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■6116 / inTopicNo.1)  さよならの向こう側
  
□投稿者/ 秋 一般♪(1回)-(2005/02/09(Wed) 10:22:06)
    2005/02/09(Wed) 14:14:40 編集(投稿者)

    つんと顎を上に上げた、
    あなたの勝ち気な横顔が好きでした。

    泣き出すのを必死に堪えて、
    涙をこぼすまいとただ上を見上げる、
    負けず嫌いなあなたのその目が好きでした。


    今はもう、見る事はできないけれど。




    ─don't tell me you love me─




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■6117 / inTopicNo.2)  さよならの向こう側2
□投稿者/ 秋 一般♪(2回)-(2005/02/09(Wed) 10:23:15)
    乾いた空気が湿気を孕んで、白い息と共に私の頬を撫でる。
    春はもう間近に迫っているというのに、相変わらずの外気の冷たさに私はまたひとつ吐息を漏らした。
    そのまま開け放した窓を閉め、室内へと顔を引っ込める。
    見慣れたいつもの保健室には珍しく生徒がいない。
    だからだろうか。
    しん、と。
    やけに静けさが耳鳴りのように響くのは。





    ──私を選びなよ、先生。






    静寂の中に混じる微かな音に、ざわめく何かを感じる。
    今日は妙に感傷的ね、独り言のようにぽつりと呟いて、空いているベッドのひとつに腰を下ろした。


    夢を見るのは、あの日を思い出すのは、いつもこんな時だ。


    上空に広がる空はきっとどこまでも続いていて、繋がっている事は確かなはずなのに。

    私の瞳に映るのは、少しばかり年季を帯びた保健室のこの天井。
    見上げても見上げても無機質な灰色だった。









    ──私を選びなよ、先生。











    私はその手を……───









    ──取らなかった。









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■6118 / inTopicNo.3)  さよならの向こう側3
□投稿者/ 秋 一般♪(3回)-(2005/02/09(Wed) 10:24:02)
    「高屋さん…あなた、またサボり?」

    職員会議から戻ると、そこには我が物顔でお茶を啜る訪問者が一人。
    それが見慣れた顔だと知ると、私は心底呆れて溜め息を吐いた。

    「この紅茶美味しいね。どこの店?」

    彼女は悪びれもせず、またカップに口を付ける。
    私の溜め息はもうひとつ。

    「保健室の物を勝手に飲まないでって言ったでしょう。そろそろ授業も始まるわ。早く教室に戻りなさい」

    言いながら彼女のカップをひょいと奪って立つように促す。
    そのまま背中を押し出して出入り口まで追いやった。

    「可愛い生徒を追い出すのー?」
    「元気な生徒は歓迎しかねるわ」

    あっそ、彼女は伸ばしっぱなしになっている栗色の猫っ毛をわしわしと後ろ手で掻いて、私に向けてひらひらと片手を振った。
    「またね、先生」
    そう一言残して。
    今日もまた、扉の向こうへ消えてゆく。


    高屋さんは猫のようだった。
    一度だけ本人に言った事がある。
    「子猫みたいに愛くるしい?」
    茶化すように笑ったけれど。
    違う、野良猫だ。
    気まぐれで、時折ふらっと保健室にやって来ては、何をするでもなくまたふらっと出て行く。
    どこか飄々としていて掴みどころがない。
    「野良猫か。言うね」
    そう言った顔もまた、どこか可笑しそうに笑っていた。




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■6119 / inTopicNo.4)  さよならの向こう側4
□投稿者/ 秋 一般♪(4回)-(2005/02/09(Wed) 10:24:42)
    廊下ですれ違った生徒に一瞬だけ注意を向けたのは。
    確かあの時の一度きりかもしれない。
    その生徒があまりにも綺麗な髪をしていたから。
    特徴のある栗色が腰元でさらさらとなびいていた。
    長めの前髪から覗く瞳がとても鋭く、ぎらぎらと光っていた事も、目に焼き付いた理由かもしれない。


    けれど、そんな事さえ数日も経てば忘れて。
    日々の雑務に追われる私には、保健室を訪ねてくる生徒にだけ目を向けていればいい、そんな事しか頭になかった。



    夏の陽射しはまだそれ程きつくはなかったから。
    そう、確か初夏だったように思う。



    「人の男に色目使ってんじゃねーよっ!」

    怒気を帯びた大声にどきりとして、声の発信源を辿る。
    保健室はその性質上、少しばかり人通りの少ない廊下に面していたから、すぐにその声の主を確認できた。
    保健室前の階段脇。
    壁際に一人を追いやり、三人程で囲んでいる。

    「何とか言えよ!お前が広子の彼氏取ったんだろっ」
    「長ったらしい髪してさぁ」
    「男受け狙ってロングにしてんじゃん?」
    「大体なんだよ、その色。そんなに目立ちたいわけ?」

    三人組が口々に吠える。
    くっ、よく顔が見えないけれど、奥の女生徒は低く呻いた。
    泣いた。
    そう思った、なのに。

    「な…何笑ってんだよっ!」

    くっくっと、今度ははっきり。
    彼女は笑っていた。
    顎をくいっと上げて。
    目の前の人間を真っ直ぐ見据えて。
    その輪郭がやけにはっきりとしていて。
    凛としていた。

    「そんなにこの髪が羨ましい?」

    不敵ににやりと口角を上げる。


    彼女は。
    どこからかはさみを取り出して。
    腰までの長い髪をじゃきじゃきと切ってしまった。
    それはもうばっさりと。
    廊下に落ちた髪を無造作に一房掴むと、三人組にずいっと差し出し。

    「欲しいんならあげる」

    にやりと笑った。


    目の前でベリーショートになった彼女が、在りし日の廊下で見かけた彼女だと私が思い出すまで、さほど時間は掛からなかった。






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■6120 / inTopicNo.5)  さよならの向こう側5
□投稿者/ 秋 一般♪(5回)-(2005/02/09(Wed) 10:25:31)
    こいつ頭おかしーんじゃねーの!?
    怯んだ彼女達がそう吐き捨ててばたばたと廊下を駆けてゆく後ろ姿を、彼女は少しも逸らす事なく見つめていた。
    しばらくして。
    私は、おや?と思った。
    鋭い彼女の瞳が次第に潤んできたように見えたから。
    私はほうきとちりとりを手に、その場へと足を向けた。
    私の気配に気付いた彼女は、警戒心を露わにした目付きで私を見た。
    やはり私の気の性だったのだろうか。
    その瞳には弱さの一欠片、まして涙の一滴など見えない。
    彼女は私を睨みつける目を緩めると、
    「見てたんだ?」
    にっと口角を上げた。
    「偶然ね」
    散らばった髪の毛を掃きながら答える。
    「一部始終見てたのに助けようともしないんだね。あっちは三人、こっちは一人。囲まれてんのにさー」
    今時の先生は冷たいなー、どこか面白がるような口調で彼女は言った。
    「助けが必要には見えなかったけど?」
    ようやく髪をまとめ終え、ちりとりに集める。
    「笑わないのね、あなた」
    ゆっくり姿勢を正して彼女に向き合うと、少しばかり驚いたような目をしていた。


    「あなたも早く教室に戻りなさい。授業に遅れるわよ」
    そう言って保健室に戻ろうとすると手を取られ、
    「あなたじゃないよ、カエだよ。高屋加江」
    振り向いた私ににやりと笑った。
    そう、笑った。
    目が、ちゃんと笑っていた。



    それから保健室には野良猫が一匹。



    いつだったか、よくもまあばっさりと切ったものね、と。
    そんな事を言ったら。

    もうすぐ夏だしー、暑いしー。だからちょうど良かった。

    冗談混じりに笑っていた。
    けれど。

    …長さにはこだわってなかったけど。髪の色の事言われんのはちょっときつい。

    ぽつりと漏らしたその一言は、初めて見せた弱さだったように思う。


    程なくして。
    彼女の言葉の意味を知る。






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■6121 / inTopicNo.6)  さよならの向こう側6
□投稿者/ 秋 一般♪(6回)-(2005/02/09(Wed) 10:26:15)
    高屋加江。
    彼女は所謂世間で言うところの妾腹だった。
    髪の色は母親譲りらしい。
    体は弱かったけれど優しい人だった、と。
    いつものように笑いながら話していた。
    母親はハーフで。
    父親は大会社の跡継ぎで。
    女遊びが祟った末に、という何とも無責任な結末である。
    一切関わらない事を条件に、父親側から月々養育費が支払われる。
    母は父を恨んでいなかった、それに幼心に母娘二人暮らしは辛くなかった。
    楽しかった。
    幸せだった。
    あたしには父親はいない。
    母さんがいるから。
    そんな風に笑った。
    その母親も亡くなったと言う。
    だからこの髪は忘れ形見だと。
    あの時からわずかに伸びた髪は、やはり特徴的な栗色で。
    相変わらず美しかった。
    まだまだ短いけれど。




    「あたしにはもう、失うものは何もないんだ」

    伸びかけの襟足をさらりと撫でて、言った言葉が忘れられない。






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■6122 / inTopicNo.7)  さよならの向こう側7
□投稿者/ 秋 一般♪(7回)-(2005/02/09(Wed) 10:27:12)
    寒い寒い冬。
    保健室は生徒達の格好の溜まり場になる。
    野良猫もまた、例外ではない。

    「……高屋さん?何度も言うけど、ここはあなたみたいな健康な人が来る場所じゃないのよ」

    彼女は勝手知ったるといった感じで急須にお湯を注いでいる。

    「先生もお茶飲むー?」

    相変わらず話を聞かない。
    くるりと私の方を振り返った彼女の髪は肩の辺りでふわりと揺れた。

    「はい、どーぞ」
    差し出された湯呑みに閉口しながら、私は無言でそれを受け取った。
    ずず、と。
    啜る音が二人分。

    「そう言えばさー」

    息をつくと同時に彼女は言葉も吐き出した。
    そしてまた一口。
    私も程良く冷ましたお茶を含む。

    「結婚するの?」

    ごくり、と。
    飲み込まれたお茶はもはやお茶だったのかわからない。
    何も言えずにいる私に彼女はにっと口角を上げた。

    「プロポーズ。されたでしょ?昨日。いやー、彼氏かっこいーね」

    ずずず、と啜る。
    私はそんな彼女を凝視する。
    その視線に気付いたのか、

    「あ、あたしあの辺に住んでんの。コンビニ行こうと思ったら通りかかってさ。よく見たら先生じゃん?」
    道の往来でやるねー彼氏、と楽しげな口調。
    上がった口角。
    緩んだ目元。
    面白がってる高屋さん。
    私は何も言わずに湯呑みに残ったお茶を飲み干した。
    それはもうすっかり冷え切っていて。
    喉から胸へと一気に駆け抜けていった。








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■6123 / inTopicNo.8)  さよならの向こう側8
□投稿者/ 秋 一般♪(8回)-(2005/02/09(Wed) 10:27:57)
    「そろそろいいんじゃないか?」

    その意味はわかっていたはずなのに、私は「何が?」と聞き返した。

    「結婚だよ。決まってるだろ」
    少し苛立ったような口調で彼は答えた。

    「あぁ…」
    「あぁ、って…なぁ、俺達もう付き合って長いよな?年齢的にも適齢だと思う。それともお前は俺とは結婚する気ないのか?」
    「そういうわけじゃ…ただ急だったから少し驚いただけ」

    彼は私の言葉に落胆の色を見せた。

    「急?急か?付き合っていけばいずれそうなるって思うだろ?俺だけか?じゃあ何の為に付き合ってるんだよ」

    興奮気味の彼に何も返す言葉はなくて。
    ただ「返事は少し待って」とだけ答えた。
    正直、結婚を考える事から逃げていた。
    彼と付き合い続けていても結婚という未来は想像がつかない。
    だから今までその言葉が出てくる度にはぐらかしていた。
    怖かったのかもしれない。
    誰かに全てを託す事が。
    その手を取る事が。


    決断の日は迫る。




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■6124 / inTopicNo.9)  さよならの向こう側9
□投稿者/ 秋 一般♪(9回)-(2005/02/09(Wed) 10:28:44)
    すっかり懐いたような野良猫は今日もいつものように保健室にいた。
    今年一番の冷え込みの今朝。
    寒々しい室内を覚悟して保健室にやって来たものの、先客の手によって入れられた暖房でその場は既に暖かかった。
    ほっと一息ついて安堵するも、すぐさま目の前の彼女を睨みつける。

    「…高屋さん。あなたねぇ、勝手に入り込まれると困るのよ。大体どうやって鍵開けたの?」

    「先生に頼まれたので鍵貸してくださいって言ったら用務員さんが」

    なんて不用心なんだと頭を抱えつつ、溜め息をひとつ吐き出す。

    「でもあったかかったでしょー?」
    いつものように口角を上げて、彼女。

    「そーゆー問題じゃないの」
    私は鞄から書類を取り出しながら言った。

    「それに三年生はこの時期自由登校でしょう?受験生が何をこんな所で油売ってるの」
    言いながら振り返ると、彼女はにやりとしながらこちらを見ていた。

    「心外だなー。あたしはもう進路決まってるもん」

    「そうなの?」

    「うん」

    ふうん、と。
    手元の書類を整理しながら返事をしたら、
    「どうでもよさそー」
    どこか人を食ったような彼女が、珍しく子供みたいに不満げに漏らしたから、少しだけ笑ってしまった。

    「じーさんとこ行くんだ」

    「おじいさん?」

    「そう、母さんのお父さん」
    ばーさんは残念ながら死んじゃってるけど、相変わらずの口調で笑って言った。

    「最近なんだ、じーさんがいるって知ったの。向こうも一人暮らしだから一緒に住まないかって。元々高校卒業したら日本出ようと思ってたし。母さんの故郷にずっと行きたかった」


    母親の出身国フランスに行くと言う。
    独学でフランス語も学んでいた、とも。
    フランス人なのは祖母の方で、祖父は日本人だったから語学の面で心配がなくなったと、やはり笑っていた。



    野良猫はいつも自由だ。
    私はいつになったら動けるのだろう。



    「あなたは自由ね」

    無意識的に口からこぼれた言葉を彼女は聞き逃さなかった。

    「……先生は自由じゃないの?」

    「自由な動き方なんて忘れちゃったわ」
    これが若さの差なのかしらね、そう自嘲気味に呟いた時。
    距離を取って座っていた彼女の顔が間近にあった。
    鋭い瞳が私の顔を覗き込む。

    「子供が自由なんじゃない。あたしが自由なんだよ」

    軽く息をついてから。

    「あたしはもう、何も持ってないから。この国で失くすものは、何もないから」

    彼女の言葉に息を呑む。
    更に彼女は続けた。

    「先生が動けないのは持ってるものでがんじがらめになってるからだよ。捨てられないくせに受け入れるのも怖がってるから余計に苦しいんだ」



    かっと、血が昇る。
    まさに図星を突かれたから。
    思わず手を上げそうになって、けれどそれは彼女の細く長い腕に軽々と押さえられた。
    近付いた顔の距離は更に縮まり。
    隔てる壁は存在しない。
    彼女は。
    高屋さんは。
    噛みつくように私の唇を塞いだ。
    ゆっくりと唇の割れ目に舌を這わせ、そしてまたゆっくりと顔を離した。


    見くびっていた。
    子供だと思って油断していた。

    「甘く見てたね」

    彼女は勝ち誇ったように喉の奥をくくっと鳴らした。
    その表情があまりにも不敵で、その瞳があまりにも挑発的で。


    手懐けたものだと思っていた野良猫は、既に女になっていたらしい。

    彼女は私の口紅が付いた自身の唇を絡めとるようにしてなぞった。
    その舌先に。
    ぞくりとした。







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■6126 / inTopicNo.10)  ひょっとして・・・
□投稿者/ たこや 一般♪(2回)-(2005/02/09(Wed) 12:00:51)
    『BLUE AGE』の秋さんですか!?
    続きも楽しみにしてますよぉ!!(>∨<)
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■6363 / inTopicNo.11)  たこやさんへ。
□投稿者/ 秋 一般♪(10回)-(2005/02/10(Thu) 23:50:45)
    はい、その秋です。
    BLUE AGEの方も読んで下さったようで嬉しく思います。
    あちら共々完結まで手を抜かずに書いていくつもりなので、よろしくお付き合い下さいm(__)m

    (携帯)
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■6813 / inTopicNo.12)  あああ…
□投稿者/ くぅち 一般♪(1回)-(2005/02/19(Sat) 17:16:19)
    なんだか切ないです(T^T)淡々とした語り口なのに胸がきゅううと締めつけられるような…今後の展開がすっごくすっごく気になりますっ(>_<)楽しみに待ってますよぉ(^O^)/

    (携帯)
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■10215 / inTopicNo.13)  くぅちさんへ。
□投稿者/ 秋 一般♪(16回)-(2005/06/16(Thu) 10:09:49)
    返信がとても遅くなってしまって申し訳ありませんm(__)m
    更新の方も滞っていましたが、ようやく続きを書きましたので目を通して頂けたら嬉しく思います。
    感想、ありがとうございました。
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■10216 / inTopicNo.14)  さよならの向こう側10
□投稿者/ 秋 一般♪(17回)-(2005/06/16(Thu) 10:10:49)
    そんな事があった次の日でも、変わらず彼女はそこにいる。
    いつもと態度を豹変させる事はなく、当たり前のようにそこに。

    私はそんな彼女から少し距離を取りつつ、自身の仕事をただ淡々とこなす。
    彼女と言えば、私に構うでもなく、まして気にする素振りすら見せずお茶を啜り、けれど時折私をじっと見つめた。
    その瞳に。
    私は気付かない振りをした。



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■10217 / inTopicNo.15)  さよならの向こう側11
□投稿者/ 秋 一般♪(18回)-(2005/06/16(Thu) 10:11:41)
    彼のプロポーズから二週間──
    とうとうはっきりさせなければならない日がやって来た。



    「それで?お前はどうしたいんだ?」

    互いの仕事が終わってから私の部屋で夕食を摂り、帰る彼を途中まで送ろうと、駅への通りを二人並んで歩いていた矢先の事だった。

    「───…え?」
    街灯の下で思わず立ち止まる。

    「この先どうしたいんだ?結婚する気はあるのか?」
    そう問う彼の顔が明かりに浮き出され、私を責めているようだった。
    何も答える事が出来ずにいる私に、すっと近寄る。
    「なぁ、俺の事好きだろ?この先も一緒に居るつもりなら──」
    柔らかく私の肩を抱こうとする彼の手を、私は無意識に避けた。
    彼の目の色が変わった事には気が付いたが、私にはどうする事も出来ず。
    乱暴に肩を掴まれ、引き寄せられる。
    唇を寄せられ──しかし、私は顔を背けて拒絶した。
    「何で…」
    彼の手がゆっくり離れ、力なくうなだれる。
    「どうしてだよ…なぁ?泣いてないで何とか言えよっおい!」
    荒げる彼の声に、ようやく私は自分が涙を流している事を知った。
    「泣く程嫌か?そんなに?」
    もはや苦笑すら浮かべている彼に、
    「ごめっ…ごめ、ん…ごめんなさいっ…」
    私はただただ謝るしかなかった。
    そんな言葉しか出てこなかった。
    嗚咽が止まらない。
    涙も止まらない。
    彼の溜め息が一つ聞こえて。

    ─結婚しないなら…別れよう。

    そう一言残し。
    私一人を残し。

    彼はその場から、私の元から去って行った。

    街灯の下。
    佇む私。
    涙はとうに枯れた。
    悲しかったわけでは、決してないけれど。
    何故だか無性に、寂しくなった。

    だからかもしれない。
    街灯の明かりで映し出された一つだけの私の影に、別の誰かの影が重なり。
    はっとして顔を上げた瞬間に、その誰かが私に向けている瞳を見て、また涙がこみ上げてきてしまったのは。



    「…そう言えば、この辺りに住んでるって言ってたわね」



    栗色の野良猫は、
    口角をにっと上げた。



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■10218 / inTopicNo.16)  さよならの向こう側12
□投稿者/ 秋 一般♪(19回)-(2005/06/16(Thu) 10:12:43)
    「振られちゃった?」

    にやにやとした笑みを口元に添えて、私に近付く高屋さん。

    「…いつからそこに?」

    辺りはもはや暗闇とは言え、煌々とした光を放つ街灯の下。
    気付かれているとは思いつつも目元をぐいっと手の甲で拭い、努めて冷静に振る舞う。
    「結婚するのかしないのか、みたいなとこから」
    彼女はあっけらかんと言うので、
    「それじゃ最初からじゃないの…」
    何だかとてつもなく力が抜けてしまった。
    「ね、先生?」
    はぁと息を吐く私の顔を、高屋さんは覗き込む。
    その距離の近さに思わず身構えるが、私はあえて身動きはしなかった。
    「結婚、しないの?」
    何で?と、高屋さんは首を傾げる。
    言葉に詰まる私。
    何とか誤魔化そうとして。
    「まだわからないわ。でも…あなたも見ていたでしょう?彼とはもう駄目みたい」
    だからしばらく先の事になりそうね、そう続けようとした。
    けれど。

    「──怖いんだ?」

    高屋さんの声に。
    私は言葉を失った。

    彼女を誤魔化す事は難しい。
    いつだって、その瞳は私の何もかもを見透かしているから。



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■10219 / inTopicNo.17)  さよならの向こう側13
□投稿者/ 秋 一般♪(20回)-(2005/06/16(Thu) 10:14:39)
    「前にも言ったよね、あたし」

    俯く私に、高屋さんの声が静かに響く。

    「先生が動けないのは持ってるものでがんじがらめになってるからだ、って。受け入れる事も捨てる事も出来ないからどうにもならないんだ」

    少しだけ顔を上げると、大きな猫目が私を真っ直ぐに見据えている。
    相変わらず、栗色の髪の毛が夜風になびいていた。

    「そんなに怖いの?」
    もう一度、先程の言葉を繰り返す。
    今度は囁くように。

    「委ねる事が、怖い?」

    優しい声。
    口角は上がったまま。

    「信じる事が?裏切られるかもしれないから?」

    私は。
    私は──

    「そうよっ悪い?!怖いわよ!全部を任せる事なんて、すぐに考えられるわけないじゃない!──結婚、なんて…わからないわよ…。怖いに決まってるじゃない…!」

    いつの間にか泣いていた。
    一度放たれた言葉に、感情が次々と溢れ出す。
    私はその場にしゃがみ込んだ。

    「怖いわよ、自分を託すのは……」

    顔を腕に埋めてぽつりと呟いたら、ふわりと頭に触れる細い指の感触が伝った。

    ゆっくり顔を上げると、同じように高屋さんもしゃがみ込んでいる。
    正直、泣き顔を見られる事に戸惑いはあるけれど。
    髪の毛を撫でられても嫌な気がしなかったから、私は何も言わずにされるがままになっていた。

    「あの人との未来なんて…見えなかったわ……」

    息をつくように。
    吐き出されたのは多分本音。
    その一言に髪を梳く指が止まって。
    彼女の片手が私の頬を包んだ。

    「…あたしは」

    私の目の奥までもを覗き込む、綺麗な綺麗な高屋さんの瞳。

    「先生…あたし──」

    指先に帯びた熱が頬に伝わる。

    私はその瞳に見入って、その熱に戸惑って、けれどそこから動けずにいた。


    「───…あたしは。あたしはさ…──私は…」
    人を食ったような彼女の口調が、改まった。


    彼女は口角をふっと上げたけれど、いつものようににやりとはしなかった。




    「私を選びなよ、先生」




    緩められた口元からこぼれた言葉はあまりにも優しく。

    鋭い瞳が私を射抜いた。


    「ねぇ、先生。気付いていたんでしょう?」

    あの時の、あの舌先を思い出す。


    言わないで。
    私を好きだなんて。
    愛してるだなんて。
    お願いだから、言わないで。
    その先を言われたら、きっと私は抗えない。


    「先生。ねぇ先生、私は…」

    愛してると言わないで…。

    「私は………あたしは」

    ──………え?

    恐る恐る顔を上げると、

    「あたしと一緒に来る?先生」
    フランスに、と。
    口角を上げてにやりと笑った。

    「──…遠慮するわ」

    泣きそうになるのを堪えながら応えると、

    「だよね」

    へらっと笑った。





    ありがとう。
    気楽な問いへと切り替えてくれて。
    ありがとう。
    愛してると言わないでくれて。


    じゃあねと立ち上がって街灯の明かりの下から一歩踏み出し、私に背を向けた彼女は、あの先を言うのは狡いからやめとく、と。
    ぽつりと呟いた。
    顔だけでこちらを振り返ると、だってそしたら絶対先生は…、そこまで言って泣き笑いのような表情を見せた気がする。
    暗闇はどこまでも陰りを包むから。






    差し出された華奢な腕に、縋る勇気はなかった。

    けれどそれはそこにあって、細くともしっかりとした確かなものだったのにね。





    あの日の私が欲しかったのは。
    間違いなくあなたでした。





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■10253 / inTopicNo.18)  すごい…
□投稿者/ さわ 一般♪(1回)-(2005/06/18(Sat) 00:48:55)
    BLUE AGEの方も読みましたが…秋さん天才ですか!?これだけテイストの違う話をこんなに思いつくなんてすごすぎです!!すっかり秋さんの魅力にメロメロな私です(^_^;)こちらは切なすぎますがこの先の展開が気になります!!どちらも楽しみにしてますね☆
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■10593 / inTopicNo.19)  さわさんへ。
□投稿者/ 秋 一般♪(21回)-(2005/06/30(Thu) 10:21:37)
    私の書くものがさわさんの目に触れた事、嬉しく思いました。
    BLUE AGEの方は完結までまだ時間が掛かりそうですが、こちらはようやく書き終えましたので、また目を通して頂けたら幸いです。
    感想、ありがとうございました。


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■10594 / inTopicNo.20)  さよならの向こう側14
□投稿者/ 秋 一般♪(22回)-(2005/06/30(Thu) 10:22:24)
    程なくして──
    彼女は異国の地へと発った。
    もっとも彼女にしてみれば、そこは異国でも何でもなく、まだ見ぬ故郷だったのだろうけれど。

    私に一言も告げず、目前に迫った卒業式を待たず、何の未練も見せずに静かに去った高屋さんは最後まで自由で。
    きっとあの夜が、私とのさよならだったのだろう。
    本当にあなたは猫のようね、その「らしさ」に思わず笑みがこぼれた。
    一欠片の寂しさを添えて。





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