| 雨の中を走ると、自分が小型のクジラになったみたい。
雨の日の運転は、四角いクジラになったみたい。
「ここ曲がってからは?」
「まっすぐよ」
見慣れた道だったので、オッケイです。と返事した。
泣いた後の顔は、パリパリして気持ち悪い。
あたしは、そういうのを無償に思って言った。
「洗顔したい。ものすっごく洗顔したいかも」
ハツエさんが気味悪そうに言う。
「誰もシイナのグチャグチャした顔なんて見ないからいいわよ」
「ひっどいなぁ」 「そこ右。」
「え?ここ右なの?」 「そうよ」
あたしの友達の店がある近くだった。
ヒキチは生きてるかな。
店の前を通り過ぎそうなので、見えるかもしれないと思った。 もうシノさんは、おなかが膨れているかもしれない。
と、あたしは懐かしくてその店の一部が見えた時、じんわりと思う。
「そこの緑色のとこね。教えてもらったお店なの。」 「え!?ここ?」
そうよ。と、ハツエさんが言う。
「ここあたしの友達の店」と教えた。
「え?そうなの?」
やたらとイライラするのは、車を止める場所がものすっごくクランクなことだ。
「駱駝よ?」 「うん、ラクダ」
「友達って?」 「普通に友達」
「何だそうなの?」 「うん、あ、でもあたしはね、男も平気」
「何いってるのよ・・」 「え!?そういうことじゃないの?」
「まあいいけど」
「ちょっと・・・」
「なに。」
エンジンを止めてから、2秒、シーンとして、あたしとハツエさんは見詰め合ってしまった。
あ、そうなの?ねえそうなの?ちょっと!ちょっと!という感じで、見詰め合って、途端に爆笑する。
「何だそうだったの?ねえ!ちょっと!」
「えー何ーもー」
お互い同じ世界にいたことを、突然知ると、こんなに嬉しいものだと思う。
そういうの、ちょっと、当然じゃなくて必然でもなくて、特殊になっちゃう、外の世界。
あたしはいつもそこで吐いてる。
「何だバカみたい」と、ハツエさんはクックックと歯を合わせたまま笑って、あたしの少し前までの時間と言葉と心の様子なんかをを振り返っているに違いない。
「バカって」
「バカ」
両足を揃えて車から伸ばして降りたハツエは、あたしの肩でも叩く代わりのように、ドアをバタンと閉めてみた。
「そうねーシイナは男より女って感じだものねー」と、店のドアに手をかけてハツエさんが笑った。
「あたしをレッサーパンダみたいに扱わないでよ」と、あたしもニヤニヤして言い返した。
女好きだと白状すると、みんな残らずあたしを檻の中に入れて眺めようとするんだから。
そういうの、慣れたけど、かゆい。
それよりもっとかゆいのが、面白がるより、納得されることだった。
シイナなら、そういうのありかも。シイナなら、おかしくないかも。
あたしなら、女を好きになっても、おかしくないってさ。
納得されることの、気持ち悪さは、痛みでも悲しみでもない、無駄な、かゆみ。
「そんな可愛い生き物じゃないから安心しなさいよね。」と、ハツエさんがチリリンとドアを開けた。すると。妊娠した人がいた。
「シイナ!」
店内は夕方を越えて、集まった人間でぎっしり賑わってた。
あたし達と全く同じ色ではなくって、もちろん男、もちろん女。
「ねえシイナが来た!」と、ヒキチ奥さんのシノさんが騒ぐ。
少しだけあたしをジロジロと見る数人が居て、でも平気だった。
ハツエさんが口を開いた。
「こんばんは、早利の電話で一度お話させて貰ったんですけど。」
「あ・・・」と、ヒキチの奥さんが口を丸く丸く、丸くして、「あ。」と言う。
「一度来てみたくて、突然だけどよかったかしら」と、ハツエさんが丁寧に挨拶をしていた。
「ああ!サリーの!」と、シノさんはまたうるさい。そして可愛い。でも。
早利?
サリー?
あたしはカウンターに座って、奥で鍋を振り回しているヒキチを探した。
ハツエさんは、微かにホっとして、あたしの隣に座る。だけどあたしはちゃんと気付いてあげていた。
そのホっとするのを、気付いてあげていた。
「お昼に来てました」と、花の匂いのするお茶を出してくれながら、奥さんがハツエさんに言った。
「え?そうだったんですか・・」と、ハツエさんの少しビックリしたようなガッカリしたような顔が市子に見える。
あたしは手元のお茶を顔に近づけた。
温かい匂いが顔に触れて、優しい舌で舐められてるみたい。 市子がよく、ふざけてあたしの顔をそうしてたように。
「夜も来るって感じもしてたけど、あ!」
「え?あの人そう言ってたんですか?」
「一緒に連れてくるって言ってた人ってあなたのことじゃな・・」「え?聞いてないかもしれない」
奥さんは、「あ、何だか、やっちゃった」という顔で言うのを止めた。
ハツエさんはニッコリしている。
要するに、ハツエさんの恋人だか何だかが、ここに昼間きていて、夜も誰かと同伴で来るって。
そういうことだったかな。
でもハツエさんじゃないって。 なんか面倒なヤツだよね。
でもあたしも大概、面倒なヤツなので、そんなこと思ったって、そこだけ口にしない。
「ええと、仕事関係の人だったりするかも」と、奥さんが意味の分からない言い訳してる。
「いいの。慣れてるから」と、ニッコリとハツエさんは笑って言った。
大人だ、と思う。
別の女とどうにかしてる恋人を、どうにか出来る女って、多分ハツエさんのことだと思う。
市子は、あたしをどうにか出来てた。
あたしも市子をどうにか出来てた。
なのに、どうにか出来なくて、どうにもならないことになると、呆気なく終ったの。
市子はどうしてるんだろう。
さっき泣いて飛ばしたものが、実はまだ残ってる感じがした。
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