| 秋も終わりに近付き。 冷気を帯び始めた空気は、けれどもとても澄んでいて心地が良い。 肌を刺激する、このぴりぴりとした感触が、私は好きだった。
「すっかり暗くなっちゃったね」 前を歩く笹木が振り返りながら言う。 「だから寮の近くのコンビニにしようって言ったんじゃん。わざわざ離れたとこ行かなくてもさー。陽沈んじゃって寒いし」 私はわざと素っ気なく、あー寒い寒いと身を縮こまらせて軽く笹木を睨んだ。 笹木はちょっと困ったように笑ったから、すぐさま私は「冗談だよ!」おどけて笑った。 じゃんけんに負けて買い出し係に任命された私と笹木。 夕食後の寮生達のおやつの調達だ。 ちょっと先のスーパーでプリンだのヨーグルトだの、頼まれたものを買い込んだ後にはすでに陽はとっぷりと暮れていた。 街灯の明かりに晒されて、笹木とふたり、夜道を歩く。 七時を少し回った頃だというのにこうも真っ暗になってしまうとは、と。 空を見上げて改めて思いを巡らせた。
「茜」 掛けられた声に、ふと立ち止まる。 見れば、数歩後ろに笹木の姿。 ぼんやり歩いていた私は、いつのまにか前を行く笹木を追い越していたらしかった。 「なにー?」 そこに立ったまま声を投げる。 笹木はゆっくりとした足取りで私の方へと近付いてくると、目の前で歩みを止めて悪戯っぽく微笑んでみせた。
「こんなにいい夜だもの。遠回りして帰らない?」
いつものようにふわふわと笑いながら、そう笹木が言うから。 へらっと笑って「そだね」と返した。
私と笹木。 ふたりの影が街灯の下で伸びる。 行きとは違う道を辿りながら、真っ直ぐに伸びる。 素敵な素敵な夜だから。 回り道をしようじゃないか。 せめて今宵限りでも。 「ねぇ」 声を掛けた私に、「なあに?」ゆっくり笹木は振り向く。 「手、繋ごっか」 一瞬間の後。 ふふっと笑う笹木。 柔らかな声。 「それは楽しそうね」 すっと、私の手が取られ、笹木は歩き出した。 つられて私も歩き出す。 ふたつの影が並ぶ。 ふたりの肩が触れる。 わざとらしくぶんぶんと繋いだ手を振ってみたりして。 それもちょっとばかり鼻歌交じりで。 「楽しいね」 「うん、楽しいね」 笹木も笑う。 冷たい空気に目を細める笹木をちらりちらりと時折横目で覗き見て。 堪らない想いを吐き出す代わりに白い息を吐いてみた。 「もう息が白いね」 笹木も私に倣って吐息をひとつ。 「秋なんてあっと言う間に終わっちゃう」 大袈裟に溜め息をついてみたらやはりそれも白くて。 「川瀬には辛い季節だわ」 相変わらずのゆっくりとした口調で笹木は言った。 その白を、一瞬私が飲み込んだ事に、きっと笹木は気付いていない。 「寒いの嫌いだから。朝、布団からなかなか出てこなくなるわ」 それでなくても朝は苦手なのに、と。くすくす笑う。 私は。 私は…。 「放っときゃいいんだよ。遅刻したって自業自得」 いつものように鼻息を荒げて悪態をついた。「もう…茜ってば」 ほうら、ね。 やっぱり笹木は困り顔。 いつものように。 そう、いつものように。 堪らない。 切なくて切なくて堪らない。 「川瀬の話なんてやめやめ。いい加減寒くなってきたし、そろそろ寮帰ろ?」 へらっと笑えば、 「そうね」 今までのやり取りを忘れたようにふわりと笑みが返ってくるのだ。 寮への道に足を向け、ふたつの影は進み出す。 前を見ている笹木の視線を確認して、私は小さく息を吐いた。 溜め息と言うには弱々しく、吐息と言うほど切なくはないけれど。 気付かれないように小さく小さく息を吐いた。 こんな気持ちで吐く息も、やはり変わらず白かった。
肌を刺すひんやりとした空気と、温かな笹木の手。 今だけは、さ。 そう、今だけは。 笹木の隣に居るのは私だから。 もう少し。 もう少しだけ遠回り。
冷たくなった指先に少しだけ力を込めたら、笹木はふふっと微笑んでその手を握り返してくれた。 絡めた指も、笹木の笑顔も、全部全部今だけは。 頬を撫でる風は、やはりぴりぴりと肌を刺激した。
やるせない想いも。 切なさも。 寂しさも。 吐く息の白さと一緒だ。 きっと、一緒だ。 寒さがみんなそうさせる。
冬はもう、そこまで来ている。
|