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■18092 / 1階層)  こんなはずじゃなかった。─12
□投稿者/ 秋 ちょと常連(57回)-(2007/02/23(Fri) 12:05:58)
    いつ好きになったのかははっきりと覚えている。

    けれど、いつの間にこれほど好きになってしまったのかはよくわからない。





    【サマータイムチルドレン】





    昔から背は高かった。
    小学校を卒業する頃には160cmをとうに越えていた気がする。
    それでも中二ぐらいには成長も落ち着いたのか、168cmであたしの身長は止まった。
    その頃のあたしは中学陸上界ではちょっとしたスターだった。
    リーチの長い足、バネのような瞬発力。
    この駿足こそが、あたしの最大の武器。

    そんなわけだから、高校に入学したら運動部から引く手数多なのは当然推測できた事だ。
    そりゃ運動神経は半端じゃないし?
    知名度だってそこそこあると認識している。
    どこだって欲しがるだろうとどこか他人事のように思いながら、勿論あたしは陸上部に入部した。


    「真剣に走れ!芹澤っ」
    何本目かのダッシュを終えたところに顧問の檄が飛ぶ。
    その苛々した声の方を向くと、ストップウォッチに視線を落として顔をしかめていた。
    つぅ、と。額に汗が伝う。
    じりじりと容赦なく八月の太陽があたしの身を焦がし、手の平で流れる雫を拭った。
    「ここ最近、タイムが伸び悩んでるみたいだけど」
    コース脇であたしのフォームをチェックしていた部長がゆっくりこちらへ寄ってきた。
    「焦っちゃだめだよ」
    ぽん、あたしの肩に手を置いて笑いかける。
    「ん、だいじょぶです」
    その手をやんわり肩から外して、「ちょっと顔洗ってきますねー」へらっと笑ってその場から離れた。


    夏休みに入ってからのあたしは何とも調子が悪い。
    スランプ、というか、また成長期がやってきたようなのだ。
    最近にょきにょきと背が伸びている。
    それに伴う節々の痛み、体の軋み。
    日に日にサイズが変わるものだから、歩幅の細かい調整、ダッシュの機微やスピードに乗せる軌道を修正しては修正、その繰り返しだ。
    一向にこの成長の速度に慣れないから、まるで自分の体じゃないようで、うまく走れなくて、このところゾクリとしている。
    この間こっそり保健室で身長を測ったら173cmだった。
    とうとうどこぞの王子と並んでしまった。
    アイツだってさすがにもう伸びていないだろう。
    いつまでこうなのだろうかと、思ってみただけでまた身震いした。


    夏休み中の学校は、部活に訪れた生徒以外にも二学期に行われる文化祭準備で活気に満ちている。
    人が多いという事はそれなりに人と出くわすわけで。
    体育館脇の水飲み場に差し掛かるまで何度か声を掛けられた。見知った顔にも知らない顔にも。
    顔が知れているのも楽じゃないと思う。
    伊佐なんて入部以来道場付近に見学者が溜まっているものだから、この夏の暑さが相乗して苛立っていた。
    「私以外の部員にも迷惑を掛ける」と集中が乱される事を懸念していたっけ。
    そりゃそうだ、実力者とは言えまだ一年生。
    道場は伊佐のものではないんだから。

    蛇口を思い切りひねって、勢いよく流れる水を頭から被った。
    真夏の水道は陽射しですっかり温まってしまっている。
    ぬるくて、気持ち悪い。
    少しもすっきりしなくて、顔を上げて水滴を払うようにぶるぶると頭を振った。

    「馨ちゃん、びしょ濡れだー」

    不意に掛けられた声にふと振り返る。
    生徒が二人、立っていた。
    誰だか知らない。
    学年色のネクタイが上級生だと示している。

    「今日も部活?」

    「暑いのに大変だね」

    「近くで見ると背高ーい」

    好意的に笑いながら近寄ってくる。
    グロスが塗りたくられた唇がてらてらと太陽の光に反射した。

    「今度の大会はいつなの?選手なんでしょ?」

    あたしの方へと手を伸ばして濡れた髪に触れようとしたので、さりげなくそれを避ける。
    代わりにがしがしと自身で頭を掻いた。

    「あたし一年だし、まだわかりませんよー」

    アハハと笑ってみせると、

    「でも、馨ちゃんすっごく速いじゃない」

    「運動部なんて新歓の時すごかったもんね。争奪戦だったし!」

    謙遜する必要ないよ、と無邪気に笑った。

    「陸上の世界で有名なんでしょ?結構皆知ってるよー」

    「先生達も『我が校から全国レベルの選手が!』って期待してるもんね」

    「ねぇねぇ、100m何秒で走れるの?」


    膝がまた、ぎしりと軋んだ気がした。


    よくもまぁこうぺらぺらと喋れるものだと感心しながら、勝手な事を、と胸の内で吐き捨てる。
    こういう事は入学してから割とあった。
    今日だって何度か声を掛けられた。
    その度にあたしはうんざりする。
    第三者の言葉はいつだって無責任だ。
    期待されるなんてまっぴらなのに、あたしはあたしの為に走るんだから。


    「大会の日は教えてね。見に行くから」

    「私達、馨ちゃんのファンなんだよ」

    また、屈託なく笑う。
    その様子に苛立ちが募る。

    「えー、そうなんですか。嬉しいなぁ」

    へらりと笑って返してやった。
    あたしはあんた達など知らないけれど。

    肩にかけたタオルで髪を乱暴に拭う。
    夏の陽射しのお陰でだいぶ水分は飛んでいた。

    「じゃあそろそろ練習戻りますから」

    ひらひらと手を振って駆け出すと、
    「頑張ってねー」
    「応援してるよ!」
    背中に受ける声援。
    知らない人間の言葉なんて大して耳には届かないって事、この人達は知らないのだろうか。
    もう振り返らずにあたしは走った。


    ─あぁ、関節が痛む。


    心底心配しているという部長の眼差しと苛々した顧問の声が思い出されて、そのまま校庭に戻る気も起きず、何となく校舎に入った。
    夏休みだというのに文化祭準備に訪れた生徒がちらほら。
    誰かに会うのが億劫で、一人になれる場所はないものかと人気のない方へと歩いた。
    人は二階から上の教室や特別棟に密集しているのか、教務棟の一階は静けさが広がっている。
    喧騒が遠くで聞こえて、一階の奥の長い廊下にはあたしの足音だけが響く。
    ようやくほっと息をついた。
    目を閉じると静寂に溶け込めそうだ。
    あたしはそのまま大の字に寝そべった。
    ひんやりとした廊下の無機質さ加減があたしの背中を冷やす。
    同時に頭も冷ましてくれないか、と思った。

    腹が立つのは無責任な他人にだけじゃない。
    走れ、走れ。
    足に命じる。
    もっと速く、もっと機敏に。
    どうしてうまくやれないのかと苛立つ自分が嫌だ。
    それを危うく表に出しそうになるなんて、よほど余裕を無くしている。
    冷静になれよ、と両手で顔を覆った。


    「どうしたのっ大丈夫?!」


    突然の高い声にぎょっとする。
    うっすらと目を開けると、天井ではなく人の顔が映った。
    何で人の気配に気付かなかったのだろうと驚くあたし以上に、廊下にしゃがんであたしの顔を覗き込むように見ている目の前の彼女の方が
    慌てていた。

    「あー良かった、意識はあるね。あなた、ここに倒れてたんだよ」

    「は?」

    多分この人は何か勘違いをしている。

    「今日暑いからね、日射病かな。起き上がれる?」

    「あ、いや、大丈夫です」

    そもそも自分で寝てたんだし。
    「保健室で少し休んだ方がいいかな」と呟くので、面倒な事になったと思いながら「そんな大袈裟なもんじゃないんで」やんわり拒否した

    けれど彼女は、「日射病を侮るな!」キッとあたしを睨んだ。
    有無を言わせない迫力に気圧されるあたしに、
    「ほら、保健室行くよ」
    手を差し出して起き上がらせる。
    そして「はい、乗って」くるりと背中を向けた。

    これはもしかして─

    「…おんぶ?あたしを?」

    彼女は首だけで振り向いて「そうだよ」と答えた。

    よくよく見ればこの人は随分と小柄。
    あたしが平均身長よりも高いという事を差し引いても、だ。
    これではまるで大人と子供。
    いくら何でも無謀ではないだろうか。

    「ちょっと無理じゃない…?」
    おずおずと提案してみるあたしに苛立ったように彼女は、
    「つべこべ言わずにさっさと乗れ!」
    素直に従えとばかりに怒鳴りつけた。
    その問答無用の言い草に呆気に取られ、少しだけ可笑しくなる。
    どうせまだ練習に戻る気はない、保健室でしばらくサボろう。
    あたしは小さな彼女の肩に手を掛けた。

    やはりと言うか、あたしを背負った彼女の足取りは何とも覚束ない。
    乳飲み児が今まさに立ち上がりましたよ、といったような、よたよたとした歩き方。
    それが何ともおかしくて、くくくと笑みを噛み締めた。
    心許ないこの背中は、不思議と頼り甲斐があった。


    保健室に辿り着き、どさりとベッドに体を埋める。
    真正面から改めて見た彼女のネクタイは、意外にも二年の学年色。
    同い年だと思っていたから少し驚く。
    先輩だったのかと、デスクの方で作業している彼女を眺めていると、

    「体操服って事は運動部だよね。活動中にちゃんと水分取ってた?こーゆー暑い日は脱水症状が怖いんだよ」

    こちらへとやって来て、冷たい麦茶を注いだ紙コップをあたしに差し出す。
    受け取りながら、あれ?、と思った。

    「それから、訪問者記録書かなきゃいけないからいくつか教えてもらっていいかな」

    ひらりと、書きかけの訪問者カードを手にして。

    「あなたの名前は?」

    やっぱり、と確信した。

    ─この人、あたしの事を知らないんだ。

    「芹澤、馨です」

    自分の名前を誰かに告げるのなんて久しぶりだ、そう思って少し声が掠れた。

    「セリザワさん、か」

    どんな字書くの?とまた尋ね、さらさらとペンを紙に走らせる。

    「それじゃ保健の先生には伝えとくからゆっくり休んでね」

    あたしに毛布を掛け、保健室から出て行こうとする背中に、
    「ありがとうございました」
    声を掛ける。
    振り返った彼女は「気にしないで」と笑った。
    「私保健委員だし。廊下で行き倒れてたら放っておけないよ」
    そもそもそれは勘違いなんだけどな、苦笑する。

    「でもさすがにその体でおんぶはきついでしょ」

    茶化し気味に言ったら、

    「小さい言うなっ、お節介は性分だ!」

    怒ったように笑って、「お大事に」と一言添えると今度こそ保健室を後にした。


    小さいくせに、嵐のような人だったな。一人ごちる。
    いつの間にか膝の痛みは消えていた。
    背中の広さと肩の温かさが手の平にひっそりと残って。
    夏が過ぎると、今度こそあたしの成長期は終わった。






    ─神谷 多喜

    後になって知った彼女の名前だ。
    「喜びが多い、ね」
    ぴったりだと思った。


    最初は何となくの興味から。
    この人といたら面白いだろうな、なんて。


    夏休みが終わって二学期に入るとすぐにタキ先輩に会いに行った。
    予想通りというか、先輩はあたしの事を知らなかった。
    あの夏助けた後輩の顔をきれいさっぱり忘れていて、「え?誰?」ってきょとんとしていた。
    好きです、と言ったら、ますます狼狽えた。
    その様子が可笑しくて、しばらく楽しめそうだと思った。
    暇潰し、のつもりだったのだ。
    それなのに。






    「先輩、明けましておめでとうございます」

    「うわ、馨…新学期早々運が悪いなぁ」

    「ヒドイっ!あたしは冬休み中先輩に会えなくて寂しかったのにっ」

    「だー!抱きつくなっ!!」

    「充電ぐらいさせてくださいよー」






    気付けば季節は夏から冬へ、いつの間にかあなたばかりを追いかけている。
    多分、これから先も。




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