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■17123 / 1階層)  おしまいの日に。─月曜日の憂鬱
□投稿者/ 秋 一般♪(2回)-(2006/10/30(Mon) 15:27:41)
    【laugh laugh】





    ─もうすっかり秋だ。

    降り注ぐ陽射しは柔らかいものの、肌を撫でる風はすでに冷たい。
    門をくぐり、校舎へと向かう銀杏並木の中を歩きながら思った。

    大学の敷地内は人影もまばらで、閑散としている。
    無理もない、と思う。
    今朝のニュースが流れた直後、大学側は通常通りに講義を行うけれども、学生の出席は各自自由であると通達した。
    講師陣も例外ではなく、教壇に立つ事を生き甲斐とする老教授はこんな日でも熱弁を振るう傍ら、残りわずかな時を少しでも足掻こうとする講師も多く、休講が相次いでいる。
    要するに、だ。
    来たいやつだけ来い、好きにしろ、そういう事だろう。
    他の学校や企業、サービス関連の施設でさえ、どこも似たような処置を取っているらしい。
    それもそうか。
    こんな時にまともに仕事をしていられるわけがない。
    各々が最後にやりたい放題やろうというわけである。
    その反面、未だ事態が飲み込めず、学校や、あるいは会社に出掛けて行っていつもの日常を過ごしている者も少なくはない。
    かく言う私もその口だ。

    慌ただしいいつもの月曜の朝。
    親子三人、揃って口をぽかんと開けてテレビ画面のキャスターの一言一句に目をしぱしぱと瞬いていた。
    こいつは何を言っているんだと。
    しばらくそうしていたが、やがて父が黙って腰を上げていつものように会社へ出勤し、母はおもむろに掃除機をかけ始め、講義開始の時間が近い事に気付いた私は大学へと足を向けた。
    恐ろしい程に平凡な私達の脳には、こんなどこかSF小説じみた突飛な話を受け入れるだけの容量が不足していたのだろう。


    ─人はそれを現実逃避と言う。

    胸中で一人呟いて、鼻先でふんと嘲笑してみる。
    こうして大学にやって来たものの、私は並木道を抜けて教務棟に差し掛かってもなお歩を緩めずに、出入口を通り過ぎた。
    そのまま中庭にある喫煙所へと向かう。
    真面目に授業に出ているのか、はたまた学校自体に来ていないのか、いつもは肩身の狭い喫煙学生の寄合所の如く賑わっているそのスペースはがらんとしていて、何とも寂しい風景が広がっている。
    大体今日どれだけの教室で講義が行われているというのか。
    思いながら灰皿に程近いベンチに腰を下ろした。
    煙草に火をつける。
    ふっと吐き出した白さとわずかに肺に残った苦味が、私に現実感を取り戻させた。


    本来ならば来週、母校へ教育実習に向かうはずだった。
    けれど世界は、週明けを待たずに終わりを告げると言う。
    何の為にここまでやってきたのかと、思わず溜め息をついてしまった。
    そもそも今朝のあのニュースは本当なのだろうか。
    新手のドッキリ?
    そうだったらどんなにいいか。
    今「ごめんなさい」と謝ってくれたなら、私は「あぁすっかり騙されちゃった」と喜んで道化になれるのに。
    そんな私の希望的観測は万に一つも有り得ない。
    誰が好き好んで世界規模のドッキリを仕掛けるというのか。


    地球滅亡。


    漫画や小説に出てくるような、このいまいちリアリティに欠ける事実が紛れもなく現実なのだ。


    はぁ、とため息が漏れる前に、思索に嵌まっている間にすっかりと灰になってしまった手元の煙草に気が付いた。
    じりじりとした熱が、挟んだ指を焙るように焦がしている。
    あちちと手を払い除け、軽く赤みを帯びた指の中程を舌先で舐めていたら、

    「ライター貸して」

    私の隣に座った誰かの振動で古びたベンチがギシリと軋んだ。

    「…広瀬」

    物珍しそうに見る私に、

    「ね、早く」

    急かすようにくわえた煙草をくいっと突き付ける。
    促されるまま私は広瀬の煙草に火をつけてやると、ふーっとやけにゆっくり煙を吐き出して「ありがと」にぱっと笑った。
    私もケースから新たな一本を取り出して、火をつける。
    彼女がしたように、ふーっと長く吐き出してから、
    「何で学校来てんの?」
    広瀬を見た。
    「学生が学校来るのは当たり前でしょー」
    彼女は可笑しそうにケラケラと笑った。
    「あんたに関しては当たり前じゃないでしょうが」
    とんとんと灰皿に灰を落として、言う。
    「普段まともに出てこないくせに」
    バイトや夜遊びに興じているのだと、風の噂で聞いた事がある。
    私も何度彼女にノートを貸しただろう。
    「だから何でこーゆー時に限って、と思ってさ」
    最後なんだからぱーっと遊んでればいいのに、と素直な疑問を口にする。
    また、広瀬は笑った。

    「最後だから、だよ」

    ぎゅっと煙草を灰皿にねじ込む。
    「普段やってない事をしようと思ってね」
    今まで散々遊び尽くしちゃったし、言いながら煙草を取り出して私をちらりと見る。
    私は黙ってそこに火をつけた。
    ありがとと短く言って、ぷかりと煙を吐き出す。
    「午前中から授業受けてたけどさ、いやー案外面白いね」
    「話、わかるの?」
    前回の講義を受けていないのに、と。私はわずかに目を見開いた。
    すると広瀬は。
    「ん?さっぱり。わかるわけないじゃーん」
    にひっと笑う。
    私は「そう…」と軽くうなだれた。
    「普段来てない分さ、大学って場所が何か新鮮に感じんだよねー」
    しみじみ言う広瀬。
    「授業もよくわかんないけど、面白かったのはほんとだし。こんな事ならもっと出とけば良かったな」
    言って、目を細める。

    何だかすごいなと思った。
    広瀬はこんな現状でも心の底から楽しんでいる。
    自身を見失わず、思ったように行動し、存分に楽しみながら生きている。
    すごい、と思う。

    「佐木は相変わらず真面目に学校来るんだね」
    ゆっくり広瀬を見ると、彼女も私を見ていた。
    「やっぱ学校好きなん?」
    にこにこと笑う、その嫌味のない言い方に、
    「私は…そんなんじゃないよ」
    顔を背けた。
    「今更やりたい事とか、好きに生きろって言われても全然思いつかなくて。結局いつも通り来ちゃっただけ」
    自嘲気味に笑ってみせる。
    「えー、ほんとに?何にもないの?」
    心底意外そうな広瀬の声。
    私はこくりと頷く。

    「やり残した事は?」

    ないよと答えようとして、一瞬はっとする。
    心残りがあるとすれば─

    顔を上げると、
    「なんだ、あるんじゃん」
    広瀬がにやにやと笑っていた。

    話しなよ、広瀬は黙って目で促す。
    私は一度煙を深く吸い込んでから、
    「来週教育実習の予定でさ」
    言葉と一緒に吐き出した。
    広瀬は何も言わず、じっと聞いている。
    「単位落とさないようにしっかり授業出て、今までこつこつやってきたのに。自分で言うのも何だけど、頑張ってたんだよ?それがこうなって、これまでやってきた事って何だったんだろ」
    話している内にじわじわと悔しさが沸き上がってくる。
    「佐木はさ、それを無駄だったと思う?」
    ようやく広瀬が口を開いた。
    「思いたくないけど、思う」
    私は顔を伏せた。
    「…私さ、結構本気で先生になりたかったんだよね」
    小さな呟きは、広瀬に聞こえたかどうかはわからない。
    ぽんぽんと軽く肩を叩かれて顔を上げてみれば、広瀬は相も変わらずマイペースに煙草を一本くわえて「つけろ」とばかりに私に向かって突き付けた。

    …話、聞いてたのかなぁ。

    私はあははと苦笑して、本日何度目かの彼女の煙草に火をつけた。

    ライターくらいコンビニで買っといでよ、言おうとして。
    「これ吸い終わったら、行こうか」
    先に広瀬に遮られた。
    「──…どこに?」
    怪訝な顔で彼女を見る。
    「授業しに」
    広瀬はにひっと笑う。
    「空いてる教室はいっぱいあるし。適当なとこ借りよ」
    そしてぷかりと煙をくゆらせた。
    わけがわからないと眉根を寄せている私の方に向き直ると、
    「私、生徒。あんた、先生」
    交互に指差してみせる。

    「私に授業してよ、佐木先生」

    ね?と、悪戯めいた目で私を見る広瀬。
    その申し出を、断る理由は私にはない。
    「…ありがと」
    遠慮がちに小さく言ってみる。
    「やだなーもー。教えてもらうのは私じゃーん」
    そう言って広瀬はけたけたと笑う。
    「言ったでしょ。普段しない事したいんだ、私は」
    案外勉強も楽しい事だって気付いたしと、やっぱり楽しそうに笑う。


    それならば─


    「それで夜はぱーっと遊びに行こうよ」

    私が言うより早く、広瀬が言った。

    「私、よくわからないよ。今まであんまり遊んでこなかったから」
    困った風に私は答える。

    「そっちは私が教えてあげる」
    勉強教えてもらう代わりに、と。広瀬は私をじっと見た。

    小さく、頷いてみせる。
    煙草を灰皿に放り込んで彼女は満足そうに微笑んだ。


    「じゃあそろそろ授業を始めますか」
    広瀬はおもむろにベンチから立ち、私に片手を差し出した。
    「ね、先生」
    目を細めて笑う。
    私はその手を取って立ち上がった。
    二人連れ立って中庭を離れ、空き教室を探す中、
    「そういえば教科は?」
    今更な事を広瀬が聞くから、私は呆気に取られ、やがてくつくつと笑みが込み上げてしまった。
    そんな私を見て、広瀬もまた、にししと嬉しそうに笑った。

    思えば、今日初めて笑えたかもしれない。





    この先には絶望しかなくても、こんな風に笑っていられれば。

    最後の瞬間まで楽しく笑っていられれば。

    それはなかなかに悪くないって、今ならそう思えるよ。



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