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■17749 / 1階層)  花の名前【July】
□投稿者/ 秋 一般♪(30回)-(2007/01/22(Mon) 15:02:48)
    地方都市の良い所は、そのロケーションにある。
    駅前は栄えていて賑やかだけれど、ちょっと先へと行けば川。
    一面に広がる田んぼや畑。
    水田の畦道にようやく咲き揃った野の花が、いよいよ夏の訪れを、ゆったりとした足取りで散策する花屋に予感させた。





    【あざみ】





    幼い子供にとって、親が世界のすべてだったりする。
    だから自分を見てほしくて、褒めてほしくて。
    努力して努力して努力して…──

    『もうお前に期待しないよ』

    中学受験に失敗した時の両親の幻滅した眼と落胆の言葉に、志帆はキレた。
    文字通り、プツンと。
    いや、それはさすがに喩えだが志帆の中でははっきりと音がした。
    俗に言う堪忍袋の緒だったのか、緊張の糸だったのか、我慢の臨界点だったのか、それは当の志帆にもわからない。
    けれど確かにキレたのだ。
    ぷつん、と。



    それからご近所でも評判の『良い子の志帆ちゃん』は高校生になる時分にはすっかりひねくれてしまって、そんな肩書きも忘れ去られてい
    った。

    ─勝手に期待して勝手に失望する勝手な大人にはこっちだって期待はしない。

    志帆はある意味悟りを開いていた。


    幼少期より培われてきた性格は今更修正できないのか学校こそ真面目に行くものの、途中で早退、試験のボイコットは当たり前、誰に対し
    ても固く口を閉ざし仏頂面なので友人などできるはずもない。
    両親とはまともに口を聞かなくなった。
    反抗期と言ってしまえばそれまでだが、今まで優等生だった娘の成績の急降下は親として体裁が悪い。
    彼らは半ば強引に、家庭教師を娘につけた。


    これすら親の身勝手だ、志帆は思う。
    私の為だと言っておきながら結局は自分達の世間体の為なのだ、と。
    その家庭教師が来る日になって、朝方母親に言い含められた通りに放課後ちゃんと自室で待機している辺りが元来の真面目さが抜け切って
    いないけれど。
    それを自覚しているので、志帆はそんな自分にも腹が立った。


    いよいよ、だ。
    時計が約束の時刻を示す。
    けれど待てども待てども彼の人がやって来る気配はなかった。
    日にち間違えた?、不審がって手帳を確認しても間違いなく今日で合っている。

    ─時間にルーズな奴って大っ嫌い。

    苛々と時計を睨んでチッと舌打ちしたその時、

    「お待たせー」

    ノックの後、こちらの返事を待たずに部屋のドアが開かれた。
    入ってきたのはやたらとファンキーな人物。
    一瞬で目を引くオレンジの髪に、ぼろぼろのダメージデニム、「あちー」と言いながら片手で手団扇、空いているもう片方でバイクのヘル
    メットを小脇に抱えていた。
    清楚な女子大生を想像していた志帆にとって、目の前の人物が自分の家庭教師だなんてにわかに信じ難い。
    母親が見たら卒倒しそうだ、と思うと同時に、何でこんなのに依頼した?と怪訝そうにじろじろ眺める。


    「やーやー君かな、あたしの生徒は」


    疑惑の目を向ける志帆にまったく構わず、渦中の人は人懐っこく笑った。

    床にどかっとあぐらをかくと、視線を志保へと向けてまた笑う。
    「あたし、操。君のセンセー。うちの母さんが君んとこの母さんと知り合いでね。現役大学生っつー事で頼まれたわけよ」
    カテキョ代浮かせられるからだよ絶対、嫌になっちゃうよねーまったく、人使い荒いっての、
    一人ベラベラ喋る目の前の自称・先生を見て、「知り合いだからか」とようやく合点がいった。
    けれど母よ、リサーチ不足だ。
    情報は「友人の娘は大学生」とだけだったのだろう。
    事前に操の事を知っていれば常識的でお固い母が、見た目からして敬遠したがるタイプの彼女を志帆の家庭教師に迎えるわけがない。
    現に先程、お茶を持って部屋の様子を探りに来た母の顔は引きつっていた。

    「そんで君は?」

    アイスティーを一口啜って、にこにこと人好きのする笑顔の操。
    さっきまで一人トークショーだったくせにいきなりこちらへ話を振られても、志帆にはわけがわからない。

    「名前だよ、名前。はい、自己紹介いってみよー」

    ぱちぱちと手を打つ操に呆気に取られ、
    「…ばかじゃないの」
    ようやく我に返って一言吐き捨てた。

    危うくペースに引き込まれるところだった。
    勝手に盛り上がっといて、場を白けさせたらつまんない奴だって、その懐っこい瞳の奥に軽蔑の色を見せるんだ。

    考えてぞくりとした。

    家庭教師なんて必要ないからもう帰って、と口を開く。
    開いたけれど、言葉は継げなかった。

    口元は笑っているが、操は真剣な顔付きで志帆を見つめていた。
    こんな風に真っ直ぐに誰かと対面するのは久しい。
    目を、逸らしたくなる。

    「名前は?」

    身構える志帆に、驚くほど優しい声で操が訊ねる。
    けれど志帆は頑として答えようとしない。
    わずかに操は目を細めた。

    「初対面では名前を教え合う、これ常識。勉強できなくてもいいけど礼儀がなってない子はお姉さん嫌いだなー」

    口調こそおどけていても本気だという事は見て取れる。
    けれど半ば意地になっている志帆は素直に聞き入れたくなかった。

    「…約束の時間を守らないのは礼儀知らずじゃないわけ?」

    代わりに反論を試みる。
    どうせ言い訳を並べられて上手くかわされてしまうのだろうけれど。
    大人はこんなもんだ、鼻を鳴らす志帆。
    しかし──

    「あーそりゃ確かにあたしが悪い。ごめんなさい」

    予想に反して、目の前の先生は惜し気もなく素直にぺこりと頭を下げた。
    本日何度目だろう、志帆はぽかんと口を開けた。

    「うん、時間は守らなきゃ。いやーごめんね、昔っからあたしはだらしないって言われててさ。でもそれじゃだめだね。相手に失礼だね。
    今度から気を付けるよ。いやほんと、ごめんなさい」

    はぁ、と間抜けに答える志帆に「で、お名前は?」顔を上げてにいっと笑う操。
    振り出しに戻る。
    志帆はげんなりし、「しつこいなぁ」とそっぽを向いて、拒否の姿勢を示す。
    操は顎に手を当て、ふむ、と一考。

    「まぁそんなに言いたくなきゃいーけどね」

    「…は?」

    いきなり追求をやめた操に脱力する志帆。

    「反骨精神大いに結構」

    そちらを見やると、うんうんと一人で納得したように頷いている。

    「まぁあれだ。君が嫌がってもあたしが先生なのはもう決まっちゃってるわけだ」

    胡散臭そうに眺める志帆に、「おや、何だいその眼は」心外そうな声を上げる操は、

    「よろしく、志帆ちゃん」

    にいっと歯を見せて不敵に笑った。
    今日はなんて間抜け面を晒す事の多い日だろう、志帆は本日最高に口をあんぐりと開いた。
    「な…何で、」
    名前、と続けようとしたが声が出ない。
    代わりに操がにししと笑った。

    「自分の教え子の名前、知んないわけないっしょー」

    この人懐っこい笑顔がこんなにも憎らしく見えるなんて。
    食えない奴だ、と顔をしかめる。

    「さっきはああ言ったけど、意地っ張りな子好きだよあたし」

    目の前であははと豪快に笑う操。

    ─変な大人。

    そう思った志帆の胸には不思議と嫌悪はなかった。




    操という人は外見そのままの、変人だった。志帆に言わせれば。
    週三回の授業の内一回は必ず遅れるし、志帆の部屋でも平気で煙草を吸う。
    一度、まだ夕方だというのに妙に酒臭い時があった。
    聞けば、休講だったのでサークル仲間と昼間から呑んでいたのだとご機嫌な調子で言っていた。
    志帆はこの先生らしからぬ先生に呆れるばかりだ。
    けれども操はこう見えてなかなかに優秀な人物だった。
    大学名を聞いて思わず絶句した。
    母が家庭教師にと決めたのはこのブランドだろう。
    教え方も上手かった。
    本来優等生気質の志帆、飲み込みは早い。
    その度に、
    「おー、さすが志帆」
    操は褒めてくれる。
    嬉しくないと言ったら、───…嘘になる。


    最初の内こそ訝しがっていた母も、期末試験が終わる頃にはすっかり操を受け入れていた。
    娘が真面目に机に向かい、その上成績にしっかりそれが反映されていれば、認めざるを得ないのだろう。


    「うんうん、やっぱり志帆は頑張れる子だね」

    夏真っ盛りの夕方。
    答案を確認し終えた操は満足そうに頷いた。
    自分の教え方のお陰で、と操は言わない。
    純粋に志帆を褒めてくれるから、くすぐったくてしょうがない。
    照れ臭さからそっぽを向く志帆に、
    「よーし、頑張ったご褒美をあげよう」
    操が言う。

    思わず振り向くと、すぐ目の前には操の顔。
    「何がいい?」と笑った。

    突然の申し出に、願いなど浮かぶはずがない。
    けれども密かに思っていた事はあった。

    「…夏休み入ったら、バイク乗せて」

    恥を忍んでぼそぼそと告げる。

    操は一瞬キョトンとして、「なーんだそんな事か」とすぐさま笑った。

    「それぐらいなら今すぐにでも」

    ぱっと立ち上がって志帆の手を引く。
    「──え?今から?」
    慌てる志帆に構わず操はすたすたと先を行き、気付いたら家の外。
    「しっかり捕まっててー」
    操の跨がるバイクは、すでに発車寸前だった。



    運転の方は良くも悪くも操であって。
    志帆は予想以上の風を切る速さにげんなりしながらも、気持ちの高ぶりは隠せなかった。
    住宅街を突き抜け河川敷きのサイクリングコースに出た当たりでバイクを止めて、ぶらぶらと二人歩く。
    川沿いには林、まだまだ自然が残されている。
    夏の陽射しを遮る木陰が幾分夕方の暑さを和らげていた。

    「おー田んぼ。まだまだ青いねぇ」

    畦道に降り立って、操が水田を一望する。
    緑の中に立つ操のオレンジ色の頭は何ともミスマッチで、志帆は小さく吹き出した。
    「夏になったばっかだもん」
    笑みを噛み殺しながら答える。
    そして操の方に向かおうとして、ぬかるみに足を取られた。
    寸でのところで操の手が志帆の腕を掴む。

    「この辺泥だから気を付けて」

    ありがと、と礼を言って離れようとしたが、操はなかなか掴んだ手を緩めない。
    それどころか、志帆の手を取り指を絡めて握り直した。

    「こーやって手繋いでれば滑っても大丈夫」

    にいっと笑う。

    「やだよ、先生がコケたら道連れにされる」

    「失礼な。あたしは志帆みたいにトロくない。むしろ志帆が転んでも支えてあげられるよー」

    どっちが失礼なんだか、溜め息を吐きつつも繋いだ手は随分と馴染んでいた。
    「まぁそう嫌がらずに。手が淋しいのよ」
    またこの人はよくわからない事をと呆れた目を向けると、

    「手持ち無沙汰だと吸いたくなってね」

    操は空いている方の手でぷかりと煙草を吸う仕草をした。
    そう言えば彼女の煙で咳込んでから、吸っている姿を見た記憶がない。

    「だからこうしててよ。ね」

    結構手繋ぐの好きだしー、へらへら笑う操の横顔を盗み見て。



    あぁ嫌だな、志帆は嘆息した。
    こういうのはやめてほしいのだ。



    ─うっかり信じてしまいたくなる。



    繋ぐ左手にぐっと力を込めたのを、操は何も言わないでくれた。





    ─きっと、この手を離せなくなるのは私の方だ。










    花言葉は、

    私に触れないで。




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Nomal 感想 / トモ (07/01/25(Thu) 22:55) #17791
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Nomal 素敵です / sea (07/01/27(Sat) 03:22) #17803
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