| 「それでは、お手元のグラスをお持ちください」 杏奈の声かけで、ようやく乾杯の合図に移った。 今日の式典は、午後の授業を穴埋めして行なわれる予定のため、 一年生は昼休みのうちに清掃や帰りのホームルームを終わらせる。 昼食は、温室で生徒会から提供されるのだ。 結果…目の前の大規模な立食パーティーが実現したのだった。
汚れるといけないという配慮から、 体育着で来ることを義務付けられている新入生たちは、 思いおもいに好きなものを食べ、語らっている。 一見、とても微笑ましい光景にも見えるが、 それまでの舞台裏を知っている和沙は、何はともあれ 無事に進行していくことだけを願っていた。
もう一時か…
時計を見ながら、昼休みに集合したばかりの温室を思い出す。 開始四十五分前だというのに、まだ飲み物が到着していないだとか、 照明に不具合が見つかっただとか、一年生の誘導係が急遽欠席して 足りなくなっただとか、実はアクシデント続きで一時は開催も危ぶまれたのだ。 それから、真澄の指示をはじめ生徒会役員の的確な動きで、 どうにかこうにか時間に間に合わせたのだった。 和沙と希実も、最後のセッティングの見回りと一年A組の誘導を任されたりして、 ちゃっかり『生徒会』の印字が施された腕章をしていたりする。 一年とはいえ、すっかり身内扱いになっている二人は、 もちろん体育着ではなく制服を着たままだ。
あ〜ぁ…
円滑に式を進めていくには、時としてアシスタントのように 力仕事を要求されることがある。 先ほどから、その役を任されっぱなしの和沙と希実は、 そろそろ自分たちの制服が汚れてくるのが気になっていた。 真新しいブレザーにうっすらと茶色い土気色が目立つのは、 プランターを持ち上げた時にでも付着したのだろうか。 「クリーニングはしてあげるから」 と言っていた真澄の言葉を信じてはいるが、 この制服…一式をそろえるだけでも相当な値段がするため、 もしものことを考えると不安になるのだ。
パサ… 式典の進行表が記されている紙を、 和沙はカンニングペーパーのように取り出してみた。
開会の挨拶 乾杯音頭 立食会 クラシック・コンサート 記念品贈呈 合同植林 閉会の挨拶
今は立食会だから… まだまだ先は長そうである。 「和沙、私たちもお昼ごはんにしよう」 和沙はそれを再び小さく折りたたんでポケットにしまいながら、 希実の声がする方向へと駆けていった。
|