ビアンエッセイ♪

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■13778 / 1階層)  ミュルティコロール 【21】 薄桃:忘れてはいけないもの。
□投稿者/ 果歩 一般♪(5回)-(2006/02/28(Tue) 22:14:00)
    2006/02/28(Tue) 22:20:58 編集(投稿者)

    結局1人で舞い戻った店のドアを開けると、私の部屋を行き来する女と、そして私を撥ねた女。


    2人並んで座っていたので、最初は数秒だけ理解不可能で、そうして何となくじっとしていた。



    「おかえりーサリー。」と、駱駝の奥さんが迎えてくれた。


    私を見て驚く四つの目。


    私こそ二つの目で聞きたい。どうして一緒にいるの?




    「早利?」と、私の部屋にいた女が、驚いたけれど嬉しいわ。という声で言った。

    隣の女は、シイナという名前だった。覚えてる。

    耳たぶに見覚えのある薄赤いサンゴのピアス。

    シイナは、じっと見ている。



    「どうしてここに?」と、私はやっと声を出し、足を前に出し、コートを脱いで、一先ず2人と一つ離れてカウンターに腰掛けた。

    「ああ、こっちは会社の子なの。一度ここに来てみたかったし。でもこの子も常連だったの。」


    こっちは・・と女が言ったところで、ようやく向こう側の隣に座っていた彼女が、頭をゆっくり下げた。


    「うちの店、ちゃんと覚えててくれたのよー。」と、ジャスミン茶を差し出しながら奥さんが言った。

    「ああ、そう。」と、一口啜る。熱くて甘い。

    「今日来るんだったら、言ってくれればよかったのに。」と、女が言う。


    「仕事の接待でと思ってたから。」と、私は言った。カウンターからヒキチが見ている。

    全く、全くという目でじっと見ていた。

    私の、こうした、のらりくらりやり流す性格を、ヒキチは軽く熟知している。多分、奥さんも。

    私が昼間、好きな女を一人連れてくると言っておいたくせに、こうして手ぶらで戻っても、そうしてそこに別の女がいたとしたって。

    お前だからね、お前だしね。と、ヒキチは目で言ってくれる。多分、奥さんも。



    「そうだったの。」と、女は手に持っていた箸を置いて、私を見つめた。



    突然、密かな苛立ち。


    誰かこの女の名前を早く呼んでくれないか。私はそう願った。


    けれども誰も言わない。

    そして、私を車で撥ねた女は、ヒキチの料理を食べ続け、私を覚えているのか覚えていないフリなのか、まだ絡まない。



    「何食べてるの?」と、仕方なく続けた。

    「魚。」


    「ああ、そういえばそう言ってたっけ」
    「美味しいの。」

    「じゃあ同じの。」と、私は奥さんに言った。




    誰も話を続けない。




    込み合わない時間帯になってきて、緩やかな空気が私達を絡めて一つにまとめようとする。



    「ねえシイナ、今日ちょっとここで会わせたい人がいるんだけど。」と、アマレットが言う。私のアマレット、私の白い桃。

    「んー?」と、向こう側で食べていた皿からシイナが顔をあげた。一緒にいたイチコという女の子はどうしたのだろうと、ふと思う。

    「会社抜きでね、一着作ってみないかなって。」

    「友達ですか?」

    「うん。でもねちょっとびっくりしちゃうかも」

    「何?」

    フフフと女は笑って、立てかけてあったメニューを開いた。

    「甘いお酒が飲みたいわ。」
    「ああ、じゃあケイファンチュウ入れてあげる。」と、奥さん。


    「それってギャラ抜きってこと?」と、シイナがのんびり聞いた。

    「ううん、頼んできた人が、ちょっと会ったら驚く人ってことよ。」

    「ビアンなんでしょ?」
    「うん」


    私はそれらを、何となく仕方なく、仕方なく横顔で聞いて見ていた。


    奥さんからコップを受け取って、壁の木時計を見ながら、一口飲んでいる。


    「美味しい、いい匂いね。キンモクセイ」と、にっこり笑っている。


    私はそんなことすら、横顔で見て聞きながら、少しだけ居心地の無さを知らされていた。



    私の前に湯気の立つ魚料理が出された。

    「今日で二回目のヒキチのご飯。」と、私も笑顔で皿を取り、箸を取り、いただきますと言う。

    「あら、何回だって来てくれていいんですよ?」と、奥さん。お腹の大きな奥さんの声。もうじき母になる声。


    「もうすぐ来ると思うわ。」と、コップを揺らしつつ、女が言った。

    「ふーん」と、シイナは言うと、すっと立ち上がって手洗いに行ってしまった。


    「あの子、同じ職場の子でね、ちょっと仲いいのよ。」と、説明される。

    「うん。そうみたいだね」

    「ちょっと元気なかったから、面白い仕事させてあげたくて、ここにも来たかったし」と、また説明された。


    「シイナ元気なかったの?」と、奥さんが聞く。


    もう平気なんじゃない?とニッコリして、女はまた、コップの中身を飲んだ。

    一つ席を離れて座っていても、甘い花の匂いがする酒だと分かる。


    私は自分の皿の中身を食べながら、不思議な光景だと思った。


    この店の中にいるだけで、何一つまとまっている感じなど、すっかり無い気がする。


    と、ケータイが震えていた。

    箸を置いて出る。もしもし。





    『あたしです。』と、シイナの声がした。

    「ああ」


    私は周りに知らん顔で、仕事の電話のフリをする。




    『ええっと、何ていうか』



    「うん、今日はこのまま。」



    私は、今この店の中で、別の時間に別の場所で起こったことで出会った事実を取り出してみることは、相応しくないと、シイナが思っていることに同意していた。



    『また後で連絡します。』

    「うんうん。」




    じゃあ、とシイナが切った。


    「仕事?」と聞かれた。



    「そう」




    手洗いからシイナが戻る。


    「あたしも飲もうかなー。」


    「いいわよ。」

    「でも仕事の話するからダメでしょ。」


    「ううん、友達だし、いいわよ。」


    「じゃあお酒頂戴。」と、シイナがヒキチに言った。


    「でも酔っ払わないでね。」

    「はーい」



    本当に仲が良さそうだ。


    それに、私の部屋にいる時とは少しだけ違う。

    2人の時は、私しか見えていないと思うほどに、私と一緒の時間を食している。


    やっぱり、特別な女性だと思う。


    「どんな人?」
    「んー、可愛いわよ。ちょっかい出さないでね」

    「仕事する時はちゃんとしますけどー」
    「うんうん」

    「サリーは仕事でも、ちょっかい出してそうだけどね」と、奥さんが笑いながら言う。

    「あ、それ当たってるかも。」と、女が言って、2人でクスクス笑う。それを眺めて笑顔のシイナ。


    幾つもの笑顔の数だけ、幾つもの確かな存在。



    誰一人、私をサリーと呼び、シイナをシイナと呼ぶけれど、彼女の名前は出てこない。




    「ねえ隣に座って。」と、女が自分の隣の椅子をポンと叩く。

    私は一つずらして、真横に座り、シイナと私で彼女を挟んでカウンターに並んだ。


    彼女がそっとコップを持って置いている私の指を触り、ニッコリする。

    酔っちゃったわ。と言う顔をしている。

    少しの愛しさを感じて、自分の力でこの女の名前を思い出したいと思った。




    −忘れないで。





    ズキズキと頭が鈍く痛む。


    私は彼女の指を解くと、手洗いに向かうために立ち上がった。



    「なーに、早利も酔ったの?」


    「うん、そうみたい。」


    ゆっくり歩いて洗面所に入った。



    数分、1人でいられる間に、さて



    彼女が誰かを必死で思い出そう。



    胸ポケットからタバコを取り出して火をつける。

    洗面所に飾ってある幾つかの風景写真が目に入った。

    海外。

    アジア。

    ヒキチの趣味だ。



    「あ・・」




    一つ青々とした空の下の公園が目に止まる。何処かでこれを見ている。


    手を伸ばした。


    頭が痛い。



    手を伸ばした。



    写真を壁から外して手に取る。


    タバコの灰が落ちた。




    写真には 青いペンで




    『DARCY』と書いてあった。




    ダルシー


    ダルシー








    −一緒に行くの。



    −ごめん。





    −私と一緒に。

    −誰か1人を束縛したいって思えない。



    −私じゃダメなの?





    −誰か1人を自分が一番大事にするなんて責任が持てないんだよ






    −私を傍で見てたら分かるわ。







    −無理だよ










    多分、怖かったんだと思う。そこに飛び込むのが。


    つまり、勇気が欠けていた。






    −じゃあ1人で行くわ。






    雨が降るから傘を忘れないで。そして今このやり取りも、決して忘れないで。

    優しく呟いてくれた。


    いい?忘れないで。私1人で行くから。

    安心して、1人で行くから。


    ねえ私が言った、この言葉を覚えていてね。じゃあ行って来まーす。





    嫌だった。それが嫌だった。



    そのまま部屋を出た。




    私は香の炊かれた、そうした花の匂いの手洗いで、向こうの店内の音楽を遠くシャラシャラと聴きながら、それらを思い出す。



    忘れてはいけないものを忘れようとして、忘れてはいけないものを忘れてしまった。



    ああ、私は罰を受けている、今。



    彼女の名前を叫びたい。
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