■姫鏡台  
□葉 2009/04/11(Sat)


近くの神社の境内に、月に一度骨董市が立つ。 老舗の骨董店の三代目の友人に言わせれば「骨董じゃなくて古道具市」だが、 その道の素人には小鉢や櫛、小さな珊瑚の簪や懐中時計といった細々な品を眺めるのはそれなりに楽しい。 「うわ白藤堂はん堪忍しとくなはれ、目利きに見張られたら商売あがったりですわ」 店番の古物商に手を合わされまくるのも嫌なのだと沙耶は言う。 「大抵はわざと汚したり錆びさせて、古く見せかけてるだけよ。それならまだいいけど」 それ以上はあえて言わないが、わざわざ補足してくれる同業者がいる。 「うちは胸張って出しとります。全部御祓い済みですわ」 ――ああまた地雷を踏んだ。同業者からそれを言われる事が、沙耶は一番嫌なのだ。 時には同業者からも鑑定を頼まれる、『いわくつき骨董』の目利きである事が。 「また持って帰れないような物を衝動買いするんじゃないよ、佳乃」 うんざりした声を聞き流し、露店から露店を渡り歩く。 骨董商が友達ならそこで買えと言われそうだけど、しがないOLの給料で買えるような品は沙耶の店にないから仕方がない。 「あ、これ可愛くない?」 私は露店のひとつの前にしゃがみこみ、目についたものに手を伸ばした。 両手の平に乗るくらいの、朱塗りの姫鏡台のミニチュアだ。 鏡も引き出しも精巧に作りつけてある。 「ピアスとか入れとくのにいいよね‥これくらいなら持って帰れるから、文句ないでしょ?」 「やめとき」 声と動作が同時だった。 沙耶は無造作に私の手から姫鏡台を取り上げ、元に戻した。 「帰るよ」 そのまま、反論を受けつける素振りもなく背を向けてすたすたと歩き出す。 こういう時は何を言っても無駄なのは、長い付き合いで知っている。 元々は共通の友人の誕生祝いの買い物だった。 それをデパートで済ませた後、喫茶店で蒸し返してみた。 「沙耶、さっきのあれ、何か憑いてたの?」 「何の話」 このご時勢にヘビースモーカーの沙耶は、そっぽを向いて煙草をふかしている。 「だからさっきの姫鏡台‥売り物にしちゃいけないようなもんだったの?」 「別に」 沙耶は抑揚のない声で吐き捨て、テーブルの下で脚を組み換えた。 「お金出して買うほどのもんじゃないでしょ。小物入れなら百均で十分よ」 「ちょっとそれ、『用の美』で商売してる人のセリフ?」 私は諦めたふりをして携帯で時刻をチェックした。 沙耶には用事があり、骨董市が閉まるまでにはまだ時間がある。 (携帯)
■姫鏡台・2 結局、買ってきた。 部屋に持ち帰って拭き清めると、小さな姫鏡台は朱の漆塗りも艶やかで、鏡も良い物を使っているようで益々気に入った。 沙耶が来たら隠せばいいやと一人頷き、姫鏡台は化粧品やアクセサリーの並ぶ棚にちょこんと据えた。 翌朝の寝覚めは悪かった。 (何これ‥生理が近い?) 他人様に言える話ではなく、内容もはっきり覚えていないが、かなりな淫夢を見た気がする。 その証拠に目覚め一発目からショーツがどろどろ。 体もだるい。 (欲求不満‥てか?) ああ情けなや恥ずかしや。 シャワーを浴びなきゃ出勤もできない。 ――けれども、これで終わりではなかった。 「なんかやつれてるよ、佳乃」 数日もすると、同僚が心配そうに声をかけてくるようになった。 「何か悩み事でもあるの? ご飯食べてる?」 自覚症状は体のだるさくらいだが、普段とのギャップがよほど大きいのか、上司にまで早退して休めと言われてしまった。 (生理前ならだるいのも風邪っぽいのも発情しやすいのも分かるけど、来ないし‥) 休んでいいと言われると、余計に具合が悪くなる気がする。 その日は何となく寄り道もせずまっすぐ帰宅して、寝た。 寝ながら歌を聞いた。 (この世の名残り夜も名残り、死にに行く身をたとうれば‥) 小さいがよく通る女の声と幽かな三味線。 あー何だっけこれ、沙耶が教えてくれた、文楽の‥ (あだしが原の道の霜、一足ずつに消えていく‥) ああ近松だ、『心中天網島』の一節だ。女浄瑠璃とは珍しい‥ てか、テレビも何もつけてないけど!? がば、とベッドの上で起き上がり、そのまま絶句。 (部屋の、鍵――かけ忘れた‥‥?) 間近の対面に人がいた。 若い女。紅い襦袢。紅い唇。濡れたような長い髪―― 「どっ――どちら様ですかっ?」 布団を抱きしめて誰何した、その瞬間にあれっ?と思った。 目の前の女も同じように虚空を抱えた。 こちらがたじろぐとまた同じように身を引いた。 (鏡‥‥?) 恐る恐る手を伸ばす。 女も同様に手を伸ばし、指先が触れるかと思ったら冷たいぺたりとした感触がした。 (鏡だ‥‥) ぴったり合わせても人間の手の平の感触ではない。 冷たく硬質な手触りにおののいて顔を上げる。 女も同じように俯いたいた顔を上げ―――そして、にっこり笑った。 とろけるような、艶やかな笑顔だった。
■姫鏡台・3 それは奇妙な感覚だった。 自分が動いているのか、目の前の女が動いているのか定かでなく、操り人形のように女の動きを自分がなぞっているような感じだった。 女は私に頬を寄せ、愛おしげに頬ずりし、唇を触れさせる。 私も彼女に頬ずりして口づけているのだが、触れるのは硬くて冷たい平面だ。 けれども体が火照り出し、それを不審に感じるよりも、もどかしさが先に立つ。 女が襦袢の襟をはだけると、私の胸元も涼しくなった。 露わになった乳房を女が突き出すと、私の乳房にひやりとした感触が広がる。 (ああ‥) 女の漏らす溜め息混じりの声が聞こえるような気がした―――私自身の声かもしれないが。 女は(私は)床に膝立ちで、両手で自らの乳房を持ち上げてこね回す。 まるで背後から誰かにそうされているように。 その頃には何となく分かっていた。 女は(私は)誰かに抱かれているつもりなのだ。 「ああ‥ん‥」 自分で触っているのとは違う感触、目の前の自分が自分でない感覚に私は酔いはじめた。 「‥はぁ‥ふ‥」 背後から抱きすくめられて乳房を揉まれる―――手の平でゆっくり撫で回され、指先が乳輪をなぞり、爪先が乳首をくすぐる。 「あああ‥ああ‥」 女は白い顎を仰け反らせ、がくがくと腰をひくつかせる。 襦袢の前は臍のあたりまではだけ、裾の間からちらりと白い太ももが覗く。 「だめ‥そんなに‥ああ‥」 片方の手の指で乳首を激しく弄りつつ、片方の手が襦袢の裾に滑り込む。 「嫌ぁ‥‥」 裾に隠れた女の指の動きがダイレクトに伝わる。 熱くぬめる陰唇をゆっくりと掻き分け、その周りを焦らすようになぞり、くすぐり上げる。 「嫌っ‥いやぁ‥ああ‥」 女は裾が捲れるのも構わず腰をくねらせ、こらえきれずに床にお尻をつき、無理にそうされたように両膝を開いた。 「だめっ――嫌‥そんなにされたら‥」 ああ今、後ろから脚を開かされている―――見えない脚に太ももを絡められ押さえられ、 恥ずかしくても脚を閉じられず、火照って潤むあそこを弄られている‥ 「あ―――ああっ! ああ‥そこ‥そこ‥」 あまりの気持ちよさに薄目でしか見えない女の顔は、頬が上気して、美しかった。 自分はこの女なのだ。 硬くなった乳首をなぶり、女陰を激しく切なく掻き回すのは自分であり、自分を抱いている誰かなのだ。 「‥だめ‥お願い‥」 何度もクリトリスの間際をかすめて行きつ戻りつする指に懇願するように腰を動かす。
■姫鏡台・4 くちゅくちゅ‥聞くまいとしてもはっきりと、粘ったいやらしい音が耳に響く。 片手は乳首に、片手は股間に吸いつかせたまま女はのたうつ。 「ああ‥お願い、もう焦らさんといて‥お姐はん‥もう‥」 小猫が甘えるような、息も絶え絶えな喘ぎ声。 (お姐はん?) 一瞬正気が戻り、そのついでにか、それまで見ていなかったものが見えた。 女を取り巻く赤い枠――紅殻の格子のような――いや、違う。 「‥あああああ!!」 その瞬間、辺りを撫でるばかりだった指が充血したクリトリスをいきなり擦り上げた。 「あっ、あっ、あ‥やぁ‥ああ、んんっ‥!!」 電流のような快感が下半身から全身に駆け巡り、私はそのまま床に倒れ込んだ。 気が付いたのは翌朝で、私はほとんど裸でフローリングの床に横たわっていた。 「‥ない」 まず最初に確認したのは、昨夜あの女がいた場所だった。 いや女もそうだが―― 続いて小物の棚に目をやると、小さな姫鏡台は置かれたままの場所にきちんとあった。 「でも―――」 昨夜、目の前にあったのだ。 それも普通の大きさで。 立ち上がろうとすると身体の節々が痛かった。 頭もぼんやりして、会社に欠勤の電話をかける事くらいしたできなかった。 べとべとの体で布団にくるまっていると、携帯が鳴り出した。 「会社に電話したら休んでるって言うから」 沙耶だと分かると少し悩んだ。 「うん‥風邪ひいた」 やっぱり言わないでおこう。 怒るに決まってる。 「風邪? オール学級閉鎖でもインフルエンザが寄り付かないあんたが?」 この女の辞書に気遣いという文字はないのか。 「もう小学生じゃないんだから‥何?」 「カブールがね、何か知らないけどあんたに連絡取れって言うから」 「うっ‥」 ほんの少し、頭がはっきりした。 『カブール博の首』がまた戻って来ているのか。 「べ‥別に何もないよ、微熱があるくらいで。ずっと寝てるし」 「本当に? あたし明日から京都行くから呼んでもいないよ?」 「大丈夫だってば‥」 同じ言い訳を繰り返して通話を切り、布団の中で頭を抱える。 (やばいかもなぁ‥) それでも、軽々しく説明できるような話ではない。 私にも恥はある‥ 恥があるという事は、内心それを歓迎していると知られたくない事でもある。 (来た‥) 夜の訪れ、幽かな三味線、あえかな歌声。 三日も経てば姫鏡台が普通サイズで現れる事も、初めは鏡の中だけだった女が生身を持って触れてくる事も気にならない。
■姫鏡台・5 「‥お姐はん、嬉しおす」 さらりとした黒髪が頬を撫でる。 「ずうっと待っとったんどすえ、長いこと」 ベッドに仰向けに横たわる私に跨り、赤い襦袢を肩から滑り落として女が囁く。 身体の重みも温かさも普通の人間と変わらない。 肌は白いが生きている人間のものだ。 怖いという気持ちはなかった。 女の指がパジャマの上から身体を撫で、乳首を探り布越しに愛撫する。 私の腰の辺りに跨る女の秘所は既に熱く潤い、溢れている。 「姐はんの意地悪‥」 私のパジャマの前を開きながら女が呟く。 「恥ずかしいの我慢してあんなに誘わしといて‥まだ焦らさはるの?‥」 乳房をきゅっと掴まれ、顔を埋められる。 指と唇と舌で丹念に撫で回され、泣きたいほどの切なさに胸が詰まる。 「分かってる‥初めての時もそうやった‥教えてくれた時‥」 女の唇が片方の乳首を包み、音を立てて吸う。 その間にもう片方は女の指に絡められ、ますます硬くなっていく。 「あっ‥」 「気持ちいい? 姐はん‥気持ちいい?」 絶妙な舌使いと指使いに身体が浮く。 くすぐったいのと快感とで言葉にならない。 「ああ‥お姐はんのおっぱい、美味しい‥」 「ああ‥」 私も手探りで女の乳房を掴み、闇雲に揉みしだく。 乳首は既に硬く尖り、摘むと女の全身が痙攣した。 「私にも‥頂戴」 女は呑み込みも早く、互いの乳房が顔に当たるように身体の向きを変える。 私達は赤子のように互いの乳首を吸い、舐め合い、甘噛みして喘ぎ合う。 「‥んっ‥ん‥」 互いの身体は重なったまま次第に下りていき、女は私の、私は女の股間に頭を挟んだ。 「はあ‥」 互いに太ももを抱き手の平を這わせ、ほとんど同時に舌を伸ばす。 鼻先をぬめる繁みに埋め、一心不乱に舌先を動かす。 「ああっ―――いい‥!」 言葉とは裏腹に逃げようとする腰を両腕で抱きすくめ、硬くなったクリトリスにむしゃぶりつく。 「気持ちいい‥」 勝手に腰が動いてしまう快感の中、死んでもいいと私は思った。 「うちも同じえ」 心でも読んだのか、身体の下の方で女が答えた。 「どんな客に抱かれても嫌なだけやった―――お姐はんだけや。ずっと、ずっと」 喘ぎやよがりとは違う、童女のような声だった。 快楽がひたすら募る中、頭の片隅の醒めた部分がそうか、と呟いた。 そこまで言ってくれる人があるのなら、我が生涯に一片の悔いなしでも有りかもしれな‥ 「なっ―――」 女が何か言った気がした。
■姫鏡台・6 それと同時に覆い被さっていた女の身体の重みと温もりが消え、私はうつ伏せにひっくり返された。 だが、すぐに背中に重みを感じた。 いく寸前だったので不満だったが、背後から乳房を掴まれてまた我を忘れた。 「ああ‥」 それまでとは違う、性急で激しい愛撫だった。 唇がうなじを這い耳朶を噛み、 やや乱暴に背後から乳房を包み乳首を弄る。 荒い息遣いが背筋を滑り、お尻の谷間から熱く奥に入り込む。 「あ‥ああ‥」 どうなってるの? そこは違う――どっちが舌で、どっちが指なの? いやどっちでもいい―― 「だめ‥もう、だめ‥」 後は言葉にならず、全身が痺れて、弛緩した。 我に返った時、私がいたのは死後の世界ではなかった。 いや、ある意味、三途の川を渡って獄卒に閻魔様の前に引き据えられたのに等しい。 日頃から喫煙厳禁の部屋で黙々と煙草をふかしているのは沙耶だった。 「なんで‥京都‥」 「買い付けるようなものがなかったから」 相変わらずのにべもない口調。 しかし、ベッドに腰かけるその足元を見て、私は凍りついた。 「だからやめとけって言ったのに、全くあんたは‥」 あの姫鏡台(買った時サイズ)がぺしゃんこに潰れている。 いや、潰されている。 「これは朱漆じゃないよ。多分、血」 沙耶の淡々とした言葉に私は目をむいた。 「あと、鏡の裏」 言われるままに目をやると、割れて粉々になった鏡の台座に小指の先ほどの黒い絹糸の束のようなものが貼り付けてあった。 ―――これは、説明して貰うまでもなく、髪の毛だ。 「心中物の芝居が流行った頃‥元禄くらいの物だと思う。想い人の形見か、心中立ての証に互いの血や髪を仕込んだ物かは分からないけどね」 姫鏡台の残骸を見下ろしながら私は呟く。 「近松の浄瑠璃を聞いたわ、女の」 「そりゃ、場末の遊女でも唄えたでしょうね。当時は歌謡曲みたいなもんだから」 「最初から分かってたの?」 沙耶は横を向いた。 「生々しくて嫌だと思っただけよ、今も気分悪いわ‥それよりあんた、服着たら?」 そこで初めて、自分が裸だと気がついた。 姫鏡台の残骸(沙耶が踏み壊したらしい)を焚き上げてもらった帰り、ふと聞いてみた。 「そう言えば沙耶、あの時あたしの前にお風呂使った?」 「はっ?」 自分の店の玄関先で、沙耶は敷居にけつまづく。 「なんで?」 「風呂場の床に泡が残ってて転んだから」 「す‥すいません」 そのまま店の奥へ行こうとすると、がっしり肩を掴まれた。
■姫鏡台・7 「どこ行くの?」 心なしか真剣な声に私は眉をひそめる。 「いや、カブール帰ってるんでしょ? 助けて頂いたみたいだからお礼言わなきゃ」 「言わなくていい!それに店じゃなくて蔵の金庫に入ってるし! 最近税関厳しいし!」 何度売っても戻ってくる、そもそもはアフガンのカブール博物館の収蔵品の仏頭。 私は話はできないが、沙耶にはできる。 沙耶に言わせれば相当にたちが悪い生臭仏だが、 険しい峠を越えて盗品を売って生活する現地の人達のために何度も売られ、 国に返還されてもまた盗まれて売られてくるというのはかなり有り難い仏様なのではないかと私は思っている。 補足すれば、沙耶はこの店の実の娘ではない。 先代もそう。 初代が曰く付きの品物で恐ろしい目に遭ったとかで、それらを見分けられる子供を養子に貰うのがしきたりで、沙耶もまた先代の実子と交換された。 思春期に家出して実家に戻った時、小さな工場をやっている実家で両親と、自分と取り替えられた息子に深々と頭を下げられたと聞いた事がある。 沙耶のとっつきの悪さ、近寄り難さはこの辺から来ている。 よその骨董店からは呪物扱いされるカブールとの付き合いもその時分かららしく、 沙耶には数少ない知己というか守り仏ではないかと思うのだが、沙耶は頑強に否定する。 「金庫なんて可哀想じゃない、出してあげなよ」 「売るまで出さない!」 何をむきになっているのか、まるで分からない。 お礼を言うつもりで来たのだからと店の奥に向かって手を合わせ、少しだけ姫鏡台の女の事を考えた。 ‥想い人との愛の誓いの証なら、一人で、わざわざ外に出てくる必要はなかっただろう。 けれども最後の時、自分を抱いていたのが別の女に変わったような気がする。 あれは気のせいだったんだろうか?
完 面白かったらクリックしてね♪