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■18096 / 1階層)  こんなはずじゃなかった。─16
□投稿者/ 秋 ちょと常連(61回)-(2007/02/23(Fri) 12:10:34)
    差し出された手に、縋ったのなんか初めてだ。
    その心地良さに戸惑っているなんて言ったら、あなたは笑うだろうか。





    【cry-baby】





    母は、子育てに向いていない人だった。
    奔放で我が儘で、気が向いた時にだけ猫っ可愛がりするような。
    それでもあたしを撫でる手は、抱き締める腕は、いつだって温かくて優しくて。
    ─カオル。
    甘い声で名を呼ばれる度、嬉しくなって飛びついた。

    そんな母と堅く生真面目な父が今まで一緒に居た事が不思議なわけで、あたしが八歳の誕生日を迎える前に、母は出て行った。

    「頭を冷やす為に少し距離を置くだけだよ」
    父は言った。
    「会いに来るからね」
    母は言った。

    その言葉通り、頻繁ではなかったけれど、放課後たまに小学校の前で母が待っていてくれた。
    相変わらずの甘い声であたしを呼び、駆け寄ったあたしの手を包むように握る。そして決まってファミレスでパフェを頼んでくれるのだ。

    今までだって気まぐれにあたしを可愛がっていた母。
    外で会うだけの違いに、それほど戸惑いはなかった。

    高学年になると、「いつお母さんは帰ってくるの?」聞く事はなくなった。
    会う頻度は徐々に減り、電話を掛けても繋がらない事が増えた。
    だから今度はこちらから出向こうと、中学に上がって間もない頃、母の住むマンションに会いに行った。
    制服姿のあたしを見て、何と言うだろう。
    大きくなったわね、と目を細めるだろうか。
    やっぱり可愛い可愛いと、頭を撫でてくれるだろうか。
    期待と、久しぶりに顔を見る緊張感で、どきどきしながらチャイムを鳴らす。

    「はい。どなた?」

    インターホン越しに、母の声。
    馨です会いに来ました、言葉を紡ぐ前に、

    「誰?宅配便か何か?」

    父ではない、男の声。

    あたしは静かにそこから離れた。


    母はもう帰ってこないのだ、と。
    ようやく悟った。
    それでもいつかあたしを迎えに来て、一緒に行こうと手を取ってくれるんじゃないかって、心のどこかで信じていて。
    その日が来るのを密かに待ちわびていたのだ。





    先週、8年もの別居を経て、とうとう両親が離婚を決断した。

    ─今日は早く帰っておいで。

    今朝出掛けに掛けられた父の言葉が頭を掠める。
    不運にも今日は部活が休みだ。
    ホームルームが終わった今、真っ直ぐ家に帰れてしまう。
    次々と教室を後にするクラスメイトの背中を眺めて、机に突っ伏した。
    瞼をひっそりと閉じる。

    ─久しぶりに家族三人で、夕食を食べよう。

    またひとつ浮かんだ言葉に、最後の晩餐ってわけね、独りごちた。

    もう、家族ではなくなるのに。
    思わず反吐が出そうになった。

    望み続けるのは相当な気力がいる。
    だったら最初から期待なんてしない方がいいのだと、理解するのに随分遠回りをしてしまった。
    あたしはこのまま、父と暮らす事になっている。

    がたん、と。
    立ち上がった瞬間、思った以上に大きな音がたった。
    教室に残っていた数人の目がこちらに集中する。
    へらへらと笑ってその場をやり過ごし、廊下に出た。
    ぶらぶらと歩きながら、自分の頬を引っ張る。
    きっとうまく表情を作れていない。
    こうなるだろうとは冷めた頭の中でどこか予想していたし、今更駄々をこねたところでどうなるものでもないとわかっていた。
    けれど素直に家に帰る気は起きない。
    三人揃って食卓を囲めば、あとは家族が終わるまでのカウントダウンの始まりだ。
    なるべく人の居ないところへと思いながら保健室に足を向けた。
    戸の隙間から中を窺うと、どうやらタキ先輩は当番ではないようだ。
    情けない顔を見られなくて済む、とほっとして、室内へと入った。



    奥のベッドに潜り込んだあたしは、枕に顔を埋めてじっと息を潜めていた。
    放課後の音が遠ざかりはじめて、保健委員がそろそろ下校時間だからと声を掛けても狸寝入りを決め込んで。
    「私が帰る頃に起こすから寝かせておけ」と言って放っておいてくれた瑞樹先生に感謝する。
    そっと顔を上げると電気の消された室内は、静けさと落ちる夕陽の色に染め上げられていた。
    寝返りをうって仰向けになる。
    天井の白さもオレンジだ。
    また、目を閉じた。
    瞼の裏に暗闇が広がる。

    ─カオル。

    それなのにどうしてありもしない声ばかりが耳に響いてしまうのだろう。
    あたしの頭を撫でる白い手が浮かんで、喉の辺りが詰まった。
    吐き気すら湧いてくる。
    息苦しくてどうしようもなくて胸をぎゅっと鷲掴んで、あぁ大声で叫んでしまえば少しは楽になれるのだろうかとどうせ出来もしない事を
    考えていると、

    「誰か…いるの?」

    薄暗い保健室に小さく反響した声にはっとする。
    この声は。
    どうして、何で。
    思うより先に声が出てしまった。

    「──…タキ先輩?」

    ぽつりと漏らしてしまってから、瞬時にしまったと舌打ちする。
    何も応えずにやり過ごせば良かった。
    案の定あたしに気付いた先輩は「具合悪い?」と、こちらへやって来る。
    体を起こして何でもないですとへらりと笑ってみせても、納得してはくれなかった。

    早く出て行ってはくれないだろうか。
    こんな顔、一秒だって見られたくないのに。

    不満そうな先輩の視線が痛い。
    それでも何とか体裁を繕って笑ってみせる。

    もう少し、もう少しだけ笑い続けろ。
    アハハと笑いながら心の中で強く思うと。
    不意に先輩の手がこちらへ伸ばされた。
    目の前で一度躊躇して、そしてそっと、あたしの髪に触れる。
    くしゃりと、優しく撫でる温かい手の平。

    あぁ、まずい──…

    鼻の奥がつんとして、気付くとあたしは先輩を抱き寄せて彼女のお腹に顔を埋めていた。
    一瞬体が強張って、けれども腰に回した腕を振り払わない先輩は、優しく、優しく、あたしの頭を撫で続ける。
    「大丈夫だよ」と、まるで子供をあやすように。

    喉がじわりと熱くなって。
    「ありがとうございます」と言ったと同時に埋めた顔が更にお腹と密着して息苦しくなる。
    抱き締められたと気が付くのにさほど時間はかからなかった。


    あの時も、あの時も。
    この人はつくづく放っておけない人なんだなと思う。

    何故こうも当たり前のように現れてくれるのだろう。


    あたしの頭を抱える腕の中でもぞもぞと動いたら、
    「あ、ごめん。苦しかった?」
    少しだけ力が緩められた。
    顔をちょっと上げて先輩を見上げると、
    「ん?どうした?」
    思いの外柔らかい眼差しであたしを見つめ返してくれたから。
    「もう少しだけお願いします」またお腹に顔を寄せると、
    「しょうがないなぁ」
    腕に優しく力が込められて、ふふっと笑う声がくすぐったかった。


    あぁやっぱり、この人は差し出した手を引っ込めない。
    そう思って嬉しくなる。


    お腹から伝わる優しさに眼の奥がじわじわと緩んで、すうっと息を吸い込んだらだいぶ楽に呼吸ができた。




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