ビアンエッセイ♪

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■20150 / ResNo.80)  第一章 さくらいろ (68)
  
□投稿者/ 琉 ちょと常連(75回)-(2007/10/08(Mon) 00:18:46)
    「それでは、お手元のグラスをお持ちください」
    杏奈の声かけで、ようやく乾杯の合図に移った。
    今日の式典は、午後の授業を穴埋めして行なわれる予定のため、
    一年生は昼休みのうちに清掃や帰りのホームルームを終わらせる。
    昼食は、温室で生徒会から提供されるのだ。
    結果…目の前の大規模な立食パーティーが実現したのだった。

    汚れるといけないという配慮から、
    体育着で来ることを義務付けられている新入生たちは、
    思いおもいに好きなものを食べ、語らっている。
    一見、とても微笑ましい光景にも見えるが、
    それまでの舞台裏を知っている和沙は、何はともあれ
    無事に進行していくことだけを願っていた。

    もう一時か…

    時計を見ながら、昼休みに集合したばかりの温室を思い出す。
    開始四十五分前だというのに、まだ飲み物が到着していないだとか、
    照明に不具合が見つかっただとか、一年生の誘導係が急遽欠席して
    足りなくなっただとか、実はアクシデント続きで一時は開催も危ぶまれたのだ。
    それから、真澄の指示をはじめ生徒会役員の的確な動きで、
    どうにかこうにか時間に間に合わせたのだった。
    和沙と希実も、最後のセッティングの見回りと一年A組の誘導を任されたりして、
    ちゃっかり『生徒会』の印字が施された腕章をしていたりする。
    一年とはいえ、すっかり身内扱いになっている二人は、
    もちろん体育着ではなく制服を着たままだ。

    あ〜ぁ…

    円滑に式を進めていくには、時としてアシスタントのように
    力仕事を要求されることがある。
    先ほどから、その役を任されっぱなしの和沙と希実は、
    そろそろ自分たちの制服が汚れてくるのが気になっていた。
    真新しいブレザーにうっすらと茶色い土気色が目立つのは、
    プランターを持ち上げた時にでも付着したのだろうか。
    「クリーニングはしてあげるから」
    と言っていた真澄の言葉を信じてはいるが、
    この制服…一式をそろえるだけでも相当な値段がするため、
    もしものことを考えると不安になるのだ。

    パサ…
    式典の進行表が記されている紙を、
    和沙はカンニングペーパーのように取り出してみた。

     開会の挨拶
     乾杯音頭
     立食会
     クラシック・コンサート
     記念品贈呈
     合同植林
     閉会の挨拶

    今は立食会だから…
    まだまだ先は長そうである。
    「和沙、私たちもお昼ごはんにしよう」
    和沙はそれを再び小さく折りたたんでポケットにしまいながら、
    希実の声がする方向へと駆けていった。
引用返信/返信 削除キー/
■20162 / ResNo.81)  第一章 さくらいろ (69)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(76回)-(2007/10/11(Thu) 22:41:28)
    所定された席は、簡易キッチンのすぐ側だった。
    水廻りという、汚れやすい場所を招待した観客に
    見せたくないのはもっともである。
    和沙がちょうど着席しようという頃、
    温室の中央の方から何やら弦楽器の音が聞こえた。

    あれは…?

    調和のとれた音色に、気品ある響き。
    それは、間違いなくバイオリンの奏でる音だった。

    「ただ今より、クラシック・コンサートを行います。
    演奏するのは本校管弦楽部の皆様です。
    ご歓談中のところ恐れ入りますが、
    春の調におくつろぎいただければ幸いです」
    すかさずマイクでアナウンスが流れると、
    ほどなくして演奏会が始まった。

    さっき椅子を運ばせたのはこのためだったのか…

    いつも使っているベンチでは数が足りない。
    そのため、急遽パイプ椅子を運んで中央ホールを形成させたのだ。
    演奏している者の人数としては小規模だが、
    その場はまるで小さなオーケストラボックスへと様変わりしたようだった。
    そして、それをさりげなく盛り上げるのは、聴いている生徒たち。
    さすがはお嬢様学校と言い表すべきか。
    誰一人として、退屈そうな表情を浮かべている者はいない。
    みなうっとりとした顔をしながら、静かに聴き入っていた。
    優雅な空間だった。

    あ、この曲は…

    聴いたことがあるかもしれない…
    和沙はいわゆる英才教育と呼ばれる特別な習い事は受けていない。
    それでも、今流れている音楽には聞き覚えがあるのだ。
    あれは、そう確か小学校の給食の時間。
    放送室から流れるその曲を聴きながら食べるのが、毎日の日課だった。
    六年間の記憶とは恐ろしいもので、
    刷込みのように聴いていた楽曲というのは
    当時の思い出を鮮明に呼び戻してくれる。

    「アイネクライネナハトムジークよ」
    「へ?」
    突然、横からあいね何とか…と聞かされて、
    和沙はとっさに寝ぼけたような返事をしてしまった。
    「モーツァルトの代表曲の一つね。
    演奏しているのは有名な第一楽章」
    『モーツァルト』とか『第一楽章』とかいう単語を聴くと、
    そういえば音楽の時間にも習った覚えがある気がしてくるから不思議だ。
    ご丁寧にも教えてくれたのが、隣に居る真澄だということが
    腑に落ちないのだが、それでも一応訊いてみた。
    「この曲は先輩がリクエストしたんですか?」
    噂では、一年時に合唱部、吹奏楽部からのスカウトも
    多数目撃されている彼女である。
    相当の音楽通であると推測される生徒会長ともあろうお方が、
    この学校の生徒だったら誰でも知っているこんな名曲など
    リクエストするはずない…とすら思っていたのに。
    「そうよ」
    真澄はサラッと肯定した。
    ええっ、と和沙が反応する前に演奏曲が変わった。

    あ、これ…

    和沙は次に流れてくる曲にも聞き覚えがあった。
    というか、おそらくこの曲は、
    最近のテレビコマーシャルでもおなじみの曲だろう。
    曲調が遅いクラシックの曲の中では、比較的耳に残りやすい名曲だ。

    演奏会は、和沙でも知っている著名な作曲家のオンパレードで、
    時々聴いたことがない…たぶんマニアックだろう曲目を披露していた。
    「あのう…何で有名な曲ばかり…」
    和沙は、たどたどしくも自分が知りたいことを要約して真澄に話した。
    「音楽は万国共通って言うじゃない?」
    得意気に笑う真澄の顔が、和沙には今だけ眩しく映った。
引用返信/返信 削除キー/
■20164 / ResNo.82)  第一章 さくらいろ (70)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(77回)-(2007/10/12(Fri) 01:24:45)
    ほどなくして、演奏会は終了したが、
    立食会はまだまだ続くということで、
    会場の温室は未だ熱気に包まれていた。

    「じゃあ、私はご挨拶に伺ってくるわね」
    そう言って真澄や役員たちは、食事もほどほどに早々と席を立った。
    聞けば、懇意にしている会社のご令嬢や取引先の重役の娘が
    多数出席しているという。
    彼女たちはすでにこの歳で名家の看板を背負っているのだろうか。
    だとしたら、頭が下がる。
    特に、真澄がポケットから取り出したメモの端書きのようなものには、
    チラッと見えただけでも何十人という個人が連名されていた。
    ブルジョア階級とは縁がない家庭で生まれ育った和沙は、
    その後ろ姿をぼんやりと見つめながら、
    クリーニング代がちゃんと支給されるかどうか聞けばよかった…
    などと考えていた。

    飲み物を取ってくるという希実と入れ替わりで、
    一仕事終えたような表情で杏奈が戻ってきた。
    「先輩はどちらに…?」
    ご両親が公務員だという杏奈は、いっちゃあなんだが
    どちらかというと和沙と近い立場にあるはず。
    だから、特に挨拶する相手など居るのか和沙が疑問に思うのは当然だった。
    「ああ、父が勤めている外務省の上司のお嬢さんと、
    母が勤めている文部科学省の部下の娘さんに、ちょっとね…」
    公務員は公務員でも彼女の家庭の場合、キャリア組だった。

    「ホラ」
    杏奈が指差す方向には、希実が今まさにジュースが入ったコップを
    二つ持った状態で、一人の女生徒に声をかけられているところだった。
    「あれは…?」
    「たぶん…お父様が経営する会社の下請け会社か何かのお嬢さんでしょ」
    「えっ?」
    和沙は眼を激しく瞬きさせた。
    それもそのはず。
    いま耳にした情報は、全くをもって初耳だったのだから。
    「希実って…社長令嬢だったんですか?」
    「知らなかったの?」
    和沙と杏奈は、それぞれお互いの顔をまじまじと見つめて驚いた。

    「ごめん、遅くなって」
    希実が再びテーブルへ戻ってきたのは、
    それからさらに数分が経過した頃だった。
引用返信/返信 削除キー/
■20165 / ResNo.83)  第一章 さくらいろ (71)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(78回)-(2007/10/12(Fri) 01:47:49)
    「ねえ、何で教えてくれなかったの?」
    これでもう三回目の質問だ。
    「だーかーら、隠していたんじゃないってば」
    希実もさすがに疲れたように繰り返す。
    思い起こせば、希実と出会ってから早二週間近く…
    最初に特待生同士として打ち解けたことが、やはり一番大きな原因だろうか。
    特待生=一般人という図式が、和沙の頭の中ではいつの間にか
    当たり前になっていた。
    けど…
    「あのね、うちの親父の会社なんて
    本当に小さい事務所みたいなもんなんだから…」
    そうは言っても、先ほどあの同じ一年生から挨拶をされていたじゃないか、
    と和沙が問いただした。
    「ああ、あの子は確かにうちの下請け会社の娘さんだけど、
    下請けっていってもほとんど独立してるし、
    他からも受注があって繁盛しているみたいから、
    むしろあっちの会社の方が大きいんだって」
    もうほとんどうちが下請けしているようなものかも、なんて希実は笑った。
    「そっか…」
    何となく言いくるめられてしまったような気がしないでもないが、
    とりあえず彼女が言うにはそういうことらしい。
    「そうだよ〜。私の家だって、百合園の学費なんて無理だって。
    …だって、きっと払ってくれないし…」
    まだ何か言いたそうで、それでいてどこか苦しそうな表情の希実は、
    大声でこの話をやめにするよう打ち切ってしまった。

    …希実?

    その時の和沙は、まだ希実が考えていることなんて
    さっぱり分からないでいた。
引用返信/返信 削除キー/
■20166 / ResNo.84)  第一章 さくらいろ (72)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(79回)-(2007/10/12(Fri) 02:00:20)
    ハァ…
    和沙は、お手洗いの鏡の前で大きなため息をついた。
    時間が経つにつれて、何だか自分が場違いなように感じてしまうからだ。
    これまでずっと特待生は自分と似たような境遇だと思いこんでいた。
    けれど、ご両親はエリート官僚だという杏奈に、
    実は父親が会社を経営しているという希実。
    こんな風に、生徒会に関わる錚々たる顔ぶれを思い浮かべると、
    ふと、自分の両親のことを思い出してしまう。
    厳格だけれども心強い父は、中堅企業の係長をしている。
    それを支える母は、ごくありふれた専業主婦だが、
    躾には厳しく、でも評価してくれる時は人一倍誉めてくれる。
    中学までは、そんな両親を引け目に感じたことは一度もなかった。
    公立だったし、周りも似たような家庭ばかりだったという環境も大きいだろう。
    両親のことは、今だって誇りに思う気持ちに変わりはないが、
    いかんせんこういう学校である。
    ごく普通に学園生活を送るならともかく、
    生徒会候補生になって学校の中心として働くとなると、
    学年主席というだけの肩書きに自信がある、といえば嘘になる。
    候補生の人選に異論と唱える生徒が多数出てくるかもしれないし、
    また批判まではいかなくとも、華やかさに欠けるメンバーだと
    揶揄されるくらいのことは予想にかたくない。

    でも…

    生まれながらの家柄ってどうにもできないし…
    和沙は、努力してもどうにもできないことで悩むのが嫌いだった。
    努力さえすれば、世の中の全てが報われるわけではないことは重々承知の上だが、
    それでも出身とか性別とか容姿とか根本的にどうしても変えられない性質に対して
    とやかく言われるのは、納得がいかないのもまた事実。
    そして、もし自分が候補生への推薦を辞退すれば、
    そのことを認めているようで癪なのだ。

    候補生抜擢の話を断る理由がふさわしくないからなんて、絶対に嫌!

    それが、和沙が出した結論だった。

    和沙が手を洗いながら悶々とそんなことを考えていると、
    鏡の向こうの時計はもうすぐ二時半になろうとしていた。
    二時半からは、生徒会が贈呈する記念品を授与する
    手伝いをしなくてはならないのに。
    ちょっと席を離れて休憩に来たつもりが、
    このままではまた真澄の恰好の餌食となってしまう。

    急がないと…

    和沙が慌てて出入り口の扉を開けようとした瞬間に、
    外からこちらへ入ってくる者がいた。
    「おっと」
    幸いにも、扉は外側へ開くタイプだったから惨事は免れたが、
    向こう側の人も焦っていたのか、和沙の懐に入るようなかたちで
    ぶつかることだけは避けられなかった。
    「ご、ごめんなさい」
    双方で謝ると、思わず相手の顔を確認してしまう。

    ん…?あれ、この子どっかで…

    和沙よりも身長が低く、かなり小柄なその女生徒は、
    先ほど希実に話しかけていたまさにその人だった。
    「あ、大丈夫ですか?」
    思わず和沙が尋ねてしまったのは、ぶつかった衝撃を心配してではない。
    その生徒の顔色があまりに蒼白く、体調を気遣ってのことだ。
    「平気です、すみません。
    薬を飲み忘れちゃっただけなんです」
    そう言って微笑む彼女は、再び急いで洗面台へと懸けていった。
    和沙の方も急いでいたこともあり、
    振り返ることなくお手洗いを後にした。
引用返信/返信 削除キー/
■20169 / ResNo.85)  NO TITLE
□投稿者/ スマイル 一般♪(3回)-(2007/10/13(Sat) 10:55:17)
    琉さん
    更新されて、ソレを読んでいくたびにドンドンとこの物語にハマっていきます(>_<)
    そして、琉さんが書いてくれていた点にも注目していますぅ!本当、どんな展開になっていくのか楽しみでしかたありません(*≧m≦*)
    頑張って下さぃね!

    (携帯)
引用返信/返信 削除キー/
■20171 / ResNo.86)  スマイル様
□投稿者/ 琉 ちょと常連(80回)-(2007/10/14(Sun) 01:25:46)
    こんばんは。コメントをありがとうございます。
    今さっき、ようやく第一章を書き終えました。
    これから順次アップしていきますね。
    自分では面白おかしく書いているつもりなんですけど、
    もしラストがご期待に添えなかったら…ゴメンナサイ。
    よろしければ、第二章にもお付き合いいただくと嬉しいです。

引用返信/返信 削除キー/
■20172 / ResNo.87)  第一章 さくらいろ (73)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(81回)-(2007/10/14(Sun) 01:34:36)
    「どこ行ってたの?」
    お手洗いから戻ってきた和沙に、真澄が怒ったように尋ねた。
    「あ、すみません。ちょっとお手洗いへ…」
    嘘をつく必要はないため、和沙は正直に話した。
    「ほら、そこの陶器を台車に乗せてちょうだい。
    和沙はA組へ、希実ちゃんはB組のアシスタントをしてね」
    言われた方向を見ると、なるほどガーデニングでよく利用される
    彫刻などがあしらってある可愛らしい陶器の入れ物が山積みになっていた。
    昼休みの打ち合わせでは、これが記念品だということらしい。
    この茶色い陶器に、事前にアンケートで調査をしていた
    人気の高い花を用意していて、それぞれが好きな花を
    自由に植えていくシステムのようだ。
    おそらく、コンセプトとしては、これから花開く蕾のように
    学園生活を謳歌してほしいということだろうか。

    百合園は一学年に四つのクラスがある。
    そのため、A組から順に生徒会長、副会長、書紀、会計の四人の役員が、
    それぞれのクラスの指導係に配属される。
    一人で約四〇人の生徒をまとめあげるのは非常に困難であるため、
    その補助役として和沙と希実、それに二人の栽培委員会が宛がわれた。
    すでに陶器以外に必要な花や土や小石、スコップなどは
    生徒の目の前にある作業机に準備されてある。

    出席番号の順番で四クラスの生徒が横一列に並んでいる様は圧巻だが、
    全員に記念品を授与していくのは結構手間がかかるのだ。
    「はい、どうぞ」
    役員が、一人またひとりと手渡ししていく。
    「あ、ありがとうございます」
    普段はあまり間近で見られない役員を目の前で拝めることもあり、
    ほとんどの一年生は緊張のせいか、声が上ずっていた。
    中には、憧れの生徒会役員と対面できたことで
    感動のあまり泣き出す生徒も出たり、
    役員の手に触れたことで喜びの奇声をあげる者もいた。
    何にせよ、初々しいものである。

    「まあ、大変」
    突然、とある生徒の前で真澄が手を止めた。
    その生徒は、自分が何かしてしまったのかな…
    という不安げな表情をしている。
    「髪がお顔にかかってしまっているわ」
    そう言って真澄はその生徒の顔に触れ、
    丁寧に髪の毛を拭うように払いのけた。
    「素敵な髪型ね。はい、これどうぞ」
    これぞ極上の笑みといった笑顔を浮かべながら、
    真澄は次の生徒へと移っていった。
    当然、その生徒は今にも卒倒しそうなほど顔を赤らめて
    ペコペコと何度もお辞儀をしながらお礼を言った。

    おいおい…

    本当に外面だけは完璧なんだから。
    白々しい目を向けながら、和沙はこれで自分にも
    もっと親切にしてくれたらな…と諦め半分で願ってみた。
引用返信/返信 削除キー/
■20173 / ResNo.88)  第一章 さくらいろ (74)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(82回)-(2007/10/14(Sun) 01:40:33)
    「あ、ほら和沙。もう残りが少なくなってきたわよ」
    手元を見れば、乗せていた陶器は、確かにもうあと三個しかなかった。
    一度に台車で運べる数は限られている。
    だから、足りないあと約半分はちょっとずつ補充していくしかない。
    「取ってきますから、ここはお願いします」
    そう答えて、和沙は走って向かった。
    「慌てないでね」
    壊れやすい物なのだから…と真澄が忠告していたのは
    気のせいではないはずだ。

    「一、二、三、四、五…っと」
    一回に持ち運べるのは、五個が限界のようだ。
    何ていったって、壊れやすい陶器なのだから、
    慎重な取り扱いが要求される。
    和沙は、ふと視界に映った室内をグルッと見渡してみた。
    思ったよりも、結構人が来ている。
    歓迎会の出席は強制ではないというのに、
    むしろいつもの授業よりも出席率が良く感じるのは何故か。
    各学級の生徒たちは、他愛ないお喋りで盛り上がったり、
    勇気を振り絞って役員に話しかけてみたり…と
    各自がそれぞれで楽しんでいるようだった。
    そんな中、誰か一人の生徒が温室に入ってくることに気がついた。
    誰かと思いきや、先ほどお手洗いですれ違った彼女だった。

    あ、戻ったんだ…

    まだ顔色は優れないようだったが、それでも薬を飲んだら
    少しは症状が和らいだのだろう、と解釈して、
    和沙は今度はゆっくり歩いて真澄のもとに向かった。
引用返信/返信 削除キー/
■20174 / ResNo.89)  第一章 さくらいろ (75)
□投稿者/ 琉 ちょと常連(83回)-(2007/10/14(Sun) 09:45:06)
    「それでは、ただ今から実演を行ないますので、
    生徒会役員の手元にご注目ください」
    真澄がマイク越しに指示を出す。
    ただ、両手が塞がれているので、先ほどまで使用していた
    通常のスタンドマイクではない。
    ワイヤレスタイプの接話型マイクだ。
    コールセンターの人たちが身につけているアレである。
    どこに隠してあったのかは知らないが、
    備え付けのスピーカーまで完備して、音響性は抜群だ。
    昨日、和沙がここを訪ねてきた時には、広くて
    反響しにくい場所だと思っていたのが一変…
    いまや音楽室や視聴覚室に続くシアターのようだ。
    さすがお金の使い方が違う。
    今度もし温室で迷うようなことがあれば、
    ぜひともあのマイクを借りたいものだ。

    飛行機の客室乗務員が離陸前に緊急着陸態勢の器具解説をするように、
    真澄は丁寧に説明をしていった。
    「まず、気に入った花を選んでください。
    ここでは、このパンジーを使用することにします」
    そう言って、役員たちは一番近くにあるパンジーの花を持ち上げた。
    「次に、陶器の中に小石を数個投入します。
    容器の底をご覧ください。
    小さな円形の穴が確認できるはずです。
    これは、中の温度や湿度を調節するためにあるものですが、
    そのままではここから土が漏れるため、それを防ぐために行います。
    できたら、土も少量は入れておいてください」
    説明通り、引き続き山盛りにされた青い小石を数個取り上げ、
    陶器の中にパラパラと入れていく。
    その上にスコップですくいあげた少しばかりの用土も一緒に入れた。
    「最後に、ここが一番重要なのですが…
    備え付けの黒いビニールポットは、
    そのまま無理に引き抜こうとはしないでください。
    勢いで中の土壌部分が崩壊したり、下の重みに耐えきれなくなって
    茎ごと折れてしまうおそれがあるからです。
    ポイントとしては、まず指の間に茎や蕾を挟みこんで、
    そのまま逆さにして、穴から指を差し込みます。
    すると、重力がかかった圧力で自然にポットが取れますので、
    それを素早くもとの位置に戻しながら、陶器に収めてしまいます。
    後は土を上からかぶせるように満遍なく敷きつめたら完成です」
    さすがは、現役の栽培委員長である。
    手際良くこれぞ見本といった身のこなしで処理していく。
    しかしながら、この最後の作業は、若干のテクニックが必要になってくる。
    要するに、初心者には少し難しいのだ。
    昼休みに必死に練習していた和沙と希実は、
    特訓の成果で何とか体得したのだが、これから教えるとなると緊張もする。
    「それでは、どうぞ始めてください。
    尚、ご不明な点がありましたら、お近くの役員または補助員にお尋ねください」
    マイクのスイッチを切ってから、早速真澄は巡回に出た。
    「すみませーん、ちょっとココ分からないんですけど…」
    一クラスに二人が付いているとはいえ、四〇人もの相手を捌くとなったら大変だ。
    和沙にも、数分と経たないうちに問い合わせが殺到し、
    さながら売れっ子にでもなったかの如く左へ右へと大忙しだった。

    開始してから三十分も経過すると、さすがに要領を覚えてきたのか、
    あまり質問する生徒はいなくなった。
    代わりに、色とりどりの生花を見ては、
    紫色のパンジーが良いか黄色のパンジーが良いか、
    それともパンジーだけでなくビオラも加えようか、
    はたまた観葉植物だけのシンプルな鉢植えにしようか…などといった
    どちらかというとデザインに関する悩みが多いようだ。
    もっとも、開始してからの混雑ぶりは、一番最初に植えたい花だけは
    あっという間に決まってしまったという単純な結果である。

    生徒たちをよく観察してみると、面白いことが分かる。
    様々な草花の中で人気が高いのは、やはり小さくて花の数が多い品種である。
    逆に、アンケートで上位を占めていた品種に挑戦しようとする
    チャレンジャーは稀なようで、植え方が難しい百合や棘が苦手だという薔薇は
    かえってあまり人気がなかった。
    何はともあれ、普段はこういう土仕事をする機会が少ない生徒たちには新鮮らしく、
    当初はどうかと思った企画も大好評で幕を閉じそうだ。

    …もしかして、さりげなく委員会勧誘もしているんじゃないの?

    栽培委員会の希望者が多い、という噂は聞いたことがない。
    それは、委員長を真澄が務めているという待遇だとしても、だ。
    活動は基本的に放課後毎日。
    特に一年生は、早朝や昼休みに水撒きに駆りだされることも多い。
    …といった厳しい条件下では、単に憧れの生徒会長に接する機会が
    増える特権だけで即決してしまうのは、考えものである。
    おまけに、今年度いっぱいで彼女は卒業…なんて試練もあるのでは、
    興味本位だけでの希望者増員は絶望的だろう。
    まあ、しかし人一倍こういうことには頭のきれる真澄である。
    比較的見込みのある一年生が居たら、積極的に言いくるめて
    その気にさせるくらいのことは簡単だろう。

    「時間になりましたので、いったん手を止めてください。
    終わった方から手を洗ってください。
    まだの方はもうしばらく続けても結構ですが、
    あと五分以内に仕上げられるようお願いします」
    斎の合図で、すでに作品を仕上げた生徒たちは我さきにと
    手洗い場へ向かっている真っ最中だった。

    キャー!!!

    突然、騒音に混じって和沙の後ろ側からけたたましい叫び声が聞こえた。
引用返信/返信 削除キー/

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