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■17753 / 1階層)  花の名前【November】
□投稿者/ 秋 一般♪(34回)-(2007/01/22(Mon) 15:05:54)
    「私の事はいいの」
    少女は言った。
    「あの人にはもっと自分の事を考えてほしい」
    風鈴の形のような愛らしい黄色い花をそっと撫で、花屋は静かに耳を傾けていた。





    【サンダーソニア】





    姉のミフユが婚約した。
    その事に、トーコは心から喜び、そして祝福していた。
    物心ついた頃にはすでに両親が他界していたトーコにとって、この一回り年の離れた姉が親代わりだった。
    今でこそトーコを養えるほどの収入があるが、姉が中学・高校といった時分には幼児一人を抱えるのはさぞかし苦労があっただろう。幼い
    トーコにはわからなかっただろうけれど。
    授業参観も学芸会も運動会も、時間の合間を縫ってはちゃんと来てくれた。
    ミフユの愛情を一身に受けてすくすく育ったトーコは、両親がいない事に淋しさを感じた事がない。
    いつも側には、姉がいたから。
    トーコが高校に上がる時、入学式の前日に制服に袖を通して見せたら思わず涙ぐんでいたミフユの姿を見て、トーコは思った。
    これからは自分の為に生きてほしい、と。
    そうして幸せを掴んでほしい、と。
    心から願っていた。
    どれだけ感謝してもまだまだ足りないから。





    秋という季節はとうに過ぎて、全身を駆ける風に身震いするようになった、トーコ高三の初冬。

    「トーコちゃん。私ね、結婚しようと思うの」

    姉が婚約した。
    恋人の影を見せなかったミフユの言葉に驚き、それも次第に喜びへと変わった。
    「実際にはあなたが卒業するまでしないけど」
    そう言って微笑むミフユ。
    この姉らしい気遣いに、そんな事気にしなくていいのにと思いながら、この優しさにいつも守られてきたのだと改めて思う。
    温和で優しい姉。
    相手はどんな人物だろうと思案して、結婚してこれまでの波乱の人生をひっくり返すような幸福に包まれてほしい、部屋に戻ってこっそり
    泣いた。
    後日、正式に結納を取り交わすという。





    バスケットボールのゴムの感触が驚くほど手に馴染んで、まだ忘れていないんだなとトーコはボールを持つ手に力を込めた。
    三年生は本来ならばこの時期すでに引退しているのだが、トーコの通う高校のバスケ部では、秋の終わりに行う交流校との親善試合が事実
    上の引退式だった。
    だから夏の大会が終わって引退した三年生達は、この試合が近付くと練習へと参加する。
    トーコもその一人だ。
    思えば姉のお陰だ、ここまでバスケを続けられたのも。
    スポーツにしろ習い事にしろ、継続する為にはお金が掛かる。
    けれど、やりたいと言った事に嫌な顔をされた事なんて一度もない。
    だから小学生のミニバス時代から今まで、思い切りバスケに打ち込んでこれた。
    久しぶりに履いた擦り切れてボロボロのバッシュが妙に愛しく感じられ、放ったボールは綺麗な弧を描いてゴールに吸い込まれていった。






    「お姉ちゃん!」
    仕事から帰ってきた姉にただいまを言う暇を与えず、トーコが飛び付く。
    「どうしたの、トーコちゃん」
    それを受け止めながらミフユはふわりと笑った。

    「選手!私、ベンチ入りしたよ!」

    「あら、引退試合の?」

    「そう!試合出れなかったら燻ったまま終わりだったけど、これで最後まで大暴れできる!そしたら心置きなく引退できるよ〜」

    「トーコちゃんの最後の試合なら応援に行かなきゃね」

    頭を撫でてくれるミフユの手がくすぐったい。
    目が合うと、相変わらず温和な笑顔。

    「うん、絶対見に来て!日にちはね──…」

    トーコが告げると、ミフユは目尻を下げて困ったように笑った。
    トーコははっとして、「いや、やっぱいいや」姉から離れて慌てて手を振る。

    「でも…」

    「いいのいいの、大体高三にもなって保護者が応援にくる子なんてそんなにいないし」

    「トーコちゃんの、大事な試合でしょ?」

    「ほんといーってば!あのねお姉ちゃん、優先順位ってもんがあるでしょ。お姉ちゃんはお姉ちゃんの事を考えて」

    「──…うん」

    夕食の時も、リビングでテレビを見ている時も、互いにその事には触れなかった。

    ─しょうがないよね。

    洗い物を片付ける姉の背中にトーコは呟きを落とす。

    結納の日取りと、同じ日だった。





    朝家を出る時は身を切る風に首をすぼませていたけれど、ウォーミングアップを済ませた今はじっとりとわずかに汗ばんでいて体が軽い。

    準備万端だ、早くゲームを始めたくてうずうずしている。
    今日どれだけ出番が巡ってくるかはわからない。
    それでも1プレー1プレーを大切にしよう、コートを睨むように見た。
    コーチの集合の掛け声が聞こえて、もう一度コートを見つめてから、トーコはそちらへ走り出した。




    夏を終えて受験生モードに切り替わっていた三年生にしては、現役のような機敏な動きを見せていた。
    年季が違う、まだまだ若い者には負けてられない。
    けれど試合を終えると皆目に見えてぐったりしていて、打ち上げは別の日に延期し、今日のところは解散となった。
    帰り道を歩くトーコの足も重い。
    けれど、心は軽やかだ。
    明日辺り肩が上がらないかもなと苦笑する。

    試合は抜きつ抜かれつのシーソーゲーム。
    少しも緊張を緩められない。
    後半残り5分弱、12点差をつけられたところでトーコの出番がやってきた。
    交代の声がベンチに掛かる。
    この5分間に、すべてを捧げた。

    「あー惜しかったなぁ」

    ぐるぐると肩を回す。
    少し痛い。すでに筋肉痛の兆候がある。

    「でも、楽しかったな」

    未だ熱を帯びる、自身の手首をそっと撫でた。

    投入後、疲れの見え始めた相手のわずかな隙を突いて、攻める、攻める。
    一度は追い付き、追い越し、また抜かされて、僅差の接戦を繰り広げる白熱したゲーム展開。
    5分とは言え、ひとつひとつのプレイに全力で臨むトーコの息も上がってきた。

    終了の笛まで残り20秒。
    スコアボードは一点差。

    トーコにパスが回される。
    考える事もなくボールを構え、ゴールを見据え、シュート態勢に入り──

    ピィィィィーー

    トーコの手からボールが放たれるより一瞬早く、審判の笛が鳴り響いた。
    綺麗な綺麗な弧を描いて、ボールはゴールに吸い込まれたけれど。


    「あれはほんとに惜しかった」

    もう一度呟く。
    けれど不思議と悔いはない。
    試合は惜しくも負けてしまったが、自分のプレイは満足いくものだったから。

    ─お姉ちゃんにも見てほしかったな。

    思って、すぐさま考えを振り落とすように頭を振る。
    浮かんだ顔に、あぁそういえば今日は相手の実家に泊まってくるんだっけ、思い出した。
    きっと夕飯は出掛ける前に何かしら用意してくれているだろうけど無ければコンビニにでも行けばいい、考えながら家のドアに鍵を差し込
    む。

    入った瞬間、部屋の中から漂う香ばしい薫り。

    ばたばたと駆け込むと、
    「おかえり」
    キッチンで食事の支度をしている姉が一人。

    「お疲れ様。お腹空いたでしょう?もう少しだけ待ってね。お風呂も湧いてるよ」

    お言葉に甘えようと、荷物を置いてタオルを掴むトーコ。
    浴室に向かう前に姉に声を掛ける。

    「何でいるの?泊まってくるんじゃなかったっけ」

    ミフユは相変わらず柔和に、けれどどこか曖昧に笑った。

    「惜しかったね、最後のシュート。でもすごくいい試合だった」

    ミフユの言葉に、トーコはさっと顔色を変えた。

    「…試合、来たの?結納は?今日結納の日でしょ?何やってんの、お姉ちゃん!」

    思わず掴みかかりそうになるのを我慢して姉の方へと近寄る。

    「結納を違う日にしてほしいって頼んだら、もう日取りも決まってるし無理だ、って」

    ミフユの声を聞くトーコは、今にも泣きそうな顔をして彼女を見ていた。

    「この日に特別な何かがあるのかって聞かれたから、妹の大事な試合があるって答えたの。そしたらたかがそんな事か、って。向こうのご
    両親も何を言ってるんだって怒っちゃってね。結婚は白紙」

    「ばっ…」

    ばかじゃないの、と言ってやりたかった。
    ¨たかが¨だ、¨そんな事¨だ。
    トーコだってそう思う。
    自分のこれからを左右するものに比べたら妹の引退試合など天秤をかけるに値しない、と。
    それなのに。

    「失礼しちゃうよね、トーコちゃんの最後の試合を大したものじゃないなんて」

    「お姉ちゃん、ばかだよ…」

    先程飲み込んだ言葉を、涙混じりにこぼす。

    泣かないの、と妹の目尻を指先で拭ってミフユは困ったように微笑んだ。

    「トーコちゃんの成長を見てきた私にはね、大切な事だよ。こんなに立派になってくれて、見届けたいと思うのは親心でしょ?」

    「…それで婚約破棄するの?ばかだよ…ほんとばかだお姉ちゃんは」

    ばかばか言わないでよと、ミフユは苦笑する。



    「あなたの事も含めて幸せを考えてくれる人じゃなければ、こっちからお断りだわ」



    すん、と。
    トーコは鼻を啜った。
    いつだってこの人は、本当に人の事ばっかりだ。
    どうしてもっと自分を中心に物事を考えない。



    「あら、いい具合いに揚がってる」

    すでにミフユは話を切り上げてコンロの鍋に向き合っていた。

    「ほら、トーコちゃん。揚げたてを召し上がれ」

    玄関に漂っていた香ばしい薫りの正体はどうやらコレ。
    顔の前に突き出された揚げ物は一目で大好物のクリームコロッケだとわかった。
    お祝い事のある日には、必ずミフユが作ってくれるものだから。
    さくりと一口噛ると中身のクリームが広がって、あまりの熱さに涙ぐんで上を見上げた。






    この優しい人が、
    誰よりも幸せになればいい。










    花言葉は、

    祈り。




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Nomal Re[1]: 花の名前 / ケイ (07/01/22(Mon) 20:22) #17762
│└Nomal ケイさんへ。 / 秋 (07/01/30(Tue) 00:53) #17815
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│└Nomal 肉食うさぎさんへ。 / 秋 (07/01/30(Tue) 00:55) #17816
Nomal 感想 / トモ (07/01/25(Thu) 22:55) #17791
│└Nomal トモさんへ。 / 秋 (07/01/30(Tue) 00:57) #17817
Nomal 素敵です / sea (07/01/27(Sat) 03:22) #17803
│└Nomal seaさんへ。 / 秋 (07/01/30(Tue) 00:59) #17818
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