ビアンエッセイ♪

HOME HELP 新規作成 新着記事 ツリー表示 スレッド表示 トピック表示 発言ランク ファイル一覧 検索 過去ログ

■17128 / 1階層)  おしまいの日に。─土曜日の切言
□投稿者/ 秋 一般♪(7回)-(2006/10/30(Mon) 15:33:09)
    【蒼いヒビ】





    正直、追い詰められた人間というのは常軌を逸した狂気じみた行動に出るものだと思っていた。

    世界はもっと混沌とするものだと。


    けれども日常は緩やかに下降して、人々は平静を装いながら日々を過ごしている。


    どんなに足掻いてもやってくる未来は変わらないのだ。
    明日、人類に平等な死が訪れる。
    だから諦めたように惰性で暮らしているのかも知れない。





    何となく昼間から外をふらふらと散歩していた。
    日が暮れた頃にアパートに戻ると、同居人のしーちゃんが何やら鍋でぐつぐつ煮ていた。
    「いい匂い」
    くんくんと漂う香りの元を探る。
    「今夜はシチューだよ」
    おたまで中身を一混ぜして、しーちゃんは言った。
    「外、寒かったでしょ。お風呂沸いてるから先に入っといで」
    あたしは短く返事をして、バスルームへと向かった。
    脱衣所にまっさらなバスタオルと洗い立てのあたしの部屋着が置かれている。
    きっとしーちゃんが昼間の内に洗濯をしてくれていたのだろう。
    湯気の立ち上る湯舟にざっぷりと身を沈めて、感謝の言葉をルームメイトに投げ掛けてみた。
    キッチンで鼻歌を口ずさみながらシチューを煮込んでいるであろう彼女には聞こえていないだろうけど。

    こうしてあたし達も、日常を過ごしているのだ。



    髪をわしゃわしゃとタオルで乱暴に拭いながらリビングに戻ると、しーちゃんが食事の用意を始めていた。
    「真琴、ちゃんと髪乾かしておいでよ」
    苦笑するしーちゃん。
    あたしは「だいじょーぶ」とだけ答えて、ソファに腰を下ろした。
    テレビをつけてみる。
    案の定、各局とも砂嵐。
    一日、また一日と放送を放棄するテレビ局が増えていたが今日になって全滅だ。
    昨日まではまだ、世界の様子を綴ってくれていたのに。
    情報手段は絶たれた。
    「…つまんないの」
    あたしの呟きを聞いたしーちゃんは、「仕方ないよ」と笑った。
    「報道マンだって人間だからね」
    言ってみせる。
    「電気とかガスが止まらないだけましだよ」
    言われてみて、それもそうだと思う。
    だから余計に平静を保てるのだろうとも思う。
    崩れない日常の中にいるからこそ、冷静でいられる。

    ─冷静だからこそこんな状況下でさえ理性が働いてしまうのだろうか。

    昨日までテレビで流れていたニュースを思い返す。
    週明けの発表から、どうせ死んでしまうなら、と自ら死を選ぶ人が後を絶たなかったらしい。
    こうしている今も、自身の手で命を絶つ人がいるのだろう。
    自殺なんぞしなくてもどうせ日曜日には皆死んでしまうのに、とあたしは思う。
    けれどそれは狂った行動に見えて、その実、とても理性的だ。
    だから愚かしいとは思わない。
    彼らは、世界に殺される前に最期の瞬間は自分で決めたいという、限られた中での自由を選択したのだから。


    「どうしたの、黙り込んで」
    背中に掛けられた声に顔を上げようとすると、しーちゃんはあたしの首にかかったタオルをひょいと掴み取った。
    「真琴。全然拭けてない」
    わずかに怒った声、けれどそのまま優しくあたしの髪を拭き始める。

    「しーちゃん」

    「なに?」

    「死ぬのがわかってて何もしないのは自殺かな」

    しーちゃんの手が、ぴたりと止まった。

    「しーちゃん?」

    振り返って見上げると、しーちゃんは愛想の良い顔をほんの少し曇らせていた。
    やがて困ったように笑って。
    「よくわからないけど。自分で死ぬのとは、また別なんじゃない?」
    またくしゃくしゃとあたしの髪を拭く。
    「どうしたって死んじゃうのかもしれないけど、それでも今は生きてるから」
    わずかな間があって。

    「私は最後まで生きるよ」

    柔らかいしーちゃんの声は力強い響きを持っていた。

    しーちゃんの大事な人はもういない。
    彼女を残して、さっさと一人で逝ってしまった。
    あたしは、しーちゃんが彼の後を追ってしまわなくてよかったと思う。
    今いてくれる事が、こんなにも嬉しい。
    だからもしかしたらあたしの質問は彼女を傷つけてしまったかもしれないと思って、「ごめん」と謝ろうとしたところでぐぅぅとお腹が鳴ってしまった。
    「もうこんな時間だもんね。そろそろ夕飯にしようか」
    しーちゃんはくすくすと笑って、タオルをあたしに預けるとキッチンへと向かった。
    深皿によそられたシチューがあたしの前に置かれる。
    クリームの香りが鼻孔をくすぐって、またお腹がぐうぐう鳴った。
    小さなソファに二人並んで、両手を合わせて「いただきます」を言う。
    しーちゃんの作るご飯は相変わらず美味しかった。
    何か特別な事をするわけでもなく、こんな当たり前の日常を続けられる事が、案外幸せなのかもしれない。
    こうなってみて改めて感じる。
    しーちゃんのシチューは美味しい。
    しーちゃんが隣に居て嬉しい。
    だからあたしは幸せなのだと思う。

    「世界の滅亡には何もできないかもしれないけどさ」

    はふはふとシチューを口に運んでいると唐突にしーちゃんが口を開いた。
    スプーンをくわえながら隣に座るしーちゃんを見る。

    「それはどうにもならないけど。最後までどう生きてくかに意味があるんだよ、きっと」

    あたしは「うん」と頷いた。「うんうん」と何度も頷いた。

    「明日で終わりだよ」

    しーちゃんは食べ終わったシチュー皿を静かに置いた。
    そしてあたしを見る。

    「私はこんな風に日常を過ごすのも悪くないと思ってる。真琴は?どう生きる?」

    あたしはうーんと唸りながらシチューの最後の一口を飲み込んだ。

    週明けの発表を聞いてから思いつく限りの事はやってみた。
    思いつかないだけでまだあるのかもしれないけれど、心残りと呼べるようなものは多分ない。
    代わりに今のこの時が大事だ。
    世界が終わるなんて未だに信じられないくらい穏やかなこの時間こそが。

    そう告げてみる。


    「やりたい事なんて、案外思いつかないものだよね」

    しーちゃんは小さく笑った。
    あたしもそれに頷こうとして「あ」と声を上げた。

    「ねぇ、しーちゃん」

    「うん?」

    「膝枕、して欲しい」

    しーちゃんは笑った。そんなのでいいの?って。

    手をどかして膝を揃えて「どうぞ」と声を掛けられてからあたしはゆっくりと横になって彼女の膝に頭を乗せた。

    「頭撫でて」

    「はいはい」

    「後で耳かきも」

    「わかった」

    「それから─」

    「それから?」

    「しーちゃんの心が欲しい」

    「───…」

    あたしは身を起こして、しーちゃんを真っ直ぐ見つめた。

    「心が、欲しい」

    しーちゃんは困ったように目尻を下げた。

    「それはだめ」

    「なんで」

    「どうしても」

    あたしはぎりっと奥歯を噛み締めた。

    「まだ彼氏の事…?」

    しーちゃんは黙って俯いた。

    「だってあいつ、もう死んだじゃん」

    「……真琴」

    「しーちゃん置いてさっさと一人で死んだじゃん」

    「真琴」

    「二人でどう生きようかなんて、考えてなかったんじゃん──…!」

    「──マコ」

    あたしは言葉に詰まった。
    しーちゃんはあたしの瞳を射るように見ていた。
    決して怒ってはいなかったけれど、あたしはその先の言葉を飲み込むしかなかった。
    だからなのか、縋るような、情けない声が出てしまった。

    「…あたしに、ちょうだいよ」

    「だーめ」

    「なんで…っ」

    「それはだめだよ、真琴」

    しーちゃんは困った顔で笑った。
    あぁ畜生、こんな時に。
    あたしを諭すしーちゃんはあたしが知っている中でも一番に綺麗なのだ。
    だから悔しくなってしまって、思わず睨むように彼女を見た。
    しーちゃんはまた苦笑した。
    苦笑ついでにこちらへ手を伸ばす。

    「心はあげられない代わりに」

    そしてくしゃりとあたしの髪を掻き上げた。

    「私の残りの時間をあげるよ」

    そう言って微笑む。

    本当に、狡い人だと思う。
    あたしは悔し紛れに「おかわり」と言って、空の皿を突き出した。
    しーちゃんははいはいとその皿を受け取る。
    そうしてキッチンへと消えた。
    あたしの顔の火照りは収まらない。
    ぱたぱたと手団扇で仰いで、一先ずはこれでいいかと思ってみる。
    今日と明日、短期間ではあるけれど、そこで何とかしーちゃんの呪縛が解ければ。
    思ってみて、なかなかに悪くないじゃないかと一人頷く。
    あたしの技量によるところだけれど、そこは何とかしてやろう。
    しーちゃん。
    これこそがあたしの最後の心残り。
    それさえ成就すれば。
    成就、すれば──?

    そこまで考えて、はっとする。



    「はい、どうぞ」
    しーちゃんがシチューのお皿を差し出して、「真琴?」ぎょっとしたようにあたしを見た。
    「…怖いよ」
    あたしの呟きに怪訝な顔をする。
    「死ぬのは、怖いよ…」
    吐き気にも似た痛みが、じんわりと広がっていく。
    あたしは何もわかってなかった。
    今更になってようやく気付いたんだ。


    明日で世界は終わる。
    しーちゃんがどうなろうと。
    あたしがどうしようと。
    その先には何もない。

    終わりとは、そういう事だ。


    なんて救いがないのだろう。



    「死にたくないよ…!」
    鳴咽が漏れそうになるのを堪えながらやっと言葉を吐き出すと、しーちゃんはあたしを優しく抱き寄せてくれた。

    「私だって、怖いよ」

    笑うような優しいしーちゃんの声も震えていた。

    「だけど一人じゃないから」

    あたしの背に回された腕から、確かな温もりが伝わる。
    まだ、生きている。

    「二人で一緒に、最後まで生きようよ」

    ね?と、あたしの顔を覗き込んだしーちゃんも何だか泣いているように見えて、それでもやっぱり普段の笑みを保っていたからあたしも笑ってみせた。
    二人して無邪気に笑ってみた。

    いくら言葉を尽くしても足りない。
    終末は近い。

    シチューはとっくに冷めてしまっていた気がする。








    私達は、絶望の先に未来を探す。




記事引用 削除キー/

前の記事(元になった記事) 次の記事(この記事の返信)
←おしまいの日に。 /秋 返信無し
 
上記関連ツリー

Nomal おしまいの日に。 / 秋 (06/10/30(Mon) 15:26) #17122
Nomal おしまいの日に。─月曜日の憂鬱 / 秋 (06/10/30(Mon) 15:27) #17123
Nomal おしまいの日に。─火曜日の蒼天 / 秋 (06/10/30(Mon) 15:28) #17124
Nomal おしまいの日に。─水曜日の雅歌 / 秋 (06/10/30(Mon) 15:29) #17125
Nomal おしまいの日に。─木曜日の寓話 / 秋 (06/10/30(Mon) 15:30) #17126
Nomal おしまいの日に。─金曜日の夕景 / 秋 (06/10/30(Mon) 15:31) #17127
Nomal おしまいの日に。─土曜日の切言 / 秋 (06/10/30(Mon) 15:33) #17128 ←Now
Nomal おしまいの日に。─日曜日は終末 / 秋 (06/10/30(Mon) 15:34) #17129
Nomal おしまいの日に。─curtain call / 秋 (06/10/30(Mon) 15:35) #17130 完結!
Nomal お疲れさまでした☆ / なお (06/10/30(Mon) 20:11) #17132
│└Nomal なおさんへ。 / 秋 (06/11/03(Fri) 00:20) #17159
Nomal お疲れさまでした / さぼ (06/10/30(Mon) 21:06) #17133
│└Nomal さぼさんへ。 / 秋 (06/11/03(Fri) 00:23) #17160
Nomal 感動しました。 / ヒカリ (06/11/25(Sat) 01:28) #17320
│└Nomal ヒカリさんへ。 / 秋 (07/01/15(Mon) 14:34) #17670
Nomal 私も / ぐーたん (06/11/25(Sat) 03:23) #17323
│└Nomal ぐーたんさんへ。 / 秋 (07/01/15(Mon) 14:36) #17671
Nomal 本当に感動しました。 / 愛 (08/03/30(Sun) 23:31) #20764
Nomal 皆に読んで欲しい / 匿名希望 (12/04/26(Thu) 04:03) #21491

All 上記ツリーを一括表示 / 上記ツリーをトピック表示
 
上記の記事へ返信

Mode/  Pass/

HOME HELP 新規作成 新着記事 ツリー表示 スレッド表示 トピック表示 発言ランク ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -