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■20150 / inTopicNo.81)  第一章 さくらいろ (68)
  
□投稿者/ 琉 ちょと常連(75回)-(2007/10/08(Mon) 00:18:46)
    「それでは、お手元のグラスをお持ちください」
    杏奈の声かけで、ようやく乾杯の合図に移った。
    今日の式典は、午後の授業を穴埋めして行なわれる予定のため、
    一年生は昼休みのうちに清掃や帰りのホームルームを終わらせる。
    昼食は、温室で生徒会から提供されるのだ。
    結果…目の前の大規模な立食パーティーが実現したのだった。

    汚れるといけないという配慮から、
    体育着で来ることを義務付けられている新入生たちは、
    思いおもいに好きなものを食べ、語らっている。
    一見、とても微笑ましい光景にも見えるが、
    それまでの舞台裏を知っている和沙は、何はともあれ
    無事に進行していくことだけを願っていた。

    もう一時か…

    時計を見ながら、昼休みに集合したばかりの温室を思い出す。
    開始四十五分前だというのに、まだ飲み物が到着していないだとか、
    照明に不具合が見つかっただとか、一年生の誘導係が急遽欠席して
    足りなくなっただとか、実はアクシデント続きで一時は開催も危ぶまれたのだ。
    それから、真澄の指示をはじめ生徒会役員の的確な動きで、
    どうにかこうにか時間に間に合わせたのだった。
    和沙と希実も、最後のセッティングの見回りと一年A組の誘導を任されたりして、
    ちゃっかり『生徒会』の印字が施された腕章をしていたりする。
    一年とはいえ、すっかり身内扱いになっている二人は、
    もちろん体育着ではなく制服を着たままだ。

    あ〜ぁ…

    円滑に式を進めていくには、時としてアシスタントのように
    力仕事を要求されることがある。
    先ほどから、その役を任されっぱなしの和沙と希実は、
    そろそろ自分たちの制服が汚れてくるのが気になっていた。
    真新しいブレザーにうっすらと茶色い土気色が目立つのは、
    プランターを持ち上げた時にでも付着したのだろうか。
    「クリーニングはしてあげるから」
    と言っていた真澄の言葉を信じてはいるが、
    この制服…一式をそろえるだけでも相当な値段がするため、
    もしものことを考えると不安になるのだ。

    パサ…
    式典の進行表が記されている紙を、
    和沙はカンニングペーパーのように取り出してみた。

     開会の挨拶
     乾杯音頭
     立食会
     クラシック・コンサート
     記念品贈呈
     合同植林
     閉会の挨拶

    今は立食会だから…
    まだまだ先は長そうである。
    「和沙、私たちもお昼ごはんにしよう」
    和沙はそれを再び小さく折りたたんでポケットにしまいながら、
    希実の声がする方向へと駆けていった。
引用返信/返信 削除キー/
■20162 / inTopicNo.82)  第一章 さくらいろ (69)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(76回)-(2007/10/11(Thu) 22:41:28)
    所定された席は、簡易キッチンのすぐ側だった。
    水廻りという、汚れやすい場所を招待した観客に
    見せたくないのはもっともである。
    和沙がちょうど着席しようという頃、
    温室の中央の方から何やら弦楽器の音が聞こえた。

    あれは…?

    調和のとれた音色に、気品ある響き。
    それは、間違いなくバイオリンの奏でる音だった。

    「ただ今より、クラシック・コンサートを行います。
    演奏するのは本校管弦楽部の皆様です。
    ご歓談中のところ恐れ入りますが、
    春の調におくつろぎいただければ幸いです」
    すかさずマイクでアナウンスが流れると、
    ほどなくして演奏会が始まった。

    さっき椅子を運ばせたのはこのためだったのか…

    いつも使っているベンチでは数が足りない。
    そのため、急遽パイプ椅子を運んで中央ホールを形成させたのだ。
    演奏している者の人数としては小規模だが、
    その場はまるで小さなオーケストラボックスへと様変わりしたようだった。
    そして、それをさりげなく盛り上げるのは、聴いている生徒たち。
    さすがはお嬢様学校と言い表すべきか。
    誰一人として、退屈そうな表情を浮かべている者はいない。
    みなうっとりとした顔をしながら、静かに聴き入っていた。
    優雅な空間だった。

    あ、この曲は…

    聴いたことがあるかもしれない…
    和沙はいわゆる英才教育と呼ばれる特別な習い事は受けていない。
    それでも、今流れている音楽には聞き覚えがあるのだ。
    あれは、そう確か小学校の給食の時間。
    放送室から流れるその曲を聴きながら食べるのが、毎日の日課だった。
    六年間の記憶とは恐ろしいもので、
    刷込みのように聴いていた楽曲というのは
    当時の思い出を鮮明に呼び戻してくれる。

    「アイネクライネナハトムジークよ」
    「へ?」
    突然、横からあいね何とか…と聞かされて、
    和沙はとっさに寝ぼけたような返事をしてしまった。
    「モーツァルトの代表曲の一つね。
    演奏しているのは有名な第一楽章」
    『モーツァルト』とか『第一楽章』とかいう単語を聴くと、
    そういえば音楽の時間にも習った覚えがある気がしてくるから不思議だ。
    ご丁寧にも教えてくれたのが、隣に居る真澄だということが
    腑に落ちないのだが、それでも一応訊いてみた。
    「この曲は先輩がリクエストしたんですか?」
    噂では、一年時に合唱部、吹奏楽部からのスカウトも
    多数目撃されている彼女である。
    相当の音楽通であると推測される生徒会長ともあろうお方が、
    この学校の生徒だったら誰でも知っているこんな名曲など
    リクエストするはずない…とすら思っていたのに。
    「そうよ」
    真澄はサラッと肯定した。
    ええっ、と和沙が反応する前に演奏曲が変わった。

    あ、これ…

    和沙は次に流れてくる曲にも聞き覚えがあった。
    というか、おそらくこの曲は、
    最近のテレビコマーシャルでもおなじみの曲だろう。
    曲調が遅いクラシックの曲の中では、比較的耳に残りやすい名曲だ。

    演奏会は、和沙でも知っている著名な作曲家のオンパレードで、
    時々聴いたことがない…たぶんマニアックだろう曲目を披露していた。
    「あのう…何で有名な曲ばかり…」
    和沙は、たどたどしくも自分が知りたいことを要約して真澄に話した。
    「音楽は万国共通って言うじゃない?」
    得意気に笑う真澄の顔が、和沙には今だけ眩しく映った。
引用返信/返信 削除キー/
■20164 / inTopicNo.83)  第一章 さくらいろ (70)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(77回)-(2007/10/12(Fri) 01:24:45)
    ほどなくして、演奏会は終了したが、
    立食会はまだまだ続くということで、
    会場の温室は未だ熱気に包まれていた。

    「じゃあ、私はご挨拶に伺ってくるわね」
    そう言って真澄や役員たちは、食事もほどほどに早々と席を立った。
    聞けば、懇意にしている会社のご令嬢や取引先の重役の娘が
    多数出席しているという。
    彼女たちはすでにこの歳で名家の看板を背負っているのだろうか。
    だとしたら、頭が下がる。
    特に、真澄がポケットから取り出したメモの端書きのようなものには、
    チラッと見えただけでも何十人という個人が連名されていた。
    ブルジョア階級とは縁がない家庭で生まれ育った和沙は、
    その後ろ姿をぼんやりと見つめながら、
    クリーニング代がちゃんと支給されるかどうか聞けばよかった…
    などと考えていた。

    飲み物を取ってくるという希実と入れ替わりで、
    一仕事終えたような表情で杏奈が戻ってきた。
    「先輩はどちらに…?」
    ご両親が公務員だという杏奈は、いっちゃあなんだが
    どちらかというと和沙と近い立場にあるはず。
    だから、特に挨拶する相手など居るのか和沙が疑問に思うのは当然だった。
    「ああ、父が勤めている外務省の上司のお嬢さんと、
    母が勤めている文部科学省の部下の娘さんに、ちょっとね…」
    公務員は公務員でも彼女の家庭の場合、キャリア組だった。

    「ホラ」
    杏奈が指差す方向には、希実が今まさにジュースが入ったコップを
    二つ持った状態で、一人の女生徒に声をかけられているところだった。
    「あれは…?」
    「たぶん…お父様が経営する会社の下請け会社か何かのお嬢さんでしょ」
    「えっ?」
    和沙は眼を激しく瞬きさせた。
    それもそのはず。
    いま耳にした情報は、全くをもって初耳だったのだから。
    「希実って…社長令嬢だったんですか?」
    「知らなかったの?」
    和沙と杏奈は、それぞれお互いの顔をまじまじと見つめて驚いた。

    「ごめん、遅くなって」
    希実が再びテーブルへ戻ってきたのは、
    それからさらに数分が経過した頃だった。
引用返信/返信 削除キー/
■20165 / inTopicNo.84)  第一章 さくらいろ (71)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(78回)-(2007/10/12(Fri) 01:47:49)
    「ねえ、何で教えてくれなかったの?」
    これでもう三回目の質問だ。
    「だーかーら、隠していたんじゃないってば」
    希実もさすがに疲れたように繰り返す。
    思い起こせば、希実と出会ってから早二週間近く…
    最初に特待生同士として打ち解けたことが、やはり一番大きな原因だろうか。
    特待生=一般人という図式が、和沙の頭の中ではいつの間にか
    当たり前になっていた。
    けど…
    「あのね、うちの親父の会社なんて
    本当に小さい事務所みたいなもんなんだから…」
    そうは言っても、先ほどあの同じ一年生から挨拶をされていたじゃないか、
    と和沙が問いただした。
    「ああ、あの子は確かにうちの下請け会社の娘さんだけど、
    下請けっていってもほとんど独立してるし、
    他からも受注があって繁盛しているみたいから、
    むしろあっちの会社の方が大きいんだって」
    もうほとんどうちが下請けしているようなものかも、なんて希実は笑った。
    「そっか…」
    何となく言いくるめられてしまったような気がしないでもないが、
    とりあえず彼女が言うにはそういうことらしい。
    「そうだよ〜。私の家だって、百合園の学費なんて無理だって。
    …だって、きっと払ってくれないし…」
    まだ何か言いたそうで、それでいてどこか苦しそうな表情の希実は、
    大声でこの話をやめにするよう打ち切ってしまった。

    …希実?

    その時の和沙は、まだ希実が考えていることなんて
    さっぱり分からないでいた。
引用返信/返信 削除キー/
■20166 / inTopicNo.85)  第一章 さくらいろ (72)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(79回)-(2007/10/12(Fri) 02:00:20)
    ハァ…
    和沙は、お手洗いの鏡の前で大きなため息をついた。
    時間が経つにつれて、何だか自分が場違いなように感じてしまうからだ。
    これまでずっと特待生は自分と似たような境遇だと思いこんでいた。
    けれど、ご両親はエリート官僚だという杏奈に、
    実は父親が会社を経営しているという希実。
    こんな風に、生徒会に関わる錚々たる顔ぶれを思い浮かべると、
    ふと、自分の両親のことを思い出してしまう。
    厳格だけれども心強い父は、中堅企業の係長をしている。
    それを支える母は、ごくありふれた専業主婦だが、
    躾には厳しく、でも評価してくれる時は人一倍誉めてくれる。
    中学までは、そんな両親を引け目に感じたことは一度もなかった。
    公立だったし、周りも似たような家庭ばかりだったという環境も大きいだろう。
    両親のことは、今だって誇りに思う気持ちに変わりはないが、
    いかんせんこういう学校である。
    ごく普通に学園生活を送るならともかく、
    生徒会候補生になって学校の中心として働くとなると、
    学年主席というだけの肩書きに自信がある、といえば嘘になる。
    候補生の人選に異論と唱える生徒が多数出てくるかもしれないし、
    また批判まではいかなくとも、華やかさに欠けるメンバーだと
    揶揄されるくらいのことは予想にかたくない。

    でも…

    生まれながらの家柄ってどうにもできないし…
    和沙は、努力してもどうにもできないことで悩むのが嫌いだった。
    努力さえすれば、世の中の全てが報われるわけではないことは重々承知の上だが、
    それでも出身とか性別とか容姿とか根本的にどうしても変えられない性質に対して
    とやかく言われるのは、納得がいかないのもまた事実。
    そして、もし自分が候補生への推薦を辞退すれば、
    そのことを認めているようで癪なのだ。

    候補生抜擢の話を断る理由がふさわしくないからなんて、絶対に嫌!

    それが、和沙が出した結論だった。

    和沙が手を洗いながら悶々とそんなことを考えていると、
    鏡の向こうの時計はもうすぐ二時半になろうとしていた。
    二時半からは、生徒会が贈呈する記念品を授与する
    手伝いをしなくてはならないのに。
    ちょっと席を離れて休憩に来たつもりが、
    このままではまた真澄の恰好の餌食となってしまう。

    急がないと…

    和沙が慌てて出入り口の扉を開けようとした瞬間に、
    外からこちらへ入ってくる者がいた。
    「おっと」
    幸いにも、扉は外側へ開くタイプだったから惨事は免れたが、
    向こう側の人も焦っていたのか、和沙の懐に入るようなかたちで
    ぶつかることだけは避けられなかった。
    「ご、ごめんなさい」
    双方で謝ると、思わず相手の顔を確認してしまう。

    ん…?あれ、この子どっかで…

    和沙よりも身長が低く、かなり小柄なその女生徒は、
    先ほど希実に話しかけていたまさにその人だった。
    「あ、大丈夫ですか?」
    思わず和沙が尋ねてしまったのは、ぶつかった衝撃を心配してではない。
    その生徒の顔色があまりに蒼白く、体調を気遣ってのことだ。
    「平気です、すみません。
    薬を飲み忘れちゃっただけなんです」
    そう言って微笑む彼女は、再び急いで洗面台へと懸けていった。
    和沙の方も急いでいたこともあり、
    振り返ることなくお手洗いを後にした。
引用返信/返信 削除キー/
■20169 / inTopicNo.86)  NO TITLE
□投稿者/ スマイル 一般♪(3回)-(2007/10/13(Sat) 10:55:17)
    琉さん
    更新されて、ソレを読んでいくたびにドンドンとこの物語にハマっていきます(>_<)
    そして、琉さんが書いてくれていた点にも注目していますぅ!本当、どんな展開になっていくのか楽しみでしかたありません(*≧m≦*)
    頑張って下さぃね!

    (携帯)
引用返信/返信 削除キー/
■20171 / inTopicNo.87)  スマイル様
□投稿者/ 琉 ちょと常連(80回)-(2007/10/14(Sun) 01:25:46)
    こんばんは。コメントをありがとうございます。
    今さっき、ようやく第一章を書き終えました。
    これから順次アップしていきますね。
    自分では面白おかしく書いているつもりなんですけど、
    もしラストがご期待に添えなかったら…ゴメンナサイ。
    よろしければ、第二章にもお付き合いいただくと嬉しいです。

引用返信/返信 削除キー/
■20172 / inTopicNo.88)  第一章 さくらいろ (73)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(81回)-(2007/10/14(Sun) 01:34:36)
    「どこ行ってたの?」
    お手洗いから戻ってきた和沙に、真澄が怒ったように尋ねた。
    「あ、すみません。ちょっとお手洗いへ…」
    嘘をつく必要はないため、和沙は正直に話した。
    「ほら、そこの陶器を台車に乗せてちょうだい。
    和沙はA組へ、希実ちゃんはB組のアシスタントをしてね」
    言われた方向を見ると、なるほどガーデニングでよく利用される
    彫刻などがあしらってある可愛らしい陶器の入れ物が山積みになっていた。
    昼休みの打ち合わせでは、これが記念品だということらしい。
    この茶色い陶器に、事前にアンケートで調査をしていた
    人気の高い花を用意していて、それぞれが好きな花を
    自由に植えていくシステムのようだ。
    おそらく、コンセプトとしては、これから花開く蕾のように
    学園生活を謳歌してほしいということだろうか。

    百合園は一学年に四つのクラスがある。
    そのため、A組から順に生徒会長、副会長、書紀、会計の四人の役員が、
    それぞれのクラスの指導係に配属される。
    一人で約四〇人の生徒をまとめあげるのは非常に困難であるため、
    その補助役として和沙と希実、それに二人の栽培委員会が宛がわれた。
    すでに陶器以外に必要な花や土や小石、スコップなどは
    生徒の目の前にある作業机に準備されてある。

    出席番号の順番で四クラスの生徒が横一列に並んでいる様は圧巻だが、
    全員に記念品を授与していくのは結構手間がかかるのだ。
    「はい、どうぞ」
    役員が、一人またひとりと手渡ししていく。
    「あ、ありがとうございます」
    普段はあまり間近で見られない役員を目の前で拝めることもあり、
    ほとんどの一年生は緊張のせいか、声が上ずっていた。
    中には、憧れの生徒会役員と対面できたことで
    感動のあまり泣き出す生徒も出たり、
    役員の手に触れたことで喜びの奇声をあげる者もいた。
    何にせよ、初々しいものである。

    「まあ、大変」
    突然、とある生徒の前で真澄が手を止めた。
    その生徒は、自分が何かしてしまったのかな…
    という不安げな表情をしている。
    「髪がお顔にかかってしまっているわ」
    そう言って真澄はその生徒の顔に触れ、
    丁寧に髪の毛を拭うように払いのけた。
    「素敵な髪型ね。はい、これどうぞ」
    これぞ極上の笑みといった笑顔を浮かべながら、
    真澄は次の生徒へと移っていった。
    当然、その生徒は今にも卒倒しそうなほど顔を赤らめて
    ペコペコと何度もお辞儀をしながらお礼を言った。

    おいおい…

    本当に外面だけは完璧なんだから。
    白々しい目を向けながら、和沙はこれで自分にも
    もっと親切にしてくれたらな…と諦め半分で願ってみた。
引用返信/返信 削除キー/
■20173 / inTopicNo.89)  第一章 さくらいろ (74)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(82回)-(2007/10/14(Sun) 01:40:33)
    「あ、ほら和沙。もう残りが少なくなってきたわよ」
    手元を見れば、乗せていた陶器は、確かにもうあと三個しかなかった。
    一度に台車で運べる数は限られている。
    だから、足りないあと約半分はちょっとずつ補充していくしかない。
    「取ってきますから、ここはお願いします」
    そう答えて、和沙は走って向かった。
    「慌てないでね」
    壊れやすい物なのだから…と真澄が忠告していたのは
    気のせいではないはずだ。

    「一、二、三、四、五…っと」
    一回に持ち運べるのは、五個が限界のようだ。
    何ていったって、壊れやすい陶器なのだから、
    慎重な取り扱いが要求される。
    和沙は、ふと視界に映った室内をグルッと見渡してみた。
    思ったよりも、結構人が来ている。
    歓迎会の出席は強制ではないというのに、
    むしろいつもの授業よりも出席率が良く感じるのは何故か。
    各学級の生徒たちは、他愛ないお喋りで盛り上がったり、
    勇気を振り絞って役員に話しかけてみたり…と
    各自がそれぞれで楽しんでいるようだった。
    そんな中、誰か一人の生徒が温室に入ってくることに気がついた。
    誰かと思いきや、先ほどお手洗いですれ違った彼女だった。

    あ、戻ったんだ…

    まだ顔色は優れないようだったが、それでも薬を飲んだら
    少しは症状が和らいだのだろう、と解釈して、
    和沙は今度はゆっくり歩いて真澄のもとに向かった。
引用返信/返信 削除キー/
■20174 / inTopicNo.90)  第一章 さくらいろ (75)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(83回)-(2007/10/14(Sun) 09:45:06)
    「それでは、ただ今から実演を行ないますので、
    生徒会役員の手元にご注目ください」
    真澄がマイク越しに指示を出す。
    ただ、両手が塞がれているので、先ほどまで使用していた
    通常のスタンドマイクではない。
    ワイヤレスタイプの接話型マイクだ。
    コールセンターの人たちが身につけているアレである。
    どこに隠してあったのかは知らないが、
    備え付けのスピーカーまで完備して、音響性は抜群だ。
    昨日、和沙がここを訪ねてきた時には、広くて
    反響しにくい場所だと思っていたのが一変…
    いまや音楽室や視聴覚室に続くシアターのようだ。
    さすがお金の使い方が違う。
    今度もし温室で迷うようなことがあれば、
    ぜひともあのマイクを借りたいものだ。

    飛行機の客室乗務員が離陸前に緊急着陸態勢の器具解説をするように、
    真澄は丁寧に説明をしていった。
    「まず、気に入った花を選んでください。
    ここでは、このパンジーを使用することにします」
    そう言って、役員たちは一番近くにあるパンジーの花を持ち上げた。
    「次に、陶器の中に小石を数個投入します。
    容器の底をご覧ください。
    小さな円形の穴が確認できるはずです。
    これは、中の温度や湿度を調節するためにあるものですが、
    そのままではここから土が漏れるため、それを防ぐために行います。
    できたら、土も少量は入れておいてください」
    説明通り、引き続き山盛りにされた青い小石を数個取り上げ、
    陶器の中にパラパラと入れていく。
    その上にスコップですくいあげた少しばかりの用土も一緒に入れた。
    「最後に、ここが一番重要なのですが…
    備え付けの黒いビニールポットは、
    そのまま無理に引き抜こうとはしないでください。
    勢いで中の土壌部分が崩壊したり、下の重みに耐えきれなくなって
    茎ごと折れてしまうおそれがあるからです。
    ポイントとしては、まず指の間に茎や蕾を挟みこんで、
    そのまま逆さにして、穴から指を差し込みます。
    すると、重力がかかった圧力で自然にポットが取れますので、
    それを素早くもとの位置に戻しながら、陶器に収めてしまいます。
    後は土を上からかぶせるように満遍なく敷きつめたら完成です」
    さすがは、現役の栽培委員長である。
    手際良くこれぞ見本といった身のこなしで処理していく。
    しかしながら、この最後の作業は、若干のテクニックが必要になってくる。
    要するに、初心者には少し難しいのだ。
    昼休みに必死に練習していた和沙と希実は、
    特訓の成果で何とか体得したのだが、これから教えるとなると緊張もする。
    「それでは、どうぞ始めてください。
    尚、ご不明な点がありましたら、お近くの役員または補助員にお尋ねください」
    マイクのスイッチを切ってから、早速真澄は巡回に出た。
    「すみませーん、ちょっとココ分からないんですけど…」
    一クラスに二人が付いているとはいえ、四〇人もの相手を捌くとなったら大変だ。
    和沙にも、数分と経たないうちに問い合わせが殺到し、
    さながら売れっ子にでもなったかの如く左へ右へと大忙しだった。

    開始してから三十分も経過すると、さすがに要領を覚えてきたのか、
    あまり質問する生徒はいなくなった。
    代わりに、色とりどりの生花を見ては、
    紫色のパンジーが良いか黄色のパンジーが良いか、
    それともパンジーだけでなくビオラも加えようか、
    はたまた観葉植物だけのシンプルな鉢植えにしようか…などといった
    どちらかというとデザインに関する悩みが多いようだ。
    もっとも、開始してからの混雑ぶりは、一番最初に植えたい花だけは
    あっという間に決まってしまったという単純な結果である。

    生徒たちをよく観察してみると、面白いことが分かる。
    様々な草花の中で人気が高いのは、やはり小さくて花の数が多い品種である。
    逆に、アンケートで上位を占めていた品種に挑戦しようとする
    チャレンジャーは稀なようで、植え方が難しい百合や棘が苦手だという薔薇は
    かえってあまり人気がなかった。
    何はともあれ、普段はこういう土仕事をする機会が少ない生徒たちには新鮮らしく、
    当初はどうかと思った企画も大好評で幕を閉じそうだ。

    …もしかして、さりげなく委員会勧誘もしているんじゃないの?

    栽培委員会の希望者が多い、という噂は聞いたことがない。
    それは、委員長を真澄が務めているという待遇だとしても、だ。
    活動は基本的に放課後毎日。
    特に一年生は、早朝や昼休みに水撒きに駆りだされることも多い。
    …といった厳しい条件下では、単に憧れの生徒会長に接する機会が
    増える特権だけで即決してしまうのは、考えものである。
    おまけに、今年度いっぱいで彼女は卒業…なんて試練もあるのでは、
    興味本位だけでの希望者増員は絶望的だろう。
    まあ、しかし人一倍こういうことには頭のきれる真澄である。
    比較的見込みのある一年生が居たら、積極的に言いくるめて
    その気にさせるくらいのことは簡単だろう。

    「時間になりましたので、いったん手を止めてください。
    終わった方から手を洗ってください。
    まだの方はもうしばらく続けても結構ですが、
    あと五分以内に仕上げられるようお願いします」
    斎の合図で、すでに作品を仕上げた生徒たちは我さきにと
    手洗い場へ向かっている真っ最中だった。

    キャー!!!

    突然、騒音に混じって和沙の後ろ側からけたたましい叫び声が聞こえた。
引用返信/返信 削除キー/
■20175 / inTopicNo.91)  第一章 さくらいろ (76)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(84回)-(2007/10/14(Sun) 09:54:52)
    何が起きたのか、全く分からなかった。
    ただ、急に悲鳴がしたかと思ったら、途端に周囲が静まりかえったのだ。
    しかし、それも一瞬だけ。
    すぐに辺りは騒がしくなり、その場は一時混乱と化した。

    え…?何?どうかしたの?

    和沙の立っている位置の真後ろというと、B組の方向である。
    それも、随分と列の後方から聞こえてきたはずだ。

    「すみません、ちょっとそこ通して!」
    大声を上げながら、人ごみを掻き分けていくのは、
    一番近くに居た真澄と斎。
    少しの間、呆然として動けずにいた和沙や希実、
    そしてその他の役員が次にその場に向かったのは、
    それから遅れること数十秒が経過してからだった。

    人ごみを掻い潜って進むと、やがてほっそりとした白い腕が
    横たわっているのが見えた。
    …いや、違う。
    正確には、腕だけではなく、身体全体で倒れているのだ。
    「あなた、大丈夫?…聴こえる?」
    上半身を真澄に抱きかかえられても反応がないその人は、
    もはやぐったりとしていて完全に気を失っているようだった。
    「この子のお名前は?誰か知っている?」
    辺りのクラスメイトに求めるように、真澄は尋ねた。
    でも、和沙は誰かが言い出す前にその生徒の顔を見て仰天した。

    彼女…さっきの!

    和沙以上に顔面蒼白になっていたのは、横に立っている希実だった。
    忘れていたが、彼女は希実の家の取引先令嬢である。
    「須川…早苗さん」
    ボソッと呟くようにだが、希実は確かにそう告げた。
    「え?」
    もう一度聞き直そうとしていた真澄の返事を突っ切って、
    希実は彼女のもとに駆け寄った。
    「しっかりして!須川さん!」
    何度もそう言いながら、希実は彼女の肩を掴んで離さない。
    「氷田さん、落ち着きなさい」
    真澄の呼び声も、今の希実には全く聞こえていなかった。
    それどころか、次第に肩を持つ腕力が強くなり、
    彼女をユラユラと揺すっていく。
    「止めなさい」
    再三の忠告を無視する希実の頬を、真澄は平手で叩いた。

    パシン…
    乾いた音が、温室内に響き渡る。
    「落ち着きなさい」
    真澄の言葉が、和沙にも染み入るように突き刺さった。
    たぶん、冷静さを失って取り乱していたのは、この場に居る全員も同じなのだ。
    「はい…すみませんでした」
    希実の切なげな謝罪が、逆に周囲の者を安堵させた。
    例え応急処置の方法が解らなかったとしても、
    失神している人を極端に揺さぶる行為が
    おそらく危険なのだということは、きっと皆理解していたのだ。

    「良い?須川さんが倒れてしまったことで、
    周りまで騒ぐと余計な負担になるの。
    彼女が心配なのは分かるけど、まずは冷静になりなさい。
    そして、その上で自分ができる最善の処置をすることが、
    彼女を救うことにつながるのよ」
    真澄は早苗を支えるのを斎と交換して、
    立ち上がりながら、こう言った。

    何か、カッコイイ…

    生徒会長の実力を、和沙は初めて痛感した。

    「まずは、保健室に行って先生を呼んできてくれる?」
    今度は、先ほどまでの怒号とは違って、優しそうな口調だった。
    「はい、すぐに」
    そう言うが速いか、希実はすぐさま温室から出ていった。
    「和沙も一緒に行ってきなさい」
    「はい」
    真澄の命令が、今は全然嫌じゃなかった。
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■20180 / inTopicNo.92)  第一章 さくらいろ (77)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(85回)-(2007/10/15(Mon) 02:12:36)
    「希実、待って!私も一緒に行く!」
    温室を出たばかりの和沙の呼びかけが辛うじて聞こえるか…というくらいに、
    元陸上部であるという希実の俊足は速い。

    「さっきさ…」
    二人が合流して、希実が和沙に合わせるペースで、
    小走りをしていると、突如希実が話し始めた。
    「うん?」
    気分的に、和沙も誰かと話したかったので、
    その話に付き合った。
    「さっき、温室で生徒会長がああ言ってくれなきゃ、
    たぶん私ヤバかったかも…」
    神妙な面持ちで心の中で思っていることを正直に打ち明けてくれたことに、
    その相手が自分だったことに、和沙は嬉しくなった。
    「…彼女、須川さんね。ウチとは昔からの付き合いで、
    虚弱体質気味なのはもともと知っていたんだ。
    でも、彼女とても生徒会に憧れていたみたいだったから、
    今日も参加しているの見て驚いたけど、
    あんなに楽しそうな顔しているのに帰れなんて
    言えないじゃない?」
    「…うん」
    それは、和沙も薄々気づいていた。
    確証はない。
    けれど、あんなに顔が青ざめていたというのに、
    苦しいと弱音は吐かなかった。
    だからといって、気分が良かったわけはないが、
    少なからず彼女はこの時間が楽しかったに違いない。

    「あ、ちょっと、ここのお手洗い寄って良い?」
    保健室まであと少しというところで、
    和沙は急に立ち止まった。
    「うん?でも、どうしたの?」
    訳も分からず、でも言われるがままに希実は和沙についていった。
    こんな時にトイレか?と希実が訊かなかったのは、
    早苗に関することなのだろうと推測してのことだ。
    ここは、先ほど和沙と早苗が遭遇したお手洗い。
    あの時、ちょっとでも振り返っていたら…なんて後悔は、
    彼女が倒れているのを見た瞬間から湧き上がっていた。

    「やっぱり…」
    洗面台を見て一言、和沙はこう呟いた。
    「えっ?」
    和沙のやっぱりに全然納得できない希実は、怪訝な顔をしてみせる。
    すると、次に和沙はいきなりごみ箱を漁りだした。
    「和沙、何やってるの!?」
    希実の発言はもっともである。
    こんな緊急時に、友人が意味なくかつ不衛生極まりない行動を
    してみせたのだから、驚きもする。
    友の制止に耳も貸さず、和沙は薄手のプラスチックのようなゴミを
    取り出して見せた。
    よくよく見ると、それは何かの薬品が入っていただろう破けたシートだった。
    「これ、ね。一度本で見たことがある、解熱鎮痛剤。
    詳しくは分からないけど、とても強い薬だと思う。
    たぶん、副作用で眩暈を起こしてしまうくらいの」
    「何でそんなこと知って…?」
    和沙の説明に圧倒されながらも、
    希実の方はやっとでその質問を投げかけただけだった。
    「希実にだけは話しておくね」
    和沙はゆっくりと深呼吸してからこう続けた。
    「私、医学部を目指しているの」
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■20181 / inTopicNo.93)  第一章 さくらいろ (78)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(86回)-(2007/10/15(Mon) 02:23:48)
    役員たちの迅速な対応と軽い貧血だったことが功を奏して、
    早苗は保健室で緊急処置をするだけでその場はどうにかなった。
    ただ、和沙と希実だけは保険医に事情を話して、
    彼女に付き添わせてもらった。

    「歓迎会、無事に終わったかな?」
    「さあ?でも、あの人たちのことだもん。
    きっと成功させているでしょ」
    そうだね、と言いながら、和沙と希実は顔を合わせて笑った。
    時間もそろそろお開きの頃だろう。
    保健室にも窓から西日が差し込み、
    夕焼けの雲を茜色に焦がして眩しかった。

    ヒック…
    そこに、すすり泣くような音が聞こえてきたものだから、
    二人は慌てて早苗の方を見た。
    「ご、ごめんなさい…」
    安眠を邪魔してしまって謝るのはこっちの方なのに、
    何故だか号泣している彼女はひたすら謝罪を続けた。
    「あ、もう具合は良いの?」
    「何か飲む?」
    和沙と希実が代わるがわるあやすように尋ねると、
    早苗は手の甲で涙を拭うようにしてこう言った。
    「違うんです。…わ、私、生徒会の皆さんがせっかく丹精こめて
    用意してくださった歓迎会を台無しにしてしまって…申し訳なくて…」
    「あ、良いのいいの。そういうことは気にしなくて」
    「そうそう」
    一年生二人がそう慰めようしたところで、結局は説得力がないのか、
    彼女はまだ当分泣き止みそうにない。

    どうしようか困っているところに、入り口のドアから声がしたのはそんな時だった。
    「新入生歓迎会というのは、全ての新入生に喜んでもらうための会よ」
    真澄のこの一言から始まり、斎がそれに加わる。
    「新入生というのは、もちろん須川さんとその二人を含めての、ね」
    しかも、まださらに続く者がいた。
    「須川さんは、今日の歓迎会楽しくなかった?」
    「楽しかったなら、もうそれだけで私たちは最高に嬉しいな」
    杏奈にあとお一人…名前は忘れたが、とにかく会計を務めている二年生の
    総勢四年が次々と保健室へ入ってきた。
    憧れの生徒会オールスターが一堂に介したものだから、
    早苗はおろか和沙や希実までも驚いた。
    「先輩たち…えっ、何で?」
    「歓迎会の方はもう終わったんですか?」
    予想外に早い訪問に戸惑いを隠せず、
    正直な疑問が口をついて出る…が、
    その声もすぐにかき消されることになる。

    「お嬢様!」
    突然、黒ずくめのガードマンみたいな男性が数人入ってきた。
    彼らはすぐに早苗のもとに向かうと、無事を確認しては喜んだ。
    おそらく、彼女たちの世界でいうところのお付きの者だろうか。
    「お迎えに来ていただいたの。
    今日はもう、お帰りなさい」
    「はい…何から何まで、本当にすみません」
    「遠慮しないで。生徒会はそのためにあるのだから…」
    得意のハッタリか、珍しく本気で真澄が語っているかは判らなかったが、
    生徒会役員総出+αの見送りをするという申し出を、彼女も了承してくれた。

    車体がピカピカの後部座席に乗せられた早苗は、
    すぐに自動開閉式のミラーを全開にして別れの挨拶を惜しんだ。
    「須川さん?次から、こういう副作用が強力なお薬は服用しないでね。
    主治医の先生が処方してくださるお薬だけで頑張って、
    また元気な姿で登校して顔を見せに来てちょうだい!」
    いつの間に取ってきたのだろう。
    真澄は片手に例の薬を持って、早苗にそう注意していた。
    「はい」
    満面の笑顔を見せながら、早苗は最後に一つだけ、と和沙と希実の二人を呼んだ。
    「あの…今日は本当にありがとうございました。それで、その…氷田さん。
    できたらこのことは父には黙っていてほしいのだけれど…」
    少し云いにくそうに、彼女はコソッと耳打ちした。
    「ああ、もちろん」
    希実だって、すき好んで他人の秘密を暴露する趣味はない。
    特に、今回のようなあまり良い影響をもたらすとは考えにくい場合は尚更だった。
    「ありがとう。…それであとね、私、あなたたちお二人が
    生徒会候補生になってくれたらなって期待してるの。
    できたらで良いんだけど、もう少し検討してもらえないかな…」
    ヴィィィン…
    タイムオーバーである。運転手さんが、これ以上長話をさせると
    早苗の身体に毒であると判断したのか、ミラーが再び閉まっていった。
    今日初めて会った時のような無垢な微笑みを浮かべながら、
    彼女は手をヒラヒラ振りながら合図していた。

    「…だってさ、どうする?」
    須川家のお嬢様専用車が完全に見えなくなってから、
    希実がこう呟いた。
    「分かんない…」
    和沙もそっと囁くように答える。
    でも、いま言ったことは決して嘘じゃない。
    今朝までは絶対にお断り、と思っていた。
    だから、どう言い逃れして断ろうか、そのことだけに執念を燃やしていた。
    けど、半日だけ生徒会の手伝いをしてみて、
    もう少しだけ考えてみようかな、と思えたのだ。

    「おーい、君たち!打ち上げするよ〜」
    気づけば、役員はすでに遠くを歩いている。
    今日これから生徒会室にて打ち上げをするというのでお誘いを受けた。
    「とりあえずさ、打ち上げ終わってから返事をしても遅くないよね…」
    「そうだね」
    希実の提案に、和沙も同意する。
    「はーい、今行きます!」
    もう陽は落ちて暗くなり始めている静寂の中で、
    和沙と希実の声だけが伸びやかに響いた。
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■20182 / inTopicNo.94)  第一章 さくらいろ (79)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(87回)-(2007/10/15(Mon) 20:30:53)
    「かんぱ〜い!」
    チンという軽快なグラス音を鳴らしながら、打ち上げは始まった。
    いろいろあった長い一日だったけど、終わり良ければ何とやら…
    というように、みんな晴ればれとした表情をしていた。

    クリーニングは受け持ってあげるという約束通り、
    生徒会室の入り口にはランドリー用の袋が置かれている。
    制服のジャケットは脱いでそこに入れておいて、と真澄が言うので、
    和沙と希実は遠慮なくそれに自分の上着を投入した。

    ピンポーン
    と、そこに、何かが到着したことを知らせるベルが鳴る。
    室内だというのに、生徒会室前には専用のベルが装備されているのだ。
    何でも、重厚な扉に防音設備が整っているこの部屋は、
    ちょっとやそっと叩いただけでは中に居る者には聞こえないらしい。
    「二階堂様、ご注文の品をお届けにあがりました」
    「あ、はいはい…ご苦労さま」
    そう言って斎は座っていた席を経って、扉の方へ歩いていった。

    注文の品って…?

    「悪い。ちょっと澤崎さんと氷田さん、
    二人とも手伝ってくれないかな?」
    見ると、斎が何やら大量の荷物を重たそうに抱えこんでいる。
    「ど、どうしたんですか、それ?」
    早く加勢してあげた方が良さそうなこともあり、
    和沙と希実は急いで斎のもとへ駆け寄った。
    「じゃあ、専務によろしく伝えて」
    爽やかにことづけを残すと、斎は扉を閉めた。
    「二階堂先輩…これって…」
    希実が四分の一ほどの荷物を受け取りながら、斎に確認する。
    「うん、そう。実家からの差し入れ。ぜひ夕飯も食べていってね」
    そうなのだ。
    和沙と希実が預かったのは、大量の食料や飲料。
    二階堂家といえば…以前の昼食談話会を連想して、
    もしや…と思いきや、まさにその通りだった。
    「ほら、さっさとテーブルに並べなさい」
    自分の差し入れじゃないくせに、なぜか偉そうな真澄が
    横から茶々を入れる。
    「…はい、ただいま」
    しがない一年生は、何はともあれ
    三年生の指示に従うしかないのであった。
引用返信/返信 削除キー/
■20183 / inTopicNo.95)  第一章 さくらいろ (80)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(88回)-(2007/10/15(Mon) 20:40:22)
    中央の大きなテーブルが徐々に彩られていく。
    最初は、お子様用シャンパンといつものように常備してあるお菓子のみの
    打ち上げでも充分だと思っていたが、美味しそうなお惣菜に温かいスープ、
    色鮮やかなスイーツが所狭しと並んでいるの見ると、自然とお腹が空いてくる。
    考えてみれば、今日は昼休み返上で準備に携わっていたから、
    さすがに身体が空腹感を訴えてもおかしくない。
    とりあえず、全員で一応のいただきますをしてから、
    各自が自分の取り皿に料理を盛っていく。

    あのリゾット美味しそうだなとか、向こうのビーフンも捨てがたいとか、
    はたまた野菜も食べたいけど、サラダは立食会でも食べたし…などと
    和沙が考えを巡らせているうちに、ふとあることに気がついた。

    そういえば…温室の片づけってどうしたんだろう?

    早苗の件もあって、和沙が温室から出たのは
    まだ四時にもなっていなかったはずだ。
    もう六時を回ろうというのに、いまの今までそのことを忘れていた。
    一学年…約一二〇人前後の生徒が一斉に温室を退出したとなったら、
    現場は台風が去った後のようだったのではないか。
    「あのう…それで温室の方は…」
    恐るおそる、腫れ物に触るように和沙は言葉を選びながら、
    隣に座っている杏奈に話題を振った。
    「ああ、それは心配しなくて良いよ」
    彼女が言うには、今日のうちで出来る一通りの後片づけは
    済ましてきたそうなのだが、やはり全ての人数は捌ききれなかったみたいだ。
    「えっ、それで残りは…?」
    「それはね〜、明日私たちが登校して片づけとくから」
    和沙の不安も何のその、杏奈はサラッとかわす。
    それならば自分もそれに参加する、と名乗りをあげたいのも山々だが、
    いざ参加してしまった後では候補生の話を断りにくくなる。
    また、かといってこの企画の手伝いを引き受けた以上、
    面倒な後処理だけいち抜けたというのでは、卑怯な気もする。
    どう行動するべきか、和沙は次第に言い知れぬジレンマに
    押し潰されそうだった。

    「そうね…まあ、人手不足のこともあるから手伝ってほしいというのが
    本音だけれども、だからといって、今ここで候補生の件の返事をしろ、
    というのも…酷な話よね」
    いつの間に話を聞いていたのだろうか。
    口を挟んできた真澄だけでなく、この場に居る全員が箸を休めて
    和沙の方向をじっと見つめている。
    この場をどう収めたら良いのか、またどうしたら皆が納得できるのか、
    考えてはいるものの誰も解決策を見出せないでいた。
    「じゃあ、こうしない?」
    突然、斎が提案してきた。
    「澤崎さんと氷田さんには、明日あさっての二日間あげる。
    土日の休みの間、じっくり考えてきてね。
    それで、返事は来週月曜の朝に聞かせてもらえないかな。
    私たちは他にもやることがあるから、月曜の朝は
    第一体育館の裏で待ち合わせしよう。
    それで、どうかな?」
    異議ある人、と採決をとっても誰も挙手はしなかったので、
    斎の方法がそのまま採用されることになった。

    しかし、来週まで猶予期間が延びたことで
    急に寂しく感じるのは何故か。
    もしも今の和沙の気持ちを天秤にかけたなら、
    たぶん半分以上は候補生の話を受けたい、の側へ傾いている。
    決め手は今日の歓迎会だったかもしれないし、
    実はもっと前には意識しだしていたのかもしれない。
    とにかく、この決定事項が下されたことにより、
    和沙の心の内は少なくとも揺れ動いていた。
    希実の姿をそれとなく探す…が、
    彼女は未だディナーに夢中のようだった。

    でも、やっぱ…

    そういう希実との兼ね合いを調整する時間も含めて、
    役員たちの提案通り返事は月曜に先延ばした方が良さそうだ。
    …だって、和沙が惹かれる生徒会には、希実の存在も不可欠なのだから。
引用返信/返信 削除キー/
■20185 / inTopicNo.96)  第一章 さくらいろ (81)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(89回)-(2007/10/16(Tue) 05:57:57)
    楽しい時間ほど速く過ぎるのは、きっと誰もが同じだろう。
    この打ち上げと称する反省会だって、
    気づけばもうそれなりの時間になっていた。

    カチャカチャ…
    生徒会室内にある給湯室で、和沙と希実は洗い物をしていた。
    ご馳走になったお礼にこのくらいの家事を引き受けるのは、
    後輩だからではなくて、人として当然のことである。
    「美味しかったね〜」
    至極満足そうな声で希実が漏らす。
    彼女は、和沙が濯いだ食器を受け取って布巾で拭いている。
    今日は二人ともいろんな意味で疲れたので、
    食後の会話を腹ごなしの代わりに楽しんだ。

    「ねぇ、希実さ…」
    直感的にでも伝わったのか、和沙が何とは言わなくても、
    希実は相手が話したいことを汲み取っていた。
    「もし、私が候補生になりたいって言ったらどうする…?」
    彼女に回りくどい言い方は通用しない。
    ならばストレートに直球勝負にでた方が、
    二人にとってもきっと良いはずだった。
    フゥ…
    小さなため息を一つついてから、
    希実は和沙の顔を覗きこむようにこちらを向いた。
    「…もう、決めちゃったの?」
    「うん…」
    なら仕方ない、と彼女は笑った。

    それから、また何事もなかったかのように時が流れ、
    台所の仕事も一通り片づいてしまう。
    時間的にも生徒会室を戸締まりしなければならないということで、
    和沙たちは再び大広間に歩いて戻った。
    先ほどから、希実は何も喋らない。
    少し前を歩く、自分より少し背の高い女の子の影に隠れながら、
    和沙はだんだん不安に駆られた。

    さっきのって、勧誘になってたのかな…

    希実の意向も気にはなるけど、
    それ以上に踏みこんでこないことが和沙には気がかりだった。

    「アタシはさ…」
    いきなり振り返る希実に、反応が追いつけなくて、
    和沙のおでこが彼女にぶつかる。
    「きっと、和沙の方針に従っちゃうんだと思う」
    それだけ告げると、希実は再度身体を反転させて
    今度はズンズンと勢い良く突き進んでいった。

    全く…

    返事も聞かないで、お礼を言う暇もくれないで…って、
    いろいろ思うところはあるのだれど、
    それが彼女なりの好意の示し方なんだと素直に嬉しくなる。

    こっちまで照れちゃうじゃないか…

    希実が帰ってしまう前に、二人が別れてしまう前に、
    一つ約束しておこう。
    もし、土日に気が変わることがあれば、携帯に連絡すると。
    入学式の翌日には、メールアドレスを交換した。
    これから、幾度となく希実とのやり取りで
    受信箱がいっぱいになれば良い、と和沙は思った。
引用返信/返信 削除キー/
■20186 / inTopicNo.97)  第一章 さくらいろ (82)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(90回)-(2007/10/16(Tue) 08:01:17)
    「送っていくわ」
    校舎から出たところに横付けされてある車の前で、真澄が言った。
    他の役員や希実までもが、家の送迎専用車やタクシーで帰るというので、
    駅まで一人暗い夜道を歩いて下校しようとしていた和沙には朗報だった。
    「…あ、ありがとうございます」
    お辞儀をしながら、ふとその送ってもらえるという車を眺めた。

    こ、これは…

    世間でいうところのリムジンじゃないですか!
    縦長の豪華な車体に、隅々まで手入れが行き届いていることが伺える外観は、
    誰もが認める高級車だった。
    こんな車、和沙は実際に見たこともなければ乗ったこともない代物である。
    せいぜいテレビ番組で紹介されているのを覚えているくらいだ。
    須川家の送迎車もすごいと感心したが、この車はさらにそれの上をいく…
    いや、それどころか比較にもならないくらいの存在感を放っている。

    「早く乗りなさい」
    茫然と立ち尽くす和沙に呆れながら、真澄は車の中にさっさと押しこんだ。
    外はもうすっかり寒くなっていて、おまけに今の和沙は
    制服のジャケットを着ていないものだから、
    適切な行動といえば…まあそうかもしれない。
    乗りこんでみると、想像以上に内装も絢爛豪華だった。
    広い座席はフカフカの乗り心地で、足だって悠々と伸ばせる。
    テレビがついている乗用車も最近では珍しくなくなったけれど、
    この車の場合、さらにミニ冷蔵庫やパソコンまで完備されていて、
    望めばドリンクバーも自由だし、車内に居てインターネットまでも楽しめる。
    庶民にとっては、まさに動くどこでもドア状態のこの車も、
    真澄は慣れきっているのか全然興味がなさそうだ。

    「父がね…」
    急に話題を振るから、何のことかと和沙は一瞬身構えた。
    「ビジネスでこの車を使っているから、常にネット回線を張り巡らせたり、
    最新技術の導入に余念がないのよ」
    何か飲む、と冷蔵庫を開けながら、真澄は尋ねてきた。
    「そういえば、会長のお父様って…」
    自分で言いながら、和沙は自らの頭をフル回転させて
    彼女にまつわる情報をかき集める。
    えっと、確か…そうお父上がお医者様で、大企業の社長さんでしたっけ…
    何となくだが、クラスメイトの西嶋さんからそう教わった気がする。
    しかし、父親が医師ということは…彼女の家は医系一家なのだろう。
    将来のために、また単に興味を刺激されるということも相まって、
    和沙はそれとなく探ってみた。
    「いや、でも先ほどは見事に薬品を言い当ててすごいですよね」
    露骨になりすぎないように、かといって、全然的を得ない回答が
    返ってくることがないように、細心の注意を払った。
    それなのに。
    肝心の真澄の方はというと…煮え詰まらないといった
    何ともはっきりしない顔をしてみせた。

    また、失敗したか…

    早くも次の手段を考えている和沙に、
    真澄は例の破けて使用済になった錠剤入れを裏返して寄こした。
    手渡されたとはいえ、至って普通のプラスチックゴミのように
    思えたそれには、アルファベットで何かが印字されていた。

    なに?TG…?

    メーカーの名前だろうか。
    このご時世、横文字の会社名なんていくらでもある。
    というか、最近目にする話題の企業なんてほとんどが英語か
    ローマ字かカタカナ表記だ。
    だから和沙は、この二文字を見ても、真澄の意図していることが
    ちっとも解読できないでいた。

    「高柳グループよ」
    「え?」
    突如、真澄が口を開いたと思ったらこれである。
    和沙が目を白黒しているうちに、真澄は再び補足した。
    「この薬、うちの会社が作ったの」
    分かりやすいが故に、和沙には衝撃だった。
    けれど、驚いている暇などないというかのように、真澄は話を続ける。
    「最近、強硬派が最新薬の開発を推し進めているとは聞いていたけど…
    全く迷惑なことをしてくれたわ。
    うちが製造した薬品で、本校の生徒に危害が及んだりしたら…
    後味が悪いっていったらないもの」
    吐き捨てるように話す彼女は、うんざりした様子だった。
    「会長はもしや、あの場で苦情に対処していたんですか?」
    それがどうした、といった表情でふんぞり返る真澄に、和沙は項垂れた。

    さよか…やっぱりこの人…

    現実主義だ。
    将来、間違いなく大企業のトップに立つ器なんだろうな、と納得し、
    和沙は妙な哀愁感に浸った。
    棲む世界が違う人間と話す機会というのは、そう滅多にあるものではない。
    それならば、今日この時間に同席できた幸運に感謝するのが
    最もとるべき行動にふさわしい気がした。
    そうこうしているうちに、車は和沙の自宅前に到着してしまった。
    送ってもらったお礼を言ってから、和沙が車から降りようとすると、
    真澄は何かを思い出したように腕を掴んで呼びとめる。
    一体どうしたというのか。
    「良い?月曜日は授業に遅刻しそうになっても気にしないで。
    あらかじめ先生には説明してあるから。
    だから、絶対に体育館裏から離れちゃだめよ?」
    真澄が珍しく真剣な表情で念押しをする。
    「は、はい…」
    和沙の返事を確認すると、専用のドアマンがバタンと扉を閉め、
    脱帽してから一礼する。
    どこまでも行き届いた従業員ばかりのようだ。

    にしても…

    真澄の最後の話は何だったのか。
    教師に事前の許可をもらっているなら、
    こちらだって別に逃げたりしないというのに…
    和沙はひとしきり首をかしげながら、
    去っていく一台の高級車を見送った。
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■20188 / inTopicNo.98)  第一章 さくらいろ (83)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(91回)-(2007/10/16(Tue) 16:53:35)
    翌日も、そのまた翌日も、何も手につかない現状が続いて、
    今日はもう運命の月曜だ。
    そして、ここは指定された第一体育館の裏手にある草むら。
    隣には…もう一人の相棒、希実が居る。
    役者は揃った。
    後は…そうあとは目的の人物が来るのを今かいまかと
    待っているというのに…

    「来ないじゃん!」
    我慢していた堪忍袋もとうとう切れかかり、和沙は叫んだ。
    まあまあ…とそれをとりなすのは、何故か希実。
    いつもと立場が逆転しているのは、たぶん時間に厳しい生徒会に
    腹が立ってのことだ。
    時計はもうすぐ九時を回ろうかという頃。
    いつもなら、この時間にはホームルームはおろか、
    一限目ですら始まっている。
    真澄たちは、担任だけでなく、科目教諭の許可も
    忘れずに取ったのだろうか…
    『待っているようには伝えましたが、
    まさか授業開始のチャイムにまで気づかないなんて』
    悲愴な顔をして口元にハンカチを押しあてる真澄。

    ああ、嫌だ…

    だんだん、想像できてしまうから恐ろしい。
    立場上からくる保障もあるだろうが、それ以上に
    彼女は学内に絶大な信頼をよせている。
    (外面だけは)真面目な現役生徒会長と、入ったばかりの新一年生。
    教師が言い分を信じるのは、どちらか。
    そんなの、考えてみなくとも分かる。

    教室に戻ろうかな…

    そんな不安がよぎった直後、突如体育館の非常用扉が開いて
    そこから見知った顔の生徒が顔を出した。
    「お〜い!ここ、ここ」
    長い手と顔だけで器用に手招きしているのは、斎だった。
    何せよ、とりあえず知り合いの先輩が現れてくれたことで、
    和沙と希実は心なしか安心する。

    呼ばれた先に向かってみると、そこはどうやら舞台裏に
    通じる出入り口になっているようだ。
    中に入ると、大きな画板細工や抗菌マットと
    おびただしい数の小道具に囲まれたそこは、
    一種物々しい雰囲気を放っていた。
    「あの、先輩…?」
    静かにしているように言われたので黙ってはいたが、
    小声で尋ねるくらいはそろそろ構わないだろう…と
    和沙が口を開きかけたが、シッと斎に遮られてしまった。

    でも、一体ここで何をしようというのか…

    うるさいと憚れられても、多少なりと奇妙なこの状況に
    疑問を持たない方が変だと思う。
    そうこうしているうちに、斎は二人の誘導を次の杏奈に
    受け渡してからどこかに消えていった。
    一方で、バトンタッチした杏奈は、和沙たちをさらに奥へと案内する。
    この階段を上がれば、もうステージ…という場所まで来て、
    杏奈は何やら壁にかけてあった物を取り出した。

    「はい、コレ」
    見ると、それは先週末にクリーニングを頼んだあの制服の上着だった。
    ご丁寧にも、透明なポリ袋に入れハンガーにかけて、
    とにかく皺にならないよう配慮した状態でそれは置かれてあった。
    「ありがとうございます」
    もうすぐしたら、じきに衣更えの季節とはいえ、
    ワイシャツだけで過ごすには、春先はまだ肌寒い。
    事前に、今日にも返してくれると聞いていたので、
    和沙と希実は嬉々としてそれを羽織った。
    それ以前に、和沙の場合…学校から支給されたその一着しか持っていないのだが。

    とそこに、階段の上から姿を見せたのが、今朝の約束していた相手…
    もとい和沙がいま一番逢いたかった人物だった。
    「あ、会長」
    しかし、和沙の呼び声も虚しく、一瞬顔を出した真澄は、
    またもステージの方へと向かったのか、すぐに見えなくなった。
    「待ってください、会長」
    和沙は慌てて階段を駆け上がる。
    もうこれ以上、返事を先延ばしするのはごめんだ…
    それが和沙の本音だった。
    もたつく足を懸命に踏みしめながら、やっと階段をあがると…
    そこには真澄の姿はなく、どこに行っていたのか斎が再び現れた。
    「あ、あの…会長は」
    逸る気持ちを抑えきれずに、和沙は乱れた息と格闘しながら真澄の行方を尋ねた。
    しかし、斎の方はというと、いたって涼しげな顔をして、
    ちょっと落ち着いて…と和沙を気遣いながら身だしなみのチャックを始める。
    ほどけかかっているリボンを直して、ブレザーのボタンを閉めて、
    それから胸元のポケットにはハンカチを添えて、
    最後に髪の毛を手櫛で一・二回整えてくれた。
    「もう、気持ちは決まった?」
    耳元でそっと囁く斎に、和沙は静かにはい、とだけ答えた。
    再び身体を離して、それは良かった…と呟きながら斎は笑みをこぼす。
    そして、中央ステージに向かって今まさに歩いている真澄を指差して、
    行っておいでと背中を押してくれた。

    「待ってください!」
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■20189 / inTopicNo.99)  第一章 さくらいろ (84)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(92回)-(2007/10/16(Tue) 18:09:43)
    一度目の呼び声では聞こえなかったのか、真澄は振り向かない。
    「ちょっ、ちょっと待ってください!
    私は…私は生徒会候補生になります!
    いえ、ぜひさせてください。お願いします!」

    …言った。

    和沙は心の中で、そう覚悟した。
    思っていたことを、ようやく彼女に伝えられたのだ。
    少々声が大きかったかなとか、生徒会役員に冷やかされるかもとか、
    後になってから恥ずかしくなりそうな心配事はいくつもあったけど、
    そんな微々たること、構うものか。
    やり遂げた充実感で、和沙は満たされていた。

    少し間を置いて振り返った真澄は、予想外の反応を示した。
    いや、予想外だったのは、彼女ではない。
    真澄が何か喋ろうとするよりも先に、怒涛のごとく大騒ぎしている人たちが居た。
    「…え?」
    ふと横を見ると、誰も居ないはずの体育館は生徒で埋め尽くされていた。
    それだけではない。
    ステージの上にぶら下がっているのは、おそらく本日の日程を記した垂れ幕だろうか。
    そこには、はっきりとこう書かれていた。
    『生徒会候補生発表会、対面式、一学期生徒総会』

    タラリ…
    和沙の背中を冷や汗がつたう。
    そして、そんな主役をよそに、一層盛り上がる観客たち。
    拍手やら喝采やら悲鳴やらで、この混乱した場を丸く治めるには
    どうしたら良いものか。
    「ちょっと、先輩!これどういうことですか?
    聞いてませんよ、全校集会だなんて…」
    和沙は真澄の腕を掴んで、客席に背を向けるようにヒソヒソと話した。
    「あら、先週金曜日のホームルームでちゃんと通達したはずよ」
    先週金曜…歓迎会があった日だ。
    あの日は確か、希実と二人で昼休みから駆りだされていたから、
    ホームルーム自体に出席していない…
    すると和沙は、徐々に不機嫌になるのを隠せずに抗議した。
    「待ってください!やっぱり私、前言撤回させていただ…」
    だがしかし、そんなことはさせまいと和沙の声を真澄が遮る。
    「何寝ぼけたこと言ってるの?
    たった今、自ら宣言していたじゃない。
    それにホラ…胸元のポケットをご覧なさい」
    「へっ?」
    和沙は、焦って真澄が指差す方向…つまり自分の胸ポケットへと視線を移した。
    すると、何故だか妙な違和感を受ける。
    いや、別に制服自体は何も変わりない自分の制服なのだ。
    サイズも袖の長さも着丈も。
    むしろ生徒会にクリーニングを頼んだからだろうか、
    制服の光沢が数割増しになっているのは気のせいではないはずだ。

    ん…?白…?

    金曜日に自分が預けた制服のブレザージャケットの学年カラーは、
    確かに一学年の指定カラーである臙脂色だったはず…
    それが、あら不思議!
    いま着用している制服には、真っ白な下地に
    うっすらと百合の刻印がされてある。
    白はすなわち生徒会カラーに他ならない。
    和沙は倒れたくなる衝動を必死で耐えていた。
    「それでは、情熱的な所信表明を誓ってくれた澤崎さんに、
    今後の意気込みを伺ってみたいと思います」
    放送室から流れてくるアナウンスは、誰かと思いきや斎の声だった。
    では、張りきってどうぞ…とマイクを手渡され、
    和沙はスポットライトが当たる中央へと促された。





    …それから後は目まぐるしく過ぎていった。
    覚えていることといえば、宣誓の挨拶と称される宣言文を読まされたり、
    所定の席についてからは対面式が始まってたくさんの上級生に励まされたり、
    生徒総会ではアシスタントとして舞台裏を走り回ったり…という程度である。
    ただ、揺るぎない事実としていえるのは、和沙と希実が
    今年度の生徒会候補生として推薦された事件は、
    間違いなく全校生徒に広く認知されたということだった。
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■20191 / inTopicNo.100)  第一章 さくらいろ (終)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(94回)-(2007/10/17(Wed) 02:15:10)
    「…騙したんですね?」
    放課後、和沙は例の生徒会専用地に真澄を呼び出した。
    呼び出した本人より、呼び出された彼女の方が早く
    到着するのはいかがなものか。
    しかし、二学年も年上であり、候補生ができた今…
    全校集会の後片づけは後輩に全て任せることも可能な立場からすると、
    必然のうちに許容される範囲なのかもしれない。
    それよりも、たった今和沙が到着して開口一番そう言い放ったというのに、
    真澄は無頓着な態度をちっとも崩そうとしない。
    「あ、あの…」
    和沙の姿に気づいているのか、いないのか、それだけのことならまだしも、
    真澄は呼吸するのも忘れてしまったかのように微動だにしないので、
    和沙は次第に不安になりつい口を噤んでしまったというわけだ。

    何を見ているの…?

    真澄は桜の大木のある一点だけを見つめていた。
    単純に気になるのもあるが、とりあえず彼女に近寄らないと話はできない。
    「先輩?」
    一歩また一歩と、徐々に歩くスピードは加速していく。
    あとほんの少しで、彼女に手が届く…という距離になってから、
    またしても入学式と食事会の時同様、二人の間を強風が突き抜けていった。

    「痛っ」
    立ち位置の関係で、モロに風がもたらす災難を一挙に被った和沙は、
    瞼を力いっぱい擦った。
    「そんなに擦らないで」
    早くこの不快な状況をどうにかしたくて堪らない和沙を、
    ふいに真澄が制止する。
    擦らないで、と言われても、痒いものは仕方ない。
    ならば、そういう真澄がどうにかしてくれ…と和沙が訴えようとすると、
    瞼の上から冷たい布みたいな物を押しつけられる感触があった。

    気持ち良い…

    あくまで丁寧に拭い去ろうとする真澄に、
    和沙の先ほどまでの怒りはどこかに飛んでしまう。
    まあ、もともと引き受けるつもりでいたから、結果オーライではあるのだが、
    それでもあのような騙し討ちが堂々と行なわれると、今後が不安になってくるのだ。
    もしかすると、これからもあのように強引な手法で
    重い仕事を後輩に押しつけるのではないか…ってね。

    「はい、もう良いわよ。眼を開けても大丈夫」
    真澄のそんな一言で、和沙はそっと瞼を開く。
    すると、視界いっぱいに拡がるのは、真澄の美しいお顔…なのだけど、
    彼女の瞳からはどうしてか次々に涙がこぼれている。
    「えっ?」
    仰天する和沙は、勢いで仰け反ろうとするが、
    それに追随するように真澄は目の前の少女を抱きしめた。
    「見ないで…」
    見ないでと言われても、いま映った光景はなかなか忘れられるものではない。
    けれど、真澄の声があまりにか細く、いつもの自信に満ち溢れている
    生徒会長の面影はどこにも見当たらなかったため、
    和沙はこれ以上追求することができなかった。

    どのくらいそうしていたのか、後から考えると概算するのが難しいが、
    たぶん結構な時間になっていたはずだ。
    沈黙が破られたのは、和沙のこの一言。
    「桜、もうだいぶ散っていますね…」
    それは、天気の話でもするように、さりげなく。
    というか、目についたのが正面の桜木だったこともあり、
    純粋に散らばる花吹雪に心奪われたのだ。
    今の真澄には、何が刺激になるのか、禁句なのか、
    さっぱり検討もつかなかったけど、間違いを起こしたら
    その時点で謝って話題を変えればよい。
    そのくらいの気持ちに留めて、和沙は真澄の反応を待った。
    「ええ、見頃は今週までね…」
    果たしてどうかと思われたこの話題に、真澄は臆することなく乗ってきた。
    だから、きっともう身体を離しても大丈夫。
    そう思って和沙は密着していた身体をもとに戻して、
    真澄を手前のベンチに誘った。

    ザワザワ…
    風が強くなってきた。
    もともと半分くらいは散ってしまっている桜だ。
    このままだと、おそらく明日までにはほとんど散り終わってしまうだろう。
    「今日、妹の命日なの…」
    突然、真澄が話を再開した。
    それも、簡単に語れるようなお気楽な話題ではない。
    「桜が好きな女の子でね、亡くなったのも窓から
    満開の桜が見える穏やかな日だったのよ」
    もうどうして良いか分からずにいる和沙に構うことなく、真澄は続ける。
    「一年に一回、開花時期が巡ってくる
    国民的な花だったことが、ツいてないわね…」
    そう言ってカラカラ笑う彼女からは、自虐的な意味合いは感じられない。
    けれど、それでも和沙は確かめておきたいことが一つだけあった。
    「こんな大切な話、私なんかに話してしまって良いんですか?」
    そう。
    和沙の胸の奥で痞える憤りはそれなのだ。
    真澄はそれを否定するかのように、首を横に振る。
    「あなたには聞いてほしくなったのよ」
    そう打ち明けられた和沙は、そういえば最近誰かにも
    似たようなことを言ったような気がした。

    「和沙」
    名前を呼ばれる。
    それだけのことなのに、胸の奥がくすぐったいような
    もどかしいような、そんな感覚に襲われる。
    「あなたが候補生になってくれて、本当に嬉しいわ」
    そんな顔をして言われると、もう何も言い返せなくなってしまうわけで。
    だから和沙は、無言で席を立つ真澄の後を黙って追いかけた。
    戻りましょう、なんて言いたいだろう、きっと。

    ヒラリ…ヒラリ…
    花びらは二人が歩く一本道に一枚、また一枚、と
    とめどなく舞い落ちる。
    幻想的な景色は、やがて二人を覆い隠した。


                            第一章 さくらいろ おわり
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