あの、だから怒ってるんですか?」 「別に怒ってないよ」 「……」 「どうして、そんな嘘吐いたのか聞きたくて」 真っ直ぐ目を見られて、決して逸らせない状態。 何だろう、手に汗掻いちゃってるんですけど。 ものすっごく怖いんですけど……。 「どうしてって言われても、その、流れで……」 「帰るときに本当のこと言ってくれても良かったんじゃない」 そりゃそうだ、そう思って頷くと雪乃さんの瞳が細まった気がした。 確かにあそこで嘘を吐き通す理由なんて何もなかった。 ただ、雪乃さんを試してみたかったんだ。 どんな反応をしてくれるのかって。 それで結局落ち込んでしまって、言わなきゃ良かったって後で反省した。 そうやって結果雪乃さんを怒らせて、本当どうしようもない馬鹿だな。 「すみません……」 「ユウさんも一之瀬君も知ってた」 「……」 「私ね、嘘吐かれるのが一番嫌いなの」 雪乃さんの言葉に、一瞬で目の前が暗くなる。 まるで、嘘吐いたあたしが嫌いだといわれているようで。 ただただ俯くことしが出来ない。 「……ごめんなさい」 掠れるような、酷く小さい声でそう口にするけれど。 雪乃さんの耳に届いているのかはわからない。 もう、泣いてしまいそうだ。 あたしが一番恐れているのは、雪乃さんに嫌われることで。 邪険にされたり、冷たくされたり。 そんなことされたらきっと立ち直れないぐらい落ち込むことだろう。 罵倒されたりするよりも冷静に事を突きつけられる方が痛いんだと改めてわかった。 雅相手に、それは経験済みだったのに。 「反省してる?」 幾分か緩まった雪乃さんの声にぶんぶんと頭を上下に振った。 声にはならない。今出してしまったら泣いてしまいそうだから。 自分が撒いた種なのだから自業自得なのに。 泣いてしまったら格好悪いことこの上ない。 だから、必死に堪えていた。 「……なら、許してあげる」 そう言った雪乃さんの声は柔らかく、いつもの声で。 ほっと安心したと同時に、ポロっと涙が出てしまった。 いつもよりも、もっともっと優しい手つきで頭を撫でられる。 「……何も泣かなくても」 泣いてないですっ……! 強がってそう言いたくても声にならなくて、体育座りをして膝の間に顔を埋めたまま、左右に首を振った。 「ほら、顔上げて」 ぐっと無理矢理雪乃さんの方へ顔を上げさせられる。 雪乃さんの少し冷たい両手があたしの頬に当たって、親指でそっと涙を拭われた。 「ハルのばか」 それは人を貶すような意味合いとは違って。 優しい『馬鹿』だから、何だか嬉しくなる。 「……ごめん、なさい」 「子供みたい」 「だ、だって」 「ん?」 「ゆきのさん、……こわい」 本当に、普段怒らない人って怒るとなんでこんなに怖いんだろう。 雅なんかの怖さとは全然比べ物にもならない。 ……いや、雅も怖いけど。 「……ん、ごめん」 雪乃さんがそう言って小さく微笑む。 全然、悪くなんてないのに。あたしが馬鹿なだけで。 それに、泣いてしまったのは怖かったからじゃない。 嫌われてしまうかもしれないって思ってしまったから。 それが何よりも怖いことだった。 雪乃さんは笑って、あたしの髪を撫でてくれる。 いつもよりも随分と近い距離に緊張して、涙なんてどっか行ってしまった。 「あ、コーヒー冷めちゃった。淹れなおしてくるね」 湯気のたっていたカップはいつの間にか熱をなくしていたから。 キッチンへ行こうと立ち上がった雪乃さんの手を、あたしは咄嗟に掴んでしまった。 「ハル?」 今の今まで、あたしの頭を撫でてくれていた手。 優しい手つきで、そこに込められている気持ちもきっと優しくて。 離れていって欲しくなくて、ほぼ無意識に掴んでしまった。 ずっとここに居てほしい。もっと触れていてほしい。 そんなこと思ってしまった自分に笑ってしまう。 「どーしたの」 少し優しくされると、それ以上を求めてしまうのはどうしてだろう。 もっともっと、欲が減ることはない。 「あ、えっと、なっなんでもないです!」 どうにかこうにか手を離すけど、雪乃さんはそこから動かなかった。 くるっと向きを変えて机に向き合う。 どうぞ、キッチンへ行って下さい。という配慮なんだけど。 やっぱり、雪乃さんが動く気配はない。 「ねー、ハル」 「は、はい?」 「抱きしめてあげよっか?」 「……えっ」 一体何を思ったのか、返事をする前に雪乃さんはあたしの首に手を回してきた。 ちょ、ちょっと待って。落ち着け自分、落ち着け。 そう自分に言い聞かせるけど、もはや自分の考えも上手く纏めることさえ出来なくて。 後ろから雪乃さんに抱き締められていると言う事実だけで、もう全身の血が沸騰しそうだ。 「ゆ、雪乃さんっ!!」 「だって、寂しそうな顔してたから」 「だ、だからって!」 後ろから聞こえてくるのは雪乃さんが楽しそうに笑う声。 緩く首に巻きつく手に右手を添えると、あり得ないほど心臓が煩く騒ぐ。 この音、絶対雪乃さんに聞こえてるだろうな。 「嫌なら離れるけど」 「い、嫌じゃないですけど、」 嫌なはずなんてない。嬉しい、とても。 だけどこのままだと絶対に心臓が持たないだろう。 顔だってこれ以上ない程色を変えて居る筈だ。 煩い心音を抑えるように、ふーっと深呼吸する。 だけど中々収まる気配はない。 ずっと赤くなりっぱなしのあたしを他所に、雪乃さんは急に静かになった。 「ハル、」 ぐっ、と。 緩かった腕に力が入って、体が後ろに引き寄せられる。 名前を呼ばれると、同時に漏れた吐息が耳元にかかってくすぐったくて、ドキドキしてどうしていいかわからない。 名前を呼ばれたけど、それ以上何も言わない雪乃さん。 怪訝に思って振り向きたくても振り向けない。 振り向いてしまえばすぐそこに顔があるはずだから。 近すぎる距離に耐えられそうにない。 「あの、」 どう声を掛けていいのかが分からなくて、じっとしていた。 身動き一つ取らず、ただ雪乃さんの体温を感じて。 「もう、嘘なんて吐かないでね」 呟くような小さな声が、耳元を掠めるように聞こえてくる。 ぎゅっと胸を掴まれるような感覚にまた泣きたくなってきた。 雪乃さんは嘘を吐かれるのが嫌い。 それは多分、きっと、あの人とのことがあったから。 「雪乃さん……」 だから、雪乃さんは嘘を吐かれるのが怖い、のかな。 全てを理解することなんて出来ない。 でも少しでも理解出来たらと思う。それはあたしの勝手な願望でしかないけれど。 「さっ、コーヒー淹れよ」 パッと手を離した雪乃さんは、さっさと立ち上がってキッチンの方へ行ってしまった。 その切り替えの速さに、もう何とも言えない。 「……」 「ハル、続き解いててね」 テーブルの上に置いてある教科書を指差して、明るく言う雪乃さん。 勉強を教えて貰っていると言う状況を、やっと思い出した。 ------------------------------------------------------------------------------------- 半年前と今。 明らかに違うことがある。 あの頃想っていた人。 今想っている人。 あたしは、今を大事にしたい。   晴れ晴れとした天気の続く毎日。 次第に寒さを感じさせる季節に入ると、制服は中間服のベストから冬服のブレザーへと移行した。 学園祭の前日。 あたし達は教室での展示に時間を割いていた。 学園祭の初日はステージ発表で、部外者は立ち入り禁止となる。 だから、この展示は実際二日目の為の準備に当たる。 「そういえばさ、結局ハルは誰と回るの?」 窓際の机に寄りかかって皆が展示の準備をするのを眺めていると、若菜が唐突に切り出してきた。 そう言えば、此間聞かれた時はまだわからないと返答したんだった。 「んー雪乃さん」 「雪乃さんって、あの勉強教えてくれた?」 「そうそう」 「ふーん、そっか」 少し俯いて何か考えているような若菜に、然して疑問は抱かなかった。 そのまま展示の準備に戻る若菜を見て、背中を窓に寄り掛ける。 教室一体を見渡すともう殆どの場所に展示し終わっていた。 雅の言うとおり、やっぱり手抜きだろうな。 一日で出来上がっちゃうんだから。 「ハルー、明後日の担当時間だけどさ」 皆が楽しそうに展示を行っている中で、一人の生徒が話しかけてきた。 うちのクラスの文化委員であって、文化委員長でもある彼女。 「それ決まってたんじゃないの?」 「うん決まってる。だから確認ね」 「……あたしに意見する権利はないってね」 「うん」 にこっと笑いながら躊躇いなく頷くんだから、可愛いけど憎たらしいや。 彼女はのほほんとしていて、実は毒舌というギャップの持ち主。 「で、昼からだっけ?」 「ちょっと変わったんだけどね、11時辺りから30分ぐらい」 「あたしの次って?」 「美香ちゃん」 「げっ……」 どうしてこういう時に限って次が美香なんだか。 あいつサボりかねないじゃん。 何に対しても不真面目な奴っていうのは居たもので。 あたしだって協力しなくちゃいけない時にはちゃんとやるのに。 美香と来たら大きな行事ごとなんかは悉くサボる。 近いところで言うと体育祭の時もそうだった。 当日知らん顔しながら休みやがって、結局クラス全員リレーじゃあたしが2回走るという最悪の結果となった。 今回だってそうなりそうな予感をひしひしと感じる。 「大丈夫だって、ちゃんと美香ちゃんにも伝えておいたから」 「……大丈夫、ねぇ」 「じゃ、忘れないでよろしくね?」 「りょーかい」 返事をすると、彼女は急がしそうにまた違う人のところへ行ってしまった。 しかし、これは絶対に仕組まれた。 あたしや若菜以外の奴だと美香に文句言えないから。 ああ、でも意地でも来させてやる。 高校生活最後の文化祭だ、あいつに迷惑掛けられて終わって堪るか。 学園祭の一日目は滞りなく終わった。 文化部が主に日ごろの成果を発表し、各クラスでのステージ発表。 それからメインとなっていた、被服科の自作衣装によるファッションショー。 特にファッションショーじゃウエディングドレスを作っていた生徒が数名居て、それはそれは素晴らしいショーだった。 客席から大いに楽しんだ一日だったけど、その後は翌日の準備に追われていた。 教室の中の準備は机と椅子を廊下へ出す作業だけだったから簡単に終わったけれど。 手の空いたクラスは体育館に並べてあるパイプ椅子の撤去を手伝えという指示で強制的に肉体労働させられた。 ああ、こんな日にサボるべきだったなぁ。 そして、ついに学園祭二日目。朝から生徒は大忙しだ。 雅も喫茶店だからと、色々と準備があるらしくあたしが登校した時間よりも1時間程早く来ていた。 もちろん、あたしはいつも通りだけど。 HRが終わったら早速移動開始。 みんな一斉に教室を出て行った。 あたしもふらっと教室を出る。当番は昼からだからそれまでは他のクラスを見て回るつもりでいた。 まず最初に、これから後輩の由香のところに行かなきゃいけない。 すぐに来てくれと急かされていたんだった。 由香のクラスは何故かお化け屋敷だった。 どうして朝っぱらから呼び出されて子供だましのお化け屋敷に入らなきゃいけないんだ。 そう思って中に入れば、予想外に怖かった。 お化け屋敷みたいな類は大抵平気だけれど、それでも幾分か肌寒く感じる。 後で雪乃さんが来たらもう一回一緒に行こうかな。 そう思ってしまうぐらいに中々楽しめるものだった。 他のクラスをふらふら回って、時たま友達と談笑して当番の時間の数分前に教室へと着いた。 「交代の時間ですよー」 労いの為に、さっき通りすがりで2年生のクラスがやっていた売店でジュースを一本買ってきた。 教室の中に入ると文化委員長が詰まらなそうに並べてある椅子に座っている。 「あ、ハル!待ってました」 「ほい、差し入れ」 「わー、ありがとー!」 ジュースをぽんと渡すと彼女は嬉しそうに笑って教室を出て行った。 委員長は色々と忙しいんだろうなぁ。 体育館で行われているライブにも顔を出さなきゃいけないらしいし。 さっきまで彼女が座っていた椅子の前を通って、締め切ってある窓を開けた。 少し冷たい風か吹き込んでくる。 時計を見るとまだ11時03分。後27分もここでじっとしてなくちゃいけないのか。 暇だな、そう思いながら息を吐くとゆっくり目を閉じた。 「うわっ、」 ブレザーのポケットに入ってる携帯のバイブが行き成り鳴り出した。 はっと窓に凭れ掛けてた体を飛び起こす。 あれ、あたし今寝てた? ポケットから携帯を取り出すと、時間は11時08分。 その5分間の記憶がない。もしかしなくても、寝て居たんだろう。 人の気配もないし、全く問題もなかったのだけれどメールの着信に咎められたような気がしてどこか居心地が悪い。 誰にともなく心の中で謝りながらもメールを開く。 それはそれはとてもシンプルな文面だった。 『がんばれ』 ただその一言の内容。あまりに完結過ぎるそれに首を傾げる。 メールの差出人を見ると、納得いくようないかないような。 彼女の、雅のメールはいつも完結だったけれど、今日はいつもにまして酷い。 がんばれ、その一言にどんな意味があるのか考えあぐねていた時だった。 「ハル」 そう、声が聞こえて来たのは。 どうして、あなたはいつも突然なのかな。
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