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■17757 / 1階層)  花の名前【March】
□投稿者/ 秋 一般♪(38回)-(2007/01/22(Mon) 15:10:06)
    夕方になると行き交う人が途切れずに、賑わいを見せる商店街のとある一角。
    女主人が一人切り盛りしていたこの花屋に、新たな顔が増えていた。
    「最近暖かくなりましたねぇ」
    開店準備をしながら晴天を仰ぎ見て、冬の始めにやってきたバイトが言う。
    「春が近いのね」
    そろそろ開花の兆しが見える赤い花の鉢植えを手に、花屋は答えた。

    それは、風の強い時分に開花する、春を告げる花だった。





    【アネモネ】





    何故だか放っておけない、そういう気がした。
    大学の行き帰りに必ず通る道、何気なく目をやった店先にその人はいた。
    彼女の他に従業員はいないようで、小柄な体でせっせと動き回る姿が、家に帰ってからも目蓋に焼き付いていた。
    それからだ。
    毎日そこを通る度、さりげなく視線を向けるようになったのは。
    時々花を買ったりもした。
    その内顔を覚えられ、挨拶を交わす程度にはなった。
    時間を要しながらも、二・三の言葉が徐々に会話になった。
    そうして一年近く経った頃、意を決して言ってみた。


    「私を雇いませんか?」


    本当は給料なんていらない、ただ力になりたかっただけだけれど、そう言えば「手を煩わせるわけにはいかない」と気を遣って、花屋はイ
    エスとは答えてはくれないだろう。
    だからバイト、と提案した。

    「え?」

    案の定相手は、唐突な知人の申し出にキョトンとしている。

    「あ、いや、花名さん一人じゃ大変そうだし、私も花好きだし、何か手伝える事あったらなーって。でもダメだったら別にいいんです」

    返答を待つ間、沈黙が訪れるのが恐くて一人ぺらぺらとまくしたてる。
    じっと考え込むような花名。
    だめかな、諦めの感情が湧いた時─

    「──…お願いしようかな」

    「そうですよね、やっぱ。素人じゃ足手まといだし、今まで一人でやってきたわけだし──…って、は?」

    「うちでバイトしてもらえる?」

    「…ありがとうございます」

    「よろしくね、楓ちゃん」

    にっこり笑う花名に、楓は一瞬見惚れてしまってうまく言葉を紡げなかった。



    花は好き、嘘ではない。
    けれど本人も自覚している通り、楓は専門家ではない。
    その辺の草花を見て「わぁ綺麗」と思うくらいの感受性はあるものの、知識という知識は皆無である。
    だから必死で勉強した。
    栽培方法から植え付け時期、開花期に至るまで。




    それでもまだまだ足りないのだろう。
    バイトとして雇ってもらって一月余り。
    自分は少しでも力になれているのだろうか、と花の手入れをしながら溜め息を吐く楓。
    人を助けたいと口にするには自身にそれだけの力がなければ適わないのだ、と痛感させられる。
    元々花名一人でやってきたこの店、雑用ぐらいしか手放しに任せられないひよっこの楓に頼ってくれというのが無茶な注文だ。

    「楓ちゃん、終わった?」

    店の奥から花名が顔を出す。
    終わりましたと言おうとして、大きなくしゃみが出てしまった。
    一月の空気はあまりに冷たい。
    店先にいるとすぐに体が冷えてしまうのだ。
    「今はお客さん少ない時間だから奥にいましょう」
    花名が笑う。

    ─私はあなたの役に立てていますか。

    楓は花名を見るほどに思う。
    結局は喉より先には出せないけれど。


    店に入ると花の香りが充満している。
    花名の日々の結晶。
    生き生きとした花たちに、楓は目眩すらしそうになる。
    「花名さん」
    呼べば、「なあに?」と振り向いてくれた。

    「花屋になるべく名前ですね、花名さんて」

    店内をぐるりと眺めて言った。

    「そうね、これも名前の導きなのかしら」

    ふふ、と。
    自身も花みたいに笑う。

    「いい名前だと思います。よく似合ってる」

    花名さんも花だ、楓はその笑顔に目を細めた。

    「楓ちゃんの名前も、いい名だなってずっと思ってたのよ」

    「私の名前?」

    返された言葉にキョトンとする楓。


    「¨楓¨の花言葉は¨とっておき¨」


    花名はふわりと香る花のように笑った。
    かぁっと体が熱くなっていくのを感じた楓は、「──ちょっと店先見てきます」顔を伏せたまま慌てて外に飛び出した。

    ─私はあなたの¨楓¨になりたい。

    外気で頭を冷やさなければ喉から先へと出てしまいそうだったから。


    それからかもしれない。
    自分の名前が少しだけ特別になって、花の言葉に興味を持つようになったのは。





    さわさわと風が吹く。
    三月だと暦を確認しなくても、優しい陽射しが近付く春を知らせている。
    しかし楓の心は、そんな柔らかな光でも暗く陰りがちだった。

    そこまで足手まといではないと思う。
    けれど頼りなさは否めない。
    花名は一人ですべてを背負い込もうとする。

    ─頼ってほしいのに。

    唇を噛み締めるが、そうできないのは自分が不甲斐ないからだと思い至る。

    ─これではここにいる意味がないじゃないか。

    あーぁと、思ったよりも大きく溜め息を漏らしてしまった。

    「どうしたの?楓ちゃん。溜め息なんて」

    花名が心配そうに楓の顔を覗き込んだ。

    「いえ、何でもないです。あぁそうそう、あくびです、あくび。ほら、今日いい天気だから」

    心配を掛けるなんてそれこそ元も子もない、情けなくなりながら、楓はあははと空笑いをした。

    「それならいいけど。ほんと、最近暖かくなったわねー」

    手にした切り花に鼻を寄せて、「春の匂い」と愛おしそうに呟いた。

    この人の花に向ける愛情は、深い。
    花名と花の姿を見て楓はいつも感じる。
    それ故に自分の体を省みないのだ、とも。

    先日から顔色が悪い事に、薄々楓は気付いていた。
    仕事第一の花名は聞き入れてくれないだろうと、黙って見守るしかないのだけれど。
    それでも今日は、いつにも増して肌の艶がくすんで見えた。
    目の下の隈もだいぶ濃い。

    「花名さん、奥で休んでたらどうですか?店には私が出てますから」

    躊躇いがちに言ってみたが、

    「大丈夫よ。ありがとう、楓ちゃん」

    にっこり微笑まれてしまっては、もうぐっと口を噤む他ないのだ。






    そして楓の恐れていた通り、この日、花名は倒れた。






    ─私がいたのにっ。

    楓は苛々と薬品臭い廊下を歩いていた。

    大学へ行く途中で商店街を通ると、もう昼だというのに店が開いていなかった。
    眉をひそめていると、昨晩救急車が来て、女性が一人運ばれたと近所の人が教えてくれた。

    店を閉め、楓が帰った直後だった。

    お礼もそこそこに、楓は慌てて搬送先の病院を調べて向かった。

    ─やっぱり無理してたんじゃないか!

    支えられない自分にも、一人だと思っている花名にも、腹が立つ。

    「花名さん?楓です、入っていいですか?」

    目的の部屋の前、声を掛けると「どうぞー」花名の声。

    ベッドに横たわる花名は、昨日より幾分顔色が良くて、怒りも忘れてほっとした。
    簡単に許してなるものかと、すぐさま顔をしかめたけれど。

    「──やっぱり体調悪かったんじゃないですか」

    できる限り低い声で言う。
    病人を責めるような真似はしたくなかったけれど、それでもわかってほしかったのだ。

    「もし花名さんが死んだらあの花達はどうなるんですか。いくら花が大事でも、花名さんがいなければ生きられないんですよ」

    「楓ちゃん…倒れたっていっても、ただの過労なの」

    花名は苦笑した。

    「お医者さんも大袈裟ね、入院なんて。でも明後日には退院できるから」

    だからほんとに大した事じゃないのよ?、子供を説き伏せるように優しく言葉を紡ぐ花名は、楓を見て小さく息を飲んだ。
    花名のベッドの前で立ち尽くしている楓は、涙ぐんできつく口を結んでいる。
    鋭く花名を見つめながら。

    「…ごめんね、楓ちゃん。心配させちゃったわね」

    ふふ、と微笑む花名の言葉を楓は遮る。

    「──私が心配するってわかってるならどうして無理するんですか」

    楓の声は、怒りで、悲しみで、情けなさで、震えていた。

    「花名さんはいつもそうです。一人で何でもやろうとして人の手を借りようとしない。そんなに私は頼りになりませんか?私じゃ力になれ
    ませんか?」

    喉の渇きさえ忘れて、楓は思いの丈を連ねる。

    「あなたは一人じゃないんです。私はまだまだ頼りないかもしれませんけど、どんな事でもやりますから。何でも言っていいんです。じゃ
    なきゃ私は何の為に花名さんの側にいるんですか」

    ふう、と息を継いで、

    「もっと私を信じてほしい」

    最後に告げた言葉が、一番伝えたかったものかもしれない。

    花名は目を伏せた。
    長い睫毛が影になって、肌の白さを一層際立たせる。

    「ごめんね」

    ぽつりと、花名は一言だけ漏らす。

    楓は唾を飲み込んで、続く言葉を待った。

    「そう感じさせて、ごめんね」

    顔を上げて花名は、楓を見つめた。
    不意に視線を受けて、楓はたじろぐ。
    けれど顔は背けなかった。

    「手伝ってくれるって楓ちゃんが言った時、嬉しかった」

    唄うように話す人だ、楓はその声に泣きそうになる。

    「今まで一人のお店だったから、楓ちゃんが来てくれてから明るくなったわ」

    「私は、いてもいいですか」

    「すごく支えられてるの。だからそんな風に言わないで」

    花名はふっと笑って楓を手招きした。
    素直にこちらへと近寄る楓の耳元でこそりと囁く。

    「私が今育ててる花、知ってる?」

    「──…アネモネ、ですか?」

    そう、と花名は嬉しそうに頷く。


    「あれね、花が咲いたら楓ちゃんにあげようと思ってたの」


    「──…え」


    楓の思考は一瞬停止した。
    ぎこちなく花名を見ると。
    花名はふわりと微笑む。

    どうやらこの花の持つ意味を知った上で言っているのは間違いない。
    その真意を察すると、楓の顔はみるみる赤くなった。


    「それってつまり──」


    言い淀む楓に、


    「私には、楓ちゃんは¨楓¨なの」


    柔らかく、穏やかに、花名は笑った。
    それはまるで春風にそよぐ一輪の花。

    この人の、この笑い方が好きだ。
    などと思う余裕もなく、楓はますます赤くなった。

    あの、春を告げる花のように。










    花言葉は、

    あなたを愛します。





完結!
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Nomal NO TITLE / マキノ (07/01/22(Mon) 17:47) #17760
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Nomal Re[1]: 花の名前 / ケイ (07/01/22(Mon) 20:22) #17762
│└Nomal ケイさんへ。 / 秋 (07/01/30(Tue) 00:53) #17815
Nomal あぁあ / 肉食うさぎ (07/01/22(Mon) 22:56) #17771
│└Nomal 肉食うさぎさんへ。 / 秋 (07/01/30(Tue) 00:55) #17816
Nomal 感想 / トモ (07/01/25(Thu) 22:55) #17791
│└Nomal トモさんへ。 / 秋 (07/01/30(Tue) 00:57) #17817
Nomal 素敵です / sea (07/01/27(Sat) 03:22) #17803
│└Nomal seaさんへ。 / 秋 (07/01/30(Tue) 00:59) #17818
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Nomal Re[1]: 花の名前 / れい (07/01/27(Sat) 15:32) #17805
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