■20186 / ResNo.96) |
第一章 さくらいろ (82)
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□投稿者/ 琉 ちょと常連(90回)-(2007/10/16(Tue) 08:01:17)
| 「送っていくわ」 校舎から出たところに横付けされてある車の前で、真澄が言った。 他の役員や希実までもが、家の送迎専用車やタクシーで帰るというので、 駅まで一人暗い夜道を歩いて下校しようとしていた和沙には朗報だった。 「…あ、ありがとうございます」 お辞儀をしながら、ふとその送ってもらえるという車を眺めた。
こ、これは…
世間でいうところのリムジンじゃないですか! 縦長の豪華な車体に、隅々まで手入れが行き届いていることが伺える外観は、 誰もが認める高級車だった。 こんな車、和沙は実際に見たこともなければ乗ったこともない代物である。 せいぜいテレビ番組で紹介されているのを覚えているくらいだ。 須川家の送迎車もすごいと感心したが、この車はさらにそれの上をいく… いや、それどころか比較にもならないくらいの存在感を放っている。
「早く乗りなさい」 茫然と立ち尽くす和沙に呆れながら、真澄は車の中にさっさと押しこんだ。 外はもうすっかり寒くなっていて、おまけに今の和沙は 制服のジャケットを着ていないものだから、 適切な行動といえば…まあそうかもしれない。 乗りこんでみると、想像以上に内装も絢爛豪華だった。 広い座席はフカフカの乗り心地で、足だって悠々と伸ばせる。 テレビがついている乗用車も最近では珍しくなくなったけれど、 この車の場合、さらにミニ冷蔵庫やパソコンまで完備されていて、 望めばドリンクバーも自由だし、車内に居てインターネットまでも楽しめる。 庶民にとっては、まさに動くどこでもドア状態のこの車も、 真澄は慣れきっているのか全然興味がなさそうだ。
「父がね…」 急に話題を振るから、何のことかと和沙は一瞬身構えた。 「ビジネスでこの車を使っているから、常にネット回線を張り巡らせたり、 最新技術の導入に余念がないのよ」 何か飲む、と冷蔵庫を開けながら、真澄は尋ねてきた。 「そういえば、会長のお父様って…」 自分で言いながら、和沙は自らの頭をフル回転させて 彼女にまつわる情報をかき集める。 えっと、確か…そうお父上がお医者様で、大企業の社長さんでしたっけ… 何となくだが、クラスメイトの西嶋さんからそう教わった気がする。 しかし、父親が医師ということは…彼女の家は医系一家なのだろう。 将来のために、また単に興味を刺激されるということも相まって、 和沙はそれとなく探ってみた。 「いや、でも先ほどは見事に薬品を言い当ててすごいですよね」 露骨になりすぎないように、かといって、全然的を得ない回答が 返ってくることがないように、細心の注意を払った。 それなのに。 肝心の真澄の方はというと…煮え詰まらないといった 何ともはっきりしない顔をしてみせた。
また、失敗したか…
早くも次の手段を考えている和沙に、 真澄は例の破けて使用済になった錠剤入れを裏返して寄こした。 手渡されたとはいえ、至って普通のプラスチックゴミのように 思えたそれには、アルファベットで何かが印字されていた。
なに?TG…?
メーカーの名前だろうか。 このご時世、横文字の会社名なんていくらでもある。 というか、最近目にする話題の企業なんてほとんどが英語か ローマ字かカタカナ表記だ。 だから和沙は、この二文字を見ても、真澄の意図していることが ちっとも解読できないでいた。
「高柳グループよ」 「え?」 突如、真澄が口を開いたと思ったらこれである。 和沙が目を白黒しているうちに、真澄は再び補足した。 「この薬、うちの会社が作ったの」 分かりやすいが故に、和沙には衝撃だった。 けれど、驚いている暇などないというかのように、真澄は話を続ける。 「最近、強硬派が最新薬の開発を推し進めているとは聞いていたけど… 全く迷惑なことをしてくれたわ。 うちが製造した薬品で、本校の生徒に危害が及んだりしたら… 後味が悪いっていったらないもの」 吐き捨てるように話す彼女は、うんざりした様子だった。 「会長はもしや、あの場で苦情に対処していたんですか?」 それがどうした、といった表情でふんぞり返る真澄に、和沙は項垂れた。
さよか…やっぱりこの人…
現実主義だ。 将来、間違いなく大企業のトップに立つ器なんだろうな、と納得し、 和沙は妙な哀愁感に浸った。 棲む世界が違う人間と話す機会というのは、そう滅多にあるものではない。 それならば、今日この時間に同席できた幸運に感謝するのが 最もとるべき行動にふさわしい気がした。 そうこうしているうちに、車は和沙の自宅前に到着してしまった。 送ってもらったお礼を言ってから、和沙が車から降りようとすると、 真澄は何かを思い出したように腕を掴んで呼びとめる。 一体どうしたというのか。 「良い?月曜日は授業に遅刻しそうになっても気にしないで。 あらかじめ先生には説明してあるから。 だから、絶対に体育館裏から離れちゃだめよ?」 真澄が珍しく真剣な表情で念押しをする。 「は、はい…」 和沙の返事を確認すると、専用のドアマンがバタンと扉を閉め、 脱帽してから一礼する。 どこまでも行き届いた従業員ばかりのようだ。
にしても…
真澄の最後の話は何だったのか。 教師に事前の許可をもらっているなら、 こちらだって別に逃げたりしないというのに… 和沙はひとしきり首をかしげながら、 去っていく一台の高級車を見送った。
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