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■15302 / 1階層)  ミュルティコロール 【24】 薄桃:醒めた実の匂い
□投稿者/ 果歩 一般♪(1回)-(2006/07/13(Thu) 12:20:02)
    「サリー先生?」と、私は鈴に鳴って呼ばれた気がした。


    過去を思い出せないのではなく、現在の女の名前一つ失ったことに、苛立ち始めていた私の耳に届く。

    その声の方向を見ると、店の入り口にアサコが立っていた。


    「どうして此処に?」と、私は尋ねた。

    隣で少しだけ青い顔色のジュンコが、それでも私にニッコリとして返事をする。

    「ここで人と待ち合わせをしてたんです。」


    店の中が、少しだけザワザワとした。

    当然だ。名の知れたアサコがいるせいだ。皆の目の中にアサコが映って増えていく。

    「アサコが早利の書いたものに出てるって、全然思いつかなかったけど、そういえばそうだったわ。」と、横に座っていた女が笑いながら言った。

    そうだったわ。と、ジュンコとアサコに笑っている。


    私の仕事に溶け込む他人を、ちっとも気にしないこの人は、大人だ。


    「ひょっとしてあたしの仕事って、この子のドレス?」と、シイナが言った。


    「そうよ」



    「ふーん」



    カウンターの真後ろにあるテーブルに、女優と、その付き人は座った。


    私は、状況を飲めても筋が読み込めなくて、質問をする。

    「ドレスって?」

    「あたしのウエディングドレスよ。」と、アサコが私に答えた。


    「結婚、するの?」

    「うん。」


    私以外の全員が、落ち着いて話を聞いている。

    世界では、女優が結婚するとなると、一塊の話題になるのが先の読みだ。


    その程度だ。


    その程度の世界だ。私達はそれでも世界では、その程度。


    だから素直に祝福を。



    「相手は私の知ってる人かな。おめでとう。」と言うと、アサコは微笑み返しをした。

    「知ってるも何も、ここにいる誰かよ」と、女が言った。

    「この店に相手が来るの?」

    「そうだよー。来るんじゃなくて、もう来てるの。」と、アサコが言う。

    カウンターの奥にいるヒキチすら、知っているかのように知らん顔をしていた。

    シイナはアサコの洋服を眺めて、一人何かを考えている。


    アサコと向き合って座っているジュンコは、奥さんから貰ったお冷を飲んで深呼吸していた。
    顔色が少しだけよくなっている。

    そのコップを持つ手に、アサコの指が触れて、触れたその指はそのまま、手首の辺りを撫でていた。

    その撫で方で私は全てを読んだ。

    「ひょっとして・・」

    「そうよ。」

    女が私に言った。「そういうことよ。」








    シイナ

    ジュンコ

    アサコ

    ヒキチ

    ヒキチの妻



    全員が一つの、透明に濁った、その偏見の砂の溜まる水槽。



    漂っているのか、泳がされているのか、けれども私は、そこに沸いて出るはずの安心感や急激な結束感は、何故か感じなかった。







    同じ世界。








    アサコとジュンコが仕事以外で支えあっていても不思議ではない。

    けれども恋愛であるのは不思議以上に、簡単に理解できない。

    理解できないけれど、ああそうかと簡単に納得した。


    「あたしは先生が女好きだって知ってたわよ。」と、アサコが頬杖をついて言う。

    「そう?」

    「うん」



    そこへ男の声が割り込んだ。「Asakoでしょ!」

    アサコが見上げると、奥のテーブルから来たらしい、酒に酔った20代位の男が2人。

    「ううん、違うよー。」と、アサコは笑って返事した。

    「えー!嘘だろ?本物っぽいよ?」
    「絶対本物だって!」

    小さく興奮している感じで、アサコをジロジロと眺めた。
    アサコは撫でていたジュンコの手を離さず、笑ったままで違うよーと返事を繰り返す。

    男の一人が携帯電話を尻ポケットから取り出し、アサコの横にかがんで勝手に撮影をしようとした。

    ジュンコが言う。「ちょっと、やめなさいよ。」


    「えーやっぱり違うの?」

    「だから言ってるでしょー?違うよー。」


    私達は会話を止めて、それが終わるのを待っていた。

    けれども次の言葉が、アサコを怒らせた。


    「そっかー偽者かぁ」


    フラフラしながら詫びれもせずに言ってのけた。

    途端にアサコが立ち上がって、笑ったまま男の頭にジュンコの飲みかけの水を振り掛けた。



    そうするだろうと思っていたが、私は見ていた。



    ジュンコが止めるのは、間に合わなかった。


    「何すんだよ。」と、男が笑って言う。一緒にいた男も笑っている。

    「偽者扱いしないでよ。」

    「本物じゃねーんだから偽者だろ??」

    それは違うだろう。


    「それ違うだろ。」


    シイナが言った。「っていうよりさ、あっち行ってくんない?」


    「はぁ?」

    「あたし達、大事な話してんだから邪魔すんなよ。」

    「何ー大事な話ってー俺らも入れてーーよーーーーー」


    水を引っ掛けられても腹を立てず、シイナを煽っている。

    たちが悪そうな感じになり始めていた。


    「ね!本物?やっぱ本物?それとも偽者?」


    また同じことを言い始める。


    アサコとジュンコは目を合わせて、店を出ようとしている。
    迷惑かけちゃ、ダメだから。出よう。

    と、アサコの腕を男が掴んだ。「逃げないでよーーーー」

    「ちょっと離してよ。」
    「何で逃げんのーー」

    「離せよ。」と、シイナが立ち上がった。

    私も向きを変えた。
    女もそちらを見る。

    「離してよ。」と、アサコが腕を振ったが、離さない。

    「じゃあ一枚だけ写メしてよー」
    「離してよ!!!」

    「離せよ。」と、シイナが男の肩を掴んで言った。いけない。

    遅かった。

    「何だよお前、何様?」
    「嫌がってんだろ?」
    「何?レズのファンみたいなことすんなよ」

    私はヒキチに目配せした。

    「とにかく離せよ」
    「離してよ!」

    「ギャアギャア煩ーんだよ。」と、もう一人の男がシイナの胸を押した。

    よろめいてカウンターに背中が当たり、飾ってあったピンクのラクダが倒れた。

    ガシャンという音。


    「シイナ!」と、アサコが叫び、腕を振る。「離して!バカ!」

    シイナが男にグラスを投げた。

    まともに当たって、顔を抑えてうずくまる。

    アサコの腕を離してもう一人がそれに近寄る。

    ジュンコがアサコの手を引いて寄せ、男から離れる。


    グラスをぶつけられた男の額から赤いものが見えた。



    ヒキチは受話器を耳に当てている。



    「痛ってー・・・っこの野郎・・」

    男がシイナを殴ろうと拳を振った。

    シイナの顔、ではなく・・


    「ハツエ!!!!!」

    「ハツエさん!!!!!」



    かばった女の顔に当たり、女が倒れた。異様にゴツと鈍い音がした。
    殴られた勢いで倒れ、頭をカウンターに当ててしまったのだ。


    シイナとジュンコが叫ぶ。



    ハツエを抱き起こすとを、彼女からも赤いものが見えた。

    何も言わない。

    ハツエは私に、何も言わなかった。



    ヒキチがカウンターから出てきて言った。

    「出ろよ。外に出ろ」

    ハツエを殴って酔いが醒めた男と、アサコに絡んだ男は、少し正気が戻って青くなっている。

    他の客達が同じ目で見ていた。



    男が財布から紙幣を出すと、床に投げて、慌てて店の外へ出て行った。





    今思えば、自分の力で完全に蘇らなかった彼女の名前、ハツエという名前、そういったハツエについての程度こそが、私の中での彼女の薄さを示していたと思う。

    何故、忘れたのかより

    何故、思い出せなかったのか。


    こんな形で思い出したことが、私には拍子抜けだった。


    「ハツエ・・」と、私は彼女を抱き起こし、額に触れる。


    ハツエは、やっと薄目で笑い、そのまま目を閉じた。


    「ハツエさん!」

    「あんまり動かすな。」




    わぁという店内と、サイレンと、ヒキチ夫婦と、そしてシイナが私の隣で彼女をずっと呼んでいた。


    ハツエさん

    ハツエさん


    抱きかかえた彼女から、薄い、果実の匂いがした。



    「ハツエ」



    私はハツエを呼ぶことが出来た。


    けれどもその時にはもう、私とハツエは、役割を交代したのだった。



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