| ―…もう、気付いたのが遅すぎたんだよ。
わたしは、踏み切りの前で足を止めた。
先生の車はわたしの視界から姿を消していた。
わたしと先生とのタイムリミットは、ある日突然やってきた。
―ゆきちゃん、先生ね、今週が最後なの。ごめんね。
そんなの勝手だよ。
なんの心の準備もできないじゃないか。
先生は家庭の事情だかなんだかで、ある日突然学校を辞めることになった。
いい先生だった。生徒にも、ものすごく慕われていた。
生徒の立場に立って一緒になって考えてくれる、
若くて頼れるいいお姉ちゃんみたいな先生。
そんな先生が、人間関係の軋轢から精神を病んで学校を辞める、
と聞いたのは全くの偶然だった。
先生が最後の日、化学の先生のもとにクラス全員分のレポートを取りに行って、
職員室前の階段で待たされていた時に聞こえてきた先生同士の会話。
「どういうことですか」
思わず聞き返してしまった。
わたしに聞こえてるなんて思わなかったんだろう、
そこで雑談していた古典の先生と数学の先生は、
お互い気まずそうに顔を見合わせていた。
先生方の会話は、なんだか気の毒だ、でもしょうがないよね、
そんな風に聞こえる調子で。
わたしは先生方に掴み掛からないよう、自分を抑えるのに必死だった。
せがんでよくやってもらっていた補習の授業中、
たまに先生がぽろりと愚痴を零すことがあった。
―ほら、先生ってさ、変な人が多いじゃない?…結構大変なのよ、人付き合い。
先生の置かれた境遇は、きっと先生にしか分からないくらい大変だったんだろう。
あの先生のことだ。
きっとわたしたちとわからずやの先生たちの間に挟まれて、
精神的に消耗していったんだと思う。
でもさ、酷いよ。
聞いてないよ、わたし。
わたし、先生と一番仲いい生徒だって思ってたのに。
先生、わたしに本当のことを何も言わないで行っちゃうつもりだったの?
確かにわたしは生徒だけど。
でも、学校の中では、一番先生に近い存在になったつもりだった。
毎日職員室に遊びに行ったし、
準備室で二人きりで補習を受けさせてもらったこともある。
悩み相談だって、たくさんした。
先生、もうわたしと連絡取らないつもりなのかな。
携帯の番号も、メールアドレスも、紙に書いて渡したけれど、
このままだと、連絡が貰えない可能性は高そうだった。
個人的なつながりがない限り、
校門を出てまで、あの人はきっと「先生」をやってはくれないだろう。
そうだ、この際、告白をしてしまおう。
そう決心が付いたのは、ついさっきで。
そうしたら、先生はわたしのことを、
少なくとも他の生徒と同列には扱えないだろう。
そう思って奮起したのだった。
一回くらいは、わたしとも外で遊んでくれるかもしれない。
…それまで一週間はと言えば、わたしはうだうだと、悩んでいたのだった。
連絡が取れなくなってしまって、諦めが付かないよりはよっぽどいい。
その結論に至ったのは、先生たちが帰りはじめるその時間で。
今日の帰りを逃せば、先生にもう一生会えないなんてことがありうることに、
わたしはやっと気付いたところだった。
先生の車は、べージュのデュエットなのは知っていたから、
わたしは急いで駐車場まで車の有無を確認しに行ったのだった。
わたしがローファーを履いて外に出ると、
ちょうど、なんとデュエットが校門からでようとしているところだった。
え、うそ、はやすぎじゃない!?
そう思うけれど、事実、デュエットは校門を潜り抜け、
学校に面した通りに出て信号待ちをしている。
運転席に座っているのは間違いなく先生だ。
「先生、待って…!!」
声をかけて追いかけるけれど、車内に居る先生にわたしの声が届くはずもなく。
「行っちゃうなんて、ずるいよ。待ってよ、
わたしとまだちゃんとお別れしてないじゃない…!!」
そうつぶやいて、一生懸命走って追いかけるけれど、
信号は無常にも、わたしが先生の車に追い付く前に青に変わってしまった。
「先生…!」
走って追いかけようとするものの、高校生の走りと車の速度なんて
比べ物にもならなくて。
全力で追いかけたけれど、到底追い付きもしなかった。
交差点を左折したところにある踏切まで、
タイミングよく電車来ないかな、そんな淡い期待を抱きながら
走って先生の車を追って、
閉じなかった遮断機を恨めしく思いながら、
とぼとぼと、来た道を引き返してきた。
ああ、これで終わりなのか。
一年半の片思いは、こんな形で幕を下ろすのか、
そう思うとなんだか情けなくて。
なんだか惨めで。
帰り道、学校まで歩きながら、泣いて帰った。
校門に差し掛かったところで、
ポケットに入れていた携帯が震えて、
見慣れない番号からの着信を知らせた。
「はい、もしもし」
―あ、ゆきちゃん?斉藤ですけれど。
「先生!?」
思わぬ着信に、思わず鼻を啜った。
瞬間的に、涙はぴたりと止まった。
―今さ、ゆきちゃん私の車の後ろ、走ってこなかった?
「!!…は、走ってましたけど」
―ごめんね、私に用だった?
「は、はい!」
―そっかぁ、ごめんね。一旦うちに荷物置いてからまた学校戻ろうと思ってるんだけど、
ゆきちゃんもう帰っちゃうかな?30分くらいはまだ学校居る?
「い、います!!」
―了解。ちょっと待ってて。渡したいものもあるし。
そうだな、じゃあ30分後に社会科準備室で。
「わかりました」
電話が切れた後、わたしはその場でへたり込んでしまった。
タイムリミットが延びたことへの安堵感。
そしてこれから起こりうる事態への緊張感。
何より、先生からの突然の電話の衝撃。
とにかく、先生とわたしの、タイムリミットは、
もう少しだけ、先延ばしされたようだった。
これが終わりない関係になることを願って、
わたしは先生の携帯番号を、メモリに登録した。
勝負は、ここからが本番だ。
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タイムリミット、と聞いて浮かんだのが
1.いなくなる先生を必死で追う少女 2.不倫相手の彼女を切なく見送る女 3.逢瀬の最中、迫るお別れの時間を前にしたカップル
だったので、1で書いてみました。 長文になってすみません。
次は「ふみきり」でお願いします。
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